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異世界料理道  作者: EDA
第二十四章 金の月
417/1703

大いなる変革②~再会~

2017.1/2 更新分 1/1

「シュミラル……ああ、シュミラル、よくぞご無事で!」


 俺は情動のおもむくままに、シュミラルの手を握りしめてしまった。

 指が長くて、細いのに力強い、たくさんの指輪で飾られた温かい手だ。

 シュミラルは、同じ微笑みをたたえたまま、俺の手を握り返してきた。


「アスタも、無事、何よりでした。元気な姿、とても嬉しいです」


 すると、他のメンバーも左右から近づいてきて、ひとりずつ俺に挨拶をしてくれた。

 ひときわ長身のラダジッドや、占星を得意とする年配の人物、それに、団員の中で真っ先に俺の屋台を訪れてくれた若い人物――その数は、きっちり10人がそろっていた。


《銀の壺》は、誰ひとり欠けることなく、ジェノスへと戻ってきたのだ。

 俺はもう、涙ぐんでしまうぐらい心を揺さぶられてしまっていた。


「本当にお待ちしていました。半年が過ぎてもなかなか戻ってこられないので、心配していたのですよ? もちろん、ご無事であると信じていましたが……」


「申し訳ありません。事情、あったのです」


 俺に手を握られながら、シュミラルはまだ微笑んでいた。

 シムの民は表情を動かすことを恥と考えているのに、シュミラルはずっと微笑み続けている。それこそが、シュミラルは森辺の民になりたいという願いを捨てていない何よりの証であった。


「話したいこと、たくさんです。仕事の後、時間、いただけますか?」


「もちろんです! ルウの集落にも、向かうのでしょう?」


「はい。……ルウの集落、向かうこと、許されますか?」


 シュミラルの黒い瞳が、俺のかたわらに向けられる。

 そこでは、シーラ=ルウが同じように微笑んでいた。


「ええ、あなたを客人として家の中に迎え入れるかは、家長たるドンダ=ルウの決めることですが、集落まではわたしたちがご案内いたします」


 シーラ=ルウも、《銀の壺》との別れの際には立ち合っていたひとりであるのだ。

 ちなみにリミ=ルウは初対面であるはずであったが、もちろんシュミラルの存在については兄や姉たちから聞いているのだろう。青空食堂で元気に働きながら、こちらを見つめる目がきらきらと輝いている。


 そんな中、シュミラルは「ありがとうございます」とシーラ=ルウに目礼をした。


「引き止めてしまい、申し訳ありません。アスタ、どうぞ、仕事、戻ってください」


「はい。ですが、仕事が手につくかどうか心配です」


「それは、いけません。アスタ、仕事、果たしてください。……アスタ、料理、とても美味です」


 シュミラルたちは、すでに屋台の軽食を購入して、それを青空食堂で口にしている最中であったのだった。

 俺はシュミラルから手を離し、手の甲で目もとをぬぐってから、照れ隠しに笑ってみせた。


「お買い上げありがとうございます。仕事は二の刻までですので、その後にまた」


「二の刻、了解しました。楽しみ、しています」


 そうして俺は、10名全員に頭を下げてから、自分の仕事場へと舞い戻った。

 すでに太陽は中天に差しかかり、屋台には大勢のお客が詰めかけようとしているところであった。


                 ◇


「私たち、今日の朝、ジェノス、着いたのです」


 営業終了後、ギルルの荷車に揺られながら、シュミラルはそのように語ってくれた。


「宿場町の宿屋、荷車、預けました。その後、城下町、用事を済ませて、宿場町、戻ってきたのです。アスタ、屋台から離れて、すぐだったようです」


「今回も、宿は《玄翁亭》ですよね? でも、今日はルウ家が《玄翁亭》に料理を届ける当番だったので、シュミラルたちが戻ってきていることを聞くことはできませんでした」


《玄翁亭》の主人であるネイルは、シュミラルが俺以外の森辺の民とどのような縁を紡いでいるのかを知らない。それにどの道、シュミラルはすぐに俺たちの屋台を訪れることになるのだから、わざわざ口を出すまでもないと考えたのだろう。

