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異世界料理道  作者: EDA
第二十三章 闘技の候
403/1704

小さき氏族の収穫祭②~力比べ・前半戦~

2016.11/22 更新分 1/1

 フォウの集落に、84名に及ぶ人間が勢ぞろいしていた。

 女衆や若衆はなるべく広場の端に固まり、中央に男衆が立ち並んでいる。広場の面積と人数の兼ね合いで、ルウの集落に百余名の血族が集結したときよりも、いささか人口密度が高くなっている感じである。


「今日という日を無事に迎えられたのは、誰にとっても寿ぐべきことであろう。血の縁を持たぬ氏族の人間と収穫の喜びを分かち合うというのはかつてない試みであるが、我々は同じ森の子、森辺の同胞だ。これを契機として、ファ、ディン、リッド、スドラ、フォウ、ランの絆がいっそう深まることを、俺はフォウの家長として強く願っている」


 フォウの家長たるバードゥ=フォウが、そのように挨拶の言葉を述べていた。

 身長は180センチ近くもありながら、痩身で骨ばった体格をした壮年の狩人だ。性格は沈着で、信義にも厚く、このような場を取り仕切るのにはもっとも適した人物だと思われる。


「そして今日は、この記念すべき日のさまを見届けるために、族長筋およびベイムの家から客人を招いている。客人はあくまで客人であり、力比べや晩餐の支度にも参加させることはかなわないが、やはり同じ森辺の同胞として、我らの行いを見届けてもらいたい」


 少し離れた場所に陣取っていた5名の人々が、無言のままに頭を下げた。

 他の男衆は狩人の仕事を果たしてから駆けつける手はずになっていたので、男衆はダリ=サウティのみだ。残る4名の女衆は、レイナ=ルウ、スフィラ=ザザ、フェイ=ベイム、そしてサウティの女衆という顔ぶれであった。


「では、時が移るので力比べの儀に移りたいと思う。最初の力比べは、弓の的当てだ」


 バードゥ=フォウの言葉とともに、一同はぞろぞろと集落の奥へと歩を進めた。弓の的当ては、集落に面した森の端で行われるのだ。


 それに参加する狩人は、総勢で33名である。

 35名のかまど番と、16名の若い衆、そして5名の客人たちに見守られながら、狩人たちは森の端に沿ってずらりと立ち並んだ。

 そこに、若衆の中でも13歳に近そうな少年たちが、たくさんの弓と矢を抱えて狩人たちの前に進み出た。


「すまぬが、提言したいことがある」


 と、そこで声をあげる者があった。

 誰あろう、それはアイ=ファである。


「非常に申し訳ないのだが、力比べを始める前に、少しだけ弓の練習をさせていただきたい」


「弓の練習?」と、何名かの狩人がいぶかしげな顔をした。


「うむ。私は父を失って以来、弓を扱っていなかったのだ。ひとりで狩りをするのに弓は不要に思えたしな。……なおかつ、父とともに家の弓も失われてしまったので、今日まで触れる機会を得ることができなかった」


