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異世界料理道  作者: EDA
第二十四章 金の月
424/1705

ダレイム伯爵家の舞踏会③~糾える縁の糸~

2017.1/25 更新分 1/1

「あらためて紹介させていただくよ。こちらが僕の父上で、ダレイム伯爵家の当主たるパウド、兄上にして第一子息のアディス、母上にして伯爵夫人のリッティア、そして僕の伴侶であるメリムだ」


 男性陣は緊張気味の仏頂面であり、女性陣はつつましやかな笑顔であった。

 その中で、まずは母君のリッティア夫人が進み出てくる。


「みなさん、宴衣装がとてもお似合いだわ。ダレイム伯爵家からの心尽くしは、お気に召していただけたかしら?」


「このように立派な宴衣装を準備していただき、非常に感謝している。とりわけこの胸に飾られた紋章というものは、森辺の民に相応しいものであると思える」


 ダリ=サウティの返答に、伯爵夫人は満足そうに微笑んだ。

 とても温和そうな、気品のある貴婦人である。ころころと丸っこい体格をしているのが、いっそう見る者に安心感を与えてくれる。兄君は父親似であるようだが、ポルアースは明らかに母親似であるようだった。


「常々、森辺の民のお歴々にはご挨拶をするべきだと感じておりました。その思いを成就することができて、非常に嬉しく思っておりますぞ」


 と、今度はご当主のほうが進み出てくる。

 こちらは、なかなか貫禄のある御仁である。マルスタインやルイドロスなどは瀟洒で如才のない雰囲気であったが、ダレイム伯爵家の当主は別の意味で貴族らしい風貌を持つ人物であった。


 面と向かってみると、意外に背は高くない。せいぜい俺より二、三センチ高いぐらいだろう。そのぶん横幅ががっしりとしており、その恰幅のよさが威厳を生み出しているようだ。装飾品のように盛り上がった口髭ともみあげも、実に貴族らしいアクセントである。


 で、長兄たるアディスという人物は、この父親にそっくりであった。眉が太くて、鼻が大きくて、目の光が強い。父君の髭ともみあげをつけ加えたら、遠目には区別がつかなくなってしまいそうだ。


 そして、ポルアースの伴侶たるメリム姫である。

 彼女は、近くで見るといっそう小さくて、いっそう可愛らしかった。

 外見は、ほとんど俺と同年代ぐらいにしか見えない。身長は、せいぜい150センチぐらいしかなかっただろう。それに伯爵夫人もけっこう小柄であったので、男性陣がいっそう大きく見えたのかもしれなかった。


「……はじめまして。お目にかかれて光栄です、森辺の皆様がた」


 と、そのメリム姫が可憐な仕草でドレスの裾をつまんだ。

 栗色の巻き毛の下で、茶色の瞳がきらきらと輝いている。


「いつも主人から、皆様がたのお話を聞かされております。ファの家のアスタ殿というのは、あなたですね?」


「あ、はい、初めまして。ポルアースにはいつもお世話になっています」


「主人こそ、皆様の力なくして現在の立場はなかったでしょう。皆様には、とても感謝しております」


 メリム姫に微笑みかけられて、森辺のみんなも頭を下げたり目礼を返したりしていた。

 それらの姿を見回していたメリム姫の目が、アイ=ファのところでぴたりと止められる。


「あなたがファの家のアイ=ファという御方ですね? あなたのことは、侍女のシェイラから聞かされておりました。お噂にたがわぬ、お美しい姿です」


「いたみいる」とアイ=ファは無表情に返した。

 アイ=ファは容姿について取り沙汰されるのを好まないのだ。不機嫌そうな顔を見せなかったのが、せめてもの心づかいであったのだろう。


 その後は、ダリ=サウティから森辺の面々が紹介されることになった。

 が、最初に感じた空気はなかなか変わらない。貴族側の男性陣はいつまでも緊張気味で、女性陣は終始にこやかであった。


「これで我々は、ようやく伯爵家の当主の全員と顔をあわせることがかなったのだな。森辺の民と言葉を交わすのはポルアースとメルフリードの両名と定められているが、今後も正しい縁を紡いでいっていただきたい」


