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異世界料理道  作者: EDA
第二十五章 モルガの御山洗(上)
429/1702

雨季、来たれり③~リリンの家~

2017.1/30 更新分 1/1

・今回の更新はここまでとなります。更新再開まで少々お待ちください。

「よし、これで完成です」


 サウティの本家を訪れて、およそ2時間後。

 北の民に向けた料理の試作品を、俺たちはようよう作りあげることができていた。


 食材は、城下町から持ち込まれたものをそのまま使わせていただいている。同じ食材で再現しなくてならないのだから、こればかりは致し方がない。減ってしまった食材は、明日にでも宿場町で相応のものを購入してお返しする所存であった。


 作業を手伝うかまど番は、ミル・フェイ=サウティを含めて5名に増えていた。マヒュドラの女衆も5名であるなら、同じ人数のかまど番がマンツーマンで手ほどきをするべきであろう、という話に落ち着いたのだ。

 集められたのは、同じ集落に住まうサウティの分家とヴェラの女衆である。いずれも森の主の一件で、ともにかまど預かった人々であった。


 ルウ家から訪れた4名は、ずっと静かに俺たちの仕事を見守っていた。それで試作品が完成すると、リミ=ルウが待ちかまえていたように歓声をあげた。


「すごいすごーい! 香りからして、ぜんぜん違うね!」


 そのように言いながら、リミ=ルウは尻尾を振る子犬のごとく、俺に取りすがってきた。


「それでさ、これはしちゅーなの? しちゅーだよね? すっごく美味しそう!」


「うん。この条件では、これ以外の料理を思いつけなかったんだよね」


 リミ=ルウの言う通り、これはシチューを模した料理であった。

 カロン乳が大量にあったので、それを利用したクリームシチュー風の料理である。


 ジェノスで手に入る食材をフル活用すれば、かなり完璧に近いクリームシチューをこしらえることができる。しかし、この場にある食材でも、それなりの出来栄えに仕上げることはかなったはずだった。


 カロンの乳はみんなで懸命に攪拌して、乳脂と脱脂乳に分離させた。このカロン乳は昨日持ちこまれたものであったので、最初から分離が進んでいたのが幸いであった。


 その乳脂でフワノを炒めて、ベースとなるルーをこしらえた。

 食材の種類はこれだけ豊富であるのだから、出汁をとるのに不自由はない。特に、カロンのあばらやキミュスの足が骨ごと塩漬けにされているのがありがたかった。それを各種の野菜と一緒に煮込めば、いくらでも上質な出汁をとることができたのである。


 何より重要であったのは、その食材を入れる順番と火加減であった。

 かつての森辺の民と一緒で、食材を何の区別もなく放り込み、強火でごうごうと煮込んでしまうから、あのようにぐずぐずの仕上がりになってしまうのだ。しかも使われているのは肉や野菜の切れ端なのだから、そんな扱いではのきなみペースト状になってしまうことだろう。


 まずは骨ガラとそれにこびりついた肉片でしっかりと出汁を取り、あとは形の残りやすい野菜から順番に投じていく。ティノやチャッチやネェノンなどは早めで、チャンやナナールなどは終盤だ。城下町の料理人はアリアを安物の野菜と断じて好まないので、あまりこちらにも回ってきていないのが惜しいところであった。


 しかしまた、野菜のクズにはけっこう大ぶりなものも混入されていた。

 城下町の料理人は、惜しみなく食材を消費するものなのである。ティノは表側や芯に近い固めの部分がのきなみ廃棄されていたし、ネェノンやチャムチャムなども、真ん中の部分だけくりぬいて捨てられたものがたくさん見受けられた。ヴァルカスやティマロなどの、「不要な部分は捨ててしまえばいい」というスタンスが、このような形で俺たちに恩恵を与えることになったのだった。


(キノコをカサしか使わないで、柄の部分をまるまる廃棄しちゃうなんて、いかにもヴァルカスらしい手口だもんな。ひょっとしたら、本当にヴァルカスたちが廃棄した分も含まれているんじゃなかろうか)


 なおかつその場には、クリームシチューには適さない食材というものも存在した。

 ルッコラのようなロヒョイ、ニラのようなペペ、ダイコンのようなシィマなどが、その代表格である。


 タケノコのようなチャムチャムや、ズッキーニのようなチャンなどは、案外調和するような気がしたので、シチューで使わせていただいた。が、香草としての側面も持つロヒョイやペペなどは香りが強すぎたし、ダイコンのごときシィマをクリームシチューにぶち込む蛮勇を振り絞ることはできなかった。