「ほう……しかし、ファの家長が父を失ったのは、もう何年もの昔であろう?」


「父を失ったのは、2年半ほど前のことだ」


「2年半も弓に触れていなかったのでは、少しばかり練習をしたところで意味はないように思えるが」


「うむ。2、3本も射たせてもらえればそれでよい。弓を引く感覚というものを取り戻せれば、それで十分だ」


 バードゥ=フォウは小さくうなずき、少年のひとりに目で指示を送った。

「かたじけない」と目礼しつつ、アイ=ファがすっと弓に矢をつがえる。


 2年半ぶりとは思えぬような、美しいフォームである。

 しかし、森の端に放たれたその矢は、どこにも当たらず茂みの向こうへと消えてしまった。


 アイ=ファは動じず、2本目の矢をつがえた。

 今度は大きな樹木の幹の真ん中にその矢が突きたった。

 間髪を置かず、アイ=ファは3本目の矢を放つ。

 その矢は、2本目の矢の真横に突きたった。


「時間を取らせて申し訳なかった。これで十分だ」


 アイ=ファは少年に弓と矢筒を返し、別の少年が3本の矢を回収するために森の端へと駆けた。


「それでは、的当ての力比べを開始する。的となるのは、あそこに下げられた木の板だ」


 バードゥ=フォウの指し示す方向を見ると、確かに小さな木の板が樹木の枝に吊り下げられていた。


 10センチ四方の小さな板で、真ん中に黒い点が印されている。それが30センチぐらいの長さの蔓草によって、枝に下げられているのだ。

 1本の枝に下げられている的は3つで、それが2メートル置きに4セット準備されている。


「時間が惜しいので、4名ごとに同時に行えるように準備をした。合図をしたら的を揺らすので、10を数える内に3本の矢を放つ。それで中心の印を射抜いた数の多い者が勝者だ。印を射抜いた数も的に当てた数も同数であった場合は、再度の対戦となる」


 そうして、立ち位置は的から10メートルほど離れた位置に定められた。

 10メートルの距離から、動く的を狙って、3本の矢を放つ。それで10秒という時間制限までかけられるとなると、それはなかなかの難易度であるように感じられた。


「最初はなるべく血族でない同士で対戦したほうがよかろう。まずは人数の多いディン、リッド、フォウ、ランから1名ずつ挑むがいい」


 いよいよ力比べの開始である。

 心なし、俺の周囲の女衆はざわめき始めている様子であった。

 もちろんそれは、期待感を核としたざわめきだ。意中の男衆が存在する娘さんなどは、さぞかし胸を高鳴らせていることだろう。


 4名の狩人が矢筒を背負い、弓を手にして競技線の前に立つ。

 すると、グリギの長い棒を携えた2名の少年が、4本の木の真ん中に待機した。


「あれらの若衆が、棒を使って的を揺らす。若衆らが安全な場所に移ったのち、俺が合図の声をあげるので、そうしたら最初の矢を放つのだ。……お前たちも、準備はいいな?」


 バードゥ=フォウの足もとから、「はーい!」という元気いっぱいの声があがる。

 いつの間にやら、小さな幼子たちがそこに集結していたのだ。それはいずれも幼子の証であるワンショルダーの装束を纏った、10歳未満の子供たちであった。


「よし、的を揺らすがいい」


 少年たちが左右に分かれて、グリギの棒で的を揺らしながら外側に走り始めた。

 その少年たちが最後の的を弾いて5メートルばかりも離れたところで、バード=フォウが「始め!」と声をあげる。


 4名の狩人が、矢筒に手をのばした。

 それと同時に、幼子たちが「いーち! にーい!」と数を数え始めた。

 この幼子たちは、タイムキーパーであったのだ。

 にこにこと笑いながら大きな声で数を数えるその姿は、何とも言えず愛くるしかった。


 しかし、狩人たちのほうは真剣そのものだ。

 10秒以内に3発ということは、1本の矢を放つのに3秒ていどの時間しか与えられていないのである。矢筒から矢を抜いて、弓につがえ、照準を合わせて発射するのに、それはきわめてタイトな時間制限であるように思われた。


