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異世界料理道  作者: EDA
第二十二章 群像演舞~二ノ巻~
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第二話 双頭の蛇(上)

2016.9/21 更新分 1/1

「時間がかかってしまってごめんなさい。料理をもらってきたわ」


 そのように声をかけてきたのは、たくさんの木皿を抱えたオウラであった。

 その背後には、オウラの倍ほども木皿を抱えたミダが立っている。

 ヤミル=レイは、そんなふたりが腰をおろせるように、敷物の端へと移動した。


 町の人間らを歓迎する宴のさなかである。

 世界は闇に閉ざされているが、広場は明々とかがり火に照らされている。とりわけ巨大な炎をあげている儀式の火の前では、ふたりの旅芸人たちが狩人を相手に力比べに興じていた。


「あれはすごいわね。まさか、森辺の狩人に負けない力を持つ町の人間がいるなどとは思わなかったわ」


 そのように述べながらオウラが木皿を並べていると、横からツヴァイがにゅうっと首をのばしてきた。


「また見事に肉の料理ばかりだネ。アタシはそろそろポイタンが恋しくなってきたんだけど」


「ポイタンはミダが持ってきているわ。ミダ、その皿も貸してくれる?」


「うん……」とミダが頬を震わせる。

 だいぶん余分な肉の落ちてきたミダであるが、まだ手にした木皿を足もとに置くには、胴体が図太すぎるのである。


「あら、町の人間たちはいなくなってしまったのね?」


「あの親子なら、オウラたちが離れてすぐいなくなってしまったわ。あれも料理人というやつなのだから、呑気に料理が運ばれてくるのを待ってもいられないのでしょう」


 なおかつ、オウラたちと入れ替わりでやってきたアスタたちなどはそれよりも早く席を離れてしまったので、こちらの敷物には森辺の女衆しか残されていなかった。

 ミダの到来に気づいたミンやムファの女衆が、席をずらして隙間を空けてくれる。ヤミル=レイが動いただけでは、この巨大なミダが座れるだけの空間を作ることができなかったのだ。


「……ありがとうだよ?」


「いいえ、どういたしまして」


 ミンの女衆が、くすくすと笑い声をたてる。両名とも、宿場町の商売を手伝っている女衆である。


「すごい量の料理を持ってきたのね。あなたは力比べをしないの、ミダ?」


「……力比べ……?」


「ほら、あちらで旅芸人がやっているじゃない。あの大きいほうは、もう3人も狩人を投げ飛ばしているのよ?」


 たしかドガという名を持つ巨大な男が、儀式の火の前で男衆と取っ組み合っている。その様子をしばしぼんやりと眺めてから、ミダはまた頬の肉を震わせた。


「ミダはおなかが空いてるんだよ……? こんなにおなかが空いていたら、きっとあの人には勝てないと思うんだよ……?」


「そう。それじゃあ、お腹が満ちたら挑戦してみれば? きっとあなたなら勝てるでしょう?」


「うん……」とあまり関心のない様子で応じつつ、ミダはのそのそと敷物に座した。

 その巨体を横目で眺めながら、ツヴァイは「フン」と小さく鼻を鳴らす。


「ずいぶんアンタも余所の女衆と気安く喋れるようになったもんだネ。ちょっと前までは、誰にも相手にされてなかったのにサ」


「それはミダは、もう2回も狩人の力比べで勇者に選ばれているもの。サウティ家で森の主を仕留める際にも、大きな役目を果たしたそうだし。もうルウの眷族でミダを誇りに思わない人間はいないでしょう」


