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異世界料理道  作者: EDA
第二十一章 銀の月
375/1705

歓迎の宴①~ご招待~

2016.9/2 更新分 1/1

 明けて翌日、銀の月の10日。

 その日はいよいよ、町の人々を森辺に招いての歓迎の宴であった。


 ルウの集落においては中天から宴の準備に取り組む段取りになっていたが、宿場町に下りている俺たちはいつも通りの平常営業だ。ようやく復活祭の余韻も払拭されてきた宿場町において、俺たちは800食分ていどの料理をさばいていた。


 屋台の数も復活祭の前と同じぐらいに戻ってきていたので、俺たちのスペースもだいぶん南側に引き戻されている。《ギャムレイの一座》の天幕は3日前に撤収され、正面や北側には無人のスペースが広々と空いてしまっていた。


 そんな中、俺たちの商売は順調であった。

 屋台の数も、いまだ5台のままである。従業員も問題なく確保できそうであったので、しばらくはこの形態で商売を敢行する予定でいる。俺が担当する屋台では、相変わらず日替わりのメニューでさまざまな料理を試させていただいていた。


 で、青空食堂ももとの規模のままであるが、平地に屋根を張っただけのスペースは、本日で満期となる。ここを借り受けたのは『暁の日』たる紫の月の22日であったため、2期分、20日間をやりとげた格好になるのだ。それを節目として、俺たちは明日を休業日と定めたのだった。


 宿場町も落ち着きを取り戻したということで、ついに護衛役の姿もなくなった。この場にいるのは、13名のかまど番とスフィラ=ザザのみだ。ルウの眷族の狩人たちはのきなみ森に入り、アイ=ファは家で力を取り戻すための修練を積んでいる。これぐらいの時期から、俺たちはようやく日常に回帰したのだという感覚を得ることがかなっていた。


「とはいえ、新参のわたしはまだこのような生活に身を置いてから半月ていどしか経ってはいません。いまだに気を抜くと目が回るような心地になってしまいます」


 と、無事に商品を売り切って後片付けを始めたところで、フェイ=ベイムがそのように述べてきた。

 ベイムの家は、手伝いを始めるのが一番遅かったのである。しかし、ガズやラッツの女衆にしてみても、手伝いを始めてからまだひと月は経っていない。宿場町の民に対する苦手意識さえ克服してしまえば、フェイ=ベイムの働きっぷりには何の遜色も見られなかった。


 予定通り、彼女たちは日替わりで屋台の仕事を手伝ってくれている。ファの家の屋台ではベイム、ダゴラ、ガズ、ラッツの内から3名、ルウの家の屋台ではレイ、ミン、ムファの内から2名が、それぞれ力を貸してくれているのだ。雨季が訪れて客足に新たな変化が生じるまでは、この体制で商売に取り組む心づもりであった。


「フェイ=ベイムは今日の宴に参加しないのですよね。俺にはそれが、ちょっと残念です」


 俺がそのように述べてみせると、いつもの不機嫌そうな目つきでじろりとにらまれてしまった。


「普通、余所の家の宴などにはそう気安く加われるものではありません。ましてや族長筋のルウ家の宴とあっては、なおさらです。それを許すスドラやディンのほうが、森辺においては風変わりなのですよ」


「ああ、ユン=スドラやトゥール=ディンも収穫祭なんかには参加できませんでしたけど、サウティの集落に逗留することなんかは許されていましたからね。ファの家とつきあいがあると、そういう事態に巻き込まれがち、ということなのでしょう」


