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異世界料理道  作者: EDA
第二十四章 金の月
423/1703

ダレイム伯爵家の舞踏会②~宴の始まり~

2017.1/24 更新分 1/1

 そうして控えの間でもう数十分ほど待たされてから、俺たちはようやく舞踏会の会場へといざなわれることになった。

 会場は1階であったので、また石の階段を下らされて、屋敷の奥へと導かれる。見た目の印象よりも奥ゆきがあったので、ひょっとしたらそれは通路でつながれた別館なのかもしれなかった。


 すれ違うのは小姓や侍女ばかりで、みんな慌ただしそうな様子である。貴賓の迎えに出たり、舞踏会の進行の準備を整えたりと、みんなさまざまな仕事を抱えているのだろう。

 その最果てに出現した扉の前には、やはり長剣を下げた守衛の姿があった。


 さらには受付台のようなものが置かれており、そこには控えめながらも美々しい装束を纏った女性が立ちつくしていた。

 シェイラが耳打ちすると、その女性が草籠を小脇に抱えて俺たちのほうに近づいてくる。


「失礼いたします。こちらの花飾りをおつけくださいませ」


「花飾り、ですか?」


「はい。こちらの赤い花が伴侶のある証、青い花が同伴の御方をお連れしている証となります」


 例の、色恋沙汰を回避するための処置というやつである。

 ダリ=サウティとミル・フェイ=サウティには赤い花飾りが、俺たちには青い花飾りが、それぞれ胸もとにつけ加えられることになった。


 が、ザザ家の姉弟には何も渡さないまま、女性はもとの位置に引っ込んでしまう。

 俺が不審に思っていると、それに気づいたらしいスフィラ=ザザが冷ややかな視線を差し向けてきた。


「姉と弟の関係では、城下町の作法というものに守られないそうなのです。ですから、わたしとゲオルには何も渡されないわけですね」


「え? それじゃあ、色恋の話を持ちかけられても文句が言えなくなってしまうのでは?」


「それでも、森辺の民に浮ついた色恋など許されぬという話はジェノスの貴族たちに伝わっているはずです」


 それきり、スフィラ=ザザは口をつぐんでしまった。

 ゲオル=ザザのほうは、とりたてて関心もなさそうな様子であくびを噛み殺している。


 もしかして、グラフ=ザザは貴族たちの倫理観を試すために、あえてこの両名を選出したのだろうか。そうとでも考えなければ、わざわざ城下町の作法を知った上でこの組み合わせにする理由が思い当たらなかった。


(それはもちろんリーハイムの一件があったから、ポルアースもそこのところは徹底させると言ってくれていたけど……本当に大丈夫なんだろうか?)


 宴衣装を纏っても狩人としての迫力を発散しまくっているゲオル=ザザはともかく、スフィラ=ザザなどはなかなか端正な顔立ちをしているのである。ちょっと目つきが鋭すぎるきらいはあるものの、それすらも人によっては怜悧な印象を与えそうだ。それでこれほど立派な宴衣装を召しているのだから、彼女は十二分に魅力的であるように思えた。


 いっぽう、青い花飾りをつけられたシーラ=ルウもまた、それとは異なる魅力に満ちみちている。あまり派手なところのない彼女であるが、宴衣装を纏うと雰囲気が一変するというのは、ルティム家の婚礼の際にも証しだてられているところであった。


 城下町の宴衣装を纏っても、やっぱり彼女は月の下に咲く小さな花のような可憐さをかもしだしていた。アイ=ファはもう俺にとって特別すぎるので除外するとしても、スフィラ=ザザに比べたって見劣りしないぐらい魅力的だと思える。そのかたわらにたたずむ男前の次兄と並んだって、俺には「お似合い」という感想しか思いつかなかった。


 いや、むしろ、ダルム=ルウほど猛々しい男衆には、シーラ=ルウのようにひそやかで芯のしっかりとした女性こそが相応しいのではないだろうか?

