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異世界料理道  作者: EDA
第二十三章 闘技の候
398/1682

ジェノスの闘技会①~特別営業~

2016.11/3 更新分 1/1

 レム=ドムとの力比べを終えてから7日後、銀の月の25日である。

 本日は、ジェノス城が開催する闘技会の当日であった。

 何やかんやと協議した結果、けっきょく俺たちもその日は闘技会の会場前にまで場所を移動して、屋台の商売を敢行することになったのだ。


 この日は普段以上の集客が見込めるという話であったので、およそ1000食分の料理を準備することに決めていた。太陽神の復活祭でいうと、初日の『暁の日』に匹敵する分量だ。


 なおかつ、闘技場は普段よりも遠い場所にあるし、上りの四の刻の半には到着したほうが望ましいと言われていたので、下ごしらえを済ませるにはかなりの手間をかけることになってしまった。


 ちなみに普段の営業開始時間は、上りの六の刻である。

 一刻が6、70分であることを考えると、90分以上は開店時間を早めることになる。しかも移動時間は30分以上も余計にかかるのだから、2時間以上も早く家を出る必要に迫られるのだ。


 ということで、朝方の薪とピコの葉の採取作業は銅貨を支払って他の氏族の女衆に頼み込むことになり、下ごしらえにも普段以上の人数を呼びつけることになってしまった。

 これはまさしく、復活祭以来の慌ただしさである。


 ただし、中天を半刻ばかりも過ぎれば、もう誰も会場の外には出てこなくなってしまうだろうという話でもあったので、営業時間はいつも通りの3時間ていどで済みそうであった。

 それならば、仕事を前倒しにするだけであるので、下ごしらえから屋台の営業にまでフルに参加してくれるメンバーにも過度な負担を与えることにはならないだろう。

 その後は、可能であればシン=ルウたちの活躍をちょろっと拝見してから森辺に帰ってこよう、という計画で、俺たちはその日の仕事に取り組むことになった。


 夜明けと同時に目を覚ましたら、速攻で晩餐の後片付けをして、さっそく下ごしらえに取りかかる。そいつを2時間ていどで仕上げたら、休む間もなく出発だ。

 そうしてルウの集落に到着してみると、何やらいつもより騒々しい雰囲気であった。


 集落の入り口で荷車を止め、首をひねりつつ足を踏み入れてみると、本家の前に人だかりができている。分家の女衆や幼子や老人たちが、のきなみ集まっている様子である。


「おはようございます。……うわあ、綺麗だね、ララ=ルウ!」


「うるさいよ! 見世物じゃないんだからね!」


 みんなに取り囲まれていたララ=ルウが、真っ赤な顔で地団駄を踏んでいる。

 しかし本日のララ=ルウは、そんな仕草がもったいなく思えるほどの麗しい姿であった。


 ガズラン=ルティムらの婚儀の宴で一度だけ拝見したことのある、森辺の宴衣装である。商売のときよりも上等な玉虫色のショールをかぶり、さまざまな飾り物で全身を彩っている。町で買い求めた金属や石の飾り物に、森辺でこしらえた花や木の実の飾り物――そしてひときわ目立つのは、耳の上に飾られた黄色くて大きな花の髪飾りである。


「あ、それはひょっとして、お誕生日にシン=ルウからもらった――」


「もう! うるさいってば!」


 ララ=ルウの繰り出す鋭いビンタを、俺はぎりぎりのところでかわすことができた。

 そのかたわらにたたずんでいたミーア・レイ母さんは、とてもにこやかに笑っている。


「宴衣装を着込んだときぐらい、ちっとはおしとやかにできないもんかねえ。……だけど本当によく似合ってるよ、ララ?」


 ララ=ルウは、赤い顔のままうつむいてしまう。

 その顔と同じぐらい真っ赤な髪も、今日はポニーテールではなく自然に垂らしている。そうすると、普段はボーイッシュなララ=ルウもきわめてお年頃の女の子らしく見えるのだった。


 聞いてみると、若い娘が参席するならばそれ相応の宴衣装を貸し出そうか、という申し入れがジェノス城のほうから届けられたらしい。

 で、宴衣装ならば自前の準備がある、ということで、こうしてひさびさにララ=ルウがきらびやかな装束に身を包むことになったわけだ。


 明るい日の下で拝見すると、その宴衣装は実に見事なものであった。

 焚き火に照らされるさまも美しいものであったが、日中だとまた趣の異なる美しさがある。周囲に集まった人々が感心したように、かつ満足そうにララ=ルウの姿を見守っているのも、そういう気持ちであるからなのだろう。


