小さき氏族の収穫祭⑦~喜びの夜~
2016.11/27 更新分 1/1
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
「お待たせしました。どうぞお食べください」
茹であがったパスタを木皿に移し、レテンの油で軽くほぐしてから、俺は台の上に供した。
とたんにあちこちから手がのびてきて、パスタをすくい取っていく。
初挑戦でうまくいかない男衆には、女衆が手を貸していた。スドラやディンでは晩餐でも供されているし、他の氏族の女衆も試食でさんざん味わっているので、パスタの食べ方には慣れているのだ。
「うむう。汁の中に沈めてしまうと、つるつる滑ってまったくつかめなくなってしまうぞ」
新たなパスタを鉄鍋に投入し、ひと息ついたところでそんな声が聞こえてきた。
見ると、リッドの男衆が木皿を抱えて大苦戦している。ということで、僭越ながら俺もレクチャーをほどこすことになった。
「そういう場合は、こういう風にかき込んでしまえばいいと思いますよ。それで、汁と一緒にすすり込むのです」
「すすり込む……」
やはり、「麺をすする」という行為がひとつの壁となってしまうようだ。
しかたないので、俺はサリス・ラン=フォウに新たなギバ骨スープを注いでもらい、実践してみせることにした。
使うのは、先端を三股にした木匙だ。深い切れ目を入れて、輪郭の丸いフォークのような形状に仕上げられている。
俺は木皿のすぐそばに口を添え、その木匙でかき集めたパスタをずずずとすすってみせた。
まるで幼子のようでお行儀は悪いかもしれないが、汁物の麺類をフォークで食するには、こうするしか道がない。本格的なギバ骨ラーメンの研究に取り組む前に、俺は箸の扱いを普及させる必要性を強く感じていた。
それにつけても、美味である。
濃厚なギバ骨スープに、もちもちとした生パスタが実によく合っている。ギバの髄まで溶かし込んだスープは風味が強烈で、それにギバ肉と海草の出汁の旨みが重なり、もう磐石だ。
数時間もかけて煮込んだチャーシューは脂身がとろとろで、肉もきわめてやわらかく仕上げられている。ティノやネェノンやナナールも、白濁したスープに素晴らしい彩りを加えてくれていた。
「ああ、こいつは美味いな!」
ようやく麺をすすり込むことに成功できた男衆は、満面に笑みを浮かべてくれていた。
その間にも、大皿のパスタは見る見る減じていってしまう。
(手加減せずに100人前を準備したのに、すごい人気だな)
100グラムを100人前として、およそ10キロのパスタである。それを1キロずつ仕上げているのだが、残りはすでに3キロていどでだった。
「アスタよ! そちらの料理はまだ残っておるのか?」
と、いきなり大声で呼びかけられて、俺はびっくりしてしまった。
振り返ると、とりわけ大柄な男衆が2名、立ちはだかっている。
ラッド=リッドと、ゲオル=ザザである。
「ザザの末弟はまだその料理を食べていないのでな! こうして連れてきてやったのだ!」
よく見ると、ラッド=リッドの図太い腕が、ゲオル=ザザの図太い首に掛けられている。ゲオル=ザザはうるさそうに眉をひそめつつ、なされるがままになっていた。
「ええ、まだ30人前は残っていますよ。いま準備しますので、少々お待ちくださいね」
俺は大量のパスタを金網ごとすくい上げ、よく水分を切ってから、それを大皿にぶちまけた。
さらにレテンの油を加えて、ひっつきそうになるパスタを適度にほぐしてから、あらためて台の上に供してみせる。
「さあ、どうぞ。まずは煮汁かタラパの汁を受け取ってください」
「もちろん煮汁だ! タラパのほうも文句なく美味かったが、あの煮汁を食わさなければ話が始まらん!」
