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異世界料理道  作者: EDA
第二十一章 銀の月
376/1675

歓迎の宴②~夜の始まり~

2016.9/3 更新分 1/1

 そうして太陽が西の果てへと沈みかかり、かがり火の明かりが必要になってきた頃合いで、親睦と歓迎の宴は開催される運びとなった。


 本日はやぐらが建てられていないので、ドンダ=ルウは本家の前に立ちはだかり、森辺の同胞と向かいあっている。ルウの一族だけで40名弱、そこに20名ばかりの眷族も加わった大所帯である。さらにドンダ=ルウの左右には、客人として招かれた12名もが並ばされていた。


 宿場町からはユーミとテリア=マス、トゥランからはミケルとマイム、城下町からはロイとシリィ=ロウ、そしてダレイムからはドーラ一家である。

 ドーラ家は、けっきょくご老齢の2名を除く全員が参席していた。

 家の主人たるドーラの親父さん、ターラとふたりの兄たち、そして、親父さんと上の息子さんの奥方で、合計は6名だ。


 初めての来訪となった4名の方々は、さすがに緊張しきった面持ちで立ちつくしている。ルウの一族とはすっかり懇意になり、復活祭においてはともに宴を楽しんだ間柄であるが、やはりホームとアウェイでは心持ちも異なってくるだろう。そんな彼らの正面には、少しでも不安感をまぎらわせるように、俺やリミ=ルウや見知った人間が陣取っていた。


「……俺たち森辺の民は、すでに80年の歳月をこのモルガの森辺で過ごしてきていたが、町の人間とは縁を結ばずに生きてきた。その行いには、正しい面も間違った面もあっただろう。迂闊に町の人間と交わっては、森辺の民としての誇りや道を失いかねないのだからな。ゆえに、我らの祖が町の人間を遠ざけてきたことや、今でもこの行いに疑念を抱いている者たちが間違っているのだと言いたてるつもりは毛頭ない」


 薄暗がりの中、ドンダ=ルウの声が朗々と響きわたる。


「だが、我らはこうして町の人間と交わることになった。この交わりがなければ、おそらくスン家や貴族の罪を正しく裁くことはかなわなかっただろう。町の人間と縁を結び、その言葉を聞き、その生のあり方を知ったからこそ、俺たちはスン家の罪と自分たちの過ちを正しく知ることがかなったのだ。その一点において、俺は正しい道を選んだのだと確信している」


 60名からの同胞は、しわぶきのひとつもあげようとはしない。ほんの小さな幼子たちでさえ、母親や兄弟の身体に取りすがったまま、静かに族長の言葉を聞いていた。


「俺たちは、正しい方向に足を踏み出した。そして、今後も正しい道を歩き続けるためには、町の人間や貴族たちがどのような存在であるのかをより深く知る必要があるだろう。そのためにこそ、俺はこれらの客人を集落に招き、宴を開くことに決めた。同じ場所で、同じものを食べ、同じ喜びを分かち合えることを願う。……森辺とジェノスの絆に!」


「森辺とジェノスの絆に!」の声が唱和される。

 それはほとんど怒号のような勢いであったため、客人の過半数はびくりと身体を震わせてしまっていた。


 が、そうして果実酒の土瓶が掲げられた後は、もう無礼講である。

 客人のもとには女衆がわっと押し寄せ、かまどで保温されている料理のほうへといざない始めた。

 俺はアイ=ファやリミ=ルウとともに、まずはドーラ家の人々のほうへと足を進めた。


「さあ、宴ですよ。みんながこしらえてくれた料理を楽しみましょう」


「う、うん。いやあ、すごい熱気だねえ、こりゃ」


 もはや常連客であるドーラの親父さんも、森辺の宴の勢いと賑わいにすっかり気圧されてしまっている様子である。

 そこにのしのしと近づいてきたのは、我らがダン=ルティムであった。


「そのようなところで何を縮こまっているのだ、ドーラよ! 今日は俺の娘も来ているので紹介をさせてもらうぞ! さあ、みなもこちらの敷物に来るがいい!」


 本日も、腰を落ち着けて食事を楽しめるように、あちこちに敷物が敷かれていた。そのひとつに、ルティム家の人々が集まっているらしい。ガズラン=ルティムとアマ・ミン=ルティムは顔見知りであるし、モルン=ルティムも人好きのする娘さんであるので、これでドーラ家は大丈夫だろう。


