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異世界料理道  作者: EDA
第二十三章 闘技の候
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ジェノスの闘技会③~剣王~

2016.11/5 更新分 1/1

「西! サトゥラス騎士団、レイリス! 東! 森辺の民、シン=ルウ!」


 そうして闘技会はつつがなく進行されていった。

 ちょろっと観戦するだけのつもりであったのに、ここまで来ると目が離せなくなってしまう。お留守番のトゥール=ディンたちには申し訳なかったが、こうなったらもうシン=ルウとゲオル=ザザがそろって敗退しない限りは森辺に帰れるものではなかった。


(ララ=ルウたちは、どんな心境で見守ってるのかな。今のところは危なげない勝ち方だから心配もないだろうけど)


 しかしこのレイリスというのは、やはりなかなかの難敵であった。

 朝からの試合でシン=ルウの戦法を見て取って、決して刀を打ち合わせようとしなかったのである。


 シン=ルウは、狩人の俊敏さでレイリスの刀を狙っている。しかしレイリスはなるべく追撃の難しそうな方向にステップを踏み、シン=ルウの刀に空を切らせていた。


 そして、隙あらば自分のほうが刀を突きこもうと、果敢にチャレンジを繰り返している。それでシン=ルウが危うくなることもなかったが、その代わりに動きを制限されている感はあった。


 おたがいの刀が空を切るばかりの静かな闘いであるが、観客たちも固唾を飲んでその攻防を見守っている。

 それだけの緊迫感が、両者の間からはたちのぼっていたのだ。


「ルウの狩人は、いささかおかしな闘い方をしているな。刀ではなく胴体を狙っていれば、何度かは打ち込めたように思えるぞ」


 そのように述べたのは、ライエルファム=スドラであった。

 腕を組んで両者の闘いを見守っていたアイ=ファも「うむ」とうなずいている。


「しかしシン=ルウは、先の力比べで相手に重い傷を負わせてしまったからな。しかもそれが今やりあっている相手の父親であったものだから、余計に剣筋が鈍ってしまうのかもしれん」


「ほう。それで手心を加えるのは、相手に対して何よりの侮辱と思えてしまうが」


「手心を加えているのではなく、自然に剣筋が鈍ってしまうのであろう。あのシン=ルウは、根っから優しげな性根をしているのだ」


 俺は驚いて、アイ=ファのほうを振り返ってしまった。

 それで、「何だ?」と横目でにらまれてしまう。


「いや、アイ=ファがそんな風に人のことを評するのは珍しいなと思って……まあ、シン=ルウともずいぶん長いつきあいだもんな」


 シン=ルウは、ずいぶん昔から護衛役として力を尽くしてくれていた。その末に、俺をサンジュラに拉致されて、自分の無力さを嘆くことになってしまったり、ラウ=レイを相手に特訓をすることになったり――とにかく、俺にとっても指折りで思い入れのある、大切な相手であったのだ。


(それにしても、あのレイリスってのは嫌になるぐらい冷静だな。晩餐会のときは、すごい目つきでシン=ルウのことをにらんでいたのに)


 俺は何となく、シン=ルウに声援を送りたくてたまらないような心地になってきてしまった。

 シーラ=ルウも、祈るような目つきでシン=ルウの闘いを見守っている。本来、今日の当番はレイナ=ルウであったが、彼女は弟のためにその順番をずらしてもらっていたのだった。


「シン=ルウ、頑張れー!」


 と、いきなり足もとから声があがったので、俺はびっくりしてしまった。

 見ると、リミ=ルウが口もとに手を添えて声援を送っている。

 前の席に座っていた人々は、それでようやく大勢の森辺の民がそこに集結していたことに気づいた様子で、目を丸くしていた。


 そんな中、じわじわと戦況が傾いてきた。

 シン=ルウの動きが乱れ始めたのだ。

 朝からの連戦で、ついにスタミナが切れてきたのかもしれない。今回は不正のない装備とはいえ、やはり甲冑などを纏って剣の試合に臨むのは、森辺の民の流儀ではないのである。


 俺だって、剣道の授業で防具ぐらいはつけたことがある。か弱き現代人にとっては、あれぐらいの装備でも負担になってしまうのだ。ただ重いというばかりでなく、動きづらいし、視界は悪いし、それに何より暑苦しい。革の土台に鉄板を張った甲冑ならば、それ以上の負荷となるに違いなかった。


