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異世界料理道  作者: EDA
第二十四章 金の月
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金の月の12日②~ラヴィッツの集落~

2016.12/17 更新分 1/1

 そうして俺たちは、ラヴィッツの集落を目指していた。

 ファの家からは、徒歩で2時間、荷車で40分ほど北上した場所だ。このまま北上していけば、その先に待ち受けているのはスンの集落であるはずだった。それより北には、もはやザザの眷族の家しか存在しないらしい。


「この一帯に、ラヴィッツ、ナハム、ヴィンの家があるのですね。それらの氏族を飛び越して、スンはディンやリッドと血の縁をかわしたわけですか」


 アイ=ファから教えられていた横道の数を数えつつ、ペースを落として荷車を進ませていると、フェイ=ベイムがそのように呼びかけてきた。


「ええ。スン家が族長筋であった頃は、一番苦しめられていたという話です。だから、ファの家の行いに賛同しなかったのも、スン家を恐れてのことかと思ったのですが、いまだに考えを変えないということは、それだけが原因ではなかったようですね」


「わたしたちベイムも同じ立場ではありますが、ラヴィッツとは家が離れているためにまったく交流がないのです。どういう理由でファの家の行いに反対しているのか、少し興味深く思っています」


 それは俺も同じ気持ちである。

 ファの家の行いに反対しているのは、大きく分けて3つの氏族である。それがすなわち、ザザ、ベイム、ラヴィッツであった。残りの氏族は、その3つを親筋とする眷族たちであるのだ。


 ザザやベイムとは少しずつ縁を重ねてきて、血抜きや調理の手ほどきをすることもかなった。宿場町における商売や町の人々との交流には否定的な見解を持つザザとベイムも、美味なる食事というものに関しては受け入れてくれるようになったのだ。


 そしてラヴィッツも、現在はアイ=ファとフォウの人々に血抜きと解体の手ほどきを受けており、俺たちかまど番の来訪も受け入れてくれた。

 この場でラヴィッツの人々とどのような縁を紡げるのか、俺にとってもこれは大きな仕事であった。


「ああ、ここがおそらくラヴィッツの集落ですね」


 俺は荷車を停止させ、御者台から地面に降り立った。

 5名の女衆も、荷台から降りてくる。本日のメンバーは、トゥール=ディンとユン=スドラ、フェイ=ベイム、ガズの女衆、ラッツの女衆という顔ぶれであった。


 南北に走る太い一本道から、東側の小道へと荷車を乗り入れる。いくばくも進むことなく、眼前には大きな広場が現れた。

 親筋たる氏族の集落では、たいていこのように広場が切り開かれているのである。祝宴においては眷族を招くことになるので、どの氏族でもこういう場所が必要となるのだろう。


 それにしても、その広場はなかなかの規模であるようだった。

 フォウ家よりはうんと大きく、ほとんどルウ家に匹敵するぐらいかもしれない。その広場を取り囲む家の数も、7つぐらいはありそうであった。


「ずいぶん立派な集落ですね。ラヴィッツというのは、そんなに大きな氏族であったのですか?」


 ユン=スドラが声をひそめて問うてきたので、俺は「いや」と首を振ってみせた。


「家人の数は、ラッツより少ないと聞いているよ。まあ、ラッツはここ1年でふたつの眷族を家人として迎えているから、それこそルウ家なみの大所帯であるみたいだけど」


「そういえば、あまり人の気配は感じませんね。半分ぐらいは空き家なのかもしれません」


 それに、どの家もぴったりと扉が閉められて、働く人々の姿を垣間見ることもできなかった。

 まあ、広場の側ではなく家の裏手で働いているだけなのかもしれないが、しかし、幼子のひとりも駆け回っていないというのは、否応なく家長会議におけるスン家の様子を連想させてくれた。