大きな笑い声をあげながら、ラッド=リッドはゲオル=ザザをギバ骨スープのほうに引きずっていった。
ますますダン=ルティムもかくやという豪放っぷりである。それぞれルウとザザの眷族の家長である彼らであるが、酒を酌み交わす機会などがあればものすごい勢いで意気投合しそうだ。
(いや、きっと今まではルウとスンの眷族としていがみ合ってたんだろうな。でも、ダン=ルティムはディック=ドムに対しても気さくな感じだったから、今ならきっと仲良くなれるはずだ)
そんなことを考えながら、新たなパスタを準備していると、また別の一団が接近してきた。
ルウ家の面々、ジザ=ルウとレイナ=ルウとリミ=ルウである。
リミ=ルウが兄の手をしっかりつかんでいるのが、何やら微笑ましかった。
「お疲れさまです、アスタ。もう一杯、こちらの料理をいただいてもかまわないでしょうか?」
「うん、もちろん。さっきは半人前ぐらいしか取っていかなかっただろうから、遠慮なくどうぞ」
俺がそのように答えてみせると、レイナ=ルウは「ほら」と言ってジザ=ルウを振り返った。
「アスタもこのように言ってくれているでしょう? 何も遠慮はいらないと思います」
「しかし、客分である俺たちが余分に食べるべきではないだろう。これはあくまで、6つの氏族の者たちの宴なのだ」
「そんなことないってばー! 駄目なら駄目って、アスタはきちんと言ってくれるはずだもん!」
元気に言いながら、リミ=ルウはぐいぐいとジザ=ルウの腕を引っ張っている。年齢差は15歳、質量においては3倍ぐらいの開きがある兄妹である。
「ええ、遠慮はご無用です。少なくとも、さきほどと同じ量を食べても食べすぎということにはならないはずですよ」
「…………」
「むしろ、全員が満足できるぐらいの量を準備したつもりなんです。大事な客人に我慢など強いることになったら、それこそこちらの落ち度になってしまいますよ」
「べつだん、我慢などしていない」
ジザ=ルウがそのように答えると、妹たちが左右から「えーっ!」と声をあげた。
「ジザ兄、もっと食べたそうにしてたじゃん! ぎばかつと同じぐらい気に入ったんじゃないのー?」
「そうです。ギバの骨の煮汁はまだわたしもシーラ=ルウも作り方を体得していないので、次はいつ食べられるかもわからないのですよ?」
ジザ=ルウは糸のように細い目に感情を隠したまま、無言である。
鉄鍋の中にたゆたうパスタを攪拌しながら、俺はさらに笑いかけてみせた。
「ジザ=ルウが遠慮をしてしまうと、レイナ=ルウたちも口にすることができなくなってしまって気の毒です。見届け役としての仕事を果たすためにも、俺たちの宴料理をしっかり味わっていただけませんか?」
すると、隣のかまどに煮汁をもらいに行っていたラッド=リッドたちもようやく戻ってきた。
「おお、ルウの長兄もやってきたのか! 今からザザの末弟にこいつを味わわせるところであったのだ! よければお前さんたちもこの喜びと驚きを分かち合ってやってくれ!」
ジザ=ルウはそちらを振り返り、いくぶんけげんそうに小首を傾げた。
「ザザの末弟は、少し見ぬ間にずいぶん酒が進んだようだな」
「うむ! このようにでかい図体をして、存外に酒の弱いやつでなあ」
「馬鹿を抜かすな。お前が底なしなだけではないか」
と、不満たらしくゲオル=ザザがわめく。
俺には気づくことができなかったが、どうやらゲオル=ザザは酩酊していたらしい。そういえば、足もとがちょっと覚束ないようだ。
そのゲオル=ザザが、毛皮の陰に光る瞳をじろりと突きつけてくる。
「さあ、自慢の料理とやらを食わせてみるがいい。これだけ大口を叩いたのだから、さぞかし美味なのだろうな?」
大口を叩いていたのはラッド=リッドなのであるが、とっておきの料理であることに違いはない。俺は「どうぞ」と大皿の上のパスタを示してみせた。
