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異世界料理道  作者: EDA
第二十三章 闘技の候
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狩人の誇り②~見届け人~

2016.11/1 更新分 1/1

 そして翌日、銀の月の18日である。

 夜明けと同時に起床して、洗い物や薪拾いの仕事を片付けてから家に戻ると、そこにはレム=ドムがいつも通りの様子で待ち受けていた。


「待っていたわよ、アイ=ファ。でも、勝負はアスタの朝の仕事が終わってからなのでしょうね?」


「うむ。アスタも五の刻には家を出るのだからな。それから始めても遅くはあるまい」


「ええ、中天の前から日が落ちるまで、たっぷり半日も残されているのですものね」


 この時間は、レム=ドムも商売の下ごしらえを手伝うのが日課となっているのだ。

 ただし、それは晩餐を得るための労働であったので、力比べの後は北の集落に戻る予定になっている本日のレム=ドムには、仕事を手伝ういわれもない。


 しかしまた、本人たちが言っている通り、その後にも時間はたっぷり残されているのだ。たとえ間に休憩をはさむとしても、朝から晩まで力比べを続けることなど、とうていかなわないだろう。ならば、上りの五の刻から日没まででも、決着をつけるには十分すぎるはずであった。


「それじゃあ、始めましょう。アスタ、あなたを手伝うのはこれが最後となるけれど、どうぞよろしくね」


「うん、こちらこそよろしく」


 やはりレム=ドムは気負っている様子もなく、いつも通りにふてぶてしく微笑んでいた。


 アイ=ファどころか俺よりも背の高い、180センチはあろうかという長身のレム=ドムである。その身体は意外に女性らしいラインを描いているが、しかし、肩や腕には筋肉が目立ち、腹筋などもはっきり割れている。アイ=ファはもちろん、小柄なルド=ルウやシン=ルウなどよりも質量ではまさっているのではないかと思えるような逞しい体躯の持ち主だ。


 この数ヶ月の鍛錬で、その体躯はいっそう研ぎ澄まされている。町の人間であれば、レム=ドムが女狩人であると聞いても何ら不思議には思わなかっただろう。

 目尻の切れ上がった大きな目や、高い鼻梁とふくよかな唇、高々と結いあげた黒髪に、なめらかな質感をした浅黒い肌――というその面立ちも、女性として十二分に美しくはあったが、やはり鋭く引き締まっている。弱冠15歳とは思えぬ風格であり迫力である。


 しかもレム=ドムは、この数ヶ月で以前とは異なる雰囲気をも獲得していた。

 いかにも猛々しい風貌であるのに、どこか泰然とした落ち着きも感じられる。この気配は、ジーダやバルシャとともに野鳥狩りの仕事を始めてからレム=ドムに備わったものであるはずだった。


 野鳥狩りは早朝に行われるので、危険なギバに脅かされることもない。しかし、森で野鳥を狩るには、気配を殺したり集中力を高めたりというスキルが必須になるのだろう。


 有り体に言って、俺の目から見ても、レム=ドムはすでに女狩人に見えてしまうぐらいであるのだった。

 アイ=ファと並べてしまうと、それはもちろん荒削りに見えてしまうが、たとえば13歳の見習い狩人たるディム=ルティムなどを思い出すと、まったく見劣りはしないように思えてしまう。狩人でも何でもない俺がそのように考えたところで益はないのであろうが、俺にとってはそれが本心であった。


(何にせよ、それだけレム=ドムが真剣に修練に取り組んでいたってことなんだろうな)


 そのようなことを考えながら、俺は商売の下ごしらえに取りかかった。

 すでに他の女衆も集合している。この時間、俺を手伝ってくれるのは、トゥール=ディンとユン=スドラ、そして宿場町での仕事にも力を貸してくれる3名の女衆である。今日の当番は、フェイ=ベイムおよびダゴラとガズの女衆であった。