 見れば、ユーミとテリア=マスはもうルウの分家の娘さんたちとかまどの鉄鍋を囲んでいる。どうやら日中にまた親睦を深めることがかなったようだ。

 で、ミケルとマイムのもとにはユン=スドラとトゥール=ディンがよりそい、そこにミーア・レイ母さんも加わっていたので、無事に交流の場が形成されそうな様子であった。


 となると、やはり残されるのはロイとシリィ=ロウである。

 リミ=ルウはターラと手をつないでルティム家のほうに出向いていってしまったので、俺はアイ=ファとともに彼らを案内することにした。


「大丈夫ですか? よかったら、一緒にあちこち巡りましょう」


「ああ、こいつはたまげた騒ぎだな。また復活祭がやってきたみたいな勢いだ」


 ロイは神妙な面持ちで腕を組んでおり、シリィ=ロウはそのかたわらで少し小さくなっていた。

 よく見ると、その手がこっそりロイの胴衣のすそをつかんでいる。まあ、このような場では彼女もロイしか頼るものがないのだろう。


「お酒が入っても、客人に乱暴な真似をするような人間はいないので安心してくださいね。……うん、何だい、アイ=ファ?」


「うむ。この者たちは初めてルウの家にやってきて、しかも宴に加わろうというのだから、最長老たるジバ婆にも挨拶をさせるべきではないのかな」


「ああ、なるほど。それじゃあ、まずはそちらにお邪魔しようか」


 そんなわけで、俺たちは広場の中心に据えられた敷物へと向かうことになった。

 そこにはキャンプファイアーを思わせる儀式の火が焚かれており、その手前に敷物が敷かれている。ジバ婆さんはティト・ミン婆さんとタリ=ルウおよびリャダ=ルウの夫妻などに囲まれて、木皿のスープをすすっていた。


「ジバ=ルウ、ちょっとおひさしぶりです。城下町からのお客人をお連れしました」


「ああ、ジザとルドから話は聞いているよ……昨日はたいそうな料理であたしの家族をもてなしてくださったそうだねえ……」


 ジバ婆さんは、顔をくしゃくしゃにして笑っている。

 ロイは困惑気味の表情を浮かべつつ、それでも敬意の感じられる仕草で一礼をした。


「俺はロイで、こっちはシリィ=ロウってもんだ。あんたの家族をもてなしたのはサトゥラス伯爵家の人間で、その料理を作ったのがこのシリィ=ロウ、それで俺はその手伝いをしただけにすぎないよ」


「ふうん……だけど、あんたがたは森辺の民のためにという思いで料理を作ってくれたんだろう……? 城下町であんなたいそうな料理を食べたのは初めてだって、ルドはとてもはしゃいでいたよ……?」


「食べる人間を喜ばせるのが、料理人の仕事だからな。俺たちは、自分の仕事を果たしただけだ」


「そうかい……それじゃあ今日は、あたしの同胞がこしらえた料理を楽しんでいっておくれ……客人を喜ばせるために、みんな力を尽くしてくれたはずだからさ……」


 そうして挨拶を済ませてその場を離れると、ロイはふーっと大きく息をついた。


「なんか、あんな小さな婆さまでも、やたらと迫力を感じちまうな」


「あ、そうですか? そういう意見は初めてですね」


 しかし、儀式の火を背後にして微笑むジバ婆さんは、確かに初見だとずいぶん神々しく見えるのかもしれない。ドーラ家などでともに食卓を囲んだりするのとでは、だいぶ印象も違ってくることだろう。


 そもそもロイたちは、石の都の住人なのだ。

 それはもしかしたら、ダレイムや宿場町などを根城にしている人々よりも、日本生まれの俺のほうに近い心境なのかもしれなかった。


 かがり火のおかげで広場は明るいが、その外に広がっているのは夜の森だ。四方は黒い森の影に閉ざされて、東の果てにはさらに巨大なるモルガの山が立ちはだかっている。足もとは土の地面で、涼気をふくんだ夜風に頬をくすぐられ、そこにざわざわと人々の熱気がかぶさり――という、それは石塀の中では決して味わえないような、原初的な宴の賑わいなのだった。