「…………」


「ベイムやダゴラともそういうおつきあいができるように、今後ともに励ませてもらいたいと思います」


「何だかその言い様では、悪い道にでも引き込まれてしまいそうです」


 フェイ=ベイムは、ぷいっとそっぽを向いてしまう。

 いささか気難しいところのある彼女とこのように気安い会話ができるようになったのも、俺にとっては大いなる前進であった。


 そこに、北の方角から近づいてくる人影があった。

 この場で待ち合わせをしていた、ミケルとマイムである。


「お待たせいたしました。今日もよろしくお願いいたします、アスタ」


「やあ、どうも。……でも、よろしくするのはルウ家の人たちなんで、ご挨拶はそちらにね」


「あ、失礼いたしました! どうぞよろしくお願いいたします、ララ=ルウにシーラ=ルウ」


 本日のルウ家の当番はその2名であった。アマ・ミン=ルティムも愛想よく挨拶をしているが、ヤミル=レイやツヴァイは素知らぬ顔で片付けを進めている。


「ユーミたちは《キミュスの尻尾亭》ですよね? わたしたちも、そちらに向かっていましょうか?」


「あ、ちょっと待って。申し訳ないけど、まだこの場所で待ち合わせをしている人たちがいるんだ。できればみんな一緒に行動したいかな」


「あ、そうなのですか? でも、ターラたちは自分の荷車で移動するのですよね?」


「うん、今日はあちらも大人数だからね。それとは別口で新しい客人が……あ、あれかな?」


 昼下がりの賑やかな街道であるが、彼らの姿はそれなりに目立っていた。身長からして西の民であることは明白であるのに、東の民のように深々とフードをかぶった男女の二人連れだ。


「ようこそ、お待ちしていましたよ」


「ああ」とうなずいたその内の片方が、フードを外してミケルに向き直る。その姿を見て、ミケルはいぶかしそうに眉をひそめた。


「おひさしぶりです。俺のことを覚えておいでですか、ミケル?」


「最後に顔をあわせてからそれほど時間が経っているわけでもないだろう。俺はそこまで耄碌しておらん」


 愛想の欠片もないミケルの返答に、ロイは苦笑気味の笑みを浮かべる。

 すると、そのかたわらに立っていた小柄な連れが、ロイを押しのけるようにして前に進み出た。


「お初にお目にかかります。かつて《白き衣の乙女亭》で料理長をおつとめになられていたミケルですね? わたしは《銀星堂》の主人ヴァルカスの弟子、シリィ=ロウと申します」


 ミケルはいっそう不機嫌そうな面持ちになり、その姿を上から下までにらみ回した。


「……そのような身なりで挨拶をされても、次にまみえたときに見分けることはできんだろうな」


「あ、も、申し訳ありません。わたしは埃っぽい場所が苦手なもので……のちほど、あらためてご挨拶をさせていただきたく思います」


 シリィ=ロウは、本日も顔の下半分をショールのような織物で隠してしまっていたのだ。それでフードまでかぶっているのだから、確かにこれではどのような顔をしているのかもわからない。

 そんなシリィ=ロウに、マイムのほうが瞳を輝かせながら、ぐいっと詰め寄った。


「あなたはあのヴァルカスのお弟子であった方ですか? どうしてあなたがこのような場所に?」


「それはその……色々と事情があるのです」


 いくぶんかしこまっていたシリィ=ロウの声が、普段通りの気丈そうな響きを帯びる。

 けっきょく彼女たちは昨日の帰りがけに、ルウ家の宴に参席したいという旨をジザ=ルウに申し入れて、それを許される段となったのである。


 やはりシリィ=ロウも森辺のかまど番たちを捨て置けぬと思いなおしたのか、あるいはシーラ=ルウの誠実な物言いにほだされたのか、はたまたロイの熱情に引きずられたのか――実情はいまひとつわからないが、しかし、理由はどうあれ城下町の住人が2名までも森辺の集落を訪れたいと思ってくれたのだから、これは俺にとって快挙とも呼べる出来事であった。


「よし、それでは出発しましょう」


 4名の客人を引き連れて、俺たちは《キミュスの尻尾亭》を目指した。

 そこで待ち受けていたのはユーミとテリア=マス、それに集落から迎えに来てくれていたジドゥラの荷車だ。俺たちは3台の荷車で町に下りてきていたが、14名の森辺の民に6名の客人では容量オーバーなのだった。


