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異世界料理道  作者: EDA
第二十三章 闘技の候
405/1703

小さき氏族の収穫祭④~力比べ・後半戦~

2016.11/24 更新分 1/1

 4つ目の種目は、棒引きの力比べだ。

 俺はかつて宿場町において、《ギャムレイの一座》の大男ドガとジィ=マァムの怪獣大決戦を目にした経験があるが、あれはあくまで町の人間の余興であったため、ルールはずいぶん異なっているようだった。


 まず、棒をつかむのは片腕のみである。

 なおかつ足場は、一辺が30センチていどの板の上であった。

 それで相手から棒を奪うか、あるいは板から落とすか、というのが勝利条件であるらしい。


 棒の長さは1メートルほどで、相手との距離も同程度である。

 足場がせまいため、足を開いて踏ん張ることはできない。

 それでおたがいに棒の端を握り、押したり引いたりしてバランスを崩そうと試みる。バランス感覚や握力はもちろんのこと、瞬発力や反射神経、相手の呼吸を読む技術など、さまざまな力がこの競技では測られるようだ。


「よし。それでは対戦の相手を決めるので、1本ずつ蔓草の端を握るがいい」


 地面に毛皮の敷物が投げ出されており、その下から蔓草の先端がにょきにょきとはみだしていた。これが、対戦のくじである。

 33名の狩人たちがその先端をひとつずつつかむと、敷物が取り払われる。それで長い蔓草をたどっていくと、逆側の端を別の人間がつかんでいるので、それが対戦相手となるのだ。

 16組の組み合わせが決定され、最初の不戦勝はマサ・フォウ=ランとなった。


「では、蔓草の短い順番に試合を始める。最初の試合の勝者となった者が、次はマサ・フォウ=ランの相手となるのだ」


 最初の試合は、アイ=ファとディンの家長であった。

 いきなりの家長対決だ。


 ディンの家長は、あまり上背はないが肉づきのいい、いかにも頑丈そうな体躯をした壮年の男衆であった。

 あまり感情は表に出さないタイプで、今もアイ=ファの姿を静かにねめつけている。トゥール=ディンとのつきあいが深い分、俺もこの人物とは多少ながらもご縁があった。


(トゥール=ディンの甘い菓子が口にあわなくて叱りつけたりもしていたけど、別に悪い人ではないんだよな)


 そんな思いもよそに、試合は粛々と開始された。

 両名とも右利きであるので、棒は斜めに渡されている。たがいが呼吸を読みながら、棒を引いたり、棒を押したり、ときには手首をひねってみたり、上下にゆさぶりをかけてみたりと、なかなかの激しい攻防である。


 15秒ほどそんなやりとりが交わされて、ふいに終局は訪れた。

 ディンの家長がぐいっと腕を突き出すのと同時に、アイ=ファが身をよじりながらそれを引き込むと、ディンの家長はバランスを崩して地面に片足をついてしまったのだった。


「アイ=ファの勝利!」とバードゥ=フォウが声をあげ、歓声と拍手がそれに応えた。


「すごいですね。ディンの家長も前回の力比べでは、最後の勝負まで勝ち残っていたはずです」


 トゥール=ディンも賞賛の表情で手を叩いていた。

 そういえば、スンの集落では収穫祭も力比べも行われていなかっただろうから、彼女もこれが人生で2回目の収穫祭であり力比べの観戦となるはずであった。


 そうして試合はどんどん進められていく。

 俺が名前を知る男衆や、ディンを除く家長たちは、全員が1回戦を勝ち抜いていた。


 お次は17名による2回戦である。

 1試合目は、アイ=ファとマサ・フォウ=ランの対戦だ。

 これはもうあっけなくアイ=ファの勝利であった。

 始まって数秒で、棒を引かれたマサ・フォウ=ランは力なく膝をつくことになった。


「やっぱり棒引きではまるきりかなわないな」とマサ・フォウ=ランは穏やかに笑い、アイ=ファは無言で目礼を返していた。


 その後、バードゥ=フォウやランの家長は勝ち残っていたが、途中で再び家長同士の対戦となってしまった。

 ライエルファム=スドラと、リッドの家長である。

 この6氏族でもっとも小柄な狩人と大柄な狩人の対決だ。


 この競技でも、そこまで体格差で有利不利があるようには思えない。あえていうなら、リーチと筋力でまさる大柄な人間が、若干有利になるぐらいであろうか。

 小柄なら小柄で、重心の低さが有利に働く面はありそうであったが、棒を引くにせよ押すにせよ、リーチのあるほうが可動範囲が大きいので、相手のバランスを崩すのには有効であるように思われた。


