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異世界料理道  作者: EDA
第二十一章 銀の月
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和解の会食④~狩人と貴族~

2016.9/1 更新分 1/1

「何だ、お前は料理を作らないのかよ?」


 てきぱきと働くレイナ=ルウたちを横目に、ロイが俺に文句をつけてきた。


「ああ、はい。今日は俺が調理助手なんですよ。今日の主賓はあくまでルウ家の人たちなので、料理もそちらにまかせるべきかなと思って。……あと、オディフィア姫が所望しているのはトゥール=ディンのお菓子なので、俺はその仕事を手伝わせていただこうかなと」


「ふん、こんな場では自分が動く必要もないってか? すっかり大御所気取りだな」


「そんなつもりはないですってば。不必要な場面で出しゃばらないように心がけているだけです」


 そんな会話をしている間にも、着々と料理は仕上がっていく。

 レイナ=ルウたちは肉料理を、トゥール=ディンは甘い菓子を作っているので、厨には実に錯綜した香りが満ちることになった。


「アスタ、味見をしていただけますか? 肉を漬け込んでからずいぶん時間が経ってしまったので、そのぶん最後にかける汁の量を減らしてみたのですが」


「はいはい、了解です。……うん、いいんじゃないですか? これなら問題なく屋台でも出せますよ」


 レイナ=ルウとシーラ=ルウが準備しているのは、ショウガのような風味を持つケルの根を使ってグレードアップさせた『ミャームー焼き』であった。

 添え物として、ティノとアリアとネェノンの生野菜サラダも準備している。ドレッシングも、彼女たちなりに配合を突きつめた仕上がりだ。


 トゥール=ディンは、ギギの葉を駆使した焼き菓子である。

 ココア風味にした生地には白いクリームを載せ、普通の生地にはココア風味のクリームを載せている。生地に使われているのはポイタンで、これもトゥール=ディンの得意であった焼き菓子をギギの葉で彩った逸品であった。


「ケルの根やギギの葉を使っているのですね。4日前に初めて知った食材をこのような場で使うなどというのは、あまりに無謀なのではないですか?」


 ちょっと離れた場所からこちらの様子をうかがっていたシリィ=ロウがそのように言いたててきた。

 レイナ=ルウたちが無言なので、俺が答えることにする。


「あの場でも言いましたけど、俺の故郷には似たような食材があったんです。だからまあ、その感覚で既存の料理に取り入れてみたのですよ」


「しかし、料理を仕上げているのはあなたではありません。いくら手ほどきを受けたと言っても、よほどの腕前がなければまともな味に仕上げることはかなわないでしょう」


「それなら、この料理の出来栄えは彼女たちの功績に他ならないということですね」


 トゥール=ディンの菓子は言うに及ばず、レイナ=ルウたちのこしらえた『ミャームー焼き』だって、俺の作るものと遜色は感じられなかった。

 彼女たちは何ヶ月もの間、数えきれないぐらいの数量の『ミャームー焼き』をこしらえてきたのだ。そこまで土台がしっかり完成していれば、たとえケルの根がどんなに強い味の食材でも、扱いに困ることはなかっただろう。


 そしてトゥール=ディンに至っては、現状でも俺より上等な菓子を作ることが可能である。ギギの葉の使い道を俺が指導したのは2日前であるのだが、その日と昨日の修練だけで、トゥール=ディンはギギの葉と砂糖とカロン乳の配合を一段階レベルアップさせていた。この調子でいけばもっと質を高めることも可能であろうが、現段階でもみんなにお披露目するのに不都合はないはずであった。


「まあ、だまされたと思って味見をしてみてください。少なくとも、俺には何の不満もない出来栄えですよ」


 食材は多めに持ち込んできていたし、レイナ=ルウらもシリィ=ロウたちに試食をしてもらうことを望んでいた。陶磁の小皿に載せられた肉料理と焼き菓子を前に、シリィ=ロウはしぶしぶフォーク型の食器を取る。