 森辺の民は、とても力にあふれた一族である。そんな彼らが、誰をはばかることなく大声をあげ、ギバの肉を食らっている。俺にはすっかり見慣れた光景になってきていたが、やっぱりそれは、どこか神話のワンシーンのように幻想的で、めくるめくような光景であるのだった。


「おお、アスタにアイ=ファではないか。こんなところで、何をぼけっと突っ立っているのだ?」


 と、横合いから声をかけられたので振り返ると、そこに立っていたのはラウ=レイとギラン=リリンであった。


「そいつらが城下町の料理人とかいう連中か。うむ、ひょろひょろに痩せていて実に弱そうだ」


「いきなりご挨拶だね。料理人に腕力は必要ないんだよ。鉄鍋を運べるぐらいの力があれば十分なんだから」


「だから弱そうと告げても礼を失することにはなるまいと思ったのだ。宴の場で堅苦しいことを言うな」


 すでに酒が入っているらしく、ラウ=レイは陽気に笑いながらロイとシリィ=ロウの姿を見比べた。まるで無法者にからまれた町娘のように、シリィ=ロウはロイの背後へと隠れてしまう。


「女衆の心尽くしは口にできたのかな? どの料理も実に美味そうだ」


 いっぽうギラン=リリンは、いつもの感じで穏やかに微笑んでいる。

 彼は森辺の狩人としては珍しいぐらい、威圧感というものと無縁な人柄なのだった。


「そうですね。料理をいただきましょう。えーと、どこに行こうかな」


「まだ何も口にしていないなら、あそこの鍋を食べてみるといい! 町の連中も実に満足そうな様子だったぞ!」


 そうしてラウ=レイの案内でかまどのひとつに寄ってみると、そこにはマイムたちの姿があった。

 ミケルとトゥール=ディンとユン=スドラもおり、ミーア・レイ母さんは姿を消していたが、その代わりにツヴァイとヤミル=レイがいる。食べているのは、カロン乳を使ったスープであるようだ。


