和解の会食③~心尽くし~
2016.8/31 更新分 1/1 9/3 誤字を修正
「今日は特別に外から料理人を呼び寄せて、森辺の民をもてなすための料理をこしらえさせたのだ。お客人のお口にあえば幸いだ」
何とか自分のペースを取り戻そうと苦心しながら、ルイドロスがそのように述べている。その間に、たくさんの小姓たちが卓に料理と酒を並べ始めていた。
「酒もママリアの果実酒ばかりでなく、ニャッタの発泡酒や蒸留酒、シムの薬酒までをも取りそろえている。よければ味比べなどをしてみてはいかがであろうかな?」
「いや、俺は果実酒で十分だ」
「では、当家の料理長がみずから配合した果実割りの妙を楽しんでいただきたい。酒をたしなまない客人には、アロウの茶を」
アロウというのは、ベリー系の果実である。ジザ=ルウとシン=ルウとシーラ=ルウを除く森辺の民の前には、ふくよかなキイチゴのような香りの漂う熱い茶が置かれることになった。
「それでは、森辺の民とのより明るい行く末を願って」
ルイドロスの声に従い、全員が杯を傾ける。
そして、杯を置く頃には全員分の前菜が届けられていた。
「ふむ、これは如何なる料理なのだ?」
「はい。こちらはマロールの肉をホボイの実で和えたものです」
料理人は厨にこもったままであるらしく、ルイドロスの質問には小姓のひとりが答えていた。
前菜、オードブルである。白くて可愛らしい陶磁の皿に、淡い褐色のペーストで和えられたマロールの身が載せられている。
マロールというのは、大ぶりの甘エビに似た甲殻類だ。ジェノスで食せるのは王都から届けられる乾物のみであるので、水で戻したのち、ボイルしたものなのだろう。うっすらとピンクがかった白い身がほぐされて、それがゴマを思わせるホボイのペーストで和えられている。
食前の文言を唱えたのちに、それを口に運んでみると、ホボイのペーストにはタウ油や砂糖も使われているらしく、塩気や甘みの加減もなかなか絶妙であった。
マロールのほうも、もとが乾物とは思えないぐらい、しっとりとしていて噛み応えが心地好い。それに乾物は旨みが凝縮されるので、しっかりとした海の幸の味わいを感じることができる。
俺としては、何の文句もない前菜であった。
そして、それほど複雑な味わいではないために、森辺のみんなも問題なく口に運んでいる。ルド=ルウなどは一口でぺろりとたいらげてしまっていた。
「本来であれば、ここから5種の料理を順番に運んでこさせるところであるのだが、森辺の民にはそのような習わしはないと聞くので、いくつかの料理を同時に出させようと思うのだが、いかがであろうかな?」
「我々は、家の主人の意向に従おう」
ジザ=ルウの言葉にうなずいて、ルイドロスは小姓に合図をした。
そうして運ばれてきたのは、汁物料理とフワノ料理であった。
汁物料理は、辛そうな匂いのする魚介のスープだ。
フワノ料理は、いわゆるサンドイッチである。四角く切りそろえられたフワノの生地に、さまざまな食材がはさみこまれている。しかもそのフワノは、バナーム産の黒フワノであった。
「この料理も、香りが素晴らしいですね」
トゥール=ディンがこっそりと耳打ちしてくる。
確かに魚介のスープは、香りが素晴らしかった。辛そうは辛そうであるが、森辺の民が嫌がるほどではない。実に食欲中枢を刺激する香りである。
「まあ、これは美味だわ。オディフィア、あなたも食べてごらんなさい?」
これまでずっと静かにしていたエウリフィアが優雅に微笑みながらうながすと、その愛娘は「からいのきらい」とそっぽを向いた。
「これぐらいなら、あなたでも大丈夫よ。きっと幼い子供がいることを気遣ってくれているのだわ」
どれどれ、と俺も赤みがかったスープをすすってみると、確かにそれはほどよく刺激的でまろやかな味わいであった。
チットの実か、あるいは先日味見をしたイラの葉が使われているのだろう。トウガラシ系の辛さであるが、これならばオディフィアも森辺の民も舌を痛めることなく堪能できるはずだ。
