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異世界料理道  作者: EDA
第二十四章 金の月
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金の月の14日~今は異なる道なれど~

2016.12/18 更新分 1/1

・今回の更新はここまでとなります。2017年の新年から更新再開をする予定ですので、少々お待ちください。

・また、本日から「アムスホルン大陸記」という新しい作品の掲載を開始いたしました。異世界料理道と同じく西の王国セルヴァを舞台にした物語ですので、ご興味を持たれた方はそちらもお楽しみいただければ幸いです。

 その後の2日間は、何事もなく過ぎ去っていった――と評してもいいのだろうか。

 とりあえず、大きな波乱やアクシデントに見舞われることはなかった。マイムの商売も順調で、ミケルはじょじょに回復に向かい、彼らをルウ家に逗留させることを他の族長や貴族たちに反対されることもなかった。


 ただし、余所の町の出であったバルシャたちと、トゥランの住人であるミケルたちでは、いくぶん扱いが変わってくるらしい。ジェノスの領内で住居を移すのには、それ相応の手続きが必要であるそうなのだ。


 なおかつ、森辺の集落というのはジェノスにおいても異質の空間であった。何が一番異質であるかというと、それはやっぱり「税」というものが存在しないことなのだろうと思う。


 たとえば、トゥランからダレイムに移り住むという話であれば、税を納める相手が変わってくる。よって、俺の世界で言う戸籍を移す必要が出てくるのだ。

 そうして、どの家が空き家になり、どの家に新しい住人が住まうことになるか、ということも、きっちり通達しなくてはいけなくなる。納税を管理するのに、それは当然の話であっただろう。空き家などはその地の領主の管理下に置かれ、何者かが勝手に住みつくことも決して許されないのだ。


 で、森辺の集落である。

 これまでは、森辺の民ならぬ人間が森辺の集落に居着くことなどありえなかった。ゆえに、その辺りの取り決めもまったく整備されていなかったのだ。


 ちなみに俺やバルシャたちなどは、公的には「客人」という扱いにされていた。

 宿場町に旅人が逗留するように、俺たちも森辺の集落に一時的に逗留している、という体裁なのである。バルシャたちはまだしも、いちおう森辺では家人と認められた俺でさえ、お役所的にはそういう扱いであるのだった。


 まあ俺などは、海の外からやってきたとされている正体不明の異国人であったのだから、ジェノスの貴族たちもさんざん思い悩んだ末に、行動の自由を許してくれたのだろう。公的には客人扱いでも、俺が森辺の民を名乗ることを禁じられるような事態には至らなかった。


 そういった経緯を踏まえての、ミケルたちである。

 ミケルは事態が複雑化することを避け、自分たちもバルシャと同じように客人の身である、というスタンスを取っていた。

 今でもあくまでトゥランの住人であるが、諸事情によって森辺の集落に身を寄せている。これまで通り、税はトゥランに納め続ける。そういう立場を保持することで、何の面倒もなく森辺の集落に住まうことを許されたのだった。


 それはそれで、何の問題もありはしなかった。

 ただ俺が気になったのは、いずれジェノスに帰還してくるであろうシュミラルの去就であった。


 シュミラルは、ヴィナ=ルウに婿入りすることを願っているのだ。

 その縁談がうまくまとまったとしたら、またジェノスの貴族とはあれこれ話を詰める必要が出てくるのだろう。俺の存在はサイクレウス事件の混乱にまぎれてなしくずし的に許されることになっていたが、シュミラルはそういった立場でもなく、ただ純然に森辺の民の一員になることを望んでいるのである。


 外部の人間が森辺の集落に永住したいと願い出てきたとき、どのような法に則って、どのような判断をくだすのか。俺のときには有耶無耶で済ませてしまったその案件について、ジェノスの貴族たちは今度こそ正式な取り決めを為さなくてはならないはずだった。


 だけどそれは、避けては通れぬ道であったのだろうと思う。

 そもそも、外部の人間との婚姻が想定されていない現状のほうが、おかしな話であったのだ。


 同じジェノスの民でありながら、森辺の民だけは異質な環境に置かれている。その特異性が森辺の民の強靭さを育んだのだとしても、みんな森辺の中だけで暮らしているわけではないのだから、今後はそういった部分でも法や習わしを改正していく必要が出てくるのだろう。


