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異世界料理道  作者: EDA
第二十二章 群像演舞~二ノ巻~
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    族長の資質(下)

2016.9/20 更新分 1/1

 そうして時が過ぎていくにつれ、幼かったジザ=ルウにもさまざまなことが理解できるようになっていった。


 族長筋たるスン家は悪逆なる一族であり、先代家長のドグラン=ルウはいつか断罪の刀を振り下ろすべく、ずっと牙を研いでいたのである。

 しかし、ルウ家にはまだ力が足りていなかったし、スン家が罪を犯しているという確かな証もなかった。年に一度、家長会議でスン家と顔をあわせつつ、先代家長のドグラン=ルウはひたすら耐え忍び――そして、無念のままにこの世を去り、ドンダ=ルウへと家長の座を引き継がせる段となったのだった。


 その後はドンダ=ルウも、ひたすら雌伏の日々を過ごしていた。いつかスン家が言い逃れのできない罪を犯すその日までに、スン家と北の一族をも凌駕する力を手に入れる。先代家長ドグラン=ルウが定めたその道を、正しく継承したのである。


 ドンダ=ルウが家長となって5年ほどが経った頃、ザッツ=スンは病を患い、家長と族長の座をズーロ=スンという息子に受け継がせた。

 ズーロ=スンというのは父親に似ず、何の力も持たない狩人であったらしい。傲慢で卑劣な気性だけは確かに受け継ぎつつ、ルウの一番若い狩人でも容易く首を刎ねることができるだろう、などと揶揄されるような男であった。


 しかしそれでもドンダ=ルウは動かなかった。

 スン家が力を失っても、その眷族たる北の一族はますます強大な存在に成り果てていたのである。


 そして族長が交代されてからは、スン家もいっそう用心深くなっていた。

 いや、用心深くなったというよりは、明らかにルウ家を恐れていたのだろう。何か不始末があれば族長たるズーロ=スンが誇りも何もなく頭を下げ、すべてを丸く収めようとしていた。それでいて、陰ではこそこそと悪事を働き、小さき氏族の者たちや町の人間たちなどを苦しめていたのだ。


「ひょっとしたらスン家の連中は、俺たちが刀を取る前に、北の一族に愛想をつかされるかもしれねえな」


 そのように言いながら、ドンダ=ルウは動こうとしなかった。

 確かな証が出るまでは刀を取らない。そして、森辺に破滅ではなく安寧をもたらす。そのふたつの誓いを守り通すために、鋼のごとき自制心を発揮していたのである。


 長じてから、ジザ=ルウは思った。自分が父から受け継いだのは、そういった部分なのではないだろうか、と。


 幼かった弟たちも、やがては立派な狩人として成長した。そして、彼らもまたそれぞれ父から得難いものを受け継いでいた。


 次兄のダルム=ルウは、炎のごとき猛々しさを受け継いでいた。

 自分に逆らうものは決して許さない、すべてを焼きつくすような激しい気性である。また、父親の若い頃に一番よく似ていると言われているのも、このダルム=ルウであった。


 末弟のルド=ルウは、狩人としての資質を受け継いでいた。

 むろん、齢が離れている分、力比べではまだ兄たちに及ばない。しかし、わずか15歳で8名の勇者に選ばれる、などというのはジザ=ルウにもダルム=ルウにも成し得なかったことであり――そして、体格においては誰よりも劣っているにも拘わらず、ルド=ルウは兄たちにも負けない数のギバを狩っていた。


 そんな弟たちと比べて、自分はどこが父親に似ているのか。

 それが、己を律する心の強さなのではないかと思えるのだ。


 言い換えると、それは「本家の長兄に生まれついた」という覚悟の重さであったかもしれない。

 しかもルウ家は、ついに族長筋に定められることになった。ルウの本家の家長となる者は、眷族ばかりでなくすべての同胞の行く末を担う存在となってしまったのだ。


 自分が判断を誤れば、森辺の民を滅びに導いてしまうかもしれない。まさしくスン家がゆるやかな滅びをもたらそうとしていたように、族長の有り様は一族の命運をも左右してしまうのである。


 自分は誰よりも正しく生きねばならない。

 それが、ジザ=ルウの覚悟の重さであった。


 ダルム=ルウやルド=ルウは、余人よりもいっそう感情を律するのが苦手であるように思える。そういう猛き気性というのも、確かにルウ家の血筋であるのだろう。妹たちにもそういう気質は見られるし、また、先々代の家長たるジバ=ルウも、若き頃は烈火のごとき一面を持っていたのだと聞き及んでいる。