「ふん!」とゲオル=ザザはパスタの山に三股の木匙を突きたてる。
が、茹でたてのパスタはするするとその間を滑り落ちていってしまう。
「あー、これはね、くるくるーっと巻き取るんだよ」
リミ=ルウがゲオル=ザザの手を取り、パスタ捕獲の扶助を試みた。
ゲオル=ザザはうろんげな目をそちらに差し向ける。
「何だ、お前は。ずいぶんなれなれしい幼子だな」
「だって、へたくそなんだもーん」
ゲオル=ザザの武骨な手に指先を添えたまま、リミ=ルウはにっこりと微笑みを返す。
ゲオル=ザザは眉をひそめたまま、その笑顔と木匙の先端に巻き取られたパスタの塊を見比べた。
「それでね、煮汁につけて食べるの。煮汁をいーっぱいつけたほうが美味しいと思うよー」
「…………」
「あー! ぜーんぶ沈んちゃった! そしたらねー、こうやって木匙ですくいながら食べるの」
「えい、なれなれしい上にやかましい幼子だな!」
ゲオル=ザザはやけくそのように木皿のパスタをすすり込んだ。
煮汁の熱さに目を白黒とさせてから、やがてその顔に強い戸惑いの表情を浮かべあげる。
「……何なのだ、この煮汁は?」
「これはギバの骨を煮込んだ汁です。タウ油や海草の干物など、ちょっと高価な食材もふんだんに使っておりますが」
「ギバの骨……そんなものを、料理に使っているのか?」
「はい。今回使ったのは、足と背中の骨ですね。北の一族は頭骨やあばら骨を兜や飾り物に使っているようですが、足と背中の骨なら料理に使っても問題はないのではないでしょうか」
ゲオル=ザザは無言のまま、ずるずるとパスタをすすり続けた。
そのかたわらで、ラッド=リッドのほうはもちろんご満悦の表情である。
その両名の姿を見やってから、リミ=ルウはジザ=ルウの手をくいくいと引っ張った。
ジザ=ルウは溜息をつき、「木皿に煮汁をもらってくるといい」とつぶやいた。
「わーい!」とリミ=ルウが飛んでいき、それでルウ家の面々もようやくギバ骨スープパスタを食することがかなった。
他の人々もただ見物していたわけではないので、やはりパスタは変わらぬ勢いで減っていっている。俺はとうとう最後の10人前に手をつけることになった。
「こちらの料理は残りわずかです! まだ食べていない人がいたら、ぜひ食べてみてください!」
俺の呼び声に、またわさわさと人々が寄ってくる。しかし誰もが、すでに一度は口につけた様子だ。
それでも人々は、期待と喜びに瞳を輝かせていた。
宴料理をまかされたかまど番として、俺も感無量である。
「そういえば、アイ=ファはどこに行ったんだろー?」
と、自分の分を食べ終えたリミ=ルウが俺に問うてきた。
「さっきあっちのほうで見かけたんだけどね。それ以降は、姿を見てないかな」
「ふーん。アイ=ファがアスタの近くにいないなんて、珍しいね?」
いくぶんおかしな感じに心臓をバウンドさせつつ、俺は「そうだね」と笑い返してみせる。
「でも、これだけたくさん人がいるからね。普段あんまりアイ=ファと喋る機会のない人たちに囲まれちゃってるんじゃないかな」
「そっか。それなら、しかたないね」
リミ=ルウは嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
リミ=ルウがこれほどまでに喜んでいるのだから、俺もアイ=ファが多くの人々と縁を結びなおせたことを寿ぐべきなのだろう。
それでも心のどこかにわだかまりが生じてしまうのは、やはりアイ=ファがジョウ=ランと語らっている姿しかまともに見ていないためなのだろうか。
(まいったな。器が小さいにもほどがあるぞ)
