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異世界料理道  作者: EDA
第二十三章 闘技の候
399/1675

ジェノスの闘技会②~歴戦の勇士たち~

2016.11/4 更新分 1/1

 二度目のピークが訪れたのは、それから二刻ばかりが過ぎた頃であった。

 本日は日時計を設置していないが、太陽はほぼ真上に上がっている。中天となり、会場内でも小休止の時間となったのだろう。また1000名を超えようかという人々が石塀の向こうから吐き出されて、軽食を売るこちらのスペースに殺到してきたのである。


 朝方よりも、さらに凄まじい勢いだ。きっとこの時間に軽食を取ると決めていた人々のほうが数は多かったのだろう。よく考えれば、俺たちが営業を開始したのは四の刻の半ぐらいであり、ブランチとしてもいささか早すぎる刻限であったのだった。


 ということで、俺たちは再び津波のような猛襲を受け止めることとなった。

 料理は、飛ぶように売れていく。まだまだ料理は700食分ばかりもあまっているはずであったが、それは空恐ろしいほどの勢いで減じていってしまった。のんびりと食事を楽しむ復活祭のときとは、まるきり正反対の様相だ。


 やはりカレーの香りが強烈であるためか、この西の端が一番賑わっているように感じられた。

 ただし、あまりに行列が長くなってしまうと、待ちきれなくなったお客は離脱してしまう。おそらく今日ばかりは行列のできていない店などは存在しないことだろう。戦場とたとえるに相応しい賑わいである。


 見た感じ、ガラの悪いお客というのも少なくはない。しかし、そういった人々も闘技会について語るのに夢中になって、俺たちや料理の素性にまで頭が回っていなそうな様子であった。


 俺は、ひたすら商売にいそしむ。

 お客から銅貨を受け取って、木皿に『ギバ・ビーンズ』を注ぎ、木匙と焼きポイタンをひと切れ添えて、提供する。その繰り返しである。値段はいくらだとか果実酒は売ってないのかだとか、お客に問われるのもそういう業務的な内容ばかりだ。


「よお、ずいぶん繁盛してるみたいだな」


 そんな中、俺たちの前に姿を現したのは、ちょっとひさびさのザッシュマであった。


「あ、どうも。ザッシュマもジェノスに戻られていたんですか」


「ああ。この闘技会にあわせて戻ってきたんだよ。いちおう剣で身を立てている身としては、見過ごすわけにもいかないんでな」


 ザッシュマは復活祭を終えた後、またしばしジェノスを離れていたのである。顔をあわせるのは、20日以上ぶりのことであった。

 俺の屋台で『ギバ・ビーンズ』を購入してくれたザッシュマは、押し寄せるお客たちに弾かれるようにして姿を消してしまったが、やがて木皿を手にしたまま屋台の裏手にひょっこり現れた。


「ああ、こいつは美味い。これがジャガルのタウ豆ってやつか。ほくほくしていて面白い噛みごたえだな」


「ええ。このあたりでは豆らしい豆というものもありませんしね」


 並んだお客さんの応対に追われつつ、俺は適当に言葉を返す。フェイ=ベイムをまた客席のほうに派遣していたので、まったく作業の手は休められないのである。


「何だか人手が足りてないみたいだな。予選の試合が終わったのでその結果を教えてやろうかと思ったんだが、これではちと難しいか」


「いえ! それは聞かせていただけたらありがたいです!」


 と、言いながら、目の前のお客を二の次にすることもかなわない。

 すると、俺のすぐそばに控えていたアイ=ファが「私がうかがおう」と言い出してくれた。


「シン=ルウとゲオル=ザザは、いまだ勝ち抜いているのであろうか? 森辺の狩人がそうやすやすと打ち負かされることはないと思うのだが」


「ああ、森辺の狩人はふたりとも勝ち抜いているよ。俺もずいぶん稼がせていただいた」


「稼ぐ? とは、何の話であろう?」


「会場の中では、どっちが勝つかっていう賭けも行われているんだよ。森辺の狩人に賭けるだけで銅貨が舞い込んでくるんだから、あまり面白みのある勝負ではなかったがね」


 背後から、ザッシュマの笑い声が響いてくる。


「しかしこれで会場の連中にも、森辺の狩人の尋常でない力量ってやつが知れ渡っちまったから、次からは配当も下げられちまうだろう。そろそろ森辺の狩人といい勝負ができそうな連中ともぶつかる頃合いだしな」