「やあ、お疲れさん。誰でもいいから、適当に乗っておくれ」


 そのジドゥラの手綱を握っていたのは、武者姿のバルシャであった。

 ちょっと考えて、ミケルとマイム、ロイとシリィ=ロウのペアはそちらに乗ってもらうことにした。マイムはバルシャと仲良しであるし、ロイたちもミケルらと同行したいだろうと思っての采配だ。


 俺が手綱を取るギルルの荷車には宴に参加するトゥール=ディンとユン=スドラに居残ってもらい、そこにユーミとテリア=マスを招くことにした。残りのメンバーはルウルウとファファの荷車に分かれて、いざ出発だ。


 そうしてルウの集落に到着したのは、およそ二の刻の半。日没には4時間ばかりを残す、定刻通りの帰宅であった。

 すでに集落では、女衆が宴の準備を始めている。広場のあちこちに石組みの簡単なかまどや、かがり火を掲げるための土台を設置して、かなり本格的な仕上がりである。普段の宴と異なるのは、やぐらが組まれていないことぐらいであった。


「それでは、わたしたちはこれで失礼いたします。明日はいつも通り、中天と日没の真ん中あたりでファの家に集まればよいのですね?」


「はい、よろしくお願いします」


 フェイ=ベイムたち3名の女衆は、ファファの荷車でそのまま自分たちの家に戻っていく。

 そのとき、「ひやあ」という頼りなげな悲鳴が響いた。

 俺の聞き間違いでなければ、それはシリィ=ロウの声であるようだった。


「どうしたのですか、シリィ=ロウ?」


 とりあえず荷車はその場に残し、俺は声のあがったほうに足を向けた。

 広場にはもう荷車を乗り入れるスペースもないので、みんな道の端に駐車している。そこから降りたらしいシリィ=ロウは、ぺたりと土の地面にへたりこんでしまっていた。


 で、その前に立ちはだかっていたのは、奇怪な革の仮面をかぶった小男、《ギャムレイの一座》のザンである。

 オランウータンのように長くて逞しい腕を持つザンは、へたりこんでいるシリィ=ロウにぺこりと頭を下げてから、音もなく自分の荷車へと戻っていった。


「いったいどうされましたか……?」


 と、同じ荷車から大男のドガが半身を覗かせ、さらにシリィ=ロウを惑乱させる。そのかたわらに立ったロイも、驚き呆れた様子でドガの姿を見つめ返していた。


「ああ、すみません。こちらは初めてルウの集落にやってきたお客人で――それで、あなたがたのことも初めて目にしたので、ちょっと驚いてしまったようです」


「そうでしたか……」


 ドガは少し迷うようなそぶりを見せてから、やがて荷車の外へと這い出してきた。

 そうすると、2メートルをはるかに超える半裸の大男である。シリィ=ロウはがたがたと震えながら、ロイの足もとに取りすがってしまっていた。


「驚かせてしまって申し訳ありません。わたしどもは、しがない旅芸人でございます。家も持たない卑しき身でありますが、決して町の方々に無法なふるまいを為すことはありませんので、どうぞご容赦を……」