「あ、アスタ! こちらの料理も、とても美味です!」


 マイムは、にこにこと笑っている。それで心を動かされたのか、ようやくシリィ=ロウがロイの前に進み出た。


「カロン乳の汁物料理ですか。香草などは使っていないようですね」


「はい。でも、とても美味です」


 そんな両者の姿を横目で眺めていたヤミル=レイが、無言で器にスープを注いでくれる。ツヴァイは、やっぱり素知らぬ顔だ。


「ああ、すまねえな。……ふうん、肉の団子を使ってるのか」


 ロイたちの後で俺も受け取ると、確かに小さな肉団子の姿が見えた。

 もちろん出汁を取るために、肩肉やモモ肉も使っているのだろう。森辺ではだいぶん定番になってきた、カロン乳のまろやかな香りが鼻腔をくすぐる。


「使っている野菜は、ティノとネェノンと……こいつはアリアか。森辺の民ってのは本当にアリアが好きなんだな」


「森辺の民だけじゃなく、宿場町やダレイムでもアリアは一番使われていますよ。なにしろ安くて栄養がたっぷりなんですから」


「ふん、城下町ではアリアなんて大して使われちゃいないが……何だろうな、お前らの作る汁物料理に深みがあるのは、このアリアの恩恵がでかいのかな」


「大きいと思いますよ。俺は香味野菜としても色々な料理でアリアを使っていますし」


 俺とロイがそのように言葉を交わしていると、シリィ=ロウも真剣きわまりない顔つきで口をはさんできた。


「香草は使われていないなどと言ってしまいましたが、ピコの葉は使われているのですね。そういえば、あなたがたはピコの葉を使うことも多いように思います」


「ええ、以前も説明したかもしれませんが、森辺ではギバの肉を塩ではなくピコの葉に漬けて保存しているのですよ。森ではピコの葉がいくらでも採れるので」


「なるほど」とうなずきながら、シリィ=ロウは一口ずつゆっくりとスープを味わっている。

 すると、ラウ=レイが眉をひそめつつ、にゅっと首を突き出してきた。


「お前たちはずいぶん小難しい顔をして料理を食べるのだな。味が気に食わないということか?」


 シリィ=ロウは、首をすくめて後ずさってしまう。どうやら彼女には、ラウ=レイの猛々しい雰囲気が威圧的に感じられてしまうらしい。

 その姿をラウ=レイから隠すようにして、ロイが一歩進み出た。


「何も気に食わないことはない。ただ、俺たちは城下町の料理人だからな。食べることも、勉強なんだ」


「ふむ。で、けっきょく美味いのか不味いのかどちらなのだ? この料理は俺の家人の心尽くしなのだが」


「わたしが一からすべてを作ったわけではないわよ、酔いどれ家長」


 ヤミル=レイがいつもの調子で茶々を入れたが、ラウ=レイはふたりの客人を注視したままであった。

 たぶんラウ=レイも威嚇しているつもりではないのだろうが、常態でも猟犬のように鋭い目つきをした若き家長なのである。ロイは少し考え込むような顔をしてから、やがて言った。


「美味いか不味いかと言われれば、美味いよ。城下町で売りに出すにはもっとたくさんの香草か何かを使いたくなるところだが、きっちり出汁は取れてるし、肉や野菜の扱いに不備はなく、味付けだって申し分ない。料理人でもない人間がここまでの料理を作れるというのは、はっきり言って驚きだ」


「ヤミルはアスタの商売を手伝っているからな! そこらのかまど番より腕が立つのは当然の話だ!」


 たぶん不味いと評されてもいきなり殴りかかるようなことはなかったろうが、ロイが言葉を選んでくれたおかげで、ラウ=レイはたちまち上機嫌になった。

 この素直さは、ラウ=レイの美点なのだ。十回に一回ぐらいは欠点として発露することもありうるが、このような場でそうならなかったのは僥倖であった。


「……それにこれは、あなたの作法と似たところがありますよね、ミケル?」


 ロイがそのように申したてると、無言でスープをすすっていたミケルが面倒くさそうに顔をあげた。


「似ている部分はあるが、まったく同じではない。それに、突きつめれば誰の料理だって根っこは同じようなものだ」


「そうなんですかね。たとえばあなたとヴァルカスなんかは、まったく作法が似ていないように思えますが」


「そうだとしたら、お前は料理の上っ面しか見ていないということだ」


 この言葉には、シリィ=ロウが反応した。


「お待ちください、ミケル。我が師ヴァルカスは、あなたや森辺の民の作法は自分とまったく異なるため、取り入れることは難しいと述べているのです。あなたの言い様では、まるでヴァルカスまでもが上っ面しか見ていないということになってしまいます」


 ミケルはますます仏頂面になって溜息をついた。


「どいつもこいつもやかましいやつばかりだな。そのような言葉をあげつらって、美味い料理が作れるのか? いくら立派な言葉を並べたって、料理の味は変わらんぞ?」


「いえ、ですが――!」


「上っ面が似ていなければ、取り入れるのは難しいだろう。俺だって、あのヴァルカスという男の作法を自分の料理に取り入れようなどとは考えもしなかった」


 不機嫌そうに目を細めながら、ミケルがシリィ=ロウの顔をにらみすえる。


「しかし、どんな料理でも根っこは一緒だ。足したり引いたりを繰り返すだけでは、上等な料理を作ることはできん。食材を掛け合わせることで、それらがおたがいにどのような影響を与えるか、すべてを同時に吟味していく必要がある。……その上で、食材の元の味を際立たせようとする俺と、元の味から遠ざかろうとするヴァルカスでは、まったく正反対のように見える料理ができあがる、というだけの話なのではないのか?」