 おかげで俺たちは、非常な驚きと感動をもって再会を果たすことがかなったわけだ。


「さまざまな変化、驚きました。でも、アスタたち、無事であったので、何よりです」


 城下町まで出向いたシュミラルは、すでにサイクレウスの失脚を知っていた。

 シュミラルがジェノスを離れた頃、俺たちは本格的にサイクレウスらと対立する直前であったのだ。その一点がもっとも気にかかっていたのだと、シュミラルはそのように言ってくれた。


 しかしシュミラルも、たいそう驚かされたことだろう。森辺の民と対立していたサイクレウスが、旧悪を暴かれて、罪人として捕らえられてしまったのである。ジェノスの領主マルスタインに次ぐ力を持っていたトゥラン伯爵が、森辺の民との対立の末に没落するなどとは、なかなか想像できるはずもなかった。


「そして、宿場町、さまざまな食材、あふれていました。それも、とても驚かされました」


「ええ。この半年ほどで、本当に色々なことがありましたからね……」


 宿場町からルウの集落に至る15分ていどでは、とうてい語り尽くせるようなものではなかった。

 しかし、荷車の運転はユン=スドラが引き受けてくれたので、俺はその15分間、シュミラルを独占することができた。シュミラルはシュミラルで荷車を1台準備していたが、その運転は副団長のラダジッドが受け持っていた。


「そういえば、あちらの荷車には何が積まれているのですか?」


「あちら、旅の成果です。私、ギバ狩りの手段、探していました。そのため、ジェノスに戻る、遅れてしまったのです」


「ああ、なるほど……」


 狩人ならぬ人間に、ドンダ=ルウが婿入りを許すことはない――というヴィナ=ルウの言葉を受けて、シュミラルは自分なりの狩猟方法を構築してみせる、と約束していたのだ。

 1年の内の数ヶ月は商団の人間として世界を駆け巡り、それ以外の時間は森辺の民として生きる。それが、シュミラルの願いなのだった。


 しかし、狩人ならぬシュミラルにギバ狩りの仕事を果たすことなど、本当に可能なのだろうか?

