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異世界料理道  作者: EDA
第二章 半人前の料理道
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②再会(上)

「おや。お話はもう終わったのかね?」


 ルウ家の大広間を後にして外に出ると、ちょうどふたりの女衆が両手いっぱいの平かごを抱えて家の前を通りすぎようとしているところだった。


 家長の嫁ミーア・レイ=ルウと、長兄の嫁サティ・レイ=ルウである。

 その平かごに乗っているのは、山盛りの生のピコの葉だ。これから干して乾燥するところなのだろう。

 ちなみに、残り1本に減じたはずのギバの首飾りは、いずれも元の通り3本に回復している。


「何だかおっかない顔をしているねえ。うちの家長に何かロクでもない話でもふっかけられたのかい?」


 ミーア・レイ=ルウは、俺の親と同世代ぐらいの、よく肥えたおっかさんである。


 といっても、いかに富裕層たるルウ家にあっても毎日しっかり働いているのだから、決して怠惰に肥え太っているのではない。骨が太いのだ骨が。


 その上にみっしりと筋肉がついて、あとは適度な脂肪分がのっているだけなのだろう。腕も肩もパンと張っており、背は俺よりも低かったがとうてい腕力で勝てる気はしない。


 このおっかさんとはさきほども顔を合わせているので、初見のサティ・レイ=ルウが「おひさしぶりです」と笑いかけてきた。


「ルウの家にようこそ、ファの家のアイ=ファとアスタ。今日はいったいどうなされたのですか?」


 こちらは明るい褐色の髪と黒っぽい瞳の色をした若奥さんである。年齢的には20そこそこで、1児の母とは思えないぐらい、ほっそりとしていて清楚な風情だ。


「いやまあ、何といいますか――3日後の、ルティム家の婚儀の前祝いですか。その夜のかまどをまかされることになりました」


 そんな風に答えると、ふたりの奥さんは「本当に!?」と目を輝かせて身を乗りだしてきた。


「うちの偏屈な家長が、よくもそんな話を承知したもんだね! まあ、何だかんだ言ってドンダもあの焼いたポイタンにはド肝を抜かれたんだろう。おおかたルティムの人たちに我が物顔で自慢してやりたいんだろうね」


「楽しみですね、ミーア・レイ! レイナやリミも頑張っているけど、やっぱりアスタの料理とは全然比べ物にはならないし。それに、あの柔らかかったギバのお肉――あれもまた作ってくださるのですか?」


「それはまあ当日のお楽しみということで。何にせよ、前回よりも味の落ちるようなものは絶対に作りませんよ」


 きゃあっとふたりは娘のように華やいだ声をあげた。

 こんな無邪気な奥様方に、胸糞の悪い約定の話などをする必要はないだろう。ルウの家に不和の影を落とすのは、俺の本意ではない。


 というか――たったいま拝謁を賜ってきたドンダ=ルウとジザ=ルウの伴侶がこの陽気で優しげな人たちなのだなと考えると、少なからず複雑な心境だった。


 女衆にギバの牙や角を送るのは、その健やかなる生活を願う親や夫であるという話だったから、その胸もとから欠けた分を新たに送ったのも、やはり伴侶たる彼らであるはずなのだ。


 さきほどまでの魔女裁判めいた暗鬱な雰囲気と、目の前の明るく牧歌的な情景とのギャップで、少し目がくらみそうになる。


「……何を気難しげな顔をしているのだ、お前は」と耳もとで囁かれて、脇腹を小突かれた。


 ものすごく近い位置から、アイ=ファが俺をにらみつけている。


「何も思い悩む必要はない。要は、勝てばいいだけのことだ」


 にらみつけてはいるものの、その目にすでに激情の炎はなく、表情なんかはむしろ普段よりも穏やかなぐらいだ。


 ひとりで勝手にスッキリしやがって、と俺は溜息をつきそうになる。

 だけど――アイ=ファは、俺を信用してくれているのだろう。

 俺が、ドンダ=ルウに負けたりはしない、と。


 そしてまた、負けたところで一緒に泥をひっかぶるだけだ、という覚悟も固まっているに違いない。


 スン家の一件だけではなく、勝負に負けたらリミ=ルウやジバ=ルウとの縁も切られてしまうというのに――アイ=ファの表情には、一切の迷いも躊躇も感じられはしなかった。


(くそ! 何でお前はそんなに頑丈なんだよ、アイ=ファ!)