具材には、魚とペペとナナールと、それにタウの豆が使われている。魚はかつて俺も使用したイワナのごときリリオネかもしれない。白身で、上品な味わいだ。
そうしてニラに似たペペやホウレンソウに似たナナールが赤いスープにグリーンの彩りをそえ、大豆のごときタウの豆はほくほくとやわらかい。出汁の大もとは、海草であろうか。ほどよく辛くて後味のすっきりした、香り以上に素晴らしい出来栄えであった。
「……どうであろうかな?」とルイドロスが問うと、ジザ=ルウは「美味なのだろうと思う」と慇懃に答えた。
「ただ、俺はギバを使っていない料理に善し悪しを言えるような人間ではないのでな。味の感想ならば、かまど番たちが正しく答えることができるだろう」
「美味だと思います。この味は、ギバよりも魚に合うものなのでしょう」
レイナ=ルウが静かに答え、シーラ=ルウもうなずいている。
すると、ポルアースが俺に目を向けてきた。
「アスタ殿はどのように思うのかな? アスタ殿は、ギバを使わぬ料理にも造詣が深いのだろう?」
「はい、とても美味しいです。辛いのに、とても食べやすい料理ですね。オディフィア姫ばかりでなく、森辺の民に対してもお気を使ってくださっているのではないでしょうか」
オディフィアも森辺の民も、みんな規則的なペースでスープをすすっている。ほどよい辛さに、ほどよく食欲を刺激されているのだろう。
そして、フワノ料理のほうも、それに負ける出来栄えではなかった。
具材で使われているのは炒り卵と、タケノコのごときチャムチャムの薄切り、ナッツのごときラマンパの実を砕いたもの、そしてシナモンのごとき甘い香りのする香草である。チャムチャムはいい具合に熱が通されており、食感が素晴らしい。炒り卵は白身が少し透明がかっていたので、キミュスではなくトトスのものであるようだった。
そうして生地は黒フワノであるため、食感がとてもさくさくとしている。カロンの乳で練られているのか、ほんのりと甘い風味が感じられて、それが具材と繊細な調和を保っている。
で、この黒フワノのサンドイッチが、実にスープとマッチするのである。
砂糖は不使用で風味だけがわずかに甘い黒フワノのサンドイッチと、辛さは控えめで旨みの豊かな魚介のスープが、おたがいを引きたてあっている。これらの料理はこの組み合わせで提供することによって初めて完成されるのではないか、というぐらいのベストマッチングであった。
「これは見事な出来栄えですね。この香草なんかはヤンがよく使うものなのですが、ひょっとしたらヤンが厨を預かっているのですか?」
「いや、言っては何だが、ヤンはこちらの料理長を横にのけるほどの腕前ではないよ。僕の父よりはルイドロス殿のほうが美食というものに明敏であられるからね」
いくぶんかしこまった表情でポルアースがそのように言った。
ひょっとしたら、サトゥラス伯爵家の料理長を差し置いてダレイム伯爵家の料理長を呼びつけるわけがないではないか、と言外に諭してくれているのかもしれない。まだ貴族の間の礼儀というものを把握しきれていない俺は、ひたすら恐縮するばかりであった。
「この後は、森辺の方々もいくつか料理を出してくれるのだろう? 料理人たちも、厨でお会いするのを楽しみにしていると言っていたよ」
「はあ、そうですか」
しかし、俺たちと交流のある料理人など、先日の試食会で引きあわされた面々のみであるし、その中で名を知っているのはティマロやヴァルカスたちぐらいのものであった。
さすがにこれはティマロの作法とはずいぶん異なった料理であるように思えるし、ヴァルカスは、他の貴族からの依頼でこの場にはおもむけないのだと聞いている。よしんばその弟子の誰かが代理として馳せ参じたのだとしても、彼らがどのような腕前を持っているかは俺にも想像がつかなかった。
