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異世界料理道  作者: EDA
第二章 半人前の料理道
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③再会(下)

「……えーっとですね、先日は大変に失礼いたしました。誓って皆様方の裸身などこの目にはおさめておりませんが、その心の平安を脅かしてしまった段については、心よりのお詫びを申し上げる所存でございます」


 数十秒後、脳震盪からの回復を待ち、俺はルウ家の女衆にも深々と頭を下げることになった。


 レイナ、ララ、リミ、と年齢の順に並んだ3人の娘さんたちは、おのおのバラエティにとんだ表情で、そんな俺と相対してくれている。


 レイナ=ルウは、困惑の表情。

 ララ=ルウは、怒りの表情。

 リミ=ルウは、ちょっとはにかむような笑顔。


 しかし、どのような表情であれ、まだその顔に羞恥の色は濃い。

 アイ=ファはともかくこちらの方々に関しては本当に何も見てはいないのに、どうして俺がここまでの罪悪感を抱えこまなくてはならないのか。いささか理不尽な気もしないではないが、まあ、それだけお年頃の娘さんの心をかき乱した罪は重い、ということなのだろう。


 俺が不注意で大馬鹿であったという事実に間違いはないので、とにかく頭を下げるしかない。


「あ、あの! そんなに気にしないでください。ジザ兄からすべての説明はされていますから。みんな、ルド=ルウの悪ふざけだったのでしょう?」


 と、一番恥じらいの色を残しているレイナ=ルウに助け舟を出していただけるのが、また心苦しい。


「ふん! 甘いんだよ、ジザ兄は! こんなやつ、目玉をくりぬいて森に捨てちまえばよかったのに! そうすりゃムントの腐肉喰らいが、全部をきれいになかったことにしてくれたのにさ!」


 などと物騒なことをまくしたてるララ=ルウもまだ顔が赤いので、やっぱり罪悪感しか喚起されない。


「だ、だけど、アスタは嘘をつくような人じゃないから! きっとほんとにリミたちの裸は見てないんだよ! ……恥ずかしいから、もうそういうことにしておこうよぅ」


 リミ=ルウに至ってはもう返す言葉もない。こんな幼い少女の胸にトラウマでも刻みつけてしまったのではないかと、首をくくりたくなる。


「……それではもういいかな、ルウ家の女衆よ? 家人の馬鹿さ加減には私も頭を下げるしかないが、今日はお前たちにも話があってルウの家を訪れたのだ」


 こちらは赤い色をひっこめるともういつも以上に冷ややかなご面相になってしまったアイ=ファが、取りなすようにそう発言した。


「話とは、いったい何でしょう、アイ=ファ?」


 この場では最年長者のレイナがそう応じると、アイ=ファは「うむ」と首をうなずかせる。


「その前に。お前たちは仕事の最中であったのだろう。家の仕事の邪魔をしては、他の家族に申し訳が立たない。どうか仕事を続けたまま聞いてほしい」


「はい。それでは――」と、レイナとララは足の土を払い、また毛皮の上でステップを踏み始める。


「それは何をしているんだい?」と尋ねると、ようやく持ち前の無邪気さを回復してきた様子のレイナ=ルウに「踏んで、毛を柔らかくしているんです」という返事をいただけた。


 もっと毛皮のなめし方についても尋ねてみたかったが、そうそう遊んでもいられない。俺たちは、ジバ婆さんが目覚めるまで、という時間制限つきでルウ家への逗留を許された身なのである。


「あれから10日ほど経ったけど、食事のほうはどうだい? ジバ=ルウは元気にやっているのかな?」


「うん! ジバ婆は毎日もにゅもにゅいっぱい食べてるよ! ……だけどね、やっぱりアスタみたいに美味しくは作れないの」


 と、答えてくれたのはリミ=ルウだった。


「焼きポイタンなんかは、みんなけっこう上手に作れるんだけど。はんばーぐ? あれはレイナ姉でも難しいんだよね。焼いてるうちにバラバラになっちゃったり、真っ黒焦げになっちゃったり、赤いお肉が中に残っちゃったり。……それに、やっぱり匂いがね。はんばーぐを作っても、ポイタン抜きのお鍋を作っても、みんなギバの匂いが臭いんだあ」


