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異世界料理道  作者: EDA
第二十五章 モルガの御山洗(上)
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雨季、来たれり②~思わぬ依頼~

2017.1/29 更新分 1/1

 宿場町での商売の後、俺たちはサウティの集落に向かうことになった。

 しかし、呼ばれていたのは俺ひとりであるし、帰りにはリリンの家に寄らせてもらおうという目論見もあったので、トゥール=ディンたちには明日のための下ごしらえを進めておいていただく必要があった。


 ということで、みんなにはファファの荷車で戻ってもらい、俺は単身でサウティの集落に向かおうと考えていたのだが、ルウ家の人々に同行を願われることになった。開通工事の責任者であるダリ=サウティが、ファの家のアスタに何を頼もうという心づもりであるのか、それを見定めるべしというお言葉をドンダ=ルウから賜ったらしい。


 ちなみにドンダ=ルウは、金の月からついに狩人としての仕事を再開させていた。

 森の主に右肩をえぐられて、3ヶ月ばかりも療養とリハビリに励んでいたドンダ=ルウが、ついに狩人として復活したのだ。その前夜は珍しいぐらいに昂揚して、あびるように果実酒を飲んでいたと、レイナ=ルウたちからはそのように聞いていた。


 で、同行するメンバーである。

 これには、リミ=ルウとヴィナ=ルウが選出されていた。

 この顔ぶれに、深い意味はないらしい。ただ、本日の宿場町における当番はレイナ=ルウとリミ=ルウであり、そのふたりがそのままサウティに向かえばいい、という話になったのだが、レイナ=ルウには下ごしらえの仕事が待っていたので、ヴィナ=ルウが代役を果たすことになったのだそうだ。


 なおかつ、そこにリャダ=ルウとバルシャも加えられることになった。

 護衛役、というほどのものではないが、現在サウティの集落のそばには衛兵や北の民たちがわんさかひしめいている。そんな場所を訪れるのに、かまど番だけでは心もとないということで、狩人の仕事には参加していないその両名が同行することになったのだった。


 バルシャはもちろん武者フォームであるし、リャダ=ルウも刀と弓矢を携えていた。先日のドンダ=ルウとの稽古のさまを思い返すに、リャダ=ルウもいまだ右足以外は衰えていないのだ。走ったり、重いものを担いだり、長時間歩いたりすることが難しいため、狩人としての仕事に励むことはできないが、町の人間が相手であれば十分に戦力たりうるという話であった。


「5人だったら、荷車も1台で十分ですね。どうせルウの集落は帰り道にあるのですから、ギルルの荷車で一緒に行きましょう」


 そうして俺たちは、いざサウティの集落へと向かうことになった。

 もちろんというか何というか、俺のほうから同乗を願ったのは、リリン家への訪問にヴィナ=ルウを巻き込むためである。まさか彼らも、この雨の中を徒歩で帰るとは言い出すまい。勤勉なる森辺の民は用事もないのに他の氏族の家を訪れようとはしないので、俺もこのように画策する羽目になったのだった。


(リリンの家に寄りたいと打ち明けるのは、サウティでの用事が済んでからでいいよな。こうなったら、夕刻ぐらいまでサウティに居残って、確実にシュミラルと会わせてあげたいな)


 明日の下準備は、トゥール=ディンたちに任せておけば大丈夫だろう。かまどの間を俺抜きでみんなに使わせるという話も、朝の内にアイ=ファへと話を通している。あとは森の導くままにだ。


「サウティの家に行くのはひさしぶりだねー! ドンダ父さんが怪我したとき以来だから、紫と銀と金の月が終わって……3ヶ月ぐらいは経ってるんだね!」


 溜息の止まらないヴィナ=ルウのかたわらで、今日もリミ=ルウは元気いっぱいである。

 そこにバルシャとリャダ=ルウという顔ぶれは、なかなか新鮮な組み合わせであった。


「そういえばさ、ルウ家でのお勉強会はまだ始めないの? せっかくミケルとマイムがいるのにーって、レイナ姉とかが残念がってたよ?」


「うん、もちろん俺も聞いてるよ。ただ、ダイとかスンで調理の手ほどきのおさらいをしたくなっちゃってさ。少し期間を空けてから、もう一度同じ手ほどきをすると、けっこう効果的に腕前が上がるんだよ」