「た、旅芸人? どうしてそのようなものが森辺の集落に……?」


「ゆえあって、こちらに逗留させていただいているのです。お目汚しを失礼いたしました」


 地鳴りのような声でそう述べてから、ドガはのしのしと荷車の中に戻っていった。

 まだ立ち上がることのできないシリィ=ロウとロイたちに、俺も頭を下げてみせる。


「すみません。彼らのことを説明するのを忘れていました。決して危険な人々ではないので、心配しないでくださいね」


「ふん、森辺にはずいぶん愉快な連中も居座ってるんだな。あんな北の民みたいに馬鹿でかい人間は初めて目にしたぜ」


 そのように述べながら、ロイも冷や汗をぬぐっている。

 すると、集落のほうから「どうしました?」という声をかけられた。

 本日は居残り組であった、レイナ=ルウである。シリィ=ロウの悲鳴を聞きつけて、広場から出てきたのだろう。


「ああ、レイナ=ルウ、何でもないよ。ちょっと座員の人たちと出くわしてしまっただけさ」


「そうですか」と言いながら、レイナ=ルウはじっとロイたちの姿を見つめた。

 シリィ=ロウは、まだロイの足もとに取りすがった格好である。


「……ルウの集落にようこそ。宴が始まるのは日が暮れてからですが、かまど番の仕事にご興味があるようでしたら、どうぞ自由にご覧ください」


「ああ、たてこんでるところに押しかけちまって悪かったな」


 それには答えず、レイナ=ルウはつんと顔をそむけてひとり広場のほうに戻っていってしまった。

 シリィ=ロウは、心臓のあたりを押さえながら、ようよう立ち上がる。


「大丈夫ですか? あの人たちは、見た目ほど恐ろしくはないようですよ。みんな、すごい芸を持っていますし」


 と、少し離れたところで様子をうかがっていたマイムが、シリィ=ロウににっこりと笑いかける。

 シリィ=ロウはばつが悪そうにマントの襟をかきあわせながら、俺のほうをじろりとにらみつけてきた。


「不甲斐ない姿を見せてしまいました。でも、いきなりあのような者たちと出くわしたら、誰だって驚かされると思います」


「ふん。俺は腰を抜かしたりはしなかったけどな」


 軽口を叩くロイに、「わたしだって腰など抜かしてはいません!」とシリィ=ロウはいきりたつ。

 立場上はシリィ=ロウのほうが上役であるはずだが、正式な雇用契約が結ばれているわけではないし、ロイのほうが年長ということもあって、なかなか気安い関係性を構築できている様子である。


「……それで、今の御方たちも本日の宴に参席されるのでしょうか……?」


 いくぶん不安そうにシリィ=ロウが問うと、荷車からルウルウを解放していたシーラ=ルウが「いいえ」と返事をしてくれた。


「あの方々も客人ではありますが、交流を深めるために逗留を許しているわけではないので、宴に参席させるつもりはない、とのことでした」


「そうなんですか。せっかくの機会なのに、ちょっと残念ですね」


 もちろんこれは、シリィ=ロウではなく俺の発言である。

 シーラ=ルウは穏やかな表情のまま、「そうですね」とうなずいた。


 やはり、一座の全員がドンダ=ルウからの信頼を得られているわけではない、ということなのだろうか。

 というか、座長のギャムレイがあそこまで胡散臭くなければ、もうちょっと異なる関係性が築けたのではないかと、俺などには思えてしまう。


「それでは集落にご案内いたします。こちらからどうぞ」


 そうして俺たちはシーラ=ルウらの先導で、ようやくルウの集落に踏み入ることになった。

 忙しそうに立ち働く女衆や幼子たちの姿を見回しながら、ユーミは「へえ」と声をあげる。


「すごいね、火の準備もばっちりじゃん! うわー、日が落ちるのが楽しみだなあ」


「ドーラの親父さんたちはまだ来てないみたいだね。さしあたっては、どうしようか?」


「あー、あたしは適当に見回るから放っておいていいよ。その新顔のお客さんらを案内してあげたら?」


 そのように言ってから、ユーミはずいっとシリィ=ロウに詰め寄った。


「ね、そんなシム人みたいな格好で暑苦しくないの? あと、人の家に来て顔を隠しっぱなしってのも、ちょいと礼儀に反するんじゃないかなあ?」


 シリィ=ロウたちについては、顔を合わせた際に「城下町の料理人」とだけ伝えてある。ほとんど初めて相まみえるのであろう石塀の中の住人に対して、ユーミは最初から好奇心と警戒心をむきだしにしていた。