 ダリ=サウティがそのように述べても、当主や第一子息はぎこちなくうなずくばかりであった。

 やはり、ダルム=ルウやゲオル=ザザのかもしだす狩人の迫力に、いささか気圧されてしまっているのだろうか。まだそれほど多くの貴族と接してはいない俺たちには、この反応が普通のものであるかのかも判別することは難しかった。


 そこに、「失礼いたします」と新たな人影が近づいてくる。

 そちらを見たゲオル=ザザの目が、またゆらりと不穏な光を瞬かせた。

 そこに現れたのは、サトゥラス伯爵家に連なる若き貴公子であった。


「おお、レイリス殿、ご挨拶が遅れてしまったね。料理は楽しんでいただけているかな?」


「ええ、いずれも素晴らしい料理ばかりです。楽士の演奏も見事なものですね」


 そうして伯爵家の面々に挨拶をしてから、レイリスはゲオル=ザザに向きなおった。


「ザザ家の子息も、お久しゅう。その後、息災にお過ごしだったでしょうか?」


「……貴様もこの場に招かれていたのか、サトゥラスの騎士とやらよ」


 そういえば、ゲオル=ザザはメルフリードばかりでなく、この若者にも敗北していたのだった。

 しかし、それを恥じる必要はないだろう。あれほど大勢の剣士が参加した闘技会で、レイリスは三位、ゲオル=ザザは四位であったのだ。逆に言うと、町の人間で森辺の狩人に土をつけたのは、メルフリードとレイリスしか存在しないのである。


「腹の底がむずむずしてたまらんな。こんな顔ぶれがそろっているなら、舞など踊らずに剣でも打ち合わせるべきではないのか?」


「再びあなたと力を試し合うときを楽しみにしておりますよ。ですが今は、楽士の演奏と美味なる料理を楽しみましょう」


 そう言って、レイリスは穏やかに微笑んだ。

 あの、サトゥラス伯爵邸でまみえたときとは別人のような表情である。あのときの彼は、父親の犯した不名誉な行いに激情をたぎらせていたものであった。


「……ところで、シン=ルウ殿はいらっしゃらないのですか? たしか今宵は、彼も招かれるのだと聞いた覚えがあるのですが」


「ああ、シン=ルウ殿は森辺の料理人の付添人として招かれているのだよ。こちらの会場に顔を出す予定ではないのだよね」


 ポルアースの返答に、レイリスは「そうですか」と眉を曇らせた。


「残念です。あとでこちらから挨拶をすることはかなうのでしょうか?」


「それはもちろん。舞踏会が終わるまで帰ることはないだろうから、あとで侍女にでも厨にまで案内させよう」


「ありがとうございます」


 レイリスは、本当に憑き物が落ちたように清々しげな様子になっていた。

 きっとこれが、本来の姿であるのだろう。瀟洒で気品のある貴族らしいたたずまいである。


 すると、シーラ=ルウから耳打ちされていたダルム=ルウが「ほう」と低く声をあげた。


「闘技会とやらでシン=ルウやザザの末弟と力を試し合ったのはお前であったのか。そのように若くて身奇麗な男だとは思っていなかった」


「……失礼ですが、あなたは?」


「俺はルウの本家の次兄、ダルム=ルウだ。シン=ルウの父リャダは、俺の父ドンダの弟にあたる」


「ああ、ルウ家に連なる御方でしたか。……その節は、不肖の父がルウ家に大変なご迷惑をおかけしてしまいました」


「それはもう済んだ話なのだろう。今さら詫びの言葉など不要だ」


 そのように言いながら、ダルム=ルウはじろじろとレイリスの姿を検分した。


「しかし……あのメルフリードという貴族はまだしも、お前のように若い人間が森辺の狩人を退けたとはな。次の機会には、俺にもその姿を見せてほしいものだ」


 エウリフィアが相手のときは口の動かなかったダルム=ルウが、この際はずいぶんと饒舌になっている。やはり、町の人間にゲオル=ザザが敗れたというのは、ルウ家でも語り草になっているのだろうか。


