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異世界料理道  作者: EDA
第二十一章 銀の月
377/1675

歓迎の宴③~宴の申し子~

2016.9/4 更新分 1/1

《ギャムレイの一座》の面々が、儀式の火の前に立ち並んでいた。

 このように彼らが勢ぞろいする姿を見るのは、俺にしても初めてのことである。


 赤いターバンと長衣を纏い、じゃらじゃらと飾り物をつけた、隻腕にして隻眼たる壮年の男、炎使いのギャムレイ。


 朱色の振袖みたいな装束を纏い、三つ編みにした黒髪を足のほうにまで垂らした、外見的には12、3歳ぐらいにしか見えない曲芸師の童女、ピノ。


 鳥打帽のようなものをかぶり、ギターのような楽器を背負った、黙っていれば瀟洒な優男に見える、吟遊詩人のニーヤ。


 つぎはぎだらけの灰色の長衣を纏い、白い髭を胸もとにまで垂らした、仙人のごとき風貌の老人、獣使いのシャントゥ。


 ひょろひょろに痩せていて、男のような身なりをした、いつもおどおどと目を泳がせている奇妙な娘、パントマイムのような曲芸を得意とする、騎士王のロロ。


 2メートルを軽く超える巨体で、北の民のように逞しく、頭をつるつるに剃りあげて、青い瞳を静かに光らせる、怪力男のドガ。


 子供のように小さな体躯で、ただ両腕だけが類人猿のように発達した、奇妙な仮面の小男、刀子投げの名手、ザン。


 シム風の刺繍がされた長衣をぞろりと纏い、少し浅黒い肌をした妖艶なる美女、笛吹きのナチャラ。


 灰色のターバンに、マントみたいな黒い長衣を纏った、長身痩躯で東の民のように無表情な、壺男のディロ。


 色の淡い髪と瞳で、天使のように愛らしい姿をしていながら、気弱そうにおたがいの身体に取りすがった、幼き双子の兄妹、アルンとアミン。


 フードつきのマントを纏い、奇妙な紋様の描かれた皺深い面を陰に隠した盲目の老人、占星師のライラノス。


 同じくフードつきのマントでその異形をすっぽりと隠し、ただ黄金色の双眸を獣のように爛々と燃やしている、人獣の子ゼッタ。


 以上の、13名であった。

 そしてシャントゥの背後には、4頭の獣までもが控えている。

 淡い灰色の毛皮を持つアルグラの銀獅子、ヒューイ。それよりもひと回り小さくてしなやかな体躯をした、2本の鋭い牙を持つガージェの豹、サラ。その2頭の子である、獅子と豹の特徴をあわせもつ幼き獣、ドルイ。そして、足が短いぶんドガよりは小さいが、質量としてはそれを上回るぐらい巨大な体格をした、黒い毛皮と赤い瞳を持つ、ヴァムダの黒猿である。


 それらの獣までもが並んでいるのは、彼らこそが分家の男衆を救った立役者であり、そして、そんな彼らの同席をシャントゥが願ったためであった。

 俺もそこまで詳細は知らされていないが、とりわけ活躍したのは3頭の獣と、そしてロロであったらしい。最後は黒猿が巨大なギバを取り押さえ、ロロが木剣でとどめを刺したのだそうだ。


「幼きギバを捕らえたいというこの者たちの望みは、本日果たされることになった。明日の朝、この者たちはルウの集落を出て、そのままジェノスをも後にするとのことだ」


 ジバ婆さんのかたわらに立ちはだかったドンダ=ルウが、地鳴りのように響く声音でそのように述べていた。


「2名もの同胞を救われた俺としては、明日にでもその礼をしたいと願ったが、そのような気遣いは不要とはねのけられてしまったため、今日の宴でその礼を尽くすことにした。この者たちの参席を許してくれた他の客人らにも礼の言葉を述べさせてもらいたい」


 その客人たちは、広場のあちこちでドンダ=ルウの言葉を聞いている。

 俺とアイ=ファは、まだロイやシリィ=ロウと行動をともにしていた。


「また、この者たちは宿場町においても、森辺の同胞を危地から守っている。ジェノスの民ならぬこの者たちは森辺の民とも縁は薄く、いささか扱いに困る面はあったが、ルウの家長としてその恩義には報いたいと思う。おたがいに信義の心をもって接し、諍いなど起こさぬようふるまってもらいたい。……一座の長、ギャムレイよ」