(まあ、あとで挨拶をさせてもらえるなら詮索する必要もないか)
ただ確かなのは、この料理人が並々ならぬ腕前を持っている、ということだ。
俺にとっては、それだけでも十分な話であった。
「ギバの肉というのは、カロンに劣らず上等な食材であるそうだね。わたしもそれを口にできるのをとても心待ちにしていたのだ」
と、ルイドロスが穏やかに割って入ってくる。
「しかしギバ肉は、いまだ価格が定まらないため、城下町で取り扱うには時期尚早であると聞いている。あれから4ヶ月ばかりも経ったように思うのだが、まだその目処は立っておらぬのかな?」
「そうですね。僕は最低でもカロンの胴体と同じ値にするべきだと思っているのですが、それではなかなか宿場町の民には手の出しにくい値になってしまいます。今では宿場町でも少しずつカロンの胴体の肉が流通しつつあるので、それが一般的になるようなら、心おきなくギバ肉の値段も定められるのではないでしょうか」
ポルアースのそんな返答に、エウリフィアが「ふうん」と小首を傾げる。
「あくまで宿場町の民を優先させる、ということなのね。それで城下町の民がひたすら我慢を強いられる、というのはどういうわけなのかしら?」
「ですからそれは、宿場町の民の反感を招かないためですよ。なんとか騒ぎは収束しましたが、トゥラン伯爵家の前当主のおかげで、我々は領民からの信頼を大きく損なわれてしまったのです。ギバ肉の買い付けを少し我慢するだけで領民の反感を抑えることがかなうならば、そうするべきでありましょう?」
「それはつまり、宿場町でギバの肉を食べることができなくなったら、暴動でも起きかねないということ? アスタたちはそこまでの力を宿場町で示すことができたのねえ」
エウリフィアはくすくすと笑い、メルフリードが灰色の目でそれを見据えた。
「今さら何故そのような話を蒸し返すのだ? 我らの父にして君主たるジェノス侯がどのような心づもりでそのような裁定をくだしたのかは、とっくにわかっていたことであろう?」
「ええ、頭ではわかっていたつもりであったのだけれど、あらためて考えたらその事実に驚かされてしまったのよ。だって、宿場町ではもう城下町と同じだけの食材を買い付けることが許されているのでしょう? それなのに、ギバ肉を買い占められることには、いまだに我慢がならないのね」
「アスタ殿たち森辺の民は、ギバの肉のみならずギバの料理を売っておりますからね。あの美味なる料理が食べられなくなったら、それは暴動でも起きかねないかもしれません」
ポルアースの言い様はあまりに大仰であったが、それもギバ肉の買い占めはならじという条項を強調するためであったのかもしれない。というか、最初に話題を振ったエウリフィアからして、同じような目論見であったのではないだろうか。この貴婦人は、たおやかなばかりでなく、けっこうしたたかな一面も持ち合わせているのである。
「しかしリーハイム殿も、決して悪意あってギバの肉を買おうとしたわけではないでしょう。それは単に、そうすれば森辺の民もいっそう豊かな生活を得ることがかなう、という思いと、あとはサトゥラス伯爵家が独自の商売で新たな富を得ることがかなう、というぐらいの気持ちであったはずです。他ならぬサトゥラス伯爵家の領民たる宿場町の民の反感を招いてまで、そのような考えに固執するとは思えませんからね」
ポルアースはそのように発言したが、リーハイムは困惑げに左右を見回すばかりであった。
おそらく、ポルアースが彼をフォローしようとしているのか貶めようとしているのか、その判別がついていないのだ。貴族と領民と森辺の民の奇妙な三角関係を正しく把握できていなければ、それも当然の話である。
「あの、その件に関して、自分からもひとつ提案があるのですが」
俺がそのように声をあげると、「何かな?」とルイドロスに穏やかな目を向けられた。