「そのような手練も、町には存在するのだな」


「ああ。もちろんそんなのは、数えるほどしかいないがね。俺の見たところ、森辺の狩人とまともに渡り合えそうなのは……お前さんがたもご存じのメルフリード殿と、同じ近衛兵団の副団長であるロギン、護民兵団の大隊長デヴィアス、あとは傭兵団《赤の牙》の団長ドーンぐらいかな。もうひとりやふたりは筋のよさそうな連中もいたが、初めて聞く名前だったので忘れちまった」


 では、ゲイマロスの子息たるレイリスはどうなのだろう。

 俺と同じことを疑問に思ったらしいアイ=ファがそれを尋ねると、ザッシュマは「うーん?」とうなり声をあげた。


「サトゥラス騎士団とかいう所属で若い騎士が残ってたみたいだから、そいつのことかな? 予選はいっぺんに8組ずつ行われたりするんで、俺も全部の試合を見届けてるわけじゃないんだよ」


「そうか。しかし、シン=ルウらと互角に渡りあえそうな人間が4名もいるというだけで、それは驚嘆に値するな」


「ふうん? ちなみにそのシン=ルウってのは、森辺だとどれぐらいの力量の狩人なんだい?」


「どれぐらいと問われても困るが、ルウ家の力比べで8名の勇者に選ばれるほどの力量ではある」


「それだけで何だか凄そうに聞こえちまうな。まあ実際、どちらの狩人も物凄い力量だったよ。背の小さなほうはすべての試合で相手の剣を弾き飛ばしていたし、もうひとりのでかいやつは……それこそ、野の獣みたいな暴れっぷりだったな」


 そこでザッシュマは、低い笑い声を響かせた。


「若い頃は、俺もこの闘技会ってやつに出場したりしていたんだがね。森辺の狩人やメルフリード殿はもちろん、ロギンやデヴィアスなんていう連中にも勝てる気はしない。それじゃあ名を上げるどころか下げる羽目にもなりかねないので、こうして見る側に回ってるわけだよ」


「ふむ。町の人間としては、あなたもなかなかの力量だとお見受けするが」


「そりゃまあ王都から《守護人》の資格をもらった身だからな。そこらの連中に遅れは取らないよ。だから、さっき名前をあげた連中は、それ以上の手練ってことさ。北部から流れてきた傭兵のドーンはともかく、ジェノスの騎士たちなんてのは、こんな平和な土地でよくもあそこまで腕をあげたものだと感心させられるよ」


 確かに、シン=ルウたちと互角に渡りあえそうな人間が4名も存在するというのは、俺にとっても驚きであった。

 その反面、千人だか万人だかの兵士を抱えているであろうジェノスにおいて、森辺の狩人に匹敵する剣士が数名しか存在しないのか、という思いもある。


 しかもシン=ルウは、8名の勇者とはいえ、いまだ16歳の少年だ。ざっと数えあげるだけでも、ルウの本家の4名に、ガズラン=ルティムとダン=ルティム、ラウ=レイとギラン=リリン――それに、アイ=ファやミダなどなど、互角かそれ以上の力量を持つ狩人がぞんぶんに控えている。さらにはグラフ=ザザとディック=ドムを筆頭に、北の集落にも大勢の有力な狩人が存在するのである。


(それらの全員が闘技会に参加してたら、ものすごい騒ぎになっちゃうんだろうな。もちろんドンダ=ルウたちがそんな真似をするはずはないけど)