 現在は免除されている税についてだって、いずれは支払うべきなのだろうと思う。というか、それでも飢えることのない豊かな生活を目指すべきなのではないかと、俺はそのように考えていた。


 しかしまあ、それらはいずれも将来の話である。

 税に関してはもちろん、シュミラルだってまだジェノスには戻ってきていないのだから、今から頭を悩ませても詮無きことであった。


 だからこの2日間は、大きな波乱もなく過ぎていったと評していいと思う。

 唯一、波乱があったとしたら――それはやっぱり、ラヴィッツの集落における手ほどきについてであるかもしれなかった。


              ◇


「今日が約束の3日目ですね。ちょっと慌ただしくなってしまいましたが、それでも何とか伝えたいことは伝えきれたと思います」


 ラヴィッツ本家のかまどの間において、俺はそのように宣言してみせた。

 デイ=ラヴィッツから申し渡された期限の、最終日である。本日も宿場町での営業終了後に1時間ていどの時間を使って、調理の手ほどきをしたのちのことであった。


 メンバーは、初日と同じ6名である。その代表者たるリリ=ラヴィッツは、相変わらずお地蔵様のような面持ちで軽く頭を下げてきた。


「どうも今日までお世話さまでした。明日からは、他の女衆にもこの技を伝えていきたく思います」


「はい。それでみなさんが美味なる料理というものに喜びを見出してくださったら、とても嬉しいです」


 しかし、彼女たちは3日が経ってもよそよそしいぐらいに礼儀正しく、自分たちの心情を覗かせようとはしなかった。

 さまざまな料理の試食をしてもらっても、「美味だと思います」という答えが返ってくるばかりで、他の氏族の女衆のように騒ぎたてることはなかったのだ。


 だけどやっぱり、それは意識的に感情を抑圧しているのだろうと思われた。

 特に唯一の年少者であるヴィンの女衆などは、試食をするたびに目を輝かせたり驚きの声を呑み込んだりしているのが、まざまざと伝わってきたのだった。


「それではわたしどもも、晩餐の準備に取りかかろうかと思います。どうぞお気をつけてお帰りください」


「ああ、もしよかったら、晩餐を作られる様子を見学していってもよろしいですか?」


 俺の申し出に、リリ=ラヴィッツはちょっとだけ首を傾げた。


「どうしてそのようなことを? 晩餐を作るのに、余所の家の人間の手を借りることは許されていないのですが……」


「手は出しません。口のほうも、なるべく控えようと思います。明日は宿場町の商売も休みで手が空いているので、デイ=ラヴィッツのお帰りを待たせていただこうかと思ったのですよ。それを待つ間、みなさんがどれだけの手際を身につけられたか、見学させていただけませんか?」


「はあ……」


 いぶかしみながらも、リリ=ラヴィッツは俺たちが居残ることを許してくれた。

 ヴィンとナハムの女衆は自分たちの家に戻らなくてはならないので、そちらには2名ずつのメンバーに同行してもらう。トゥール=ディンとラッツの女衆がヴィン家、ユン=スドラとダゴラの女衆がナハム家、俺とフェイ=ベイムがこのラヴィッツ家だ。


 リリ=ラヴィッツは、手ほどきに参加していたもう1名の女衆と、晩餐の支度に取りかかり始めた。これ以上のかまど番は増員されないらしい。


「ちなみに、今日はどのような献立にするご予定なのですか?」


「はい。家長には手ほどきの成果を見せるべしと言われておりますので、習い覚えた料理をひと通りお出ししようかと思います」


 とはいっても、使える食材はアリアとポイタン、それに岩塩とピコの葉と果実酒ぐらいのものである。ある意味、それだけ食材が限られていたからこそ、3日間という短い時間でも何とか手ほどきを終えることができたようなものであった。


 リリ=ラヴィッツは鉄鍋に水を張り、『ギバ・スープ』の作製に取りかかっていた。

 もうひとりの女衆は、ポイタンを煮込み始めている。日没までにはまだ2時間ぐらいは残されているので、まあ焼きポイタンを仕上げることも可能であろう。


 今のところ、余計な口出しをする必要は感じられない。

 ダイ家や他の氏族の女衆と同じように、彼女たちは勤勉であり実直であった。


(男衆のほうはなかなか手こずっている様子だけど、こっちはそういう面で苦労することはなかったよな)