 数秒後、その面は驚きの表情にひきつることになった。

 同じように『ミャームー焼き』から手をつけたロイも「ははあ」とうなり声をあげている。


「こいつはまったく文句のつけようもない仕上がりだな。ミャームーとケルの根がこんなに合うとは思ってもみなかったぜ」


「そうですか。まあ、どちらも味や香りが強いですからね」


「ふん。しかも、以前に宿場町で出していた料理より、味が落ち着いたみたいだな?」


 ロイの問いかけに、レイナ=ルウは「ええ」とうなずく。


「宿場町の民や旅人たちは、森辺の民よりも強い味付けを好んでいるようであったので、わたしたちもそのように作っていたのですが……わたしはできるだけ、森辺の民たる自分が一番美味と思えるような料理を売っていきたい、と思うようになったのです」


「ふうん? ま、宿場町の連中の好みなんて俺にはわからねえけどよ。たった赤銅貨2枚かそこらでこの料理に文句をつけるやつがいたら、そいつはセルヴァに怒りの雷を落とされるだろうな」


「……あなたの口にも、その料理は合いましたか?」


「あん? だから文句のつけようもないって言ってんだろ。どうしてたった4日ばかりでケルの根みたいに厄介な食材をこうまで見事に使いこなすことができるんだよ」


 レイナ=ルウは、何やらほっとした様子で息をついている。

 その姿を見て、俺も少しばかり加勢したくなってしまった。


「実は、俺がレイナ=ルウたちにケルの根の使い方を伝授したのは2日前のことなのですよね。最初の2日は、そんな時間も取れなかったので」


「2日前……」とつぶやいたのはシリィ=ロウであった。

 その瞳には、対抗心よりも強く困惑の光が渦巻いている。レイナ=ルウたちの対応力には俺だって驚かされていたのだから、彼女たちにはそれ以上に衝撃的であるはずであった。


「何だ、こっちの菓子もずいぶん念入りに仕上げられてやがるな。この風味がギギの葉なのか?」


「あ、はい。そちらもなかなかのものでしょう?」


「ふん。このカロン乳の脂分を泡立てるのは、確かにお前のやり口だな。そいつにギギの葉と砂糖を加えたのか」


 トゥール=ディンのこしらえた菓子は、まず見た目からして素晴らしい。ココア色の生地には白いクリームが、黄白色の生地にはココア色のクリームが映えている。

 そしてまた、ギギの葉の苦みと、砂糖の甘さと、カロン乳のまろやかさのバランスが秀逸である。リミ=ルウのチャッチ餅も素晴らしい出来であったし、本当に彼女たちの菓子作りにおけるセンスや才覚というのは並々ならぬものであった。


「あんたは菓子作りが得意なんだろう、シリィ=ロウ? あんたなら、俺よりもいっそう正しい評価を下せるんじゃねえのか?」


 ロイにそのようにうながされても、シリィ=ロウは小さく肩を震わせるばかりで何も答えようとしなかった。

 そんなシリィ=ロウの様子を見て、ロイは肩をすくめる。


「おい、アスタ。シリィ=ロウに聞いたんだけど、明日、町の人間を森辺の集落に招くんだって?」


「え? ああ、はい、そうですよ」


「それで、町の人間に森辺の民が料理をふるまうのか?」


「ええ、明日は親睦の宴なんですよ。太陽神の復活祭では俺たちがダレイムでの宴にまぜてもらっていたので、そのお返しみたいなものですね」


「そうか。……そこに俺がまぎれこむことはできるのか?」


 その言葉には全員が驚かされたが、真っ先にそれを表明したのは他ならぬシリィ=ロウであった。


「あ、あなたは何を言っているのですか? 貴重な休日にそのような真似をしてどうしようというのです?」


「休日だからこそ、だろ。めったにない休日にそんな会合が行われるなんて、こいつはセルヴァの思し召しってやつなんじゃねえのか?」


 そう言って、またロイはひとつ肩をすくめた。


「言っただろ? 俺は森辺の民の腕前に打ちのめされて、ヴァルカスに弟子入りを申し入れたんだってさ。これほどの料理を作る連中が、どんな場所で、どんな道具を使って、どんな具合に料理を仕上げているのか、俺には気になってしかたがねえんだよ」