 希望的観測と相まって、俺にはそのように思えてならなかった。


 ちなみに赤い花飾りをつけたミル・フェイ=サウティも、なかなかの貫禄を見せている。スフィラ=ザザと少し似たところのある毅然とした女衆で、年齢よりもよほど若く見えるぐらいであるが、やはり年季の違いなのだろう。スフィラ=ザザよりも10歳以上は年長で、なおかつ三児の母でもある彼女は、初めて訪れた城下町において、これ以上もなく堂々とふるまっていた。


 とりもなおさず、男衆にも女衆にも気後れなどは感じられない。

 ある意味、一番平常心でないのは俺なのだろうと思う。


 俺がそのようなことを考えている間に、扉は大きく開かれていた。

 まずは小姓のひとりが入室を果たし、澄みわたったボーイソプラノの声を響かせる。


「森辺の族長ダリ=サウティ様、族長夫人ミル・フェイ=サウティ様、ご入場です」


 そうしてシェイラに案内され、ダリ=サウティらが歩を進める。

 どうやら舞踏会の出席者は、こうして名乗りをあげられてから入場しなくてはならないらしい。


 その次はザザ姉弟で、その次はルウ家の御二方、そして最後が俺とアイ=ファであった。

 たぶん、森辺における序列で順番が決められたのだろう。族長本人、族長の後継者、族長の第二子息、族長筋ならぬ氏族、という順番であるわけだ。


 とにかく俺たちは、最後に扉をくぐることになった。

 そこで待ちかまえていたのは、いずれも美しい宴衣装を身に纏った男女の貴族たちであった。


 人数は、4、50名ほどもいただろう。ごく内輪の会という話であったが、けっきょくはこのような人数になってしまったのだ。

 そして、それだけの人数が集まっても不自由がないほど、その会場は広々としていた。詰め込めば、200名ぐらいの人間を収容することもできそうだ。


 また、そこは宴の会場であるので、さすがに華々しく飾りたてられていた。

 天井にはシャンデリアのような照明器具に明かりが灯され、あちこちに据えられた丸い卓にも燭台が置かれており、ほとんど日中のような明るさである。それでも酸欠にならぬように、壁の上方にはたくさんの窓が切られていた。


 それらの明かりに照らし出されるのは、城下町らしい華美なる装飾だ。

 ここには一面に毛足の長い絨毯が敷かれて、壁には天鵞絨のタペストリーが掛けられている。扉の正面の壁にはダレイム伯爵家の紋章がひときわ大きく掲げられ、その左右には白い石造りの巨大な彫像が置かれていた。


 右は男性で、左は女性。どちらも長衣を纏っており、男性のほうは車輪のような円盤を、女性のほうは聖杯のようなものをたずさえている。この大陸の神話に登場する神々なのだろうか。まるで今にも動きだしそうな、躍動感にあふれた姿である。


 そして室内には、耳に心地好い楽器の音色が流れていた。

 向かって右側の壁際に、6名ばかりの楽士が集まって、妙なる演奏を響かせていたのである。


 その内の1名は、ニーヤと同じ7本弦のギターに似た楽器を奏でていた。

 あとは、ボンゴのような打楽器を叩いていたり、インドのシタールみたいな弦楽器を爪弾いていたり、横笛を吹いていたりと、さまざまだ。それで織り成されているのは、オリエンタルな感じのするやわらかい楽曲であった。


 そんな中で、人々は演奏と談話を楽しみつつ、さりげなく俺たちのほうを見やっている様子だった。

 たいていの人間は、森辺の民を初めて目にするのだろう。身に纏っているものに大きな違いはなくとも、やはりダリ=サウティやゲオル=ザザのような体格をした人間は他にいないし、褐色の肌というのもまた然りであった。


「森辺の皆様がた、こちらにどうぞ」


 シェイラの案内で、俺たちは左手の奥側にある卓へと導かれた。

 とはいえ、椅子の類いは見当たらない。本日は、立食パーティの形式が取られているのだ。卓の上には、硝子や陶磁の酒瓶や酒杯がたくさん並べられていた。


「お待ちしていた。息災のようで何よりだ、ダリ=サウティ」


 と、隣の卓に陣取っていた人物が音もなく近寄ってくる。

 白を基調にした西洋っぽい宴衣装を纏った、それはメルフリードであった。


「ああ、ようやく見知った顔を見ることができた。そちらも息災のようだな、メルフリードよ」


「うむ。……そちらが、奥方か?」


 メルフリードの冷徹なる灰色の瞳が、ミル・フェイ=サウティの姿をとらえる。

 ミル・フェイ=サウティは、毅然とした面持ちで小さく頭を下げた。


「ダリ=サウティの妻、ミル・フェイ=サウティと申します。城下町の作法はわきまえておりませんゆえ、礼を失していたら申し訳ありません」


「舞踏会で、そこまで儀礼を気にする必要はない。……そちらはザザ家の子息と息女であられたな」


 闘技会で手合わせをしたゲオル=ザザはもちろん、スフィラ=ザザとも祝勝の宴で顔をあわせているのだろう。かつてこの御仁に敗北を喫してしまったゲオル=ザザは、不機嫌の極みたる眼差しでメルフリードをにらみつけていた。