 そんなことを考えながら、俺はひたすら料理を配り続けた。

 そこに、新たなざわめきが接近してくる。

 およそ10名もの衛兵に守られた巨大なトトスの荷車が、人混みをかきわけるようにしてしずしずと俺たちのほうに近づいてきたのである。


 その荷車には、ジェノス侯爵家の紋章が掲げられていた。

 作業台の脇に荷車がとめられると、その中から大きな陶磁の深皿を掲げた人々が6名ほど現れる。

 一見して、城下町の民と知れる身なりである。が、貴族ではなく、従者の類いであろう。いずれも壮年の男性だ。


 その従者たちはふたりひと組で巨大な深皿を掲げると、周囲から好奇の視線をあびせかけられながら、俺たちの店に並んでいた。

 端から順に大量の料理を買い、そのたびに新しい深皿を準備して、また行列に並びなおす。厳粛にして機械的な所作であった。


「こちらもギバの料理でございますね? 10人前をこちらの皿にお願いいたします」


 やがて俺のもとを訪れたジェノス侯爵家の従者は、バリトンの美声でそのように申し立ててきた。


「お買い上げありがとうございます。……しかし、すべての料理を10人前ですか? ずいぶん大量に買われるのですね」


「はい。森辺の族長様がたも、こちらの器からお召し上がりになられます」


 なるほど。俺たちの料理は3食分ぐらいで満腹になれる分量であるから、10食分を5種ずつそろえても50食分、16、7人前の分量となる。それでドンダ=ルウたちは7名いるし、もしもシン=ルウたちも含めるなら9名だ。残った料理は他の貴賓たちが適当についばめば、あますことなく食べきることができるのだろう。


 そんなことを考えていたら、隣の作業場からユーミが「ねえねえ」と声をかけてきた。


「うちのギバ料理はいかがかな? こいつも森辺の料理人アスタ直伝のギバ料理なんだよ?」


 従者のひとりが、とてもお行儀のよい眼差しをユーミのほうに転じた。


「左様でございますか。それならば、そちらの料理も10人前をお願いしたくあります」


「10人前ね。りょうかーい」


 にやにやと笑いながら、ユーミは鉄板にお好み焼きの生地を広げた。

 従者たちが10人前の『ギバ・ビーンズ』を抱えて荷車に戻っている間に、俺はこっそりユーミに問いかける。


「ユーミは城下町の人間が嫌いなんじゃなかったっけ? まあ、だから何だってわけじゃないけど」


「うん、城下町の連中があたしなんかの料理を口にするって、なんか愉快じゃん? 母さんたちが聞いたら、ひっくり返っちゃうんじゃないかな」


 そういう心情であるなら、まあユーミらしいと言えるだろう。それに、お好み焼きはかつて城下町の晩餐会でもお披露目しているので、貴族たちも疑問を抱くことなく口にしてくれるはずだ。


 そうして侯爵家の従者たちがしずしずと退散していくと、また変わらぬ勢いでお客が押し寄せてきた。

 それでいよいよ1000食分の料理も底をつきかけた頃、闘技場から雷鳴のごとき音色が響いてくる。


 闘技会が再開されるのだ。

 時間にして、4、50分ほどが経過した頃合いであろう。事前に聞いていた情報とそれほど誤差のないタイムスケジュールだ。


 人々は、朝方と同じ調子で闘技場に舞い戻っていく。

 今回も、人気がなくなるのに5分とかからなかった。

 やがて闘技場のほうからは、遠雷のようにくぐもった人々の喚声が響いてくる。


「うわー、これでおしまいなんだね! 何だかすごい騒ぎだったなー」


 空の木皿を抱えたリミ=ルウが、通りすがりにそのように述べていた。

 確かに開店からは3時間以上が過ぎていたが、実質お客の相手をしていた時間はその半分にも満たない。だから、間にたっぷりとした休憩をはさみつつ、普段の倍ぐらいのスピードで料理を売りさばいたような心地であった。


「みんな、売れ具合はどうだったかな?」


「かれーは、きっちり売り切れてしまいました」


「もつなべは、20食分ほど余っています」


「こっちの料理は、7食分が余りですね」


 その他の料理もトータルすると、36食分は売れ残った様子であった。

 しかし、復活祭ばりに1000食分を準備しての、この結果である。平常営業では800食分しか用意していないのだから、それに比べれば十分な売り上げだ。『ギバのモツ鍋』が20食分も余ってしまったのは、それだけで350食分も準備していたためである。