 しかも的は、動いているのだ。

 棒で適当に払っただけなので、タイミングが悪ければ板が真横を向いてしまったりもする。これで的の真ん中を狙うことなど、なみの技術ではかなわない所業であろう。


 放たれた矢が、ひゅんひゅんと空気を引き裂く。

 何本かの矢は的に当たり、何本かの矢は奥の茂みへと消えた。


「きゅーう! じゅう!」


 幼子たちの合唱がやんだ。

 12本の矢は、すべて射出されていた。

 10歳以上の少年や少女たちが、的の確認と矢の回収に向かう。


「こちらは、1本が的中です!」


「こちらは、的中ありません!」


「こちらは、1本です!」


 あくまで木の板に当たった数よりも、真ん中の印を射抜けたかどうかが重要であるらしい。

 で、印を射抜いた数が同数であった場合にのみ、的に当たった数が判定の材料とされるようだ。


 そういったルールのもと、勝利を収めたのはフォウの男衆であった。

 フォウとランでは毎回この的当ての力比べをしていたようなので、ディンやリッドの狩人よりも若干有利なのかもしれない。


「すごいなあ。俺なんて、的にかすらせることもできないよ。……というか、弓そのものを扱ったことがないんだけど」


 俺がこっそりそのような感想を述べると、隣にいたトゥール=ディンがはにかむように微笑んだ。


「アスタはかまど番なのですから、それが当然です。わたしだって、弓などは触れたこともありません」


「うん、まあ、それはそうなんだろうけどね」


 しかし、見物に回っているかまど番の中で、俺は唯一の男衆であるのだ。若衆でも幼子でも男児であれば力比べの雑用を手伝っているので、俺の周囲には見事に女衆ばかりが居並んでいる。


(まあ、それはアイ=ファも同じことか。こういう場だと、女狩人と男のかまど番ってのが森辺でどれだけ異質かってことを思い知らされるなあ)


 しかしまた、今さらそのようなことを苦にしても始まらない。

 俺としては、家人としてアイ=ファの健闘を願うばかりである。


 そうして的当ての力比べは着々と進められていった。

 その中で、スドラ家の面々は非常に優秀な成績を残していた。

 特にチム=スドラなどは、3本の矢を的に当て、その内の2本を小さな印に的中させてのけたのである。


 スドラ家もまた、的当ての力比べを行っていた氏族であるのだ。

 なおかつ、優秀な成績を残す人間には、小柄な狩人が多いようにも見受けられた。


 そういえば、ルド=ルウもジーダも平均よりは小柄であり、そしてどちらもがすぐれた弓の使い手である。

 小柄な人間は弓の仕事を任される機会が多い、という側面も存在するのかもしれない。


 そんな中、いよいよアイ=ファの出陣であった。

 お相手は、フォウとディンとリッドの男衆だ。


 呆れたことに、アイ=ファは3本の矢をすべて木の板に当てていた。

 なおかつ、その内の1本は真ん中の印まで射抜いていた。

 他の男衆も1つは印を射抜くことができていたが、3本とも的に当てた人間はいなかったので、アイ=ファは判定勝ちをもぎ取ることになった。


 狩人たちの何名かは感心したような声をあげ、女衆の何名かははしゃいだような声をあげていた。

 そういえば、アイ=ファは女衆の間でもなかなかの人気を獲得しているのである。初めてギルルが我が家にやってきた際、颯爽とそれを乗りこなす姿をお披露目したときなどは、黄色い声援を送られていたものであった。


「すごいですね。2年以上も弓に触れていなかったのに、アイ=ファは勝ち抜いてしまいました」


 ユン=スドラが、いささか興奮した面持ちでそのように述べていた。


「うん、だけどスドラの男衆も全員が勝ち抜いてるね。特にさっきのチム=スドラはすごかったなあ」


「はい。スドラの力比べでも、チムは毎回、的当ての勇者に選ばれていました。ここ2年、1度も負けたことはないと思います」


 たしかチム=スドラは15歳であったはずなので、見習いの狩人として力比べに参戦するようになった13歳から、1度として負けたことがない、ということか。いかに4名しか狩人の存在しないスドラ家であっても、それは誇るべき成績なのだろうと思われた。


(ルド=ルウあたりが聞いたら、勝負を挑みたくなるかもしれないな。それはそれで、何だか楽しそうだ)


 そんなことを考えている間に、1回戦目は終了していた。

 狩人の総勢は33名なので、4名ずつで7試合、最後は3名と2名で勝負が行われ、準決勝に進んだのは9名である。

 その内訳は、スドラが4名、ランが2名、ファとフォウとディンが1名ずつというものであった。


 その中で、家長の座にあるのはアイ=ファとライエルファム=スドラのみである。

 バードゥ=フォウなどはなかなかの貫禄であるし、リッドの家長も歴戦の狩人であるという評判であったが、弓はそれほど得手ではなかったらしい。準決勝に勝ち進んだ人間は、やはり総じて小柄であるように感じられた。