 で、残るはファとルウの面々である。

 ほぼ初対面となるのはダルム=ルウのみであるが、残りの3名もなかなか微妙な関係性にあった。


「ご無沙汰しています、メルフリード。えーと、あらたまって挨拶をするのはおかしな感じなのですが……」


「ファの家のアスタ。確かに、たびたび顔をあわせてはいるのに、このような形で挨拶をするのは初めてであるように思えるな」


 俺はたびたびかまど番として城下町に招かれていたし、森辺の民との調停役であるメルフリードは、だいたい同じ場に立ちあっていた。

 しかし俺たちは、それよりずっと以前からの顔見知りであった。

 何せ初めて顔をあわせたのは、宿場町の《キミュスの尻尾亭》だ。彼は薄汚れた包帯で顔を隠し、ダバッグのハーンと名乗り、カミュア=ヨシュとともにあったのだった。


 その後も、森で捕らえたザッツ=スンを連行してきた際や、テイ=スンに襲撃された際や――それに、サイクレウスやシルエルと直接対決した際にも、彼と俺は同じ場所にいた。そんなとんでもない出来事を共有していながら、個人的に言葉を交わしたことは数えるほどしかないというのが、俺とメルフリードの奇異なる関係性なのだった。


「あら、抜けがけはよくないのじゃない? わたくしたちにも森辺の皆様がたを紹介してくださらないかしら?」


 と、メルフリードの背後から新たな人物が近づいてくる。

 彼の伴侶たるエウリフィアと、彼らの息女たるオディフィアであった。

 こちらとは、晩餐会や茶会などでわりと頻繁に言葉を交わした間柄である。


「まあ、あなた……ひょっとして、茶会の際に武官の格好をさせられていた御方かしら?」


 エウリフィアの言葉に、アイ=ファが「うむ」とうなずいた。


「森辺の民、ファの家の家長、アイ=ファだ。かしこまった喋り方はできぬが、許していただきたい」


「まあ、貴婦人のようなお姿なのに、口を開くと殿方のようね。なんだか、楽しいわ」


 エウリフィアは本当に楽しそうに微笑んでおり、アイ=ファはお行儀のよい無表情を保っている。


「それで、あなたは……ごめんなさい、何度か顔はあわせているわよね? たしか、ルウ家の……」


「ルウの分家、家長シン=ルウの姉であるシーラ=ルウと申します。こちらはルウの本家、次兄のダルム=ルウです」


 シーラ=ルウは気品のある仕草で一礼し、ダルム=ルウは仏頂面で目礼だけをした。

 その姿に、エウリフィアはまた「まあ」と声をあげる。


「本当に森辺の民というのは、殿方もご婦人もみんな見目が麗しいのね。その青い花飾りをつけていなかったら、大変な騒ぎになっていたかもしれないわ」


「…………」


「ルウの本家ということは、あのいかめしいお姿をされたドンダ=ルウのご子息ということよね。第一子息のジザ=ルウは、お父君に負けないぐらい大きな身体をされていたけれど、あなたは……そうね、その青い火のような瞳は、お父君にそっくりかもしれないわ」


 ダルム=ルウは、黙りこくったままエウリフィアの言葉を聞いている。

 その眉のあたりに軽くしわが寄せられているのは、なんと言葉を返せばいいのか苦悩している証なのだろうか。

 そんなダルム=ルウの横顔をこっそり見つめていたシーラ=ルウが、また頭を下げながら発言した。


「ダルム=ルウはもともと寡黙な気性であり、また、貴族の方々と言葉を交わすのもこれがほぼ初めてのこととなります。いくぶん口が重たくなってしまうことは、ご容赦いただけますでしょうか」