 レム=ドムは、フェイ=ベイムとともに大量のポイタンを焼いてくれている。フェイ=ベイムにその仕事を手ほどきしてくれたのも、他ならぬレム=ドムだ。あまりあれこれと手を広げなかった代わりに、レム=ドムはポイタンの焼き作業に関して指南役をつとめられるほどのスキルを身につけるに至ったのだった。


(そんなレム=ドムとも、今日でお別れか)


 顔をあわせるのはほぼこの時間帯のみであるが、ずいぶんと長いつきあいである。彼女が初めてルウの集落にやってきたのは黒の月の下旬であったから、もう3ヶ月ぐらいは経過していることになるのだ。


 それからすぐにレム=ドムはファの家に居座って、ディック=ドムに三行半を突きつけられてからは、近所の空き家に移り住んだ。そうしてドンダ=ルウの意見に従って、いったんドムの家に戻り、ディック=ドムと協議した上で、再びこの地に戻ってきた。

 実に波乱に満ちた3ヶ月である。


 最初は手のつけられない乱暴者に思えたレム=ドムも、すぐに色々な愛すべき美点が見えてきた。トゥール=ディンと仲良くなったことや、スフィラ=ザザとの複雑な関係性も、俺から見るとすごく微笑ましい。そして、どれだけ周りに諭されても狩人として生きることをあきらめないレム=ドムは、否応無しにアイ=ファと重なって見える瞬間があるのだった。


(色んな建前をすっとばしちゃえば、やっぱり俺はレム=ドムの望む通りに生きてほしいな……ま、すべては森の思し召しか)


 嘆息がこぼれないよう気をつけつつ、俺は次々と商売のための下ごしらえを片付けていった。


 本日の献立は、定番メニューの『ギバまん』と『ミャームー焼き』に加えて、2日置きの『カルボナーラ』、そして日替わりメニューの『ギバの揚げ焼き』である。

『ギバまん』の他はそれほど手間のかかるメニューではなかったし、肉の切り分けや食材の仕分けは昨日の内に済ませているので、何も難しいことはない。なおかつ、宿屋に届ける料理はルウ家が受け持つ日取りであった。


