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異世界料理道  作者: EDA
第二十四章 金の月
425/1704

ダレイム伯爵家の舞踏会④~ギバ料理と森辺の菓子~

2017.1/26 更新分 1/1 ・2018.2/3 誤字を修正 ・2018.4/29 一部表記を修正

 ギバの料理と甘い菓子の載せられた大皿が、次々と卓の上に並べられていく。

 ギバの料理はレイナ=ルウとリミ=ルウが、甘い菓子はトゥール=ディンがこしらえたものである。それぞれアドヴァイスは与えているものの、俺はいっさい調理には関わっていない。それらの料理が人々にどのように受け止められるのか、俺は自分が厨をまかされたときよりも強く心臓をどきつかせることになった。


 さすがは高貴なる人々なだけあって、いっせいに料理に群がったりはしない。彼らは歓談を継続しながら、小姓たちが料理を並べ終えるのを静かに待ち受けていた。

 で、すべての料理が並べ終えられると、みんなしずしずとした足取りで卓に寄っていく。料理はあちこちの卓に均等に配置されていたので、ひとつの卓に7、8名ぐらいの人々が集まることになった。


「おお、ようやくギバの料理か。ここからが本当の晩餐だな」


 こちらからは、ゲオル=ザザが意気揚々と動き始めた。

 すっかりご機嫌は回復した様子である。それに、だいぶん酒気も回ってきているようだ。


「ああ、ゲオル=ザザ殿。お待ちかねのギバ料理ですね」


 俺たちが近づいた卓には、さきほど別れたレイリスが陣取っていた。

 それに、3名ばかりの若き貴公子と、同じ数のなよやかな貴婦人も同じ卓についている。興味深げに卓の上の料理を見つめていた貴婦人たちは、ずかずかと近づいてくるゲオル=ザザにいくぶん身を引いていたが、そのまま逃げ出そうとはしなかった。


「うむ? 何だこれは? 奇っ怪な見てくれだな」


 そのように言いながら、ゲオル=ザザは料理のひとつをつまみあげて口の中に放り込んだ。

 その場にいる全員に見守られながら、大きな口で料理を咀嚼して、呑みくだす。それからゲオル=ザザは、人々の顔をじろりとにらみ回した。


「俺の姿を眺めていても腹はふくれんぞ? お前たちが食わないなら、俺がすべて食いつくしてやろう」


「いえ、自分もギバの料理は楽しみにしておりましたよ。サトゥラス家での晩餐会では、その味を楽しむ心のゆとりもなかったので」


 レイリスが、穏やかに微笑みながら同じ料理を口にする。

 とたんに、その目が大きく見開かれた。


「ああ、これは美味ですね。みなも、食べてみるといい。誰もがギバの料理というのを心待ちにしていたのだろう?」


 レイリスの声に従って、貴公子や貴婦人たちも料理をつまみあげた。

 彼らには、初めてのギバ料理であったのだろう。全員が、レイリス以上の驚きをあらわにする。


「なるほど、これは美味だ……カロンの肉とは、まったく異なる味わいだな」


「何だか不思議な風味がしますわ。これがギバの肉の風味なのかしら?」


「でも、わたくしは嫌いな風味ではありません」


 とりあえず、期待外れといった反応ではないようなので、俺もほっと息をつく。カロンやキミュスよりもクセの強いギバ肉であるので、レイナ=ルウたちもそれを食べやすくするための味付けを心がけているはずであった。


「ふむふむ。これまでに食べてきた料理とは、いささか趣が異なるようだね。これはどういった料理なのだろう?」


 ポルアースの問いかけに、俺が説明をしてみせる。


「これは例の、特別仕立ての干し肉を使った料理です。本日は、城下町で売りに出される干し肉や腸詰肉を中心に献立が決められているのですよ」


「なるほど! それで干し肉や腸詰肉というものの美味しさが知れれば、いっそう買い手がつくかもしれないね!」


 ポルアースも、その料理を口にした。

 そうして、満面に笑みを浮かべる。


「うん、美味だ! ギバの干し肉は初めて口にするけれど、普通のギバ肉とはまた異なる味わいだね!」


 俺はレイナ=ルウたちの代わりに「恐縮です」と応じながら、自分もその料理を手に取った。

 これも、俺がアドヴァイスを与えた料理である。

 薄く焼きあげたポイタンの上に、とろりとしたギャマの乾酪とタラパのソースが掛けられている。ギバのベーコンやその他の食材は、ポイタンの生地にまぜこまれているはずであった。