 きっとジザ=ルウは、そういった家族たちよりも、むしろリャダ=ルウやシン=ルウに見られる沈着の気性を受け継いでいたのだ。

 リャダ=ルウとて、もとは同じ本家の人間である。ジバ=ルウの孫であり、ドグラン=ルウの子だ。烈火の気性も沈着の気性も、どちらも正しくルウ家の特性であるのだった。


 しかしまた、どちらか一面しか持たぬ人間などいないのだろう、とも思う。

 どちらが強く表に出るか、というだけの話であり、リャダ=ルウたちにも猛き一面が、ダルム=ルウたちにも沈着な一面が、必ず潜んでいるに違いない。


 ジザ=ルウもまた然りであった。

 自分は決して、心の乱れぬ人間ではない。むしろ、余人より猛々しい気性を隠し持っている、と自覚している。よく怒りよく笑う弟たちの気性も理解できないわけではなく、ただ、自分を律する力が足りていないのだなと、そのように思えるのだ。


 弟たちは、それでいい。どんなに猛々しくとも、道を踏み外さなければそれでいいのだ。ジザ=ルウにとって、それはむしろ愛すべき気質であった。


 しかしジザ=ルウには、思いのままにふるまうことは許されない。

 自分の感情がどのように揺れ動いても、まず立ち止まって思考を巡らし、もっとも正しい道を探さねばならないのだ。


 ドンダ=ルウは、すでに42歳となっている。先代家長が森に朽ちた齢まで、あと数年ばかりしか残されていない。

 また、ドンダ=ルウが家長となったのは、27歳の頃である。まもなく24歳になろうとしているジザ=ルウにとって、それほど長きの時間が残されているようには思えなかった。


 しかもドンダ=ルウは、森の主との戦いで、深い手傷を負ってしまった。

 幸い、時間をかければ狩人としての力を取り戻すことは可能であるようだが、一歩間違えれば、ジザ=ルウはすぐにでも家長と族長の座を受け継ぐことにもなりかねない状況であったのだ。


 今の自分に、同胞たちを正しく導くことなどできるのか。

 ジザ=ルウには、皆目見当をつけることもかなわなかった。


 しかし、自分の運命から逃れることはできない。

 自分が父親より早く魂を返すような事態にでもならない限り、いつかは必ず族長としての座を受け継がなくてはならないのだ。


 その日までに、ジザ=ルウは何としてでも族長としての力を身につけなければならないのだった。


                   ◇


「……あのー、眠っちゃってるのかな?」


 若い娘の心配げな声が、ジザ=ルウの想念を打ち破った。

 振り返ると、ふたりの娘が自分の姿を見上げている。宿場町の、宿屋の娘たちである。


「俺が眠っているように見えるか?」


 今は彼女たちを歓迎する宴の真っ最中である。ジザ=ルウは広場の片隅に引き下がり、それらの情景を見るでもなしに眺めながら、ひとり想念に耽っていたのだ。横たわるどころか、腰を下ろしてさえいない。


「だって、さっきからぴくりとも動かないからさ。森辺の狩人は立ったまま眠ることもできるのかなーとか思っちゃって」


 森辺の女衆と同じように肩や腹をむきだしにしたほうの娘が、可笑しそうに笑いながらそのように言った。名前はたしか、ユーミである。

 もう片方の、気弱そうな面立ちをした娘のほうは、ジザ=ルウを見上げながら、はにかむように微笑んでいる。こちらはスン家とも浅からぬ縁のあった、テリア=マスという娘だ。


「実はさ、ちょっと相談があるんだけど」


 そのように述べながら、ユーミは手にしていた大きな木皿をジザ=ルウのほうに差し出してきた。

 テリア=マスも同じぐらいの大きさの木皿を掲げている。その上に盛られているのは、妹のリミ=ルウたちがこしらえたポイタンの焼き菓子にチャッチ餅という甘い菓子ばかりであった。


「このお菓子をさ、小さな子供たちにあげてきてもいい?」


「小さな子供たち?」


「うん。5歳になってない子たちはどこかの家に集められてるんでしょ? こんな日にご馳走を食べられないのは可哀想だから、お菓子だけでも持っていってあげようかと思って」