 オウラが穏やかな声で言い、ツヴァイは細っこい肩をすくめる。

 それと向かい合う格好で、ミダは瞳を輝かせつつあばら肉の香味焼きに手をのばしていた。


「きっとあなたはもうすぐルウの氏を授かることもできると思うわ。頑張ってね、ミダ?」


「うん……ミダは、ルウの狩人としての仕事を果たすんだよ……?」


 相変わらずミダはまともに表情を動かすことができなかったが、その小さな瞳にはとても嬉しそうな光が灯っていた。

 ヤミル=レイは小さく息をつき、オウラのほうに向きなおる。


「ねえ、オウラ。ミダのことより、あなたはどうなの? ……いえ、あなたたちと言うべきかしら」


 ツヴァイに聞こえぬよう声を潜めていたので、オウラは「え?」と顔を寄せてきた。


「こういう宴のときに、あまり以前の家族とばかりともにあるのは、よくないことのはずでしょう? あなたとツヴァイは同じルティムの家人なのだからいいけれど、わたしやミダは眷族に過ぎないのだから」


「でも……あなたたちとは、こういう場でしか顔をあわせられないじゃない? ミダもツヴァイも、とても楽しそうだわ」


「だから、目先の楽しさにばかりかまけていていいのかという話よ。特にツヴァイなんかは、性根が甘ったれなんだから」


 そんなツヴァイは、運ばれてきた料理を食べながら、また喧々とミダに言葉を飛ばしている。傍目には険悪にすら見えてしまうかもしれないが、おたがいにひさびさの交流を楽しんでいるのは明白であった。


「ツヴァイはまだ12歳で、ミダだって14歳だもの。氏を与えられなければ伴侶を娶ることも許されないけれど、そんな心配は15歳になってからでいいのじゃないかしら?」


「……だけどあなたは、27歳よ。いえ、もう28歳になったのかしら?」


「ええ、紫の月で28になったわ。それがどうかした?」


「……28なら、まだいくらでも新しい子を生めるでしょう?」


 オウラは心底からびっくりしたように目を見開いた。


「あなたは何を言っているの、ヤミル=レイ? わたしの伴侶であったズーロ=スンはまだ森に魂を返したわけではないのよ? 今でもどこかの地でスン家の罪を贖っているはずなのだから……」


「でも、あなたは氏を奪われて血の縁を絶たれたのだから、もはやズーロ=スンを伴侶とは呼べないはずでしょう? それならば、森辺の女衆としての仕事を果たすべきじゃないかしら?」


「……それを言ったらヤミル=レイはまだ誰を娶ってもいないし、それに、いつでも婚儀をあげることを許されている身でしょう?」


 そのように述べながら、オウラは穏やかに微笑んだ。

 ヤミル=レイは、顔にかかる前髪を乱暴にかきあげる。


「レイの家長はああいう人間だから、わたしは何の罪も贖っていない内から氏を授かることになっただけだわ。あなたたちはそれよりもまだ道理のわかっているルティムの家人となったのだから、きちんと身をつつしむべきじゃない?」


「そうね。でも、ツヴァイやミダにはまだわたしやあなたの存在が必要なのよ、ヤミル=レイ。普段はきちんとルウやルティムの家人としてのつとめを果たしているのだから、こういうときぐらいは好きにさせてあげたいわ。ドンダ=ルウやガズラン=ルティムも、そのようなことでツヴァイたちを不実だとは思わないでしょうし」


「…………」


「でも、ありがとう。わたしたちのことをそれほどまでに心配してくれて……あなたがそういう人だから、ツヴァイもミダもなかなか姉離れができないのよ」


「わたしはもう姉ではないわ」


「そうだったわね。でも、同じことよ。わたしだって、あなたとの縁は失いたくないもの」


 そうしてオウラは、遠くのものを見るように目を細めた。


「ディガやドッドはどうしているのかしらね。ドムの家できちんと働けているのかしら。それに、スンの集落に残してきた分家の人間たちや――ズーロ=スンも……」


 それこそ血の縁を絶たれたヤミル=レイたちには詮索の許されない話であった。

 そこに、けたたましいレイの家長が戻ってくる。


「おお、ミダ! このようなところにいたのか! そろそろ俺たちの出番であるようだぞ?」


「うん……? 何がかな……?」


「どの狩人が挑んでも、あの旅芸人どもに土をつけることがかなわぬのだ! こうなったらもう、ルウの一族の勇者たる俺たちが挑む他あるまい! このまま勝ち逃げをされたら、森辺の狩人の名折れになってしまうからな!」