「はいはい、ギャムレイにてございます」


「貴様たちを森に招いたのは、君主筋たるジェノス侯爵の命だった。それは代価の支払われる仕事でもあったので、おたがいに恩義を感ずる必要はない。しかし、貴様たちはその身をもって俺の同胞を救ってくれた。それはまぎれもなく恩義であるので、俺はそれに報いたいと思う」


「ええ、負傷をされた方々もお生命は取りとめたそうで。まったく何よりでありましたな」


「……貴様の下にある12名と4頭の獣たち、それらが我々に害を及ぼすことはないと、もうひとたびこの場で誓えるか?」


「何度でも誓いましょう。もとより俺たちには、誰にも害をなす理由がありません。俺たちが牙を剥くのは、自分たちの身を危うくされたときのみです」


「それでは他の客人と同様に、宴を楽しんでもらいたい。この場にある肉と酒は、代価の必要なく好きなだけ食らってもらおう」


「族長ドンダ=ルウのご厚意には恐悦至極でございます。その礼に、俺たちは精一杯の芸で報いましょう」


 そのように述べるなり、ギャムレイは右腕を振り上げた。

 それと同時に、ザンが太鼓を叩きだし、ナチャラが横笛を吹き始める。

 さらにアルンとアミンが金属の鳴り物まで鳴らし始め、にわかに広場には異国的なお囃子が響きわたることになった。


 森辺の民たちは、ほうっと感心したような声をあげる。

 すると今度は、ピノが前に進み出た。

 朱色の装束と長い三つ編みをひらひらとそよがせながら、ピノが優雅に舞い始める。儀式の火に照らしだされるその姿は、息を呑むほどに幻想的で蠱惑的だった。


 やがてピノは、くるくると踊りながら、儀式の火の周囲を回り始める。

 そうして鳴り物の調子に合わせてシャントゥが手を打ち鳴らし始めると、ヒューイとサラとドルイの3頭が、ピノの後を追ってのそのそと歩き始めた。

 火を恐れる様子などは微塵もない。その姿に森辺の民たちはいっそうの歓声をあげ、ついにはシャントゥと同じように手拍子をし始めた。


 ドンダ=ルウは髭面をさすりながら、ジバ婆さんの隣に座り込む。

 もはやこれ以上の言葉をさしはさむ余地はないと判断したのだろう。広場は一座の者たちを招く前よりも大きな熱気と賑わいに包まれていた。


 陽気で、それでいて郷愁感をかきたてられる不思議な旋律が、夜の森に響きわたっている。

 手空きの座員たちは地べたに座り込み、手を鳴らしたり、果実酒を飲んだり、あるいは無言でうつむいたりしていた。特にフードで面を隠したゼッタとライラノスの両名は、いまひとつ身の置き場がない感じで身を寄せ合っている。