 それは何とも奇異なる申し出であった。

 ジザ=ルウは下顎を撫でさすりつつ、娘たちの姿を見比べた。


「べつだんそのようなことを気にかけてもらう必要はない。この森辺において民と認められるのは、5歳を迎えた人間だけなのだ」


「えー? それってちょっと冷たい言い草じゃない? 5歳にならなきゃご馳走を食べることも許されないの?」


「……すべての民はそうして育てられてきたのだから、べつだん今の幼子たちだけを特別に扱う理由はないように思えるが」


「でも、あんたの息子のコタ=ルウだってその幼子じゃん! これを持っていってあげたら、コタ=ルウも喜ぶと思うよー?」


「自分の子であるからといって特別扱いなどできようはずもない。それではなおさら他の人間に対して申し訳が立つまい」


 ユーミは「ちぇーっ!」と大きな声をあげた。


「堅苦しいなあ! あんたって、ルウの本家の長兄なんじゃなかったっけ?」


「ああ、その通りだが」


「だったら、次の族長じゃん! そんな堅苦しい習わしは、あんたの裁量でちょちょいと変えちゃったりできないの?」


 これには、ジザ=ルウのほうが面食らうことになった。


「森辺の掟というのは、そのように軽い習わしではない。また、5歳に満たぬ幼子を民と認めないというのは、それまでは一族の宝として守り通すという意味でもあるのだ。宴などには参加させない代わりに、家の仕事を負わせることもない。我々は、そういう形で幼子を守っているというだけのことだ」


「だったら、お菓子を分けてあげるぐらいは見逃してくれない? コタ=ルウが喜ぶんだったら、あんたも嬉しいでしょ?」


 ジザ=ルウは小さく息をつき、首を横に振ってみせた。


「俺は別に、料理を分け与えることが禁忌だとまでは言っていない。ただ、家人や客人のためにこしらえた料理を俺の判断で勝手に扱うことは許されていない、というだけのことだ。貴方がたがそういう気持ちであるならば、家長ドンダからの許しを得るべきだろうと思う」


「もー! 融通がきかないなあ! わかったよ。族長さんがいいって言えばいいんだね? テリア=マス、行こう」


「あ、はい……」


 ユーミはさっさと広場の中央へと身をひるがえしたが、テリア=マスはおずおずとジザ=ルウの顔を見上げてきた。


「すいません。ユーミはちょっと気が短いだけで、決して悪気はないのです。コタ=ルウのことが大好きなので、このようなことを思いついたのだろうと思いますし……」


「それはわかっているつもりだ。自分の子を思いやられて気分を害する親はいない」


「そうですか。それならよかったです。……それでは失礼します」


 テリア=マスは最後に朗らかな微笑を残し、ユーミの後を追っていった。

 ジザ=ルウは、複雑な心境でその背中を見つめ続ける。


 町の人間と交われば、こうして意見がくい違うこともあるだろう。同胞でもないのに宴をともにすれば、なおさらだ。

 今の一幕などまったく害のないものであったが、こうして縁を重ねていけば、もっと複雑な問題が続々ともちあがってくるのだろうと思う。


(アスタやヴィナたちが宿場町での商売を始めて、ようやく6ヶ月と半分……わずかそれだけの時間で町の者たちとここまで縁が深まろうとは、誰にも予測できなかっただろう)


 ドンダ=ルウが宴の前に述べていた言葉を思い出す。

 町の人間と間違った形で交われば、森辺の民は力を失うことにもなりかねない。貴族と交わっていたスン家の者たちが道を踏み外したように、だ。


 しかし、町の人間と縁を深めていなければ、確かに真実を知ることは難しかっただろう。スン家がどれほど悪逆な真似をしていたか、貴族たちがどのような形でそれに手を貸していたか。テリア=マスの父親や、野菜売りのドーラ、そしてカミュア=ヨシュやメルフリードといった町の人間たちと交わったからこそ、森辺の民は真実を知ることがかなったのだ。


 それでスン家は滅ぶことになった。

 先代家長ドグラン=ルウの代から続いてきたスン家との諍いは、刀を取るまでもなく、無血で収められてしまったのである。


 それが正しい道であったことは間違いがない。

 だからドンダ=ルウも、このまま正しい道を歩き続けることができるように努めるべきだと述べていたのだろう。


 しかし――ジザ=ルウの胸には、大きな懸念が残されたままであった。

 刀を取らずしてスン家や貴族たちを裁くことができたのは、もちろん寿ぐべきことだ。しかしその代償として、森辺の民はいっそう苦難に満ちた道を歩むことになったのではないだろうか?