 これは、ピザ風のお好み焼きという、ちょっと珍妙な料理である。

 森辺には、釜やオーブンというものが存在しない。それゆえに、俺が頭をひねって考案した創作料理であった。


 使われているのはアリアとプラとジャガルのキノコ、タマネギとピーマンとマッシュルームの代用品である。それらをギバのベーコンと一緒にポイタンの生地に練り込んで、お好み焼きの要領で焼いている。で、最後にタラパのソースを塗って、カロン乳で溶いた乾酪を載せた上で、軽く蒸し焼きで仕上げたものだった。


 乾酪を乳で溶いたのは、冷めても固くなりすぎないようにという配慮である。

 何せこれは立食パーティの宴料理であるので、熱々の出来立てを召し上がってもらうことはできないのだ。

 しかしそれでも、惣菜のピザパンぐらいの品質は保てているのではないかと思っていた。


 さらに味のアクセントとして、こまかく挽いたチットの実を赤ママリア酢で溶いたものを少量だけ添えている。

 さすがに長期間の熟成を必要とするタバスコは準備できなかったので、せめて酸味と辛みを付け加えることができないかと熟考した結果であった。


(さて、レイナ=ルウたちは、こいつをどんな風に仕上げたのかな)


 そのように考えながら、俺は小さな扇状に切り分けられたピザ風のお好み焼きを口に運んだ。

 まだ届けられたばかりであるので、ほのかに温かい。ポイタンの生地も、心地好いやわらかさを保っていた。 


 酸味と辛みは、かなり控えめだ。

 タラパソースと乾酪の風味が、かなりまさっている。

 しかし、乾酪は惜しみなく使われているので、ギバの風味を緩和するには十分だと思われた。


 それでいて、ベーコンの旨みはまったく損なわれていない。

 初めてギバ料理を口にする人々のために、どこまで肉の風味を主張させるべきか、というのは俺たちにとって一番の重要ポイントであった。


 しかしこれなら、問題なく受け入れてもらえるのではないだろうか。

 というか、実際にレイリスたちは受け入れてくれている。若き貴公子や貴婦人の顔に浮かんでいるのが社交辞令の笑顔であるようには思えなかった。


 俺はひとたびお手本を作ってみせただけで、あとはレイナ=ルウにお任せしていた。

 使う食材の分量などは、彼女なりにアレンジしているのだろう。チットの実と赤ママリア酢は控えめであるし、生地も、俺が作ったものよりは薄めに仕上げられていた。


 だけど、問題なく美味と思える。これで駄目なら、俺が手がけていても結果は変わらなかっただろう。

 ただ思うのは、森辺でも石窯などをこしらえて、本格的にピザを焼きあげることはできないかな、という一点であった。


(あんな立派なかまどを作れるんだから、きっと石窯だって自力で作れるだろう。やっぱり窯でじっくり焼きあげないと出せない美味しさってもんがあるからな)


 しかし、ギバのベーコンの美味しさを伝えるのに、この珍妙な料理はそれなりに効果的であるように思えた。

 また、俺にとっては定番であるタラパソースと乾酪とチットの実という組み合わせも、城下町の人々の目線では「なかなかに凝っている」と思ってもらえるのではなかろうか。ピーマンのごときプラの苦みもその一助になれれば幸いなところであった。