 シリィ=ロウは愕然と立ちすくみ、それからしょんぼりしたようにうつむいてしまった。


「……申し訳ありません。ヴァルカスがあれほどまでに認めておられた御方にわたしなどが言葉を返したのが愚かでした。どうかご容赦いただきたく思います……」


「ご容赦もへったくれもあるか。能書きだけで美味い料理は作れんと言ったばかりであろうが」


 ミケルはもう取りあわずに、音をたててスープをすすりこむ。

 すると、ラウ=レイが愉快そうに笑い声をあげた。


「うむ! 面白いぐらいに何を言っているのかわからなかった! かまど番というのもなかなか難儀な仕事なのだな、アスタよ?」


「うん、まあ、そこで同意を求められても困るけどね」


 俺は苦笑してしまったが、内心ではミケルの言葉に感銘を受けていた。


(ヴァルカスは、食材の元の味から遠ざかろうとしている、か……なるほどね)


 ヴァルカスの料理はどうしてあれほど不可思議な仕上がりなのか、その正体がようやく見えてきたようだった。

 複雑な味が好まれるという城下町において、その究極系のように思えるヴァルカスは、元の食材からは決して想像のつかないような味、というものを理想として追い求めているのかもしれない。そうだとしたら、素材の味を活かそうという俺やミケルと真逆の料理に思えるのが当然である、ということだ。


(でも、どちらにしたって素材の味や調理の仕方を突きつめなければ、お話にならないんだ。上っ面は違うけど根っこは変わらないってのはそういう意味か)


 何だか、腹の底がむずむずとしてきてしまった。

 ミケルがどれほど卓越した料理人であるかを、あらためて思い知らされてしまった心地だ。

 まあ、そのようなことを述べても、シリィ=ロウと同じようにミケルを不機嫌にさせるだけだろう。ということで、俺はミケルと巡りあえた幸運を心中でこっそり寿ぐに留めておいた。


「それじゃあ、別の料理も味わわせていただきましょうか。まだまだたくさんの料理が控えているんですから」


 そうして俺たちはラウ=レイやマイムらにしばしの別れを告げ、次なる場へと足を向けた。

 じりじりと焼かれているギバの丸焼きのかたわらを通り抜け、一番手近な敷物のほうに近づいていくと、そこでは何やら料理も食べずに言い合いをしている若い男女の姿があった。

 言い合いをしているのはララ=ルウとディム=ルティムで、それにはさまれていくぶん眉尻を下げているのは、シン=ルウであった。


「えーと、いったい何の騒ぎかな?」


 素通りもできなかったのでそのように声をかけてみると、青い瞳をめらめらと燃やしたララ=ルウににらみつけられてしまった。


「何でもないよ! ただこいつがあれこれ余計な口を突っ込んできてるだけさ!」


「余計な口とはどういうことだ。お前こそ、さきほどから道理の通らぬことばかりを口にしているではないか」


 ルティム家の若き狩人ディム=ルティムも、ララ=ルウに劣らず怒った顔をしている。彼はララ=ルウと同じ13歳の見習い狩人であり、俺にとっては城下町やダバッグへの旅で護衛役をつとめてもらったので、それなりに馴染みの深い相手であった。


「俺はただ、シン=ルウの力量を褒めたたえていただけだ。それなのにこの女衆は――」


「森辺の狩人だったら、誰でも町の人間ぐらい簡単にやっつけられるでしょ? それなのに、どうしてシン=ルウばっかりが相手をしなくちゃいけないのさ! この前だって、あいつらが卑怯な真似をしたせいで、シン=ルウは危険な目にあったばかりだっていうのに――」