 手伝いの女衆もだいぶん手際がよくなってきていたので、復活祭の頃を思えば平和に過ぎるぐらいである。

 そうして滞りなく2時間ていどで作業を終えて、仕上げた食材を荷車に積み込んでいく。

 スフィラ=ザザがやってきたのは、ちょうどそのタイミングであった。


「あら、わざわざ見届けに来たの、スフィラ=ザザ?」


「当たり前でしょう? そのために、わたしは今日までルウの集落に居残っていたのだから」


 そのように述べてから、スフィラ=ザザは強い眼差しを俺にも向けてきた。


「アスタ、今日までお世話になりました。あなたたちの行状については、過不足なく族長らに伝えさせていただきます」


「はい、こちらこそありがとうございました。宿場町では食堂の仕事まで手伝っていただいて、とても助かりましたよ」


 スフィラ=ザザとも、今日でお別れとなるのである。

 けっきょく最後まで厳しい態度は崩さなかったが、意外に感情の起伏が激しくて、なおかつ甘党のスフィラ=ザザも、俺にとっては好ましい森辺の同胞であった。


「それじゃあ、俺たちは宿場町に出発しますので――」


 俺がそのように言いかけたとき、さらに近づいてくる者があった。

 スフィラ=ザザは徒歩であったが、今度は荷車を引いたトトスの登場である。その荷車には屋根がなく、そして、その騎影は北の方角から姿を現した。


 トトスはいくぶん黒みがかった羽の色をしている。

 手綱を握っているのは、頭つきの毛皮をかぶった北の集落の狩人だ。

 しかし、族長のグラフ=ザザではない。もう少し若めの狩人であるようだった。

 そして荷台には、ギバの頭骨をかぶったディック=ドムの姿も見える。


「おお、力比べはまだ始まっていなかったか。トトスをとばしてきた甲斐があったというものだ」


 豪放なる笑いをふくんだ声で述べながら、名も知れぬ男衆が地面に降り立った。

 ディック=ドムのほうは、無言でのそりと荷車から降りる。


 ひさかたぶりに対面した兄と妹は、言葉もなくおたがいの姿を見つめ合った。

 それを切なげに見比べてから、スフィラ=ザザがもう片方の男衆をにらみつける。


「ゲオル、どうしてあなたまでこのような場にやってきたの?」


「どうしたもこうしたも、こいつは俺たちにとっても一大事であろうが? 何せ、次代の族長の嫁取り話にも関わってくることなのだからな!」


 北の集落の狩人であるからして、実に猛々しい雰囲気であった。

 頭つきの毛皮をかぶっているために人相は半分がた隠されてしまっているが、黒い瞳は炯々と輝いており、口もとには蛮なる笑みが浮かべられている。それでも多少なりとも若く見えるのは髭がないせいで、右目の上には大きな古傷が見て取れた。


 ディック=ドムに比べれば一回りは小柄であるかもしれないが、それでも身長は180ぐらいもあり、どこもかしこも肉厚である。ジザ=ルウやガズラン=ルティムに負けないぐらいの逞しさではあっただろう。


「何を勝手なことを言っているのやら。あなたと契りの約定を交わした覚えはないわよ、ゲオル=ザザ?」


 やがて兄の姿から目をそらしたレム=ドムは、皮肉っぽく口もとを歪めながらそのように述べたてた。

 それから、俺とアイ=ファのほうに向きなおる。


「このがさつな男はゲオル=ザザといって、ザザの本家の末弟よ。こんな厳つい見てくれをしているけれど、スフィラ=ザザにとっても弟ね」


「ふん! 同じ日に生まれたのだから、姉も弟もない! それに俺は末弟だが、次代の家長であり族長だ!」


 驚くべきことに、彼はスフィラ=ザザの双子の弟であるようだった。

 ということは、年齢も16歳ということになるわけだが、ディック=ドムと同じぐらい貫禄はたっぷりである。

 そして族長うんぬんというのは、すでに長兄と次兄が森に魂を返してしまったため、末弟の彼が本家で一番年長の男衆になってしまったのだという話であった。


「お前のように荒くれた女衆が、俺以外の男衆に扱えるか? いいからとっとと余興は済ませて、俺の嫁になる覚悟を固めるがいい!」


「言われなくても始めるわよ。ただし、日没まで決着はつかないかもしれないから、そのつもりでね。……ああ、アスタ、こんなのは放っておいて、自分の仕事を果たしてちょうだい」