 しかし宴は、最高潮に盛り上がっていた。

 そうして数分ばかりの演奏と行進が終わりに近づくと、ギャムレイが腰を上げて儀式の火に近づいた。

 その右腕が、ふわりと宙に差しのべられる。

 太鼓と鳴り物の音がやみ、ナチャラの笛の音だけが細く長く最後に残り――そして、その音色を追いかけるようにして、儀式の火の内から炎の蝶が飛び立った。


 赤と青と緑の蝶が、鱗粉のように火の粉を散らしながら、夜の空へと舞い上がり、やがて消滅する。

 森辺の民は怒号のような歓声をあげ、万雷の拍手をギャムレイたちにあびせかけた。


「まったく大した連中だな。言葉ではなく、その芸で森辺の民の心を解いてしまった」


 もりもりとギバ肉をかじっていたアイ=ファが、べつだん心を動かされた様子もなく、そのように述べたてた。

 その向こう側で、ロイとシリィ=ロウはちょっとぽかんとしてしまっている。ギャムレイたちの芸にすっかり心を奪われてしまった様子である。


「いや、すごい芸だったな。あれなら城下町で銅貨を取れるんじゃねえか?」


「……いくら何でも、あのようにあやしげな者たちに出入りが許されることはないでしょう」


 そのように述べながらも、シリィ=ロウは感服したように息をついている。


「それじゃあ、場所を移しましょうか。あちらもなかなか賑わっているようですよ」


 俺たちはまだルウ家の準備した心尽くしを半分ぐらいしか味わっていなかったので、貪欲に次なる料理を求めることにした。

 目指したのは、ルティム家が中心に陣取っている敷物である。そちらではまだドーラ家の人々も居残っており、気をきかせた女衆が次から次へと料理を運び入れている様子であった。


「おお、アスタ! 今の芸はすごかったな! ターラが夢中になる理由がわかったよ!」


 ドーラの親父さんは酒気に顔を染め、普段の陽気さを完全に取り戻していた。息子さんや奥方たちも、笑顔で料理を食している。ガズラン=ルティムにアマ・ミン=ルティム、ラー=ルティムにモルン=ルティムの姿もあり、ルティム本家は勢ぞろいの格好だ。


 そして、ターラとリミ=ルウは大はしゃぎで幼き獣ドルイを抱いていた。

 もちろんドルイはギバ狩りに参加していないが、ヒューイとサラがいないとさびしがるので、という理由で連れ込まれたのである。ぬいぐるみのように愛くるしいドルイは、やっぱり火を怖がる様子もなく少女たちにじゃれついていた。


「おお、お前さんがたが城下町の料理人だな! 森辺を訪れたならば、まずはギバのあばら肉を味わうがいい!」


 ダン=ルティムの目配せを受けて、アマ・ミン=ルティムが木皿を差し出す。そこには香草の香りの豊かなスペアリブがまだ何本も載せられていた。


「ようやく香草を主体にした料理ですね」


 気を取りなおしたように、シリィ=ロウがその皿に手をのばす。

 きっとレイナ=ルウたちの得意とする香味焼きであろう。ギバの骨からお行儀よく肉をかじり取ったシリィ=ロウは、ゆっくりと咀嚼をしたのち、ロイのほうに口を寄せた。


「あなたは、どう思われますか?」


「そうだな。3種ぐらいの香草が使われてるみたいだ。ヴァルカスだったらあれこれ指摘できるんだろうけど、俺にはお見事としか言いようがないな」


「……そうですね。タウ油や砂糖の使い方も適切であるように思いますし、《銀星堂》以外の店であるならば、売りに出されても不思議はない仕上がりでしょう」


「何をぼそぼそと話しているのだ? ギバのあばら肉は美味かろう?」


 きょとんとした様子でダン=ルティムが問うと、ロイが「ああ」とうなずき返す。


「脂身の多いあばらの肉に、この香草はとても合っていると思う。とても美味いよ」


「そうであろう! 果実酒やミャームーに漬けたあばら肉も捨てがたいが、この料理も実に美味い! 加減をしなければあばら肉ばかりを食べてしまいそうなほどだ!」


 やっぱりこれほどの巨体であるというだけでシリィ=ロウはいささか引き気味であったが、ダン=ルティムのほうは相手を選んで態度を変えるような人柄ではなかった。ガハハと笑いながら、果実酒の土瓶を傾けている。


 そしてそこには他の料理も集められていたので、俺たちもしばし腰を落ち着けることにした。最近食欲の増してきているアイ=ファは、ここぞとばかりにそれを満たしにかかっている。ここまではロイたちにつきあってひと品ずつしか口にすることができなかったので、さぞかしもどかしかったことだろう。


「あ、アマ・ミン=ルティム、お身体の調子は如何ですか?」


 こっそりそのように呼びかけると、アマ・ミン=ルティムは「ええ」と微笑み返してくれた。


「何の問題もありません。もうしばらくしたら、他の皆にもよい知らせを伝えることができると思います。……そのときには、いよいよ宿場町の仕事から身を引かなければなりませんが」