「ふーん、そっかー」


「それにさ、そろそろミケルもあちこち動き回れるようになった頃合いだろ? ミケルが動けない間は、きっとマイムもつきっきりで看病したいだろうから、勉強会に誘っても断られると思ったんだよね。だから、ふたりをいっぺんに誘えるようになるまでは、急ぐ必要もないのかなって考えたんだ」


「なるほどー! アスタ、あったまいいー!」


 料理の腕前をほめられることは多くとも、頭がいいと評されることは滅多にない我が身である。

 こんなリミ=ルウが、俺は大好きなのだった。


「それにしても、ここいらの雨季ってのは聞きしにまさるね。こんな朝から降りっぱなしで、土砂崩れの危険とかはないのかい?」


 バルシャがそのように発言すると、リャダ=ルウが「問題はない」と答えていた。


「森辺の集落は、地盤がしっかりしているのだ。だから、粘りの強い砂も取れるし、家や道が崩れることもない。……そういう質なので、もともと畑にはできないような土地なのだと、最長老からそのように聞いた覚えがある」


「ああ、それにここいらは高台だから、雨水もみんな町のほうに流れちまうのかね。何にせよ、こんな鬱陶しい季節はさっさと過ぎてほしいもんだよ」


「しかし、この雨が森や町に恵みをもたらすのだとも聞いている。すべては森と神々の意思なのだろう」


 リャダ=ルウの言う通り、このような雨の中でも荷車の運転に大きな支障はなかった。

 もちろん視界は悪くなるものの、黄色く踏み固められた道は、しっかり荷車の重量を支えてくれている。大きな水たまりを回避して進めば、ぬかるみに車輪を取られることもなさそうだった。


 ギルルを始めとするトトスたちも、雨を苦にはしていないようだ。いつも通りのぼけっとした顔で、変わらず元気に疾駆している。つくづく心強い限りである。


 そうして談笑と溜息に満ちた時間が過ぎ去り、いよいよサウティの集落に近づいてきた。

 今のところ、衛兵や北の民の姿は見当たらない。森辺の本当の最南端にはサウティの眷族が住まっているはずなので、そちらまで進まないことには、工事のさまを見ることはかなわないのかもしれなかった。


 そんな風に考えながら、俺はサウティの集落へと荷車を乗り入れる。

 変わらずに雨が降っているので、広場にも人影は見当たらない。

 が、以前とは異なる痕跡を見出すことができた。

 ルウの集落よりもやや小ぶりのその広場に、でかでかと革の屋根が張られていたのだ。


 これは、どういう騒ぎなのだろう。ほとんど広場の半分ぐらいを覆う規模である。木の柱が何本も地面に打ち込まれて、宿場町の青空食堂をも上回るスペースが、雨から守られていたのだった。


 俺は首を傾げつつ、そのスペースを迂回して本家を目指す。

 さあっと霧雨が降りそぼる中、本家の家屋は記憶の通りに鎮座ましましていた。


 俺が御者台から濡れた地面に降り立つと、同時に家屋の戸が開かれた。

 きっと窓から俺たちの姿が見えたのだろう。現れたのは、舞踏会でもご一緒したミル・フェイ=サウティであった。


「ようこそ、サウティの家に。お待ちしておりました、アスタ。……ルウ家の人々もご一緒ですか?」


「はい。何か変事でも生じたのかと、ドンダ=ルウに同行を命じられたそうです」


「変事……変事ではないのですが、アスタにご相談があるのです。まずはこちらにおいでください」


 俺たちと同じように雨よけのフードつきマントをかぶったミル・フェイ=サウティが、家の裏手へと歩き出す。

 俺はそれに追従して、途中でギルルを木陰に繋いでから、みんなと一緒にかまどの間へと導かれることになった。


 3ヶ月ぶりに訪れる、懐かしきかまどの間である。

 俺たちはその中に収まって、濡れそぼった雨具を壁に掛けさせてもらってから、あらためてミル・フェイ=サウティと相対した。


「まずは、このような場所までご足労いただいて、感謝の言葉を述べさせていただきます。そして、家長ダリは狩人の仕事に出向いておりますため、わたしのほうからその言葉を伝えさせていただきます」