 すると、ゲオル=ザザの黒い瞳がうろんげに俺をにらみつけてきた。


「なるほど、お前がファの家に住みついた余所者か。噂通りの、生白い男衆だな」


 事実上の次期家長ということは、グラフ=ザザが家を離れる際は彼が北の集落に居残っていたのだろう。つまり、俺やアイ=ファとは正真証銘、初対面になるわけである。


「そして、お前がファの家の女衆か。ふん……確かに名ばかりの狩人ではないようだ。そのように美しい姿をしているのに、惜しいことだな」


 アイ=ファは、半眼でゲオル=ザザをにらみ返している。むやみに容姿をほめたたえる無作法者には特に過敏なアイ=ファであるのだ。


「おお、お前はディン家のかまど番だな。この前の宴の食事は見事だったぞ! 俺が婚儀をあげる際にも、お前の手腕には期待しているからな!」


 トゥール=ディンは、ちょっと不安そうな面持ちで一礼した。

 つい最近、北の集落で何やら宴があったので、トゥール=ディンは一日だけ宿場町での仕事を休んで、そちらに出向いていたのである。


「それじゃあ、俺たちは失礼します。そろそろルウの集落に向かう刻限ですので」


 年少の相手とは思えぬ貫禄であるし、俺はスフィラ=ザザにも丁寧な言葉を使っていたので、そのように述べてみせた。

 すると、ゲオル=ザザが「ああ待て待て!」と大声をあげる。


「ルウの家長に言伝だ。城下町の闘技会とやらには俺が出向くことに決まったので、そう伝えておけ」


「え? あれはシン=ルウが出るのではないのですか?」


「貴族どもがもう一名ほど出てはどうかと抜かしてきたので、俺が出ることになったのだ! ルウの分家の男衆だけでは、狩人の名を汚しかねないからな!」


 どうもこの御仁はディック=ドムなどと比べると、いささか沈着さに欠ける様子である。

 そういえば、16歳ということはシン=ルウとも同い年なのだ。このゲオル=ザザとシン=ルウだったらどちらが狩人としての腕が立つのだろうな、と俺は内心でひとりごちた。


「ご伝言、承りました。それでは、また」


 そのように応じてから、俺は仏頂面のアイ=ファとレム=ドムを見比べた。


「それじゃあ、行ってくるよ。レム=ドムも、お元気で」


「あら、お別れの挨拶には早いわよ。アスタたちも、日が暮れる前には帰るのでしょう? その前に決着がついたとしても、アスタたちが戻るのを待たせてもらうわよ」


「あ、そうなのかい? だったら今日はルウ家に寄らず、真っ直ぐ帰ってくるけど」


「待っているに決まってるじゃない。こんなに長々とお世話になったんだから、最後ぐらいはきちんと挨拶をさせてよ」


 そう言って、レム=ドムは白い歯を見せた。


「あなたたちもね、トゥール=ディンにユン=スドラ。わたしがアイ=ファにどれだけの力を見せることができるか、せいぜい楽しみにしていてちょうだい」


               ◇


 そうして俺たちは、本日も宿場町の商売に取り組むことになった。

 町はすっかり落ち着きを取り戻したものの、それでも往来には大勢の人々が行き交っている。800食分も準備している料理も問題なく売れていたので、まだまだ数を絞る必要はないようだった。


「そう……ついにレム=ドムも北の集落に帰ることになったのね」


『ギバまん』および『ミャームー焼き』の担当であるヤミル=レイが、新たな蒸し籠を屋台に設置しながらそのようにつぶやいた。


「まあ、3ヶ月も好き勝手にやってきたのだから、レム=ドムにも悔いはないでしょう。明日からは、自分の家で本来の仕事に励めばいいわ」


「あ、ヤミル=レイもレム=ドムが勝つのは難しいと思っているのですか?」


「難しいのではなく、不可能よ。どのような勝負であれ、ルウ家の力比べで8人の勇者に選ばれるアイ=ファが負けるわけないもの」


 俺も同じような心境ではあるが、ヤミル=レイの口から聞くと、とてつもなく説得力が加算されてしまう。


「それでレム=ドムはゲオル=ザザという男衆に嫁入りを願われているようなんですけど、彼はどういう人物なのでしょうかね?」


「さあ? 後継ぎだったら家長会議の供になることもないし、スン家ではなるべく眷族を招かないようにしていたから、そのような男衆は名前ぐらいしか知らないわ」


「そうですか。スフィラ=ザザとは双子の姉弟であるそうですけれど」


 俺の言葉に、ヤミル=レイはぴくりと眉を動かした。


「ああ、あの粗忽な男衆がゲオル=ザザというの……なるほどね。幼い頃から乱暴者で、ディガやドッドも宴のときなどはなるべく近づかないように気をつけていたような気がするわ」


 確かにディガやドッドでは、とうてい太刀打ちできなそうな迫力ではあった。なおかつ、相手が親筋でも遠慮しなそうな気性であるように思えてしまう。


「そういえば、ドッドの怪我はどうなったんでしょうね。一命は取りとめたそうで何よりですが、ちょっと心配です」


 ヤミル=レイは、肩をすくめるばかりで何も答えなかった。

 北の集落におもむいたトゥール=ディンから、ディガやドッドやスンの集落の人々について、俺たちはひさびさに情報を得ることがかなったのだった。


 血の縁を絶たれた人間に気をかける必要はない、とグラフ=ザザには一蹴されたらしいが、それでもトゥール=ディンは懸命に食い下がり、おたがいの行状を知らせ合うことに許しをもらったのだそうだ。