「あら、そのようなことを気になさる必要はないわ。わたくしの伴侶だって、気が進まなければいつまでだって石のように黙りこくっているような気性ですもの」


 エウリフィアはころころと笑い、それから足もとの息女を指し示した。


「それでは、わたくしたちの愛する娘のことも紹介させていただくわね。第一息女の、オディフィアよ。……オディフィア、ご挨拶をなさい」


 オディフィアもまた無言のまま、その小さな指先でフリルだらけのスカートをつまむような仕草をした。

 相変わらず、フランス人形のように愛くるしくて、なおかつ愛想の欠片もない娘さんである。

 その小さき姫の姿を見やったダルム=ルウは、固い石でも呑み込んだような面持ちでメルフリードのほうに視線を戻した。


「……そちらのほうこそ、父親と娘でそっくりな目つきをしているな」


「あら、やっぱりそう思うのね。頑ななところは父親に、奔放なところはわたくしに似てしまったのよ」


 エウリフィアが楽しそうに笑い、ダルム=ルウはがりがりと頭をかく。

 彼なりにコミュニケーションを取ろうとした結果なのだろうか。父親と娘は無表情に灰色の瞳を光らせているばかりであるが、まあ、微笑ましく感じられなくもない。


「ところでダリ=サウティよ、このような場で話すにはあまりに無粋かもしれないが、ひとつだけ伝えておきたいことがある」


 と、伴侶がいったん口を閉ざした隙に、メルフリードが発言した。


「例の、トゥラン領で起きた物盗りの事件のことだ。残念ながら、ミケルという者を襲った犯人や、衛兵がそれを意図的に見過ごしたという証を見つけることはできなかった」


 感情のこもらぬ声で言いながら、メルフリードの瞳はいよいよ冷たく冴えわたっていく。


「ただし、私の目から見ても、トゥラン領の担当である衛兵たちの規律が保てているとは思えなかった。責任の所在を問うどころか、その日のその夜にどの隊の者が該当の区域を巡回していたかもつまびらかにすることができなかったのだ。あれでは衛兵が罪人の片棒を担いでいたのだと疑われても弁明はできまい。私は護民兵団の団長と会談の場を作り、徹底的に綱紀粛正する心づもりでいる」


「護民兵団の長というのは、あのシルエルという大罪人が失脚した後を任された者であったはずだな」


「うむ。その者は信頼に値する人間であるが、いかんせん、10年に渡って堕落してきた護民兵団を半年ばかりで立て直すことはかなわなかったのだろう。これからは、私も本腰を入れて護民兵団の立て直しに取り組みたいと思う」


 堕落の実態はわからないが、宿場町でも衛兵の評判はすこぶる悪い。中にはマルスのように実直な衛兵もいるのだが、それ以上にいい加減で貴族の言いなりという印象がはびこってしまっているのだ。

 まあ、シルエルのような悪党が10年に渡ってトップに君臨していたのだから、それもしかたのないことなのだろう。そこにもメルフリードの冷徹なる目が行き届けば、明るい行く末を手にすることができるのではないだろうか。


「もう、お仕事の話だと饒舌になるのだから。本当に無粋ですわよ、メルフリード?」


 エウリフィアが笑いを含んだ声でそのようにたしなめたとき、また小姓の声が後ろのほうから響きわたってきた。


「ダレイム伯爵家、ご当主パウド様、伯爵夫人リッティア様、ご入場です」


 ついにご当主の登場である。

 俺たちも、そちらに向きなおって招待主が入室してくるのを待ちかまえた。


 なかなか貫禄のある壮年の男性が、小柄で丸っこい女性とともに、姿を現す。

 どちらも年齢は四十代の半ばぐらいであろうか。ご当主のほうはがっしりとした体格で、実にゆたかなもみあげと口髭をたくわえており、夫人のほうは、白いもののまじり始めた髪を頭の上で結いあげている。両人ともにゆったりとした絹の長衣を纏っており、紫色の透ける肩掛けを羽織っていた。


「ダレイム伯爵家、第一子息アディス様、第二子息ポルアース様、第二子息夫人メリム様、ご入場です」


 さらにはそのご子息たちもがやってくる。

 ポルアースは、あんまり普段と変わらない感じであった。ただ、ちょっと装飾品の数が増えて、ご両親と同じ肩掛けを羽織っているばかりである。


 初対面となるその兄君は、父君から髭ともみあげをとっぱらったような、なかなか厳つい風貌であった。体格も、西の民としては骨太で逞しい感じだ。みんな申しあわせたように白の長衣と紫の肩掛けを身につけている。