 城下町の貴婦人が纏うドレスに比べれば、瀟洒さには欠けるかもしれない。しかしまた、森辺の宴衣装を森辺の女衆ほど見事に着こなせる者はいないだろう、とも思えてしまう。

 ララ=ルウであれば絹のドレスだって見事に着こなせるのであろうが、この森辺の宴衣装だってそれに劣るものではない、と俺は心中で確信することができた。


「騒がしいな。準備はできたのか?」


 と、そこで家の中から、ドンダ=ルウがのそりと出現する。

 その後から出てきたのは、あくびを噛み殺したルド=ルウであった。


「よー、アスタじゃん。それじゃあ、俺たちも出発の時間だな。俺が運転するから、とっとと出発しようぜー」


 ルウ家から闘技会に参戦するのは、シン=ルウのみである。ドンダ=ルウとルド=ルウとララ=ルウは、マルスタインに招かれた貴賓として会場に向かうのだ。

 ドンダ=ルウは族長として、ルド=ルウはお供として、ララ=ルウは――彼女が観戦に来られないのならば出場する気はない、と言っていたシン=ルウの主張が通ったゆえの参席なのであろう。


 そのシン=ルウはどこにいったのかなと思って視線を巡らせると、彼は俺のすぐそばに立っていた。

 で、その凛々しい顔をほのかに赤く染めている。


「アスタよ、俺が花を贈ったなどという話は、あまり大声で話してもらいたくはないのだが……同じ家に住む家族でもないのに花を贈るというのは、ルウの集落でもそれほど当たり前の話ではないのだ」


「ああ、うん、ごめん。今日は頑張ってね、シン=ルウ」


「うむ」とうなずくシン=ルウは、俺の余計な言葉の効果を除けば、普段通りのたたずまいであった。

 狩人の衣を纏い、刀を下げている。それはドンダ=ルウたちも同様だ。きっと森辺の男衆がそれ以上に身を飾るのは、婚儀で花婿の役をつとめるときぐらいなのだろう。


「では、出発するか」


 いきなり後頭部のあたりから声があがったので、俺は「うひゃあ」と跳び上がってしまった。


「な、何だ、アイ=ファもついてきてたのか。てっきり荷車に居残っているのかと思ったよ」


「……いつまで経っても用心の足りぬ男だな、お前は」


 アイ=ファは気分を害した様子で俺の足を蹴ってきた。

 アイ=ファは、屋台のほうの護衛役として同行するのである。


 なおかつ、集落の前にとめてきた2台の荷車には、かまど番のみではなくもう4名の狩人も控えている。それは、スドラ家の男衆であった。

 ディンやリッドからも護衛役は出せるという話であったが、近在の氏族ならば条件は同じだ。また、ザザ家の眷族であるディンやリッドに宿場町の仕事を頼むのには、またグラフ=ザザの了承が必要になってしまうだろうということで、彼らが名乗りをあげてくれたのだった。


 スドラの男衆であれば、かつてテイ=スンたちの急襲に備えていた時代、護衛役の仕事を果たした経験がある。そうして彼らが護衛役に任じられると、家人のユン=スドラなどはたいそう誇らしげな様子であった。


 そして会場には、別の氏族の人間たちも集まる手はずになっている。

 族長筋の、ザザとサウティの面々である。

 森辺の同胞が闘技会に参戦するということで、彼らも貴族の招待に応じる気持ちを固めたのだった。


 が、ザザ家は跡継ぎのゲオル=ザザが剣士として出場するという事情もあって、族長のグラフ=ザザではなく別の男衆と末妹のスフィラ=ザザを差し向ける予定であるとのことであった。

 それに、ルウやサウティはちょうど族長の立場である2名が負傷しているために自ら出向くことになったが、このような余興で三族長の全員が顔をそろえる必要もあるまい、という意見もあったようだ。


 ともあれ、サウティからはダリ=サウティとお供の狩人が出向くらしい。出場選手の2名を除けば、総勢7名の一団だ。会場の貴賓席というものがどのような造りをしているのかは知れぬままであるが、きっと彼らはとてつもない存在感を周囲の人々にもたらすことだろう。


「それじゃーな。ちゃんと俺たちの分まで料理は残しておいてくれよー?」


 そのように述べるルド=ルウを先頭に、彼らはジドゥラの荷車に乗り込んでいった。

 本日の当番であるシーラ=ルウやリミ=ルウたちは、すでにルウルウの荷車のところで待機をしている。


「おはようございます。そちらの準備は大丈夫でしたか?」


「はい。宿屋の料理はこの後にレイナ=ルウたちが仕上げることになりましたので、問題はありませんでした。それでわたしたちの帰宅を待って、宿屋に届ける予定になっています」