「それでもシン=ルウは手傷を負うことなく相手を退けたのだ。それで再びの立ち合いを申し込まれたのだから、シン=ルウは誇りをもって自分の力を示すべきであろう?」


 どうやらそれは、城下町で行われる剣技の大会というものについての話であるようだった。

 シン=ルウは正式に名指しで招かれたわけではなかったが、ゲイマロスの子息レイリスとの因縁を考えれば、まあ選出されてしまう公算は高いだろう。


「でも、実際に参加するかどうかは、これから族長たちの間で決められるんだよね?」


「そんなの! 参加させるに決まってるじゃん! 町の連中に力試しを挑まれてるんだから、ドンダ父さんたちが断るはずないよ!」


 さもありなん、といったところである。

 とりあえず、俺は客人たちへのフォローを済ませておくことにした。


「ロイとシリィ=ロウは、どうぞ先に食べててください。あれは、肉と野菜の炒め物のようですね」


「ああ、そう言ってもらえりゃ幸いだよ」


 ロイはひとつ肩をすくめて、敷物のほうに近づいていった。

 シリィ=ロウも慌ててそれに追従し、アイ=ファは「ふむ」と腕を組む。


「べつだん言い争うような話ではないように思えるな。ララ=ルウはシン=ルウの身を案じ、ディム=ルティムはシン=ルウの力を褒めたたえている。それは決して相反するような心情ではあるまい。……そうしてお前たちはどちらもシン=ルウに心を寄せているというのに、当人が困り果てているのはどういうわけだ?」


 確かにシン=ルウは困り果てていた。ほんのちょっぴり眉を下げているだけであるが、それでも十分に心情が伝わってくる。


「シン=ルウであれば、どのように不利な条件でも遅れを取ることはない。そこでシン=ルウの身を案じるというのは、その力量を疑うということにならないか?」


 ディム=ルティムの言葉にララ=ルウはまた眉を吊りあげかけたが、それはアイ=ファによって制された。


「狩人であればそのように思うのはわからなくもない。しかしこのララ=ルウは狩人ならぬ女衆だ。そして、お前よりもシン=ルウに血の近い血族でもある。そのララ=ルウがシン=ルウの身を案じることをお前がとやかく非難するのは、あまり正しいようには思えん」


「いや、しかし……」


「お前はかつて、ダン=ルティムに対してもそのように強い執心を見せていたな。強き狩人に心を寄せるのはよくわかるが、それが当人を困らせてしまっては詮無きことであろう」


 ディム=ルティムは少し表情をあらため、シン=ルウのほうをおずおずと見た。


「……俺はそこまでシン=ルウを困らせてしまっていたか?」


「ああ、うむ、そういうわけではないのだが……俺はララ=ルウと少し込み入った話をしようと思っていたところだったのだ」


「そうか」とディム=ルティムはうつむいてしまう。


「俺はむしろ、その女衆と話しているシン=ルウが困っているように見えたから、加勢をしたつもりであったのだ。余計な口を差しはさんでしまったのなら、許してもらいたい」


「許すも許さないもない。お前とて、大事な眷族だ」


 早く一人前になりたいと願うディム=ルティムは、16歳の若さで8名の勇者に選ばれたシン=ルウに心を寄せることになったのだろう。彼はもう一度シン=ルウとララ=ルウに頭を下げてから、とぼとぼと薄闇の向こうに引き下がっていった。


「……シン=ルウは、あたしと話していて困ってたの?」


 で、今度はララ=ルウである。

 ララ=ルウは切なげに目を細めて、シン=ルウの姿を見つめていた。


「そうだよね。シン=ルウだって、好きこのんで貴族たちに目をつけられたわけじゃないのに……あたしなんかにぎゃーぎゃーわめかれたって迷惑なだけだよね」


「いや、そうではない」


「ごめん。狩人だったら、腕を見込まれて力比べを挑まれるのは栄誉なことなんだもんね。あたしもさっきのあいつと一緒で、シン=ルウの気持ちを考えてなかったんだ」


「だから、そうではないのだ、ララ=ルウ」


 シン=ルウが、ララ=ルウのほっそりとした肩に手をかけた。

 ララ=ルウは、青い目にうっすらと涙をためてその顔を見つめ返す。


「確かに狩人としての力量を見込まれるのは栄誉なことだ。そして、父親が罪人になってしまったレイリスという貴族が、俺と力比べをすることで無念な思いに決着をつけられるというのなら、なおさら相手になってやりたいと思う。……だけど俺は、ララ=ルウの気持ちもないがしろにしたくはない」