 しかし、勝利したのはライエルファム=スドラであった。

 相手が腕を引くタイミングでおもいきり腕を突き出し、相手を転倒させてしまったのだ。


 ユン=スドラは歓喜の声をほとばしらせて、他の女衆に抱きついていた。

 異なる氏族の人間たちも、男女の区別なく驚きと賞賛の声をあげている。


「くそ、負けてしまったか! お前は大した狩人だな、スドラの家長よ!」


 地面にあぐらをかいたまま、リッドの家長は悔しそうに頭をかいていた。

 どんぐりまなこで、髭をたくわえ、体型もアンコ型であるためか、何となく毛髪のあるダン=ルティムといった趣の男衆である。


「お前は闘技でも腕が立ちそうだ。ぜひともそちらでも力を比べたいものだな!」


「……すべては森の導きだ」


 勝って昂ぶることなく、ライエルファム=スドラはそっと地面に棒を置いた。


 やがて8つの試合が終わり、残りは9名だ。

 勝ち残ったのは、ディンとリッドを除く4名の家長、あとはランとスドラとリッドが1名ずつ、ディンが2名という顔ぶれであった。

 チム=スドラもジョウ=ランも、トゥール=ディンの父親もまだ勝ち残っている。


 そしてアイ=ファの対戦相手は、チム=スドラであった。

 これがなかなかの熱戦であった。

 チム=スドラの動きが素早くて、アイ=ファが手こずらされている。なおかつ、チム=スドラは最初からものすごく腰を落としており、ときにはほとんどしゃがみこむぐらいの体勢を取ったりして、それがいっそうアイ=ファを苦しめているようだった。


(そういえば、アイ=ファは自分の父親としかこの力比べをしたことがないんだろうな。ひょっとしたら、自分より小柄な相手のほうがやりづらくて苦手なんじゃなかろうか)


 ライエルファム=スドラほどではないが、チム=スドラも小柄である。アイ=ファよりも10センチ近くは小さかっただろう。なおかつ男衆としては細身のほうであったが、アイ=ファより細いわけではない。荷運びではアイ=ファに惜敗を喫していたが、瞬発力では負けていないように見えた。


 そうしてたっぷり2分近くも熱戦を繰り広げたのち、アイ=ファが大きな動きを見せた。

 棒を引きながら、ぎゅるりと板の上で旋回してみせたのである。

 精一杯に腕をのばしながら、チム=スドラは何とか板の上に踏みとどまった。

 が、間髪を入れずにアイ=ファが逆回転をして棒を突き出すと、たまらずその場に尻もちをついた。


 おおっと大きな歓声があがり、これまでで一番大きな拍手が送られる。

 アイ=ファは息をつき、手の甲で額の汗をぬぐっていた。


「すごいすごい! アイ=ファはこのまま最後まで勝ち抜いてしまうのではないでしょうか?」


 ユン=スドラも、はしゃいだ声をあげている。

 ライエルファム=スドラが勝ち抜いたときと同じぐらい、嬉しそうな表情である。同じ家の家人が負けたからといって、気分を害するような気性ではないのだろう。


「どうだろうね。頑張ってほしいとは思うけど、ライエルファム=スドラも強敵なんだろうし」


「確かにチムよりも家長のほうが、棒引きの力は優れていると思います。最後の勝負がおたがいの家長であったら、とても誇らしいですね?」


 と、他の女衆に聞かれぬよう、笑顔で俺に耳打ちしてくる。

 アイ=ファに対しては複雑な心情を抱いているはずのユン=スドラであるが、そういった私情をこのような場に持ち込む気性でもないのだ。

 また、それは無理をして自分の気持ちを抑え込んでいるのではなく、純粋に、アイ=ファを森辺の同胞として慕っているのだろう。それはともにサウティの集落で過ごした日々で証しだてられていた。


 ともあれ、力比べであった。

 ジョウ=ランは、ランの家長に勝利していた。

 トゥール=ディンの父親は、リッドの男衆に勝利していた。

 ライエルファム=スドラは、ディンの男衆に勝利していた。

 それに1戦目を勝ち抜いたアイ=ファとシードのバードゥ=フォウを加えた5名による、第4回戦である。


 1戦目はアイ=ファ対バードゥ=フォウ。

 2戦目はジョウ=ラン対トゥール=ディンの父親。

 ライエルファム=スドラはシードとなり、1戦目の勝者と準決勝戦に臨む。ジョウ=ランたちのほうは、すでにこれが準決勝戦だ。


(そうか。最初に1番くじを引いちゃったアイ=ファは、最後まで他の人より1試合多くやりあうことになるのか)