 そして、ポルアースの奥方である。

 こちらは、ちょっと驚かされることになった。

 ポルアースよりもずいぶん若く見えて、なおかつ、けっこうな美人さんであったのである。


 栗色のくるくるとした巻き毛が印象的で、ウサギのように大きな目をしている。淡い桃色のドレスがよく似合っており、どちらかというと小柄であるが、足取りは軽やかで溌剌とした生命力があふれかえっているように感じられた。


 そうしてダレイム伯爵家の一族は、大広間を真っ直ぐ突き進んで、奥側の壁の前で立ち並んだ。

 伯爵家の紋章の下、当主が太い声を張り上げる。


「本日は、我が家のお招きに応じていただき、深く感謝しております。何も堅苦しい集まりではないので、心ゆくまでお楽しみいただきたい」


 人々は酒杯を卓に置き、小川のせせらぎのように上品な感じで手を打ち鳴らした。


「また、今宵は城下町の外より、特別な客人を招いてもおります。……ポルアース」


「はい。ダリ=サウティ殿、こちらにご足労を願えますか?」


 ダリ=サウティは、よどみのない足取りでそちらに近づいていった。

 人々は、どよめきを押し隠してその姿を見守っている。


「こちらが森辺の民の族長たるダリ=サウティ殿です。その他にも森辺の集落から7名のお客人を招いておりますので、同じジェノスの民として親睦を深めていただければ幸いであります」


 ポルアースはにこにこと笑っていたが、これが初の顔合わせとなる父君や兄君は、かなり緊張気味の面持ちでダリ=サウティの巨体を見上げていた。


「ポルアースよ、俺もこの場で挨拶の言葉を述べさせてもらってかまわないだろうか?」


「ええ、もちろん。かまいませんよね、父上?」


「う、うむ。……それでは、森辺の族長ダリ=サウティ殿から挨拶の言葉を賜ろう」


「感謝する。俺は貴族ならぬ森辺の狩人なので、言葉が拙いことはご容赦願いたい」


 そうしてダリ=サウティは、会場中の人々をゆっくりと見回していった。


「俺たち森辺の民は、かつてトゥラン伯爵家の前当主と正しい縁を結ぶことがかなわなかったため、ジェノスの民にも非常な迷惑と災厄をもたらすことになってしまった。今後はそういう不幸な事態を招かぬように、正しい縁を紡いでいきたいと願っている。町と森では何を重んずるかも異なってくるため、ときには気持ちや考えが相いれぬこともあるかもしれないが、それでもおたがいの存在を尊重しあえるように努めていければ幸いだ」


 とても落ち着いた声音でそのように述べ、ダリ=サウティはポルアースの父君を振り返った。


「今日はまた、町の人々と親交を深めるための機会を作っていただき、感謝している。俺たちが何か城下町の流儀に反してしまったときは、遠慮なくたしなめていただきたい。……俺からは、以上だ」


「うむ。のちほど、あらためてご挨拶にうかがいますので、そのときにまた」


「了承した」


 ダリ=サウティは一礼し、悠揚せまらず俺たちのほうに戻ってきた。

 彼とてまだ26歳という年齢であるはずなのに、実に堂々とした立ち居振る舞いである。それでいて、不必要な威圧感を与えることがないというのも、ダリ=サウティならではのことであった。


「では、まずは楽士の演奏と食事のほうをお楽しみいただきたい」


 当主パウドの言葉とともに、扉が大きく開かれた。

 そこから、台に料理を載せた小姓や侍女たちが次々となだれ込んでくる。まだ日が沈むほどの刻限ではないはずであったが、早々に食事が始められるらしい。


「まずは軽く食事を楽しんで、あとは各人が好きなようにふるまえばいいのよ。踊るのも自由、語らうのも自由。何も難しく考える必要はないわ」


 微笑みを絶やさぬまま、エウリフィアがそのように説明してくれた。

 その間に、さまざまな料理が卓へと並べられていく。

 ひとつの大皿には1種類の料理が山のように積まれており、それをバイキング形式で好きなように食するのが作法であるようだった。


「皿を使うのは無粋とされているので、みんなこういう小さな形に仕上げられているの。口にあわないときは、そちらの空の壺に捨ててしまってね」


 それに関しては、俺もかまど番をつとめるレイナ=ルウからすでに聞いていた。それで料理をどのような形で仕上げるべきか、俺からアドヴァイスを与えることになったのである。