「…………」


「俺は決してこの身を危うくすることなく、森辺の狩人としての力を示してみせよう。それをこの場で誓うから……ララ=ルウは、それを見届けてはくれないか?」


「見届ける? でも、今度の力比べはあたしたちが見物に行けるようなものなの?」


「知らん。だけど、ララ=ルウを置いてその大会とやらに出るつもりはない。俺はそのようにドンダ=ルウに告げるつもりだ」


 言いながら、シン=ルウは頬を赤らめていた。


「それは貴族らの見世物なのだから、きっとまたあの貴婦人とかいう連中も集まるのだろう。それは別に気にするような話ではない、と貴族たちには言われているが……それでララ=ルウが嫌な気持ちになるのは、俺だって嫌なのだ。俺は誰よりも、ララ=ルウに俺の力を示したいと願っている」


 ララ=ルウは、小さな声で「ありがとう」と言った。

 その海のように青い瞳には涙をたたえたまま、嬉しそうに微笑んでいる。それは、かつてないほど大人びていてやわらかい笑い方だった。


 それで俺はこっそりアイ=ファに手招きをして、敷物のほうにフェードアウトすることにした。これ以上の口をはさむのは、野暮に過ぎるというものであろう。

 そうして敷物のほうでは、ロイたちばかりでなくユーミやテリア=マスの姿があった。


「やあ、やっと来たね。ララ=ルウたちは大丈夫だった?」


「ああ、うん、なんとか話はまとまったみたいだよ」


「それならよかった。ルイアをがっかりさせた分、シン=ルウには幸せになってもらわないとねー」


 悪戯小僧のようにユーミは笑っている。俺がシン=ルウに関心を寄せるのはご遠慮いただきたい、とお願いした真の理由は、これでユーミにも伝わってしまったようだった。

 そんな彼女たちの手には、なかなか美味しそうな肉野菜炒めの皿が携えられている。


「あ、これね、すっごく美味しいよ! ほんとにルウ家の人たちってのは、みんな料理が上手だねー」


 ロイとシリィ=ロウは、やっぱり真剣な面持ちでその料理を食している。俺とアイ=ファも敷物の隅っこに座らせていただいて、ご相伴に預かることにした。


 ごく尋常な肉野菜炒めである。が、タウ油やミャームーに頼りきりであった時代からはずいぶんな進化を遂げ、それにはママリアの酢や砂糖までもが使われていた。

 俺の考案した甘酢あんかけの料理をベースにしているのだろう。ママリア酢の分量は控えめで、けっこう甘みがきいている。さらに、トウガラシのごときチットの実がほんの少しだけ使われており、それが小粋なアクセントになっていた。


 具材はギバのバラ肉と、定番のアリアとティノとネェノンとプラ、それにズッキーニのようなチャンも使われている。ギバの脂はこってりとしているが、瑞々しい野菜たちがそれを緩和しており、とても力強い食べごたえだ。


「本当にどの料理も素晴らしいです。宿場町なら、どの料理でも売りに出せますよ」


 ユーミのかたわらから、テリア=マスもそのように告げてくる。いささか気弱な面のある彼女も、ユーミとともにあれば気圧されずに森辺の宴を楽しめているようだった。


「ほんとだよねー。誰でもいいから、うちの店を手伝ってほしいぐらいだよ! ……城下町では、どうだかわかんないけどさ」


 と、ユーミの目がロイたちを見た。

 シリィ=ロウはつんと顔をそむけ、ロイは「そうだな」とぶっきらぼうに応じる。


「やっぱりピコの葉とチットの実だけじゃ物足りないような気がするけど、酢や砂糖やタウ油の使い方は申し分ない。……正直に言って、何十人もいる女たちの全員がこんな料理を作れるってのは驚きだよ」


「ええ、とにかく森辺の民っていうのは根が真面目ですし、貴重な食材を無駄にするわけにはいかないという意識が強いから、すごく真剣にかまど番の仕事に取り組んでいますよ」


「貴重な食材ったって、お前らは毎日たいそうな銅貨を稼いでるんだろう? 砂糖やママリアの酢ぐらいなら、好きなだけ買えるんじゃねえのか?」


「そうだとしても、根本の部分は変わりません。また、変わってはいけないという気持ちも強いです。銅貨の価値を軽んじるのは、ギバ狩りの仕事を軽んじることにも通じかねないという考え方ですから」