「肉はちゃんと洗ってるか?」


「うん! アスタに言われた通り、肉をにちゃにちゃにする前に、岩塩を溶かした水で洗ってるよ! でも、やっぱりちょっと匂いが残っちゃうんだよねえ」


 ふむ。いちおう臭みとりの方法も伝えておいたのだが、やはり捕獲と同時に血抜きをしてしまわないと、完全に臭みを消すのは難しいのか。

 しかしそれは男衆の仕事なので、ドンダ=ルウを懐柔しない限り、改善は難しい。


「あーあ! それでもレイナ姉だったら練習すれば上手に作れるようになると思うのに、ドンダ父さんが許してくれないんだもん。ギバの肉をそんなお遊びで無駄にするなんてゴンゴドウダンだ!ってさ。だから今では、はんばーぐはジバ婆の分しか作れなくなっちゃったの」


「やっぱりアスタのように上手くはいきません。アスタは――すごい人です」


 と、黒い瞳を少女マンガのようにキラキラさせるレイナである。

 光栄の限りだが、別方向からの視線が痛い。


「どうせ肉なんていっぱい余ってるのにね! うー、リミもまたはんばーぐが食べたいよお。干し肉ももういらないから、朝も夜もはんばーぐが食べたい!」


「本当にね。わたしも同じ気持ちだよ、リミ」


 何というか――ちょっと怖いぐらいの中毒性である。

 やはり、柔らかい肉といえばクタクタになるまで煮込んだギバ鍋の肉しか知らない森辺の民にとって、ハンバーグというまったく新しい料理の食感は強烈に過ぎたのだろう。


 これはやっぱり、今回の料理でそのハンバーグ幻想を打ち砕かねばなという思いを新たにさせられる。


「ところでさ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど。このルウの家ではギバを焼いて食べるとき、どんな風に調理をしてるんだ?」


「どんな風? こう、ずばずばずばーって切るだけだよ?」


 さっぱりわからん。

 しかし、レイナ=ルウがフォローしてくれた。


「焼くときは、あのときアスタもやっていたように、一度骨から切りわけてから、薄く切って焼きます。こう、白い脂ができるだけ均等に渡るように」


 ふむ。それなら俺の世界の豚やイノシシの扱いとほとんど変わらないな。やつらのモモにはほぼ外周部分にしか脂身がないから、アイ=ファのように外側から削ってしまうと中盤以降が赤身オンリーになってしまう。


「ちなみに、薄くってどれぐらい?」


「え? ……これぐらいです」


 およそ1センチ未満ぐらいか。生肉を薄く切るのは難しいので納得。

 それにしても、「これぐらい」を示すのに片手ではなく両手の人差し指を使うのはちょっと卑怯ではなかろうか。無邪気で可憐な容姿をしたレイナ=ルウがやると、何だかとっても愛くるしい。思わず口もとがゆるんでしまうし、その結果として、視線が痛い。


「ねえ。何でアスタはそんなこと聞くの?」


「うん? ああ、まあ参考ていどに聞いただけさ。実は3日後の夜、またかまどの番をまかせてもらえることになったんだよ」


「え、ほんと!?」「本当ですか!?」と、3人中の2人がさきほどの奥様がたと同じように喜色を爆発させた。


 ただひとり、ふてくされた表情でステップを踏んでいた三姉が、険のある声で言い捨てる。


「何だ、またこいつがかまどを預かるのかあ。何でもいいけど、またあのにちゃにちゃした肉を食わせようとするのだけは、勘弁してほしいなあ」


 独り言の皮をかぶった痛罵である。

 俺は無言で、そちらを振り返った。

 といっても、あちらは常に動いているので、視線を合わせるのは難しい。


 ルウ家の三姉、ララ=ルウ。

 ちょっとくせのある真っ赤な髪を、ポニーテールみたいに頭のてっぺんで結わった、小生意気そうな女の子。


 年齢はまだ12、3歳ていどだろう。身長は、150あるかないかの次姉よりも少しだけ高いぐらい。その代わりに腕や足や胴体なんかはとても細っこくて、顔立ちなんかは可愛らしいのに、いつもふてぶてしい顔つきをしているから少し男の子みたいに見えてしまう。