「闘技会は、僕も拝見させていただいていたよ。レイリス殿もゲオル=ザザ殿も、実に見事な剣技であったね! 来年も参加されるなら、また楽しみが増えるというものだ」


 父君と兄君がいっそう静かになってしまったため、ポルアースが笑顔でホスト役をつとめていた。

 ダリ=サウティは、そんな人々の様子を静かに見守っている。


「さて、話してばかりも何だから、もう少し料理を楽しんでいただこうか。あちらの素晴らしい肉料理はもう口にされたのかな?」


「いえ、まだこちら側の卓を巡っただけですね」


「それでは、僕たちがご案内しよう。あれはきっと、森辺の方々の口にもあうと思うのだよね」


「では、我々は他の客人にも挨拶をせねばならないので、これにて。……ポルアースよ、後は頼んだぞ」


 と、けっきょく大した言葉も交わさないまま、パウドたちはそそくさといなくなってしまった。

 その姿が見えなくなるのを待ってから、ダリ=サウティがポルアースに向きなおる。


「ポルアースよ、あなたの父と兄は、森辺の民に何かふくむところでもあるのだろうか?」


「いやいや! 父上と兄上は、ジェノス侯やサトゥラス伯ほど肝が据わっていないだけなのですよ。剛毅の気性で知られる森辺の民にどのような態度で接すればいいのか、いまだに判じかねているようなのです」


「そのように気を張る必要はないのだがな。我々の君主はジェノス侯マルスタインだが、そもそも貴族というのは全員が我々の上に立つ存在なのだろう?」


「うーん、ちょっと説明が難しいのですがね。父上たちは父上たちなりに、森辺の民との縁を重んじているのです。なので、自分たちの不始末によって森辺の民との縁がこじれてしまったら大変だ、と腰が引けてしまっているようなのですよね」


「慎重なのは、ダレイム伯爵家の家風ですものね」


 と、笑いをふくんだ声が横から答える。

 それは、ただひとり伴侶のもとに留まっていたメリム姫であった。


「それに、日陰者であったあなたがようやく日の当たる場所に出られるようになったのですもの。ご当主様や兄君様は、そのお邪魔をしないようにお気をつかわれているのではないかしら?」


「客人の前で、ずいぶんな言い草だね! まあ、森辺の方々であれば、そんな物言いも喜んでくれるかもしれないけれど」


 ポルアースはおおらかに笑い、それに誘われるようにしてダリ=サウティも微笑した。


「まさしく、俺たちはそういう直截的な物言いを好んでいる。あなたは日陰者であったのか、ポルアースよ?」


「世間的には、そうでしょうね。何の役職も与えられない貴族というのは、どこに行っても身の置きどころがないものなのです」


 そういえば、初めて顔をあわせたときも、ポルアースはそのような言葉を述べていた。サイクレウスを打倒しようと考えたのも、そういった立場から脱するため、という思惑が多分に存在したようなのだ。

 だけどポルアースは、自分の立身出世だけを望んでいるわけでもなかった。むしろ、トゥラン伯爵家のせいで肩身のせまくなっているダレイム伯爵家を再興させるために、という思いのほうが強かったはずだ。


 その目論見は成功し、今ではダレイムとサトゥラスの両家が力をつけつつあるように感じられる。これで今度はトゥラン伯爵家が真っ当な手段で再興されれば、ようやく三家の力関係はうまい具合にバランスが取れるのではないだろうか。