 ロイはちょっと口をつぐみ、楽しそうに同じ料理を口にしている森辺の民の姿を見回した。


「貴重な食材、か。……そういう気持ちでいるから、ヴァルカスはお前たちがどんな食材を持ち帰っても文句を言う気持ちにならないのかもな」


「ヴァルカスは、森辺の民の気持ちなどは知りませんよ」


 ぶすっとした声でシリィ=ロウがそのように言った。


「理想の味を追究するには、試行錯誤が必要です。ヴァルカスはロクでもない料理に食材を使われることを嫌がっているだけであり、試行錯誤のために食材を犠牲にすることを嫌がっているわけではありません。……森辺の民だって、多くの食材を犠牲にする覚悟を持っていれば、さらに料理の質を高めることもかなったのではないでしょうか?」


「でも、そのやり口で挑んでる城下町の料理人の大半は、ヴァルカスに腕前を認められてねえだろう? 要は、覚悟の重さの問題なんじゃねえのかな。食材を無駄にしたくないって気持ちも、ひとつの覚悟なんだろうからさ」


 シリィ=ロウは横目でロイをにらんだが、それ以上は反論しようとせず、ただ料理を食べ続けた。

 そこに、「よー、アスタ」と背後から声をかけられる。

 振り返ると、ルド=ルウとジザ=ルウが立っていた。


「客人たちもそろってんな。ちょうどいいや。親父からの伝言だよ。……あの旅芸人の連中を宴に招いてもかまわねーかな?」


「ギャムレイたちを? どうしてまた?」


 彼らは集落の外で、自分たちの荷車に引きこもったままであったのである。

 目的のギバは捕獲することができたが、日没が迫っていたので、彼らも明朝まで逗留することになっていた。それならいっそ彼らも宴に招いてみては――と俺も内心では思っていたが、きっとドンダ=ルウやジザ=ルウはそれを許さないだろうと思い、大人しく口をつぐんでいたのだ。


「いや、あいつらは分家の男衆をふたりも救ってくれたからよ。シン=ルウやミダの話によると、あいつらがいなかったら、たぶんふたりとも生命はなかったって話なんだ。ルウ家としては恩義を返したいけど、客人や眷族の許しもなくルウ家の都合だけで勝手な真似はできねーだろ? だから今、眷族の家長と客人のところを俺とジザ兄で回ってたんだよ」


 ルド=ルウの背後で、ジザ=ルウもうなずいている。


「眷族の家長や他の客人たちからは、すでに許しをもらっている。あとはそこの4名と、ファの家の人間だけだ。偽りのない気持ちを聞かせてもらいたい」


「……これはルウ家の宴なのだから、主人の意向に逆らうつもりはない」


 アイ=ファが低い声で答え、ルド=ルウは「大丈夫か?」と首を傾げる。


「アイ=ファはあのへにょへにょした男を嫌ってんだろ? 客人同士で騒ぎを起こされたら、俺たちとしても困っちまうんだけどな」


「私のほうに騒ぎを起こす気持ちはない。ただ、向こうにもそうさせないように言葉をそえてもらいたいとは思う」


「それはあのピノという娘に申しつけよう。あの娘ならば、いいように取り計らってくれるはずだ」


 ジザ=ルウの糸のように細い目が、客人たちを見回していく。


「そちらの客人たちは如何か? これはあくまで貴方がたを歓迎する宴であるのだから、貴方がたの気持ちを優先させてもらおうと思う」


 むろん、反対するような人間はいなかった。シリィ=ロウはいくぶん不安げな面持ちであったが、彼女自身も飛び入りで参加を許された身であるので、異議を唱えることなどできないに違いない。


「いいと思うよ! あの人らが芸でもしてくれたら、いっそう宴も盛り上がるじゃん!」


 ユーミなどは、ひとり満面の笑みを浮かべていた。

 ジザ=ルウは内心の読めない面持ちで「うむ」とうなずく。


「では、旅芸人たちを招き入れさせていただく。何かあればルウ家の人間が責任をもって取り押さえるので、安心して宴を楽しんでもらいたい」


 そうして宴の中盤にして、思わぬゲストの参戦が取り決められたのだった。

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