「うん……?」


 あまり事情をわかっている様子でもなかったが、ミダは食べかけであったギバ肉をぎゅうぎゅうと口の中に押し込んでから立ち上がった。

「よーし!」と気炎をあげるラウ=レイとともに、旅芸人たちのほうに近づいていく。男のようななりをした娘にはラウ=レイが、大男にはミダが挑むようだ。


「うわー、あのつるつる頭、ミダより頭ひとつ分も大きいんだネ! 横幅はミダのほうが勝ってるけど、あれじゃあやられちゃうんじゃない?」


 ミダがいなくなってしまったので、ツヴァイがヤミル=レイたちのほうに膝を進めてくる。

 口は悪いし気も短いが、ツヴァイはとても孤独を恐れる娘なのである。スンの本家という異様な環境にあって、ヤミル=レイとは正反対の気性を育むことになったのだろう。


(12歳――12歳か……)


 その頃の自分はどんな娘であっただろう、とヤミル=レイはぼんやり考える。

 ヤミル=レイは21歳であったので、12歳なら9年前だ。

 9年前――ツヴァイは3歳で、ミダは5歳。オウラは18歳である。

 それは、ザッツ=スンが病身となってズーロ=スンに族長の座を譲り、そして、ミギィ=スンなる悪辣な男衆が森に魂を返してから、1年ぐらいが経過した頃合いであるはずだった。


(ということは、森の恵みを荒らすのも当たり前になっていたし、分家の者たちもどんどん生きる気力を失っていた頃ね)


 ザッツ=スンが病に倒れ、ザッツ=スンと同じぐらい恐れられていたミギィ=スンがいなくなっても、スンの集落を包んだ暗雲はいっこうに晴れなかった。むしろ、これでザッツ=スンの掲げる大きな野望――北の一族を完全に従えて、ルウの一族を討ち倒すことなど本当にかなうのだろうか、という不安までもが蔓延して、いっそう人々は虚無的になっていたように思う。


 そんな中で、本家の人間たちは享楽的に過ごしていた。

 ズーロ=スンを筆頭に、ディガやドッドやツヴァイたちは、これが正しい道なのだと信じ、怠惰な生活に身をやつしていた。分家の出であるテイ=スンとオウラは死人のような眼差しで何も語ろうとはせず、ミダは動物のようにひたすら食事を楽しんでいた。病の床にあってもザッツ=スンの影響力に変化はなかったので、みんなスン家という檻の中でゆるやかに腐り果てていたのだった。


 ヤミル=レイも、例外ではない。族長であったザッツ=スンは毒の塊のような男であったのだから、まずは本家の人間がそれに侵蝕され、やがては分家の人間たちも、北の一族も、小さき氏族も、ルウの一族すらもその怨念に呑み込まれていくのだろう――と、12歳にして、ヤミル=レイはそのように考えていた。


(あるいは、そうなる前にルウ家がスン家を滅ぼすのか――道はそのふたつのどちらかしかないのだ、とわたしは信じていた)


 しかし、スン家は滅びなかった。

 本家の人間は氏を奪われたが、分家には氏が残されたのだ。

 今でもスンの集落には、十数名の分家の人間たちが暮らしている。さんざん荒らした森の恵みも、いいかげんに回復した頃合いであろう。ルウ家や北の一族に手ほどきをされた彼らは、きちんと狩人としての仕事を果たすことができているのか。今のところ、彼らが滅んだという声は聞こえてこない。


(まあきっと、苦しみながらも何とか生き抜いているのだわ。眷族の家人となった他の人間たちだって、トゥール=ディンのようにきちんと仕事を果たすことができているのだろうから)


 そしてまた、ルウの一族の家人となった本家の人間たちも、いちおうは正しく生きることができているはずだった。

 ミダはついに狩人としての頭角を現し始めたし、ツヴァイとヤミル=レイは宿場町の仕事を手伝っている。オウラだって、ルティムの集落で自分の仕事を果たしているのだろう。その満ち足りた表情を見れば、オウラがザッツ=スンの呪いから脱せたということを信ずることができた。