「ご親切にありがとうございます。うわあ、これは美味しそうですね」


 俺は本心からそのように言ったのだが、ななめ後方からは不満げな声が聞こえてきた。


「どれもこれも町の食い物ばかりだな。森辺のかまど番は何をやっているのだ?」


 当然というか、それはゲオル=ザザであった。

 いつのまにやら酒杯を手にしたらしく、目のあたりがほんのり赤く染まっている。


「こちらのかまど番は到着が遅かったので、まだ調理中なのだと思いますよ。その内にギバの料理も出されることでしょう」


「ふん。しょせん貴族の食い物など、狩人の口にあうわけがないのだ」


 ゲオル=ザザはまだ不満げな面持ちであったが、それでもなけなしの自制心を発揮して、小声になっていた。

 アイ=ファやダルム=ルウたちも、不満の声をあげてこそいなかったが、まったく無関心な眼差しで料理の山を眺めている。いずれギバ料理が出されるならば、ここで無理をする必要はない、と思ってしまっているのだろうか。


「シーラ=ルウ、ここはやっぱり俺たちが先陣を切るべきでしょうか」


「ええ、そうかもしれませんね」


 ということで、俺たちはまず手近な卓に並べられた皿を物色していった。

 さきほどエウリフィアが述べていた通り、いずれもひと口大のサイズに分けられた料理である。直径6、7センチの丸くて平たいフワノの生地に、さまざまな食材をトッピングする、というのが一番ポピュラーであるようだった。


 その他には、串に刺した料理も見受けられる。ただし、そちらも大体はひと口サイズで、簡単に食べられるようになっている。それに、甘い菓子も料理と同時に出されているようだった。


「うーん、さすがはヤンと、ヴァルカスのお弟子さんたちですね。見た目では味の想像がつけにくいです」


「そうですね。これなどは、肉が主体であるようですが」


 そのように述べながら、シーラ=ルウが料理のひとつをつまんだ。

 確かに、うっすらと赤みを帯びたカロンと思しき肉のスライスが載せられている。フワノとの間には薄く切った乾酪がはさまれて、上にはグリーンのソースが掛けられていた。

 それを口にしたシーラ=ルウは、一回咀嚼しただけで驚きに目を見開いた。


「これは……驚くほどのやわらかさです。それに、この風味は……いったい何なのでしょう」


 俺は大いに好奇心を刺激され、同じ料理を口にすることにした。

 それで、驚きをともにする。


「ああ、これはたぶん、俺が作る『ロースト・ギバ』のようなものですね。カロンの肉を蒸し焼きにしているのですよ。でも、このやわらかさは……」


 カロンでも、胸や背中の肉であれば、ギバ肉よりもやわらかい。が、この料理に使われている肉は、厚みが7、8ミリもあるのにとろりと溶け崩れるような食感であった。


「アスタ、これはちょっと、あの料理に似ていませんか? ずっと前に、城下町で口にした――」


「はい。ティマロに出された肉料理ですね? 俺もそれを思い出していました」


 試食をしたルド=ルウが「脂の塊じゃねーか!」とわめいていた、あの肉料理である。

 あれはたしか、焼く前の肉に細い針で無数の穴を空け、そこに脂を注入することで、信じがたいほどのやわらかさを生み出していたのだ。それと同列の食感が、この料理からは感じられる。


 しかし、あのときに感じたような、空前絶後の脂っぽさは感じられなかった。

 もちろん脂は多量に使われているのだろうが、それ以上に肉の風味がまさっている。蒸し焼きなのに霜降り肉のステーキのような味わいであり、しかも食感は豆腐のようになめらかなのだった。


「美味というか、不思議な味ですね。でも、不快なことはまったくありません」


「同感です。それに、上に掛かっているソースがまた絶品ですね。何種類かの香草を配合して、それを白ママリア酢で溶いたものだとは思うんですけど、ちょっとどの香草を使っているのかは当てられそうにありません」