 むろん、男衆も女衆も、いやいや手ほどきを受けているわけではない。嫌ならば手ほどきを断れば済む話であるのだから、それは自明のことだ。

 男衆に関しては、そもそもギバの捕獲量が少ないために、なかなか手ほどきが進まないのだろうなと察せられる。なおかつ、アイ=ファたちが狩りの仕事を手伝うことを許さないために、いっそう進行が滞っているのだ。


(あのデイ=ラヴィッツというのは、いったいどういう御仁なんだろう)


 俺が気にかかっているのは、その一点のみであった。

 ラヴィッツというのは親筋であり、彼はその本家の家長だ。ルウの一族の意向がドンダ=ルウの手にゆだねられているのと同じように、ラヴィッツとヴィンとナハムの意向は彼の思惑で大きく左右されているはずであった。


 リリ=ラヴィッツたちが感情をあらわそうとしないのも、デイ=ラヴィッツの意向なのだと思える。というか、血の縁を持たない相手とは一線を引く、という森辺の習わしを、彼らは忠実に守っているだけなのかもしれない。


(グラフ=ザザたちは一緒にサイクレウスを打倒した間柄だし、ベイムの家は、ガズやラッツが近所だから、それを通じて縁を結ぶことができた。まだ友と呼べるような間柄とは言えないけれど、それでもおたがいがどのような考えでいるか、ということぐらいは知ることができたんだ)


 しかし、ラヴィッツの人々とはこれが初顔合わせだ。

 正確には、家長会議でデイ=ラヴィッツとはニアミスしているはずであるが、個人的に口をきいた覚えはない。彼は個性的な風貌をしていたので、接点があればそれを忘れたりはしないはずだ。


 そうして彼らは、ファの家の行いに反対している氏族なのである。

 その事実が、この3日間で俺にもしっかりと体感できたようだった。


 北の一族は、かなり排他的な気質を有しているように感じられた。ザザ、ドム、ジーンの3氏族だけで、森辺の北の端に集落を作り、自分たちの習わしを重んじてきた一族であるのだ。俺はこれでひと通りの氏族と縁を結んだように思うのだが、北の一族の他にギバの頭骨や頭つきの毛皮をかぶっている人間を目にしたことはなかった。


 また、北の一族はとりわけ勇猛な気質でもある。それゆえに、町の人間と交流を深めることが森辺の民の堕落に繋がるのではないかと強く感じられてしまうのだろうと思う。


 そしてベイムの一族は、町の人間に小さからぬ恨みを持つ氏族であった。

 町の無法者に家人を害されたあげく、その復讐を果たしたかつての眷族の家長が、罪人として裁かれることになってしまったのだ。


 彼らはそういう理由や事情などから、宿場町での商売や町の人々との交流に否定的な見解なのである。


 では、ラヴィッツの家長はどういうスタンスで、ファの家の行いに反対しているのか。

 今さらながらに俺が気にかけているのは、その点であった。


(昨日はあっちの帰りが遅くて顔をあわせることができなかったから、今日はぎりぎりまで粘って、デイ=ラヴィッツが戻ってくるのを待ってみよう。この機会を逃したら、家長会議まで言葉を交わす機会もなくなってしまうかもしれないからな)


 俺は、そのように考えていた。


(今日が金の月の14日だから、家長会議までは残りちょうど半年か。その半年間で、俺たちはデイ=ラヴィッツやグラフ=ザザやベイムの家長たちを納得させるだけの成果をあげなくちゃならないんだ)


 正直に言って、多数決の勝負であれば、もう結果は出ているように思えるのである。

 中立の立場であるサウティ家が反対の側に回らない限り、森辺の民の過半数は、ファの家の行いに賛同してくれているはずであった。


 しかしそれは、過半数ではあっても圧倒的多数なわけではない。37ある氏族の内、ザザは7氏族、ベイムは2氏族、ラヴィッツは3氏族を束ねているのだから、いまだに12の氏族が反対の立場であるのだ。