 で、36食分ということは、13人前の分量にしかならない。俺たちは護衛役を含めて18名であったのだから、その全員が小腹を満たすだけで、残った料理は綺麗に片付けることができた。


「いやー、ばっちり稼げたなあ! 復活祭のときより売れたっぽいよ!」


 ユーミのほうも、ご満悦である。

 余ったタネは家に持ち帰れるので、そちらは最初から有り余るぐらいの分量を準備してきていたらしい。モツ鍋とのトレードでお好み焼きを分けてもらえたので、俺たちもいい具合に胃袋を満たすことができた。


「アスタ、お疲れさまでした」


 と、俺たちのランチタイムが終わった頃に声をかけてきたのは、ダレイム伯爵家の料理長たるヤンであった。

 その背後に控えているのは、手伝い役のシェイラとニコラ、そして護衛役の武官たちである。


「ああ、お疲れさまでした。そちらはいかがでしたか?」


「はい。まずは満足な売り上げかと。……ああ、トゥール=ディンにリミ=ルウもお疲れさまでした」


「おつかれさまでーす!」とリミ=ルウは元気いっぱいに答え、トゥール=ディンもお行儀よくお辞儀を返す。


「ジェノス侯爵家の貴婦人エウリフィア様が、来月にでも森辺の料理人を招いて茶会を開きたいと申されているそうです。その際は、またトゥール=ディンとリミ=ルウも参加していただけるのでしょうか?」


「ええ、少なくともトゥール=ディンは参加させないと、オディフィア姫が納得されないでしょうからね。……そういえば、今日はオディフィア姫も招かれているのでしょうかね?」


「いえいえ、闘技会に幼き姫を招くことはないでしょう。安全な試合とはいえ、時には血が流れることもあるのですから」


 ならば、幼き姫がトゥール=ディンの菓子はないのかとむずがることもなかったというわけだ。誰にとっても、それは幸いなことであった。


「エウリフィア様の茶会に関しては、わたしも参じるようにとのお言葉をいただいております。またあなたがたの素晴らしい菓子を味わえることを楽しみにしておりますよ」


 あくまでも慇懃にそのようなことを述べたてて、ヤンは自分の荷車へと帰っていった。

 その間、ずっとアイ=ファに話しかけていたシェイラも慌てて頭を下げ、名残惜しそうな表情のまま、去っていく。


「あのシェイラって娘さんはいっつもアイ=ファに夢中だな。今日は熱心に何を話していたんだ?」


「うむ。ダレイム伯爵家の武闘会などに参席してみてはどうかと誘われていた。どうしてあのような娘がそのようなことを願い出てくるのであろうな」


「へえ。こういう闘技会とは別に、武闘会なんてものも存在するのか」


「うむ。身内だけのささやかな会だと述べていたが……しかし、シーラ=ルウにまで同席を願っていたのはどういうわけなのであろうな」


 俺が視線を転じてみると、シーラ=ルウは困り果てた面持ちで微笑んでいた。


「あの、あれはたぶん、闘技ではなく舞を踊るという意味での舞踏会に誘われていたのだと思いますが……」


 アイ=ファは、きょとんとした目でシーラ=ルウを見た。


「舞を踊る会とは何だ? そのようなもの、私は聞いたこともないぞ?」


「わたしもありませんが、町の人間たちは舞を踊ることを好むようなので、そのためだけに会を開くということもありえるのではないでしょうか」


「……舞というのは、伴侶を求める女衆が男衆に見せるために踊るものなのではないのか?」


「ええ、ですが町の人間との宴では、ただ楽しむだけに舞を踊ったりもしていたでしょう? ですから、ああいう舞を踊る会なのではないかと……」


「……私はそのような会、絶対に参加はせぬぞ?」


 アイ=ファは駄々っ子のように言い、罪もないシーラ=ルウをにらみつける。

 シーラ=ルウは、いっそうはかなげに微笑んだ。


「はい。わたしも舞は苦手ですので、できれば遠慮をしたいと考えていますが……族長たちの承諾があれば異存はない、とアイ=ファが答えてしまったので、いずれ正式にダレイム伯爵家からの申し入れがあるのではないでしょうか?」