「はい。くれぐれもお身体のことを第一に考えてください」


「ありがとうございます。そのときは、わたしの代わりにモルンが町に下りることになるでしょう」


 そのモルン=ルティムが、客人たちに料理を取り分けてから、俺たちのほうに膝を進めてきた。


「おひさしぶりです、アイ=ファにアスタ。……あの、レム=ドムとの力比べは、もうじきに為されるのでしょうか……?」


「うむ? そうだな。あと10日はかからないように思う」


 アイ=ファの答えに、モルン=ルティムは「そうですか……」と目を伏せた。

 ころころと丸っこい体格をした、いくぶん父親似のモルン=ルティムである。なおかつ父親から豪快さだけを抜き取ったような気性である彼女にしては、ずいぶん憂いげな表情であった。


「どうしたんだい? レム=ドムとは何かご縁でもあるのだっけ?」


「いえ、レム=ドムとは、べつだん……わたしが北の集落に出向いている間、彼女はずっと家を離れていましたし……」


 そういえば、モルン=ルティムはずいぶん長きの間、料理の手ほどきをするために北の集落へと出向いていたのである。


「アイ=ファ、レム=ドムが狩人の力比べであなたを打ち負かすようなことがありうるのでしょうか?」


 口いっぱいにギバ肉と焼きポイタンを頬張っていたアイ=ファは、しばし待て、というように手をかざし、それらをすべて呑みくだしてから答えた。


「私がレム=ドムに遅れを取ることは、百に一つもないだろう。しかし、百度以上もやりあえば、一度ぐらいは私が地に伏すこともありえるかもしれんな」


「そうですか。ならば、レム=ドムも女衆として生きていくことになるのですね」


 ほっとしたようにモルン=ルティムがそう言うと、アイ=ファはけげんそうに首を傾げた。


「それは実際にやりあってみなくては何とも言えん。百何度目かに、あやつが打ち勝つのかもしれんのだからな」


「え? でも、レム=ドムと力を比べるのは一度きりなのでしょう?」


「一度きりではない。一日限りだ」


 アイ=ファは、あっさりそう言った。


「私が狩人としての力を取り戻したのち、まるまる一日をレム=ドムに与えることにした。その一日の中であやつが私を打ち倒すことがかなえば、あやつは狩人として生きる資格を得る」


「ええ!? どうしてそのような取り決めを!?」


「それが公正と思えたからだ。逆に言えば、ただ一度きりの力比べで私に勝利したとしても、レム=ドムに狩人としての力が備わっていると断じることはできん。狩人には、森の中を一日歩き続ける力も必要となるのだからな」


 そう言って、アイ=ファは木皿の汁物をすすり込んだ。


「私と一日、力比べに取り組み、私よりも早く力尽きることなく勝利を奪えれば、それは狩人として生きる力の証となろう。そのような真似のできる男衆など、この森辺には幾人もいなかろうからな」


「それでは……レム=ドムが勝ってしまう可能性もありうるのですね……」


 モルン=ルティムは、がっくりとうなだれてしまった。

 それでアイ=ファは、ますますけげんそうな顔になる。


「それでもレム=ドムが勝つ可能性は限りなく低いし、勝てたとしたら、それはあやつが男衆にも負けぬ力を持つという証左になる。それでどうしてお前がそのように悲しげな様子をしているのだ?」


「いえ……わたしはただ、ディック=ドムのことが心配で……ディック=ドムは、心からレム=ドムが女衆として生きることを望んでいるのです……」


 だから、どうしてそれでモルン=ルティムがそのように悲しまなくてはならないのか?

 俺はそのようにも思ったが、アイ=ファはまったく違うことを言った。


「私の母も、私が女衆として生きることを心から願っていた。母は狩人として生きる私の姿を見ぬままに森へと魂を返してしまったが……もしも生きながらえていたら、いったいどのような気持ちを抱くことになったのであろうな」


 モルン=ルティムは、悲しげな面持ちのままアイ=ファを見る。

 それをアイ=ファは、とても真剣な眼差しで見つめ返した。


「ディック=ドムがどのような気持ちを抱くかも、実際にそうなってみなくては知ることもできん。しかし、レム=ドムが幸福な生を歩むことができるなら、ただひとりの家人として、それを祝福してほしいと私は願っている。……私に言えるのは、それだけだ」