 氏族によって人数は異なるので正確な数はわからないが、それでも37の内の12氏族であれば、それは3分の1近くにも及んでしまう。

 かなうことならば、俺はすべての人々と手を取り合って、道を進んでいきたかった。


 新しい道に足を踏み出せば、新しい苦難が立ちはだかっているに決まっている。飢えで苦しむことのない生活と引き換えに、そういう新しい苦難が立ちはだかるならば、みんなで手を取り合って乗り越えたい。俺はそのように、強く思っていた。


「……あなたは不思議な方ですね、アスタ」


 と、ふいにリリ=ラヴィッツが、ぽつりとつぶやいた。


「あなたは異国の民であるのに、どうしてそのように森辺の民と関わろうとするのでしょう?」


「それは、森辺の民に強い魅力を感じるからです。俺は町で育った人間ですが、森辺の民に同胞と認められたいと強く願っているのですよ」


「ですが、あなたはすでにファの家人となり、族長たちにもそれを認められています。それでもあなたは町の人間のようにふるまい、森辺の民の生活を変えようと力を尽くしているのでしょう? ならばそれは、森辺の民の行いが間違ったものである、と思っていることになりませんか?」


 お地蔵様のように静かな面持ちのまま、リリ=ラヴィッツはそのように述べたてた。


「ある意味では、そうなのかもしれませんね。俺は、かつてのスン家があのような運命に見舞われたのは、町の人々や貴族たちとの関わり方に問題があったからなのだと考えています。だからこそ、ジェノスの人々と正しい縁を紡いでいくべきだと思ったのですよ。……そして、アイ=ファやドンダ=ルウたちは、それに共感したからこそ、俺の行いを許してくれているのだろうと思っています」


「…………」


「もしも俺がジェノスの町の人間であったなら、町の人間の立場から、森辺の民とは正しい縁を紡ぐべきだと考えたかもしれません。何にせよ、俺が一番に望んでいるのは、人と人とが正しい縁で結ばれることなのだろうと思います」


 リリ=ラヴィッツは押し黙り、ひたすらアリアを刻み続けた。

 もうひとりの女衆やフェイ=ベイムも、口を開こうとはしない。


 そうして時間は刻々と過ぎていき、料理の下準備があらかた終了した頃、人の気配が近づいてきた。

 狩人たちが、森から帰ってきたのだ。

 かまどの間の戸が引き開けられ、見覚えのある禿頭がにゅっと突き出されてきた。


「やはり、まだ居座っていたのだな。トトスがいたのでそうなのだろうとは思っていたが」


「お疲れさまです。今日の成果はいかがでしたか?」


「ふん。血抜きとやらには、おそらく成功した。ギバは分家に運ばせて、そちらで皮を剥いでいる最中だ」


 すると、フェイ=ベイムが俺の隣に進み出てきた。


「アスタ、それではわたしが臓物の処置の仕方を手ほどきしてきましょう。今からでも、ひと通りは教えることができるでしょうから」


「あ、それなら、俺も――」


「アスタはそろそろ家に戻らねば、晩餐の支度に間に合わなくなってしまうでしょう? どうぞお先にお帰りください。わたしはスンの集落から戻ってくる荷車にでも乗せていただきます」


 スンの担当はスドラであり、あちらは4名の狩人しかいないので、確かに同乗は可能なはずだ。

 そして俺のほうは、今夜の晩餐が遅くなることはもうアイ=ファにも通達済みであるが、うかうかしていると帰宅途中に日没を迎えそうなぐらいの時間になってしまっていた。


「わかりました。それでは、フェイ=ベイムが置いていかれてしまわないように、ユン=スドラにお願いしておきましょう。彼女に道で待っていてもらって、スドラの荷車が通りかかったら引き止めてもらえばいいと思います」