 アイ=ファは眉間にしわを寄せながら、今度は俺のことをにらみつけてきた。

 しかし、この場の誰をにらみつけたって、解決できる話ではないだろう。


「正式に申し出があったら、正式に断ればいいじゃないか。舞踏会の参加を断ったぐらいで、貴族との関係性がこじれることはないだろう?」


「……しかし私は、異存はないと答えてしまったのだ。これを断るなら、理もなく約定を違えることにならぬか?」


「そう思うんなら、参加すればいい。あのシェイラって娘さんは、アイ=ファの宴衣装が見たいだけなんじゃないのかな」


 アイ=ファはぎりぎりと奥歯を噛み鳴らしながら、いっそうきつい目つきで俺のことをにらみつけてきた。

 アイ=ファがあの娘さんと縁を結ぶことになったのは、俺がサンジュラたちに拉致されてしまったのがきっかけであるらしいのだが、こういう際にも俺は責任の一端を担わなければならないものなのだろうか?


 ともあれ、レイナ=ルウとリーハイムの一件で、男女問題の価値観についてはすでに貴族側と話し合われているのだから、アイ=ファがどれほど見事な宴衣装姿をお披露目したところで、おかしな騒ぎに発展することはないだろう。ならば俺としても、どのような方向に話が落ち着くのかを心乱さずに見守るばかりである。


 そんなわけで、怒れるアイ=ファをなだめつつ、俺は次の行動に移ることにした。


「さて、食休みはこれぐらいにして、俺たちも闘技会を覗きに行きましょうか。何人かは居残って荷車を見張らないといけないのですが、どうしましょう?」


 その役には、トゥール=ディンとヤミル=レイ、それにツヴァイが名乗りをあげてくれた。


「では、護衛役には2名を残そう。これだけの銅貨があるのだから、邪な人間が近づいてこないとも限るまい」


 ということで、残りのかまど番とアイ=ファたち3名の護衛役、そしてユーミとルイアというメンバーで、いざ闘技場に向かうことになった。


 入場口は、こちらの南側にも存在する。いっぺんに10人ぐらいがくぐれそうな入り口で、今はぴったりと扉が閉ざされている。なおかつそこには左右に4名ずつ、合計で8名もの衛兵たちが立ちつくしていた。