 それにまた、こんな平地で、人間を相手に剣をふるう機会なんて、森辺の狩人にはほぼ存在しないのである。それでもシン=ルウたちが恐ろしいばかりの力を見せつけることができているのは、ひとえに卓越した身体能力と精神力ゆえであるはずであった。


「頑張れー! 最後まであきらめるな!」


 俺も思わず、声をあげてしまった。

 アイ=ファがぎょっとしたように振り返ったが、どうしても気持ちをおさえることができない。俺はリミ=ルウと一緒になって、懸命に声を振り絞った。


 そのとき、レイリスの足がシン=ルウの足を払った。

 シン=ルウは、背中から地面に倒れ込む。


 それでもレイリスは激さずに、小さなモーションでシン=ルウの胸もとに剣を突きたてた。

「うわっ!」と俺は目を閉じてしまいそうになる。


 しかしシン=ルウは身をよじり、レイリスの刀は地面に突き刺さっていた。

 それを真横から、シン=ルウが刀でなぎ払う。

 レイリスは両手で剣を引き抜き、その斬撃をやりすごした。


 そうしてレイリスはあらためて刀を振りかぶり、シン=ルウも寝転んだまま刀を一閃させ――喚声の静まっていた闘技場に、硬質の音色が響きわたった。


 数秒遅れて、弾かれた刀が地面に落ちる。

 刀を失ったのは、レイリスであった。


 シン=ルウは、可能な限り敏捷に起き上がり、レイリスと剣の間に立ちはだかろうとする。

 しかしレイリスは、そのまま地面に膝をついていた。

 この距離でも、鎧に包まれた背中が激しく上下しているのがわかる。

 森辺の狩人とここまで長い時間を闘い抜いて、彼のほうにもスタミナの限界が訪れていたのだ。

 人々は、我に返った様子で歓声をあげ始めた。


 シン=ルウも呼吸が苦しくなったのか、面頬を上げて天を仰いでいた。

 それからシン=ルウは、レイリスのほうに手を差しのべた。

 手を差しのべながら、何か言葉をかけているのだろうか。この距離では、そこまで見て取れない。


 やがてレイリスは、シン=ルウの手を取って立ち上がった。

 そうしてよろよろと自分の刀を拾い上げ、胸もとで垂直にかまえてみせる。

 ジェノスの騎士の、礼なのかもしれなかった。


 シン=ルウは、ひとつうなずいてから東側の出入口へときびすを返す。

 レイリスも、逆の側に足を向けた。

 両者の頭上には、万雷のごとき歓声と拍手があびせかけられていた。


「かろうじて勝てたか。次の勝負は、危ういかもしれんな」


 その歓声に半ばかき消されつつ、ライエルファム=スドラがそのようにつぶやいていた。


 次の試合は、ゲオル=ザザとメルフリードだ。

 その試合もまた、すさまじいの一言に尽きた。

 ゲオル=ザザは相変わらず野獣じみており、そしてメルフリードは難敵を前にしたことによって、ついにその力量をはっきりとあらわにしたのである。


 メルフリードは、レイリスに輪をかけて優美であった。

 それでいて、ふるわれる剣には力が満ちている。彼はレイリスよりひと周りも大きな体格を有しているのだ。幅や厚みはゲオル=ザザに負けているが、上背のほうは負けていない。


 そしてメルフリードは、機械のように正確でもあった。

 攻撃の際も防御の際も、最低限の動きしかしない。刀の切っ先が面頬をかすめても動じることはなく、メルフリードは淡々と、そして優雅に刀をふるい続けた。


 時にはそよ風のように、時にはつむじ風のように、緩急をつけて的確に動いている。相手は暴風さながらであるのに、その勢いを受け流して、ここぞというときに剣を打ち込む。それは対人の剣術を極めた者の、計算し尽くされた舞であった。