 しかし、そういったくじ運もまた森の導きということになるのだろう。

 スタミナの残存量などは対戦相手の力量によっても変動するのだから、くじ運を嘆いても詮無きことであった。


 そんな中で、アイ=ファとバードゥ=フォウによる1戦目である。

 これもまた、なかなかの熱戦であった。

 しかしやっぱり、長身の相手のほうがアイ=ファは得手であるのか、チム=スドラのときのように戸惑っている感じはしない。おたがいに力まかせの攻撃はなく、呼吸を読み合いながら棒を引き合う、静かな熱戦ともいうべき様相であった。


 それで勝利を収めたのは、アイ=ファだ。

 バードゥ=フォウがフェイントをかけてから腕を引いた瞬間、アイ=ファが素早く手首を返すと、バードゥ=フォウの手からグリギの棒がすっぽ抜けた。


「ううむ。呼吸を読まれたか。さすがだな、アイ=ファよ」


 バードゥ=フォウは、すがすがしげな顔で笑っていた。

 アイ=ファはまた額の汗をぬぐいながら、目礼を返す。


 次なる試合では、ジョウ=ランがトゥール=ディンの父親に勝利を収めていた。

 トゥール=ディンの父親もこの競技は得意そうであったのだが、ジョウ=ランにはひとつのアドバンテージが存在したのだ。

 彼は、サウスポーであったのである。


 そういえば、ジョウ=ランは弓を引くときも身体の向きが逆であったような気がする。

 で、相手がサウスポーとなると、やはり勝手が違ってくるらしい。なおかつジョウ=ランのほうは右利きの相手とばかり対戦していたのだから、何も苦にならないのだ。


 それでトゥール=ディンの父親は、あっけなく負けることになってしまった。

 トゥール=ディンは「ああ……」と悲嘆の声をあげ、しょんぼりうつむいてしまう。


「残念だったね。これはちょっと相手が悪かったよ」


 するとトゥール=ディンはしばらくもじもじしてから、おもいきったように俺へと口を寄せてきた。身長差がはなはだしいので、俺はちょっと中腰にならなくてはならない。


「みんな右腕で勝負しているのに、ひとりだけ左腕を使うというのはずるくないですか? さっきの弓の勝負に文句はありませんが、今のは悔しく感じてしまいます」


 そういえば、弓の的当てでもジョウ=ランはトゥール=ディンの父親を下していたのだ。


「そうだねえ。でも、禁止されてないなら、しかたないんじゃないのかな。彼はもともと左利きなんだろうし」


「それはそうですけど……」とトゥール=ディンは眉尻を下げてしまっている。このトゥール=ディンがこれほど言い張るのは珍しいことなので、よほど悔しかったのだろう。


 そんな中、広場では敗退してしまった狩人たちによる勝負が始まっていた。

 勝ち抜いた狩人たちに休憩時間を与えるための措置であるらしい。同時にまた、早々に敗退してしまった狩人たちの見せ場でもあるようだ。特に順番が決められるでもなく、名乗りをあげた狩人たちが無作為に力を比べあっている様子であった。


 そんな試合が10分ほど続けられたのち、準決勝戦である。

 アイ=ファとライエルファム=スドラの家長対決だ。


 木登りでは敗北を喫してしまったアイ=ファも、その場では勝利を収めることがかなった。

 チム=スドラよりも小柄であるライエルファム=スドラは大いにアイ=ファを苦しめたのであるが、最後にはバードゥ=フォウと同じように棒を奪われていた。試合時間は、3分にも及んだだろうか。これにも惜しみない歓声と拍手が送られることになった。