「実は自分たちは、ギバの腸詰肉というものを森辺の集落でこしらえているのですが、これは燻製肉の一種であるので、とても手間がかかってしまうのですね。それに、水を抜く過程で肉の重さが減じてしまうので、もとを取ろうと思ったら宿場町の方々には手の出ない値段に跳ね上がってしまうのです。そういった腸詰肉を城下町でお買い上げいただくことはできないものかと、かなり前から考えていたのですよ」
「ふむ? しかし燻製肉というのは、旅人や戦地の兵士などが食するものなのではなかったかな? トトスで半日のダバッグから新鮮なカロンの肉を買い付けることのできる我々には、そのようなものを口にする理由がないように思えるのだが……」
「はい。ですが、肉というのは燻製にすると旨みが凝縮されるのです。それに、旅人が食する干し肉ほど徹底的に水を抜いているわけでもないので、そこまで保存はきかない代わりに、とても美味しいです。実は以前にダバッグへと旅をしたときに、肉に一家言ある方々に試食をお願いしたのですが、そちらからも好評をいただくことがかないました。……まあ、何やかんやあって、そちらで商売の手を広げることはできなかったのですが」
「ああ、思わぬところで思わぬ目にあってしまったものだねえ。言ってみれば、あれもトゥラン伯爵家の前当主の行いから派生した騒ぎだった」
愉快そうに、ポルアースが声をあげる。
そういえば、それでダバッグへと調査団を派遣することになったのは、他ならぬメルフリードであったのだった。
「もちろん城下町で商売をする時期に関してはジェノス侯爵におまかせする他ないので、さしあたって本日は、味見のための腸詰肉を持参しました。それが城下町で商品たりうるかどうか、まずはみなさんにお確かめいただけたら幸いです」
「ほう、料理とは別にそのような手土産まで持参していただけたのかな?」
「はい。ルウ家とサトゥラス伯爵家の親睦会にお邪魔させていただいた、ファの家からのせめてもの御礼です」
アイ=ファも、静かに目礼している。
どうやら完全に復調したらしいルイドロスは、実に貴族然とした面持ちで微笑みながら、「それはいたみいる」と応じてくれた。
「わたしとて、トゥランの前当主やジェノス侯ほどではないものの、美食に関してはひとかどの見識を持ち合わせているつもりだからね。その腸詰肉とやらについては、後日しっかりと味を見させていただこう」
「はい、ありがとうございます」
「しかしまずは、こちらの心尽くしを楽しんでもらわねばな。……さ、次なる料理をお出しするがいい。客人たちをお待たせするでないぞ」
そうして小姓たちがまたたくさんの皿を運び込んでくる。
いよいよ野菜料理と肉料理である。
そのうちの片方がまず並べられていくと、ルド=ルウが「何だこりゃ?」と遠慮のない声をあげた。
「こちらは野菜と乾酪の料理でございます」
小姓たちも詳しくは聞かされていないのか、ひどく曖昧な返答であった。
確かに、奇妙な料理である。一辺が10センチほどの正方形で、厚みは2センチほど、色合いは緑と赤がマーブル模様になった奇っ怪なる物体に、とろりとした乾酪が掛けられている。野菜は野菜でも何の野菜なのか、少なくとも外見から推し量ることはかなわなかった。
いっぽう、肉料理はとてもシンプルな焼き肉料理であった。
平たく切られたソテーであり、濃いグリーンをしたソースがひかえめに掛けられている。添え物は、パリパリに焼かれた薄い黒フワノのみだ。
「こちらはギャマの焼き肉料理でございます」
その説明で、俺は思わずトゥール=ディンと目を見交わしてしまう。
これはどう見ても燻製肉ではなく生鮮肉のソテーであった。で、生きたギャマはヴァルカスがまるごと買い上げたわけであるから、これは彼に縁ある料理人が仕上げた料理であるということだ。
「ギャマの肉か。これはわたしも初めて口にするな。ギャマはギバと同じように野生の獣であると聞くが、いったいどのような味わいなのであろう」