「アスタ殿、こちらは腸詰肉というやつなのかな?」


 と、隣の大皿を指し示しながら、ポルアースが問うてきた。

「はい」と俺は応じてみせる。


「それは俺の故郷で、ホットドッグと呼ばれていた料理ですね。腸詰肉が高額でなければ、屋台で売りに出したかった料理です」


 それはポイタンの生地で腸詰肉とティノの千切りをはさみこみ、ケチャップとサルファルの香草で味付けをした料理であった。

 サルファルは、煎じたものを水で溶くと、マスタードのような辛みをおびる香草である。なかなか扱う機会のなかった食材であるが、ホットドッグにはうってつけであった。


 また、これは鉄板の端から端まで細長くポイタンの生地を引いて焼きあげ、なるべく巨大なホットドッグに仕上げてから、それをひと口サイズに切り分けたものだった。

 そのままではぼろぼろと崩壊してしまうため、あらかじめ木串で形を固定してから切り分けている。腸詰肉の丸い断面がずらりと並んだその料理を、人々は実に物珍しげな目で見つめていた。


 これはきっとルウの集落で作りあげたものを、この場で切り分けたのだろう。わずか2時間ていどですべての料理を仕上げたのだから、家で済ませられる仕事はすべて仕上げてきているはずであった。


「うん、これも美味だね! あの屋台の料理のように、こまかく刻んだ肉を固めなおしているわけか」


「はい。それを腸に詰めて、干し肉と同じように薫煙で燻したものが、腸詰肉となるわけです」


 こちらはレイリスたちに、ピザ風お好み焼きよりも大きな驚きをもたらしたようだった。

 ポルアースのように『ギバ・バーガー』を食べなれていなければ、それが当然なのであろう。少なくともこのジェノスにおいて、肉をミンチにするという調理方法はポピュラーでないのだ。


「素晴らしいですね。ギバの干し肉や腸詰肉というのはたいそう高額であるそうですが、これならきっと買い手もつくでしょう」


 レイリスも、そのように言ってくれていた。

 そして、そのかたわらにいた若い貴婦人が、おずおずと俺に語りかけてくる。


「あの……森辺の料理人として知られるファの家のアスタというのは、あなたのことなのですよね? あなたが手がけなくても、森辺の民はこのような料理を作ることができるのですか?」


「はい。森辺の女衆も日々修練を重ねていますので、これだけの手腕を身につけることができたのです」


 貴婦人は、感服しきったように息をついていた。

 それを満足そうに見やってから、ポルアースが「さて」と声をあげる。


「それでは、別の卓の料理も堪能させていただこうか。あまり同じ場所に留まっていると、全部食べつくしてしまいそうだし」


「え?」


 ポルアースの視線を追うと、ゲオル=ザザとダルム=ルウの両名が黙々とふたつの料理を食べ続けていた。

 せっかくレイナ=ルウたちが苦労をして料理を小分けにしたのに、これでは他の人々が口にする前に皿が空いてしまうかもしれない。


「あ、あの、他にも料理はたくさんあるはずですから、そちらに移りましょう。……ゲオル=ザザも、こちらの料理を気に入っていただけたのですね」


「ふん。ギバの料理なのだから、森辺の民の口にあうのは当然だ」


 うるさそうに言いながら、ゲオル=ザザは酒杯の果実酒をぐびりとあおった。


「それでは、行こうかね。どんな料理が待ち受けているのか、楽しみでならないよ」


 俺たちは、またポルアースを先頭にして会場を闊歩した。

 そういえば、アイ=ファたちはどうしているだろう、と視線を巡らせてみると、一番遠い卓のところに華やかな彩りが集結していた。アイ=ファたち4名と城下町の貴婦人が群れ集って、まるで色とりどりの花が咲き誇っているかのような様相である。


 若い殿方などは、ひとりも見受けられない。森辺の女衆と城下町の貴婦人がたで、いったいどのような交流が生まれているのか、あとで聞くのが楽しみなところであった。


「やあ、アスタ! やっぱりギバの料理は美味しいねー!」


 手近な卓に移ってみると、そこにはディアルとラービスがいた。

 他の貴族は、数少ない年配の男性がたである。何か鉄具の商談でもしていたところであったのだろうか。


 そちらで食されているのは、レイナ=ルウたちのオリジナル料理と、『ギバまん』であった。

 オリジナル料理は、ベーコンを香草と一緒に焼き、デンプン質を除去したチャッチの和え物とともに、ポイタンの生地に盛りつけたものである。

 香草は、名前のわからない2種が使われている。レイナ=ルウたちが香味焼きでも使用している、お気に入りの食材だ。片方にはぴりっとした辛みがあり、もう片方にはオリーブのような香気がある。それらはベーコンにも調和することが証明されていた。