「だ、だからといって……」


「あんたは気にならねえのか? 森辺の民ってのは、ほんの数ヶ月前までフワノを焼くことすら知らなかったって話なんだぜ? そんな連中が、貴族に出しても恥ずかしくない料理を作れるぐらいの腕を身につけたんだ。俺には、とうてい見過ごせないね」


 シリィ=ロウは、唇を噛んで黙り込んでしまう。

 その姿を横目で見ながら、ロイはぼりぼりと頭をかいた。


「別にあんたにまでつきあえとは言ってねえよ。俺が休日に何をしようと勝手だろ? 別に正式に雇われてるわけでもねえんだし。……で、どうなんだよ、アスタ?」


「えーっとですね、その宴を取り仕切っているのは族長筋のルウ家なのですよ。ですから、客人を増やすにはルウ家の承諾が必要になるのですが……」


 俺が視線を差し向けると、レイナ=ルウはひどく戸惑った目つきでロイのことを見返した。


「あなたが集落への来訪を願うのですか? 城下町の民たるあなたが?」


「別におかしな話じゃねえだろ。森辺の民だって、こうしてちょいちょい城下町にやってきてるんだからよ」


 言いながら、ロイは珍しくも少し気まずそうな顔をした。


「お前はそのルウ家ってところの娘なんだよな? 俺なんざを集落に招くのは気が進まねえだろうけど、何とか許しちゃもらえねえか? 決して冷やかし半分の気持ちではねえからさ」


 レイナ=ルウは困り果てたように俺とシーラ=ルウの顔を見比べた。

 シーラ=ルウは、それをなだめるように微笑んでいる。


「わたしは特に拒む理由もないように思います。というか、今日はジザ=ルウもこの場におもむいてきているのですから、そちらに判断をゆだねるべきではないでしょうか?」


「うん、それはそうなんだけど……」


「城下町の民が森辺の集落におもむきたいなどというのは、驚くべき話でしょう。それがわたしたちの料理によって喚起された思いであるというのなら、わたしはとても誇らしく思います」


 そのように述べてから、同じ表情でシーラ=ルウはシリィ=ロウのほうを見た。


「あなたは、いかがですか? ヴァルカスの弟子たるあなたまでもが同じ気持ちであるのなら、わたしはなおさら誇らしいです」


「ど、どうしてわたしがそのようにあやしげな会合に……!」


「あやしげではありません。わたしたちは、町の人間と正しい縁を結びたいと願っているのです。……それに、ギバを使わずにあれほど森辺の民を喜ばせることのできるあなたのことを、わたしはヴァルカスと同じかそれ以上に得難く思っています。そんなあなたと友になることができたら、それにまさる喜びはありません」


 それはきっと、シーラ=ルウの心からの言葉であったのだろう。さしものシリィ=ロウも憎まれ口を叩くことはできず、目を白黒とさせてしまっている。


「族長の代理としてこの場におもむいているジザ=ルウも、あなたたちのことを拒んだりはしないと思います。よかったら、会食が終わるまでにお考えください」


「…………」


「それでは、そろそろあちらに戻りませんか? せっかくの料理が冷めてしまいますし」


「ああ、そうですね」


 ということで、俺たちはシリィ=ロウとロイをその場に残し、会食の間へと帰還することになった。

 レイナ=ルウとシリィ=ロウが気持ちを乱してしまっている中、すっかりシーラ=ルウにまとめられてしまった格好である。この際には、シーラ=ルウのように落ち着いていて、なおかつ誠意にあふれた人柄が何よりも有効であったのだろう。シリィ=ロウを怒らせるばかりである俺には、とうていかなわない芸当だ。


 そうしてみんなの元に戻ってみると、彼らは酒盃を傾けながら談笑のさなかであった。当主のルイドロスと、それにポルアースやエウリフィアが先導して場を盛り上げていたらしい。リーハイムやレイリスの様子に変わりはなかったが、とりあえずおかしな方向に会話が流れなかったのなら幸いであった。