 これまでは、ぎりぎりのところで上手くいっていた。しかし、今後もそうだとは限らない。森辺の習わしを大きく踏み外してしまったことで、さらなる災厄を招いてしまうことはないのか――それがジザ=ルウには気にかかってしかたがなかったのだった。


 たとえば、モルガの森辺に道を切り開こうという、例の計画だ。

 あれが実現してしまったら、集落のすぐそばを大勢の旅人が通り抜けていくことになる。

 それでおかしな災厄を招かぬよう、メルフリードは森辺の民の力を今一度知らしめるべきだと述べていた。


 それもやはり、完全に正しい言葉であったろうと思う。メルフリードというのは、鋼のように揺るぎない信念を備えた人間であった。貴族の側に、あれほど掟や道理というものを重んずる人間がいようなどとは、ジザ=ルウも考えていないぐらいであった。


 しかし、それでもなお、災厄を招いてしまったらどうするのか?

 予定されている道筋は、サウティの集落のすぐそばを通ることになっている。狩人たちが森に入っている間、女衆と幼子と老人しかいない集落のすぐそばを、見知らぬ町の人間たちが大勢通り抜けていくのだ。その内のひとりが悪心を抱いただけで、サウティは取り返しのつかない傷を負ってしまうかもしれない。


 これまでは、すべてがいい風に転んできた。しかし、危険なことが何もなかったわけではない。族長たちはサイクレウスとの会談で矢を射かけられることになったし、アスタは貴族にかどわかされた。《ギャムレイの一座》の天幕でも、ダバッグという町においても、森辺の民は野盗に襲われている。それらの苦難はすべて退けることができたが、この先もそれが続くとは限らないのだ。


 知らず内、ジザ=ルウは広場のほうに視線を巡らせていた。

 明々と燃えるかがり火に照らされて、アスタとアイ=ファは楽しげに料理を食べている。

 そのそばにいるのは、ロイという城下町の料理人や、旅芸人のピノなどだ。


(すべては、ファの家からもたらされたものなのだ)


 森辺の民の歩み道は、この半年ばかりで大きく変わることになった。

 その変化をもたらしたのはあのふたりである、という事実に疑いはないだろう。


 アスタが森辺にやってこなければ、アイ=ファがそれを受け入れなければ、森辺の民がこのような道を辿ることはなかった。ジザ=ルウはそれを災厄の到来だと判断し、アスタに警告の言葉を述べたこともあった。それでもアスタは引き下がらず、家長会議に参加して、スン家に滅びをもたらしたのだ。


 ドンダ=ルウは、それを正しき道であると判じた。だからこそ、森辺の民は今もなおアスタたちを受け入れ、新しい道を歩き続けている。


 しかし――次代の族長は、ジザ=ルウだ。

 ドンダ=ルウが退いたのちは、ジザ=ルウが道を選ばなければならないのである。

 アスタという人間は、森辺にとっての薬か毒か。その行いは、繁栄をもたらすのか災厄をもたらすのか。一族の長として、ジザ=ルウが見極めていかねばならないのだった。


 ジザ=ルウの感情は、いまやほぼアスタの存在を受け入れつつある。

 いつから自分がそのように思うことになったのか、はっきりとはわからない。ジザ=ルウは、常に父親のかたわらで目を光らせ、油断なくアスタたちの行いを見守っていた。今、グラフ=ザザがスフィラ=ザザを通じてそうしているように、アスタの存在が毒か薬か、それを見極めようと懸命に目を凝らしていたのだ。


 家族や眷族たちは、ほぼ全員がアスタやアイ=ファの存在を受け入れているように見える。ダルム=ルウなどは何かとつっかかる場面も多かったが、あれは自分の我にもとづいて動いていただけだろう。森辺の行く末を思っての行動とは思えない。


 この宴においても、家族や眷族たちは実に幸福そうな様子を見せている。

 アスタによって美味なる料理の素晴らしさを知り、町の人間たちと新たな縁を結び、すべてを寿いでいるように見える。少なくとも、今この場においてアスタたちを忌避する人間などひとりとして存在しないのだろうと思われた。


 感情の面において、それは正しいことなのだとジザ=ルウも思っている。

 ルウの一族は、アスタたちの行いによって、大きな喜びと力を得た。ジザ=ルウでも、それを否定する気持ちにはなれない。それはやっぱり、アスタからもたらされた『ギバ・カツ』という料理を口にした日から、ジザ=ルウの胸に芽生え始めた感情なのかもしれなかった。