ルイドロスも、素直に感心したような声をあげている。ポルアースやエウリフィアたちも、期待に瞳を輝かせていた。
「うーん、乾酪は俺も好きなんだけどなー。この下にあるやつは食い物に見えねーなー」
ひとり不満げな顔をしたルド=ルウが、金属の匙で四角い野菜料理をつついた。
とたんにその物体はぐにゃりと形を変じてしまい、ルド=ルウは「わ」と声をあげる。
「これ、溶けた乾酪と同じぐらいやわらけーぞ。本当に食い物なのか?」
「ヴァルカスだって、とても食べ物には見えない料理を作っていたでしょう? あれも野菜の料理で、とても不思議な形をしていたじゃない」
レイナ=ルウが小声でそのように掣肘したが、ルド=ルウはいっそう不満げな顔をするばかりであった。
「そんなん知らねーよ。俺は毎回、護衛役に選ばれてるわけじゃないんだぜ?」
「あ、そうか。あのときはルティムのふたりしかいないんだった。……とにかくこれはヴァルカスの弟子が作った料理に違いないから、何も心配する必要はないと思う」
どうやらレイナ=ルウもギャマ肉の登場でその結論に至ったらしい。
そうして先陣を切って野菜料理を口にしたレイナ=ルウは、まぶたを閉ざして深々と息をついた。
「やっぱり、不思議な味……いったいどうやったら野菜をこんな風に仕上げられるんだろう」
興味をそそられて、俺も野菜料理から手をつけることにした。
確かに、やわらかい。匙であっけなく取り分けられるほどのやわらかさである。
そして上の乾酪も、乳か何かで練られているのだろうか。ダバッグで食した乾酪フォンデュのようにとろりとしていて、そうそう固まる気配もない。で、その下の四角い物体も、それに負けないぐらいのやわらかさであったのだった。
(まるで溶けかけの煮凝りみたいな感触だな)
俺は小さく取り分けた料理を、口に運ぶ。
まずは乾酪の濃厚な味わいが口に広がった。
あとに続くのは、さまざまな野菜の風味であった。
はっきりわかるのは、タラパの酸味やプラの苦みだ。あとは全体的にまろやかに甘く、ネェノンやティノあたりはふんだんに使われているのだろうなと思われる。
(それに、ホウレンソウみたいなナナールと、ズッキーニみたいなチャンと……俺にわかるのはそれぐらいか。ひとつひとつはペースト状にされているけど、完全に混ぜ合わせているわけじゃないから、味が分離してるんだな)
そしてやっぱり、それをつなぎあわせているのは魚介の油分であるようだった。風味豊かな魚の旨みが、しっかり感じられるのである。
(冷蔵庫でもあればもっとしっかり固められるんだろうけど、こんなに温かいジェノスではこれが限界か。ベースト状にした野菜をざっくり混ぜ合わせて、それを魚の油のゼラチンで固めているんだろう)
なんとも不可思議な料理である。
しかし、いわゆる「複雑」なわけではなかった。
外見がマーブル状になるぐらい、それぞれの食材は分離している。だから、これはタラパだこれはネェノンだという判別をつけることができるのだ。なおかつ、乾酪の味と魚の風味も強いので、味の方向性がしっかり定まっている。酸味や苦みはアクセントぐらいにしか感じられず、舌を混乱させることもない。
「うん、まあ、まずいことはねーな」
ルド=ルウもそのように言いながら、今度は肉料理の皿を引き寄せた。
そちらに向かって、ポルアースが笑いかける。
「こちらの肉料理も非常に美味だよ。森辺の民のお口にもあうのではないのかな」
肉料理の皿からは、それなりに香草の香りが感じられた。
この緑色をしたソースが、香草をベースに作られているのだろう。ほどほどに辛そうで、かつ清涼な香りだ。
俺はナイフとフォークを使い、その肉を切り分けてみた。
特別に固いともやわらかいとも感じられない。ただ、ほとんど赤身で脂身は見当たらなかった。
(燻製肉はけっこう脂身がついてたけど、部位が違うのか。これはモモか何かかな?)