 そんな風に思いながらも、腹の底ではギバ鍋のようにグラグラと煮え立つ気持ちがある。


 悪い感情ではない。

 絶対に、負けてたまるか!……という、濃縮された闘争心のスープだ。


「……だから、そのように気迫を撒き散らすな。今からそのようにいきりたって3日後までもつのか、お前は?」


 と、また脇腹をこづかれる。

 内緒話ができるぐらいの距離なので、さっきから金褐色の髪が頬にあたってこそばゆい。

 なんかちょっと距離が近すぎるんじゃないかなあなどと思える余裕が、ようやく出てきた。


 そう思って目線を戻すと、奥様がたがニコニコと罪のない笑顔で俺たちの姿を見守っていらした。


 とたんに俺は気恥ずかしくなり、アイ=ファから適切な距離を取る。


「そ、そういえばリミ=ルウはどうしているんですかね? 今日はまだ姿を見ていないんですけど」


「リミかい? あれえ? ついさっきまで一緒だったし、あんたたちが来てることも教えてやったんだけどねえ。……おおい、リミ?」


 ミーア・レイ=ルウが、けげんそうに大声を張り上げる。

 俺も一緒に周囲を見回したが、アイ=ファがあらぬ方向に視線を固定しているのに気づき、そちらを見た。

 家の横手の壁からはみだしていた赤茶けた頭が、さっと敏捷に姿を隠す。


「ああ、そんなとこにいたのかい。手伝ってくれてありがとうね。もうこっちはいいから、しばらくアイ=ファたちに遊んでもらいな」


 それでは、と目礼をしてふたりの女衆が家の反対側へと回りこんでいく。

 ジバ婆さんはお昼寝中であり、もうしばらくすれば目を覚ますはず、とのことであったので、その間の逗留を許されたのだ。せっかく1時間もかけて足を伸ばしてきたのだから、リミ=ルウとも旧交を温められるのならば、幸いだろう。


 しかし、リミ=ルウはふわふわの赤っぽい髪を壁の陰から覗かせるばかりで、いっこうに近づいてこようとしない。


「あいつ、何やってんだ? ああいう森辺の遊びでもあるのか?」


 俺が尋ねると、アイ=ファは何故か少し冷たい目で俺を見てから、「リミ=ルウ」と、そちらに呼びかけた。


 しかし、リミ=ルウは動かない。


「……アスタ。あれは何だ?」と、アイ=ファが俺の背後を指し示した。

「うん?」と、そちらを振り返ったら、その耳に、とてとてとてという足音が聞こえてくる。


 目線を戻すと、リミ=ルウがアイ=ファに抱きついていた。

 ちっちゃなお手々が皮マントごとアイ=ファの細腰を抱きすくめ、ちっちゃな頭がアイ=ファの胸もとにぐりぐりぐりと押しつけられている。


「痛い。やめろ、リミ=ルウ」と、アイ=ファは少し顔を赤くする。

 そうかなちっとも痛くはなさそうだけどなと思ったが、蹴られたくないのでその点にはふれずにおいた。


「リミ=ルウ。ずいぶんひさしぶりだな。1回ぐらいは顔を見せてくれるかなと思ってたのに。元気でやってたのか?」


 そんなわけで、そんな無難な挨拶をしてみたのだが。何故かリミ=ルウはぴくりと背中を震わせるなり、動かなくなってしまった。


「どうしたんだよ? アスタだよ。まさか、俺の顔を忘れちまったわけじゃないんだろ?」


 アイ=ファの胸もとにしがみついたまま、リミ=ルウの頭がそろそろと俺を振り返る。

 

 そうして、おずおずと俺を見上げてきた、その顔は――何故だか、すっかり怯えきってしまっていた。


 すっかり怯えきっている上に、アイ=ファ以上に真っ赤になってしまってもいる。


 つぶらな瞳はうるうると潤み、小さな唇はぷるぷると震えている。相変わらず擬音の申し子みたいに感情ゆたかなリミ=ルウであるが、どうしてそんな泣きべそみたいなお顔をしているのだろう。


「アスタは……」


「うん?」


「アスタは、リミ=ルウの裸、見たの?」


 神の裁きのイカヅチに脳天を直撃されるぐらい、驚いた。


「な、な、な、何を言ってるんだお前は? は、は、裸が何だって?」


「……アスタは、女衆の水浴びを覗き見したじゃん。そのとき、リミ=ルウの裸も見たの?」


 それはあの10日も前の朝の出来事でございますよね!?

 それから毎日ギバ肉の研究にいそしんでいた俺などは、そんなものとっくに記憶の引き出しにしまいこむことに成功していたというのに――この子にとっては、そうでなかったというのだろうか??


 いや、しかし、リミ=ルウはどう見てもまだ7、8歳の幼年少女である! 他の女衆ならまだしも、こんな幼子にそんな泣きべそみたいなお顔をさせてしまったら――気分はすっかり犯罪者だ!!


