②配膳
俺たちは、ゆとりをもって調理を終えることができた。
四つあるかまどのうち二つではギバ鍋、俺流に言うと『ギバ・スープ』がぐらぐらと煮立ち、皿の上には焼きポイタンが山のように重ねられている。あとは客人の到着を待って、肉を焼くだけだ。
「ねえ、アスタ……本当にこれで良かったのぉ……?」
と、ぐったり壁にもたれかかって座りこみ、自分の片膝を抱えこんでいたヴィナ=ルウが、心配そうに俺へと呼びかけてきた。
今回、彼女にはちょっとした重責を担ってもらおうと目論んだのである。
「前祝いの宴は、大事なのよぉ? わたし、何だか自信がないなぁ……」
「大丈夫ですよ。現時点では、問題なしです」
「だったら、この後は……」
「予定通りにお願いします」
ヴィナ=ルウはぎゅうっと自分の片膝を抱きすくめ、とても恨めしげな流し目で俺をにらみつけてきた。
どうでもいいけど、その大きなお胸が膝につぶされて、衣服の上からでもぶにゃりと変形しているのが丸分かりで、相当にエロチックです。
「アスタ、もしかして……自分が文句を言われるのが嫌なもんだから、わたしを生贄にしようとしてるのぉ……?」
「何ですかそりゃ? 俺がヴィナ=ルウにそんな真似をする理由がないでしょう」
「だってぇ……アスタにとっては、わたしなんて邪魔者でしょぉ……?」
他の女性陣は、涼を取るために表でくつろいでいる。
だからそんな話題を切り出してきたのだろうが、戸板は開きっぱなしなのでちょっと焦ってしまう。
「じゃ、邪魔者っていうか、俺の考えは以前に話した通りです。ヴィナ=ルウがおかしな考えを捨ててくれることを切に願うばかりでありますよ、俺は」
「でもぉ……考えは変えられても、気持ちは曲げられないでしょぉ……?」
そのなめらかな頬に、またちょっとだけ赤みがさしてくる。
「わたしが打算だけであなたにあんな真似をしたとでも思ってるのぉ? ……20にもなって操を捨てられない生娘に、そんな真似ができると思う……?」
「い、いや、ですからその」
「あーあぁ……今日来るルティムの跡取り息子も、わたしが嫁入りを突っぱねたひとりなんだよねぇ……」
と、今度は膝で顔を隠してしまう。
「そんな男の婚儀の前祝いで、わたしが大失敗しちゃったら……ルティムの家長にまた雷を落とされるんだろうなぁ……あああ、死にたくなってきちゃったなぁ……」
「だ、大丈夫ですってば! ヴィナ=ルウが失敗したら、それは全部俺の責任ってことにしますから! 何もかも俺がやってのけたってことにしましょう! それで、成功したときだけ、ヴィナ=ルウの栄誉ってことにしましょうよ、ね!?」
ヴィナ=ルウは、膝の陰から流し目をくれてくる。
「そんなこと言って、土壇場で裏切るつもりなんでしょぉ……?」
「裏切りません! この三徳包丁に誓います!」
すると今度は、少し垂れ気味の茶色い瞳が、何やら艶っぽく潤んでいく。
「なんかずるい……これでどうやって自分の気持ちを曲げればいいっての? ……冷たくされたり優しくされたり、いいように嬲られてるだけな気がするわぁ……」
だったらどうしろと仰っしゃるのですかね!
と、そこで「何をひとりで騒いでいるのだ、お前は」と冷たく背後から切り捨てられてしまった。
どうやら俺だけが大きな声を出してしまっていたようだ。おのれの迂闊さに背筋が寒くなる。
「ルティムの家長らがやってきたようだ。頃合いではないか?」
しかし、そんな一声で一気に心が引き締まった。
「よし! それじゃあ、始めましょう! ヴィナ=ルウ、段取り通りにお願いします!」
◇
「ほお! お前さんがファの家に住みついたという余所者か!」
ミーア・レイ=ルウとともに『ギバ・スープ』の鍋をえっほえっほと担いでいくと、いきなりそんな大声で出迎えられてしまった。
見知らぬ大男が、上座にどんと控えている。
その隣りに陣取ったドンダ=ルウに優るとも劣らない大男だ。
いや、さすがに上背はドンダ=ルウに負けるかもしれないが、横幅と厚みがものすごい。俺と似たようなベストを着ているのだが、そんなものは肩口にひっかけているだけの格好で、むきだしの太鼓腹がぼぼんと盛り上がっている。
おまけにその頭はつるつるの禿頭で、眉が太く、目が大きく、鼻も口も大きくて、幅広の下顎に褐色の髭をたくわえている。褐色の肌やエスニックな装束も相まって、まるきりアラビアンな大魔神のごとき風貌である。
今はにこにこと破顔しているが、確かにこの御仁が激情を爆発させたら、ヴィナ=ルウでなくともこの世をはかなみたくなってしまうだろう。