「ああ、今日は荷車もすべて出払ってしまいますもんね」


 するとシーラ=ルウは、いくぶん申し訳なさそうな表情を浮かべつつ頭を下げてきた。


「本来であれば、今日はジドゥラの荷車を出す日であったのですよね。そちらはシンたちが使うことになるので、アスタたちにはご迷惑をおかけしてしまいます」


「いえいえ、とんでもありません。1日ぐらいはどうってことないですよ」


 屋台の商売に取り組むかまど番は、今でも毎日13名が宿場町に下りており、それには3台の荷車が必要になる。よって、ギルルとルウルウは毎日使うものとして、ジドゥラとファファは1日置きに出すように取り決めていたのだった。


 あくまでも、ジドゥラとファファは買い出しのために準備をしたトトスであるのだ。それをこちらの行き来で使ってしまうと、買い出しでは朝方や夕暮れ時しか使えなくなってしまう。そういったわけで、不公平のないように1日置きのローテーションと定めたのであるが、俺としては、そろそろ新たなトトスの購入も考え始めていた。


(復活祭の間なんかは、4台全部を宿場町の商売で使うことになっちゃったもんな。ファでもルウでも銅貨どころが銀貨がたまりまくってるんだから、もう1組ずつトトスや荷車を購入してもバチは当たらないだろう)


 そんなことを考えながら、俺はアイ=ファとヤミル=レイをともなって、ギルルの荷車へと引き返した。


「アスタ、今日はスドラの男衆も乗っているのでしょう? わたしが乗り込む隙間などあるのかしら?」


「はい。かまど番が13名で護衛役が5名なのですから、1台に6名ずつでぎりぎり大丈夫です」


 ファファの荷車はスドラ家の5名とトゥール=ディンで埋められていたので、こちらの荷車は俺とアイ=ファ、ヤミル=レイとフェイ=ベイム、そしてガズとラッツの女衆という顔ぶれになる。ルウルウのほうは、シーラ=ルウとリミ=ルウ、モルン=ルティムとツヴァイ、それから今日は――レイとミンあたりの女衆が当番であるはずであった。


「では、出発します」


 4台の荷車が、闘技場を目指してルウの集落を出立した。

 まずはいつも通りに宿場町へと下りて、御者はいったん荷車から降りる。宿場町の区間は、トトスを走らせることが禁じられているのだ。


 まだ朝方であるのに、宿場町はなかなか混み合っていた。

 なおかつ、普段よりも荷車の数が多い。

 これらの人々は、みんなきっと闘技場を目指すのであろう。


 その流れに従って、俺たちも街道を北上する。

 通りすがりに確認したところ、縄で囲まれた青空食堂のスペースは、今日も何事もなくひっそりと静まりかえっていた。


 で、そのかたわらを通りすぎ、宿場町の領土を踏み越えたら、再びの搭乗だ。

 それなりの人出ではあったが、何せ10メートルもの幅を持つ立派な街道であるので、荷車を走らせるのにも問題はなかった。


 徒歩の人々は、街道の真ん中あたりを歩いている。荷車は左側通行であるので、俺たちは左側だ。しばらく道を北上しても、逆車線から南下してくる荷車は数えるほどしかなかった。


 ほんの数分で、道はT字路に行き当たる。南北の主街道に、西への街道が交わる交差点である。ここで西に進めば城下町の正門、さらに進めば懐かしきダバッグへと向かうことができる。


 その道を通りすぎ、俺たちはひたすら北上した。

 右手は鬱蒼とした雑木林で、左手は城下町を守る石の塀である。

 雑木林の向こうには、モルガの山の威容がうかがえる。この雑木林は少しずつ密度を増していき、やがては森へと変じていくのだ。詳しい場所はわからないが、このあたりにはスンの集落の人々などが町に下りるのに使っている小道も存在するはずであった。


 やがて石塀がゆるやかな曲線を描きながら遠ざかっていくと、今度は木造りの塀が見えてくる。

 トゥラン領を守る、ギバ除けの塀である。

 それは、俺が想像していたよりも、はるかに粗末な造りをしていた。


 いや、ギバの突進を食い止められるのだから頑丈は頑丈なのだろうが、いかにも古びていて、あちこちがひしゃげてしまっている。それに、ギバは身体の構造上、垂直に跳躍することができないので、高さも人間の身長より低いぐらいであるのだ。御者台に座っている俺は目線が高くなっているので、その塀ごしに町の様子がうかがえるほどであった。