「残りは9名なので、次は3名ずつで行うことにしよう」


 最初の3名は、アイ=ファとスドラとランの男衆であった。

 これがなかなかの熱戦で、全員が3つの的に矢を当てていた。

 しかも全員が真ん中の印に1本を当てていたので、再試合が行われることになったのだ。


 次の試合ではスドラの男衆が1本を外してしまい、敗退することになった。

 アイ=ファとランの男衆は、またもや3本を的に当て、1本を印に当てていた。


 ということで、今度は2名による3試合目である。

 ふたりの放った6本の矢は、また残らず木の板を撃ち抜いていた。


「こちらは、1本が的中です!」


「こちらは、2本が的中です!」


 おおっ、と軽いどよめきがあがる。

 勝利したのは、ランの男衆であったのだ。


 何となく、アイ=ファが勝利するのではないかという空気になっていたのかもしれない。相手の男衆は中肉中背で、どことなく柔和な面立ちの若者であった。


「私の負けか。お前はすぐれた弓の使い手であったのだな」


 アイ=ファがそのように呼びかけていた。

 ランの男衆は、とても優しげな表情で微笑んでいる。


「俺は刀を扱うのが苦手なので、弓の腕を磨いたのだ。しかし、アイ=ファのようにすぐれた狩人に勝利できたことを誇らしく思う」


「私は2年以上も弓に触れていなかったのだ。腕を誇りたいなら、次の勝負も勝ち抜いてみせるがいい」


 アイ=ファはぷいっとそっぽを向いて、人垣のほうに戻ってきた。

 何となくその様子が気になったので、俺も声をかけてみることにする。


「アイ=ファ、お疲れさま。あのラン家の男衆は知り合いだったのか?」


 するとアイ=ファは何故かしら、おっかない目つきで俺の顔をにらみつけてきた。


「……フォウやランとは2年以上も縁を絶っていたが、その前は普通に交流があったのだ。これだけ家が近いのだから、顔見知りのひとりやふたりはいてもおかしくはなかろうが?」


「いやまあ、そりゃあそうなんだろうけど。アイ=ファが他の男衆に声をかけるのは珍しいと思ってさ」


「ふん!」とアイ=ファは鼻を鳴らし、そのまま立ち去ってしまった。

 わけのわからない俺のもとに、背後からサリス・ラン=フォウが声をかけてくる。


「アスタ、今のはマサ・フォウ=ランといって、わたしともアイ=ファとも顔馴染みなのです」


「ああ、そうだったのですか。ラン家に婿入りしたフォウ家の男衆であったのですね」


 ならば、ラン家からフォウ家に嫁入りしたサリス・ラン=フォウとは真逆の立場である。

 サリス・ラン=フォウは、何かを懐かしむように目を細めながら微笑んだ。


「以前にも少しお話ししたと思いますが……かつてわたしは、マサ・フォウ=ランに嫁入りする約定を交わしていました。しかし、彼がアイ=ファに懸想してしまったため、その弟の嫁となったのです」


 言葉を失う俺の前で、サリス・ラン=フォウはまだ微笑んでいる。


「それでマサ・フォウ=ランのほうは約定を破った責任を取り、ラン家の別の女衆に婿入りすることになりました。それも2年以上も昔の話なので……きっとアイ=ファとマサ・フォウ=ランも、2年以上ぶりに言葉を交わしたのでしょうね」


 フォウ家やラン家はスン家の目を恐れて、ファの家との縁を絶つことになった。しかしその前から、サリス・ラン=フォウはアイ=ファと疎遠になってしまっていたのだ。その原因が、他ならぬ彼の存在だったわけである。


「それはまた……確かにアイ=ファの立場であれば、彼と口をきく気持ちにはなれなかったでしょうね」


 俺の見る限り、近在の人間でもっともアイ=ファと親しくしていたと思われるのは、このサリス・ラン=フォウである。そんな彼女が嫁入りする予定であった相手がアイ=ファに懸想したために、彼女との関係がこじれてしまっただなんて、アイ=ファにしてみれば居たたまれない話であっただろう。