 俺には、それが一番の気がかりであった。


「シュミラル、これは最近、知ったことなのですが……森辺の民は、ギバを狩るのに毒物を使うことを禁忌としているそうですよ?」


 俺がそのように言ってみせると、シュミラルは不思議そうに小首を傾げた。


「シムの民、毒草の扱い、長けています。でも、狩りの仕事、毒草を使うこと、ありません。毒草、身を守るため、使います」


「ああ、それではシュミラルも、何か他の獣を狩った経験はおありなのですか?」


「いえ。私、商人です。狩人、経験、ありません。襲ってくる獣、退治するぐらいです」


 では、狩猟に有効な罠の類いでも発掘してきたのだろうか。

 世界を駆け巡って得られる知識こそが自分の力である、とシュミラルはかつてそのように述べていたのである。


「王都、狩りの手段、見つけました。きっと、ギバ狩り、有効なはずです」


「そうですか。でも、あまり無茶はなさらないでくださいね? 俺だって狩人ではありませんが、家人として認められることはできましたので」


「アスタ、料理の力、偉大です。認められる、当然と思います」


 そう言って、シュミラルはまた静かに微笑んだ。

 そんな俺たちを、トゥール=ディンらは言葉もなく見守ってくれている。この中ではもっとも古株であるトゥール=ディンですら、シュミラルとは完全に初対面なのだった。


「屋台の料理、とても美味でした。シャスカ、似た料理、不思議でした」


「ああ、あれは俺の故郷の料理で、パスタとかスパゲッティとか呼ばれている料理なのですよ」


「パスタ・トカ・スパゲッティ……?」


「あ、いえ、パスタです。俺はパスタと呼んでいます」


「パスタ、了解いたしました。それに、臓物の料理、美味でした」


「ああ、そちらはルウ家のみんながあみだした『ギバのモツ鍋』ですね。そもそもギバの臓物に関しては、こちらのトゥール=ディンが手ほどきをしてくれまして――」


 と、その後はトゥール=ディンたちも巻き込んで、至極なごやかな時間を過ごすことができた。

 ただひとり、リリ=ラヴィッツだけは本物のお地蔵様と化してしまったかのように、黙りこくって俺たちの様子をうかがっている。


 そういえば、ルウ家を除く氏族には、シュミラルの存在も伝わっていないのだろうか。ライエルファム=スドラの提案で、森辺の広大なる集落で人力による連絡網が敷かれるようになったのは、ちょうどシュミラルが来訪した当日からであったのだ。


 その日を境に、森辺における重大事は家から家へと伝言で伝えていく習わしが構築された。しかし、その頃はやはりサイクレウスとの問題を抱えていた時期であったので、「東の民がルウ家を訪れた」などという瑣末な話は伝えられていないように思われた。


(それでもって、シュミラルがヴィナ=ルウに婿入りを願った、なんていう話は、それこそルウの眷族とファの家にしか伝わってないはずだよな)


 ヴィナ=ルウやドンダ=ルウは、いったいどのような態度でシュミラルを迎えるのか。考えると、否応なく胸が騒いでしまった。


 そうしてあっという間に時間はすぎゆき、俺たちはルウの集落に到着した。

 すると、手綱を握っていたユン=スドラが「アスタ」と呼びかけてきた。


「今日のスン家における手ほどきは、わたしたちだけで十分なのではないでしょうか?」


「え? だけど――」


「不十分であった場合は、明日以降にアスタが力を添えてくだされば問題はないでしょう。1日ぐらいは、アスタも自由にふるまうべきだと思います」


 俺はほとんど事情を話していないのに、表情や言動から何かしらを察してくれたらしい。

 俺は大いに悩んだが、ここはユン=スドラの提案に甘えることにした。


「ごめん。それじゃあ、お願いするよ。スン家の人たちにも、明日お会いできることを楽しみにしていると伝えてもらえるかな?」


「了解いたしました。では、わたしたちはファファの荷車を使わせていただきますね」


 集落の入り口で、俺たちはいったん全員が荷車を降りることになった。

 フェイ=ベイムが手綱を握ったファファの荷車のほうに、ユン=スドラたちが向かっていく。その中で、リリ=ラヴィッツだけが俺とシュミラルのもとに居残っていた。


「アスタ、わたしもこの場に留まらせていただきたく思うのですが、いかがでしょう?」


「え? 何故ですか?」


「わたしはスン家に向かうわけでもありませんので、何か変事が生じたならば、それを見届けるべきと考えたのですが」


 ラヴィッツは、どちらかというと古い習わしを重んじる氏族である。

 というか、俺やアイ=ファなどははっきりとデイ=ラヴィッツに「気に食わない」と言われてしまっている。


 そんな彼らにとって、ヴィナ=ルウへの婿入りを願うシュミラルの存在は、俺やアイ=ファに劣らず気に食わない存在なのかもしれないが――ここで隠しだてすることに、あまり意味はなかっただろう。森辺における一大事は、すべての氏族が知るべきなのである。


「わかりました。ルウの集落におけるふるまいについてはドンダ=ルウにゆだねられることになりますが、それでかまいませんね?」


「はい、もちろんです」


 ということで、その場には俺とシュミラルとリリ=ラヴィッツが居残ることになった。

 フェイ=ベイムたちを乗せた荷車は、「それでは、また」と立ち去っていく。


 俺たちのかたわらには、リミ=ルウが手綱を握ったルウルウの荷車と、ラダジッドが手綱を握った二頭引きの荷車、そしてここまでファファの荷車に送られてきたヤミル=レイとツヴァイの姿がある。