 だが、それらもすべて北の民にとっての大事な栄養源であるし、衛兵たちも、食材を余らせることは許さなかっただろう。余らせるぐらいなら鍋にぶち込めと言われる図が、俺には容易く想像することができた。


 ということで、それらを使った二品目である。

 シチューに適さない食材は、すべて細かく刻んでしまい、フワノの蒸し饅頭で使わせていただくことにした。


 俺は商売の帰り道であったので、『ギバまん』のための蒸し籠を携えていたのである。

 この蒸し籠は、火にかけた鉄鍋の上部にセットすることで、その蒸気を利用している。つまりは、シチューを煮込むと同時に、フワノの蒸し焼きもこしらえることがかなうのだ。これならば、消費する薪の量に変わりはないので、衛兵たちからも文句は出ないはずだった。


 ロヒョイやペペやシィマ、それに使い道のわからないシールの皮や、ベリー系の酸っぱいアロウなども、まとめてこまかく刻んでしまう。それをカロンやキミュスの肉のミンチと混ぜ込んで、饅頭のタネとする。クリームシチューの品質を保つために、こちらのほうがびっくり箱のような料理に仕上がってしまうのは、如何ともし難いところであった。


 しかし、運び込まれる食材は、日によって種類も分量も異なってくるのだ。毎日つきっきりで面倒を見られない以上、それに対応できるような手段を講じる他ない。ニラのごときペペはけっこう強く味の中核を担ってくれるので、それと調和しないアロウなどがあまり大量に搬入されないことを祈るばかりだ。

 あとはなるべく多くの肉をこちらで使い、そちらの塩気でカバーする他なかった。


 ということで、即席クリームシチューと肉野菜の饅頭の完成である。

 饅頭も、見栄えだけは売り物の『ギバまん』と変わりはないので、外見的にはずいぶん立派に見えたことだろう。


「どうでしょうね。饅頭のほうは、かなり挑戦的な仕上がりになってしまいましたが」


「食べてみないとわかんないよー! 味見味見ー!」


 無邪気に過ぎるリミ=ルウの様子に、サウティやヴェラの女衆はくすくすと笑っている。

 ともあれ、味見である。

 シチューのほうはごく少量しか作っていなかったので、俺たちはまた同じ皿からそれをいただくことになった。


「うーん、美味しいよ! さすがにレイナ姉のしちゅーにはかなわないけど、ララやヴィナ姉が作るのとおんなじぐらい美味しい!」


「リミ、あなたねぇ……」


「あ、ヴィナ姉たちがへたっぴって言ってるんじゃないよ? それぐらい、このしちゅーが美味しいってこと!」


「……もういいわよぉ……」


 ヴィナ=ルウには申し訳なかったが、俺としても大きな不満の出る仕上がりではなかった。

 やはりピコの葉やタウ油や酒類などの調味料を使用していないので、味の奥ゆきには物足りなさが生じるものの、クリームシチューとしての体裁は整えられている。普段であれば使用しないチャムチャムやチャンなども、意外にいい効果を生んでいるのではないかとさえ思われた。


 ともあれ、骨ガラの出汁と、それに乳脂の風味がすべての土台を支えてくれている。同じ骨ガラでも、キミュスの上品さとカロンの重厚さが、なかなか上手くマッチしているようだ。


 饅頭のほうも、かろうじて無難と呼べるような出来栄えであった。

 とても美味、とは言い難いが、不味いことはない、ぐらいの出来にはなっているのではないだろうか。使いたくもないアロウやシールの皮を使用していることを考えれば、まあ上等だ。


 とりあえず、ニラのごときペペの風味がきいている。カロンも肉質は上等なので、それが救いとなっていた。これこそタウ油やミャームーでもあれば格段に美味しく仕上げられそうなところであったが、ない袖は振れないので致し方がない。