「だけど、いまのわたしは幸福です。伴侶となったフォウの末弟は、とてもわたしを慈しんでくれましたし、アイムという大事な存在を授かることもできました。それでアイ=ファとも縁を結びなおすことができたのですから、これ以上の幸福は望むべくもありません」


「……そうですか」


 いずれもそれは、俺がこの森辺を訪れる前の出来事である。

 それでアイ=ファとサリス・ラン=フォウにわだかまりがなくなったというのなら、俺がマサ・フォウ=ランという人物に怒りを向けてもしかたがないだろう。


(人を好きになるって感情は止めようがないもんな。けっきょく彼も、アイ=ファへの気持ちを成就させることはかなわなかったわけだし)


 胸中に生じたもやもやとした感情は、整理箱にしまいこんで蓋をしておくことにした。


 その間に準決勝の2回戦目は終了しており、スドラとフォウの男衆を下したチム=スドラが決勝進出を決めていた。


 最後の準決勝は、ライエルファム=スドラと、ランとディンの男衆である。

 俺の隣で、トゥール=ディンが祈るような眼差しになっていた。


「ディン家からもひとり勝ち残っていたんだね。スドラの家長は強敵だと思うけど、頑張れるといいね」


「はい。……実はあの男衆は、わたしの父なのです」


「あ、そうだったんだ? それじゃあ、なおさら応援しないと」


 初めてはっきりと目にするトゥール=ディンの父親は、30前後のすらりとした男衆であった。そんなに長身ではないが、リャダ=ルウのように精悍かつ沈着な面立ちをしている。


 いっぽう、ライエルファム=スドラは小猿を思わせる独特の風貌で、身長は150センチ足らず、手足も相変わらず細っこい。それでいて、眼光の鋭い手練の狩人であった。


 なおかつ、3人目のランの男衆も、何とはなしに目をひかれる風貌であった。

 まだずいぶんと若そうだ。下手をしたら、俺より年下なぐらいかもしれない。

 しかしそこそこ長身で、引き締まった身体つきをしており、褐色の髪を長くのばしている。目もとが涼やかで、なかなか男前であるようだった。


(何だろう。ルウ家の狩人みたいに堂々とした雰囲気だな。妙に自信にあふれているっていうか……何となく、只者ではなさそうだ)


 俺に狩人の力量をはかる眼力などは備わっていない。

 が、この際は珍しくも予感が的中した。その試合においては、彼がライエルファム=スドラとトゥール=ディンの父親を下して勝ち抜いてしまったのである。

 一部の女衆が、きゃあっと華やぐ声が聞こえた。


「彼は人気者みたいですね。ランの本家の長兄か何かですか?」


 サリス・ラン=フォウに問うてみると、「いいえ」という声が返ってきた。


「あれはジョウ=ランといって、ランの分家の長兄です。わたしにとっては、母の弟の子にあたります」


 ならば、サリス・ラン=フォウにとっては従兄弟ということだ。

 サリス・ラン=フォウは、ちょっと不思議そうに小首を傾げていた。


「フォウの家に嫁いでからは、あまり親交もなかったのですが……ずいぶん狩人としての力をつけたようですね。この前の収穫祭では、的当ての力比べで結果を残してはいなかったと思います」


「なるほど。年齢はおいくつで?」


「たしか、16になったばかりだと思います」


 ならば、まだまだ成長の過程にあるということなのだろう。男子三日あわざれば何とやら、というやつだ。


(16歳なら、シン=ルウやゲオル=ザザと同い年ってことか。最近はその世代とご縁があるな)