 そんなユーミにやや挑発的な言葉を投げかけられて、シリィ=ロウはちょっとムッとしているような様子である。が、やがて彼女は勢いよくマントのフードをはねのけると、口もとの織物も胸のほうにぐっと引き下げた。


 褐色の髪をアップにまとめて、鳶色の瞳を強くきらめかせた、18歳の少女である。年齢は、たしかユーミのほうが1歳年少であるはずだ。が、身長はユーミのほうがまさっているし、それに彼女はヴィナ=ルウに次ぐぐらいのプロポーションを有してもいるので、あまり年下には見えなかった。


「ふーん、きれいなお顔だね。妙につっぱらかってるから、もっと可愛げのない面がまえなのかと思ってたよ」


「……初対面の相手に容姿をどうこう言われたくはないのですが」


「喧嘩腰なのはそっちじゃん。今日は楽しい宴なんだよ?」


 と、いきなりユーミが信じ難い暴挙に出た。

 シリィ=ロウの顔に手をのばし、その頬を左右から引っ張りあげてしまったのである。


「ほら、にこーっと笑ってさ。ちっとは愛想をふりまかないと」


「痛い痛い! いきなり何をするのですか!」


「そんなしかめっ面じゃあ宴を楽しめないって言ってんの。じゃ、また後でねー」


 ユーミはにっと白い歯を見せるや、テリア=マスの手を取って駆け去ってしまった。


「何なのですか、あの方は! いきなりあんな乱暴な真似をするなんて……!」


「えーっと、たぶん彼女なりに緊張を解きほぐそうとしてくれたのではないでしょうか。あれで根は気立てのいい娘さんなのですよ」


 シリィ=ロウは赤くなった頬を両手でおさえながら、ちょっと涙目になってしまっている。

 確かに城下町ではこのような目にあうこともないのだろう。立て続けにカルチャーショックを受けることになった彼女の行く末が、俺もいささか心配になってきてしまった。


「それではまず、本家に挨拶に参りましょう。そちらのおふたりは、集落に留まる許しを正式にもらわなくてはなりませんので」


 シーラ=ルウに取りなされて、俺たちは広場を歩き始めた。

 ララ=ルウはあんまりロイたちの来訪には関心がないようで、さきほどからずっと静かである。昨日の城下町における顛末が、ララ=ルウにはどのように伝わっているのか。俺としても気になるところではあったのだが、なかなか会話に出す機会が訪れないのだった。


「ミーア・レイ=ルウは、きっとかまどの間でしょう。こちらにどうぞ」


 そんなわけで、案内役はシーラ=ルウである。アマ・ミン=ルティムやヤミル=レイたちは途中で別れて、仕事に励む同胞らと合流したので、こちらはシーラ=ルウとララ=ルウ、俺とトゥール=ディンとユン=スドラ、そして4名の客人から成る9名連れであった。


 家の裏に3頭のトトスをつなぎ、そのままかまどの間へと向かう。シーラ=ルウの予想通り、ミーア・レイ母さんはそこにいた。レイナ=ルウやティト・ミン婆さんとともに、かまど番の仕事を取りしきっていたようだ。