 それでまた間つなぎの勝負が繰り広げられたのち、ついに決勝戦である。

 アイ=ファ対ジョウ=ランだ。


 間に休憩をはさんでいるので、アイ=ファにスタミナの心配はなさそうであった。

 まあ、数時間に渡ってレム=ドムと力比べを行っていたアイ=ファなのである。質の異なる勝負とはいえ、これしきのことで力尽きることはないのだろう。


 だが、相手はサウスポーのジョウ=ランだ。

 これは何となく、両利きのメルフリードとやりあうことになったシン=ルウを思い出させる構図であった。


「始め!」


 バードゥ=フォウの声とともに、両者が腰を落とす。

 アイ=ファは最初から、身体を少しはすにかまえていた。

 真正面で向き合うのはやりづらい、と考えたのだろう。棒を持った右腕を引き、身体の左側面を相手に向けた格好である。


 むろん、その体勢のままでは、押す動作の面で不利が生じる。基本的には棒を引く動きを主体にして、押すときは瞬時に身体を入れ替え、ものすごい勢いで棒を突き出していた。


 そうして最初に翻弄されたのは、ジョウ=ランのほうであった。

 瞬発力も反射神経も、アイ=ファはきわめて優れている。ジョウ=ランは何度か大きく体勢を崩し、そのたびに見守る人間の間からは歓声や悲鳴まじりの声があがった。


 けっこうな人数が、アイ=ファやジョウ=ランの名を呼んでいる。

 呼び声をあげているのは、そのほとんどが女衆だ。

 6対4で、アイ=ファの名を呼ぶほうが多いかもしれない。ジョウ=ランには多くの血族がいることを考えると、それはなかなかの人気であると言えた。


「アスタはアイ=ファに声を送らないのですか?」


 と、ユン=スドラには不思議そうに聞かれてしまった。


「うん、何というか、俺って我を忘れないと、なかなか声援を送ったりできない気質なんだよね」


 おそらく闘技の力比べでは、怪我をしたりはしないだろうかという不安感も相まって、俺も取り乱しがちなのである。こういうスポーツライクな競技ではそういう効果が得られずに、ついつい冷静になってしまうのかもしれない。


(だけどこれでアイ=ファが勝てなかったら、あとで自分が後悔しそうだな)


 そのように考えて、俺は自分の口の横に手を添えた。

 その瞬間、わあっと大きな歓声があがった。


 アイ=ファが何度目かの猛攻をしかけた瞬間、ジョウ=ランがおもいきり身体をねじり、それで両者が地面に倒れ込むことになったのである。


 しばらくの沈黙の後、バードゥ=フォウが「ジョウ=ランの勝利!」と声をあげた。


「……誰か、異存のある者はいるか?」


 異義を立てる者はいなかった。

 バードゥ=フォウはうなずき、右腕をあげる。


「棒引きの勇者は、ランの家のジョウ=ランに決定された!」


 人々は祝福の拍手を打ち鳴らす。

 が、俺は口の横に手をかざした間抜けな体勢のまま、硬直してしまっていた。


 これまでの競技と異なり、アイ=ファが敗北したということがなかなか信じられなかったのだ。

 そこまでアイ=ファの勝利を確信していたわけではないのに、いざ勝負が決してしまうと、俺は自分で驚くほど動揺してしまっていた。


 もしも相手がライエルファム=スドラやリッドの家長あたりであったら、俺もここまで動揺していなかったのかもしれない。相手が年少の、とりたてて勇猛そうにも見えない相手であったために、俺は無意識で油断していたのかもしれなかった。