「あれは駄目だな。相手の手に乗って翻弄されてしまっている」


 ライエルファム=スドラがつぶやいたその瞬間、メルフリードの剣がゲオル=ザザの右手首を打った。

 鈍い音をたてて刀が地面に落ち、ゲオル=ザザは怒りの咆哮をあげる。

 そうしてゲオル=ザザは、素手のままメルフリードに襲いかかった。

 メルフリードは、下からすくいあげるように刀を突き上げた。


 刀の切っ先が真下からゲオル=ザザの下顎を打ち、その巨体をのけぞらせた。

 何の受身も取れないまま、ゲオル=ザザは背中から倒れ込んだ。

 その咽喉もとに、メルフリードは再度刀を突きつける。

 またすさまじい歓声とともに、メルフリードの勝利が告げられた。


「手首に、下顎に、咽喉。3回も斬られてしまったな」


「うむ。しかし、あのようなものをかぶっていなければ、下顎の攻撃はくらっていまい。それでも手首を打たれた時点で、力比べとしては勝負ありだが」


 ライエルファム=スドラとアイ=ファは、静かにこの闘いを寸評していた。

 下顎の一撃で脳震盪を起こしてしまったのか、ゲオル=ザザは立ち上がれずにいる。彼はうずくまったまま兜を引きむしり、地面に両方の拳を叩きつけて、怒りの雄叫びをあげていた。


「我らの刀はギバを狩るもの、あやつらの刀は人を斬るもの、その差が出てしまったな」


「うむ。いっそ甲冑など纏っていなければ、身軽に動けて勝利することもできたのであろうがな」


「だけどすごいね、森辺の狩人に勝つなんて! あれって灰色の目をした貴族でしょ? シン=ルウは勝てるのかなー?」


 と、無邪気なリミ=ルウが口をはさむ。

 しかし、アイ=ファたちがその質問に答えることはなかった。


 その間に、闘技場では3位以下の番付をつける勝負が始まっていた。

 ザッシュマによると、上位の8名は順位に応じた褒賞がもらえるのだそうだ。

 だが、ゲオル=ザザと対戦した準々決勝の相手は負傷のため欠場となり、下位の3名で総当たり戦が行われることになった。


 この時点で、時間は一刻以上も過ぎてしまっている。馴染みのない剣士たちが番付を決めている間に、モルン=ルティムとチム=スドラが待ちぼうけのトゥール=ディンたちにもう少しだけ待っていてもらえるよう伝えてきてくれた。


 下位決定戦ではシン=ルウに敗れた護民兵団の大隊長が5位の座に輝き、そして3位決定戦である。


 ゲオル=ザザと、レイリスの対戦だ。

 ゲオル=ザザは、まだ脳震盪のダメージから完全には回復できていないようだった。

 そしてレイリスのほうも、消耗したスタミナを回復しきれていなかった。

 おたがいに、これまでと比べれば半分がた力のない状態で対戦し、そこで勝利をもぎ取ったのは、なんとレイリスのほうであった。


 メルフリードとの対戦を観察し、分析していたのだろうか。おそらくは兜の死角を狙い、斜め下から刀を突き上げて、ゲオル=ザザを地に這わせることに成功せしめたのである。


 そういえば、頭にダメージをくらった状態で闘い続けると、今度はその半分の力の攻撃でもダウンをくらってしまうんだぞ、などとボクシング好きの親父が講釈を垂れていた記憶がある。

 何にせよ、3位の座を獲得したのはレイリスであり、ゲオル=ザザは4位であった。


 そうして迎えた、決勝戦――

 遠目で見る限り、シン=ルウのほうに異常は見られなかった。

 しかし、スタミナが万全でないことは明白である。確かにこうしてみると、森辺の民にとって甲冑の着用というのはハンデにしかなり得ないものなのかもしれなかった。


(まあ、ここまで勝ち抜けば十分さ。森辺の狩人の力量は、ジェノスだけじゃなく近場の町にまで鳴り響くに違いない)


 そうは思いつつ、シン=ルウの勝利を願ってやまない俺である。

 これは別に、森辺の狩人にとって誇りをかけた闘いではない。サトゥラス伯爵家との関係性を改善するため、森辺の狩人の力を世に知らしめるため、という目的はもう十分に果たせているはずだ。


 だけどそれでも、俺はシン=ルウの勝利を願ってしまっていた。

 ゲイマロスのときのように、無心にはなりきれない。シン=ルウが苦しそうであれば苦しそうであるほど、この勝負に打ち勝つことができれば、彼の自信の源になるのではないか――と、俺には思えてならなかったのだった。


(アイ=ファの見立てに間違いがなければ、メルフリードっていうのはサンジュラよりも腕が立つんだ。そのメルフリードに勝つことができれば――シン=ルウは、自分で求めていたぐらいの力を手に入れたってことになるんじゃないか?)