「やあ、帰ったんだね、ララ。アスタたちもお疲れさん。……そして、ようこそルウの家に、お客人がた」


 普段通り、ミーア・レイ母さんは大らかに笑っている。その場に集まっていた分家や眷族の女衆も、初のお目見えとなるロイとシリィ=ロウに物珍しげな視線を向けていた。


「あたしはルウの家で女衆を束ねているミーア・レイ=ルウってもんだよ。いちおう名前を確認させてもらえるかい?」


「俺はジェノスの民、ロイというものだ」


「わたしは、シリィ=ロウと申します」


「うん、昨日はうちの家族がお世話になったね。うちの意固地な長兄も、あんたがたの料理にはなかなか感心させられたようだよ」


 どのような態度を取るか決めかねている様子で、ロイは頭をかいている。


「俺はただの調理助手で、厨番の仕事を果たしたのはこのシリィ=ロウだ。……それよりも、今日は突然の申し出を聞き入れてもらえて、感謝しているよ」


「うん、集落に来たいなんていう町の人間はそうそういないからね。他のお客らと同様に、楽しんでもらえれば何よりさ」


 そのように言いながら、ミーア・レイ母さんはいっそう朗らかに微笑んだ。


「あんたがたは、初めて森辺の集落にやってきたんだろう? どうだね、感想は?」


「本当に森の中なので驚かされた。……でも、なかなか立派なかまどを使っているみたいだな」


 そのように述べるロイは、すでにかまどの間の内側へと関心が向いているようだった。それに気づいたミーア・レイ母さんは、にっこり笑って入口から身を引いた。


「あんたがたは、かまど番の仕事っぷりに興味があるそうだね。何も大したもんじゃあないけど、気の済むまで見物していっておくれ」


 かまどの間では、おもに汁物料理の準備が進められているようだった。屋内の5つのかまどにはすべて巨大な鉄鍋が載せられて、白い煙をあげている。肉と野菜を煮込んで出汁を取っているさなかなのだろう。


「……こちらでは、後で使う肉を切り分けています。まだ下準備の段階ですので、あなたがたの好奇心を満たすことはできないかもしれませんね」


 普段よりも少しだけ硬い声音でレイナ=ルウがそのように告げると、「そんなことはねえだろう」とロイが返した。


「料理で一番大事なのは、その下準備だ。お前だって、そんなことぐらいはとっくにわかってるんだろ?」


「…………」


「肉の切り方ひとつ取っても、きちんと基本を守ってるのがわかるよ。これはアスタが手ほどきをしたのか?」


「はい。俺が本家の人たちに手ほどきをして、それを彼女たちが分家や眷族の人たちに教え広めたという格好ですね」


 その場には、あまり見覚えのない女衆もいた。きっと宴に参加する眷族の女衆だろう。本日は男女あわせて20名強の眷族も集まるのである。


「ちょっと刀を見せてもらうぜ? ……ふん、ずいぶん安物みたいだけど、研ぎ方は申し分ないな」


 壁に掛かった肉切り刀を取り上げて、ロイはそのように寸評した。

 確かに森辺では俺以外に高額な調理刀を買おうとする人間はいなかったし、その反面、狩人にとっても刀というのは重要なアイテムであるので、手入れの仕方には抜かりがないはずであった。


 それからしばらく、ロイたちは無言で女衆の働きっぷりを見守っていた。

 肉を切ったり、かまどに薪を放り入れたり、水を足したり、灰汁を取ったり――という、ごく尋常な下準備の様相である。しかし、それを見つめるロイとシリィ=ロウの眼差しは、きわめて真剣であるように感じられた。


「そんな風に眺めてるだけで、楽しいのかい?」


 やがてミーア・レイ母さんが笑いながらそのように問いかけると、ロイは「ああ」とうなずいた。


「楽しいっていうのとはちょっと違うけどな。興味深く拝見させてもらってるよ」


「それならいいんだけどねえ。……ああ、レイナ、そろそろあっちの準備を始める頃合いじゃないのかい?」


「うん、そうだね。それじゃあ行ってくるよ」


 レイナ=ルウがロイの脇をすり抜けようとしたので、彼は「どこに行くんだ?」と問い質した。


「……広場でギバの丸焼きに取りかかる時間なので、わたしが手ほどきをしに行くのです」


「へえ、できればそいつも見物させていただきたいな」


 ということで、俺たちもぞろぞろと移動することになった。

 それと同じタイミングで、別の家から2頭のギバを担いだ女衆がわらわらと姿を現す。広場の中央には儀式の火のための薪が高々と積みあげられており、その左右に組まれた簡易式のかまどによって、ギバの丸焼きは調理されるようだった。