「……大丈夫ですか、アスタ?」


 と、トゥール=ディンがTシャツの袖を引っ張ってくる。

 それで我に返った俺は、ようやく手をおろしながら、トゥール=ディンの耳もとに口を寄せた。


「大丈夫だよ。でも、トゥール=ディンの悔しさが理解できたかもしれない」


「そうですよね。悔しいですよね」


 きゅっと眉を寄せながら、トゥール=ディンは大きくうなずいていた。


 広場の中央では、アイ=ファが何事もなかったかのように立ち上がっている。

 そんなアイ=ファに向かって、ジョウ=ランは無邪気に笑いかけていた。


「てっきり俺の負けかと思いました。やっぱりアイ=ファは素晴らしい狩人です」


「…………」


「俺が右の腕でやりあっていたら、きっとあえなく敗れていたんでしょうね。これではまだアイ=ファに勝てたと誇る気持ちにはなれません」


「……何にせよ、勇者に定められたのはお前だ、ランの男衆よ」


 アイ=ファは一礼し、勝負の場から退いた。

 勇者となったジョウ=ランに、ひときわ大きな拍手が送られる。


「残すは闘技の力比べだが、アイ=ファとジョウ=ランには多少の休憩が必要であろう。しばし身体を休めてから、再開する」


 人々は散開し、それぞれの家族と言葉を交わし合う様子であった。

 ということで、俺もアイ=ファの姿を捜し求める。

 アイ=ファはひとりで、水瓶から茶をすくって咽喉を潤していた。


「アイ=ファ、お疲れさま。今の勝負は残念だったな」


「…………」


「悔しいだろうけど、あんまり気にしないようにな。最後の力比べも頑張ってくれ」


 アイ=ファは、無言でうなずいた。

「うむ」の一言がないために、俺は不安を煽られてしまう。


「アイ=ファ、本当に大丈夫か? 何か言いたいことでもあったら、何でも遠慮なくぶちまけてくれよ」


「……お前は何を取り乱しているのだ?」


 ようやくアイ=ファが言葉を発してくれたことに、俺はほっと安堵の息をつく。


「いや、俺自身が悔しいし、それに驚いているのかな。正直に言って、今の勝負でアイ=ファが負けたのが信じられないみたいだ」


「……あやつは左手のほうが器用であるという珍しい人間であったからな。狩人としての力量はライエルファム=スドラやリッドの家長のほうがすぐれているのであろうが、この勝負では有利に働いた。それだけのことだ」


「うん、だからなのかな。これまでは悔しくなかったけど、今の勝負では悔しかったんだよ」


 アイ=ファはすっと目を細め、俺の耳もとに口を寄せてきた。

 そうして熱い吐息とともに、「案ずるな。次は必ず勝つ」という言葉を囁きかけてくる。


 どうやらアイ=ファは、静かに闘志を燃やしているようだった。

 俺はうなずき、アイ=ファに笑いかけてみせた。


「アイ=ファの言葉と、狩人としての力を信じてるよ。……それじゃあ鍋の様子を見てこないといけないんで、また後で」


「うむ」


 俺はアイ=ファのもとを離れ、ギバ骨の鍋の様子を見るためにかまどの間へと急いだ。

 そうしてかまどに薪を追加し、中身を攪拌して差し水をしてから、広場へと引き返す。

 すでに男衆は広場の中央に集まっており、客人たちが固まった一角にはベイムの家長が加わった様子であった。


「それでは、闘技の力比べを開始する! また1本ずつ蔓草を引いて、対戦の相手を決めるのだ!」


 バードゥ=フォウの宣言とともに、再度のくじ引きが行われた。

 それで1戦目を引き当ててしまったのは、またもやアイ=ファであった。

 しかも相手は、リッドの家長である。

 6氏族の中では屈指の狩人と名高い両者の対戦に、人々はしょっぱなからエキサイトすることになった。


「まさか、いきなりお前とやりあうことになるとは思わなかった。これも森のお導きだな」


 リッドの家長は、豪放に笑っている。

 そういう笑い方も、少しダン=ルティムに似ているかもしれなかった。


「聞いているぞ。お前はルウの収穫祭で、レイの家長を打ち倒し、ルティムの家長と互角にやりあったのだろう? 俺の知る限り、あのふたりは北の一族にも劣らぬ力を持った狩人だ。だから俺も、北の一族を相手取る気持ちで、お前に挑ませてもらう」


「うむ」とアイ=ファは静かにうなずいた。

 そうして大歓声の中、両者は広場の中央に進み出る。


 この勝負はもう、俺にとってもお馴染みのものであった。

 勝利条件は、相手を地面に倒すこと。地面に触れることが許されるのは、足の裏と手の平だけだ。

 反則行為というものは、基本的に存在しない。相手の髪やら衣服やらをつかもうが、殴ろうが蹴ろうが自由である。


 ただし、唯一にして絶対の禁忌が存在する。

 それは、相手に怪我を負わせない、というものであった。

 流血や骨折は、とにかく御法度である。

 筋を痛めたり、青痣になるぐらいの打撲というのはどうなのだろう。けっこうおかまいなしに打撃攻撃を繰り出す人間も少なくはないので、それぐらいは許容範囲であるのかもしれない。


(怪我だけは気をつけて……それで、自分の納得できる結果をつかみ取れるように頑張ってくれ、アイ=ファ)