「とりあえず、一番大きな家に向かってみましょう」


 ギルルの手綱を引きながら、俺は広場を横断した。

 そうして辿り着いた家の前で手綱をトゥール=ディンに託し、戸板をノックしてみる。


「どなたか、おられますか? ファの家のアスタと、ディン、スドラ、ベイム、ガズ、ラッツの女衆です」


 しばらくは何の反応もなかった。

 それから、ごとりと閂の外される音が響きわたる。


「ようこそ、ラヴィッツの家へ……わたしは家長の嫁で、リリ=ラヴィッツと申します」


 姿を現したのは、とても小柄な壮年の女衆であった。

 身長はずいぶん小さいが、しかしころころとした体型をしており、顔立ちは柔和である。褐色の髪は頭の上でひっつめており、目尻は下がり気味でジザ=ルウのように細い。印象としては、ちょっとぽっちゃりとしたお地蔵様のような感じであった。


「始めまして。ファの家のアスタと申します。本日おうかがいすることはファとフォウの家長たちから告げられていると思うのですが、問題はなかったでしょうか?」


「ええ。女衆はすでにかまどの間に集まっております。本日はご足労さまでありました」


 そのように述べながら、リリ=ラヴィッツは後ろ手で戸板を閉めた。

 とたんに、ごとりと閂の掛けられる音がする。


「幼子たちが怯えると可哀想なので、みんなこの本家に集められているのです。……それでは、こちらにどうぞ」


 リリ=ラヴィッツは、ちょこちょことした足取りで家の裏手へと歩き始めた。

 とても温厚そうな人物であるし、敵意などはまったく感じられない。

 ただ、ジザ=ルウと同じような目つきをしているためか、俺にはなかなかその心情までを正しく読み取ることはできなかった。


「こちらが、かまどの間です」


「ありがとうございます。あの、トトスはこの辺りの木に繋がせていただいてもかまいませんか?」


「ええ、どうぞ」


 その場には、アイ=ファたちが乗ってきたトトスと荷車も保管されていたのだ。

 俺はギルルを荷車から解放し、お仲間の隣に手綱を繋いでやった。


「あ、それとですね、俺は持参した自分の刀を使いたいのですが、それをかまどの間に持ち込ませていただいてもよろしいですか?」


「ええ、どうぞ」


 俺はダバッグで購入した革のケースを荷車から引っ張り出した。

 そうして、あらためてかまどの間に招かれる。


 かまどの間も、ルウ家に匹敵するぐらい立派なものであった。

 屋内に4つ、屋外に2つのかまどがあり、作業台の大きさにも申し分はない。鉄鍋や調理刀も、まあ不足のないていどには数がそろえられていた。


 そこに待ち受けていたのは、5名の女衆であった。

 4名は年配で、1名だけ若い。ただし、全員が既婚者の証である一枚布の装束を纏っている。


「さしあたって、ラヴィッツとナハムとヴィンから2名ずつの女衆を集めました。ただし、わたしを含めて本家の家長の嫁は全員顔をそろえています」


 その中で、一番年配に見える50歳ぐらいの女衆がナハムの家長の嫁、俺と同じぐらいの年齢に見える女衆がヴィンの家長の嫁である、とのことであった。


「まずは、俺たちの申し入れを受けていただき、ありがとうございます。これからの数日間、どうぞよろしくお願いいたします」


「その前に、ひとつ確認させていただいてよろしいでしょうか? これは、ファ、フォウ、ラン、スドラの4氏族が力をあわせて為していることなのですよね。ですがそちらには、スドラの女衆しか含まれていなかったようですが」


「あ、はい。彼女たちは、みんな宿場町での商売を手伝ってくれている女衆なのです。フォウやランは女手が不足気味で、家を離れることが難しいため、こういう際には彼女たちに協力をお願いしています」


「なるほど……」とリリ=ラヴィッツはお地蔵さまのような目で女衆の姿を見回した。


「ガズとラッツは、ファの家の行いに賛同しているのでしたね。でも、ベイムというのは反対しているはずでしたし、それに……ディンというのは族長筋たるザザの眷族ではありませんでしたか?」


「はい。ディンとリッドの男衆はこのたびの話に加わることが許されませんでしたが、わたしは以前からファの家の行いを見定めるために商売を手伝うことを許されていたので、このたびも特別に力を貸すことが許されたのです」