「お待たせいたしました。ケルの根とミャームーを使ったギバの焼き肉料理です」


 レイナ=ルウの声とともに、小姓たちが料理を取り分けていく。

 香り高い『ミャームー焼き』を前に、ルイドロスは「ほほう」と感心したような声をあげた。


「これは素晴らしい香りだ。ケルの根というのは聞き覚えのない食材であるようだが……」


「ケルの根は、ジャガルの商人から持ち込まれた食材でありますよ。僕もまだ口にしたことはなかったので、さっそく味わえるとは思いもしませんでした」


 ポルアースは嬉しそうに言い、真っ先にフォークとナイフを手に取った。

 そうして切り分けた『ミャームー焼き』を口にするや、その丸っこい顔に至福の表情が浮かびあがる。


「ううん、これは美味だねえ。やはりカロンやギャマにも負けない味わいだ。さっきはあのように言ったけれど、僕も城下町で気軽にギバを食べられる日が来るのが待ち遠しいよ」


「あら、本当ね。これはアスタでなく、ルウ家の方々の料理なの?」


 エウリフィアの問いに、レイナ=ルウは「はい」とうなずく。


「アスタに手ほどきを受けて、わたしとシーラ=ルウが仕上げました。今後は宿場町でこの料理を売っていこうかと考えています」


「素晴らしいわ。リーハイムも、あなたの美しさにばかり心をとらわれたというわけではないようね」


「うむ。これならば我が家の厨番を任せることも可能だろう。しかしそれはかなわぬ願いであるので、我が家の料理人たちに奮起してもらう他ないがな」


 いくぶん慌てた様子でルイドロスが口をはさみ、人の悪いエウリフィアはくすくすと笑う。

 そしてその正面では、ルド=ルウも「あー美味いなー」と笑顔になっていた。


「さっきの料理も美味かったけど、やっぱギバの料理を食べるとほっとするよな」


「あら、あなた、ずいぶん可愛らしい顔で笑うのね」


 と、エウリフィアの矛先はルド=ルウにまで向けられる。


「ずっと以前から思っていたけれど、森辺の民というのは男女問わず、見目が整っているのよね。シム人のようにすらりとしているのに、ジャガル人のようにくっきりとした目鼻立ちをしていて……とても力強いのに、とても優美だわ」


「優美だの可愛いだの言われて喜ぶ男衆はいねーよ。……って、あんたにこんな口を叩いたら叱られちまうのかな」


「かまわないわ。わたくしは望んであなたたちと言葉を交わしているのだから」


 そのように述べながら、エウリフィアは上座のほうにも視線を差し向ける。


「そもそもそちらのシン=ルウという狩人が剣術の試合で招かれたのは、ベスタ姫やセランジュ姫がそれを望んだからなのよね? それでリーハイムはレイナ=ルウにご執心であったし、わたくしの娘オディフィアは、トゥール=ディンの菓子に夢中だわ。そのように考えたら、森辺の民には外面も中身も魅力的な人間が多いために、あれこれいざこざが絶えなかった、とも言えるのじゃないかしら」


「そうですね。だから僕たちも、森辺の民と正しい縁を紡げるように考えを深めるべきなのでしょう」


 ポルアースも、うんうんとうなずいている。

 そのとき、「あの」という硬い声が響きわたった。

 思わず俺が振り向いてしまったのは、それがシン=ルウのあげた声であったためであった。


「俺も貴族に対してどのような口をきくべきか、あまりわかっているとはいえない。それでも、ひとつだけ聞いてほしいことがあるのだが……」


「何だね? このような場で言葉を飾る必要はない。何でも思いのままに述べていただこう」


 そのように述べるルイドロスは、いささか緊張気味の表情をしていた。ゲイマロスの策謀で窮地に立たされた当人であるシン=ルウは、ルイドロスにとってもっとも気を使うべき相手であるのだろう。

 シン=ルウはうなずき、言葉を重ねる。


「狩人としての力量を見込まれて剣術の試合に招かれたのは、俺にとって忌避すべきことではなかった。しかし……若い娘たちを喜ばせるために、というのは……今後、ひかえてもらいたく思う」