 俺は再び、全身全霊で叫ぶことになった。


「俺が見たのは、アイ=ファの裸だけだっ!」


 今日は足でなく、尻を蹴られた。

 体重の乗ったミドルキックで、骨盤が割れたかと思いましたです、はい。



 ~数分休憩~



「……その件に関しては、決してドンダ=ルウや他の家人の耳に入れぬようにという約定であったろうが? 家の前で馬鹿でかい声を出しおって」


 俺の回復を待ち、一同は家の裏手に回り込むことにした。

 そろそろ男衆が森に出る頃合いなので、因縁ある次兄ダルム=ルウとの接触を避けたのである。


 ちなみに俺はまだダメージから完全には回復しきらずひょこひょこと情けない足取りで歩いており、リミ=ルウはアイ=ファの左腕にしがみつくようにして、まだちょっと半分顔を隠してしまっている。


「別に、アイ=ファの裸を見たって言っただけなんだから問題ないだろ。……ああごめん勘弁してくれ。もう一発蹴られたら本当に歩けなくなっちまう」


「ふん!」と鼻を鳴らすアイ=ファの赤い顔を見上げながら、さらに赤い顔をしたリミ=ルウがぼしょぼしょと囁きかける。


「ね、アスタは本当にアイ=ファの裸しか見てないの? そしたら今度こそアスタはアイ=ファに婿入りするの?」


 声は小さいが、丸聞こえである。


「私は婿など取らないし、禁忌を破る不埒者など、なお御免だ!」


 ああもういいです。今日一日は犯罪者気分を抱えて反省します。


 そんなこんなで、裏手に到着した。

 薪を割っていたティト・ミン婆さんと挨拶を交わし、さらに足を進めていくと、厨房用の建物の前で、ふたりの娘が奇妙な仕事に励んでいた。


 次姉のレイナ=ルウと、三姉のララ=ルウだ。

 大きな戸板を足もとに敷いて、その上に広げたギバの毛皮の上を、トン、トン、トンとステップを踏みながら歩いている。足は裸足で、時計回りに、おたがいの背中を追いかけるようにして、ぐるぐる円を描いているのである。


 きっと毛皮をなめす一工程なのだろうが、何をしているのかはさっぱりわからない。


 と――レイナ=ルウの青い瞳が俺たちを発見して、大きく見開かれた。

 完全に予想の範疇内だが、その可憐な顔が見る見るバラ色に染まっていく。

 褐色の肌なのにバラ色とはこれ如何に、という感じなのだが。とりあえず、真っ赤であることに違いはない。


 そうしてレイナ=ルウがちょっとうつむきつつステップを踏んでいくと、次に現れるは三姉のララ=ルウ。


 まだようやく中学生(なんてこの世界には存在しないのだが)になったぐらいの年頃であり、そしていつもふてぶてしい態度をとっているこの娘ならば、あるいは――と、淡い期待をかけていたのだが、無駄だった。


 その幼女から少女へと成長したばかりの小さな顔は、爆発的な勢いで真っ赤に染まりあがり、さらには険しく眉を寄せ、白い歯を剥き、腰に帯びた短剣の柄に指先をかけて、彼女は裸足のまま俺のほうに詰め寄ってこようとしたのだった。


「あんたっ! よくもおめおめと姿を現わせたもんだねえ!? ここであったが100年目だ、こん畜生!」


「だ、駄目よ、ララ! ほら、ティト・ミン婆があっちにいるから! 騒いだら、その……わ、わたしたちのことが……」


 と、レイナ=ルウが必死にその腕を取るも、いっそう顔を赤らめて小さくなってしまう。


 レイナ=ルウは、長い黒髪をおさげみたいに二つに縛った、小柄でなおかつ抜群のスタイルを有する可憐かつ魅力的な娘さんである。


 ララ=ルウは、赤い髪をポニーテールみたいに結いあげた、まだまだ幼いが身長だけは姉よりも高く、男の子みたいに気の強そうな顔をした、こちらもなかなか可愛らしい顔立ちをした娘さんである。


 そんな対極的な姉妹がそれぞれ顔を真っ赤にして、羞恥のあまり我を失っている。


 ここはやっぱりどこを蹴られてでも弁明するしかないかと俺は大きく息を吸い込んだが、なんと、リミ=ルウに先をこされてしまった。


「あ、あのね! アスタはアイ=ファの裸しか見てないんだってよ! だから、リ、リミたちはお嫁にいかなくてもいいんだって!」


 姉妹の動きが、ぴたりと止まる。

 その目がそれぞれの感情をゆらめかせつつ、まだまだお顔は真っ赤にしたまま、俺のことを見つめたりにらんだりした。


「はい! 俺はアイ=ファの……」


 今度は言葉の途中で殴られた。

 掌打で、額を撃ち抜かれたのである。うむ、これは新しい。

 軽度の脳震盪を起こして、俺は「おおお」と厨房小屋の壁に取りすがることになった。


「……いい加減にしろ、アスタ」


 そして、かすむ視界でアイ=ファの表情を確認し、反省する。

 他の女子のアフターケアをするためにアイ=ファの羞恥心を犠牲にしてどうするのだ。俺にとって一番大事なのは誰だ? アイ=ファだ。アイ=ファの強さや気性に甘えて保身をはかるなんて、俺は大馬鹿だ。


 ごめんなさい、と言おうとしたが、しばらくは世界がぐるぐると回転していたので、無理だった。

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