俺はつい先日にも、アイ=ファがダルム=ルウを「可愛い」と評したことに心を揺らしてしまった。アイ=ファがどういう人柄であるかをわきまえていれば、それぐらいのことで心を揺らす必要はないはずであるのだが――どうにも、よくない兆候であった。
そうしてルウ家のメンバーやゲオル=ザザたちは、新たにやってきた人々に押し出される格好で俺の前から消えていった。
俺はそれらの人々とも言葉を交わし、今日という日の喜びを分かち合いつつ、隙を見てはアイ=ファの姿を捜し求めた。
しかし、アイ=ファの姿は見当たらない。
アイ=ファの姿を見つける前に、最後の10人前も茹であがってしまった。
これで俺の仕事は終了だ。
俺が視線を動かすと、それを待ちかまえていたかのようなユン=スドラと目が合った。
「お疲れさまです、アスタ。これでぱすたがなくなったら、タラパや煮汁の鉄鍋はポイタンのほうに移動させればよいのですよね?」
「ああ、うん。むこうもそろそろお好み焼きのタネは尽きるだろうから、そうしたらそのかまどを使ってもらえるかな?」
「はい。そのときには別の女衆が交代してくれるでしょうから、アスタも宴をお楽しみください」
「うん、ありがとう」
俺はユン=スドラに頭を下げ、かまどの火の始末をしてから、その場を離れた。
人混みを避け、広場の外側から辺りを一望してみるが、アイ=ファの姿は見当たらない。
最後にアイ=ファを見たかがり火のところまで足を向けてみたが、そこでは別の若い男女が親密な雰囲気で語らっていた。
女衆は、宴衣装に身を包んでいる。もともと恋仲であったのか、この夜に初めて恋心が生まれたのか、とにかくおたがいに婚姻を求めているとしか思えない距離感であった。
それを尻目に、俺は広場の外周を早足で進む。
心臓が、妙に高鳴ってしまっていた。
アイ=ファが狩人としての力量を見せつけたこのような日に嫁入りを願われるとは思えないし、また、それを願われたところでアイ=ファが応じるわけもない。
そんなことはわかりきっているのに、やっぱり俺は心を乱してしまっていた。
そうして、広場の回りを半周ほどしたとき――横手の暗がりから「アスタ」と呼びかけられた。
振り返ったその先に、アイ=ファがたたずんでいる。
どことはなしに、憂いげなたたずまいだ。
かがり火の明かりが届くか届かないかという暗がりで、アイ=ファは無人の家の壁にもたれて、俺を静かに見つめてきていた。
「アイ=ファ、こんなところにいたのか」
俺はすぐさまアイ=ファのそばに駆け寄って、あたりの暗がりを見回した。
「……何をそのようにせわしなくしているのだ?」
「いや、誰かと一緒だったのかなと思って」
「誰もおらん。リッドの家長がやたらと酒をすすめてくるので、少し酔ってしまったのだ。それをさますために、ここで涼んでいた」
「ああ、そうなのか……」
確かにアイ=ファは少しけだるげであったが、それ以外におかしなところはなかった。
暗がりの中で、青い瞳は静かにきらめいている。
「……でも、せっかくの宴なのに、こんなところでひとりでいたのか?」
「ついさきほどまでは、スドラの家長やチム=スドラと語らっていた。その前は、やたらと女衆に追い回されてしまっていたな」
そのように述べながら、アイ=ファはずるずると座り込んでしまった。
「喋りすぎて、いささか疲れた。他の者と縁を紡ぐのは、もう少し休んでからでもよかろう」
「うん、そうだな」
俺もアイ=ファのかたわらに腰を下ろす。
それから、あらためてアイ=ファを見つめた。
「アイ=ファ、その前にはジョウ=ランと語らってたよな?」
アイ=ファはいぶかしげに振り返る。
その瞳を真っ直ぐに見つめ返しながら、俺は言った。
「正直に言うと、そのときのアイ=ファたちの様子が気にかかってたんだ。べつだんおかしな雰囲気ではなかったけど、なんていうか、その……俺はまだジョウ=ランって男衆の気質がわかっていないからさ」