「これがギバなのか。けっこう小さいんだな」


「……これは、子供のギバなのです」


 それでも、内臓を抜いた状態で40キロぐらいはありそうであった。皮は剥がさずに毛だけを焼き、腹には野菜が詰め込まれている。そんな子ギバが2頭、口から尻までを巨大な鉄串でつらぬかれて、かまどの上に掲げられていた。


「これから焼きあげるとなると、日没にはちょっと間に合わないんじゃないかな?」


 俺の言葉に「ええ」とうなずいたのは、レイナ=ルウではなくシーラ=ルウであった。


「ギバの丸焼きを出すと、みんな一斉に群がってしまうので、これは宴が始まって少し経ってから出すつもりでいるのです。他の料理をひと通り口にしたあたりで焼きあがれば、ちょうどいいのではないでしょうか」


「へえ、そこまで計算しているのですね。ちょっとすごいです」


「考えたのは、レイナ=ルウですよ」


 そのレイナ=ルウは、分家の女衆に火加減を教え込んでいる。ロイたちがいるためか、さきほどからずいぶん気を張っている様子である。


「それにしても、子供のギバが2頭も取れたのですね。これを無傷で《ギャムレイの一座》の方々に引き渡すことはできなかったんですか?」


「はい。このギバでもまだ育ちすぎている、という話でした」


「え? これより幼いギバを生け捕りにすることなんてできるのでしょうかね? 生け捕りじゃなくても、俺はこれより小さいギバなんて見たこともないのですが」


「そうですね。ちょっと難しいのではないでしょうか」


 俺たちのやりとりに、またロイが「何の話だ?」と口をはさんでくる。


「いえ、さきほどの旅芸人の方々は、幼いギバを生け捕りにしたくてルウの集落に留まっているのですよ。それで何人かのお仲間が、狩人と一緒に森に入っているわけですね」


「ギバを生け捕りに? カロンみたいに牧場で育てるつもりなのか?」


「いやいや、彼らは旅芸人ですから、ギバに芸を仕込もうとしているんですよ。芸が無理でも、珍しい動物というのは余所で見世物にできるのでしょう」


「何だ、つまんねえな。ギバってのはあれだけ上等な食材なんだから、人間の手で育てて売りに出せば、今以上に銅貨を稼ぐことができるんじゃねえのか?」


 この言葉には、レイナ=ルウが反発した。


「わたしたちは、森で生きるためにギバを狩っているのです。ギバは畑を荒らす危険な獣なのですから、人間に飼い慣らすことなどできるとは思えません」


「ふーん? だけどカロンだって、もとは野生の獣だったんだぜ? 畑を荒らすかどうかは知らねえけど、人間を角で突き殺す危険な獣だったはずだ。……というか、今でも大陸のどこかでは野生のカロンが暴れてるんじゃねえのかな」


 レイナ=ルウは、びっくりしたように目を見開く。


「お前らは、カロンの牧場を見てきたんだよな? ダバッグのカロンには角なんて生えちゃいなかっただろう? あれは角の小さな個体をかけあわせて、ああいうカロンを作りあげたんだよ。それでもたまには角が生えてきちまうみたいだけど、それは子供の頃にぶった切っちまうって話だ」


「それでは……角や牙のない、大人しいギバを作ることも可能、ということですか……?」


「いや、そんな風に作り変えるには何年だか何十年だかの時間がかかるんだろうけどな。いずれギバの数が足りなくなってきちまったら、そうやって増やす方法はあるってこった」


「モルガの森は広いのですから、ギバを狩り尽くすことなどできるとは思えません。それに……そうして人間に育てられたギバは、もうギバではなく別の獣なのだと思います」


 ギバというのは同じ森の子である、という考えである森辺の民には、ギバを畜獣として育てるなどという話はなかなか容認し難いのだろう。レイナ=ルウの困惑しきった顔を見て、ロイはぼりぼりと頭をかいた。