 かつての血族がどのような心情でどのように生きているかを知ることは、正しく生きていくための励みになるのではないか――少なくとも、自分はヤミル=レイやツヴァイを間近に見ることによって、そういう気持ちを得ることができた。そのように述べて、あのグラフ=ザザから了承を取りつけたそうなのである。


(こんなにちっちゃいのに、トゥール=ディンは立派だよな)


 逆方向に視線を転じると、そのトゥール=ディンは額に汗しながらパスタを茹であげていた。


「トゥール=ディン、それが仕上がったら交代しようか?」


「はい、了解いたしました」


 トゥール=ディンはもはや『カルボナーラ』の作製を極めていたので、日替わりメニューの献立によってはこうしてローテーションするようにしていた。


 逆にもっと簡単な料理のときには、『ギバまん』の屋台をフェイ=ベイムや他の女衆にまかせて、俺がヤミル=レイに手ほどきをしたりもしている。復活祭が終わってゆとりが出てきたので、宿場町の商売においてもそういった各人のスキルアップに目を向けることができるようになったのだった。


 そうして数分後、俺とトゥール=ディンがポジションをチェンジした頃合いで、顔馴染みの人物が姿を現した。

 ダレイム伯爵家の侍女にしてヤンの仕事の助手である、シェイラ嬢である。


「おひさしぶりです、アスタ様。ポルアース様からの伝言があるのですが、よろしいでしょうか?」


「はい。ちょっと今は調理の手が離せないので、仕事しながらでよければ。……よかったら屋台のこちら側にどうぞ」


「お忙しいところを申し訳ありません」


 お行儀よく一礼してから、シェイラは屋台の裏側に回り込んできた。


「実は、7日後に開催される闘技会についてなのですが。アスタ様も、その日のことについてはすでにお聞き及びでしょうか?」


「ああ、はい。その日はみんな、闘技場というものの周囲で屋台の商売をするそうですね。その闘技場というのがどこにあるのかは、まだ俺も聞いていないのですけれども」


「はい。闘技場というのはこの街道を北上したところに位置しています。トゥラン領よりもさらに先、トトスの荷車で半刻ばかりの場所ですね」


 トゥラン領より北というのは、俺たちにとって未知の領域だ。半刻というのは3、40分ぐらいの時間であるので、なかなかの距離である。


「普段は練兵場として使われている施設なのです。二千名からの人間を収容できる場所ですので、そちらで商売をすれば普段以上の銅貨を得ることができるでしょう」


「ええ、その代わりに、宿場町では人が出払ってしまうそうですね。俺たちもそちらに向かうべきかどうか思案中であったのです」


「ぜひとも参加していただきたいというのが、ポルアース様のお言葉でありました。ただし、その日はジェノス以外の町からも大勢の人間が集まりますし、力自慢の無法者なども少なくはないので、幾人かの護衛役は必要かもしれないとのことです」


「うーん、そこのところが考えどころなのですよね。護衛役を頼むには、狩人としての仕事を休ませることになってしまいますので」


 ルウ家はすでに休息の期間を終えてしまっているし、ファの家や近在の氏族が休息の期間に突入するのは、もう少し先の話である。あと10日か半月ばかりも後ろにずれ込んでくれていれば、ちょうどいいタイミングであったかもしれない。


「ですが、その日は護民兵団も会場の周囲を巡回しますし、他の屋台では護衛役を雇ったりするわけでもありません。日が落ちる前には闘技会も終わりますので、実際に危険な目にあうことはないと思いますが……」