「あ、ダリ=サウティもついに仕事を再開させることができたのですか」


「はい。それもアスタたちに力を添えていただけたおかげです。他の男衆も、狩人としての力を失った2名を除けば、みな力を取り戻すことがかないました」


 あまり表情を動かさないミル・フェイ=サウティが、目を細めてわずかに口もとをほころばせた。

 それからすぐに真面目な表情を取り戻し、あらためて語り始める。


「それで、まずは状況をご説明せねばなりませんが……森辺に道を切り開くという仕事が始まり、今日で4日目となりました。その間、彼らはこのサウティの集落で昼の食事をとることになったのです」


「ああ、あの広場に張られた屋根はそのためのものですか。いったい何事かと思いました」


「はい。これより南には眷族の家がありますが、そちらにはあれほど大勢の人間を招くことのできる広場はありませんので、サウティが場所を貸すことになったのです。雨季の間は婚儀をあげるような人間もおりませんし、それで不都合が生じることはないと思います」


「なるほど。それで、俺にご相談というのは?」


「はい。それは……あの北の民という者たちが食べている食事についてなのです」


 そう言って、ミル・フェイ=サウティは小さく息をついた。


「実はこちらに、その食事を1食分だけ取り分けています。今から温めなおしますので、それを食していただけませんか?」


「ええ? それはもちろん、異存はありませんが……ますます謎めいてきましたね」


 ミル・フェイ=サウティはうなずきながら、かまどのひとつに火を入れ始めた。

 そのかまどの上には、ごく小さな鉄鍋が載せられている。そこにかぶせられていた木の板が取り上げられると、実に珍妙な料理が俺たちの目にさらされることになった。


「何でしょう、これは? まるでオートミールみたいですね」


「おーとみーる?」


「そういう料理が俺の故郷にあったのです。でも、これは……」


 一言で言うと、それは粗末な料理であった。

 まあ、奴隷という身分にある人々が食するものなのだから、それもしかたのないことなのだろう。得体の知れない乳白色のペーストで、野菜や肉のかけらがちらほらと覗いているのが、せめてもの救いであった。


 やがて、かまどの間に熱せられた料理の香りが満ち始める。

 好奇心に目を輝かせていたリミ=ルウは、ウサギのように鼻をひくつかせた。


「香りは、けっこう美味しそうだね! この白い色は、カロンの乳だったんだねー」


「ええ。カロンの乳と、ポイタンに似たフワノという食材ですね」


 料理はお椀に一杯分ぐらいしか残されていなかったので、すぐに温めなおすことができた。

 それを木の皿に移し替えてから、ミル・フェイ=サウティが「どうぞ」と差し出してくる。


「昼間にわたしも食していますので、身体に悪いことは決してないと、森に誓います」


「そのようなことは疑っておりませんよ。それに、香りは悪くありませんね」


 俺は木匙でそいつをすくい、口の中に投じ入れてみた。

 とたんに、「うう」と情けない声をもらしてしまう。


「なんというか……お世辞にも美味しいとは言い難いお味ですね」


「はい。それでも血抜きをしていないギバ肉を使った汁物よりは、よほど食べやすいかもしれませんが」


 それは確かに、ミル・フェイ=サウティの述べる通りである。何かおかしな味がするわけでもないし、香りのほうはカロン乳の甘やかな風味がきいている。


 ただし、食感が最悪であった。

 かつてのポイタン汁に劣らず粉っぽくて、すべての食材がぐずぐずになってしまっている。肉も野菜も何が使われているのか判然としないほどで、味付けといえばカロン乳の風味と塩辛さばかりであった。


 美味いか不味いかで言えば、まあ不味い部類であろう。

 カロン乳の甘い風味と塩辛さも、相性がいいとは言い難い。香りは甘いのに実際はしょっぱくて、そして食感は出来損ないのオートミールだ。まるで泥水、とまでは言わないが、それにしたって褒める部分を見つけることは難しかった。