 そうしてルウルウの荷車からは、シーラ=ルウとモルン=ルティム、ミンとレイの女衆、それにマイムが降りてきた。


「それでは、参りましょう」


 シーラ=ルウを先頭に、一同はルウの集落へと足を踏み入れた。

 広場では、幼い子供たちが駆け回っている。

 その内の何名かが笑顔でこちらに駆け寄ってこようとしたが、シュミラルたちの姿に気づき、足を止めた。


 半年前と、同じ情景である。

 宿場町に下りることのない幼子たちにとって、町の人間というのは文字通り異分子なのである。ドーラの親父さんたちを招いたときのように事前の通達があればまだしも、いきなり見知らぬ人間が訪れた際は、このような反応になってしまうのも否めなかった。


「それではわたしは、これで失礼いたします」


 途中でマイムが離脱して、ミケルの待つ家へと戻っていった。

 そうして広場を突っ切っていくと、本家の前に人影が見えた。


 ドンダ=ルウとリャダ=ルウである。

 狩人の仕事に参加していないその両名が、本家の前で鍛錬に励んでいた。


 その手にグリギの長い棒を持って、それを至近距離から打ち合っている。

 立ち位置は変えぬまま、リャダ=ルウが繰り出す攻撃をドンダ=ルウが弾き返している、という格好であるようだった。


 足を負傷して狩人の仕事から退いたリャダ=ルウであるが、その攻撃の鋭さには微塵も衰えが感じられなかった。

 いっぽうドンダ=ルウは、左手一本で棒をふるっている。右肩を負傷しているために、左腕だけで鍛錬を重ねているのだろう。リャダ=ルウの鋭い攻撃を、それ以上に鋭い動きで防御している。頑丈なグリギの棒がへし折れてしまうのではないか、というぐらいの激しい攻防であった。


「ドンダ父さん、戻ったよー! それでね、お客人を連れてきたの!」


 ルウルウの手綱を握ったリミ=ルウが、元気いっぱいの声をあげる。

 リャダ=ルウが手を止めると、ドンダ=ルウは息も乱さずにこちらを振り返った。

 その青い目が、シュミラルの姿をとらえて、すうっと細められる。


「貴様は……あのときの東の民か?」


「はい、シュミラルです。おひさしぶりです、族長ドンダ=ルウ」


 シュミラルが、悠揚せまらずマントのフードをはねのける。

 ドンダ=ルウは、無言でグリギの棒を放り捨てた。


「あのねー、ドンダ父さんとヴィナ姉にお話があるんだって! ヴィナ姉を呼んできてもいい?」


「……ついでにミーア・レイも呼んでこい。全員、かまどの間にいるはずだ」


「りょうかーい!」


 ガラゴロと荷車を引きながら、リミ=ルウが家の裏手へと向かっていく。

「では、わたしたちも」と言いながら、シーラ=ルウが俺のほうに手を差しのべてきた。


「アスタ、トトスと荷車をお預かりしましょうか?」


「あ、ありがとうございます。……あの、ドンダ=ルウ、俺とリリ=ラヴィッツもご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」


「……ラヴィッツだと? あまり聞き覚えのない氏族だな」


「本日から、アスタと行動をともにすることになりました。ラヴィッツは、スンの集落の南側に家をかまえる氏族となります」


 リリ=ラヴィッツが、普段通りの柔和な面持ちでぺこりと頭を下げる。


「町の人間、しかも異国の民たるシム人が森辺の集落を訪れるというのは、いささかならず変事でありましょう。のちのち詳細は伝えられるのでしょうが、どうせならば自分の目で見届けたいと思ったのです」