「うーん、こっちはあんまりだけど……なんか、宿場町で売ってそうな料理だね」


 と、小さく切り分けられた饅頭を食べ終えた後、リミ=ルウはそのように述べていた。


「とにかく色んな食材を使っちゃえーって、あれこれ詰め込んだ感じ? そういうところが、なんかそっくり!」


「ああ、言われてみれば、そうかもしれないね」


 宿場町の人々は、いまだに豊富な食材をもてあましている感がある。この急ごしらえの饅頭は、そういった料理に近い仕上がりなのかもしれなかった。


「俺としては、これが限界いっぱいかなあ……ああ、せめてタウ油があれば、もっときちんと味を作れるんだけど」


 俺がそのように述べたとき、別の方角からも声があがった。


「あの、アスタ……正直な感想を述べさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 それは、ヴェラの女衆であった。

 何やら、複雑な面持ちで微笑んでいる。


「少なくとも、こちらの汁物に関しては、わたしたちが普段口にしている料理よりも美味に感じられます。これでギバの肉さえ使われていたなら、家族も大喜びするほどでしょう」


「え? あ、そうなのですか?」


「はい。わたしたちの家ではそれほどさまざまな食材を使うことはできませんし、これはアスタが城下町の食材を使ってこしらえたものなのですから、それが当然の話なのですが……」


 そういえば、サウティの一族はルウやザザほど豊かではないのである。なおかつ現在は、ファの家に肉を売っている小さき氏族のほうが、サウティよりも豊かになっているぐらいのはずであった。


 しかし、森の主の一件で受けたダメージから回復すれば、サウティも森辺で三番目に豊かな氏族であったはずだ。そこのところを踏まえれば、そこまで生活は困窮していないはずであった。


「こちらのクリームシチューという料理で決め手になっているのは、カロンの乳と骨ガラです。カロンの乳は果実酒と同じていどの値段ですし、骨ガラはギバでも上質な出汁が取れます。ちょうど骨ガラの扱いが形になってきたところですし、明日からはそれもみなさんにお伝えしましょうか」


「え? 明日もサウティの家まで足をのばしてくださるのですか?」


 驚くミル・フェイ=サウティに、俺は「はい」とうなずきかける。


「今日1日の手ほどきでは、さすがにミル・フェイ=サウティたちも心配でしょう? マヒュドラの女衆には明日からでもこの技術を伝えていただきたいところですが、とりあえず明日以降もおさらいをするためにお邪魔させていただきたいです」


「でも、アスタには家での仕事が……」


「雨季になって宿場町での仕事が楽になったところですし、何も問題はありませんよ。トゥール=ディンやユン=スドラたちは、もう俺抜きでも下ごしらえをこなせるほどの力がついているのです。現に今日も、そうして仕事をこなしてくれているのですからね」


 それでもまだミル・フェイ=サウティが心配そうな顔をしているので、俺はさらに言葉を重ねることにした。


「こうして俺が仕事を抜ける際は、代わりにフォウやランなどから何名かの女衆に手伝いを頼むことになります。雨季になって、少し仕事が減ってしまったところであったので、むしろそちらの人々は喜んでくれるぐらいだと思いますよ。働けば働くだけ、賃金が発生するのですから」


「でも、その賃金というのはアスタが支払っているのでしょう? それでは、アスタの損になるばかりではありませんか」


「いえ、たかだか赤銅貨数枚のことですから。……あ、不遜に聞こえてしまったらすいません!」


 俺は自分の迂闊さに少なからず慌ててしまったが、ミル・フェイ=サウティの眼差しはやわらかいままであった。


「自分の損をかえりみず、一族の誇りと他者への慈しみを重んずるその姿は、とても素晴らしいと思います。アスタはまるで……族長のように民のことを考えているのですね」


「い、いえ、俺はそんな思いあがったことは――」


「賞賛しているのですから、そのように困った顔をなさらないでください。族長と言ったのは、もののたとえです」


 と、ついにミル・フェイ=サウティは口もとに手をやって笑い始めてしまった。


「アスタから習い覚えたこの技を、なるべく正確に北の民へと伝えたいと思います。下準備として、わたしたちは何を為しておくべきでしょうか?」


「とりあえず、乳脂の準備と、あとは野菜の選別だけで十分だと思います。それで、できれば明日からは、なるべく鍋を煮込んでいる間に、その作業もマヒュドラの人々が自力でこなせるように手ほどきをしてあげてください。最終的に彼女たちが自分たちだけの力で料理を作れるようになったら、もう衛兵や貴族たちも文句のつけようはなくなるでしょうから」


「わかりました。そのように励みます」


 これにて、サウティにおける仕事は一段落であった。

 初日としては、これで十分なぐらいだろう。雨季は2ヶ月も続くのだから、ミル・フェイ=サウティたちもマヒュドラの女衆も、焦らずじっくりと取り組んでいただきたいところであった。