 かつてサンジュラにさらわれた俺がサイクレウス邸から解放されたとき、子供のように涙を流していたシン=ルウの姿を、俺は思い出してしまっていた。


 そこで「あっ!」とリミ=ルウの声が響く。

 メルフリードの刀が、シン=ルウの胸もとをかすめたのだ。

 俺の見間違いでなければ、胸あてと刀の衝突で火花が散ったようだった。


 後方に跳びすさったシン=ルウは、両手で刀をかまえなおしている。

 それと対峙するメルフリードは、左手だけでゆらゆらと刀を揺らしていた。


(……左手?)


 メルフリードは、左ききであっただろうか。

 いや、目をこらすと、左の前腕に小さな盾が装着されているのが見て取れる。シン=ルウやゲオル=ザザはまったく活用しようとしなかったが、ジェノス城の準備した甲冑にはそういう装備が仕様となっているのである。


 俺がいくぶん混乱している内に、メルフリードは左手の刀でシン=ルウに斬りかかった。

 シン=ルウはまた大きく跳びのいて、メルフリードの刀を狙う。

 相手の安全うんぬんは抜きにしても、リーチで負けているシン=ルウにとって、相手の刀を狙うというのは有効な戦術であるのかもしれない。


 しかしメルフリードはその斬撃を受け流し、優雅なステップで間合いを詰めた。

 刀の切っ先が繰り出される。

 その刀を握っているのは、右手であった。


 切っ先が、今度はシン=ルウの面頬をかすめる。

 数センチずれていれば、ここで決着がついていただろう。

 客席からの喚声がものすごかった。


「ふん、あの貴族は左右のどちらでも刀を扱えるのか。ずいぶん器用なことだ」


 喚声の向こうから、ライエルファム=スドラのつぶやく声がかろうじて聞き取れた。

 その瞬間、いきなり記憶の蓋が開いた。


(そうだ、《双頭の牙》!)


 かつてスン家を罠にはめるため、メルフリードは人相を隠して商団の護衛役を演じていた。そのときに名乗っていた名前が「ダバッグのハーン」であり、《双頭の牙》という異名を持つ《守護人》である、という設定であったのだ。


 そうしてメルフリードは、2本の刀を持ち歩いていた。

「ダバックのハーン」を演じていたときだけではない。彼はジェノスの騎士としての武装をするときも、同じように2本の刀を下げていたのである。


(メルフリードは、両手で刀を扱えるんだ。この闘技会では、2本の刀を使うことは許されてないみたいだけど……でも、左手で刀を扱えるということに変わりはない)


 しかし、ゲオル=ザザと対戦したときはそのような素振りを見せていなかったし、この決勝戦では、頻繁に刀を持ち替えている。その事実が、俺をぞっとさせた。


(もしかしたら、メルフリードは奥の手を使わないまま、ゲオル=ザザを負かしたってことなのか?)


 俺の不吉な予感を証しだてるかのように、シン=ルウはじょじょに追い詰められていった。

 左右で刀を扱えるというのは、いったいどれぐらい相手を惑わせることができるのか。そんなことは俺などにわかるはずもなかったが、シン=ルウは明らかに惑わされていた。両手で刀を握ったメルフリードが、次の瞬間にはどちらの手でそれをふるってくるのか、それがフェイントになってしまうのかもしれない。