 しかし、ジザ=ルウは次代の族長だ。

 感情のままにふるまうことは許されていない。

 どれほど大きな喜びが得られても、それが本当に正しいことなのかと、立ち止まって考えなければならないのだ。


 自分よりも遥かに猛々しい気性を持つ家長のドンダ=ルウは、20年近くも無念の思いを押し殺して、スン家の行いに耐えていた。ルウの本家の長兄である、という縛りがなかったなら、ドンダ=ルウはいつでも刀を取っていただろう。ルウ家の行く末を、森辺の行く末を重んじるゆえに、父は己の感情を20年間も押し殺してきたのだ。


 そんな父から家長と族長の座を引き継ぐ身として、ジザ=ルウが容易に感情に流されることなど許されるわけはなかった。


(もしもファの家の行いが、森辺に堕落や災厄をもたらすのだと判じられたときは……俺が、あのふたりを――)


 そのとき、新たな人影がジザ=ルウのかたわらに立った。

 ジザ=ルウと同じぐらいの体格をした、とても穏やかな眼差しを持つ森辺の狩人――ルティムの若き家長、ガズラン=ルティムである。


「どうしたのですか、ジザ=ルウ? さきほどから何も口にしていないようですが」


「いや……少し考えごとをな」


「そうですか。サティ・レイ=ルウは?」


「サティ・レイは、交代で幼子たちの面倒を見ているはずだ」


 ガズラン=ルティムはもう一度「そうですか」と言ってジザ=ルウのかたわらに立ち並んだ。

 ダン=ルティムから家長の座を引き継ぎ、ガズラン=ルティムはこれまで以上の力と落ち着きを手に入れたように思える。狩人としての力量はまだ自分のほうがいくらか上回っていたが、力比べでは測れない不思議な力強さをジザ=ルウはこの眷族の家長から感じるようになっていた。


「……ジザ=ルウは、まだ迷っておられるのですか?」


 ジザ=ルウと同じ方向に視線を飛ばしながら、ガズラン=ルティムはそのようにつぶやいた。


「ファの人間は敵か味方か、森辺にとっての毒か薬か――それを見極めたいかのような眼差しで、アスタたちのことを見つめているようでしたが」


「……次代の族長として、それは当然のことではないだろうか?」


「ええ、当然のことでしょう」


 ガズラン=ルティムの声は、やはり落ち着き払っている。

 このガズラン=ルティムこそ、真なる意味で己を律することのできる人間なのではないだろうか? ジザ=ルウにはそのように思えてならない沈着ぶりであった。


「その答えはジザ=ルウの中にしかありません。だからこそ、ドンダ=ルウもあのようにふるまっているのではないでしょうか」


「……父ドンダが、何だと?」


「ドンダ=ルウはファの人間を全面的に受け入れつつ、いまだ『友である』という言葉は口にしていないように思います。それは多分にドンダ=ルウの気性もあってのことなのでしょうが……おそらく、ジザ=ルウの道をせばめたくはない、という考えもあってのことなのでしょう」


「俺の道」という言葉をジザ=ルウは口の中で転がした。

 ガズラン=ルティムが、こちらを振り返る気配がする。


「家長たるドンダ=ルウがその言葉を口にすれば、ルウ家の行く末はそれに縛られます。しかし、まだ若いアイ=ファやアスタと長きの時間を過ごすのは自分よりもジザ=ルウである、と思い、ドンダ=ルウはジザ=ルウにルウ家の行く末を託したいと願っているのではないでしょうか」


「…………」


「アスタが宿場町で商売をしたい、と言いだした日のことを覚えていますか?」


 ふいに問われて、ジザ=ルウはいくぶん当惑した。

 しかし、その日のことは今でもしっかりと覚えている。


「あの日はガズラン=ルティムがアスタとアイ=ファをともなってルウの家を訪れたのだったな。ダルムは顔と頭に怪我を負っており、俺と父ドンダとルドの3人でガズラン=ルティムらを迎えたと思う」


「ええ、まさにその日のことです。アスタは宿場町で商売をするために、ルウ家の力を借りたいと申し出ました。それを聞き入れる代わりに、もしもアスタが森辺の民の信頼を裏切ったときは右腕をいただく――ドンダ=ルウは、そのように言っていましたね?」


「ああ、覚えている」


「あれもまた、ジザ=ルウのために発した言葉であるように思うのです。それぐらいの重い誓約をつけなければ、ジザ=ルウを納得させることはできない――そして、森辺の習わしから逸脱するにはそれぐらいの覚悟を示させるべきである、とドンダ=ルウはジザ=ルウに伝えたかったのではないでしょうか」