 ヤミル=レイとて、レイの集落では過不足なく生きることができているのだ。もともと優しい性根をしており、そしてツヴァイとも引き離されることなく生きることが許されたオウラならば、ヤミル=レイ以上にうまくやることは容易であっただろう。


 しかし――

 ザッツ=スンとテイ=スンは、生命を落とすことになった。

 ズーロ=スンは、死よりも苦しいとされる苦役の刑というものを賜り、西の王国のどこかにその身を置いている。森辺の集落への帰還が許されるのは、10年後だ。


 どうして彼らばかりがそのように重い罰を負わされたのか。その思いは、いまだヤミル=レイの内から完全に消えてはいなかった。

 ザッツ=スンは、諸悪の根源である。みずからの野心のために森辺の同胞を破滅の道にいざなおうとしていたのだから、その生命でもって罪を贖うしかなかったのだろうと思う。


 いっぽうのテイ=スンは、そんなザッツ=スンの刀としてさまざまな悪事に加担していた。それがどのような悪事であったのか、当時のヤミル=レイには知るすべもなかったが、彼はミギィ=スンと同じぐらい不吉な気配と血の臭いを漂わせていたのである。昨年にすべてが露見して、町の人間たちを殺めていたのだと聞かされたときは、心の底から納得できたものであった。


 そんなテイ=スンは、常に自分の滅びを願っているように感じられた。

 ゆえに、テイ=スンがザッツ=スンと運命を同じくしたのは、他ならぬ当人の意志であったのだろうとヤミル=レイは信じている。


 だからその両名は、しかたがない。

 問題は、ズーロ=スンであった。

 ズーロ=スンは、族長の座を受け継いだ身として、やはり重い罪を負わされたわけであるが――そこにヤミル=レイの疑念の核はあった。


 ザッツ=スンは、ヤミル=レイに族長の座を譲ろうとしていたのだ。

 ズーロ=スンはたまたま長兄であったから、族長の座を継承したに過ぎない。ヤミル=レイが15歳になったあかつきには、ミギィ=スンを伴侶として、スン家を治めさせる。継承の権利を持つディガなどは、眷族にでも婿に出してしまえばよい。ズーロ=スンには傷を負わせて、狩人としての力を奪い、家長と族長の座から引きずりおろしてしまえばよい――それがザッツ=スンのたくらみであったのだ。


 幼き頃から、ヤミル=レイはそのように教え込まれていた。ミギィ=スンが死んだのちは、族長の器に相応しい伴侶を捜すのだと申しつけられた。自分が認めない限り、決して勝手に伴侶を娶ることは許さぬと、ザッツ=スンは延々と呪いの言葉を吐き続けていたのである。


(お前ならば、我の意志を正しく継ぐことができる……我の血をもっとも濃く受け継いでいるのはお前なのだ、ヤミルよ……)


 骸骨のように肉の落ちた顔の中で、黒い炎のように双眸を燃やす、そのおぞましい相貌を思い出し、ヤミル=レイはぶるっと身体を震わせてしまった。


(わたしの身体には、あの恐ろしい男の血が流れている……他の誰よりも、強く、濃く……そんなわたしがズーロ=スンより軽い罰で許されるなんて、道理が通っていないのじゃないかしら?)


 そんな風に考えたとき、ものすごい歓声がわきあがった。

 ラウ=レイとミダが、それぞれ旅芸人たちを打ち破ったのだ。


 ラウ=レイは身を起こし、獣のような勝鬨をあげた。

 よほどの接戦であったのだろう。収穫祭の力比べで勝利をおさめたときよりも、よほど嬉しそうな様子であった。

 そんなラウ=レイが倒れた娘に手を差しのべて引き起こし、こちらの敷物に戻ってくる。


「見たか、ヤミルよ! 誰ひとり倒せなかったこの娘を、俺が倒したぞ!」


「ええ、お見事だったわ」


 実は想念にふけっていて何ひとつ見てはいなかったのだが、面倒臭そうなのでそのように答えておくことにした。


(虚言は罪、か……)