「はい。それでは、ユン=スドラ以外はこちらに戻るよう、みなにも声をかけておきます」


 フェイ=ベイムはデイ=ラヴィッツのかたわらをすり抜けて、かまどの間を出ていった。

 それを横目で見送ってから、デイ=ラヴィッツはずかずかとかまどの間に踏み入ってくる。


「ふむ。ずいぶんとさまざまな食事を準備したものだな」


「はい。お言葉の通り、アスタから習い覚えたものをすべて準備いたしました」


 リリ=ラヴィッツが、うやうやしくも見える仕草で頭を下げる。

 すでに完成が近いのは、『ギバ・スープ』と焼きポイタン、それに果実酒の煮込み料理の三品であった。

 さらには『ギバ・ステーキ』と『肉団子』、バラ肉とアリアの炒め物の下準備も完了している。これがこの3日間でラヴィッツの人々に伝えられた献立のすべてであった。


「ご苦労だったな。かまど番の手ほどきは、これで終了だ。家に仕事があるならば、お前もとっとと帰るがいい」


 そのように言い捨てて、デイ=ラヴィッツはさっさと外に出ていってしまう。

 俺はリリ=ラヴィッツらに別れの挨拶をしてから、その後を追いかけた。


「お待ちください、デイ=ラヴィッツ――あ、アイ=ファ、お疲れさま」


「うむ」


 デイ=ラヴィッツの正面に、アイ=ファが立ちはだかっていた。

 バードゥ=フォウは、フェイ=ベイムに同行してくれたのだろうか。他に人影はない。


「デイ=ラヴィッツ、俺はこれで失礼いたします。ただその前に、少しだけお話をさせていただけませんか?」


「話? いったい何の話があるというのだ?」


「ラヴィッツは、どうしてファの行いに反対しているのか、その理由をお聞かせ願いたいのです」


 デイ=ラヴィッツが話しやすいように、俺はアイ=ファのかたわらにまで歩を進めた。

 デイ=ラヴィッツは、毛のない眉の下でいぶかしそうに目を細めている。


「そのような話を、わざわざ口にする意味があるか?」


「はい。ザザやベイムの家長のお考えは、多少なりとも知ることができたので、できればラヴィッツの家長たるあなたのお気持ちも聞かせてほしいのです」


「物好きな人間だな。まあ、そうでなければわざわざこのような場所にまで足を運ぶこともないのだろうが」


 デイ=ラヴィッツは腕を組み、底光りする目で俺とアイ=ファの姿を見比べてきた。


「まあ、聞きたいのであれば聞かせてやろう。俺は自分の心情を偽る気も隠す気もない」


「はい、ありがとうございま――」


「俺は、お前たちが気に食わぬのだ」


 俺の言葉をさえぎって、デイ=ラヴィッツはごくあっさりと言ってのけた。


「き、気に食わない、ですか?」


「うむ。俺はお前たちを嫌っている。好かれているとでも思ったか?」


 しかしそれでも、やっぱりデイ=ラヴィッツの様子から悪意や敵意などはいっさい感じられなかった。

 アイ=ファも、とても静かな面持ちでデイ=ラヴィッツの言葉を聞いている。


「女衆の仕事も果たさない女狩人に、男衆の仕事も果たさないかまど番で、おまけにその片割れは森辺の民ならぬ異国人だ。異国人が森辺の民を名乗ることも、それを家人として認めてしまう浅はかな人間も、俺はどちらも大いに気に食わん。つきつめれば、それだけの話だな」


「そ、そうですか。それはまあ確かに、森辺の民としてはごく普通の心情なのでしょうが――」


「当たり前だ。俺はそのように思わないフォウやルウの者たちこそ、頭がどうかしているのだと思っている。ましてや、そんな異国人の考えを受け入れて習わしから背くことなど、どうして許されるのであろうな」


 まったく気負う様子もなく、デイ=ラヴィッツはそのように述べたてた。


「だから、お前たちがラヴィッツの家に出入りすることも気に食わん。今日で手ほどきが終わるならば、せいせいする。お前もいい加減に仕事を切り上げたらどうだ、ファの家長よ?」