 ともあれ、的当ての力比べもいよいよ決勝戦であった。

 出場者は、チム=スドラ、マサ・フォウ=ラン、ジョウ=ランの3名である。


 最初の試合は、また3名ともに引き分けであった。

 次の試合では、1本を的から外したマサ・フォウ=ランが敗退することになった。

 3度目の試合では、両者ともに的を外さず、なおかつどちらも真ん中の印を2つ射抜いていた。

 さらに4度目の試合では、両者ともに3つの印を射抜くという、ものすごい結果になった。


 女衆ばかりでなく、男衆たちも歓声をあげ始める。

 この条件で全弾を印に的中させるというのは、やはり生半可なことではないのだ。


 5度目の試合では、ともに2つの印を射抜いた。3本目の矢も、板からは外れていない。

 そうして、6度目の試合――全試合を通じて、初めてジョウ=ランが的を外すことになった。


 ジョウ=ランは2本、チム=スドラは3本を的に当てている。

 結果の確認におもむいた若衆は、興奮した面持ちでこちらを振り返った。


「ジョウ=ランの矢は、2本とも印を射抜いています!」


「チム=スドラの矢も、2本が印を射抜いています!」


 僅差で、チム=スドラの勝利である。

 身長160センチていどの小柄な若き狩人は、額の汗をぬぐいながら天を仰いだ。

 ジョウ=ランは、春風のような微笑を浮かべながらそちらに近づいていく。


「お見事でした。悔しいですが、俺の負けです」


「いや、的の揺れ方で勝負は分かれてしまうからな。どちらが勝ってもおかしくはなかったと思う」


「それなら、この結果が森のお導きですよ」


 若き狩人たちの熱戦を、みんなは歓声と拍手で祝福していた。

 それがようやく収まった頃、バードゥ=フォウが前に進み出る。


「的当ての勇者は、スドラ家のチム=スドラに決定された。次は、荷運びの力比べに移りたいと思う」


 荷運びというのは、かなり腕力がものをいう競技であるようだった。

 俺たちが水瓶などを運ぶために使う「引き板」という器具を使って、荷物を運ぶのだ。


 引き板というのは、板の下に保護用の毛皮を張った、大きくて頑丈な板である。

 大きさは1メートル四方ぐらいで、何枚かの板がフィバッハの蔓草で結びあわされている。さらに蔓草で引手もつけられているので、それを引っ張って荷物を運ぶのだ。


 その荷物というのは、森辺の幼子たちであった。

 ひとつの引き板につき、2、3名の幼子が乗り、50メートルほどの距離をいかに早く走り抜けるか、というルールであるらしい。

 これも4名が同時に試合を行うことになった。


「幼子の大きさで人数は異なるが、重さはほぼ同じであるので、どれを選んでも不公平にはならぬはずだ」


 もちろん森辺に体重計などというものは存在しないが、シーソーのような器具を突貫でこしらえて、重さが均等になるように振り分けられていた。

 中には12歳ぐらいの大柄な少年が5歳ぐらいの幼子を抱いているという組み合わせもある。

 7、8歳の幼子が3名乗った引き板などでは、先頭の子が引手の蔓草の根もとをつかみ、他の2名がその腰にしがみつくという、これまた愛くるしい有り様であった。


(だけど、あれぐらい小さな子でも25キロぐらいはありそうだよな。それが3名で、75キロか。それで50メートル走とか、かなりしんどいぞ)


 が、参加するのは森辺の狩人たちである。

 いざ試合が行われると、彼らは尋常でないスピードで広場を駆けることになった。


 言ってみれば、大柄な成人男性を担いで走っているようなものなのに、俺の全力疾走より速いぐらいのスピードである。やはり狩人というのは、筋力からして並外れているらしい。


(これじゃあさすがに、アイ=ファも勝ち抜くのは厳しいな)


 アイ=ファはルウ家で8名の勇者に選ばれるほどの狩人である。が、それはあくまで闘技の力比べであり、筋力そのものの勝負では不利になるのも否めなかった。


 それでもアイ=ファがかろうじて一回戦を勝ち抜いたのは、根性と幸運のかけあわせであったのだろう。

 対戦相手もチム=スドラやフォウ家の若い男衆という小柄な人間が多く、アイ=ファは鼻差で勝利を収めることができた。


 しかしやっぱり、準決勝でまで勝ち抜けるのは、体格にすぐれた狩人ばかりであった。

 小さき氏族には、際立ってすぐれた体格を持つ狩人というのはあまり存在しない。身長はあっても痩せていたり、横幅はあっても身長が低かったり、というのがほとんどであるのだ。それは彼らが何代かに渡って厳しい食料事情で生きてきた証なのだと思われた。