 祈るような気持ちで、俺はアイ=ファの姿を見つめ続けた。

 アイ=ファはむろん、普段通りの静かなたたずまいである。


 小さき氏族には長老格の人物が存在しないので、ここでもバードゥ=フォウが審判をつとめる様子であった。

 両者の間に立ったバードゥ=フォウが、「始め!」と試合の開始を告げる。


 リッドの家長は、野獣さながらの勢いでアイ=ファにつかみかかった。

 アイ=ファは身をよじり、その右腕を横合いからつかみ取った。

 そうしてアイ=ファが腰を落とすだけで、リッドの家長はふわりと空中を浮遊して、背中から地面に叩きつけられることになった。


 まるで合気道のような手並みである。

 一瞬の沈黙の後、割れんばかりの歓声が響きわたった。


「ア、アイ=ファの勝利!」


 さすがのバードゥ=フォウも、びっくりまなこになってしまっている。

 アイ=ファは一礼し、勝負の場から退いた。


「リ、リッドの家長が一瞬で負けてしまいましたね。これでアイ=ファに勝てるような狩人はいるのでしょうか?」


 やはり驚きを隠せないトゥール=ディンに問われ、「どうだろう?」と俺は首を傾げてみせる。


「この勝負でも相性ってものがあるだろうからね。ひょっとしたら、自分より小柄な相手のほうが、アイ=ファは苦戦するのかもしれないよ」


 しかし何にせよ、アイ=ファは誰に対しても油断することはないだろう。

 そんな俺の思いを体現するかのごとく、アイ=ファは2回戦目もあっさりと勝ち抜いてしまった。


 相手は、ランの家長である。

 家長を相手に、2連勝だ。


 他の試合でも、大きな番狂わせは生じなかった。

 何となく、棒引きの勝負と結果が似ているかもしれない。やはり闘技の力比べというのも、単純な筋力ばかりでなく、反射神経や集中力や相手の呼吸を読む力などといった総合力が問われる種目であるのだ。


 2回戦目が終わった時点で、残りは9名。ランの家長がディンの家長に入れ替わっただけで、あとは棒引きのときと同じ顔ぶれであった。


 3回戦、アイ=ファの相手はリッドの男衆である。

 相手は力まかせにつかみかかってこようとはしなかったが、それでもあっさりアイ=ファに腕をつかまれ、足をかけられると、なすすべもなく敗退してしまった。


 その後、ライエルファム=スドラは、ディンの家長に打ち勝った。

 バードゥ=フォウは、トゥール=ディンの父親を下していた。

 ジョウ=ランは、接戦の末にチム=スドラを下した。


 4回戦、アイ=ファの相手はシードであったディンの男衆だ。

 これもなかなかの体格を有する相手であったが、アイ=ファの敵にはなりえなかった。


 そうして迎えた、準決勝戦。

 相手は、ジョウ=ランである。


 さきほどの棒引きでジョウ=ランが勝利していたためか、観客側のボルテージが増していた。

 快進撃を続けているアイ=ファであるが、ジョウ=ランならば、ひょっとして――という思いにとらわれることになったのだろう。


 自然、俺も緊張することになった。

 両腕が使える闘技の力比べであれば、サウスポーであることがそれほど有利に働くとも思えない。森辺の狩人は、利き手がどうこうという闘い方をするわけではないのだ。


 しかしまた、ジョウ=ランは木登りでアイ=ファと互角にやりあった相手である。身体能力は、小さき氏族の中では上位なのだろうと察せられる。

 そして弓の的当てで準優勝もしているのだから、集中力や動体視力にも優れているのだろう。棒引きで勝てていたのは、決してサウスポーの優位性だけが原因ではないのだ。


 ジョウ=ランよりもライエルファム=スドラやリッドの家長のほうが、狩人としての力量は上である、とアイ=ファは言っていた。

 だけどやっぱり、相性というものはあるはずだ。ジョウ=ランのつかみどころのない雰囲気が、俺をいっそう不安にさせるのだった。


(頼むから、ジョウ=ランにだけは勝ってくれ。そうじゃないと、俺も素直に彼とは仲良くできなくなっちまいそうだ)


 アイ=ファのことを貪欲だなどと言ってしまったが、俺もあんまり偉そうなことは言えないようであった。ほぼ初対面で、しかも年少である相手にアイ=ファが闘技で負けてしまうだなんて、俺には我慢がならなかったのである。それは貪欲というよりも、狭量というべき心情なのかもしれなかった。


 が――勝負は一瞬であった。

 バードゥ=フォウから審判の役を引き継いだランの家長が「始め!」と声をあげるなり、いきなりアイ=ファが地面を蹴ったのだ。


 アイ=ファが自分から攻撃を仕掛けるのは珍しいことだった。

 そうして一息に間合いを詰めたアイ=ファは、相手の胸ぐらをひっつかむや、外側から相手の足をかけ、大外刈りのような格好で、ジョウ=ランの身体をひっくり返してしまった。