 何とはなしに、うらぶれた町並みである。

 町というよりは、村落と呼んだほうが正しいかもしれない。家屋の造りも宿場町ではなくダレイムと同一で、なおかつ、隙間がないぐらいみっしりと密集している。なんとなく、家同士が倒壊しないようにおたがいを支え合っているかのような様相である。


 この町のどこかで、ミケルとマイムは暮らしているのだ。

 復活祭以降、マイムはずっと料理の勉強に打ち込んでいるので、屋台の商売は取りやめたままである。ときおりお客として宿場町に姿を現すことはあったが、早くその勉強の成果を味わわせてもらいたいものだと思ってやまない俺であった。


「ひさしいな。トゥランの町を見るのは数ヶ月ぶりだ」


 と、後ろのほうから、アイ=ファがにゅっと首を突き出してくる。


「ああ、アイ=ファはトゥランの中に足を踏み入れたことがあるんだもんな。その節は、大変ご心配をおかけしました」


「ふん」とアイ=ファは小さく鼻を鳴らす。

 アイ=ファは、サンジュラたちに拉致された俺を捜すために、トゥランの町へと踏み込んだのだ。せっかく狩人として働けるようになったのに、今日も護衛役を買って出たのは、そのあたりのトラウマを刺激されるためであるのかもしれなかった。


「トゥランでは、これらの家に取り囲まれるようにして、中央に大きな畑があるのだ。まるでその畑を守るために家が建てられているような様相であったな」


「なるほど。そこのところは、ダレイムとずいぶん違うんだな」


「うむ。それでその畑では、大勢の北の民が働かされていた。私は遠目にうかがうばかりであったが、いずれもジィ=マァムのように大柄な男衆であったぞ」


 北の民、マヒュドラの民たちか。

 復活祭の直前に巡りあうことになったエレオ=チェルのことを思い出す。

 彼もまた、雨季には道を切り開くために森辺へと派遣されてくるのだろうか。

 先日、シフォン=チェルにきちんと話が伝わっているかどうか、ディアルに確認をお願いしたのだが、その返事はまだもらっていなかった。


(本当に、不思議な巡りあわせだよな……)


 そんな感傷を胸に、俺は北へとひた走る。

 トゥラン領を通りすぎると、次に広がるのは不毛の荒野であった。

 ダバッグに向かうときに見たのと同じような情景だ。

 ただし、右手の側は相変わらず鬱蒼とした雑木林であるので、何やら奇妙にも感じられてしまう。


 石の街道が真っ直ぐ続いており、その右側が雑木林、左側が不毛の荒野で、くっきり彩色が分かれてしまっているのである。

 荒野のほうは、ろくに草木も生えていない。砂漠のような黄色い大地で、ところどころに大きな岩が転がっているばかりだ。それなりに雨の多い地域であるのに、地面はすっかり渇ききってしまっている。


 これはきっと、ジェノスで家屋を建造するために樹木を伐採しまくった結果なのだろう。

 で、右手側はモルガの山に繋がる雑木林であるために、まったく手をつけられていないのだ。

 それは、文明を栄えさせようとする人間の貪欲さと、自然界の脅威に畏怖する人間の脆弱さをいっぺんに現出させたような光景に見えてしまった。


 そんな感慨を胸に、荷車を走らせること、およそ30分――ようやく眼前に目的の地が見えてきた。


 普段は練兵場として使われているという、ジェノスの闘技場である。

 左手側の不毛の荒野に、それは忽然と出現した。

 ここから見えるのは、黄色みを帯びた石塀だけだ。その手前の空間に、大勢の人間が集まっているのがうかがえる。このあたりまで来ると、人通りもかなり増えていた。


「ずいぶん巨大な建物だな。しかし、どうしてこのように町から遠く離れた場所に建てられているのだろうか?」


「うーん、けっこう古そうな建物でもあるから、こいつを建てたときはまだこの荒野にも緑が残っていたのかもな」


 そんな言葉を交わしている間に、石塀はぐんぐんと近づいてくる。

 その距離が50メートルぐらいにまで詰まったとき、前方を走っていた荷車が動きを停止させた。

 建物の手前に大勢の衛兵が待ちかまえて、荷車の進行をふさいでいるのである。

 どうやらそこで検問を受けて、目的によって行き先を割り振られるらしい。並んでいる荷車は20台ぐらいにも及んでいた。


 その内の何台かは、荷台の人間を降ろしたのち、Uターンをして街道を南に戻っていった。

 おそらくは、辻馬車だかタクシーだかに該当する荷車であったのだろう。荷車の常歩で30分ということは、徒歩で1時間もかかるのだ。少し懐に余裕がある人間ならば、その労力を銅貨で解決しようと考えるに違いない。