 トゥール=ディンが、意外にしっかりとした口調でそのように答えていた。

 その隣に、フェイ=ベイムもすっと進み出る。


「ベイムの人間たるわたしも、同じ立場です。宿場町で商売を行い、町の人間と交流を深めることが正しい行いなのか、それを見定めるためにファの家のアスタと行動をともにしています。あなたがたも、そういう気持ちでこのたびの話をお受けしたのではないですか?」


「どうでしょう。わたしたちは、家長の命でこの場に集まったに過ぎません」


 とても柔和な表情をたたえたまま、リリ=ラヴィッツはそのように申し述べた。


「今日の行いに関しても、正しいかどうかを判ずるのは家長たちです。それでよろしければ、料理の手ほどきというものをお願いいたします」


「承知いたしました。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 どうにもリリ=ラヴィッツたちの心情は読み取れなかったが、俺たちを拒絶するような気配はない。ちょっとよそよそしく感じられるのも、彼女たちが個人の感情よりも家の方針を重んじているゆえであるように思われた。


(森辺の民としては、それが普通の話なんだろうな。フェイ=ベイムなんて、最初はもっととげとげしいぐらいだったし)


 何にせよ、俺は自分の仕事を果たすばかりであった。


「それでは、始めましょう。もう血抜きをほどこした肉の味はご確認いただけたのですよね?」


「はい。焼いた肉も煮込んだ肉も、驚くほどの美味しさでした。家長会議の際に家長たちが騒いでいたのも納得です」


「では、それをさらに美味しく食べるための手ほどきをさせていただきたく思います。みなさんの家では、アリアとポイタンの他に何か食材を使っておられますか?」


「いえ。宴の際に、タラパやティノといった野菜を増やすぐらいですね」


「では、ミャームーなどの香草はいかがでしょう?」


「それも、宴ぐらいでしか使いはしません」


 そうなると、ダイの家よりもややつつましい部類になるのかもしれなかった。あちらでは、宴でなくとも時々は他の野菜を買い求めることはある、というぐらいの食生活であったのだ。


 しかし、森辺ではアリアやポイタンすら買い求めることもできず、滅んでしまった氏族も存在する。スドラの家だって、ファの家と関わる前はそれに近い状態であったのだ。


(そういえば、ヴィンなんかは眷族も絶えてしまっていて、それでラヴィッツと血の縁を結ぶことになったんだよな。ラヴィッツの眷族になる前は、そういう苦しい生活を強いられていたんだろうか)


 そのように思ってヴィンの家長の嫁たる女衆に目を向けてみると、彼女は慌てた様子で目をそらしてしまった。

 もしかしたら、俺より年少であるのかもしれない。そのいくぶん気弱そうな面には、まだずいぶんあどけなさが残されているようだった。


「それじゃあ、ポイタンの調理方法から始めましょう。これを覚えるだけでも、料理の質を一変させることができますので」


 そうして俺たちは、手ほどきを始めることにした。

 最優先は、焼きポイタンの調理方法である。どろどろのポイタン汁からの脱却こそが、俺にとっては食生活の改善の大いなる第一歩目なのだった。


 持参したポイタンを火にかけて、限界まで煮詰めた末に、天日で干しておく。これが粉状に仕上がるのはおよそ1時間後であるので、その間に、今度は持参したポイタン粉をあらためて水に溶き、焼きあげる方法を伝えてみせた。


 淡いクリーム色に焼きあがったポイタンを、人数分に切り分けて試食していただく。それをもそもそと口にした6名の女衆は、みんなけげんそうに首を傾げていた。


「美味……というのでしょうかね。なんだか、不思議な味です」


「ええ、焼きポイタンだけを食べても、あまりピンと来ないかもしれませんね。それでは今度は、ポイタンを使わない汁物料理の作製に取りかかりましょう」


 これもまた、ギバ肉とアリアしか使えないのなら、簡単なものだ。

 肉とアリアの正しい切り方を教えつつ、それらを鉄鍋でじっくり煮込む。それに付随して伝えるべきは、塩を少量入れることと、灰汁の取り方、そして火加減ばかりであった。


「たぶんどの家でも、肉に火が通ったらそれで完成ということにしていたと思うのですよね。でも、時間をかけて煮込むことによって、肉の旨みが汁にまで行き渡っていくのです。こういう作業を、出汁を取るといいます」