「そうはいかんな。お前たちの手際はまだまだ危なっかしい。どうせ休息の期間もあと数日であるのだから、最後までこのラヴィッツの家に通わせてもらおう」


 アイ=ファもまた、普段通りの威厳にあふれた口調でそのように応じていた。


「それに、面と向かって気に食わんと言われて、ようやく得心がいったように思う。そのような心情で、よく文句も言わずに私の言葉に従っていたものだな」


「ものを教わるのに、そんな礼を失した真似ができるか。美味い食事のためならば、自分の気持ちを殺す他あるまい」


「では、そうまでして、お前は美味なる食事を口にしたかったのだな」


「当たり前だ。そうでなくては、お前たちなど家に招くものか。眷族たるナハムとヴィンの家長たちも、美味なる食事というものには心をひかれてしまっていたしな」


 アイ=ファは、わずかに目を細めた。

 しかしそれは、決して不機嫌なときの目の細め方ではなかった。


「お前は、愉快な男衆だな。お前は私を嫌っていても、私はお前を好ましく思う。家が近在でないことが惜しいほどだ」


「馬鹿を抜かすな。俺は愛する嫁を持つ身だ」


「お前のほうこそ、馬鹿を抜かすな。狩人の私がそのような意味で好いたなどと口にするものか」


 そのように言って、アイ=ファは小さく肩をすくめた。


「ともあれ、話をしたいと願い出たのはアスタであったな。そろそろ日没も近いので、早々に片付けるがいい」


「うん、それじゃあ、できるだけ手短に」


 紫色に染まりつつある空の下、俺はデイ=ラヴィッツの姿を正面から見つめ返した。


「デイ=ラヴィッツ。ラヴィッツの家からも、ベイムの家のように女衆を貸していただくことはできませんか?」


 デイ=ラヴィッツは、変わらぬ表情で俺をねめつけたまま、「何だと?」と応じてきた。


「それはまたずいぶんと素っ頓狂な申し出だな。お前は俺の話を聞いていなかったのか? どうして大事な家人をお前のように胡散臭い人間に預けなくてはならないのだ」


「それはおたがいに理解を深めるためです。ファの家の行いが間違っているかどうか、その目でしっかりと見定めていただきたく思っているのです」


「必要ない。俺の気持ちは、すでに定まっている」


 言葉だけを聞いていると、取りなしようもないぐらい拒絶されているように感じられてしまう。

 しかしその飄然としたたたずまいに、俺はわずかな希望を見出していた。


「デイ=ラヴィッツ、ドンダ=ルウや他の家長たちだって、無条件で俺の存在を受け入れてくれたわけではないのです。特にドンダ=ルウなどは、俺の存在を毒と言いきり、なかなか認めてくれようとはしませんでした。宿場町の商売に手を貸す際も、俺が森辺の民の信頼を裏切ったら右腕をよこせと言うほどでありました」


「ふん。一族を束ねる家長としては、当然のことだな」


「はい。そうしてファの家とルウの家は、長きの時間をかけて信頼関係を構築させることができたのです。俺はラヴィッツの家とも、そういう関係を築きあげたいと願っています」


「だから、俺の気持ちはすでに定まっていると――」


「でもあなたは、俺のこともアイ=ファのこともほとんど知らないではないですか?」


 相手のお株を奪って、俺はデイ=ラヴィッツの言葉をさえぎってみせた。

 デイ=ラヴィッツは、ひょっとこのように顔を歪めて俺の顔をにらみつけてくる。


「それにあなたは、ドンダ=ルウやバードゥ=フォウの気も知れない、と仰っていました。俺にとっては、彼らもかけがえのない存在です。どうして彼らが俺のように胡散臭い人間を受け入れてくれたか、それも正しく知ってほしいと思うのです」


「ふん。自分が胡散臭い人間であるという自覚はあるのか」


「もちろんです。俺以上にそれを強く実感している人間は他にいないでしょう」


 それはまぎれもない本心である。

 だからこそ、俺は俺のような存在を受け入れてくれた人々に強く感謝しているのだ。


「俺のことが嫌いなら嫌いで、きちんと性根の底まで見てほしいのです。上っ面だけではなく、俺という人間を内面まで確認した上で、嫌っていただけませんか? それならば、俺も文句はありません」


「しつこいやつだな。異国人である上に、狩人としての仕事を果たさない男衆など、俺が認めることはないぞ」


「それを言うなら、北の一族がお前たちをまともな狩人と認めることもないだろうな」


 と、ふいにアイ=ファが口をはさんできた。


「お前たちは、何よりも自分らの生命を重んじている。それゆえに、他の氏族よりも収穫が少ないのだろう。勇猛なる北の一族であれば、それは惰弱なる行いと感じられるはずだ」