 そして、残りの半数はそのまま前進していき、もう半数はそこから左手側の荒野へとトトスの首を巡らせていた。


 左手側のスペースには、すでに何十台もの荷車が駐められている。きっと自前の荷車で観戦に出向いた人々のための駐車スペースであるのだ。その御者台であくびを噛み殺している者や、荷台に寄りかかって雑談している者たちが見受けられるので、管理は自己責任なのだと思われる。


 で、前進をしたほうの荷車は、巨大な闘技場のかたわらを通りすぎたところで、やはり左手側の荒野のほうへと姿を消していた。

 きっとあちらが軽食を売るためのスペースなのだろう。


 そんな風に観察している内に、やがて俺たちの順番が巡ってくる。

 先頭に並んでいたのはギルルの荷車であったので、まずは俺が検問役の衛兵と向かい合うことになった。


「よし、御者台を降りろ。……と、やっぱり来たな、お前たち」


 そこで待ち受けていたのは、衛兵のマルスであった。

 普段は宿場町を巡回している、たしか小隊長の位を持つ若き衛兵である。


「おつとめご苦労さまです。今日はこちらでお仕事ですか」


「ふん。今日は宿場町よりもこちらのほうが騒がしいのだから、しかたあるまい」


 こういうイベントの際には、治安を守る彼らも普段以上の尽力を要求されてしまうのだった。

 気の毒だなあと思いつつ、はたから見れば俺たちも同じようなものなのかなとも思えてしまう。


「調理場は、いくつ必要だ? ひとつの場所につき、赤銅貨は5枚だぞ」


「はい。それでは、5つ分をお願いします」


 とりあえずルウ家の分もたてかえて銅貨を差し出すと、代わりに5枚の木札が手渡された。


「店の前にそいつを掛けておけ。仕事が終われば、捨ててかまわん」


 どうということのない木の札であるが、真ん中にはくっきりとジェノスの紋章が、その下には比較的シンプルな象形文字のようなものがつらつらと焼きつけられている。来年に使い回されないよう、本日の年月日が記されているのかもしれない。


「あ、それと、荷車の1台には今日の闘技会に出場する剣士と貴賓の方々が乗っているんですが、彼らはどこに向かえばいいのでしょう?」


「ああ、貴賓の荷車はあちらの奥に並べて、我々が警護することになっている。……おおい! 貴賓の荷車の案内を頼む!」


 マルスの呼び声に、別の衛兵が飛んでくる。

「それじゃーな」とウインクをするルド=ルウとともに、ジドゥラの荷車とはそこで行動を別にすることになった。


 で、俺たちは街道を前進である。

 左手側の、10メートルほど奥まった場所には、巨大な闘技場がででんと鎮座ましましている。

 ただ、どういう施設であるのかは、やっぱりこの距離でもわからない。ここからうかがえるのは、高さが5メートルはあろうかという黄色っぽい石の塀ばかりである。


 塀は円状に組まれており、その内側の直径は100メートル以上もありそうだ。練兵場として使うには、それぐらいの敷地が必要になるのだろう。ちょっとした野球場ならばすっぽりと囲めそうなぐらいのスケールである。


 で、その闘技場のかたわらを通りすぎると、とたんに凄まじい情景が広がった。

 闘技場の裏手には、すでに何百人という人々が集結していたのである。

 いや、ひょっとしたら千を超える人数なのではないだろうか。宿場町の活気をまるごとこの場所に移したかのような様相だ。


 そして、そのスペースと無人の荒野を区切るようにして、軽食を売るための作業台がずらりと並べられている。煉瓦で組まれた作業台が、街道と垂直に交わる格好で西へと真っ直ぐに並べられており、そこではすでにいくつもの軽食が販売されていた。


 このような場所まで屋台を引いてくることはかなわないので、この作業場で俺たちは商売にいそしむのである。

 ということは、年に一度しかこの作業場も出番はないように思えるが、その割にはずいぶん立派な施設であるように思えた。


 まず、頭上には革張りの屋根が張られている。俺たちが青空食堂で使っているのと同様の、木の柱で支えられた屋根である。この部分だけは、闘技会の行われる日にだけ設置しているのかもしれない。このような場所に一年中放置しておいたら、のきなみ盗まれてしまうことだろう。