 そういった枠内の中で、比較的体格のすぐれた人間が、この力比べにおいては勝利を収めていた。

 弓の的当てとは、正反対の結果である。


 決勝戦に進出したのは、バードゥ=フォウと、リッドの家長と、ディンの家長であった。

 特にリッドの家長は、身長は180センチ前後、体重も100キロぐらいはありそうな感じで、しかも大柄な体躯に似合わず走ること自体が得手であるように見えた。太鼓腹のくせに異様な俊足を誇っていたダン=ルティムを思い出させるたたずまいである。


「リッドの家長はスン家が族長筋であった頃から、一目置かれているようでした。そうして強い力を持つ氏族であったからこそ、スン家にも眷族になることを許されたのでしょう」


 とは、トゥール=ディンの弁である。

 ここでは番狂わせも起きず、リッドの家長が勇者の称号を手にすることになった。バードゥ=フォウは、惜しくも2位である。


「いやあ、どの勝負も見ごたえがあるなあ。正直言って、俺は闘技よりもこういう力比べのほうが安心して楽しめるよ」


「はい。わたしも同じ気持ちです」


 トゥール=ディンは、嬉しそうに微笑んでいた。

 ちなみに彼女の父親は、準決勝でリッドの家長に敗れてしまっていた。

 しかし狩人の力比べというのは、勝つことが誇りになっても負けることが恥とはならないのだ。的当てにしても荷運びにしても、彼らは誰もが尋常ならざる力を見せつけてくれているのだから、それも完全に正しい考えであるように思われた。