俺は鉄鍋を保温用のかまどに設置してから、膝を折って一礼してみせた。
「ファの家の家人アスタと申します。本日はルウの家の女衆とともに、かまどを預からせていただきました」
「おうおう。何やら他の家とは違う愉快な晩餐を用意してくれたそうだな? ギバの肉など腹に入ってしまえばみんな一緒だが、話の種としては面白い! 楽しみにしておるぞ、ファの家のアスタ!」
「お気に召して頂ければ幸いかと存じます」
きわめて危なっかしい丁寧語で応対し、「では」と俺は立ち上がる。
何せ俺は大衆食堂の見習い料理人であって、フレンチレストランのシェフでも割烹料理店の女将でもないのだ。客人に対する挨拶など「らっしゃーい」ぐらいしか教わっていない。
一緒に鍋を運んできたミーア・レイ=ルウはそのまま客人と談笑を始め、俺は部屋の出口へと向かう。
で、その際に残りの客人の姿も観察させていただいた。
左右に並んだ席の上方に、それぞれ男女の見知らぬ顔がある。
これがルティム家の跡取り息子と、その婚約者なのだろう。
新郎の名は、たしか、ガズラン=ルティム。
実直そうな、大男だ。
体格だけなら、ルウ家の長兄ジザ=ルウにも負けていないかもしれない。
というか、彼の隣りにはそのジザ=ルウ本人が控えているのだから、何というかもう圧巻という他なかった。
それぞれの親父殿は巨漢に過ぎるが、その跡取りたる息子たちも、均整の取れた逞しい肉体と、次代の家長を担うに相応しい風格と圧力、静かな威厳みたいなものが強く漂っている。
そのガズラン=ルティムの顔立ちは、親父譲りで目も鼻も口も造作が大きく、肥えていない代わりに四角く骨ばった輪郭をしていて、そんなに男前とは言えないかもしれない。
しかし、褐色の髪をさっぱりと切り揃えて、色の濃い碧眼を静かに光らせるその姿は、とても精悍かつ誠実そうでもあり、旦那にするならこういう人が良さそうだよなあとか、俺は勝手なことを考えてしまった。
一方の新婦さんは、アマ=ミンとかいう名前だったと思う。
ミンの家は、ルウ、ルティム、レイ、に続くルウの眷族では中堅どころの家であり、ティト・ミン婆さんもその出身だという話だ。
つまり女衆は嫁入りする際に元の姓を名前にひっつけ、その由来を示すのである。
ティト=ミンがルウ家に嫁入りすれば、ティト・ミン=ルウになり、この娘さんも7日後には、アマ=ミンからアマ・ミン=ルティムになる、という寸法だ。
えーと。
そんな講釈をされた際、心の中でこっそり、「アイ・ファ=ツルミか……」などと馬鹿げた妄想をしてしまったことは、墓の中まで持っていきたい秘密である。
それならまだしも「アスタ=ファ」であろうし。何にせよ、実現する見込みのない妄想に励むなど徒労の極みだ。あーあ。ヤンナッチャウヨモウ。
何はともあれ、新婦のアマ=ミンである。
こちらはもう細すぎず太すぎず、背の高さもほどほどで、健康状態は良好そうだし、すっきりと背も伸びていて、非常に育ちの良さそうな娘さんだ。
黒褐色の髪は活動的にまとめあげられ、淡い碧眼には明るい光。清楚で真面目そうだが、ちっとも物怖じしている様子もなく、静かに宴の始まりを待ちかまえている。
年齢なんて、俺とそう変わらないようなのに。これが婚儀を控えた女衆の落ち着きというものなのだろうか。同じく同世代であるレイナ=ルウなんかが、ずいぶん子どもっぽく感じられてしまう。
まあ、たかだか17歳の半端者たる俺にしてみれば、年齢よりも落ち着き払って見える娘さんより、無邪気で明るい女の子のほうが魅力的に見えてしまうし、さらに言うなら、普段はクールぶってるくせにやたらと直情的ですぐに人の足を蹴ってくる山猫みたいな目つきをしている女の子のほうが――って、そんなことはいいですね、ハイ。
何にせよ! とてもお似合いの若人ふたりでありました。
こんなふたりの婚儀の前祝いを、おかしな勝負事の材料にしてしまうなんて、何だか気が引けてしまう。
そして、そんな勝負事を持ちかけてきた当人は、奥方が言っていた通りに、ずいぶん不機嫌そうな面持ちでいらっしゃった。
俺がお隣りの御仁に挨拶したときも、まるであらぬ方向に視線を飛ばしていらっしゃったし、さっきからガバガバと果実酒をあおっていらっしゃる。
あまり飲みすぎて料理の味がわからなくならないようにねと心の中で念じつつ、さらに足を進めていくと、ねつい視線がななめ下から、からみついてきた。
ルウ家の次兄、ダルム=ルウである。