 そんな中、「リミも食べたーい!」という発言があったので、新しい木匙が準備された。

 味見に関しては、木匙の二度づけなどをしない限りは、家人でなくとも共有が許されるのである。とりあえず、リャダ=ルウを除く全員がひと口ずつその不出来な料理を味わうことになった。


「あははー、まずいねこりゃ」


「美味とは言い難い味ねぇ……できることなら、これ以上は食べたくないわぁ……」


「何か、余り物をぶち込んで煮込んだだけの食事だね。この粉っぽささえ何とかすりゃあ、我慢できないことはなさそうだけど」


「まさしく、その通りのものだと思います。使われている食材を、ご覧になりますか?」


 ミル・フェイ=サウティが雨具を着込んで、今度は食料庫へと俺たちをいざなった。

 食料庫は、足の踏み場がないぐらいの有り様であった。床一面に、巨大な壺や木箱などがずらりと並べられてしまっていたのだ。


「これらの食材で、さきほどの料理は作られています。どうぞご覧になってください」


 壺にも木箱にもすべて蓋がかぶせられていたので、俺はかたっぱしから拝見させていただくことにした。


 その大半は、野菜クズであった。

 アリアやネェノン、ナナールやシィマ、ギーゴやプラやチャンやロヒョイや――もとの値段の別を問わずに、さまざまな野菜の切れ端がぎっしりと詰め込まれている。中には、高級食材であるキノコ類の柄の部分や、そうかと思えば俺でさえ捨ててしまうシールの皮などといったものまでもが含まれていた。


 それ以外は、塩漬けの肉とカロンの乳である。

 肉のほうも切れ端ばかりで、中には肉片のこびりついたカロンのあばらやキミュスの足などが丸ごと突っ込まれたりもしていた。ようやく塊の部位を探しあてたかと思ったら、それは青色に染まりかけてしまっている。このような肉は、たとえ塩漬けでも明日中に食べてしまわなくてはお腹を壊してしまいそうであった。


 それに、カロン乳だって日持ちは悪いはずである。

 匂いからして、まだ傷んではいないようであるが、ちょっと心配になるところだ。雨季で気温が低いのが、せめてもの慰めであっただろう。


「察するところ、これは城下町で集められた余り物の食材であるようですね」


「はい。やはりアスタには察せられますか」


「それはまあ、宿場町ではなかなか使う人もいない食材まで含まれておりましたので。……これが北の民たちの食料ということですか」


「はい。彼らはトゥランにおいても、同じものを口にしてきたそうです」


 トゥランにおいては、もう何年も前から奴隷を使役してきたはずである。その間に、どのような形で食事を供するかは、しっかりと定められているのだろう。また、数多くの料理屋と親交のあったサイクレウスならば、こういう食材の余り物を回収するルートを構築するのも容易であったはずだ。


「ただひとつ異なるのは、ポイタンではなくフワノというものが使われている点です。雨季になるまではポイタンが使われていたそうですが、今ではもうひとつたりとも手に入らないそうですね」


「ええ、宿場町の住民でも争奪戦が繰り広げられているぐらいですからね。でも、ポイタンの代わりに高値であるフワノが使われることになったというのは、ちょっと皮肉な話ですね」


「その皮肉に苦しめられているのは、北の民たちなのです。フワノというものは値段が高いため、そのぶん量を減らされてしまったそうなのです」


 俺は、言葉に詰まることになった。

 ミル・フェイ=サウティは、真剣きわまりない眼差しで俺を見つめている。


「北の民たちに粗末な食事が与えられているのは、ジェノスの貴族の取り決めたことです。ですが、その食事は粗末であるばかりでなく、量まで減らされることになってしまいました。アスタはそれを、どのようにお考えですか?」


「どのようにって……もちろん、心苦しいです。まさか、北の民たちにそんなしわ寄せがいっているなんて、俺は思いもしませんでした」


「家長ダリも、そのように考えました。アスタが同じ考えに至り、とても嬉しく思います」


 そのように言って、ミル・フェイ=サウティはわずかに視線をやわらげた。


「もちろん、減らされたのはフワノというものだけですが、あれはポイタンと同じぐらい大事な食料なのでしょう? 森辺の集落でも、貧しい人間は十分なアリアとポイタンを口にすることができず、それで力を弱めることになっていきます。北の民も、この雨季で力を弱めることになるのではないかと、家長ダリもその点を心配しておりました」