「あなたは、メリムと申されたか。失礼だが、ずいぶんお若い奥方なのだな」


 ダリ=サウティが社交性を発揮してそのように言葉を重ねると、メリム姫は「まあ」と微笑んだ。


「そのようなことはありません。わたくしは、先の新年で20となりました」


「20歳か。これまた失礼だが、もう3、4歳は若く見えるな」


 俺もダリ=サウティと同感であった。

 ポルアースは、愉快そうに笑っている。


「メリムはサトゥラス伯爵家の傍流の血筋でして、3年ほど前に婚儀を挙げたのです。17歳と22歳なら、まあ釣り合いもよかろうということで」


「うむ? ということは、ポルアースはまだ25歳なのか? 俺より年若いとは思わなかったな。てっきりもう30は数えているのではないかと思っていた」


「それはひどい! 僕などまだまだ若輩者でありますよ」


 よしあしはともかくとして、張り詰めた感じのご家族が姿を消した後のほうが、会話もなめらかに進むようであった。


「では、あちらの卓に移動しましょうか。ぜひとも森辺のみなさんに味わっていただきたい料理があるのです」


 そうして俺たちは、ポルアースの案内で移動することになった。

 会場のあちこちにたたずむ他の人々は、俺たちの様子をちらちらと盗み見ながら歓談を楽しんでいる様子である。楽士たちの演奏も、ひかえめながらに会場の雰囲気に彩りを与えている。


「こちらです! この料理が絶品なのですよ!」


 それは、串に刺された奇妙な料理であった。

 たしか肉料理と言っていたように思うが、まわりを覆っているのはフワノの生地である。炙り焼きか、あるいは窯焼きにされたものだろう。真ん中がふくらんだ円盤状の形をしており、表面はキツネ色に焼きあげられている。


「生地が割れると中身がこぼれてしまうので、ひと口でお食べになったほうがいいですよ。中にはカロンの肉が詰められております」


 申しあわせたように、俺とシーラ=ルウとダリ=サウティの3名がその料理に手をのばした。

 他の料理と同じように、ひと口で食べるのに不自由はないサイズである。小さくて、ぽこんとふくれた姿が、とても愛らしい。


 森辺の民におすすめであるというポルアースの言葉を信じ、俺はその料理をひと口で食した。

 噛むと、フワノの生地はあっけなく砕けてしまう。パイ生地のように、薄くてパリパリに焼きあげられていたのだ。

 そしてその中から現れたのは、まごうことなきカロン肉の食感であった。

 ミンチやブロックではなく、薄く切り分けた肉を何層にも重ねているらしい。まずは脂と肉汁が、心地好く口内を満たしてくれた。


 そうして芳醇な肉の味と、えもいわれぬ香気が追いかけてくる。

 この味付けは、何だろう。優しい甘みと、ほのかに舌を刺す辛みと、コクのある苦みが複雑にからみあっている。しかもそれらは、噛めば噛むほど風味が豊かになり、何段階もの喜びと驚きを与えてくれた。


「これは、香草の風味ですよね? でも、味がどんどん変わるので、何が使われているのかさっぱりわかりません」


 シーラ=ルウの言葉に、俺も「はい」とうなずいてみせる。


「不思議な味ですね。これはひょっとしたら、薄く切った肉の間に、それぞれ異なる香草やソースをはさみこんでいるんじゃないでしょうか。だから、噛むたびにそれがまじりあって、味が変化しているように感じられるのだと思います」


「ああ、なるほど……こんなに小さな料理なのに、そんなこまやかな細工をほどこすことができるものなのですね」


 シーラ=ルウは、感服しきったように息をついた。

 ダリ=サウティは、「ふうむ」とうなり声をあげている。


「これは確かに、美味だと思う。俺には料理のことなどわからんが、とにかく肉が美味い」


「そうですね。何より、それが一番です」


 この味付けには驚かされたが、それもカロン肉の絶対的な美味しさがあってのことであった。とにかくもう、肉が美味くてたまらないのだ。いかに複雑な味付けであっても、それは肉の旨みを際立たせるための細工に過ぎなかった。


 作り置きの料理なので、ほとんど熱は失われてしまっている。それなのに、口内の熱で肉の美味しさが蘇り、羽ばたいていくような感覚であった。また、肉は薄切りでも2、3センチの厚さに重ねられているため、噛み応えも申し分ない。