 ということで、俺たちはサウティの家を退去することにした。

 この時節はほとんど日時計も役立たすになってしまうが、窓の外は早くも暗くなりかけてしまっている。そろそろ五の刻ぐらいにはなっているように思われた。


「それでは、また明日に。ダリ=サウティにもよろしくお伝えください」


「はい。今日は本当にありがとうございました」


 ミル・フェイ=サウティらに見送られながら、俺たちはまた雨具を纏って、サウティの集落を後にした。

 本当に、日没間際のような薄暗さである。雨は降ったり止んだりで、森辺の風景をも陰気に染めあげてしまっている。


「すっかり遅くなってしまいましたね。……それであの、実は言いそびれていたことがあったのですが……」


 俺は慎重に手綱を操りつつ、リリンの家に寄ってみたいのだという旨を伝えることになった。

 後ろを向けない俺の背中に、「いいと思うよ!」という元気な声がぶつかってくる。


「サウティの用事がいつまでかかるかわからなかったから、もうリミたちには仕事も残されてないだろうし! 晩餐の時間までに帰れれば大丈夫だよー!」


「ちょ、ちょっと、リミ……アスタも、いきなり何を言い出すのよぉ……」


「だって、こういう機会でもないと、俺はシュミラルと言葉を交わすこともできないのですよ。それに、《銀の壺》のラダジッドから、ギラン=リリンへの言伝もありますし。申し訳ないのですが、みなさんもおつきあい願えませんか?」


「あたしはもちろん、かまいやしないよ」


「俺も特に用事はない。このような天気では、薪を割ることも剣術を教えることもかなわないしな」


 ということで、1名を除けば満場一致であった。

 その結果に満足して口もとをゆるめたところで、耳もとに吐息を吹きかけられる。


「アスタ、あなた……わたしを陥れたのねぇ……?」


「お、陥れてなんかいませんよ。ヴィナ=ルウが同行することだって、ルウの集落に立ち寄るまで知らされていなかったんですから。俺はサウティに来てほしいと願われたときから、ずっとリリンの家に立ち寄るつもりでいたんです」


「…………」


「ヴィナ=ルウは、シュミラルがどういう人間であるかを見極めようという時期なのでしょう? それなら、たまには顔をあわせるべきではないですか?」


 なるべくリミ=ルウたちに聞こえぬよう声をひそめて囁き返すと、いきなり右のもみあげをひねりあげられた。


「あ、あの、痛いです! 皮膚、皮膚が剥げそうで!」


「……わたしとあの人のことを、アスタにどうこう指図されるいわれはないと思うんだけどぉ……?」


「仰る通りです! どうもごめんなさい!」


「ねー、ふたりでぼしょぼしょ何をやってるの?」


 リミ=ルウのおかげで、俺はもみあげとその周辺の皮膚を剥ぎ取られずに済んだ。

 その痛みに涙目になりながら、耳や頬ではなく髪をひねりあげてきたのは、男女みだりに触れ合うべからずという習わしに従ったのか、などと考える。


(何せ、出会ったその日に夜這いをかけられた間柄だからなぁ……できればシュミラルには一生知られたくないところだ)


 それとも、そんな事実を押し隠すほうが不実なことなのだろうか?

 それでも、少なくとも両者の関係性が落ち着くまでは、そんな不毛な出来事をシュミラルの耳に入れたくはなかった。


(そんなこともあったねと、笑い話にできる日が来るまでは――って、俺とヴィナ=ルウが口にしなければ、誰に伝わりようもないんだけどさ)


 俺がそのように考えたとき、リミ=ルウが「もう少しでリリンの家だよー」と述べてきた。

 俺も一度はリリンの家を訪れた身であるが、あのときは北側から向かっていたので、まったく勝手が違ってしまっている。リミ=ルウのナビはとても心強かった。


「うーんとね、さっきの横道がムファのはずだから、次の次の横道のはずだねー」


「ありがとう。リミ=ルウもリリンの家に行ったことがあるんだね」


「うん! 昔、ジバ婆とのお散歩で、眷族の家は全部回ったの!」


 聞いてみると、リミ=ルウ以外は初めてリリン家を訪問するのだという話であった。

 親筋の人間が眷族の家に出向く機会が、まず数えるぐらいしかないのだそうだ。収穫祭や大きな婚儀などはすべて親筋たるルウ家で行われるのだから、それも道理なのだろう。

 しかしそうなると、ヴィナ=ルウはシュミラルが森辺のいずこに住まっているかも知らないまま、この10日余りを過ごしていたということであった。


(それじゃあ、あまりにも忍びない。雨季の間は眷族が集まる用事もないだろうし、ヴィナ=ルウは顔をあわせないまま何ヶ月も過ごすつもりだったんだろうか)