 チャッチ粉のためにデンプン質を抽出されたチャッチは、食感がぼそぼそになってしまう。レイナ=ルウたちは、それにレテンの油を加えることでなめらかにして、タウ油とピコの葉で味を整え、さらにラマンパの実を砕いたものをまぶしていた。ラマンパは落花生に似た食感と風味を持っており、それがなかなか炒めたチャッチと合うのである。


 そして『ギバまん』のほうは、俺の指導でトゥール=ディンと近在の女衆がこしらえたものであった。

『ギバまん』はもともとファの家の商品であったため、レイナ=ルウたちにはあまり馴染みがない。それゆえに、こちらで準備を受け持つことになったのだ。


「トゥール=ディンがまかされていたのは菓子だけだったのですが、こちらの料理は城下町の方々にも是非とも味わっていただきたかったので、俺が特別に準備をお願いしたのですよ」


 俺がそのように説明してみせると、ポルアースは「ふうん?」と首を傾げていた。


「これは屋台で売られている料理だよね? 僕も確かに美味だとは思っていたけれど、アスタ殿にとっては何か特別な意味を持つ料理なのかな?」


「いえ、屋台のものとは味付けを変えているのですよ。ポルアースも知る味付けのはずですが、この組み合わせはなかなか面白いと思います」


 ポルアースは不思議そうな面持ちのまま、ミニサイズの『ギバまん』にかぶりついた。

 そうして、「おお!」と驚きの声をあげる。


「これはあれだね、ぎばかれーという料理の味付けだね!」


 その通り、これは『カレーまん』を模した料理なのだった。

 立食の形式では取り分け用の皿が使われない、という話であったので、その条件でも『ギバ・カレー』を味わっていただくことはできないものかと思い、俺はこのようなメニューをひねり出したのだった。


 こちらもふかしたての美味しさは維持できるはずもなかったが、カレーパンに近い美味しさは保てているはずだと思っている。もっと準備期間にゆとりがあれば、油で揚げて本格的なカレーパンの作製に取り組みたいところであった。


「普段のも美味しいけど、これも美味しいよね! シム人は気に食わないけど、シムの香草ってのは食べる価値があるんだと思うよ」


 そんなディアルの一言で、俺は記憶中枢を刺激されることになった。


「そういえば、アリシュナの姿が見えないね。彼女はまだ来場していないのかな?」


「あいつだったら、あっちの隅っこで座ってるよ。僕より先に来場してたんじゃないの?」


 ディアルの言う「あっち」とは、アイ=ファたちが固まっている貴婦人の集団の方角であった。


「アリシュナ殿には席を作って、そちらで占星の術をお披露目してもらっているのだよ。ひとりだけ座っているから、人影で隠されていたのじゃないのかな」


「ああ、なるほど。……彼女も料理は口にできているのでしょうか?」


「どうだろうね。見たところ、若い貴婦人がたがひっきなりなしに訪れているようだし。楽士の者たちと同様に、仕事の後で食事をすることになるんじゃないのかな」


 アリシュナは、貴賓ではなく余興の芸人としてこの場に招かれているのである。それでは食事が後回しにされてしまうのも、しかたがないことなのかもしれなかった。


「それでは、この料理だけでもいくつか彼女のために残しておいていただくことはできませんか? ご存じの通り、彼女は『ギバ・カレー』がたいそうお好みであるようなので」


「ああ、なるほど。それじゃあ、小姓にでも申しつけておくよ」


 ポルアースは笑顔で応じてくれていたが、ディアルはちょっとむくれたお顔になってしまっていた。


「……アスタって、ほんとにあのシム女のことを気に入ってるんだね」


「うん、まあ、それなりにおつきあいのあるお相手だからね」


「……あいつと僕だったら、僕のほうがつきあいは長いはずだけど」


 カレー味の『ギバまん』をかじりながら、俺はディアルに笑いかけてみせた。


「友人の大事さに順番はつけられないけどさ、もしもディアルが同じ立場だったら、俺は同じように料理を取り置きしておくようにお願いしていたと思うよ? ディアルに食べてほしいと思っている料理はたくさんあるからね」