「入場を望むならば、外套の内側をあらためさせてもらおう」


 衛兵のひとりが、感情を押し殺した声音でそのように述べてきた。


「外套とは狩人の衣のことか? 何故にそのような真似をせねばならんのだ?」


「弓矢を持つ人間は入場を禁じている。脱がずとも、その内側をさらすだけでよい」


 それはきっと、貴賓席の人々を守るための措置であったのだろう。

 先頭に立っていたライエルファム=スドラは「了承した」と答えつつ、毛皮のマントを両腕で広げた。

 アイ=ファとチム=スドラも、同じようにマントをはだける。


「よし。刀を持ち込むのはかまわんが、中にいる衛兵の指示に従わなかった場合は、その場で反逆罪に問われると心に留め置け」


 2名の兵士が、左右から扉を空けてくれた。

 人間ひとりがぎりぎり通れるぐらいの開き加減であったので、俺たちは一列となって入場する。


 しかしもう、扉を開いた時点で喚声がすごかった。

 石塀にはばまれていた声の圧力が、真正面から叩きつけられてくる。おそろしいまでの盛り上がりようだ。


 そこは薄暗い通路であったので、全員が入場して扉が閉められてから、俺たちはいざ足を踏み出した。

 左右も天井も黄色い石作りで、横幅は広いが、天井は低い。ミダやジィ=マァムだったら頭がつかえてしまうぐらいだろう。そんな通路が、10メートルばかりも続いている。


 そこを抜けるなり、いきなり視界が広がった。

 屋根も何もない、野球場のような広場である。

 その真ん中で2名の騎士が刃を交えているのが、遠くうかがえた。


 ここからでは、4、50メートルはあろうかという距離だ。俺は目をすがめてそれが同胞か知人であるかを確かめようと思ったが、たちまち「おい」と呼びつけられてしまった。


「ここで立ち止まるな。階段をのぼって、そちらで見物せよ」


 やはり、衛兵である。その槍が指し示す斜め後方をうかがうと、確かに幅の広い石の階段が確認できた。

 この闘技場を取り囲む石塀の内側が、そのまま客席に設えられていたのである。

 階段状に石が組まれて、内側に行くにつれ低くなっていく。全部で8段ほどもあるその客席は、ほとんど満員状態であった。


 これは確かに、映画か何かで見るコロッセオのような造りであった。

 剣士たちの闘いに熱狂する観客は、1000や2000もいただろう。女性や子供は少なくて、その大半がむくつけき男たちである。


 客席と舞台はごく低い木の柵で区切られており、それに沿って大勢の衛兵たちが立ち並んでいる。特に俺たちから見て右手の一角には、数十名の衛兵が密集していた。

 そこが、貴賓の席であったのだ。

 一般の席とは壁で隔てられており、その壁沿いにも衛兵たちが並んでいる。その壁と壁にはさまれたスペースだけは人々もゆったりと自分の居場所を確保できており、なおかつ全面に敷物が敷かれて、頭上には革張りの屋根も張られていた。


 だが、俺の視力ではどれが誰なのかもわからない。

 剣を交えている両者に関しても同じことだ。彼らはどちらも同じような鎧を纏って、しっかりと兜をかぶっていた。

 衛兵に追いたてられて最上段の席までのぼってしまうと、いっそうそれらも遠くなってしまう。


 ただ、この距離でも剣戟が聞こえてきそうなぐらいの、激しい闘いであった。

 人々は、いっそう狂おしく喚声をあげている。

 最上段は立ち見席であるようだったので、俺たちは立ったままその闘いっぷりを見守った。


 やがて、片方の剣が片方の胴を打つ。

 鎧を着ていたし、あの剣は刃を落とされているはずなので、血しぶきがあがるようなことはなかったが、打たれた剣士は地面にうずくまり、そのまま立ち上がることができなかった。


 すると、西側の入場口からトトスの騎士が現れて、闘技場の外周を周り始めた。

 周りながら、「西! デヴィアスの勝利! デヴィアスの勝利!」と叫んでいる。

 それで観客たちは、またさらなる歓声をあげ始めた。


「ひどい騒ぎだな。まるで雷雲の中にでも飛び込んだかのようだ」


 まだいくぶん不機嫌そうな顔をしたアイ=ファが、俺の耳もとに口を寄せながらそのようにぼやいた。

 そこに、大柄な人影が立ち見席の人々をかきわけて近づいてくる。


「よお、意外に早かったな。残りの剣士は13人だぞ」


 それは数十分前に別れたばかりのザッシュマであった。


「どうもお疲れさまです。森辺の狩人は勝ち残っていますか?」


「小休止が明けてからは、まだ出てきていないよ。今は三つ目の試合が終わったところだ」


 よくわからないので聞いてみると、剣士たちはくじで引いた順番ごとに試合をしており、ひとたび負ければそれで脱落、というシステムであるらしい。つまりは予選の段階から一発勝負の、大がかりなトーナメント戦なわけである。


 で、午前の予選大会で参加者は16名にまで絞られた。今はその16名による本選トーナメントの3試合目が終わったということだ。


「次に勝った剣士が、さっき勝ったデヴィアスとやりあうことになるわけだな。順番的に、そろそろ森辺の狩人が出てきそうな頃合いだ」


 そんなことを大声で話し合っている内に、客席のほうでは何やら騒ぎが起きていた。

 一部の人々が席を立ち、大きなのぼりを立てた一団のもとに押し寄せているのだ。

 そういうのぼりは会場中に立てられていたので、数百人が同じ場所を目指すような騒ぎにはならなかった代わりに、各所で小規模な騒ぎが巻き起こってしまっていた。


「今の勝負に銅貨を賭けていた連中や、次の勝負に賭けたい連中が、胴元のところに集まってるんだよ。貴族たちは貴族同士、平民たちは平民同士で賭けを楽しんでるってわけだな」