 そのような会話を交わしてから、俺はふっと同胞らのほうを振り返った。

 同胞の6名全員が、いくぶん呆れ気味の目つきで俺たちを見守っていた。


「ひと口食べただけで、その有り様か。すべての料理を口にする頃には、夜が明けていそうだな」


 一同の気持ちを代弁して、アイ=ファがそのように述べたてた。


「うん、まあでも、いつも通りといえばいつも通りだろう?」


「アスタたちにとっては、それがいつも通りのことなのか。まったくその熱心さには感服させられるな」


 言いながら、ダリ=サウティが同じ料理をつまみあげた。

 俺が止める間もなく、大きな口にその料理がまるごと投じられる。


「ああ、これは不可思議だ。ゲオル=ザザは口にしないほうがいいかもしれんぞ」


「ふん。俺は最初から口にする気などない」


「では、俺たちがお前の口にもあいそうなものを見つくろってやろう」


 さらにダリ=サウティは、隣の皿にあった正体不明の料理をも口の中に放り込んだ。


「うむ、これも面妖だ。肉なのか野菜なのかもよくわからん」


「ダ、ダリ=サウティ、あまり無理はなさらないでくださいね? その役は俺たちが受け持ちますから」


「しかしこれも、ダレイムの貴族たちの心尽くしなのだ。族長として、食べもせぬ内に文句を言うわけにもいかぬだろう」


 そう言って、ダリ=サウティは愉快げに微笑んだ。


「それに、俺ももうそれなりに城下町の料理というものを食べさせられてきたからな。そうそう驚かされたりはせんぞ」


 こういう部分は、三族長の中でもダリ=サウティが一番秀でているかもしれない。保守的であり堅実でありながら、彼はどこかガズラン=ルティムにも通ずる柔軟さをも持ち合わせているのだ。


 そうして俺たちは、3人がかりでローラー作戦を敢行することになった。

 目的は、城下町の料理をしっかり味わうため。そして、その中から森辺の民の口にあいそうなものを見つけだすためである。


 その場には、実にさまざまな料理が出されていた。土台にされているフワノの生地も、料理にあわせて焼かれていたり揚げられていたり、窯焼きであったり蒸し焼きであったりとさまざまだ。


 中には、それなりに突拍子のない料理もあった。

 トマトのようなタラパと梅干のような干しキキのディップがママリア酢で和えられて、それがキミュスの香ばしい皮で包まれていたものや、しこたま砂糖の使われたアロウのジャムにカロンの肉が漬け込まれたものなどは、とうてい森辺の民の口にはあわなかっただろう。俺なども、ときには涙目でそれらを呑み下すことになった。


 城下町の民は、複雑であったり奇抜であったりする料理を上等とする気風が強いのである。

 俺たちにはとうてい受けつけられなかったティマロの料理でも、ポルアースたちは何の不満もなく受け入れていたのだ。この際にも、そういった食文化のギャップを存分に思い知ることができた。


 だけどやっぱり、普遍と呼んでも差し障りのない美味しさというのも、この世には存在するのだと思われた。

 普遍というのが大仰であるならば、最大公約数と言い換えてもいい。まったく異なる食文化で育ってきた俺と、森辺の民と、城下町の民の全員が「美味い」と思える味も、確かに存在はするのである。


 いくつかの卓を巡った俺たちは、数ある料理の中からそういう味わいを持ついくつかの料理を発見することができていた。


「アイ=ファ、これは美味しいぞ。よかったら食べてみないか?」


「…………」


「これらを作ったのは、ヤンやシリィ=ロウたちなんだ。それをひと口も味わわないというのは、やっぱりちょっともったいないんじゃないのかな?」


「……そういえば、サトゥラス伯爵家の晩餐会においても、料理を作っていたのはあのシリィ=ロウという娘たちであったな」


 アイ=ファはちょっと表情をあらためると、俺が指し示した料理を手に取った。

 内容は、細切りにしたカロンの肉をタウ油や香草に漬け込んで、おそらくは炙り焼きにしたものである。赤褐色に焼けた細切りの肉がうねうねと渦を巻いた姿はいささか奇っ怪であったが、お味のほうは抜群の美味しさであった。