「ポルアースは、それなりの熱意で俺たちに参加を呼びかけているわけですね?」


 新たなパスタを鉄鍋に投じ、砂時計をひっくり返してから、俺はシェイラのほうを振り返った。

 案の定、シェイラはいくぶんすがるような目つきで微笑みをたたえている。


「はい。ギバ料理の味を世に知らしめるには、これも絶好の機会なのではないかと仰っていました。……それに、貴賓の中にはアスタ様の料理を所望されるお方々も少なくはない、とのことで……」


「貴賓というのは、貴族の方々ですよね? そのような方々が屋台の軽食をお召し上がりになるのですか?」


「ええ、もちろん特別に軽食は準備されていますが、それとは別にギバの料理を所望されるお方々がいるらしく……おそらくは、占星師のアリシュナ様や鉄具屋のディアル様などのことなのでしょう」


「あ、アリシュナやディアルなんかも招かれているのですね」


 どちらも闘技会などに関心はなさそうであったが、そこはやっぱり城下町における習わしやら何やらに左右されてしまうのだろう。


「そうですね。確約はできませんが、前向きに検討はしてみます。最終的には、族長からの許可も必要になる案件ですので」


「ありがとうございます。それでは、ポルアース様にもそのようにお伝えさせていただきます」


 そうしてシェイラはすみやかに退去していった。

『ギバの揚げ焼き』を作製していたトゥール=ディンが、「あの」と呼びかけてくる。


「護衛役でしたら、ディンやリッドでも受け持つことはできるかもしれません。最近は、ずいぶんギバの数も減ってきているようですので」


「うん、ファの家の周辺でも、それは同様だよ。何せ、一緒に収穫祭をしようと目論んでいるぐらいなんだからね」


「そうですね」とトゥール=ディンははにかむように微笑む。

 が、その小さな面にはすぐに物思わしげな表情が戻ってきた。


「でも、その闘技会というものにはあのレイリスという貴族も出場するのですよね? ルウの狩人と諍いになったりしないか、そちらのほうが少し心配です」


「そうだねえ。俺はどちらかというと、ゲオル=ザザが参加するってことのほうが気にかかっているけれど」


「ゲオル=ザザですか……わたしも数えるほどしか顔はあわせていませんが、確かにルウの狩人よりも気性は激しいかもしれませんね」


 そう言って、トゥール=ディンは切なげに息をついた。

 トゥール=ディンのように気性の優しい女の子には、まず闘技会というものからしてあまり好みにはあわないのだろう。シン=ルウとゲイマロスの殺伐とした戦いを見せられた後では、それも当然のことのように思えた。


「でも、根っこの部分は森辺の力比べと同じようなものなんだろうと思うよ? あくまで剣技を試し合う場なんだからさ」


 それでもゲイマロスが深手を負ってしまったのは、あくまでシン=ルウが手加減をできない状況に追い込まれてしまったためなのである。加減を忘れたゲオル=ザザが相手に怪我をさせることはあっても、シン=ルウたちが危険な目にあうことはない――と、信じたいところであった。


「そうですね」と同じ言葉を口にしながら、トゥール=ディンが揚がったギバ肉を鉄網に引き上げる。

 ちょうど砂時計の砂も尽きたので、俺もパスタのお湯を切り、別の鉄鍋で具材と混ぜ合わせることにした。


「わたしは気が弱いので、狩人の力比べというのも少し苦手なのです。……レム=ドムたちは、どうしているでしょうね?」


「そうだね。決着がつくには、まだ早いかな?」


 太陽は、ちょうど中天に差しかかる頃合いであった。

 俺たちがファの家を出てから、およそ2時間ぐらいが経過したことになる。普通に考えれば、そんな長時間を全力で取っ組み合うことなど不可能なように思えるが、反面、これしきの時間でレム=ドムが狩人として生きることをあきらめるようにも思えない。


 ファの家では、いったいどのような結末が待ち受けているのか。

 そのような想念にとらわれながら、俺たちはその日の仕事をこなしていくことになった。

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