 こういうとき、やはり自分は何ひとつ変わっていないのではないかと思えてしまう。

 そんなヤミル=レイの前に、ひょろひょろに痩せた娘が差し出された。


「しかし、こやつも大した腕前だった! アイ=ファの他にこんな腕の立つ女衆がいるとは驚きだ! こやつに祝福の果実酒を与えてやってくれ!」


「あ、いえ、ボクは不調法ですので、できればお肉を……」


 と、言いかけて、その娘は「ほわあ」と奇妙な声をあげた。

 きょろりとした大きな目が、いっそう大きく見開かれている。


「き、きれいなおねえさんですねえ! ナチャラより色っぽいおねえさんなんて、ボク、初めて目にしました!」


 そのように言ってから、娘は細長い顔を真っ赤にした。


「あ、ご、ごめんなさい! 会っていきなりおかしなことを大声で言っちゃって……ボク、馬鹿なんです」


「自分のことを馬鹿呼ばわりする人間も珍しいな! お前は女なのだから、同じ女を褒めたたえることは森辺でも罪にはならんぞ!」


 上機嫌に言いながら、ラウ=レイは娘の肩をばしばしと叩いた。

 みだりに女衆に触れるのは習わしに反するはずであるが、そのようなことは頭から飛んでしまっているらしい。


「肉を食いたいなら、いくらでも食え! ヤミル、木皿を取ってやってくれ」


 ヤミル=レイは肩をすくめて、手づかみでも食べられそうなあばら肉の皿を差し出してみせた。

「あ、ありがとうございます」と、ぺこぺこ頭を下げながら、娘は一番小さな肉を取る。その間も、娘の瞳はうっとりとヤミル=レイを見つめたままだった。


「ところで、お前は何という名前だったかな? たしか、騎士王だとか何だとか……」


「や、やめてください! ボクは、ロロですよぅ」


「ロロか。なかなか愉快な名前だな。とにかくお前はその技量でさんざん俺たちを楽しませてくれたのだから、あとは思うぞんぶん宴を楽しむがいい!」


「は、はい、ありがとうございますぅ……」


 ヤミル=レイのほうをちらちらと見ながら、ロロと名乗る娘はあばら肉をついばみ始めた。

 何というか、トトスのようにとぼけた娘である。女にしては背のあるほうだが、姿勢は悪いしひょろひょろに痩せているし、これで森辺の狩人と互角以上の力量を持っているなどとはとうてい信じ難い。幼子が分別もつかないまま大きくなってしまったかのような、実に頼りなげな姿である。