「……それでは父ドンダは、あの頃からすでに感情の面ではファの行いを認めていた、と?」


「ええ、あくまで私の推測ですが。……しかしそれでもドンダ=ルウは家長としての正しき道をジザ=ルウに示すべく、あえてアスタたちに重い条件をつけたのではないかと思えたのです」


 視線は広場のほうに向けたまま、ジザ=ルウは「なるほどな」とつぶやいた。


「父ドンダの心情は誰にもわからぬが、確かにあの頃、俺はファの家の行いを危ぶんでいた。あれぐらいの重い条件がなければ、ルウ家の女衆を貸し出すことなど、とうてい容認できなかったかもしれない。俺がそのような心情でいたことを父ドンダに悟られていたとしても、何も不思議はないだろうな」


「ええ、私もそう思います」


「ルウの家長として、それは正しい判断であると思える。あの頃はまだ族長筋にも定められてはいなかったが、ルウ家はスン家に代わって規範を示さねばならない立場であったのだから、異国の生まれたるアスタを容易に友などと呼ぶことはできなかっただろう。……そちらのダン=ルティムは、何もはばかることなくファはルティムの友であると公言していたようだが」


「ええ、父ダンはああいう気性ですからね。しかし、何の不都合もありはしません。私は父ダンよりも先んじて、アスタを友と呼んでいたのですから」


 ジザ=ルウは、ゆっくりとガズラン=ルティムを振り返る。

 ガズラン=ルティムは、普段通りの穏やかさで微笑んでいた。

 だけどやっぱり、以前とは異なる輝きがその双眸には宿っている。

 それは誰よりも沈着で優しげでありながら、それでいて果断なる決意の秘められた――まるで天空から地上の獣を狙う、ラグールの大鷹のごとき鋭い眼差しであった。


「……ガズラン=ルティムは、すでに自分の道を定めているのだな」


「ええ、この話において、私の心に迷いはありません。私は永遠にファの家を友とします。たとえ誰に禁じられようとも」


「…………」


「そしてまた、ルティムはルウの子です。ルティムはルウを親として、ファを友として、今後も健やかにこの道を歩んでいきたいと願っています」


 そのように述べて、ガズラン=ルティムはいっそう優しげに微笑んだ。


「ジザ=ルウ、まだこのような言葉をあなたに届ける時期ではないとも思うのですが――何も心配はいらないと思います」


「……心配は、いらない?」


「はい。族長という立場には大きな責任がつきまといますが、決してそれをひとりで担うわけではありません。あなたには家族があり、眷族があり、同胞があります。族長は一族を率いて、一族は族長を支える。森辺の民は、そのようにしてこれまでの生を歩んできたはずです。その道を誤ったスン家は、滅びるべくして滅びました。それこそが、森の導きなのだろうと思います」


「…………」


「何も心配はいりません。あなたは孤独ではなく、常に500名からの同胞がかたわらにある――どうかそのことを忘れないでください」


 ジザ=ルウは無言でガズラン=ルティムの笑顔を見つめ続けた。

 すると、またもやこちらに近づいてくる人影があった。

 それは妹のリミ=ルウと、町の娘ターラであった。


「ジザ兄、さっきから何をしてるの? ギバの丸焼き、もうすぐなくなっちゃうよ?」


「……ああ、そうか」


 リミ=ルウとターラは手をつなぎ、まるで仲のよい姉妹のように見えてしまった。

 そのターラが、茶色い瞳をきらきらと輝かせながら、ジザ=ルウを見上げてくる。


「あのね、うちの(にい)たちがジザ=ルウともっとお話がしたいって言ってるんだけど……嫌じゃないですか?」


 虚をつかれたジザ=ルウに、ガズラン=ルティムが笑いかけてくる。


「ジザ=ルウも、宿場町やダレイムで彼らと縁を結んだのでしょう? この先はなかなか顔をあわせる機会もないでしょうから、今のうちにたくさんの言葉を交わしておくべきだと思います」


「そーだよー。みんなと一緒に、料理を食べよ?」


 リミ=ルウが空いた手でジザ=ルウの指先をつかんできた。

 ターラはおずおずと、逆の手をつかんでくる。

 そうしてジザ=ルウは、明るい光に満ちた広場へと再び足を踏み出した。

 同胞たちは町の人々と手を取り合い、この上もなく幸福そうに宴を楽しんでいた。

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