「あら、別にあの娘たちはあなたを召しかかえたいとまで思っているわけではないのよ? 優美な騎士には花を捧げたいという、せいぜいそれぐらいの気持ちであるのだから」


「しかし俺は騎士でなく森辺の狩人であるし……森辺の民というのは、伴侶に迎えるつもりもない相手とは、その、礼節のある距離を保つべきだと思う」


 言いながら、シン=ルウは少し頬を赤らめてしまっていた。

 きっとシン=ルウは、ララ=ルウのために精一杯、慣れぬ言葉を述べているのだ。


「なるほど、森辺の民というのは、とりわけ男女の仲というものに敏感であるようね」


 ルイドロスが言いよどんでいるうちに、エウリフィアがぽんぽんと言葉を放つ。


「そこのあたりの考え方の違いが、このたびの騒ぎの根っこにあるのじゃないかしら? ジザ=ルウも、とりわけレイナ=ルウの身を案じているようだったしね」


「むろん、伴侶を得て子を生すというのは何より神聖な行いなのだから、男女の仲というものは決して軽んずることができないだろう。貴族というのも、同じように血筋というものを重んじているのではないだろうか?」


「それはもちろんその通りだけど……と、これ以上の発言は貴婦人としてのつつしみに欠けてしまうかしらね」


 そんな風に言いながら、エウリフィアは貴婦人らしからぬ仕草で小さく舌を出した。

 その冷徹なる伴侶が、ひさかたぶりに口を開く。


「森辺の狩人シン=ルウよ、剣士として城下町に招かれるのは忌避すべきことではなかったというのは、真情か?」


「ああ、俺は剣士でなく、狩人だが」


「しかし貴殿は、ゲイマロスを一撃で退けるほどの剣技を有していた。そのような剣士は、ジェノスの騎士にも何人とは存在しないはずだ」


 そうしてメルフリードの灰色の瞳は、ジザ=ルウのほうへと差し向けられた。


「森辺の族長の代理人たるジザ=ルウよ、貴殿にひとつ申し出たい儀がある」


「うむ、何であろうか?」


 ジザ=ルウとメルフリードがここまで正面から口をきく姿を見るのは初めてであるような気がした。

 何とはなしに、俺まで緊張してきてしまう。


「森辺の狩人を、剣技の大会に招きたい。そうして貴殿らの力量を、ジェノスに広く知らしめてはもらえないだろうか?」


「何故、俺たちにそのような真似を?」


「理由は二つ……いや、三つか。まず、このジェノスは平和な地であるゆえに、力ある剣士が育ちにくい。それゆえに、叱咤の意味も込めて、剣技の大会においては広く門を開いている。傭兵くずれのならず者でも、町への出入りを禁じられるほどの罪人ではない限り、その大会には出場することがかなうのだ」


「ふむ」


「そのようなならず者に剣技で負けては、ジェノスの騎士の名がすたる。そのような思いで、ジェノスの騎士たちは日々、剣の腕を磨いているということだ。そこで類いまれなる力量を持つ森辺の狩人にも加わってもらえれば、ジェノスの騎士たちにいっそうの発奮をうながすことがかなうだろう。それが、理由のひとつ目となる」


 そうしてメルフリードは、ずっと静かにしているレイリスのほうに目をやった。


「もうひとつは、そこのレイリスのやるかたない思いを晴らすため。おそらくレイリスは、その身で森辺の狩人の力を思い知らされぬ限り、惰弱なる父親を許すこともかなわないだろう。どうして父ゲイマロスがそこまで森辺の狩人を恐れたのか、レイリスはそれを正しく知るべきであるように思う」


 レイリスは無言のまま、燃えるような目でメルフリードとジザ=ルウ、そしてシン=ルウの姿を見比べた。


「それらはいずれも我らの都合だ。貴殿らには肯んずる理由もないだろう。しかしこれは、貴殿らにとっても益のない話ではないと思う」


「それが三つ目の理由か。聞かせていただこう」


「三つ目の理由は、森辺の狩人の力をいま一度正しく知らしめるためだ。さきほどルイドロス卿が述べた通り、若い人間には森辺の狩人の力量というものが正しくは伝わっていない。そしてそれは、ジェノスを訪れる余所の土地の人間にしても同じことだ。そうであるからこそ、貴殿らは復活祭の折に大勢の護衛役を町に下ろすことになったのであろう? これが30年前であれば、どのようなならず者でも森辺の民にちょっかいを出そうなどとは考えもしなかったはずだ」