 その間に、儀式の火の前ではまた旅芸人たちによって音楽が奏でられ始めていた。

 笛を吹く美しい女と、太鼓を叩く小男と、金属の棒を持った双子の4人だ。ダレイムでの宴のときと同じように、町の娘や森辺の女衆がゆったりとした舞を見せ始めている。


「おお、女衆の舞か。ヤミルよ、お前もひとつ踊ってきたらどうだ?」


「……わたしは身体を動かすのが苦手だと、何べん言ったらわかるのかしら?」


「しかし、そのように美しい姿をしているのに踊らぬのは惜しいことだ! 俺だって、お前の舞は見てみたいぞ?」


 ヤミル=レイはぞんざいに手を振って、口を開く手間をはぶかせていただいた。

「ちぇっ」と舌を鳴らしつつ、ラウ=レイはロロに向きなおる。


「そういえば、他の旅芸人どもはどこにいるのだ? まったく姿が見えないようだが」


「座長たちなら、向こうで果実酒を楽しんでいたようですよ? ライ爺とかゼッタなんかは、賑やかなのが苦手なもので……」


「それでは挨拶でもしておくか! 俺たちは宴が終わったら自分の集落に戻ってしまうからな。お前たちとは、ここでお別れなのだ」


 そのように言ってから、ラウ=レイはヤミル=レイに手を差しのべてきた。

 小首を傾げつつ、ヤミル=レイはそのしなやかな指先を見つめる。


「この手は何かしら、家長?」


「何って、お前も一緒に来るのだ。ツヴァイたちとはもう十分に話したろう? 少しは他の人間とも縁を深めろ!」


 ヤミル=レイは少し考えてから、その手をぴしゃんと払いのけた。


「身体を動かすのは苦手でも、ひとりで立つことぐらいはできるわ。……それじゃあね、オウラ、ツヴァイ」


「ええ、また後で」


 オウラは穏やかに微笑み、ツヴァイは無言でうなずいてくる。

 ミダも他の誰かに連れ去られたようなので、これでオウラたちも他の人間と縁を深められるだろう。眷族も客人も、この場には大勢そろっているのだ。


 そうしてヤミル=レイとラウ=レイは、ロロの案内でギャムレイたちのもとに向かうことになった。

 が、何歩も行かぬうちに、それは別の旅芸人によってさえぎられることになった。


「おお、ロロじゃないか。お前にしては気のきいた芸だったな。甲冑も纏わずに暴れる姿はひさびさに見たような気がするぞ?」


「や、やめてくださいよぅ、ニーヤ……あ、これは吟遊詩人のニーヤです」


 言われずとも、ヤミル=レイには見覚えのある姿であった。

 屋台ではたびたびアイ=ファにちょっかいを出し、のちには何やらあやしげな歌でアスタの心をかき乱した若者だ。

 奇妙な帽子を頭にかぶり、奇妙な楽器を背中に背負った若者は、ヤミル=レイの姿を見るなり「おお!」と大仰な声をあげた。


「これはまたお美しい方だ。森辺にはお美しい娘さんが多いけれど、あなたは別格だね。俺は吟遊詩人のニーヤと申します」


 どうやら向こうはヤミル=レイの姿を覚えていなかったらしい。きっとアイ=ファしか目に映っていなかったのだろう。

 べつだん名乗る必要は感じられなかったので、ヤミル=レイは目礼を返すに留めておいた。


「ううん、毒々しいまでの色っぽさだ! お美しい人、あなたに一曲歌を捧げさせてはもらえないかな?」


「けっこうよ。そのようなものの価値のわかる人間ではないので」


「歌の価値など、あなたの美しさの前ではどうでもいいことさ。その口もとに微笑のひとつでも浮かべてもらえれば、代価としては十分だ。……しかしその前に、まずは果実酒など一緒に如何かな? できれば、どこかふたりきりで」


 奇妙に甘ったるい、鼻にかかった声であった。

 あの夜に聞いた歌声はとても美しいと思えたが、この声には何の魅力も感じられない。


「おい、お前はアイ=ファに執心していたのではなかったか? ルド=ルウにそのように聞いていたのだが」


 と、首をひねりながらラウ=レイが口をはさんできた。

 ニーヤは面倒くさそうにそちらを横目で見る。


「アイ=ファというのはあの美しい女狩人のことだね? あちらは優美な豹のような美しさで、こちらは妖しい蛇のような美しさだ。俺の自由な魂は、そのどちらにも魅了されてやまないよ」


「そうか。そのような態度を、この森辺では不実と呼ぶのだが」


「ふうん? それは何とも窮屈な生き方だね」


「窮屈だろうが、それが森辺の習わしだ」


 言いざまに、ラウ=レイが左腕を振り上げた。

 額の真ん中を拳で撃ち抜かれ、ニーヤは「うぎゃあ」とひっくり返る。


「それに、このヤミルは俺の大事な家人でな。不実な真似は控えてもらいたく思う」


「ちょっと家長、何をやっているのよ」


 ヤミル=レイは呆れながらラウ=レイの腕に手をかけた。

 ラウ=レイは振り返り、子供のように下唇を突き出す。


「こいつの声や言葉は妙に俺を苛立たせるのだ。それに、俺が森辺で一番美しいと思っているお前とアイ=ファに不実な真似をするというのは、どうしても見過ごせん」


「だからといって、いきなり殴ることはないでしょう? この者たちは、ルウ家の客人なのよ? 諍いは起こすべからずっていうドンダ=ルウの言葉を聞いていなかったの?」


 周囲にはたくさんの人間がいたので、それらの者たちもぽかんとした顔でこの騒ぎを見守っていた。ロロはおろおろと両手をもみしぼっており、ニーヤは「あうう」と頭を抱え込んでいる。