 そんなに溜息をつき続けたら、幸せどころか生気まで抜けていってしまいそうである。

 かえすがえすも、本日ヴィナ=ルウを同行させることができたのは僥倖であった。


「次の横道だよー。道が細いから、気をつけてね!」


「了解」


 リミ=ルウの指示で、俺は横道に荷車を乗り入れた。

 確かに、細い道だ。荷車が通ることを想定していないのだから、まあ当然の話である。

 俺は幌や車輪を木の枝にぶつけてしまわないように気をつけながら、慎重にギルルの足を進めた。豊かな緑に頭上をふさがれてしまい、あたりはいよいよ薄暗くなってしまう。


 そうして道を抜けると、いきなり視界が開けた。

 思ったよりも、大きな集落だ。リリンには10名足らずの家人しかいないと聞いているのに、家が4つも並んでいる。

 まあ、空き家が多いのは森辺の常である。どんなに小さな氏族でも、最初から小さかったわけではないのだ。


「あの右端の家が本家だよー。もう暗いから、男衆も帰ってきてるんじゃないかな!」


 リミ=ルウの指し示した家も、とりたてて大きなものではなかった。どの家もが、ファの家と同じていどの規模である。

 俺はぬかるみに車輪を取られないように気をつけながら、リリンの本家へと近づいていった。


 窓からは、明かりが漏れている。

 それに、戸板の外までがやがやと騒ぐ声が聞こえてきていた。


「確かに男衆も帰ってきているみたいですね。みなさんはどうされますか?」


 ヴィナ=ルウ以外は、全員が腰を浮かせていた。

 荷台の隅っこで小さくなっているヴィナ=ルウの頭を、バルシャが笑いながらちょんと小突く。


「どうしたのさ? まさかここまで来て、顔もあわさないまま帰るわけじゃないだろうね?」


「だってぇ……わたし、そんなつもりじゃなかったし……雨で髪もぺちゃんこだし……」


「そんなことに文句をつける男なら、盛大に張り飛ばしちまえばいいじゃないか」


「ねー、行こうよぉ。シュミラルもすっごく喜ぶよー?」


 そうしてヴィナ=ルウが腰を上げるまで、30秒ほどの時間を要することになった。

 雨はほとんど止み気味であったので、もともと着込んでいた俺以外はマントなしで地に降り立つ。

 言いだしっぺの責任として、俺が戸板を叩くことにした。


「失礼します! ファの家のアスタと、ルウの家のヴィナ=ルウ、リミ=ルウ、リャダ=ルウ、バルシャです! リリンの家長か、家人のシュミラルはいらっしゃいますか?」


 しばらくは、無反応であった。

 けっこう賑やかな気配であるのに、誰も出てこようとしない。

 ひょっとしたら、すでに晩餐の最中であるのかな――と、俺が首を傾げそうになったところで、ようやく戸板が引き開けられた。


 その瞬間、思わず俺はハッとしてしまう。

 何というか、非常に強烈な個性を持つ女性が、そこに立ちつくしていたのだ。


「ファの家のアスタに、ルウの家のみなさんですか……ようこそ、リリンの家に」


 その女性が、憂いげに首を傾けながら、そのように述べたてた。

 森辺では珍しい金褐色の髪をした、とても美しい女衆である。

 しかし、ただ美しいだけではない。その女衆は、なんとも説明し難い不思議な雰囲気を纏っていた。


 アイ=ファやラウ=レイと同じ色合いをした髪は、短く切りそろえられている。首筋などは完全に露出する格好で、右耳の上には髪飾りがつけられており、左側だけ前髪が頬のあたりまでかかっていた。


 瞳は、透き通るような水色だ。

 睫毛が長く、ほんの少しだけまなじりが下がっており、とても穏やかな眼差しを俺に向けてきている。


 目鼻立ちは、これ以上ないぐらい、精密に整っていた。

 何がどう、というわけではないのだが、あるべき場所にあるべきものが配置されているような感覚だ。鼻は高すぎず低すぎず、唇は厚すぎず薄すぎず、シムっぽさもジャガルっぽさも感じられない、きわめて無国籍な顔立ちであった。