切り分けた肉を、口に運ぶ。
やはり、固くもやわらかくもない。
脂身はないが、しっとりとしていて、きめのこまかい肉質だ。
何か独特の風味を感じるが、それは香草のソースで緩和されている。香草は、ぴりっとしたペッパー系の風味がした。
何だろう、豚や牛とは異なる味わいだ。
以前、玲奈の家でジンギスカンをご馳走になったことがある。それと似たような雰囲気でなくもないが、あのときはタレの味が非常に強かったので、あまりこまかな味は判別できなかったのだった。
(山育ちのギャマは臭いからチットの実とかが欠かせないって話だったけど、これはきっと草原だか何だかのギャマなんだろうな。それなりにクセはあるけど、食べにくいことは全然ないや)
簡潔に言うと、美味い肉である。
クセの強い肉も、俺は嫌いではない。そういう意味では、カロンよりも満足のいく味かもしれなかった。
「うん、こいつは普通に美味いな」
ルド=ルウもご満悦の表情である。
アイ=ファもジザ=ルウもシン=ルウも、とりたてて不満はない様子で食事を進めている。
などと考えていたら、アイ=ファがそっと口を寄せてきた。
「アスタ、これはこの前あの館で見せられた獣の肉なのだな?」
「うん、そのはずだよ」
「この肉は、悪くない。少なくとも、カロンやキミュスといった獣の肉よりは、深い満足が得られるようだ」
それはやっぱり、畜獣と野生の獣の差なのだろうか。
そもそもあのギャマたちが本当に野生の獣であるという保証はないのだが、そのように考えると一番しっくりくる。それに森辺の民は、ときおりシム人が祖なのではないかと思わせる一面を覗かせることがあるのだ。
だけどまあ、何はともあれ、料理がお気に召したのならば幸いであった。
正直に言って、森辺の民がここまで問題なく城下町の料理を食べられるなどとは、俺は夢にも思っていなかったのである。自分の好みよりも探究心がまさっているかまど番たちはともかく、ギバ料理にしか興味を示さない狩人たちが文句らしい文句もなく料理をたいらげているのは、ほとんど奇跡的に感じられてしまった。
「あー、この変な野菜も肉と一緒に食べるとけっこう悪くないかもな。フワノとかいうやつが準備されてるのも気がきいてるしよ」
と、しまいにはルド=ルウまでもがそのような評価を下していた。
そんな客人たちの様子を見回しながら、ルイドロスは満足そうにうなずいている。
「それでは最後に、菓子を持ってこさせよう。最後までご満足いただければ何よりだ」
しめのデザートは、やはり黒フワノを使った菓子であった。
平たくのばされた生地の上に、うっすらとピンクがかったフルーツの切り身が散りばめられている。桃に似た果物、ミンミの実である。黒フワノの生地とともに窯か何かで焼かれたのか、甘い香りがいっそう際立って、表面がつやつやと輝いている。
俺としては、その菓子も申し分なかった。
甘さはひかえめの上品な味わいで、黒フワノの軽い食感がとても好ましい。なおかつ、生地の中にはゴマっぽい風味も感じられる。前菜でも使われていたホボイの実である。やっぱりペースト状にして、生地に練り込んでいるのだろう。生地の表面にはうっすらとパナムの蜜も塗られているようであったが、それよりもやはりミンミの甘さを活かそうとしている仕上がりだ。
「父にして族長なるドンダ=ルウには、城下町の料理には期待をかけるなと言われていた。どれほど上等な料理を準備されても、我々にはそれを上等と感じる舌が備わっていないのだから、と。……しかし少なくとも、今日の料理で美味ではないと言いたくなるようなものはひとつもなかったようだ」
ジザ=ルウがそのように告げると、ポルアースが「ほほう」と反応した。
「それはなかなか驚くべき感想であるように思えるね。確かに森辺の族長たちは城下町の料理を食べても顔をしかめることが多かったし、中には、我々のために作られたアスタ殿のギバ料理にさえ不満そうな様子を見せることすらあったのだよ?」
それはひょっとして、レテンの油で揚げられたカツレツに不満そうであったダリ=サウティのことを言っているのだろうか。
そうだとしたら、なかなかの洞察力である。
「しかもジザ=ルウ殿やシン=ルウ殿などは、ほとんど初めて城下町の料理を口にしたのではなかったかな? ならば、城下町の料理の味に舌が慣れたというわけでもないのだろうし……これは、料理人との相性なのかな」
「そうね。わたくしは別に、ティマロの料理がこちらの料理にそこまで劣っているとは思わないし」
エウリフィアも楽しそうに同意する。