「ふむ。ダバッグで食べたものよりも美味に感じられるな」


「そうだろう? こっちのやつもなかなかおすすめだぞ」


 それは、ほぐした焼き魚の身を生のギーゴのスライスではさみこみ、香草と砂糖と赤ママリア酢のソースを掛けた料理であった。

 ヤマイモを思わせるギーゴと焼き魚の食感が絶妙であり、味付けのほうも、辛さと甘さと酸っぱさが素晴らしく調和している。また、魚の身そのものにも燻煙で風味がつけられており、とても手間がかけられていた。


 なおかつ、土台のフワノはレテンの油でカラッと揚げられている。その油分も、計算の一部なのだろう。これは絶対にヴァルカスの弟子の手によるものだろうなと確信させられる出来栄えであった。


「不思議な味だな。確かに、美味いのだろうと思う」


 アイ=ファ以外の人々も、まったく不満そうな顔はしていなかった。

 また、ダリ=サウティの最初の発言に、何か思うところでもあったのか、スフィラ=ザザもすすめられる料理を拒もうとはせず、問答無用で弟にも食べさせていた。不満顔のゲオル=ザザも、それらの料理を「不味い」と罵ることはなかった。


「いかがですか、ダルム=ルウ?」


 シーラ=ルウの呼びかけに、ルウ家の意固地な次兄も「ああ」とぶっきらぼうに応じている。


「ジザやルドが言っていたのは、こういう料理のことなのだろうな。ギバの使われていない料理を心の底から美味いとは思えんが……町の人間はこういうものを美味いと思うのだろうし、俺もべつだん不味いとは思わない」


「ええ。きっとこれはシリィ=ロウたちの手による料理なのでしょうね」


 シーラ=ルウの言葉に、ダルム=ルウは「シリィ=ロウ?」といぶかしげな顔をする。


「……ああ、ルウの集落の宴に出向いてきていた城下町の娘か。そういえば、あやつが今日の宴には関わっているのだったな」


「ええ。ダルム=ルウも、彼女とは少し縁を結んでいましたよね」


 その言葉には「いや?」という返事がもたらされることになった。


「同じ場にはいたが、言葉を交わした覚えはない。むこうだって、俺に用事などないだろう」


「いえ、わずかな間ですが、ダルム=ルウに彼女の身柄をおあずけしたでしょう? わたしが彼女のために『ギバの丸焼き』を取りにいっていた、あのときです」


 それでもダルム=ルウは、うろんげに首を傾げているばかりであった。

 シーラ=ルウは、こらえかねたように笑い声をもらす。


「覚えてらっしゃらないのですね。あのときのダルム=ルウはちょっとお酒を召しすぎでした」


「何を言う。確かに途中で眠ってはしまったが、酒で記憶がなくなったことなどはない」


「記憶をなくされたこと自体をお忘れになっているのでしょう。今日はお気をつけくださいね」


「だから、そんな姿をさらしたことはないと言っているだろうが」


 子供のように言い張るダルム=ルウの姿は、俺の目から見ても微笑ましかった。

 それに、シーラ=ルウはとても幸福そうである。俺が予想していた通り、ダルム=ルウはアイ=ファの宴衣装を見ても軽く目を見開いたぐらいで、それ以降は特別な関心を寄せてはいないようだった。


(その代わり、シーラ=ルウに対してもまったくいつも通りみたいだけど……やっぱり普通にしているだけで、俺にはお似合いに見えちゃうな)


 思いの外、森辺の民はこのような場にあっても自然体であった。

 みんな、肝が据わっているのだろう。余人にどう見られてもかまいはしない、という森辺の民の図太さが、この際にはいい感じに働いているようだ。


 ただし、メルフリード一家と離れてからは、まったく余所の人々と交流を結んでいない。これは親睦の宴であるのだから、身内で固まっているだけでは役目が果たせないはずであった。


 などと、俺がそのように考えていると、その言葉が伝わったかのように近づいてくる一団があった。


「やあやあ、ご挨拶が遅れてしまったね。楽しんでいただけているかな、森辺の皆様がた」


 振り返ると、そこには笑顔のポルアースが立っていた。

 さらにその背後には、彼の両親と兄と伴侶までもが控えている。

 俺たちは、いよいよダレイム伯爵家の人々と親交を深める機会を賜ったのだった。

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