 そして、ものすごくスレンダーな体形をしている。

 雨季用の、ポンチョみたいな上着を着込んでいるので、それほど身体のラインは出ていないのだが、肩幅はせまく、腕も細かった。それでいて、身長は俺と変わらないぐらいもありそうだ。


 年齢などは、見当もつかない。15歳以上30歳以下でどれでもあてはまりそうな、何やら超然とした雰囲気なのである。その雰囲気こそが、彼女を一番不可思議に見せている要因であるようだった。


「申し訳ありません。ただいま、ちょっと取り込んでおりまして……あ、わたくしは家長ギランの伴侶で、ウル・レイ=リリンと申します」


「ギ、ギラン=リリンのご伴侶でしたか。ファの家のアスタです。初めまして」


「初めまして」とウル・レイ=リリンが微笑を浮かべる。

 透明な、妖精のごとき微笑である。

 そうして彼女は、同じ表情をたたえたまま、屋内を振り返った。


「家長、ファの家のアスタと、ルウ家のみなさんがお見えです。また今にも降りだしそうな気配ですので、家に招いてもよろしいでしょうか?」


「いいぞ!」と遠くのほうから声が返ってきた。

 俺たちは土間に上がり込み、水瓶の水で足を清めてから、リリンの家へと足を踏み入れた。

 その目の前には、綺麗な刺繍のされたとばりが掛けられている。

 きっと冷気を防ぐための処置なのだろう。俺は脱いだマントを土間に掛けさせてもらってから、その内側へと入室を果たした。


 とばりの向こうは、広間である。

 その奥で、4、5名の男女がこちらに背を向けて屈み込んでいた。


「よく来たな、アスタ。……それに、ルウの長姉も一緒だったか」


 その内のひとりが身を起こし、こちらに笑いかけてくる。

 リリンの家長、ギラン=リリンである。

 挨拶をしようとして、俺は立ちすくんだ。

 ギラン=リリンが立ち上がったことによって、その向こう側に隠されていたものが俺たちの前にさらされたのだ。


「シュミラル! いったいどうしたのですか?」


「大事ない。ちょっと胸のあたりを痛めただけだ」


 答えたのはギラン=リリンで、シュミラルは横たわったままであった。

 俺は拳を握りしめながら、ヴィナ=ルウのほうを振り返った。

 ヴィナ=ルウもまた、顔面蒼白になって立ちつくしていた。


「雨のせいで、猟犬の目や鼻が鈍ったらしい。飢えたギバと出くわして、そいつに体当たりをされてしまったのだ」


「ほ、本当に大丈夫なのですか? シュミラルは返事もできないようですが……」


「牙や角は避けていたし、あばらも砕けてはいなかったから、大事ない。数日も経てば、もとの力を取り戻すだろう」


 ギラン=リリンは、普段通りの柔和な笑顔であった。

 彼もまた、長袖の上着を纏っている。


 しかし、その足もとで、シュミラルは半裸であった。

 上半身の装束を脱がされて、胸一面に包帯を巻かれてしまっていたのだ。

 さらにその奥では、かまどに火が灯されている。リリンの本家はファの家と同じように、広間にかまどが設置されていたのだった。


「今も呼吸が不自由で声を出せぬだけだろう。よかったら、近くで呼びかけてやってくれ」


 ギラン=リリンの合図で、その場に屈みこんでいた人々が場所を空けてくれた。彼らは、シュミラルに治療をほどこしてくれていたのだ。


 近づくと、薬草の香りが鼻腔を刺してきた。

 打ち身の際に使用する、リーロと少し似た青臭い香りである。ヴィナ=ルウも足首を痛めたとき、同じようなものを患部に塗っていた。


 俺たちは、5人でシュミラルを半包囲にする。

 シュミラルはまぶたを閉ざしたまま、浅くて短い苦しそうな息をついていた。

 その顔は冷や汗に濡れ、ほどいた白銀の髪が痩せた頬に張りついている。

 かまどから照りつけるオレンジ色の光がその顔に濃い陰影をもたらして、シュミラルをいっそう苦しげに見せていた。


「シュミラル、大丈夫ですか? アスタです。ヴィナ=ルウも一緒ですよ?」


 声が大きくなりすぎないように気をつけながら、俺はそのように呼びかけてみせた。

 シュミラルは薄くまぶたを開け、力なく俺を見つめてくる。


「アスタ、ヴィナ=ルウ……何故、リリンの家に?」


「無理に口をきく必要はありませんよ。今日はサウティの家に用事があったので、その帰りに立ち寄ってみたのです」


「そうですか……」


 シュミラルの声は細く、咽喉にからんでしまっていた。