「……しかし左の拳を使ったので、それほどの痛手は負わせていないはずだ」


「だから、そういう問題じゃないってのに」


 ヤミル=レイは、深々と溜息をついた。

 そのとき、朱色の小さな人影がしゅるりと人混みの間をすり抜けて忍び寄ってきた。


「おやまァ、いったい何の騒ぎかねェ? うちの座員が、何か不始末でも?」


 アスタやジザ=ルウと縁を結んでいた、ピノなる童女である。

 ラウ=レイは、同じ表情のまま、そちらを振り返った。


「その男が俺の家人に不実な真似をしたので、殴った」


「あらまァ、そいつは面倒をかけちまって」


 言うなり、ピノはうずくまっているニーヤの頭をぺしんと叩いた。

 ニーヤは涙目になりながら「何をするんだよ!」とわめく。


「俺は殴られるほどのことはしていないぞ! ロロだって全部を見ていたんだからな!」


「やかましいよォ、ぼんくら吟遊詩人。絶対に騒ぎを起こすなっていう座長の言葉をもう忘れちまったのかい、アンタはさァ?」


 ピノは自分の膝に両手をつき、ニーヤの顔を間近から覗き込む。


「だいたいがねェ、女がらみでアンタが騒ぎを起こすのはこれで何度目さァ? これまで散々迷惑をかけられてるんだから、言い訳なんて聞く気にもなれないねェ。いつまでもアタシや座長が笑ってると思ったら大間違いだよォ?」


「な、何だよ! いつでも俺は悪者扱いかよ!」


「実際に悪いんだからしかたないだろォ? アンタは性根じゃなく、頭が悪すぎるのさァ」


 そうしてピノは身を起こし、彼女の殴打でずれてしまっていたニーヤの帽子の向きを整えた。


「さ、アンタにだって仕事があるだろォ? せっかく族長サンたちにお許しをいただけたんだから、その自慢の歌声をお披露目する準備を始めなよォ。アンタにはそれしか取り柄がないんだからさァ」


 ニーヤは「ふん!」と子供のように鼻を鳴らすと、後も見ずに姿を消してしまった。


「あ、あの、ピノ、その……」


「ああ、いいよォ。アンタじゃあのぼんくらの手綱を握れはしないだろうからねェ。……どうもお騒がせサンでしたァ。宴を楽しんでくださいなァ、皆々様!」


 周りに群がった森辺の民に、ピノが妖艶なる笑みを投げかけていく。

 その顔が、ヤミル=レイたちの前でぴたりと止まった。


「……っと、アイツを逃がしちまったけど、かまわなかったかねェ? アタシが代わりにお詫びをさせていただくからさァ」


「お詫びなんて必要ないわ。どうあれ、手を出してしまったのはこちらなのだから」


 ヤミル=レイがにらみつけると、ラウ=レイはいかにも渋々といった様子で頭を下げた。


「確かに俺も短慮であったかもしれん。しかし! あいつは詫びなかったのだから、俺もあいつに詫びるつもりはないぞ?」


「けっこうですよォ。それじゃあアタシとそちらさんが頭を下げたってことで、手打ちにいたしましょォ」


 そのように言うと、ピノは両手を前にそろえ、深々と頭を下げてきた。

 そうして顔を上げ、にっと笑いかけてくる。


「それじゃあアタシもお声をかけなきゃいけない相手がいるもんで、失礼させていただくよォ? ロロ、あとはよろしくねェ」


 ひとり残されたロロが、おずおずと近寄ってくる。


「あの……まだ座長たちに挨拶をしたいという気持ちは残っておられますか……?」


「もちろんだ。俺も短慮はつつしむよう心がけるので、よろしく頼む」


 ロロはほっとしたように微笑んだ。

 それは思いがけないほど無邪気で子供っぽく、魅力的な笑顔であった。

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