「ふん。ラヴィッツの行いを決めるのは家長たる俺の仕事だ。族長筋とはいえ、そこに口出しはさせん」


「わかっている。私自身は、それが間違った行いだとは思っていない。狩人は、一日でも長く生きのびて、一日でも長く仕事を果たし続けるべきだろうと思うしな」


 アイ=ファは威厳を保ちつつ、それでもやっぱり目もとだけで微笑んでいるように感じられた。


「私自身、家人がないころは危険をかえりみずにギバ狩りの仕事を果たしていた。今よりも『贄狩り』を頻繁に行っていたし、それで森に朽ちるなら本望だとさえ思っていた。……それはやっぱり、家に待つ家人を持たないゆえの無謀さであったのだろうと思う」


「愚かなことだ。そのように若い身で死んでしまったら、何のために生まれてきたかもわからんだろうに。……望まずとも若くして魂を召される人間は多いのだから、そうでない人間は少しでも長く生きられるように力を尽くすべきなのだ」


「うむ。お前がそのように考えていることが、ここ数日でようやくわかってきた。だから私は、お前を嫌いにはなれぬのだ。……そしてこれは、数日に渡ってともに森に入っていたからこそ、感じ取れたことなのだろうと思う」


「…………」


「正直に言って、最初のころはお前のことを疎ましいと思っていた。ギバ狩りの仕事に不熱心であるように思えたし、頑迷で狭量な人間であるようにも感じられた。そうでないと思えるようになったのは、やはり長きの時間をともに過ごせたからだ。その機会を、このアスタにも与えてはもらえないだろうか? ファの家長として、私からもそれをお前に願い入れたい」


 デイ=ラヴィッツは溜息をつきながら、つるつるの禿頭を撫でさすった。


「面倒だ。こんなことなら、お前たちを家に招くべきではなかった」


「食い意地に負けたのはお前なのだから、今さらそれを悔いても詮無きことであろうな。そして、そういう面倒に弱いのはお前の欠点なのであろうと思う。だからあのように、お前は仕事が雑なのだ」


「人の家で、ずいぶん好き勝手を言ってくれるな」


「好き勝手を言っているのは、おたがいさまだ」


 たぶんアイ=ファは、好意や善意を向けてくる相手よりも、そうでない相手と言葉を交わすほうが得意なのだろう。普段よりも弁舌がなめらかであるようにすら感じられる。


「デイ=ラヴィッツ、どうかご一考くださいませんか? あなたが血の縁を重んじているのは理解しているつもりです。でも俺は、その習わしを重んじた上で、血の縁を持たない氏族同士でももっとしっかり縁を結ぶべきだと考えています。そうすれば、森辺の民は今よりも強い力を持つことができるのではないでしょうか?」


「だから、森の子ですらないお前にそんな賢しげなことを言われても――」


「アスタは、森辺の民だ。私が家人と認めたし、族長たちからもそれをとがめられることはなかった。その一点において、私は譲らぬぞ」


 いくぶん強い口調で言ってから、アイ=ファはふっと表情をやわらげる。


「デイ=ラヴィッツよ、人間とは、魂の有り様によって存在を定められるべきではないだろうか? たとえ森辺に生まれついても、かつてのザッツ=スンのように道を踏み外してしまったら森は許さぬだろうし、たとえ異国の生まれであろうとも、森辺の行く末を何よりも重んじていれば、大事な同胞たりうると思うのだ」