「ええ、まったく同感です。しかも彼らは普段以上に過酷な労働を強いられているのでしょうから、余計に心配です」


 単純計算でも、フワノというのはポイタンより1・5倍ほども値が張るのである。それで同じ予算しかつかえないということは、1日の摂取量が3分の2にまで減じられてしまうということだ。

 炭水化物の摂取量がそこまで減らされてしまうというのは、肉体労働に従事する身としてはとてつもなく過酷な話であるはずだった。


「昨日になって、家長ダリはようやくその事実を知ることができました。それで、今日の朝に眷族の長たちと話し合い、今日の夜にはルウとザザに使者を出すことになっています。それで他の族長たちに賛同を得られたら、足りないフワノの代金は森辺の民が支払いたい、という旨を貴族たちに伝えようと考えています」


「森辺の民が? ……ああ、ひょっとしたら、報償金をそれに当てようというお考えですか?」


「はい。それで足りるものなのかは、計算をしないとわからないのでしょうが」


 このたびの開通工事には、100名以上の北の民が参加させられているはずである。それらの者たちが1日に食べるフワノの3分の1の代金、というのは――確かに、かなり細々とした計算が必要になりそうなところであった。


「足りなければ、ファの家で支払います。いえ、いっそファの家で全額をまかないたいぐらいです。ポイタンが品切れになってしまったのは、そもそも俺がきっかけなのですから――」


「ですが、アスタは森辺の民に美味なる食事というものを教えるために、ポイタンの新しい食べ方を考案したのでしょう? それに、その技術を町に広めたのは、悪辣な貴族に痛撃を与えるためであったと聞いています」


「ええ、まあ、それはその通りですが――」


「ならば、ファの家だけが背負うべき問題ではありません。そもそもアスタは森辺の家人なのですから、すべての労苦は同胞全員で背負うべきです」


 厳しさと優しさの混在した眼差しで、ミル・フェイ=サウティはそのように言いたてた。

 俺は、「どうもすみません」と頭を下げてみせる。


「確かに俺が浅はかでした。考えが足りなくて恥ずかしいです」


「アスタはいまだお若い身なのですから、そこまで気になさる必要はありません。何にせよ、我々の行いによって他者が不幸になるというのは、決して見逃せる話ではありません。ドンダ=ルウやグラフ=ザザも、きっと家長ダリの言葉を受け入れてくれることでしょう」


 それが、森辺の民というものなのである。

 内心で、俺は同胞の誇り高さにまた心を揺さぶられることになった。


「わたしたちは、これからルウとザザに使者を出そうと思います。……そして、ここからがアスタに対する申し入れなのですが……」


「はい。何でも遠慮なく仰ってください」


「では、家長ダリからの言葉をそのままお伝えします。アスタはこれらの食材を使って、もっと美味なる料理を作りあげることはかないませんか?」


「え? これらの食材を使って、ですか?」


「はい。北の民がポイタン汁にも等しい不出来な食事で飢えを満たしていることに、家長ダリは心を痛めることになったようです。せめてフワノをポイタンのように焼きあげれば、もう少しまともな食事に仕上げられるのではないかと提案したのですが、それは衛兵たちに突っぱねられてしまいました」


 100名以上分ものフワノを焼きあげるのは相当な手間であるし、燃料だって必要になってくる。ましてや現在は雨季であるのだから、燃料そのものも貴重であるはずだ。

 奴隷などのために、そのような手間や予算はかけられない――というのも、ジェノスの貴族たちにしてみれば、正当な言い分なのだろう。

 だけど俺は、ダリ=サウティに大いに共感することができた。


「わかりました。同じ材料で、同じ作業時間で、同じ予算内に収めればいいわけですね。ちょっと考えてみましょう」


「ありがとうございます。……しかしアスタは、朝から昼まで働きづめなのですよね? 北の民の女衆は、朝から食事の準備をして、それからすぐに男衆の手伝いへと回されてしまうのです」