 アイ=ファに跳ねあげられたジョウ=ランの足は、頭のあった位置よりも高く上がっていた。

 そのまま地面に叩きつけられていたら、相応のダメージを受けていたことだろう。


 しかしアイ=ファは、そこまで無慈悲な真似はしなかった。胸ぐらをつかんだ手でブレーキをかけたらしく、ジョウ=ランはふわりと地面に寝かされて、ノーダメージのまま敗北を喫することになった。


 また呆気に取られたような静寂のあと、一気に歓声が爆発する。

 アイ=ファはジョウ=ランの胸もとから手を離し、豹のようななめらかさで身を起こした。


「やったー!」と遠くのほうで叫んでいるのは、きっとリミ=ルウであろう。ふっと視線を下に向けると、トゥール=ディンは輝かんばかりの笑顔で俺を見つめていた。

 万雷の拍手の中、ジョウ=ランは頭をかきながら立ち上がる。


「まいったなあ。まさかここまで力の差があるとは思いませんでした」


 アイ=ファは答えず、一礼して引き下がった。

 ジョウ=ランも一礼して、身をひるがえす。


 そうして次の準決勝戦は、バードゥ=フォウとライエルファム=スドラだ。

 バードゥ=フォウは棒引きのときと同じように、無駄な動きをしない静かな闘い方を見せていた。

 いっぽうのライエルファム=スドラは、一瞬として同じ場所に留まらない、やはり本物の猿を思わせる敏捷さが強みであった。


 腕力であれば、バードゥ=フォウのほうがまさっているだろう。この力比べでは相手の着衣をつかむことも許されているので、ひとたび捕獲してしまえば相当に有利になれるように思われた。


 しかしライエルファム=スドラは、人間離れしたフットワークでそれを許さない。

 あっという間に1分ほどの時間が経過して、それからふいに戦局が動いた。

 バードゥ=フォウの手をすり抜けたライエルファム=スドラが、ものすごい低姿勢で突進したのだ。


 そうして気づくと、ライエルファム=スドラはバードゥ=フォウの足の間をくぐって背後を取っていた。

 まさしく獣じみた俊敏さである。


 ぎょっとした面持ちでバードゥ=フォウは背後を振り返ったが、もう遅かった。ライエルファム=スドラが腰の帯をつかんで足をひっかけると、バードゥ=フォウはなすすべもなく地面に倒れ込んでいた。


「ライエルファム=スドラの勝利!」


 また人々が歓声をあげる。

 狩人の中には、感じ入ったように首を振っている者もいた。

 きっとこのように小柄なライエルファム=スドラがここまで手練であるとは、予見できなかったのだろう。誰もがアイ=ファのように相手の力量を見抜ける眼力を有しているわけではないのだ。


 そうしてまた10分ほど他の男衆による力比べが行われたのち、ついに決勝戦の運びとなった。

 アイ=ファ対ライエルファム=スドラである。

 いちおうは家長同士の対決となったが、ふたりはともに6氏族で一番小さな家の家長であり、しかも体格の面では優位性を持っていなかった。


(でも、これはまぐれでも何でもないんだろうな)


 俺とて、狩人の力量など見抜くことはできない。しかし、かつてアイ=ファはライエルファム=スドラに対して、「テイ=スンを退けることができる力量である」と評していた。なおかつテイ=スンというのは、「ルド=ルウとシン=ルウのふたりがかりでも生け捕りにするのは難しい」と評されていた人物でもあるのだ。


 けっきょくそれでどのような番付になるのかはわからないが、とにかくライエルファム=スドラというのが並々ならぬ力量を持つ狩人である、というイメージを俺は抱いていた。そのイメージ通りに、ライエルファム=スドラは闘技の力比べで決勝戦にまで進んでみせたのだった。