その優美なるドレスのすそを、愛娘がくいくいと引っ張った。
「ねえ、トゥール=ディンのおかしはまだなの?」
「え? ああ、そうね。今日はあなたの菓子を食べさせてもらえるのよね、トゥール=ディン?」
「……はい」とトゥール=ディンは小さくなりながらうなずき返す。
その姿を眺めやりながら、ルイドロスが「ふむ」と口髭をひねった。
「それではいよいよ森辺のギバ料理というものも味わわせていただこうか。厨番の方々にはせわしなくて申し訳ない限りだが」
「いえ、これもわたしたちの仕事ですので」
レイナ=ルウが一礼して立ち上がったので、俺たちもそれにならうことにした。
護衛役は、アイ=ファである。スフィラ=ザザは少し迷うそぶりを見せたが、会食の場に居残ることに決めたようだった。
リーハイムやレイリスはすっかり大人しくなってしまっており、もそもそと料理の残りをついばんでいる。そんな彼らの姿を尻目に、俺たちは会食の場を後にした。
「今日の料理は素晴らしいですね。ヴァルカスの料理を食べたときとは異なる驚きを覚えています」
小姓の案内で回廊を歩きつつ、シーラ=ルウがこっそりとそのように発言した。
「ヴァルカスの料理には混乱させられることも多いのですが、今日の料理は、なんというか……どれも安心して食べることができました」
「俺も同じ意見ですよ。きっと調理したのはヴァルカスのお弟子さんなんでしょうけど、いったい誰なんでしょうね」
「あのタートゥマイという老人ではないでしょうか? たしかあの者が弟子たちの取りまとめ役なのですよね?」
「わたしはあのボズルという南の民だと思います。あの者は森辺の民に対して友好的な様子でしたし、ああいう人柄であればわたしたちの好むものを察することができるのではないでしょうか?」
が、シーラ=ルウとレイナ=ルウの予測は外れていた。
それほど歩かせられることなく導かれた厨の扉を開くと、そこで待ち受けていたのは若い男女――シリィ=ロウとロイであったのである。
「ああ、あれはあなたがたの料理だったのですか」
レイナ=ルウが絶句してしまっているので、俺がそのように呼びかけてみせた。
すでに白覆面を外していたシリィ=ロウは、冷たい眼差しで俺たちを見返してきている。
「今日はヴァルカスも他の仕事が入っていたのですよね? そちらの手伝いは大丈夫だったのですか?」
「三の刻までは、わたしたちもそちらの仕事に取り組んでいました。あとは手が足りているのだから、サトゥラス伯爵の仕事をお受けなさいとヴァルカスに命じられてしまったのです」
とてもとても不本意そうに、シリィ=ロウはそのように述べたてた。
その横で、ロイは肩をすくめている。
「俺はもちろん、その仕事を手伝っただけだ。ヴァルカスの下について、初めて給金をいただくことができたよ。……シリィ=ロウの料理は美味かっただろう?」
「ええ、とても美味しかったです。ギバ料理にしか興味のない森辺のみんなが文句もなくたいらげていましたよ」
「そりゃあそうだ。あれは森辺の民のために考案した組み合わせなんだからな」
そのように言って、ロイはひさびさににやりと笑った。
「森辺の民がどういう味を好んでどういう味を嫌うか、俺が知る限りのことをシリィ=ロウに伝えたんだ。野菜料理にも不満はなかったか?」
「そうですね。最初は嫌そうにしている人もいましたが、最後には喜んで食べていました」
「そいつは何よりだ。あれは噛み応えが風変わりな料理だから、それだけが心配だったんだよな」
シリィ=ロウは黙して語らず、ロイは不敵に微笑んでいる。
そんな両者を見比べながら、レイナ=ルウがようやく口を開いた。
「あなたがどのような料理を準備するべきか指示を出したわけですか? あなたには、そこまで森辺の民の好みが把握できているというのですか?」
「あん? そりゃまあ多少はな。俺はお前らがティマロの料理に好き勝手なことを言ってるところも見てたからよ。あとはお前たちの作る料理もさんざん口にしてきたんだから、ちっとは見当のつけようもあるよ」
「……そうですか」とレイナ=ルウは目を伏せてしまう。
何やらちょっと悔しげなお顔である。
「さ、次はお前らの番なんだろ? もしも量にゆとりがあるなら、俺たちにも味見をさせてくれよ。とっておきのギャマ肉まで食べさせてやったんだからさ」
先日、レイナ=ルウに真情を打ち明けたことによって、ロイも少しは胸のつかえが下りたのだろうか。
レイナ=ルウには申し訳なかったが、俺はひさびさにロイの笑顔を見ることができて、ずいぶん温かい気持ちを得ることができたのだった。