「……勝手にしろ」とドンダ=ルウは興味なさげに言い捨てた。

 ラダジッドの引いていた手綱も受け取って、シーラ=ルウたちは家の裏手へと消えていく。

 ヤミル=レイらもそれに従ったので、その場には俺とシュミラルとリリ=ラヴィッツ、それにラダジッドだけが取り残された。


 シーラ=ルウたちと入れ替えで、2名の女衆がやってくる。

 ミーア・レイ母さんと、ヴィナ=ルウである。


 ヴィナ=ルウは、ほんの一瞬だけシュミラルのほうを見た。

 しかし、その後はすぐに目を伏せてしまった。

 俺が慌てて振り返ると、シュミラルはじっとヴィナ=ルウのほうを見つめていた。


「おやおや、ひさしぶりだねえ。あたしのことを覚えているかい?」


 ミーア・レイ母さんが陽気な声でその場の空気を緩和させると、シュミラルは「はい」とうなずいた。


「家長ドンダ=ルウの嫁、ヴィナ=ルウの母、ミーア・レイ=ルウ、おひさしぶりです」


「うん、あんたはシュミラルだったよね。そちらさんは、お仲間かい?」


「はい。《銀の壺》、ラダジッド=ギ=ナファシアールです。シュミラル、ともに働く、同胞です」


「ラダジッドね。ようこそ、ルウの家に。……それじゃあ、あがってもらおうか。それでかまわないんだよね、家長?」


 ドンダ=ルウは答えずに、さっさと家の中に引っ込んでしまった。

 その大きな背中を見送ってから、リャダ=ルウが俺たちを振り返る。


「鍛錬は終わったようなので、俺は家に戻らせてもらおう。アスタ、息災にな」


「はい、リャダ=ルウも」


 俺たちは、ミーア・レイ母さんの案内でルウの本家へと足を踏み入れた。

 シュミラルとラダジッドは腰の短剣と革のマントをミーア・レイ母さんに預け、下座で膝を折る。

 ルウ家の3名と客人の4名は、そうして広間であらためて向かい合うことになった。


「あんたとヴィナの話は、いちおう聞いてるよ。ただし、あんたが戻るのは半年の後って聞いていたから、それまでは取り沙汰したって意味はないだろうと思い、そのまんまにしてきたのさ」


 と、まずはミーア・レイ母さんがにこやかに口火を切る。


「だからまあ、こっちもまっさらな気持ちで聞かせてほしいんだけどさ。今日のあんたは何のためにルウの家を訪れたんだい、お客人のシュミラル?」


「はい」とシュミラルは真っ直ぐに背筋をのばしたまま、言った。


「私、ヴィナ=ルウ、婿入り、願っています。それが許されるか、聞くために、やってきました」


 俺はもう、ひとりで勝手に手に汗を握ってしまっていた。

 ミーア・レイ母さんの隣で横座りをしたヴィナ=ルウは、やはり目を伏せたままで、ドンダ=ルウはひたすら青い瞳を燃やしている。


「なるほどねえ。あんたはアスタの友で、森辺の民についても色々なことをわきまえているんだよね?」


「はい」


「それでもやっぱり、ルウ家への婿入りを願うってのかい?」


「はい」


「そうかい。それじゃあ、まずはヴィナの気持ちを聞いてみるべきだろうね」


 ヴィナ=ルウは、ぴくりと肩を震わせた。

 そのうつむいた横顔を、ミーア・レイ母さんは笑顔で覗き込む。


「ヴィナ、あんたの気持ちはどうなんだい? あんたがその申し入れを断るなら、これ以上は言葉を重ねる意味もないだろう。森辺の習わしとかそういうもんをいったん脇に置いておいて、あんたはこのシュミラルを婿に迎えようって気持ちはあるのかい?」


「わたしは……」と、ヴィナ=ルウはかすれた声をあげた。


「……わたしは……性根のわからない人間を伴侶にすることはできない……と考えているわぁ……」


「ふむ。つまり、どんな性根をしているのかが知れるまでは、この申し入れを受け入れることも断ることもできないってことかねぇ?」


「…………」


「ヴィナ、難しく考えることはないよ。あんたの素直な気持ちを聞かせてくれれば、それでいいのさ」


「……ミーア・レイ母さんの言った通りだと思う……」


 と、ヴィナ=ルウはますますうつむいてしまった。

 栗色の長い髪がこぼれ落ちて、もはやどんな表情をしているのかもわからない。放っておいたら、そのままくにゃくにゃと崩れ落ちてしまいそうである。

 そんな娘の姿を見ながら、ミーア・レイ母さんは「そうかい」と微笑んだ。


「それなら、あんたがこの御方を受け入れることもありうるってことで、色々とややこしい話をしなくっちゃならないだろうね。……森辺の民が、余所者を伴侶として迎えることは許されるのか、そこんところはどうなってるんだろうね、家長?」