 ガキンッ、という硬質の音色が、かすかに聞こえたような気がした。

 メルフリードの刀が、シン=ルウの顔面を打ったのだ。

 それで留め具の砕けた面頬が宙に舞い、地面に落ちていた。


 間合いの外に逃げながら、シン=ルウはまた肩で息をしている。

 その瞳は、きっと狩人の炎を燃やしてメルフリードをにらみすえていることだろう。


 俺は、再び叫んでいた。


「頑張れ、シン=ルウ! シン=ルウなら絶対勝てるよ! シン=ルウは、強くなったんだ!」


 メルフリードは、フェンシングのように刀を繰り出した。

 しかしその手にあるのは、武骨な長剣である。刃は落とされても重量に変わりはないはずなのに、それは優雅かつ軽やかにシン=ルウへと襲いかかった。


 シン=ルウの動きは、鈍っている。

 何度となく繰り出される切っ先から逃げるのに精一杯で、まったく反撃に転じることができない。

 リーチで負けている上に、相手は振りかぶらず真っ直ぐに刀を突き出してくるのである。しかもメルフリードはときたま持ち手を入れ替えて、シン=ルウを惑わせることも忘れなかった。


 やはり、機械のように正確な動きである。

 それでいて、肝が冷えるほど優雅でもある。

 それはまるで、毒を持つ蛇が冷徹に獲物を追い詰めているかのようにも見えた。


「シン=ルウ――!」


 そこでシン=ルウが、大きく跳躍した。

 前や後ろではない、左手側だ。

 メルフリードの刀と腕がのびきるタイミングで、横合いに跳びすさったのである。


 しかし、間合いは詰まっていないので、シン=ルウの刀が届く距離ではない。

 だからシン=ルウは、目の前にあるメルフリードの刀に刀を振り下ろした。


 両腕で握った、渾身の一撃だ。

 この距離でもはっきりと、火花が弾け散るのが見えた。


 折れた刀身が、くるくると宙に舞い上がった。

 刀は、真ん中でぽっきりと折れていた。

 ただし――折れているのは、シン=ルウの刀のほうだった。


 角度が悪かったのか、これまでの闘いで刀身が弱っていたのか、理由はわからない。とにかく、折れたのはシン=ルウのほうの刀であった。


 メルフリードが刀を引き、今度は横なぎに打ち払う。

 もはや刀を弾かれる恐れもないと見て、あちらも渾身の一撃をふるったようだった。


 空気に焦げ目のつきそうな斬撃だ。

 しかし、その刀身がシン=ルウの肉体に触れることはなかった。

 シン=ルウは、真横にふるわれたその刀よりも低い体勢を取っていた。


 曲げた膝に、自分の下顎が触れそうなぐらいの体勢である。

 甲冑で制限されたその身では、それが限界の低さであったに違いない。


 そしてシン=ルウは、その体勢で前方に踏み込んでいた。

 斬撃をかいくぐり、メルフリードの懐に飛び込んでいた。


 しかしメルフリードも、すでに身体を引いている。

 折れた刀では、すでに届かない距離だ。


 そうと見て取った瞬間、シン=ルウは頭上に手をのばしていた。

 唯一手の届く場所にあったメルフリードの刀を握った左手首を、両手で捕獲する。


 シン=ルウは身をよじり、頭から丸まるようにして地面に倒れ込んだ。

 手首をつかまれていたメルフリードは、その丸まった背中を飛び越すような格好で、宙に舞うことになった。


 何か、不自然なぐらいの勢いである。

 ひょっとしたら、踏ん張れば左腕を折られる危険があると見て、自分から跳躍したのかもしれない。


 何にせよ、メルフリードの長身は一回転して、背中から地面に叩きつけられることになった。

 そしてその咽喉もとに、シン=ルウが折れた刀を突きつけた。


 歓声が爆発した。

 リミ=ルウはアイ=ファに跳びついていた。


 そして、奇妙な物体が闘技場に出現した。

 玉虫色に輝くひらひらとしたものが地面の上にひらりと降り立ち、衛兵たちの腕をすり抜けて、シン=ルウのもとに跳びかかったのである。


 立ち上がろうとしていたシン=ルウは、その突進をくらってメルフリードの隣にひっくり返ることになった。

 玉虫色のきらめきは、そんなシン=ルウにのしかかったまま、昼下がりの日差しを受けてきらきらときらめいていた。


「んー? あれって、ララだよね?」


 そんなリミ=ルウのつぶやきも、津波のようにわきおこった歓声と拍手によってかき消されてしまった。

 俺は脱力し、背後の壁にぐったりともたれかかる。


 そうしてその年のジェノスにおける《剣王》の称号は、森辺の若き狩人シン=ルウに与えられることが決定されたのだった。

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