「あ、食事の準備は自分たちでしているのですか。その女衆は何名ほどで、時間はどれぐらいかけているのでしょう?」


「人数は5名で、時間は……そうですね、太陽が出てからしばらくの後にやってきて、中天に至るまでの半分ぐらいの時間をあてている感じでしょうか」


 夜明けから中天までは、ざっと6、7時間ていどだ。トゥランからの移動時間を考えれば、およそ3時間ぐらいという計算になる。


「たった5人で100人以上の食事を作るわけですから、なかなかの手間ですよね。……よし、わかりました。とにかく、どのような料理にするべきか、まずはそいつを練ってみます」


「ですが、アスタ自身は仕事を離れられないのですよね?」


「はい。だけど、俺自身がマヒュドラの女衆に手ほどきをする必要はないでしょう。俺がミル・フェイ=サウティたちに手ほどきをして、それを彼女たちに伝えてもらえればと思います」


「え? わ、わたしたちが北の民に手ほどきをするのですか?」


「はい。そのようなお時間は取れませんか?」


「いえ、時間の問題ではなく、わたしたちの腕前では……」


「そんなことはありませんよ。ともにかまどを預かった身なのですから、ミル・フェイ=サウティたちの腕前はわきまえています。いま考えている内容でいけそうなら、サウティの女衆でも十分に仕事を果たせますよ」


「アスタは、すでにどのような内容にするかを決めているのですか?」


「はい。というか、あまりに選択肢が少ないので、否応無しに決まってしまいそうなのですよね」


 ミル・フェイ=サウティは、感じいったように首を振り始めた。


「まったく、驚かされてしまいます。いかにアスタでも、このような余り物だけではまともな料理を作ることはかなわないかと、家長もわたしも半分はあきらめかけていたのですが……」


「そんなことはありませんよ。たとえ余り物でも、ここに準備されているのは高級食材を含めた宝の山です。ちょっと調味料が物足りないところですが、美味しく仕上げることは難しくないと思います」


 何せこの場には、大量のカロン乳が準備されているのだ。カロン乳は安値であるので、城下町の料理人たちも傷む覚悟で大量に購入しているのだろう。そういえば、かつてのトゥラン伯爵邸でも、使うあてのないカロン乳が大量にストックされていたものであった。

 このカロン乳を一番槍として、俺は戦略を練る心づもりであった。


「問題は、下ごしらえにちょっと時間がかかってしまうことですね。こういう時間に、俺たちが食材をいじることは許されるのでしょうか?」


「はい。場所を貸しているのですから、そのようなことで文句は言わせません」


「それなら、きっと大丈夫です。商売の後でしたら、俺もこうして手伝いには来られますし、5日に1度は自由な日もありますので、そのときはマヒュドラの女衆の手際を実際に見させてほしいと思います」


 俺の言葉に、ミル・フェイ=サウティはやわらかく微笑んだ。

 ちょっと不意打ちの、魅力的な笑顔である。


「ありがとうございます。家長ダリも、きっと喜ぶことでしょう。アスタが森辺の家人であることを、わたしは誇りに思います」


「こちらこそ、ダリ=サウティやミル・フェイ=サウティが北の民の扱いに心を痛めていることを、とても嬉しく思います。俺たちは、彼らに何の恨みもありませんものね」


「はい。北と西の争いについては、何も口を差しはさめる立場ではありませんが……ジェノスの貴族たちは、みずからの意思で北の民を森辺の集落に送り込んだのです。ならばこの地では、森辺の流儀に従っていただきましょう」


 ミル・フェイ=サウティは果断であったが、決して貴族たちを侮っているわけではないという思いも、ひしひしと伝わってきた。相手を上位の存在と認めつつ、ただ自分たちの矜持だけは譲らない、という思いでいるのだろう。初めて城下町に足を踏み入れ、実際に貴族たちと顔をあわせたミル・フェイ=サウティだからこそ、そのような心境に至ったのかもしれなかった。


(ただの自己満足に過ぎないかもしれないけれど、北の民に美味しい食事を届けることができるなら、本望だ。……その中に、エレオ=チェルは含まれているんだろうか)


 そのように考えながら、俺は床一面に敷きつめられた食材の山に視線を巡らせた。

 黒い口をぽっかりと開けた壺や木箱たちは、やれるものならやってみろと声もなく笑っているかのようだった。

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