 ひたすら純粋に、これは美味なる肉料理であった。


「どうだい? お気に召したかな?」


「はい! これは森辺の民の口にもあうと思います」


 ということで、アイ=ファたちも同じ料理を食することになった。

 スフィラ=ザザにうながされて、いやいや串を取ったゲオル=ザザも、初めて驚きに目を見開いている。それでも決して感想を口にしようとはしなかったが、彼は立て続けに3つもその料理を食べていた。


「これは、美味ですね。町の料理をこれほど美味に感じられるとは思いませんでした」


 ずっと静かにしていたミル・フェイ=サウティも、そのように述べていた。

 アイ=ファは無言であったので、俺はこっそり感想を聞いてみる。


「どうだ? これなら文句はないだろう?」


「文句はない。見事な手並みだな」


 などと言いながら、アイ=ファはいくぶん浮かない顔で俺を見つめてきた。


「……しかし、今日は最後までアスタの料理を口にすることはできないのだな。それを思うと、いささかならず空虚な気持ちになってしまう」


 俺は不意打ちをくらってしまい、とっさに言葉を返すことができなかった。

 何せ、そのように述べるアイ=ファは美しいドレス姿なのである。そんな姿で憂いげに目を細めるアイ=ファは、俺の心臓を圧迫するだけの破壊力を有していた。


「だ、だけどそろそろレイナ=ルウたちのギバ料理も仕上がるだろうからさ。それを楽しみにしようじゃないか」


「うむ……」とアイ=ファは目を伏せてしまった。

 破壊力は、いまだ変わらずである。


 そのとき、ひさびさに触れ係の声が響きわたった。


「南の民、鉄具屋グランナル様のご息女ディアル様、およびお連れのラービス様、ご入場です」


 そういえば、彼女もこの舞踏会には参席すると述べていたのだ。

 小姓の少年に導かれて、青いドレス姿のディアルと白い詰襟のような装束を纏ったラービスが入場してくる。

 ポルアースが笑顔で手を上げると、小姓はディアルたちをこちらの卓へと案内してきた。


「やあやあ、遅かったね、ディアル嬢。料理が尽きる前にご到着できて幸いだ」


「遅くなってしまい、申し訳ありません。ちょっと商談が長引いてしまったもので」


 ディアルはおなかの辺りに両手を置いて、おじぎをした。きっとそれがジャガル流の挨拶なのだろう。

 ずいぶん見慣れてきたディアルのドレス姿であるが、やっぱり別人のように見えてしまうのは否めない。髪飾りでちょっと前髪をわけるだけで、とたんに女の子らしい雰囲気になってしまうのも、不思議な効果である。目にも鮮やかなコバルトブルーの宴衣装が、今日も彼女にはよく似合っていた。

 そんなディアルが俺のほうを振り返り、いつもの感じで白い歯を見せる。


「アスタもなかなか宴衣装が似合ってるじゃん。そんなの、いつの間に準備してたの?」


「これはダレイムの伯爵夫人が準備してくれたんだよ。……ラービスも、ちょっとおひさしぶりです」


 ラービスは無言で目礼を返してきた。

 彼はメルフリードと似た格好をしていたので、どことはなしに武官っぽく見える。というか、たしかマルスタインがジャガル風の装束を好んでいたような覚えがあるので、こういう宴装束もルーツはジャガルなのかもしれない。


「この後に、ギバの料理が出されるはずだよ。ふだん屋台の料理を作っている女衆が、厨番として招かれることになったんだ」


「あ、そうなの? やったー! それなら、急いで来た甲斐が――」


 と言いかけたところで、ディアルの目がまん丸に開かれた。

 どうやら俺のななめ後ろにたたずむ人物の正体に気づいた様子である。


「あ、あれ? ひょっとして、あんたはあんたなの?」


「いかにも、私は私だが」


「うわー、まるで別人みたいだね! 今日はあのシム風の装束じゃなかったんだ?」


 そういえば、ディアルはアイ=ファが宴衣装でトゥラン伯爵家に潜入した際、同席していたのである。あのときのアイ=ファはシムの豪商の息女という身分を騙っていたので、シム風の宴衣装に身を包んでいたのだった。