 これまでに何度となく繰り返してきた説明を、俺はまたその場で口にすることになった。

 最初はファの家で、その次はルウの家で――家長会議においてはスンの女衆に、それを経た後は、フォウとランとスドラの女衆に、さらにはガズとラッツの女衆に――と、数えあげたらキリがない。俺が直接手ほどきをする機会のなかったサウティやザザにおいても、まずはこのポイタンの焼き方と塩味のみの『ギバ・スープ』から手ほどきを始められたはずであった。


 何も特別な食材は必要ない。ただ必要なのは、多量の薪と時間だけだ。それらの手間と時間を引き換えにする価値が、焼きポイタンや『ギバ・スープ』には存在するのか。それを判じてもらうのが、最初の分岐点なのだった。


 鍋を煮込んでもらっている間には、肉の切り方と各部位の違いについてレクチャーをする。

 幸いなことに、ラヴィッツにおいても「胴体の肉を捨てる」という習わしは存在しなかった。

 優先的に食べられるのはモモの肉であるが、ギバの狩れない時期には胴体の肉も普通に食べられていたらしい。やはり、ルウの一族のようにありあまるほどのギバを狩れる氏族のほうが、森辺においては少数派であるようだった。


「ギバは、内臓や脳や目玉も食べられるのですよ。機会があれば、そちらも手ほどきしたいと考えています」


「内臓や脳や目玉ですか。あまり食べたいと思えるようなものではありませんね」


「そうかもしれません。でも、内臓も部位によっては食べやすいですし、それほどの手間もかからないので、必要かどうかはみなさんで決めていただきたく思います」


 宿場町の商売に協力する意思がある氏族であれば、臓物までもが商品たりうる。レイナ=ルウたちは『ギバのモツ鍋』を商品にしているので、ルウ家が休息の期間は余所の氏族からその材料を購入しているのである。


 そういうわけで、ダイ家では積極的に臓物の処置の仕方も手ほどきしたが、このラヴィッツにおいては本人たちの食生活に必要があるかどうかで判断してもらうしかないだろう。ハツ、レバー、ハラミ、タンぐらいであれば、それほどの手間もかからず口にすることができるはずだ。


 そうして、あっという間に1時間ぐらいの時間が過ぎ、そろそろ帰り支度を始める頃合いかな、と俺が考えたとき、にわかに表のほうが騒がしくなってきた。

 狩人たちが、森から帰ってきたのだ。


「戻ったぞ。……ああ、まだ手ほどきとやらの最中であったか」


 かまどの間の戸が開かれて、狩人のひとりが入室してくる。

 それは中肉中背で、ちょっと印象的な風貌をした男衆であった。


 年齢は40ぐらいで、目の光が強い。顔の造作には特筆すべき点もなかったが、彼はつるつるの禿頭で、眉もほとんどすりきれており、そして髭などもたくわえていなかった。つまり、首から上には睫毛ぐらいしか毛というものが存在しなかったのだ。


 バルシャもそうだが、眉の薄い顔というのは独特の迫力みたいなものが生まれるものである。とりたてて害意のある表情ではないのに、どことなくおっかない感じのする、それはそういう人物であった。