「……森辺の民が外の人間を伴侶として迎えたことは一度としてない。それは以前にも伝えたはずだな」


 ドンダ=ルウの底ごもる声音に、シュミラルは「はい」とうなずく。


「しかもこのヴィナは、族長筋たるルウの本家の長姉だ。そのヴィナが異国の民を伴侶として迎えるってのがどれほどの大ごとであるか、貴様にはわかっているのか?」


「正しく理解、できているか、わかりません。でも、正しく理解、したいと願っています」


 ドンダ=ルウは、くいいるようにシュミラルをねめつけている。

 それと相対するシュミラルは、自然体の無表情だ。

 俺はもう、尋常でないぐらい心臓が暴れてしまっていた。


「それじゃあ、色々と聞かせてもらおうかねえ。……あんたは、アスタみたいに森辺の家人になる覚悟ができているのかい、シュミラル?」


「はい」


「森を神として、森辺の集落に住み、森に魂を返すことができるのかい?」


「いえ」と初めてシュミラルが首を横に振った。


「森を神とする、覚悟できています。森辺の集落、住みたい、願っています。森に魂、返すべき、思っています。……ただし、私、商団の仕事、続けたい、願っています」


「うん。ヴィナたちからも、そういう風に聞いてたんだよね。そこのところを、もうちょっと詳しく聞かせてもらえるかい?」


「はい。《銀の壺》、西の王国、巡ります。その期間、半年です。それ以外、故郷で暮らします。その故郷、森辺の集落にしたい、思っています」


 これには、補足が必要であった。

 なおかつ、シュミラルは西の言葉があまり流暢ではなかったため、数字に強い俺が話をまとめることになった。


「えーとですね、《銀の壺》は本来、1年をかけて西の王国を巡り、半年間を故郷で休んで、また旅に出る、という生活に身を置いているのです。でも、シュミラルが森辺の民に婿入りできた場合は、他の団員がシムとジェノスを往復する間も、森辺で過ごすことができるようになるわけですね」


 シムとジェノスを行き来するには、片道で2ヶ月近くもかかってしまう。往復ならば、4ヶ月だ。で、西の王国を巡る1年間の中には、その4ヶ月間も含まれているのである。


 なおかつ《銀の壺》は、このジェノスでも長きの時間を過ごしている。シムから来訪した際に1ヶ月、西の王国を半年かけて行商したのちに、また1ヶ月。合計2ヶ月を、このジェノスで過ごすのだ。ならば、この2ヶ月も1年の中から差し引くことができるので、シュミラルがジェノスを離れるのは半年で済む、ということである。


 いっぽうラダジッドたちはこれまで通りのスケジュールで動くので、ジェノスでの商売が終わればシムに帰ることになる、それでシュミラルとはいったん離別して、2ヶ月をかけて故郷に帰り、半年を休んで、また2ヶ月をかけてジェノスまで出てきて、シュミラルと合流する、という形になる。


 要約すると、ラダジッドたちの「1年をかけて行商して、半年を故郷で過ごす」という生活スタイルに対して、シュミラルは「半年をかけて行商して、1年を森辺の集落で過ごす」という生活スタイルに落ち着くわけだ。