 で、その下に煉瓦で作業場が組まれているのだ。

 表側から見ると、区切りというものは存在しない。腰の高さまで組まれた煉瓦の台が、果てしなく横長にのびていっているばかりである。


 ただし、ただの作業台ではありえない。人々はその上に鉄鍋や鉄板を設置して、温かい料理をお客に提供しているのである。作業台の内側には、火を焚く設備が整えられているはずであった。


 言ってみれば、これは据え置き型の屋台なのだ。

 あるいは、横一列に連結されたかまどの集合体とでも称するべきであろうか。

 俺としては、バーベキューの会場を連想させられるようなたたずまいであった。


「何だかすごい有り様だなあ。とりあえず、空いている作業場を探そうか」


 俺たちは、作業台の裏手を通る格好で、街道から荒野へと荷車を乗り入れた。

 裏手には、もちろん彼らの乗ってきた荷車がずらりと並べられている。その荷車の1台につき1頭か2頭のトトスが控えているので、あちこちから長い首がにゅっとのびていた。


 そのトトスらに見守られながら、俺たちは荒野を西へと進む。

 すでに30組近い店が、そこでは商売に励んでいるようであった。

 その途中で見つけたのは、ダレイム伯爵家の紋章が掲げられた、ひときわ立派な荷車であった。


 当然のこと、ヤンも出店しているのだ。

 しかしどうやら、お客への対応で手一杯の様子である。挨拶は商売の後にでもさせていただくことにして、俺たちは歩を進め続けた。

 1組で1・5メートルぐらいの幅を取っているので、空席を見つけるには50メートルぐらいも歩かされることになった。


「よし、それじゃあ、このあたりで――」


 と、俺が言いかけたとき、遠くのほうから「アスター!」と呼びかけてくる者があった。

 視線を巡らせると、10組分以上も無人のスペースを空けて、ぽつんと店を開いている娘たちがいた。

 そこだけ孤立してしまっているので、お客の姿もまばらである。他の人々は隙間を空けずに店を開いているのだから、まあ当然だ。

 俺たちは、首をひねりながらそちらに近づいていくことにした。


「やあ、ユーミ。どうしてこんなにさびしいところで店を開いてるんだい?」


「えー? もちろんアスタたちのために決まってるじゃん! そんなこともわからないの?」


 それは《西風亭》のユーミおよび友人のルイアによる『お好み焼き』の屋台であった。彼女たちも復活祭ぶりに、屋台を出す予定であったのだ。

 ここは長々とのびた作業台の列のどんづまりで、彼女たちの西側にはもう5組分のスペースしか残されていない。


「アスタたちは、今日も5種類の料理を売るんでしょ? だから、こっちの作業場を使いなよ!」


「はあ。普段は北の端で、今日は西の端かい? どうしてこんな日まで、わざわざ孤立しなきゃいけないのかな?」


「本当にわかんないの? アスタも意外と鈍いんだねー!」


 愉快そうに笑いながら、ユーミは鉄板の上のポイタンをひっくり返した。


「今日は、客席がないんだよ? あっちの人混みで店を開いてたら、皿とか匙とかを持ち逃げされちゃうかもしれないじゃん。だから、こっちの空いてる側で食べてもらえば、持ち逃げされないように見張りを立てやすいってわけさ」


「ああ、なるほど。確かにそこまでは考えてなかったよ。いっぺんぐらいは下見をしておくべきだったね」


「ふふん。まあこうして無事に商売ができるんだから、問題ないんじゃない?」


 そのように言いながら、ユーミは期待に瞳を輝かせている。

 ということで、俺が心をこめて「それもユーミのおかげだね。どうもありがとう」と述べてみせると、「どういたしまして!」という満足感に満ちみちたお言葉が返ってきた。


 そんなわけで、俺たちも戦闘準備である。

 荷車をとめて、ギルルたちはいったん解放してから、あらためて手綱を荷台にくくりつける。このあたりには樹木もないので、彼らの食事は仕事の後まで待ってもらう他なかった。


 作業台の上面には、ぽっかり丸い穴が空いている。まずはそこに鉄鍋や鉄板を設置してから、俺たちは足もとを覗き込んでみた。

 そこには半円形の穴が空いており、やはり内側は空洞になっていた。

 まごうことなき、かまどである。

 俺たちは、薪と炭を設置して、ラナの葉でそこに火を灯した。


 足もとの穴から、白い煙がたちのぼる。

 作業台の煉瓦の継ぎ目は粘土か何かでしっかりふさがれていたので、どこからも煙が漏れることはなかった。

 これならば、家のかまどや屋台と同じ感覚で火加減を調節できそうだ。


 その間に、ユン=スドラたちは荷台から蓋つきの水瓶を下ろしていた。

 中には、たっぷり水が詰められている。使用した食器を洗うための準備である。


「アスタよ、俺たちはどのようにしてかまど番を守るべきであろうかな?」


 と、みんなの働きっぷりを見回していたライエルファム=スドラがこちらに近づいてくる。


「そうですね。屋台のほうはひとりかふたりで十分だと思います。商売を始めたらお客の側が賑わうでしょうから、そちらで食器を回収する女衆を見守ってもらうほうに力を注いでいただけたらと」