「お前がファの家のかまど番だな。家長会議からはずいぶん時間が経っているが、その生白い顔には見覚えがあるぞ。俺はラヴィッツ本家の家長で、デイ=ラヴィッツだ」


「ファの家のアスタです。このたびは、家長らの申し入れを受けていただき、感謝しています」


「何も感謝されるいわれはないな。俺はただ、美味い料理というものに興味があっただけだ」


 髭のない下顎をぼりぼりとかきながら、デイ=ラヴィッツなる人物はそのように言い捨てた。


「苦労をしているのはお前たちだけなのに、それで何を感謝するというのだ? まったく酔狂な連中だな」


「あ、いえ、ですが――」


「リリよ、手ほどきとやらはどうなったのだ?」


 俺の言葉をさえぎって、デイ=ラヴィッツは伴侶のほうに目を向けた。

 リリ=ラヴィッツは、「はい」とうやうやしく頭を下げる。


「ポイタンの焼き方というものは知ることがかないました。今は、ポイタンを使わない煮汁を煮込んでいる最中です」


「ふむ。ならば、ひと通りの仕事は済んだということだな。どうせ俺の家にはアリアとポイタンしかないのだから、家長会議で味わわされたほどの料理など望むべくもあるまい」


 そう言って、デイ=ラヴィッツはまた光の強い目を俺のほうに向けてきた。


「ご苦労だったな、ファの家のアスタよ。そちらから押しかけてきたのだから、べつだん感謝の言葉を述べるつもりもないが、まあ、美味いものが食べられることはありがたいと思っている」


「ああ、いえ、それで少しでもラヴィッツの家に喜びをもたらすことができたのなら――」


「では、用事が済んだのなら家に戻るがいい。俺は皮剥ぎの仕事があるので失礼する」


 また俺の言葉をさえぎって、デイ=ラヴィッツはさっさと外に出ていってしまった。

 俺の隣で、ユン=スドラは目をぱちくりとさせている。


「何だかずいぶんせっかちな男衆ですね。アスタの言葉はきちんと耳に届いていたのでしょうか?」


 俺もいくぶん心配になってきたので、リリ=ラヴィッツに意見を願いたく思った。

 が、それよりも先に深々と頭を下げられてしまう。


「本日はお疲れさまでした。後の片付けはわたしどもで済ませますので、どうぞお引き取りください」


「え? いえ、でも、まだ汁物料理の味見もしていませんし――」


「わたしどもには、これで十分かと思われます。明日からは、本日に習い覚えた技を他の女衆に伝えたく思います」


「いえ、ですから、調理の技術をきちんと身につけるには、もう少し日を重ねる必要があるかと――」


「そうなのでしょうか? 家長には、かまど番の手ほどきなど1日で十分であろうと言われていたのですが」


 それは、俺には初耳のことであった。

 アイ=ファたちとデイ=ラヴィッツの間で、十分な確認が取れていないのではないだろうか。さきほどのデイ=ラヴィッツの様子を鑑みるに、それは大いにありえそうな話であった。


「ちょ、ちょっとデイ=ラヴィッツに確認をさせていただきますね。ご案内をお願いできますか?」


「はい。では、こちらに」


 かまどのほうはトゥール=ディンたちに託し、俺はリリ=ラヴィッツとともにかまどの間を出た。

 すると、表には顔馴染みの面々が立ち並んでいた。


「ああ、アイ=ファたちも戻ってたのか」


「うむ」とアイ=ファがうなずき返してくる。

 仏頂面と紙一重の無表情である。

 そのかたわらにあるのは、バードゥ=フォウのみだ。親筋たるラヴィッツを相手にするのに、家長コンビで挑んでいるらしい。


「他の男衆は、ナハムとヴィンの家に出向いている。アスタも仕事を終えたのか?」


「いや、ちょっとデイ=ラヴィッツに確認が必要だと思って……」


 そうして俺は、まずアイ=ファたちに事情を説明することになった。

 それを聞き終えて、バードゥ=フォウが大きく溜息をつく。


「確かに日数などは決めていなかったが、1日限りというのはデイ=ラヴィッツの早合点だな。少し考えれば、たった1日の手ほどきで仕事が済むはずもないとわかりそうなものだが」


「でも、家長会議ではぶっつけ本番であれらの料理をお出ししたので、1日もあれば十分なのかと感じたのかもしれません。何にせよ、もう何日かは通うことが許されるように話を通してはいただけませんか?」