「始め!」


 再び審判役となったバードゥ=フォウが声をあげる。

 ライエルファム=スドラは、アイ=ファの周囲を回るように動き始めた。

 アイ=ファも対応しなければ、すぐに背後を取られてしまっただろう。アイ=ファと一定の距離を保ちつつ、ライエルファム=スドラは右に左にと円を描き続けた。


 アイ=ファはそれに合わせて身体の向きを修正しつつ、ときおり威嚇するように腕をのばす。

 ライエルファム=スドラがまったく手を出そうとしないので、アイ=ファの側から攻勢に出なくてはならないのだ。


 ライエルファム=スドラはその手を払いのけ、隙あらば懐に飛び込もうという動きを見せる。

 しかし、アイ=ファもライエルファム=スドラの接近を許さなかった。


 人々は、興奮しきった様子で歓声をあげている。

 そんな中、アイ=ファが大きく足を踏み込んだ。

 野生の猿じみたライエルファム=スドラにも劣らない俊敏さである。


 その指先が、ライエルファム=スドラの肩をつかむ。

 それと同時に、ライエルファム=スドラがぐりんと後方に向きなおっていた。

 その手が、アイ=ファの手首をつかんでいる。

 アイ=ファや、あるいはシン=ルウなども見せたことのある、一本背負いに近い体勢である。


 数日前のメルフリードと同じように、アイ=ファの身体がふわりと浮き上がった。

 やはり、無理にこらえると肘を痛めるような投げ技であるのだろうか。自分から地を蹴ったとしか思えないような勢いだ。


 アイ=ファの身体が、宙に弧を描く。

 若い女衆が、悲鳴をあげていた。


 しかしアイ=ファは空中で反転して、足から地面に降り立った。

 そのアイ=ファに、ライエルファム=スドラが身を低くして突っ込んでいた。


 アイ=ファの腹部にライエルファム=スドラの頭が激突し、アイ=ファの身体が後方に倒れ込む。

 しかしアイ=ファは背中を地面につけてしまう前にライエルファム=スドラの腰帯をひっつかんで、のけぞりながらその身体を後方へと放り出した。

 アイ=ファの腹にめり込んだ頭を支点にして、今度はライエルファム=スドラの身体が宙で一回転をする。


 が、ライエルファム=スドラもまた曲芸師のような身のこなしで身体をよじり、足から地面に着地した。

 地面に手をついて転倒をまぬがれたアイ=ファは、凄まじい勢いで身を起こす。


 すると、アイ=ファに背を向ける格好であったライエルファム=スドラは、そのまま地を蹴ってアイ=ファに肉迫した。

 その過程で身をよじり、肩からアイ=ファへとぶつかっていく。

 アイ=ファはようやく起き上がったところで、まだ不安定な体勢だ。


 真横を向いた格好で、ライエルファム=スドラはアイ=ファにショルダータックルをぶちかました。

 再びアイ=ファの身体が後方に倒れ込む。


 だが、アイ=ファの左腕がライエルファム=スドラの首を抱え込んでいた。

 右の腕では、背中側からまた相手の腰帯をつかんでいた。

 その体勢で、再び身体をのけぞらせる。


 プロレスの、ブレーンバスターのような格好である。

 ライエルファム=スドラの小さな身体が、また空中に弧を描くことになった。


 しかしその足は、膝が曲げられている。

 このままでは足裏から落ち、また体勢を立て直してしまいそうだ。


 果たしてそれを見て取ったのか、アイ=ファは最後の最後で身体を反転させた。

 背中から地面に向かっていたライエルファム=スドラの身体が、左肩から墜落する。


 その激突の衝撃で、両者の身体は地面から弾け飛んだ。

 アイ=ファは背中から倒れ込み、ライエルファム=スドラなどはバウンドを繰り返して地面を転がっていく。


 ライエルファム=スドラの身体は、何メートルも離れていた儀式の火のための薪の山に激突したのち、ようやく停止した。

 せっかくの薪が崩れてしまい、その何本かがライエルファム=スドラの背中に落ちる。


 それから、ライエルファム=スドラはぴょこんと上半身を起こした。


「うむ。やられてしまったな」


 あれだけ盛大に地面に叩きつけられたのに、まったくの無傷のようである。

 大歓声の中、アイ=ファはゆっくりと立ち上がる。


「闘技の勇者は、ファの家のアイ=ファに決定された!」


 バードゥ=フォウの声が響いた。

 それで俺は、溜めに溜めていた息をつくことができた。ふたりの凄まじい動きを目で追っている内に、俺は呼吸を忘れてしまっていたようだった。


「おめでとうございます、アスタ」


「アイ=ファはやっぱりすごいですね、アスタ」


 左右から、トゥール=ディンとユン=スドラが笑顔でそのように呼びかけてきた。

 トゥール=ディンの頭ごしに、サリス・ラン=フォウが目もとを潤ませながらアイ=ファを見つめている姿が見える。

 ライエルファム=スドラの奥方であるリィ=スドラも、涼やかな笑顔で拍手をしてくれていた。


 そうして数時間に渡って繰り広げられた5つの力比べの儀は、ようやく終局を迎えたのだった。

 歓声と拍手を満身にあびながら、アイ=ファは目を閉ざして衣服の砂を払っていた。

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