 ディアルは一瞬きょとんとしてから、天使のような微笑をひろげた。


「嬉しいな。僕もいつか、自分の晩餐をアスタに作ってもらいたいよ」


「何かそういう用事ができたら、ポルアースに相談しておくれよ。そうしたら、俺も城下町に出入りはできるから」


 俺が言うなり、ディアルは興奮した面持ちで胸ぐらをつかんできた。


「本当に? ジェノス流の社交辞令なんて、僕には通用しないよ?」


「ディアルを相手に、社交辞令なんて言わないさ」


 幸いなことに、ディアルはせっかくの宴衣装が傷んでしまう前に俺を解放してくれた。


「わかった! それじゃあ何か大事な商談のときにでも相談してみるよ! そのときは、タウ油や砂糖をたっぷり使った料理をお願いね!」


「了解したよ。5日ぐらい前に話をもらえれば、だいたい対応できると思うから」


 ディアルはもう、背中から天使の羽が生えてきそうなぐらいの輝かしい笑顔になっていた。

 女の子らしいドレス姿なので、そういった笑顔の魅力も倍増である。


 そんなディアルとポルアースの両名に左右から見つめられていると、俺はまた別の記憶をつつかれることになった。


「そういえば、やっぱりリフレイアはこういう宴に招くことはできないのですか?」


「うん、彼女はまだ社交の場から遠ざけられている身だからね。少人数の茶会ならともかく、こういう風に大勢の人間が行き来する場は、ちょっと難しいんじゃないのかな」


 リフレイアは、名目上の当主である。よって、トゥラン伯爵家にまた悪巧みを持ちかける人間などが近づけないように、行動を制限されてしまっているのだった。

 ポルアースの言葉を聞いたディアルは、いくぶん切なげな面持ちになって俺のほうに顔を寄せてくる。


「あのさ、雨季ってやつがやってきたら、北の民が森辺の集落で仕事に入るんだよね? なんかリフレイアは、そのことをずいぶん気にかけているみたいだったよ」


「え? リフレイアが、どうして?」


「それはよくわかんないけど、あのリフレイアの侍女の家族もその中には含まれてるんでしょ? それなら、リフレイアにしてみても他人事ではないんじゃない?」


 そうなのだろうか。

 考えてみれば、俺はリフレイアとシフォン=チェルがどういう関係性であるのかも、まったく把握できていなかったのだった。


(でも、北の民であるシフォン=チェルと、そこまで深い関係になれるものなのかな……いや、深い関係であるなら、それに越したことはないけれど)