 たとえ骨折などはしていなくとも、相当のダメージであったのだ。俺は自分が取り乱してしまわないよう、懸命に抑制せねばならなかった。


「俺が未熟であったせいで、シュミラルに傷を負わせてしまいました。シュミラルを導かねばならない立場なのに、口惜しいです」


 と、脇にどいていた男衆のひとりが、そのように述べたてた。

 20歳になるかどうかという、若い狩人だ。その引き締まった面には、言葉の通りの表情が浮かべられている。


「飢えたギバに出くわして、足場が悪かったから木の上に逃れることにしたのだ。しかし、そやつは手を滑らせて、ギバの鼻先に落ちてしまった。それを庇って、シュミラルは手傷を負ってしまったのだ」


 ギラン=リリンが、反対の方角から言葉を重ねてくる。

 その声は、とても優しい響きを帯びていた。


「シュミラルの助けがなければ、そやつは咽喉もとを牙でえぐられていたかもしれん。それを助けた上で、シュミラルは自分の生命をも守った。狩人として、これ以上ないぐらいの働きだ」


「いえ……ギバ、かわしきれなかった、未熟、思います……」


「そうだな。お前には今以上に狩人としての力をつける余地が残されているだろう。そういう意味では、まだまだ熟しきってはいない」


 ギラン=リリンの温かい言葉に、シュミラルはうっすらと微笑んだ。

 それから、ゆっくりとヴィナ=ルウのほうに視線を差し向ける。


「恥ずかしい姿、見られてしまいました。……ヴィナ=ルウ、元気ですか?」


「……わたしのことなんて、どうでもいいじゃない……」


 ヴィナ=ルウは、最初からずっとうつむいてしまっていた。

 横にいる俺からは、長い髪が邪魔になって表情をうかがうこともできはしない。


「細い身体……あなたはそんなに細いのに、狩人としての仕事を続けていくつもりなのぉ……?」


「はい。……修練、積めば、もう少し、力つけること、可能なはずです」


 森辺の狩人に比べれば、もちろんシュミラルの身体は細かった。

 シムの民は、基本的に縦長の体形をしているのである。身長に比しては肩幅や腰がほっそりしているし、手足が長いものだから、余計に細長く見えてしまう。


 しかし、俺の目から見れば、まったく貧弱な感じはしなかった。

 あまり凹凸はないものの、腕も腹も引き締まっている。余分な脂肪がないために、腹筋などはくっきり割れており、これはこれでアスリートのような身体つきであるように思えた。


「できれば、昨日、お会いしたかったです。昨日、収穫、あげること、できました」


「……わたしが来たのは、迷惑だったって言うのぉ……?」


「いえ。ですが、力ない姿、恥ずかしい、思います」


「……同胞を助けて傷ついたんだから、それは誇りに思うべきじゃなぁい……?」


 ヴィナ=ルウは、その声からも感情を推し量ることが難しかった。

 ただ、隣に座している俺には、その声がわずかに震えていることだけは感じられた。


「失礼します。薬の準備ができました」と、そこにウル・レイ=リリンが近づいてくる。

 その華奢な指先には、薬草の香りを放つ木皿が携えられていた。


「ロムの葉です。これを口にすれば、楽に眠ることができますよ。……家長」


「ああ」とギラン=リリンも寄ってきて、シュミラルの肩にそっと手を添えた。

 その手が力強くシュミラルを引き起こし、自分の胸もとにもたれさせる。

 するとウル・レイ=リリンがシュミラルの前で膝を折り、木皿からすくった薬を木匙で口もとに届けた。

 かつてアイ=ファが左肘を脱臼した際に服用した、ロムの葉である。これには解熱と鎮痛の効能があるはずだった。


 家長夫妻に甲斐甲斐しく介護されながら、シュミラルはロムの葉をすべて口にした。

 最後に少し口からこぼれてしまったので、それはウル・レイ=リリンが手ぬぐいで清めていく。


「さて、これで次に目覚めたときには、少しは痛みもひいているだろう。晩餐ができたら起こすので、しばらく眠るといい」


「はい。すみません……」


 再び横たえられたシュミラルは、また苦しげにまぶたを閉ざしてしまった。

 その顔に浮かんだ脂汗も、ウル・レイ=リリンが綺麗に清めていく。


「普通に動くのに3日、森に出られるようになるのにもう3日、といったところかな。どんなに長くとも10日はかからぬだろうから、決して無理をするのではないぞ、シュミラルよ」