「はい」とモルン=ルティムはうなずいた。

 そうしてその手を胸の前で組み合わせて、アイ=ファに深々と頭を下げる。


「レム=ドムのことを、どうぞよろしくお願いいたします。わたしもドム家のふたりに幸福な道が開けるよう、森に祈りたいと思います」


 アイ=ファも「うむ」と重々しくうなずき返した。

 そのとき、広場の中央から賑やかな気配が伝わってきた。


 見れば、儀式の火の前にロロが引っ張り出されている。

 手を引いているのは、見覚えのない男衆だ。

 ロロが何かをわめいているが、ここからではよく聞き取れない。しかし、どうも彼女は狩人の力比べを挑まれているように見受けられた。


「ああ、あの娘はたいそうな腕前を有しているそうだな! 木の刀でギバを仕留めるなど、なかなかできるものではないぞ!」


 ダン=ルティムは愉快そうに笑っている。

 ロロは完全に及び腰であったので、放っておいて大丈夫なのだろうかと俺は危うんだが、どうやらギャムレイの一言で彼女も覚悟を固めたようだった。


 そうして周囲の人間が歓声をあげる中、力比べが開始され――その男衆は、一瞬で地に伏すことになった。

 つかみかかった男衆の腕をロロが捕らえて、足払いで簡単に転ばせてしまったのだ。


 地面に倒れた男衆に、ロロはぺこぺこと頭を下げている。

 すると、別の男衆がロロの前に進み出た。

 が、その男衆も小手返しのような技をくらって、またあっさりと倒れてしまう。

 ロロは再度、ぺこぺこと頭を下げまくった。


「ふうむ! 力の逃がし方にたいそう長けているのだな! 自分自身は何の力も使わずに、あれは大した技量だぞ!」


 ダン=ルティムはきらきらと目を輝かせながら巨体を乗り出す。


「面白いな! 俺も手合わせを願うべきか!」


「お待ちください。このような余興でいきなり勇者の力を持つ狩人が名乗りをあげるのは、あまりに無粋なのではないでしょうか」


 ガズラン=ルティムが、やんわりと父親をたしなめた。

 その間に、少し離れた場所では大男のドガまでもが力比べに駆り出されていた。

 そちらは接戦の末、ドガが相手を力でねじ伏せた。

 狩人たちは歓声をあげ、ふたりのもとにわらわらと集まっていく。


「ふん。酒が入っているとはいえ、森辺の狩人を力比べで退けるとは大した手並みだ。町にもあのような人間がいるのだな」


 と、ふいに横合いから若者の低い声が響いた。

 敷物に座していたメンバーではない。たまたまここに通りかかった長身の青年――ダルム=ルウである。

 さらにそのかたわらには、ずっと姿の見えなかったシーラ=ルウの姿もある。シーラ=ルウは俺たちに会釈をして、ダルム=ルウはじろりとアイ=ファをねめつけてきた。


「しかもあの小さいほうは、男のなりをしているが女なのだな。同じ女として黙っていられるのか、アイ=ファよ?」


「うむ? あの娘はたいそうな技量を持っているようだからな。私は力を取り戻す修練を始めたばかりであるので、あの娘を打ち倒すにはあと10日ばかりの時間が必要となるだろう」


「それはずいぶん気弱なことだ。さしものお前もたびたび手傷を負い、気持ちが弱ったか」


 何となく、普段のダルム=ルウとは異なる声音の響きであった。

 同じことを思ったのか、アイ=ファもけげんそうに眉をひそめ、それから「ああ」と声をあげる。


「ダルム=ルウよ、ついに果実酒を飲めるほどに傷が癒えたのか」


「ああ。この通り、ようやく手の皮が血の筋をふさいでくれたからな」


 ダルム=ルウは果実酒の土瓶を左手に持ちかえ、右の手の平を俺たちに差し向けてきた。

 確かにその手の平には、ピンクがかった新しい皮が一面に張られていた。これまではその箇所の肉が剥き出しになっていたのかと想像すると、こちらのほうが痛くなってきてしまう。