 そういえば、彼女は末弟のルド=ルウとよく似ているのだ。

 しかし、そのルド=ルウは男衆の中で唯一俺の料理を認めてくれた相手であり、このララ=ルウは女衆の中で唯一俺の料理を認めてくれなかった相手である。


 今さら彼女の意見を聞いたところでプランの変更はできないが、それでもやっぱり感想だけは聞いておきたい気がした。


「ねえ、ララ=ルウ。君も男衆と一緒で、柔らかい肉より固い肉のほうが好みなのかな?」


「ああン?」と険悪な眼光を飛ばしてくる。

 が、せっかく回復した顔色にまた少しだけだが朱がさしてしまい、あまりおっかなくはない。


「何だよ、覗き魔。気安くあたしに話しかけてんじゃねーよ」


「い、いや、その件はちょっと置いておいてさ。見習いだけどいちおう料理人の俺にとっては、食べてくれた人の感想がとても大事なんだよ。で、その中でも特に君は具体的な感想を持ってるみたいだから、話を聞いてみたくってさ」


「何だよそりゃ。かまどの番なんて、本来は女衆の仕事だろ」


「俺の生まれた国では、そうじゃなかったんだよ。少なくとも、料理を仕事にしている人間の大半は男だった」


 ララ=ルウはしばらくむっつりと黙りこんだままステップを踏んでいた。

 が、やがてまた少し顔を赤くして俺をにらみつけてくる。


「何だよ! 話すまで帰らない気かよ! あたしはお前みたいな覗き魔と口なんかききたくないんだよ!」


「ええ? その件についてなら何べんでも謝るからさあ! どうか協力していただけないものだろうか」


「……何べん謝られたって、恥ずかしいもんは恥ずかしいだろ」


 と、少しうつむいて唇を噛んでしまう。

 もしかして……この娘はちょっとアイ=ファに似たタイプなのかもしれない。


 そんなことを考えていたら、左の頬にかかる視線がぐいぐいと圧力を増してきた。


 何だかもう色んな場所に冷や汗をかきながら、俺は言葉を重ねる。


「きょ、今日はもうすぐに帰るからさ。その前に、ちょっとだけでも話を聞かせてくれないか? たしか、君も焼きポイタンとスープのほうは悪くない、と思ってくれたんだよね?」


「ああもううるせーな! あたしはあのにちゃにちゃした肉が嫌だっただけだよ! 上にかかってた温かい果実酒みたいなのは美味しいなと思ったし、シャキシャキしたアリアも美味しかった! だけど大事なのはギバの肉だろギバの肉!」


 やけくそのようにわめきながら、とげとげしい目線をぶつけてくる。

 が、その顔はまだやっぱり赤い。


「何だよ? あたしだけ祝福しなかったから怒ってんのかよ? しかたねーじゃん! あたしはほんとにあの肉は嫌だなーって思ったんだし! ……ほんとはジバ婆を助けてくれたから祝福したかったけど、でも、女衆が全員あんたの味方をしたら親父の面子が丸潰れになっちゃう気がしたし! そうだよ! そもそも最初に祝福なんかしたレイナ姉が悪いんじゃん!」


「え、ええ? わたしが?」


「いや、あの、姉妹ゲンカはよくないよ……?」


「どーせレイナ姉は一緒に食事を作ってる間に口説かれたりしてたんだろ? それで真っ先に祝福なんてしたんだろ? いっつもいっつも真面目ぶってるくせに、やり方がきたねーんだよ!」


「そんなことないもん! わたしは本当に美味しいと思ったんだもん!」


「あの、だからその……」


「リミもほんとに美味しいと思ったーっ!」


「ちびリミは黙ってろ! 言っておくけど、レイナ姉なんて乳と尻がでかいから男衆にちやほやされてるだけなんだかんな! そのきれーなおなかがひっこんでるうちに嫁にいかねーと、行き遅れの石女になっちまうんだぞ?」


「な、何でそんなひどいこと言うの!? アスタの前なのに、ひどいっ!」


「ちびじゃないもん! ララの男女!」


 あああああ。どうしよう完全に収集がつかなくなってきた。

 しかも何故か左頬に突き刺さる視線が鋭さと冷たさを増している気がする。俺なのか? 俺のせいなのか?


「……何をぎゃーぎゃー騒いでんだ、お前ら?」


 と、そこに救世主が現れた!

 末弟のルド=ルウ少年である!