「ふむ……30年前には大いなる罪とともにそれを知らしめる結果になってしまったが、今度はそれを正しい手段で知らしめるべき、ということか」


「その通りだ。しかも我々は現在、モルガの森に道を切り開こうという話を進めている。それが実現したならば、森辺の集落のすぐそばを、大勢の旅人が通りすぎていくことになるのだ。その際に、森辺の狩人の力が侮られていたならば、また不幸な事件が起きぬとも限らぬだろう。私には、その一点がかねてより気にかかっていたのだ」


 まったく表情は動かさぬまま、メルフリードはそのように言葉を継いでいった。


「30年前の悲劇を繰り返してはならない。そのためにも、森辺の民はもうひとたび、その力を世に知らしめるべきだと思う。それが私の偽らざる気持ちだ」


「では、森辺の狩人がその大会とやらでいくら勝ち抜いてしまってもかまわない、と?」


「むしろ、勝ち抜かなくてはならない。そして、貴殿らであれば、何の苦もなく勝ち抜けるはずだ。前回の大会では私が剣王としての称号を得ることになったが……私でも、そこのシン=ルウとは五分の勝負ができるか否か、という見立てであるからな」


 アイ=ファの見立てでも、シン=ルウはメルフリードと五分の実力ではないか、という話であった。

 しんと静まりかえった室の中で、ジザ=ルウは「なるほど」とうなずいた。


「貴方の言葉はしかと受け取った。これはルウ家のみならずザザ家とサウティ家の了承も必要となる話であるので、森辺に持ち帰らせていただく。それでかまわぬか?」


「無論。よき返事を期待したい」


 すると、母親ごしに娘が父親の冷徹なる横顔を覗き込んだ。


「とうさま、おはなしはおわった? もうトゥール=ディンのおかしをたべてもいい?」


「ああ、すまなかったな。せめて会食が終わってから始めるべき話であった。ルイドロス卿にも客人がたにも謝罪させていただきたい」


 あくまでも堅苦しいメルフリードの言葉とともに、ようやく小姓たちによってトゥール=ディンの菓子が配膳される。

 時間が経ってしまったので、いくぶんクリームがへたれてしまっていたが、それでもオディフィアは瞳を輝かせていた。


「これは素敵な仕上がりね。またポイタンが使われているのかしら?」


「は、はい。それに、シムのギギの葉というものを使ってみました」


 トゥール=ディンは、おどおどと礼をする。

 オディフィアは待ちきれない様子で食器を取り、口もとをクリームだらけにしながら、焼き菓子にかじりついた。

 そうしてもにゅもにゅと口を動かしながら、トゥール=ディンのほうを振り返る。


「すごくおいしい」


「あ、ありがとうございます」


 どんなに美味しくても、オディフィアはあんまり表情を動かさない。フランス人形のように整った容姿は母親に、感情が表に出ないところは父親に似てしまっている幼き姫であるのだ。


 しかし表情は動かなくとも、何やら幸せそうなオーラが感じられる。彼女に尻尾が生えていたら、間違いなくパタパタと振り回されていたことだろう。そうして眺めているだけで温かい気持ちになるぐらい、オディフィアは一心に焼き菓子を頬張っていた。


「ああ、これは本当に美味な菓子ね。その前のギバ肉の料理も素晴らしかったし、本当に森辺には素晴らしい料理人がそろっているのね」


「ここにいる3名は、森辺でも指折りの腕前ですよ。手ほどきをしたのは自分ですが、彼女たちにはもともと料理人としての情熱と才覚が備わっていたのでしょう」


「それに加えて、森辺の狩人は類いまれなる剣士であるのね。あなたたちのような一族をジェノスの民として迎えることができたのだから、わたくしたちは何度だってセルヴァに感謝の言葉を捧げるべきなのでしょう」


 ゆったりと笑いながら、エウリフィアはその場にいる者たちの姿を見回していった。


「わたくしは昨年に顔をあわせるまで、森辺の民などというものは伝説の中の存在であるように思ってしまっていたわ。一度として姿を見たことがなかったのだから、それは当然よね。同じ領地に住む同胞でありながら、シムやジャガルの民よりも遠い存在であったのよ。……そしてきっと、それはあなたたちにとっても同じことであったのでしょうね」