「もうしばらくすれば、刀を握ることもかなおう。そうすれば、すぐにでも森に入ることがかなう。手の先の他は鍛錬を続けていたのだからな」


「そうか。それは喜ばしいことだな」


「お前も傷は癒えたのだろう? しかし、あばらを折ってしまっていたのだから、力を取り戻すにはさぞかし時間がかかるのだろうな」


 ダルム=ルウがここまで饒舌にふるまうのは、常にないことである。

 しかもその声は、どちらかというと陽気であるようにさえ思える。右頬の古傷も赤く染まっているし、ずいぶん酒が入ってしまっているのではないだろうか。


(大丈夫なのかな。ちょっと心配になってきちまうぞ)


 陽気なダルム=ルウというのは、俺はひとたびしか見たことがない。それは俺たちが初めてルウの集落に宿泊した夜、彼がアイ=ファに難癖をつけてきたときのことだ。

 あの夜のダルム=ルウは、最悪だった。印象としては、ディガと変わらないぐらいである。ことさら汚い言葉でアイ=ファを罵り、狩人の真似事などやめて自分の嫁になれ、と彼は執拗に述べたてていたのであった。


 そんな俺の懸念を知ってか知らずか、ダルム=ルウは膝を折ってアイ=ファの顔を覗き込んできた。

 野生の狼を思わせる強い眼光が、間近からアイ=ファをねめつける。


「思えばアイ=ファよ、俺たちは同じ時期に手傷を負うことが多かったのだな。俺がこの顔の傷を負ったとき、お前は左の腕を痛めていた。そうして俺がこの手に傷を負ったとき、お前はあばらを折ることになった」


「うむ、確かにその通りだな」


「しかしこのたびも、俺のほうが先んじて森に入ることができそうだ。俺を疎んじるお前には、さぞかし腹の煮えることであろうな」


 アイ=ファはべつだん表情を変えるでもなく、ちょっと不思議そうに首を傾けるばかりであった。


「お前は以前、宿場町でも同じようなことを言っていたな。私は別にそのようなことで無念に思ったりはしないし、そもそもお前のことを疎んじてもいない」


「……そのようなわけがあるか。お前ほど俺を疎んじている人間は他にいないだろう」


「何故だ? 私が狩人として生きることを許さなかったのはお前だけではないし、それに――お前には、それを怒る理由があったであろう。私はルウ家からの嫁入りの話を、じゃけんに断ってしまったのだからな」


 ダルム=ルウはきつく眉根を寄せて、アイ=ファの顔をにらみ続ける。

 それに対して、アイ=ファはあくまでも沈着であった。


「ともあれ、お前が早々に狩人としての力を取り戻せたのは喜ばしいことだ。ドンダ=ルウが深い手傷を負っているのだから、なおさらにな。ルウ家の友を名乗ることが許されるなら、私も祝福の言葉を送りたいと思う」


「ふん、何が祝福の言葉だ!」


 と、いきなりダルム=ルウが身を起こした。

 右頬の古傷が、いっそう赤く浮かびあがっている。


「黙って聞いていれば、賢しげな言葉ばかりを吐きやがって! 俺に先んじられて悔しいのなら悔しいと素直に言ってみせろ!」


「だから、そのような思いは抱いていないというのに……今日のお前は幼子のようだぞ、ダルム=ルウよ」


 と、ついにアイ=ファが苦笑を浮かべてしまった。

 それを見て、ダルム=ルウはがりがりと頭をかきむしる。


「申し訳ありません、アイ=ファ。……ダルム=ルウ、果実酒を召されすぎですよ。ずいぶんひさかたぶりのお酒なのですから、少しは加減をしなければなりません」


「俺に酒を飲むなと執拗にたしなめていたのはお前ではないか! それでどうしてまたお前に説教をされねばならないのだ?」


 確かにこれは、アルコールの効果なのだろう。アイ=ファの言う通り、だんだん言動が子供じみてきてしまっている。そんなダルム=ルウを見つめながら、シーラ=ルウは困った母親のように微笑んでいた。