3日前の来訪の際には唯一顔を合わせなかった御仁だ。
ということは、もう2週間ぶりぐらいの再会ということになるが。相変わらず野生の狼のように凶悪かつ引き締まった風貌をしており、父親ゆずりの眼光をギラギラと輝かせている。
そんなに物騒な目つき顔つきをしていなければ、たぶんルウ家でも一番の男前であろうに。アイ=ファとの経緯から、この若者にだけは心を許すことができない。
だから俺は、ちょいとばっかり目に力を込めてにらみ返してやったのだが――そうすると、何故だか彼はふいっと不自然な感じに目をそらしてしまった。
何だろうか。そのこわばった横顔からは、ひどく悔しげでふてくされたような表情しか伺えないのだが。まったくよくわからない御仁だ。
その横で待ちくたびれたかのように頬杖をついている末弟と、そっぽを向いている三姉をはさんで元気いっぱいに手を振ってくる末妹に会釈を返しつつ、俺は広間を出ようとした。
そこに、もうひとつの鍋とポイタンの皿を運んできたアイ=ファ、ヴィナ=ルウ、レイナ=ルウたちがやってくる。
「おおお!? 何だそりゃあ? そいつは本当に食い物なのか!?」というダン=ルティムの驚愕の声を背中で聞きつつ、俺はかまどの間へと向かった。
すでに辺りは暗くなりかけていたが、玄関口から建物の裏手まではいくつもの燭台が設置されているので、足もとに不安はない。
やがてかまどの間にたどりついた俺は、決戦前の緊張感とともに、女衆の帰りを待った。
「悪いね、ついつい話しこんじまったよ。みんなあの焼いたポイタンには仰天してたよお?」
元気なおっかさんとともに、全員が帰還した。
では。
前哨戦の、始まりだ。
「色々ご意見もあるでしょうから、上座には俺が皿をお持ちしますよ」
そう言って俺がメインディッシュの木皿に手を伸ばすと、ミーア・レイ=ルウに「ねえ、あんた」と呼び止められた。
「本当に大丈夫なんだろうね? もっと穏便なやり口はなかったのかい?」
いつも明るく朗らかなその顔に、ちょっと怖いぐらいに真剣な表情が浮かんでいる。
7人もの子を成して、家の仕事をきりもりしてきた女丈夫の威厳である。
俺の母親も生きていればこれぐらいの年齢だよな、とか考えながら、俺は答えた。
「穏便に済ますなら、一切ルウの家に関わらない、という道しかありませんでした。それが嫌だから、ちょっと乱暴だけど家長と喧嘩することにしたんです」
ミーア・レイ=ルウの顔が、驚き、呆れ。
そして、笑った。
「わかったよ! 亭主の敵には回れないけど、あんたが殺されないように応援してやっから、思う存分、喧嘩しなっ!」
バシン、と背中を叩かれた。
無茶苦茶に痛かったが、嬉しかった。
「では」と両手に皿を持ち、かまどの間を出る。
すると、「待て。ひとりで勝手に行くな」と同じように皿を掲げたアイ=ファが急ぎ足で追ってきた。
「あの大男たちが逆上したら何とするつもりだ? 自分の身を守る力もないくせに、勝手に動くな」
「いや、喧嘩って言っても殴り合いをするわけじゃないんだから」
「いきなり殴りかかられても大事はないと言うのだな?」
「……たぶん、死ぬかな」
「だったら」と、アイ=ファが顔を寄せてくる。「私から離れるな」
もしも来世があるならば、自分はお姫様役でもいいかもな、などと妄想できてしまうぐらい、アイ=ファの顔は凛々しくて雄々しくて王子様みたいだった。
(ていうか、今が来世みたいなもんか)
まんざらでもない第二の人生だ。
そんな風に思えることを、本当に幸福だと思う。
「お待たせいたしました。これが最後の皿となります」
アイ=ファとともに、広間へと入室する。
上座には、ドンダ=ルウと、ダン=ルティム。
右手側には、ガズラン=ルティム、ジザ=ルウ、ダルム=ルウ、ルド=ルウ。それに、ララ=ルウと、リミ=ルウ。
左手側には、アマ=ミン、ティト・ミン=ルウ、サティ・レイ=ルウ。あとは空席に、かまど番の3名分。
サティ・レイ=ルウの背後では、ゆりかごの中でコタ=ルウがあぶあぶとはしゃいでいる。
その乳幼児を除いて合計11対の目が、あるいは期待に輝き、あるいは不機嫌そうに、あるいは無感動に俺たちを出迎える。
それらの視線を満身にあびながら、俺とアイ=ファは上座に向かった。
俺はふたりの家長に皿を捧げ、アイ=ファはその跡取り息子たちに皿を捧げる。
その中身に目を落とした瞬間。
ドンダ=ルウの双眸は激情に燃え。
ダン=ルティムは、「何だこれはッ!」と怒号を爆発させた。