「別に、思いつきで話しただけなんだからさ。そんな深刻ぶることはねえだろうよ」


「深刻ぶってなどいません」


 レイナ=ルウは、またぷいっと顔をそむけてしまう。

 やはりロイが相手だと、レイナ=ルウはペースを乱されることが多いらしい。

 そんな中、じりじりと焼かれるギバの姿を見守っていたシリィ=ロウが、「あの」とぶっきらぼうな声をあげる。


「この場では、もう見るべきものもないようです。よろしければ、また別の厨を拝見させてはいただけませんか?」


「そうですね。では、わたしの家に参りましょうか。そちらでは、リミ=ルウが菓子の準備を始めているはずです」


 シーラ=ルウが微笑みながら、そのように発言した。

 そのとき、広場の一角から黄色い悲鳴が響いてきた。


 そちらを振り返った俺たちは、愕然と立ちすくむ。その中で、シリィ=ロウは森辺の女衆よりも派手な悲鳴をほとばしらせて、かたわらのロイに取りすがることになった。


 集落の入口に、異形の影が立ち並んでいる。

 それは、森に入っているはずの3頭の獣たち――アルグラの銀獅子とガージェの豹、それにヴァムダの黒猿であった。


 眷族の女衆は、それらの獣を初めて目にすることになったのだ。

 だが、彼女たちを驚かせたのは、そればかりが理由ではなかった。獣たちの中でもとりわけ恐ろしげな姿をした黒猿の肩に、血まみれの人間が担がれていたのである。

 広場の中央あたりにたたずんでいる俺たちにも、それが森辺の狩人であるということはひと目で知れた。


「大丈夫だ! 何も恐れることはない! 誰か、手当の準備をしてくれ!」


 と、獣たちの合間をぬって姿を現した別の狩人が、大きな声でそのように告げた。

 それがシン=ルウだと気づいたララ=ルウは、無言のままでそちらに走りだす。


「俺もちょっと行ってくるよ。客人たちをよろしく」


 レイナ=ルウらに言い置いて、俺もララ=ルウの後を追いかけた。

 その間に、他の人影も広場に足を踏み入れてくる。それはピノたち《ギャムレイの一座》の4名と、それに、黒猿と同じように負傷者を担いだミダの姿であった。


「シン=ルウ、大丈夫!?」


 走ってきた勢いのまま、ララ=ルウがシン=ルウに飛びついた。

 シン=ルウはいくぶん虚をつかれた様子であったが、「ああ」とうなずき返す。


「分家の男衆が2名、手傷を負った。だけど、数日もすればまた森に出られるようになるだろう。……あの者たちが、窮地を救ってくれたのでな」


「最後の最後でお役に立てて何よりですよォ」


 そのように答えたのは、ピノであった。

 黒猿とミダに担がれた狩人たちは苦悶のうめき声をあげていたが、残りのメンバーに怪我はないようだ。ロロは何やら土まみれで髪もほどけてしまっていたが、へらへらと力なく笑っていたし、フードつきマントで姿を隠したゼッタは、獣のように金色の瞳を燃やしている。


 そして、シャントゥの胸には小さな小さな子供のギバが抱かれていた。

 こんなに小さなギバは見たことがない。体長は30センチていどの、生まれたてではないのかと思えるぐらい小さなギバであった。


「そちらの方々をお助けした後、集落に向かっている途中で、このギバが川を流れてきたのです。きっと母親とはぐれて、川に落ちてしまったのでしょう。無理に親と引き離すことなく、赤子のギバを手に入れることができました。……これこそ、我々の望んでいた授かりものです」


 シャントゥは、その小さくて丸っこいギバを愛おしそうに抱きながら、笑顔でそのように述べていた。

 かくして《ギャムレイの一座》は目的の存在を手中にして、今日を最後にジェノスを出立することがここに決定されたのだった。

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