「そのようなものは、私にもわからん」
アイ=ファは自分の膝に頬杖をつき、ほんの少しだけ唇をとがらせた。
「まあ、誰が相手でもそれは変わらんがな。これまでまともに言葉を交わしたことのない人間が大半であるのだから、それが当然であろう。……その中で、あのジョウ=ランという男衆は、確かに一番つかみどころがない人間であるのかもしれん」
「ああ、アイ=ファもそう思うのか」
俺は心臓をどきつかせつつ、さらに問うてみた。
「けっこう彼とは長い時間話していたみたいだけど、どんな話をしていたんだ? 嫌じゃなければ、聞かせてほしい」
アイ=ファは眉をひそめつつ、空いているほうの手でがりがりと頭をかき回した。
「……女衆としての私を好いている、と告げられた」
「…………ッ!」
「しかし、狩人としては自分のほうが未熟であるのだから、これでは嫁取りや婿入りを願うこともかなわない。いずれ私を超える力量を身につけることができたならば、あらためて婚姻の申し入れをさせてほしい、とのことだった。……変わった話といえば、それぐらいだな」
「そ、それでアイ=ファは何て返事をしたんだ?」
俺の言葉に、アイ=ファはいっそう唇をとがらせる。
「……そのようなことを、わざわざ口で語らねばならんのか?」
「いや、大筋の部分では理解してるつもりだけど……それでもやっぱり、どういう言葉を返したかは気になるじゃないか?」
アイ=ファはもう一度頭をかき回してから、頬杖をやめて自分の両膝を抱え込んでしまった。
顔の下半分がしなやかな二の腕に隠されてしまい、視線も正面に向けられてしまう。
「……仮にジョウ=ランが私を超える力量を身につけても、嫁入りや婿取りの話に応じるつもりはない、と答えておいた」
やがてアイ=ファは、低い声でそのように言い捨てた。
「私は狩人として生きる道を選んだのだから、誰を伴侶に迎えるつもりもない。……そして……」
「……うん?」
「仮に……万が一にも、私が狩人としての力を失って、女衆として生きていくことを余儀なくされたとしても……伴侶となる相手はすでに定められている、と答えておいた」
俺は心臓を直接殴られたような衝撃を受けた。
夜目にもはっきりとわかるほど、アイ=ファの目の周りが赤くなってしまっている。
「……お前とて、ユン=スドラにはそのように答えていたのだろうが?」
「う、うん、そうだけど……」
「相手が真情をさらけ出したのだから、こちらも真情で応じるのは礼儀であろう。だからお前の行動は正しいと思えたし、私もそのように振る舞うと決めたのだ」
「そうか……」
胸中にあふれかえる激情を懸命におさえつけながら、俺はアイ=ファの横顔を一心に見つめ続けた。
すると、「何をじろじろと見ているのだ!」と怒鳴りつけられてしまう。
「あ、いや、こっちを見てないのによくわかったな?」
「そんな間近から視線を向けられて気づかぬ狩人がいるか! いいから、私を見るな!」
「わ、わかったよ」
俺は無理やりアイ=ファのもとから視線をもぎ離し、広場のほうへと向きなおった。
かがり火と儀式の火に照らされつつ、人々は変わらずに宴を楽しんでいる。
料理も7割がたはなくなった頃合いかもしれないが、宴はまだまだたけなわだ。誰もが喜びの声をあげ、果実酒を酌み交わし、残った料理に舌鼓を打っている。
「……もうじきに、娘らが舞を踊り始めるのであろうな」
やがて、アイ=ファがぽつりとつぶやいた。
声だけを聞いていれば、普段通りの落ち着きだ。
「これで新たに血の縁が結ばれるのかもしれん。もともと眷族であったフォウとラン、ディンとリッドはもちろん、スドラがその中に加わるのも至極当然のことであろう」
「ああ。そうでこそ、一緒に宴を開いた甲斐があるってもんだよな」