「うーん、口さえ開かなければ、どこかの貴族のご令嬢みたいだなあ。色が黒いから、やっぱりシムの貴族としか思えないけど!」


「…………」


「あんた、そんなに綺麗なのに、どうして狩人なんてやってんの? ちょっともったいないんじゃない?」


「……お前は鉄具屋などを生業にするのはもったいなどと言われたとき、どのように答えるのだ?」


 せっかくの宴衣装であるのに、相変わらずの両名である。

 以前ほどの険悪さではないが、そこそこの火花が散ってしまっている。


「ま、いいや。ご当主とか他の客人にも挨拶しておかないといけないから、また後でね。……ポルアース様、しばし失礼いたします」


「うん、またのちほど」


 そうしてディアルたちが慌ただしく去っていくと、メリム姫がまた楽しそうに微笑んだ。


「彼女はいつでも元気ですね。……ところで、わたくしも森辺の皆様がたを他の方々にご紹介したいのですけれど、いかがでしょうか?」


「ふむ。他の方々というと?」


 ダリ=サウティの言葉に、メリムはほっそりとした腕で会場を指し示す。


「森辺の民に関心のある、すべての方々にですわ。この舞踏会には、特にそういった方々が集まっているはずでしたわよね?」


「そうだね。そうだからこそ、これほどの大人数になってしまったのさ」


 と、ポルアースも微笑をひろげる。


「何せこれは、森辺の民と親交を深めるための舞踏会であったのです。それで半数は僕たちが選んで招待した客人でありますが、残りの半数は自ら参席を願い出てきた方々なのですよ。この半年ほどでジェノスを大いに揺るがすことになった森辺の民というのがどういう人々であるのか、そこに関心を抱いた人々が一堂に会しているわけです」


「なるほど。ならば我々も、そういった人々とは縁を紡がせていただきたく思う」


「でしたら、まずはわたくしがご婦人がたを皆様にご紹介いたしますわ。さきほどから、みんな話したそうにこちらを盗み見ておりますもの」


 確かにまあ、8名全員がずっと固まっていては、なかなか周囲の人々も声をかけようというきっかけが得られないのかもしれなかった。

 ということで、4名の女衆はメリム姫の案内で貴婦人がたのもとに案内されることになった。

 アイ=ファの物言いたげな視線に気づき、俺はこっそり囁きかけてみせる。


「こっちはダルム=ルウたちと一緒だから心配ないよ。シーラ=ルウたちを守ってあげてくれ」


「うむ……」と不承不承うなずいてから、アイ=ファはしずしずとメリム姫の後を追いかけていった。

 あのように見事な宴衣装に身を包みながら、アイ=ファはあくまで護衛役の心持ちなのである。酔った貴族がスフィラ=ザザにちょっかいなどを出さぬよう、俺は心中で祈っておくことにした。


「では、こちらはこちらで参りましょうか。僕がご案内をいたしますよ」


 途中途中で料理をつまみつつ、俺たちは逆回りで会場を巡ることになった。

 やはり舞踏会ということで、参席している客人の平均年齢はずいぶん若いようだった。中には初老の貴族や貴婦人も含まれていたが、大半は20代から30代のようである。


 そして、意外というか何というか、そういった若き貴族の何名かは、ゲオル=ザザに強い関心を抱いていた。

 それは、闘技会を観戦していた人々や、闘技会に出場していた人々である。特に出場者であった人々は、口々にゲオル=ザザの武勇を賞賛することになった。


 最初は渋い顔をしていたゲオル=ザザも、やがては酒の回りも手伝って、だんだん普段の豪快さがこぼれ始めた。シン=ルウ、メルフリード、レイリスと、自分を上回る成績を持つ人間とばかり顔をあわせる羽目になっていたゲオル=ザザの鬱屈とした気分を、彼らはわずかなりとも払拭してくれたのかもしれなかった。