 気づけば、トトスの騎士がさきほどとは異なる言葉をがなりながら外周をぐるぐると回っていた。


「次の勝負! 西、森辺の民、シン=ルウ! 東、《赤の牙》、ドーン!」


「おや、シン=ルウって狩人はドーンと勝負か。それでお次がデヴィアスってのは、なかなかついてない組み合わせだな」


 ドーンというのは傭兵団の団長で、デヴィアスというのは護民兵団の大隊長であった。ザッシュマいわく、森辺の狩人と互角にやりあえそうな、数少ない強豪たちである。


「どうするね? ドーンが相手なら、お仲間に賭けてもけっこうな配当になると思うぞ?」


「いえ、賭け事は性に合わないので。……銅貨を無駄づかいしたら、叱られてしまいますし」


 もちろんアイ=ファたちだって賭け事などに興味はないであろうから、俺は説明する気にもなれなかった。どれほど懐に余裕があっても、清貧の心を忘れない森辺の民なのである。


「俺はこの勝負で見定めさせてもらおうかな。もしもドーンに勝てるようだったら、次の勝負ではお仲間に賭けさせていただくよ」


 ザッシュマはそのように言っていたが、結果はあっけないものであった。

 この距離でも、シン=ルウならば体格で見分けることができる。なおかつ相手はなかなかの大男であり、しかも自前の真っ赤な鎧を纏っていたのだ。


 その勝負は、わずか数秒で片付いてしまった。

 シン=ルウが刀を一閃させるや、ドーンなる剣士の持つ刀は5メートルばかりも弾き飛ばされて、地面に突き刺さってしまったのである。


 真っ赤な剣士は慌ててそちらに駆け寄ろうとしたが、それよりも早くシン=ルウが間に立ちはだかった。

 咽喉もとに刀を突きたてられ、ドーンは悔しそうに両腕を上げる。

 それで、これまで以上の歓声が爆発することになった。


「呆れたな。ドーンが相手でもこの有り様か。こいつはメルフリード殿か、あとはお仲間の狩人ぐらいしか相手にならなそうだな」


 ザッシュマの声を聞きながら、俺はほっと胸を撫でおろしていた。

 やはりこういう荒事も、俺の性には合わないのだ。シン=ルウの様子が気になって駆けつけてしまったものの、本来であればトゥール=ディンたちと一緒にお留守番をしていたいところであった。


 それにこの闘技会というやつは、森辺の狩人の力比べよりは、はるかに殺伐としたルールであるのだ。

 刃を落とされた刀が使われているが、それ以外に禁則事項というものは存在しない。何だったら、相手を殴り飛ばしても有効なのだという。


 そして勝利条件は、相手を戦闘不能の状態に追い込むか、あるいは「参った」を宣言させることのみである。

 相手に負傷をさせてもペナルティが課せられることはないし、万が一にも死に至らしめてしまったところで「失格負け」を告げられるだけであるそうなのだ。


 一定の頑丈さを持つ甲冑の着用が義務づけられているが、当たりどころが悪ければ、生命を落とす危険だってあるだろう。シン=ルウと対戦したゲイマロスなどは、骨折の重傷を負うことになったのだ。


(とにかく怪我をしないってことが一番だよな。もちろん、相手を死なせちゃったりするのも最悪だけど)