「客人、ジバ婆がお昼寝から目を覚ましたってよ。……ったく、勘弁してくれよなー。だからとっととひとりに絞って婿入りしちまえって言ったんだよ」


「うるせーぞ、ルド!」「し、失礼よ、ルド!」「ちびルドはひっこんでろー!」という息のそろった三重奏にも「あー、うるせーうるせー」と手を振って意に介さず、俺とアイ=ファに顎をしゃくるルド少年。


 何だか今日は、ちょっと精悍な面持ちである。その左肩に弓と矢筒を負っているから、きっとこれから森に向かうところなのだろう。


 俺は最後に、ぎりぎりと歯噛みしているララ=ルウへと呼びかけた。


「ララ=ルウ。今回はにちゃにちゃの肉じゃなく、しっかり噛み応えのある料理を用意したからさ。君も楽しみにしていてくれよ」


「うるせーよ!! どんな食事を出されたって、あたしは絶対あんたに祝福なんてしてやんねーからなっ!」


 そんなわめき声に送られながら、俺たちは家の玄関口へと向かった。


「……あんた、ララみたいな餓鬼んちょでもいける口なの? あいつ、俺よりふたつも年下だぜ?」


「そ、そんなつもりは毛頭ないよ! いい加減にその話題から離れてくれないかな?」


 左頬から後頭部へと照射位置が変わっただけで、まだまだ女主人の視線には鋼の切っ先のような感触が残っているのである。こんな騒動に俺の身を叩き込んでくれた罪は不問に処すから、もう嫁入り婿入りの単語はNGワードにしていただきたい。


「ふーん。ま、何でもいいけどさ」と、その細いがしっかりと引き締まった力の強い腕が、俺の首を横合いからロックしてくる。


「ヴィナ姉やレイナ姉よりララのほうがいいってんなら、くれてやるよ。……ただし、ちびリミに手ぇ出したら、あんた殺すから」


 低く潜められたその声には、正真正銘の殺意が込められている気がした。

 俺としては、将来のリミ=ルウの婿候補殿に冥福を申し上げるばかりである。


 そして。

 そんな状態のまま、何の気もなく家の表側にまで足を進めた俺は、そこで「うわ……」と、立ちすくむことになった。


 家の前には見知ったルウ家の男衆ばかりでなく、総勢20名近くのむくつけき『ギバ狩り』の戦士たちが集結していたのである。


「戻ったか、ルド。――よし、野郎ども! 今日も森から生命をぶん取るぞっ!」


 おおおッ――という、大地をゆるがすかのような、男たちの咆哮。

 その全員がギバの毛皮をひっかぶり、巨大な蛮刀をぶら下げており、 中には数人、弓を携えている者がいる。短めの槍を握っている者もいる。年老いている男もいれば、まだルド=ルウぐらいの少年もいる。額に包帯を巻きつけていたり、片腕がおかしな方向に曲がっている者もいる。


 だが、彼らは全員まごうことなき『ギバ狩り』の戦士たちだった。


 年老いた者も、年若い者も、傷ついた者も、そうでない者も、その全員が獣のように瞳を燃やし、目もあてられぬような闘争心をみなぎらせて、森へと足を進めていく。


 その先頭に立つのはもちろん家長のドンダ=ルウであったが、もはやその目は俺やアイ=ファを見ようともしなかった。


「じゃ、またな」と言い置いてその群れに駆けていくルド少年もまた獣の目つきだ。


 それらの姿はあまりに雄々しく、まるで神話の1ページのようで――俺はしばらく、口をきくことも身動きすることもできなかった。


「……あれはこの周辺に住処を構える、ルウ家の眷族の男衆だな」


 アイ=ファの手が、ぽんと俺の肩に乗せられた。

 ほとんど無意識のうちに振り返ると――彼らの気迫にあてられてしまったのか、同じように瞳を青く燃やしているアイ=ファが、俺を見ていた。


「ドンダ=ルウの弟や、その弟の息子たち。あるいはドンダ=ルウの親の弟たち。その息子たち。あれらのすべてを率いるのが、ルウ本家の家長、ドンダ=ルウなのだ」


 山猫のように燃える目が、じっと俺の瞳を覗きこんでくる。


「そしてルウ家には、それに従う6つの氏族がある。ルティム、マアム、ミン、レイ、リリン、ムファ。それらを合わせて、100余名だ。……臆したか、アスタ? お前が喧嘩を売ったのは、そういう男だ」


「いや――たぶん、大丈夫だよ」と応じながら、俺は何とか笑ってみせることができたと思う。


「大丈夫だ。むしろ、自分のやろうとしていることに確信が持てた。俺はたぶん――間違ってない」


 いぶかしそうに、アイ=ファが眉をひそめやる。


 が、やがてその口もとには、日常生活ではなかなか見せないような勇猛なる笑いが浮かんできて、これまた普段なら絶対しないような仕草で、俺の頭をタオルごと無茶苦茶にかき回してきた。

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