「ふん。その異国人たるアスタという人間が、森辺の民に相応しい魂を持っている、と?」


「持っている。この言葉に偽りがあったなら、私は今すぐにでも母なる森に魂を返そう」


 デイ=ラヴィッツはもう一度溜息をつき、今度は黄昏れる空を仰いだ。


「……ああ、心底から面倒だ」


「面倒がるな。数十人の家人を束ねる家長として、正しき道を選べ」


 デイ=ラヴィッツは首を振り、少しふてくされたような目つきで俺たちを見比べてきた。


「このように大事なことを、俺ひとりで決めることはできん。明日にでも、ナハムとヴィンの家長らと話し合う。だから今日は、もう帰れ」


「本当ですか? ありがとうございます!」


「勘違いをするな。話し合うのは、女衆を貸すかどうかだ。どのように言葉を重ねようとも、俺は女狩人や男衆のかまど番などは好きになれん」


 そうしてデイ=ラヴィッツはきびすを返し、別れの挨拶もなく家のほうに歩み去ってしまった。

 俺はアイ=ファと目を見交わしてから、木に繋がれているギルルたちのほうに足を踏み出す。


「まったく、おかしな男衆であったな。森辺の民で、あのようにつかみどころのない人間は初めて見た気がする」


「確かにな。でも俺も、あの人は何となく嫌いになれないよ。だから余計に、自分のことやファの家の行いについて、もっときっちり知ってほしいと思うんだ」


 そのように答えてから、俺はあらためてアイ=ファの横顔を見つめた。


「えーと、アイ=ファ、ありがとうな?」


「うむ? 何の話だ?」


「いや、俺が森辺の民に相応しい人間だって、魂までかけて誓ってくれたじゃないか」


 するとアイ=ファは、いくぶん機嫌を損ねてしまった目つきで俺をにらみつけてきた。


「そのような礼の言葉が必要な話か? 私は当たり前のことを口にしたにすぎん」


「わかってるけどさ、あらためて言葉にされると嬉しいものじゃないか。そんなに怒らないでくれよ」


「……別に怒ってなどはいない」


「それなら、すねないでくれ」


「すねてもおらん! 難癖をつけるな!」


 そうしてアイ=ファは唇をとがらせかけたが、途中で思いなおしたようにそれを引っ込めた。


「何にせよ、デイ=ラヴィッツが我らの行いに反対していることは変わらん。今後もいっそう力を尽くして、すべての民の賛同が得られるように邁進するべきなのであろう」


「ああ、俺もそう思うよ」


 やはりアイ=ファも、多数決の勝負で勝てばよし、などとは考えていないのだ。

 残り半年で、俺たちはどれだけ明るい行く末を同胞に示すことができるのか。今後もたゆまず、力を振り絞るしかなかった。


(そして、シュミラルも――)


 シュミラルもまた、自分の思いを遂げるつもりであるならば、森辺の民に認められなければならないのだ。

 それがどれほど難しいことであるか、俺は今さらながらに思い知らされた心地であった。


(だけどシュミラルなら、きっと大丈夫なはずだ。シュミラルは俺なんかよりよっぽどしっかりしてるんだし、この世界の道理もわきまえているはずなんだから)


 だから早く、元気な姿をみんなの前に見せてほしい。

 そのように考えながらギルルの腹帯に荷台の器具をセットしていると、アイ=ファがずいっと顔を近づけてきた。


「アスタ、何をそのように不安げな顔をしているのだ?」


「え? いや、別に。……ただ、シュミラルの帰りが遅いから心配してただけさ」


「シュミラルとは、あの東の民か。あやつはミケルらと違って身を守る力があるという話であったのだから、心配はあるまい」


 そう言って、アイ=ファは少しすねたような目つきをした。


「……そのようなことで、道に迷った幼子のような顔をするな。こちらのほうこそ心配になってしまうであろうが」


「ああ、ごめん。……アイ=ファは過保護だな」


 足を蹴られた。


「いや、違う。アイ=ファは優しいなって言おうとしたんだけど、照れくさいから別の言葉に置き換えたんだよ」


 さらに2度ほど足を蹴られた。

 そんなことをしている間に、広場のほうからトゥール=ディンたちが戻ってくる。

 彼女たちがこちらに到着する前に、俺は早口でアイ=ファに囁きかけた。


「……明日はアイ=ファたちも手ほどきの仕事を休むんだよな?」


「うむ。手ほどきができる期間も残りわずかだが、休むべきときには休むべきであろう」


 その言葉に、俺は安堵の息をついた。


「明日は宿場町の商売も休業日だから、今度こそ朝から晩まで全員が休めるな。まあ、夕方にはちょろっと明後日の下準備を手伝ってもらうことになっちゃうけど」


「うむ」


「……ひさしぶりにアイ=ファとのんびり過ごすことができて、俺は嬉しいよ」


 また足を蹴られるかな、と思ったが、俺はそんな胸中の思いを口にせずにはいられなかった。

 しかしアイ=ファは、予想以上に穏やかな視線を俺のほうに向けてきて、「うむ」とうなずくばかりであった。


 そうしていよいよ日は暮れなずみ、休息の期間も残りはわずか数日と相成ったのだった。

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