「なるほど。それでは、こちらの側に2名が残り、表の側に3名が出ることにするか。……アイ=ファよ、お前はどちらに陣取る心づもりだ?」


「私はできれば、屋台のほうに居残りたい」


「では、俺と2名があちらを守ろう。こちらにはチムを残すので、アイ=ファが指示を与えてやってほしい。チムは15歳で身体も小さいが、立派に仕事を果たすことのできる狩人だ」


 小さいと言っても、レイナ=ルウより小柄であるライエルファム=スドラよりは10センチほど大きな若い男衆が、アイ=ファの前に進み出た。

 スドラ家はこの4名が男衆のすべてであるので、俺は全員に見覚えがある。このほっそりとしていて実直そうな眼差しをした少年の狩人は、どうやらチム=スドラという名前であるらしかった。


「表に出るかまど番はユン=スドラと、あとはルウ家の側から2名です。ルウ家についてはあちらのシーラ=ルウから話を聞いてください」


「わかった。それでは頼んだぞ、チムよ」


 スドラの面々が、シーラ=ルウのほうに近づいていく。ルウ家の側からは、シーラ=ルウ自身とレイ家の女衆が皿の回収と洗い物を担当する様子であった。


 ルウ家の本日のメニューは、『ギバのモツ鍋』と『ミャームー焼き』である。

 ファ家のほうは、『ギバ・カレー』と『ポイタン巻き』、そして日替わりメニューで初挑戦の『ギバ・ビーンズ』であった。


 新食材のタウ豆を白インゲンの代わりにして、タラパのソースで仕上げている。このタラパのソースも特別仕立てで、あえてミャームーは使わずに、甘めでまろやかな風味に仕上げていた。


 普段のタラパソースはイタリア料理を意識しているが、『ギバ・ビーンズ』の元ネタたる『ポーク・ビーンズ』は、たしかアメリカ料理であったはずだ。なおかつ俺にとっては小学生時代の給食で出されたものが印象としては強かったので、そういうちょっとチープな味わいを目指してもいた。


 作り置きしておいたケチャップやウスターソースが傷みそうな気配であったので、それらもふんだんに使って味を整えている。ギバの肉はバラとモモで、野菜は王道のアリア、ネェノン、チャッチの3種だ。


 そうして俺たちが鍋の料理を温めていると、販売を始める前からわらわらと人が集まってきた。

 トゥール=ディンの担当である『ギバ・カレー』がいよいよ強烈な香りを放ち始めたので、人々の関心をかきたてることに成功できたのだろう。隣の屋台では、ユーミがにんまりと笑っていた。


(なるほどね。だから昨日、ユーミはうちのメニューを聞いてきたのか。相変わらずの商魂のたくましさだ)


 しかしもちろん、それは俺にとって美点に感じられるユーミの特性であった。

 俺たちが準備を進めている間に、10席ばかりも空いていた作業台は半分ぐらいが埋まっている。ということは、まだまだ7、8メートルぐらいの空白地帯が存在するわけであるが、『ギバ・カレー』の芳香の前には何ほどのものでもなかった。