 俺がそんな風に考えたとき、ポルアースが「さて」と手を打ち鳴らした。


「それではそろそろ貴婦人がたと合流しようか。それでその後は、さらに少人数に分かれて、色々な人々と縁を紡がれてはいかがかな?」


「うむ。そうさせていただこう」


 ルウ家のベーコン料理をかじっていたダリ=サウティが笑顔で応じる。

 ということで、俺たちは貴婦人らの集う一角へと足を向けることになった。

 本当に貴婦人ばかりなので、なかなか近づき難い様相ではあったが、俺たちの接近に気づくとメリム姫が「あら」と声をあげてくれた。


「噂をすれば、森辺の殿方たちがやってまいりましたわ。さあ、こちらにどうぞ」


 いったいどのような噂をされていたのか。俺たちは満身に視線をあびながら、彼女たちの真ん中にまで案内されることになった。

 そうして卓のそばに寄ると、甘い香りが鼻腔をくすぐってくる。

 そこの卓には、甘い菓子がずらりと並べられていたのだった。


「こちらには、森辺の方々の菓子も並べられています。どれも見事な出来栄えでしたわ」


 メリム姫の言葉に賛同するように、他の貴婦人がたも微笑をこぼしていた。

 で、言われた方向に目をやってみると、見慣れた貴婦人の姿が見える。

 しばらく姿の見えなかった、エウリフィアとオディフィアである。


「ああ、ようやくこちらにいらしたのね。もうオディフィアの足に根が生えてしまって、わたくしは困り果てていたところよ」


 そのように言われるまでもなく、オディフィア姫は待望の菓子を黙々と食べ続けていた。そばにいる貴婦人がたは、たいそう温かい眼差しでその愛くるしい姿を見守っている。


「特にこちらのポイタンの菓子が気に入ってしまったみたい。もちろんこれは、トゥール=ディンの作ったものよね?」


「はい。案を授けたのは自分ですが、味を決めたのはトゥール=ディンです」


 それこそが、俺たちにとっては今回の目玉となる菓子であった。

 俺としては、ロールケーキを意識して、トゥール=ディンに作製をお願いしたひと品である。


 これは普段の焼き菓子よりもふんわりとした生地に仕上げたかったので、そこが苦労のしどころであった。

 キミュスの卵をふんだんに使い、それを入念に泡立ててから、ポイタンの粉とパナムの蜜を投入する。言葉にすれば簡単であるが、卵の泡立て加減や、ポイタン粉を入れた後の攪拌の加減などは、なかなか試行錯誤が必要であった。ともすれば、生地はべったりと潰れてしまったり、攪拌が足りなくてポイタン粉がダマになってしまったりと、数々の不出来なサンプルを作り上げてしまったものである。


 また、あるていどの厚みを持たせて生地を焼く、という点においてもさまざまな試みが必要であった。

 何せ専用の型などは売っていないし、森辺にはオーブンも存在しない。鉄板の四隅を鉄の板で囲い、そこに生地を流し込んで、かまどの火で苦労をして焼きあげたのだ。ピザの一件と相まって、いっそう石窯の作製を志すことになった俺である。


 しかしその甲斐あって、俺たちは理想に近いロールケーキを完成させることができていた。

 焼きあがった生地の上に、ホイップクリームをたっぷり塗り込んで、それをくるくると巻き上げる。あとはホットドッグと同じように、形を崩さぬよう切り分けるばかりである。


 また、生地もクリームもカカオめいたギギの葉を使うことで、2種の味を準備することができた。プレーンとギギ風味の組み合わせで、そこには4種のロールケーキが並べられている。この色とりどりの様相が、宴の場にはぴったりなのではないかと考えた次第であった。


 それを頬張っているオディフィア姫は、また口の周りをクリームだらけにしてしまっている。母親がしきりにナプキンでぬぐっているのだが、延々と食べ続けているのでまたすぐに汚してしまうのだ。が、無表情の5歳児が黙々と菓子を食べ続けるその姿は、一抹の危うさとそれを上回る愛くるしさを周囲の人々に見せつけているようだった。


「もう。これからは、他の食事をきちんと食べ終えるまでは、菓子を与えないようにするわ。これでは、身体をおかしくしてしまうもの」


「ええ、是非ともそうしてあげてください」


 トゥール=ディンの菓子は森辺の民の好みにあわせて甘さも控えめなほうであるが、それでも卵やカロン乳をたっぷり使っている。いずれにせよ、お菓子ばかりを食べてしまうのは健康によろしくないはずであった。


「わたくしたちも、これらの菓子にはとても驚かされてしまいました。まるで舌がとろけるような美味しさです」


 と、見知らぬ若き貴婦人もそのように言ってくれていた。

 菓子は他にも、数種類を準備している。お馴染みのチャッチ餅や、茶碗蒸しの要領でこしらえたプリンなどである。それらも食べやすい小さなサイズで、薄く焼きあげたポイタンの上に盛られている。リミ=ルウがどのような顔をしてこれらの菓子を味見しているのか、ちょっと厨を覗いてみたいところであった。