「はい……」


「日中は、ウル・レイが面倒を見てくれるからな。何も気にせず、ゆっくり休むがいい」


 すると、俺の隣でヴィナ=ルウが身じろぎをした。


「……本家に、他の人間はいないのかしらぁ……?」


「うむ? この家に住まうのは、俺たちと子供たちだけだ。今ではシュミラルという家人が増えたが」


「……その子供たちは、どこに行ったのぉ……?」


「今は弟の家に預けている。あちらにも幼い子供がいるので、都合がいいのだ」


 ヴィナ=ルウはうつむいたまま、視線だけで家長夫妻の姿を見比べているようだった。

 それに気づいたウル・レイ=リリンが、あの透明な妖精のごとき微笑を浮かべる。


「シュミラルが回復するまでは、日中も子供たちを預けることにします。わたしがずっとシュミラルのかたわらにあるので、何もご心配はなさらないでください」


「……ずっとかたわらに……」


 俺は、いささか心配になってきてしまった。

 最近すっかりしおらしくなってきたが、ヴィナ=ルウは本来、森辺の民とは思えぬほどトリッキーな内面を有しているのである。シュミラルが負傷したというこの非常時に、そのタガが外れてしまうのではないかと思えたのだ。


「……だけど、幼い子供を朝から晩まで母親から遠ざけるというのは、あまりよくないことよねぇ……?」


「ええ、ですが幼子がそばにいてはシュミラルも気が休まらないでしょう。数日のことなのですから、子供たちには言って聞かせます」


「……眷族の苦難は、我が身の苦難よぉ……?」


「はい?」とウル・レイ=リリンは首を傾げる。

 その微笑みは、あくまで透明だ。


「……ギラン=リリン、あなたがたの苦難に力を貸したいと申したてたら、迷惑になってしまうかしらぁ……?」


「よくわからんが、俺はドンダ=ルウの預かり知らぬところで、勝手な真似をすることはできんぞ」


 ギラン=リリンは目を細めて笑いつつ、灰色の口髭を撫でていた。

 ヴィナ=ルウは、ゆらりとリミ=ルウを振り返る。


「リミ、ドンダ父さんに言伝をお願いできるかしらぁ……?」


「うん、いいよー」と答えながら、リミ=ルウは頭の後ろで手を組んでいた。

 それは彼女の兄が得意とするポーズであり、そしてその瞳にも兄そっくりの悪戯小僧みたいな光が浮かんでいた。


「シュミラルが森辺にやってきたのは、わたしの責任なのだから……それでリリンに迷惑がかかるようなら、わたしもできる限りの力を貸すべきだと思うのぉ……ドンダ父さんに、そう伝えてくれるぅ……?」


「わかったー。つまりヴィナ姉は、今日はお家に帰らないってことだね?」


「……そうよぉ」と答えながら、ヴィナ=ルウはまた深くうつむいてしまった。

 今度はちょっとおたがいの位置が変わっていたので、俺もほんの少しだけその前髪の向こう側を透かし見ることができた。

 たぶんヴィナ=ルウは、タラパのように顔を真っ赤にしてしまっていた。


「アスタ……どうしましたか……?」


 と、ふいに足もとからシュミラルの声が聞こえてくる。

 ロムの葉がきいてきたのだろう。かつてのアイ=ファのように、うつろな眼差しになってしまっている。


「いえ、なんでもありません。ゆっくり休んでください、シュミラル」


 数時間後にはヴィナ=ルウが自宅に連れ戻されている恐れもあるので、俺はそのように答えておくことにした。

「そうですか……」とシュミラルはまたまぶたを閉ざしていく。


 ドンダ=ルウは、果たして娘のトリッキーな行いを許すのだろうか?

 もしも許されるようだったら、明日はサウティ家への行きがけに、お見舞いでカレーの素を届けようと、俺はこっそり心のメモ帳に書き留めておくことにした。

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