「アイ=ファは立て続けに苦手な勝負が続いちゃったな。後半戦は頑張っておくれよ」


 ということで、俺も通りかかったアイ=ファに気安く声援を送ったのだが、またおっかない目つきでにらまれてしまった。

 で、指先でちょいちょいと招かれて、人垣の外にまで連れ出されてしまう。


「……お前はずいぶん楽しげな顔をしているのだな、アスタよ」


「え? そりゃまあ純粋に楽しませていただいているけれども」


 するとアイ=ファはいっそう怒った顔になり、小声で文句を言いたててきた。


「宴を楽しむのはけっこうなことだが、私がこのように負け続けているというのに、お前は少しも悔しくは感じぬのか?」


「ええ? だって、苦手な勝負が続いちゃったんだから、さすがにそこまで悔しがらなくても――」


 そのように言いかけて、俺は思い出した。アイ=ファはルウ家の力比べでダン=ルティムに僅差で負けてしまったときも、無茶苦茶に悔しそうな様子を見せていたのである。


「そうか。アイ=ファは意外に負けず嫌いなんだっけ。苦手な的当てや荷運びでもそこまで悔しがるなんて、ほんとに貪欲なんだなあ」


「悔しさを感じずに成長など見込めるものか。お前だって、料理の勝負に負ければ悔しかろうが?」


「うーん、アイ=ファもご存じだとは思うけど、俺は苦手なお菓子の勝負とかだったら、負けても悔しくは感じないんだよ」


 虚言は罪なので、俺は正直に答えてみせた。

 その結果として、アイ=ファにはおもいきりすねられてしまった。人目がなかったら頭でぐりぐりされていたかもしれない。


「……お前はジェノスの闘技会であのように取り乱していたのに、ずいぶん態度が違っているではないか」


「うん? ジェノスの闘技会がどうしたって?」


「シン=ルウのことは声をあげて応援していたのに、私に対してそうしないのはおかしいと述べているのだ」


 ぼしょぼしょと小声で囁きながら、アイ=ファの唇はこれ以上ないぐらいとがりまくってしまっている。

 俺としても、人目がなかったら思わず頭をなでてしまいそうになるほどの、それは愛おしい仕草であった。


「ごめんごめん。でもあれは、闘技の試合だからこっちも取り乱しちゃったんだよ。心の中ではめいっぱい応援してるから勘弁してくれ」


「…………」


「アイ=ファは気づいてなかったかもしれないけど、ダン=ルティムとの力比べのときなんかは、俺も思わず声をあげちゃってたと思うぞ?」


 すると、アイ=ファの眉がきつく寄せられた。

 そして、ついに抑制を失ってしまい、一発だけこつんと頬に頭突きをしてくる。


「……お前の声を私が聞き逃すと思うのか、うつけ者め」


 そうしてアイ=ファは身を離し、後も見ずに立ち去ってしまった。

 俺は頭をかきながら、トゥール=ディンたちのもとへと舞い戻る。


 するとそこには、意外な人物も待ち受けていた。

 サリス・ラン=フォウのかたわらに、あのジョウ=ランという若き狩人が立ちはだかっていたのである。


「きちんと顔をあわせるのは初めてのことですよね。俺はランの家のジョウ=ランです、ファの家のアスタ」


「ああ、どうも。さきほどの的当てはお見事でしたね」


「ありがとうございます。……でも、俺みたいな若造に、そんな丁寧な言葉を使う必要はありません。どうぞ気楽に喋ってください」


 ジョウ=ランは、にこりと微笑んだ。

 身長は、俺より5センチほど高いぐらいであろうか。いくぶん垂れ気味の目をしているせいか、とてもやわらかい表情に感じられる。


「アイ=ファに小突かれていたようですが、何か諍いでも起きてしまったのですか?」


「ああ、いや、別に……いつものことなので、気にしないでおくれよ」


 最初に丁寧な言葉を使うとそれが習慣づいてしまうので、俺は意識的に口調を変えてみせた。

 それはともかくとして、さきほどの一幕を見られてしまっていたのは気恥ずかしい限りである。


「それなら、よかったです。いまや俺たちにとってファの家はかけがえのない存在なのですから、諍いなど起きてしまったらとても悲しいです」


 外見通り、とても人あたりのやわらかい少年であった。

 それに、男衆でこれほど言葉づかいが丁寧な人間というのも、ガズラン=ルティムを除けば初めてであるかもしれない。


「それじゃあ、俺は戻ります。アスタたちの作る美味なる料理を楽しみにしていますよ」


 そうしてジョウ=ランもバードゥ=フォウのほうに戻っていった。そちらでは、3つ目の競技に備えて、移動を始めるところであったのだ。


「何だか不思議な雰囲気の男衆ですね。サリス・ラン=フォウが話をしていたのですか?」


「はい。顔をあわせるのもひさびさであったので、挨拶に来てくれました」


 そのように言いながら、サリス・ラン=フォウは少し複雑そうな表情をしていた。


「でも、あまりはっきりとはわからなかったのですが……ジョウ=ランは、ずいぶんアイ=ファのことを意識しているようでした」


「アイ=ファのことを? それはどういう意味でしょう?」


「ううん、何と言ったらいいのでしょうね……とりあえず、アイ=ファが苦手なもので勝っても自慢にはならない。残りの3つの力比べはどれも得意そうだから、どのような結果になるか楽しみだ、と言っていました」


 それは確かに、よくわからない言い様であった。

 まあ、アイ=ファを意識しているというのは確かであるのだろう。


「何でしょうね。アイ=ファの力量は近在の氏族でも評判になっているはずですから、それに打ち勝つのを目標にしている、ということなのでしょうか」


「そうですね。少なくとも、アイ=ファに対して悪い感情を持っているようには見えませんでした」


 ならば、心配は不要であろう。

 そのように思いながら、俺もいささかサリス・ラン=フォウの落ち着かなさげな様子が伝染してしまっていた。

 あの少年のつかみどころのない雰囲気が、それに拍車をかけているのかもしれない。


(まあ、森辺の民にも色んなタイプの人間がいるからな。仲良くなれれば、どんな人間なのかも自然に知れるだろう)


 ともあれ、残る力比べは3種目だ。

 俺たちも、バードゥ=フォウの指示で次なる舞台へと足を向けることにした。

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