「ダルム=ルウたちも、いかがですか? 甘い菓子はお嫌いじゃないでしょう?」


 ダルム=ルウは、無言でチャッチ餅の菓子を口の中に放り込んだ。

 その底光のする目が、いっそう強い輝きを帯びる。


「これは……リミより巧みな手際かもしれんな」


「トゥール=ディンとリミ=ルウは、菓子作りにおいて並ぶ者がいないと思います。わたしも、まったくかないません」


 シーラ=ルウがそのように応じると、ダルム=ルウはうろんげに眉を寄せた。


「しかし、より大事なのはギバ肉の扱いだろう。お前はそちらでリミよりも巧みなのだから、べつだん嘆く必要はない」


「いえ、別に嘆いてはいませんが」


 と、びっくりしたように答えてから、シーラ=ルウは目を細めて微笑んだ。


「……でも、そのようにダルム=ルウがお気を使ってくれることは嬉しく思います」


「別に気などは使っていない。事実を口にしたまでだ」


 貴婦人がたは、少し目を見張ってそのやりとりを見守っている。

 その何名かが残念そうに目を伏せているのは、ダルム=ルウの胸に青い胸飾りを見出したためなのだろうか。貴公子のような容姿でありながら野生の狼めいた迫力をもあわせ持つダルム=ルウは、貴婦人たちにとってはちょっと刺激が過ぎるぐらいに魅惑的なのかもしれなかった。


 そしてその向こうでは、ザザの姉弟が何やら問答をしているようである。


「ゲオル、あなたにはこの菓子の素晴らしさが理解できないというのですか?」


「とりたてて不味いと言っているわけではない。しかし、やたらと甘いしギバの肉も使われていないのだから、狩人に相応しい食事だとは思えないだけだ」


「人間は肉だけで生きていくことはできません。あなたは、あまりに不見識です。それで族長の座を継ぐことかなうのですか?」


 そういえば、スフィラ=ザザも甘い菓子というものには深い理解を示すひとりであったのだった。

 彼女の眷族たるトゥール=ディンがこれらを作り上げたと聞いて、また彼女の胸には強い誇らしさが生じたところであろう。というか、冷徹な彼女が表情を崩す貴重な瞬間を見逃してしまったのは、ちょっと残念なところであった。


「菓子というのは、本当に美味なものなのですね。しかも、アスタがその場に立ちあわずにこれほどのものが作れるというのですから、余計に驚かされてしまいました」


 そのように述べてくれたのは、ミル・フェイ=サウティであった。


「ええ、菓子に関しては、トゥール=ディンにもリミ=ルウにもかないません。……サウティでも、生活にゆとりが出てきたら、菓子作りを考えてみてはいかがですか?」


「そうですね。あくまで生活にゆとりが出てきたら、ですが」


 こちらもめったに笑わないミル・フェイ=サウティが、かすかに口もとをほころばせる。その姿を見て、ロールケーキを頬張っていたダリ=サウティがちょっとびっくりまなこになっていた。


「なんだ、ミル・フェイは存外にアスタとも気安く口をきけるようになっていたのだな。皆をサウティの集落に招いたときは、ずっと厳しい顔をしていたように思うのだが」


「わたしとアスタが気安く言葉を交わせるようになって、何か都合の悪いことでもあるのでしょうか? アスタたちは、サウティにとってかけがえのない恩人です」


 取りすました顔で言いながら、目もとではやっぱり笑っている。

 彼女が俺に心を開いてくれたのは、サウティの集落を去る直前のことであったのだ。


 で、残るひとりはアイ=ファである。

 アイ=ファはいまだに貴婦人がたに取り囲まれており、そこから脱することができずにいた。


 アイ=ファ自身もドレス姿であるのに、何故か殿方がちやほやされているような構図に見えてしまう。実際、アイ=ファを取り囲んだ貴婦人がたは、目もとを潤ませていたり頬を赤らめていたり、恋する乙女のごとき様相であるのだ。そうしてアイ=ファは誰よりも凛然とした面持ちで静かにたたずんでいるものだから、いっそう禁断の花園めいたたたずまいに見えてしまうのかもしれない。


 これはいったいどうしたものだろう、と俺が考え込んでいると、遠くのアイ=ファと目があった。

 その青い瞳には、はっきりと「助けてくれ」という救援信号の光が灯っていた。

 俺は笑いをこらえながら、卓の上のロールケーキをふたつばかりつまみあげて、そちらに近づいていくことにした。

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