「なるほどねえ。それじゃあ、自分の生きる時間の3分の1を、森辺の外で過ごすことになるってわけだ」


「はい」


「うーん、そんなに長い時間を外で暮らす人間を、森辺の同胞と認めていいもんかねえ」


 穏やかに微笑みつつ、ミーア・レイ母さんはそのように述べた。

 シュミラルは、変わらぬ姿勢と変わらぬ表情で「はい」とうなすく。


「認められるよう、力を尽くす、考えています。半年、故郷、離れる分、懸命に生きたい、思っています」


「懸命にっていうのは、どういう形でなのかねえ。森辺の男衆は、みんな狩人として働いているんだよ? さっきのリャダ=ルウみたいに怪我を負った人間や、アスタみたいに立派なかまど番を除けば、だけどさ」


「はい。私、商人ですので、努力の形、数字にすること、許していただきたい、思います」


「数字?」とミーア・レイ母さんが目を丸くする。

 シュミラルは、また「はい」とうなずいた。


「たとえば、森辺の狩人、1年と半年で、100頭のギバ、狩るとします。私、1年で、100頭のギバ、狩ることができれば、半年、森辺を離れること、許されるのではないでしょうか?」


 この言葉に、ドンダ=ルウの双眸がとてつもない勢いで燃えあがった。


「東の民よ、貴様は狩人なのか?」


「いえ、私、商人です」


「その貴様が、俺たちよりも強い力でギバを狩ってみせると、そのようにほざいているわけか?」


「はい」とシュミラルが応じたので、ドンダ=ルウはいよいよ凄まじく両目を燃やした。


「……東の民は、毒を扱うと聞いた覚えがある。しかし、ギバを狩るのに毒を使うことは許されていない」


「はい。毒草、使いません」


「それで、どのようにギバを狩る?」


「王都、その方法、見つけました。おそらく、有効、思います。実際、試さねば、わかりませんが」


 ドンダ=ルウが、いきなりにやりと口もとをねじ曲げた。

 難敵を前にしたときの、あの猛獣のごとき笑みである。


「面白い……それがどのような手管であるのか、俺たちに見せてみろ。後の話は、それからだ」


「はい」とシュミラルは立ち上がった。


「ギバ、狩るための手段、荷車、積んでいます。お目にかけるため、運んできました」


「そいつは準備のいいことだな」


 ドンダ=ルウも、のそりと身を起こす。

 それで俺たちは、再び屋外に向かうことになった。

 荷車は家の裏手に保管されているので、全員でそちらに向かう。

 すると、屋外のかまどでポイタンを煮詰めていたリミ=ルウが「あれー?」と大きな声をあげた。


「もうお話は終わったの? ずいぶん早かったね」


「いや、ちょっと荷車に用事があってね」


 ドンダ=ルウが無言であったので、俺が代わりに答えてみせた。

 その間に、シュミラルはもう荷車にまで到着している。2頭引きなのでとても巨大な、2台の荷台が連結された荷車だ。四角い箱型なので、何を搭載しているのか外からはわからない。


 その荷車の後ろ側の荷台へと、シュミラルは手をかけていた。

 その黒い指先が、無造作に木製の戸を引き開ける。


「これが、ギバを狩る、手段です」


 ドンダ=ルウが、真っ先にその中身を覗き込んだ。

 その横顔が、激しい驚きの表情を浮かべる。


「おい、これは――?」


「王都、見つけました。私、ギバを狩る、力です」


 ミーア・レイ母さんも驚きの声をあげ、自閉モードのヴィナ=ルウさえもが口もとを押さえていた。

 俺も急いでそちらに駆け寄り、みんなの隙間から荷台の中を覗き込む。

 で、俺も心から驚愕することになった。


「うわー、何これ! どうしたの!?」


 と、俺の後ろにひっついてきていたリミ=ルウは、歓喜の声をほとばしらせる。

 そこにひっそりとうずくまっていたのは、いずれも立派な体躯と茶色い毛皮を持つ、6頭ばかりの猟犬であったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 猟犬か!鉄砲くらいしか想像出来なかったぞ 犬の星とかも伏線だったのか [気になる点] 自閉というワードはなにか別の表現にできないものだろうか…! 今まで夢中で読んできて、作者さんがすごくそ…
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