「……しかし私たちは、その輪には加われぬ身だ。お前が報われぬ気持ちなどを打ち捨てて、別の女衆を娶る覚悟でも固めぬ限りはな」
「うん、あるいはアイ=ファが、余所の氏族の男衆を――痛い痛い痛い!」
みなまで言わさず、アイ=ファは俺の頬をつねりあげてきた。
「痛いってば! 何だよ! あくまで仮定の話だろ!」
「絶対に起こり得ない仮定の話など、口にする意味はない」
「だったら、俺が他の女衆を娶ることだって絶対にありえないよ」
痛めつけられた頬をなでながら、俺は言い返す。
「天地がひっくり返ったって、俺がアイ=ファ以外の女衆に――うわ、わかったわかった。これ以上は勘弁してくれ」
「ふん! ……とにかく私たちは、あの者たちとは血の縁を結べぬ身であるのだ」
「うん。俺もそいつをちょっとばかり気まずく感じたりしちゃったけどな。でも、よく考えたら、ディンやリッドだってそうそう簡単にフォウやスドラと血の縁は結べないだろうし、そこまで気にかける必要はないのかなと思いなおしたよ」
それは、俺の本心であった。
「そもそも俺は、直接的な血の縁がなくっても、森辺の民はもっとおたがいに友誼を深めるべきだと思ってるし、そのためにこそ、収穫祭で喜びを分かち合いたいって思いついたわけだしな」
「うむ……」
「俺たちにはたくさんの友がいる。いちいち数えあげたらキリがないぐらいだ。こんなにたくさんの人たちを大事な友と呼べることを、俺はとても誇らしく思っているよ」
「うむ」とアイ=ファも満足げにうなずいてくれていた。
あの明かりの中には、アイ=ファにとっても大事な友であるサリス・ラン=フォウやリミ=ルウたちも存在するのだ。
他に血族を持たない俺たちこそ、その大事さは誰よりも理解できているはずであった。
「それじゃあ、そろそろ戻ろうか。リミ=ルウもアイ=ファと喋りたがってたぞ」
そのように言いながら、俺は腰を浮かそうとした。
が、アイ=ファに手首をつかまれて、引き戻されてしまう。
「待て。私はまだ疲れている。お前と違って、あまり大勢の人間と口をきくのは慣れていないのだ」
「ああ、そうか。それじゃあ、もうちょっとだけ休んでいくか?」
「うむ。夜は長いのだから、何も急ぐ必要はあるまい」
手首をつかんでいたアイ=ファの指先が、おずおずと俺の指先をまさぐっている。
これは許されることだろうか、と躊躇っているかのような動きだ。
その指先を、俺はそっと握ってみせた。
アイ=ファの指先も、ほっとしたように同じ力で握り返してきた。
「アイ=ファには、勇者の草冠がよく似合ってるな」
「……うむ?」
「あらためて、おめでとう。アイ=ファが勇者に選ばれたことを、俺は誰よりも誇りに思っているよ」
「何だ。夕刻にも同じような言葉は聞かされているはずだが」
「いや、最後の勝負でも応援の声をあげられなかったことを謝っておこうと思ってな。ふたりの動きが目まぐるしすぎて、声をあげる間もなかったんだよ」
俺の言葉に、アイ=ファはふっと微笑をもらす。
「……べつだんそのようなことで、お前を責めたりはしない」
「ええ? 昼間とずいぶん言ってることが違うじゃないか」
「それとこれとは話が別だ。私が闘技の勇者となり、お前がどれだけ喜んでくれていたかは、顔を見ればすぐにわかった」
「そうか。それならいいんだけど」
そうして俺たちは、指先だけでおたがいの体温を感じながら、同じ光景を見つめ続けた。
あと数分だけ、ふたりきりで過ごすことを許してもらおう。
その後は、またあの光の中で、大事な人たちと喜びを分かち合うのだ。
こんな輝かしい日をともに迎えることができて、どれほど幸福な気持ちを抱くことができているか――口には出さないまま、俺たちはおたがいの体温だけでそれを確認しあうことができていた。