「よくも悪くも、単純な男なのだな。まあ、16歳という年齢を考えれば不思議はないのかもしれないが」


 ダリ=サウティは、ほんのり苦笑を浮かべながら、そのような感想を述べていた。


 そして、ゲオル=ザザに次いで声をかけられる機会が多かったのは、他ならぬ俺自身であった。

 こちらはギバ料理に関心を持つ人々である。城下町でも高名なヴァルカスと互角に近い腕前を持つ、ということで、俺の存在はひそかに知れ渡ることになっていたようだった。


「先日、バナームの黒いフワノの取り扱いについて学ぶために、料理人らが集められたことがあったでしょう? そのときに、わたくしの屋敷の料理長をつとめている男も呼ばれることになったのですよ」


 その中のひとり、とある子爵家の当主を名乗る人物などはそのように述べたてていた。


「あの、にょろにょろとした黒フワノの料理は、実に愉快ですな! わたくしの店でも、さっそく取り扱わせていただくことになりました」


「あ、城下町で料理屋を経営されておられるのですか?」


「ええ、そうだからこそ、うちの料理長が招かれることになったのでしょう。道楽で始めた店ですが、今では《銀星堂》にも劣らぬ評判を呼んでおりますよ!」


 いわゆる、パトロンというやつなのだろうか。確かにサイクレウスも、数々の料理店を支配下において、そういった店にのみ希少な食材を流通させていたのである。


 あまり実感はわいていなかったが、やはりサイクレウスの失脚というのは城下町の人々にも多大な影響を与えていたのだ。

 サイクレウスの失脚で、大損をした人間もいれば、大きな富を得た人間もいるのだろう。そうして富を得た人間の何割かは、サイクレウス失脚の引き金となった森辺の民に好意や関心を抱くことになったようだった。


「その中で、一番の富を得たのは、まぎれもなくダレイム伯爵家であるはずだよ。何せ、畑を広げるのが追いつかない勢いでポイタンが売れるようになったのだからさ。そうであるからこそ、僕の父上や兄上は森辺の民とアスタ殿に深く感謝しつつ、怒りを買わないようにと腰が引けてしまっているわけさ」


 別の卓へと渡り歩いている間に、ポルアースがそのように説明をしてくれた。


「特に、サトゥラス伯爵家が森辺の民と危うい関係になりかけてしまっただろう? ゲイマロス殿の一件は言語道断としても、リーハイム殿の一件なんかは、風習の差異から生まれた不幸な行き違いだ。そういう行き違いで、森辺の民との関係がこじれてしまうことを危惧しているのだよね」


「メリム姫の仰っていた通り、慎重な気性をされているのですね。でも、慎重なのは決して欠点ではないと思います」


「うん。そのぶん、僕が奔放にやらせてもらっているから、父上たちはあれぐらい慎重で釣り合いが取れるのじゃないかな」


 ポルアースがそのように述べたとき、会場の扉が大きく開かれた。

 また新しい客人の入場かな、と思ったが、そうではなかった。


「お待たせいたしました。森辺の民の料理人による料理をお持ちいたしました」


 俺たちがダレイム伯爵家に到着して、そろそろ2時間ぐらいが経過した頃合いだろうか。ついにレイナ=ルウたちも本日の仕事を終えることができたようだった。


 また小姓や侍女たちがたくさんの料理を運び入れてきて、貴賓の人々にざわめきをあげさせる。

 それはいずれも、期待と喜びに満ちたざわめきであった。

 ギバ料理に嫌悪感を抱くような人間は、きっと招かれていないのだろう。ジェノス侯爵が美味と評したギバ料理とは、いったいいかなるものなのか――人々は、そんな思いの込められた目つきで、卓に置かれていく大皿を見守っているように感じられた。

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