「もちろんだ。すぐにでも話をつけよう」


 バードゥ=フォウが率先して、ギバの解体室へと足を向ける。

 その後を追いながら、俺はこっそりアイ=ファに呼びかけた。


「ところで、ギバを解体するのに同行してなかったのか? それも手ほどきの一環だろう?」


「それに関してはもう十分だと言い張られた。もともとラヴィッツでは胴体の肉も食べていたようだしな」


「ああ、なるほど」


「それに、臓物の取り分けに関してはすでに森で仕事を果たしている。森でギバの腹を裂き、そのまま臓物は打ち捨ててきたのだ」


「え? できればラヴィッツの家でも臓物の処置の仕方を手ほどきしたいんだけど……」


「今日は血抜きに失敗をしたので、あの臓物は口にできん。だから、森に捨ててきた」


 そのように述べながら、アイ=ファがぐっと顔を寄せてくる。


「どうにもラヴィッツの男衆は物覚えが悪い。不真面目なわけではないのだろうが、いちいち為すことが雑なのだ」


 それもまた、アイ=ファがストレスを溜め込んでいる要因なのだろうか。

 ともあれ、俺たちは解体室に向かうことにした。バードゥ=フォウはすでに部屋の戸を叩いている。


「デイ=ラヴィッツよ、仕事の最中に悪いが、確認させてもらいたいことがある」


 すみやかに戸は開き、デイ=ラヴィッツの禿頭がにゅっと出てきた。


「何だ、まだ居残っていたのか。今日の手ほどきはもう終わりだろうに」


「それよりも、かまど番の手ほどきについて説明が不十分であったようなので、確認をさせてもらいたい」


 そうしてバードゥ=フォウが説明を始めると、やはり途中で言葉をさえぎられてしまった。


「かまど番の手ほどきなど1日で十分だ。そもそも俺は、血の縁も持たぬ人間を家の中に入れることを好かん」


「いや、しかし――」


「それならいっそ、血の縁を結んでみるか? ファの家長はそれだけ美しい姿をしているのだから、嫁に欲しがる男衆はいくらでもいるはずだ。そうしてラヴィッツの眷族になるのならば、いくらでも出入りを許してやろう」


「……私は誰の嫁になるつもりもない、と最初の日に告げてあるはずだ」


 アイ=ファが底ごもる声で応じると、「惜しい話だな」とデイ=ラヴィッツは肩をすくめた。


「ならば、自分の家に戻るがいい。血抜きやら何やらというものに関しても、もう手ほどきは十分なのではないのかな」


「お前たちは、まだ一度として自分たちの手で血抜きを成功させていないではないか。それでどうして十分だなどと言えるのだ?」


「こんなものは、回数をこなして身につける他あるまい。方法自体は知ることができたのだから、あとは俺たちの行い次第だろう」


 何というか、ウナギのようにぬるぬるとした論調であった。

 相手の存在を拒絶するでもなく、受容するでもなく、ただ漠然と受け流している。森辺の民としては、ずいぶん珍しい部類であるように感じられた。


「デイ=ラヴィッツ、俺からもいいですか? 美味なる料理を作るにあたって、手ほどきの時間が1日ではとうてい足りません。まだまだ伝えたいことはたくさんありますので、せめて4日か5日ぐらいはかまどの間に通うことを許していただきたいのです」


 俺がそのように進言すると、毛のない眉に少しだけ皺が寄せられた。


「ならば、あと2日だけ俺の家を訪れることを許そう。それ以上の手ほどきは、無用だ」


「2日ですか。わかりました。それじゃあその期間で、俺も精一杯の――」


 という言葉の途中で、ぴしゃりと戸を閉められてしまった。

 アイ=ファはがりがりと頭をかき、バードゥ=フォウは再び溜息をつく。


「デイ=ラヴィッツというのは、ずいぶんな変わり者であるようだな。これだけ顔を突き合わせていても、いまだにどのような性根をしているのかがつかみきれん」


 そんな俺たちのかたわらでは、リリ=ラヴィッツが何事もなかったかのように立ちつくしている。

 その様子は、やっぱりお地蔵様か何かのように静かで超然としているようだった。

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