「うむ。シムやジャガルの民は宿場町でも姿を見ることはできるが、貴族というものは一切目に触れることがなかったからな。唯一それを許されていた森辺の族長も、サイクレウスが失脚するまでは城下町に招かれることもなかったと聞く」


 トゥール=ディンの菓子を匙ですくった体勢のまま、ジザ=ルウがそのように応じた。

 そちらに向かって、エウリフィアはいっそう楽しそうに口もとをほころばせる。


「わたくしたちは石塀の中に住み、あなたたちは森の中に住んでいる。わたくしたちはセルヴァを神とし、あなたたちは森を神としている。そんなわたくしたちがおたがいを同胞と認め、同じ志を胸に生きていくのは難しいのでしょうけれど……それでもわたくしは、あなたたちとこうして身近に口をきけるようになったことを、とても嬉しく思っているわ。娘だって、あなたたちのおかげでこんなに幸福そうにしているしね」


 そのオディフィアは誰よりも早く焼き菓子をたいらげて、名残押しそうに空の皿を見つめていた。

 その口もとを優しくぬぐい、自分の焼き菓子を半分ほど娘に取り分けてあげてから、エウリフィアはまた頭をもたげる。


「どれだけ時間がかかっても、わたくしはあなたたちと正しい縁を紡いでいきたいわ。リーハイムはそのやり方を間違ってしまったけれど、それは反省して、これからの糧にするべきでしょう。ポルアースにすべてをまかせてしまっているダレイム伯爵も、トゥラン伯爵家の後見人トルストも、ジェノス侯爵ご自身だって、もっともっと森辺の民を知るべきよ。わたくしは、そのように思います」


「……我々も、君主筋たるジェノスの貴族たちのことを、もっと深く知るべきなのだろうと思う」


 ジザ=ルウは、とても静かな声でそのように答えた。

 けっきょくここまで一言たりとも発言していないスフィラ=ザザも、そんなふたりの姿をきわめて真剣な眼差しで見比べている。


 これですべての誤解や疑念が解けたわけではないだろう。リーハイムは力なくレイナ=ルウのことを見つめているし、レイリスは闘志のみなぎる目つきでシン=ルウをにらんでいる。それに対して、レイナ=ルウとシン=ルウは決して彼らと目をあわさないようにしながら、トゥール=ディンの菓子を食べていた。


 ルイドロスも、どこまでエウリフィアやジザ=ルウの言葉に共感しているのかはわからない。ただ目前の問題が片付きそうなことに、ほっとしているだけのように見受けられる。アイ=ファやルド=ルウはマイペースであるし、トゥール=ディンも貴族との関係性を深く考えるような年齢や立場ではない。


 だけど俺は、それなり以上の満足感を得ることができていた。

 かつての晩餐会で、アマ・ミン=ルティムは貴族たちが夢中になってギバの料理を食べている姿に光明を見出していた様子であったが、本日は、森辺の民が城下町の民の心尽くしで迎えられることになったのだ。


 もちろんジザ=ルウたちがその料理に心から満足したわけではないだろうが、森辺の民をもてなしたいというルイドロスの心情と、それに応じたいというロイたちの心情は正しく機能していた。森辺やダレイムでの宴ほど、それは心の通い合った会合である、とは言えなかったかもしれないが、それでも正しき縁をつむぐための一歩にはなりえただろう。


 何も焦る必要はない、と俺は思っている。

 最初の最初から不和の因子をはらんでおり、80年もの歳月をかけて間違った方向に転がり続けてきてしまった森辺の民とジェノスの貴族たちであるのだ。こうして一歩ずつ正しい道を模索しながら進んでいけば、いずれは心から笑いながら手を取り合うこともできるだろう。にこやかに笑うポルアースや、夢中で焼き菓子を頬張っているオディフィア、それに、毅然としたたたずまいでジザ=ルウたちの言葉を聞いているメルフリードの姿を見ながら、俺はそのように思うことができた。


 そうしてもうしばらく歓談したのち、サトゥラス伯爵家との和解の晩餐会はしめやかに終わりを迎えることになったのだった。

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