「お酒を召されるのなら、その分きちんと料理も口にしてください。そろそろギバの丸焼きも仕上がる頃合いのはずですよ?」


「ふん!」とダルム=ルウはまた鼻を鳴らし、再度アイ=ファへと視線を差し向けてきた。


「アイ=ファよ! 手傷の多い狩人には、ふたつの種類がある。それは、力の足りていない狩人と、ギバを恐れずに真っ向から立ち向かえる狩人だ!」


「うむ」


「お前はルウの力比べで8人の勇者に選ばれるほどなのだから、決して力が足りていないわけではないだろう! しかし、手傷を負えば家人を悲しませることになる! 得体の知れない余所者の男でも、お前にとっては大事な家人のはずだ! 家人を悲しませたくないならば、せいぜい今後も慢心せずに狩人としての仕事を果たしてみせろ!」


「うむ。そっくりそのままお前に返したいような言葉ではあるが、まったく内容は間違っていないだろう。お前からの言葉を肝に銘じて、今後も励みたいと思う」


 あくまで冷静なアイ=ファをひとしきりにらみつけてから、ダルム=ルウはふらふらと立ち去ってしまった。

 シーラ=ルウは同じ笑顔で俺たちに頭を下げつつ、その後を追いかける。


「ふむ、ひさびさの酒でずいぶん酔いが回っているようだな。俺も足の傷のおかげでしばらく酒を断ったときは、普段の半分ほどしか飲めなかったものだ」


 愉快げに笑いながら、ダン=ルティムは果実酒をあおる。


「もともとダルム=ルウはそれほど酒が強い性でもないようだしな。悪気はないので気にせずともよいぞ、アイ=ファよ?」


「気にはしていない。むしろ、嬉しく思っている」


「おお、そうか。ならば余計な言葉であった」


 そうしてダン=ルティムはまたドーラ家の人々との談笑に戻り、俺はアイ=ファに口を寄せることになった。


「アイ=ファは嬉しかったのか? 俺はひさびさにひやひやさせられちゃったけど」


「ダン=ルティムに言われるまでもなく、ダルム=ルウの言葉に悪意は感じられなかった。あやつはあやつで私の身を案じてくれているのであろう。悪縁を結んでしまっていたダルム=ルウとようやく正しい縁を結べたような心地で、私は嬉しい」


 そのように言ってから、アイ=ファはふいにくすりと笑った。


「それに、酒のせいとはいえ、まるで幼子のようであったではないか? あやつにもあのように可愛らしいところがあったのだな」


「可愛らしい? ダルム=ルウが?」


「うむ。あやつは血族のために傷を負うことを厭わぬ立派な狩人だ。なおかつ気性は、ドンダ=ルウのように猛々しい。そんなダルム=ルウが幼子のようにふるまうのは、可愛らしいな」


 俺は言葉を失ってしまった。

 あどけない表情で笑っていたアイ=ファが、けげんそうに眉をひそめる。


「どうしたのだ? 何やらおかしな顔になっているぞ、アスタよ?」


「ああ、いや、別に……えーっとな、俺が年頃の娘さんを可愛らしいとか言いだしたら、この心境をわかってもらえるだろうか」


 そのように言ってしまってから、俺は慌てて手を振った。


「いや、今のはあまりに器量の小さな発言だったな! ごめん、忘れてくれ!」


「……一度聞いた言葉を忘れるなどという器用な真似はできん」


 見る見るうちに、アイ=ファの可憐な唇がとがっていく。


「私はおかしな意味でダルム=ルウを可愛らしいなどと述べたわけではない。それぐらいのことが、お前にはわからぬのか?」


「いや、だから、俺が悪かったってば」


「……ダルム=ルウが女衆であったとしても、私は嫁に娶りたいとまでは思わぬぞ?」


「わ、わかったよ。なかなか普段にはない出来事だったから、おもいきり動揺してしまっただけさ。本当に反省してるから勘弁してくれ」


 それでもアイ=ファは疑り深そうに俺の顔を見つめ続けていたが、やがて意を決したようにとがらせた唇を耳もとに寄せてきた。


「……私にとって一番可愛らしいのは、アスタだ」


 かくして俺は撃沈することになったが、かがり火だけが目の頼りのこの場においては、顔色の変化を余人に悟られることもなかっただろう。

 そんな俺たちの周囲では、ルウの眷族と客人がたが疲れも知らぬ様子で騒ぎたてている声が賑やかに響き続けていた。

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