 そんな中、粛々と試合は進められていく。

 次の試合では、メルフリードが外来の剣士を打ち倒していた。

 それから2試合も、ジェノスの騎士や余所の町から来た剣士たちが、手に汗握る攻防を繰り広げた。


 そして、ベスト8を決める最後の試合にて、ゲオル=ザザの登場である。

 相手は近衛兵団の副団長、ロギンという実力者であった。


「こいつもドーンやデヴィアスに劣らぬ腕前だが、さあどうなるかな」


 体格は、まさり劣りがないようであった。

 どちらも同じ白銀の装備であるため、遠目では区別をつけることも難しい。


 しかし試合が始まると、俺には何となく見当がついた。

 片方の剣士が、まさしく獣のごとき闘いっぷりであったのである。


 巨大な長剣を、片腕で縦横微塵に振り回している。刀を合わせたら両方ともへし折れてしまうのではないかという勢いだ。

 もう片方は、苦心しながらも鋭い身のこなしでその猛攻を回避している。

 剣闘の試合というよりは、マタドールと闘牛のごとき有り様だ。


 だが、そういった攻防もそれほど長くは続かなかった。

 闘牛のほうが、勢いあまってバランスを崩してしまったのだ。


 その隙を見逃さず、相手は刀を振りおろした。

 しかし、その斬撃は弾かれてしまった。

 不安定な体勢のまま、闘牛のごとき剣士が右足を振り上げて、相手の刀を横合いから蹴り飛ばしてしまったのである。


 それで今度は相手のほうが体勢を崩して、大きく上体を泳がせることになった。

 そこに、銀色の閃光が肉迫した。

 信じ難い動体視力と筋力で斬撃を防いだ闘牛のごとき剣士が、今度は片足のままその場で旋回し、横殴りで長剣を相手の顔面に叩きつけたのである。


 剣士は吹っ飛び、ひしゃげた兜や刀が別々の方向に飛来した。

 ゲイマロスの無残な末路を思い出させる光景だ。

 それであがった喚声は、半分悲鳴まじりになっていた。


「東! ゲオル=ザザの勝利! ゲオル=ザザの勝利!」


 触れ係の騎兵は、そのようにがなりたてていた。

 ゲオル=ザザは長剣を肩にかつぎ、悠然と入場口に去っていく。

 ロギンなる剣士は、トトスの引く荷車によってすみやかに運ばれていった。


「……やはりあやつは未熟だな。禁忌でないとはいえ、力比べで無用な傷など負わせるべきではない」


 アイ=ファは眉をひそめながら、そのように述べていた。

 反対側のザッシュマは、喚声でその声も聞こえなかったようだ。


「斬撃を足で蹴り返すってのはどういうやり口だよ。こっちも呆れた力量だな。……しかし、副団長をあんな目にあわされたら、さすがのメルフリード殿でも火がつきそうだ」


 おたがいにもう1回ずつ勝ち抜けば、準決勝はゲオル=ザザとメルフリードの対戦になるのである。

 かつてはジザ=ルウと同じぐらい、現在でもシン=ルウと同じぐらいの力量とされているメルフリードとゲオル=ザザが対戦したら、いったいどのような結末が訪れるのか。狩人ならぬ俺には予測の立てようもなかった。


 そうしてゲオル=ザザのもたらした不穏なざわめきの中、ベスト8による準々決勝戦が行われる。

 そこで呼ばれたのは、「西! サトゥラス騎士団、レイリス!」の名であった。


「……あやつも勝ち抜いていたのだな」


 アイ=ファも鋭く目を光らせている。

 アイ=ファの視力であるならば、きっとこの距離でも剣士たちの挙動をつぶさに見て取ることができるのだろう。


 レイリスもまた、素晴らしい腕を持つ剣士であった。

 相手はジャガルの戦士と紹介された大男で、長剣を木の棒のように軽々と振り回していたが、レイリスは何回か打ち合うだけで相手の斬撃を払いのけることに成功し、相手の左肩に刀を打ちおろしていた。


 何というか、優雅な舞のような剣技である。

 スピードなのか、タイミングなのか、相手の攻撃を受け流すのが巧みであるようだ。

 これは番狂わせであったらしく、会場の人々は多くが嘆きの声をあげていた。


「ふん。いかにも貴族らしい綺麗な太刀筋だな。ごろつきどもはお座敷芸と小馬鹿にするが、ああいうのが意外に厄介だったりするんだよ」


 ザッシュマはそのように評していた。


 かくして、次の試合ではシン=ルウがまたデヴィアスなる剣士の刀を一撃で弾き飛ばし、メルフリードとゲオル=ザザも順当に勝ち残り、ここに闘技会のベスト4が出揃ったのだった。

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