「アスタ、そろそろこっちも作り始めちゃっていいのかしら?」


 と、ユーミと逆の側からヤミル=レイが呼びかけてくる。

 今日は下ごしらえに時間のかかる『ギバまん』はあきらめたので、ひたすら『ポイタン巻き』の肉を焼いていただく所存である。


「ええ、こちらももう一息なので、かまいませんよ。ツヴァイにも伝えてもらえますか?」


 ツヴァイの担当は、『ミャームー焼き』だ。『ギバ・カレー』や『ギバのモツ鍋』も、俺が担当する『ギバ・ビーンズ』と同じぐらいには温まっている頃合いであろう。


「よお、やっぱり来てたな。まだ準備は終わらないのかよ?」


 と、見覚えのある西の民の若者たちが、人垣の中から進み出てきた。

 ユーミの友人である、やんちゃな若者たちだ。


「ええ、もうじきです。みんな闘技会を観戦に来たんですね?」


「ああ、こんな面白い見世物はなかなかねえからなあ」


「勝手に荷車を持ち出したから、家に帰ったらお説教だけどな」


 ぎゃはははと、お行儀の悪い笑い声をあげる。

 しかし彼らも『滅落の日』にはダレイムの宴に参加していたので、俺としてはいっそう親しみが感じられるようになっていた。


「ところでよ、別の町からも初見の連中がずいぶん集まってるみたいだな。そういう連中は、こいつはいったい何の料理なんだって驚いてるみたいだぜ?」


「それって『ギバ・カレー』のことですよね。そういえば、ここには西の民のお客さんが多く集まってるみたいですね」


「ああ。シムの連中は闘技会なんざに興味がないんだろうな。あいつらは剣じゃなく毒を使うって噂だからよ」


 確かに、西の民が多いばかりでなく、東の民の少なさが際立っているように感じられた。目算で、8割ぐらいが西の民、残りの2割が南の民、東の民はときどきひょっこり姿を見せるぐらいしかいない。


「うーん、パスタは火もとが2つ必要になるので、今日はカレーにしちゃったんですよね。東のお客さんが少ないなら、ちょっと失敗だったかもしれません」


「そんなことねえよ。みんなその香草の匂いに驚かされてるんだからよ。……それに今日は看板がねえから、ギバの肉とも知らずに買うやつも出てくるだろうな」


 悪戯小僧の顔つきで、若者はくすくすと笑い声をたてた。


「ま、美味けりゃ文句を言うやつもいねえだろ。うかうかしてると闘技会が始まっちまうから、さっさと店を開いたほうがいいと思うぜ?」


「そうですね」と応じながら、俺は一番遠くにいるモルン=ルティムのほうをうかがってみた。

『ギバのモツ鍋』の担当である彼女が、笑顔で手を振ってくる。


「よし、それでは販売を開始します」


 そうして若者たちに料理を手渡していくと、それが呼び水となって他のお客も押し寄せてきた。

 中には、トゥール=ディンを質問責めにしているお客もいる。それでシムの香草を使ったギバの料理だという説明を聞いた人々は、のきなみ驚きの声をあげることになった。


(そんなに初見のお客も多いんだな。確かにギバ料理を普及させるには格好の機会なのかもしれない)


 普段の朝一番にも負けない勢いで、料理は次々と売れていった。

 それにお客らも闘技会の開始を待ちわびているためか、あまり長々と居残ろうとしない。皿が必要な料理を買っても、立ち食いで素早くかき込んで、そのまま屋台に皿を返してくるお客も少なくなかった。


「これはちょっと皿洗いのほうが大変そうですね。フェイ=ベイムもあちらを手伝ってもらえますか?」


「了解しました」


 同じことを考えたらしく、モルン=ルティムの補佐をしていたリミ=ルウがぴゅーっと客側のほうに移動していった。


 お客は、どんどんと押し寄せてくる。

 これはもう、普段の朝一番どころか、復活祭のピーク時にも匹敵する混雑具合であった。


 これでは1000食分の料理といえども、中天までには売り切ってしまうかもしれないぞ――と、俺がそんな不安にかられたとき、ふいに遠方から雷鳴のような音色が響きわたってきた。


 聞こえてくるのは、南方から。闘技場の方角である。

 どうやら太鼓か何かを連打している音色であるらしい。

 その音色を聞くなり、広場に集まっていた人々が闘技場へとわっと押し寄せた。


 闘技会が、開始されたのだ。

 まだ木皿の料理を食べていたお客たちは、いっそう大慌てで木匙を動かし始める。その他のお客は、『ポイタン巻き』や『ミャームー焼き』を握りしめたまま、闘技場へと駆け出した。


 そうして5分と経たぬ内に、広場からは人影が消えてしまった。

 残っているのは、巡回役の兵士ばかりだ。


「何だかすごい騒ぎですね。みんなそんなにこの催しを楽しみにしていたのでしょうか」


 ちょっと呆然とした面持ちで、トゥール=ディンがそのようにつぶやいている。


「うん、まあ、それが目的でこの場に集まった人たちだからね。……いったいあの中では、どんな騒ぎが繰り広げられているのかなあ」


 午前の内に行われるのは、いわゆる予選大会である。これから中天までは、何十か何百という剣士たちが、観客たちに見守られながら剣技を試し合うのだ。


 その中で、シン=ルウとゲオル=ザザはいかなる結果を残すことができるのか――そんな思いにとらわれながら、俺たちは屋台の裏で立ちつくすばかりであった。

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