和解の会食①~出立前~
2016.8/29 更新分 1/1
・今回の更新は全8回です。
・また、昨日をもちましてアンケートの集計期間は終了とさせていただきました。多数の皆様にご参加いただき、まことにありがとうございます。活動報告にて結果を発表しておりますので、ご興味ある方はそちらをご覧くださいませ。
銀の月の9日、下りの四の刻の半。
明日の商売のための下準備を終えた俺は、アイ=ファとトゥール=ディンをともなってルウの集落へと向かっていた。
目的は、ルウ家の人々とともに城下町のサトゥラス伯爵邸へと向かうためである。
森辺の民は、サトゥラス伯爵家とふたつの悪縁を結んでしまっている。
ひとつは、城下町の貴賓館で行われたシン=ルウとゲイマロスとの剣術の試合において、卑劣な策謀が巡らされていたこと。
もうひとつは、昨年の灰の月のあたり、宿場町の屋台にまで通いつめていたリーハイムがレイナ=ルウに高価な贈り物をしようとして、それを固辞されたことである。
前者に比べれば、後者はまだささやかな因縁だ。
そうであるからこそ、これまでは大きく取り沙汰されることもなかったのだろう。
これでレイナ=ルウがただの町娘であった場合は、ないがしろにされたリーハイムがもっと強行的な手段に出て事態を悪化させていたやもしれないが、幸いなことに、ジェノスの貴族たちは森辺の民との悪縁を正そうとしている時期であった。こちらが何かアクションを起こすまでもなく、森辺の民との関係性が悪化することを危惧したジェノス侯爵マルスタインの仲裁によって、その悶着はすみやかに収束させられていたのだった。
しかしまた、当時のリーハイムはレイナ=ルウばかりでなく、ギバの料理やギバ肉そのものにも執心していた。
料理に関しては、まあ、レイナ=ルウとの接点を得るためにわざわざ宿場町にまで通いたおしていただけなのかもしれないが、その裏で、彼はギバ肉を買い占められないものかと画策していたようなのである。
その当時、ギバの肉はカロンの足肉と同程度の価格で取り引きされていた。城下町でもっとも好まれるカロンの胴体の肉に比べれば、およそ半額ていどの価格である。しかし、ギバの肉というのはカロンの胴体にも負けない素晴らしい食材だ。そこに目をつけたリーハイムが、ギバ肉を大量に買い上げて城下町で売りに出す、といった考えにいきついてしまったのだった。
もっとも、これは別に儲けを独占しようというのが主旨ではなく、ただ美味なる肉が安く手に入るならそれに越したことはないし、あとは、そうして大きな商売を持ちかければ森辺の民にも感謝され、ひいてはレイナ=ルウともよい縁を築けるのではないか、というような思惑であったらしい。
しかし残念なことに、それは森辺の民にとってありがた迷惑な行いでしかなかった。貴族にギバ肉を買い占められて宿場町での商売を行うことができなくなってしまったら、せっかく改善されてきた町の人々との縁も悪い形で断ち切られてしまうし、また、貴族の側もいらぬ恨みを買ってしまうことになる。そういったわけで、この件もかなり早い段階からマルスタインによって仲裁されていたのだった。
それをひとつのきっかけとして、ギバの肉はこれまでの1・5倍の価格で売り買いされることになった。宿場町においては、カロンの足肉よりも高価な食材として取り扱われる段となったのである。
それで売り上げが落ちてしまわぬよう、俺たちも宿屋のご主人たちも頭を悩ませることになった。一食のサイズを小さくして価格を抑えるようになったのも、その時期にあみだされた苦肉の策なのだ。
だけど、結果は上々であった。ちょうど同じ時期に、城下町でもてあましていた食材を宿場町でも消費してほしい、という依頼を受けていた俺たちは、それらを使って新しいメニューを生み出して、町の人々の関心をつなぎとめることに辛くも成功したのである。それでけっきょくは以前よりも商売の手を広げることができたのだから、これ以上の結果は望むべくもなかっただろう。
しかしまた、収まりのつかないのはリーハイムの側であった。
おそらく彼は、恩を仇で返された気分であったに違いない。
レイナ=ルウの一件もギバ肉の一件も、彼にしてみれば善意や好意から始まった話なのである。ただそのアプローチの仕方があまりに貴族流であったため、俺たちには受け入れられなかったというだけのことなのだ。
それで彼は、森辺の民に反感を抱くようになってしまった。
城下町での晩餐会では、ことさら俺の料理をくさし、このたびは、嫌がらせの一環としてシン=ルウを城下町に呼びつけることになった。おそらく彼は森辺の狩人がどれほどの力量を持っているかを正しく認識しておらず、公衆の面前でゲイマロスに叩きのめさせて、赤っ恥をかかせてやろうという目論見であったのだろう。
しかし、ゲイマロスはリーハイムよりも正しく事態を認識していた。城下町では指折りの剣士と名高い自分であっても、五分の条件で森辺の狩人に太刀打ちできるはずはない。赤っ恥をかかされるのは自分のほうだ――そのように思いつめて、シン=ルウの側にだけ騎馬用の重い甲冑を準備する、という姑息な真似に手を染めてしまったのである。
つまり、それもまたリーハイムの悪念を引き金にして起きた事件であったのだ。
レイナ=ルウやギバ肉の一件は、「身をつつしむべし」という一言で片付けることができた。しかしゲイマロスの一件は、森辺の民とジェノスの貴族との信頼関係に亀裂を入れかねない大事件である。それでマルスタインは、リーハイムと森辺の民の間にわだかまる不信感を取り除くべく、今回の和解の晩餐会を取り決めるに至ったのだった。
「それに加えて、宿場町ってのはサトゥラス伯爵家の管理下にある領地だからな。宿場町で商売をしている俺たちにとっても、こいつは他人事じゃない。なんとかルウ家のみんなと手をたずさえて、あのリーハイムとよい縁を結べるように努力してみよう」
ギルルの手綱を取りながら、俺はそのように呼びかけた。
御者台のすぐ裏でくつろいでいたアイ=ファは、普段と変わらぬ調子で「うむ」と言葉を返してくる。今日も1日修練で酷使した身体をゆったりと休めている様子である。
「しかし、ひとつだけわからんことがある。サトゥラス伯爵家というのは、いったいどのような形で宿場町を治めているのだ? これだけ長きの間を宿場町で働きながら、ほとんどその名を耳にする機会もなかったように思えるが」
「さあ? それを言ったら、マルスタインがどういう形で城下町を治めているのかも、俺には今ひとつわかってないからな。とりあえず、町の人たちが平和に過ごせるように貴族たちが統治して、その見返りとして税を徴収している、という構図を思い浮かべているけれども」
「ふむ……それでサイクレウスのように当主が堕落したときは、領民が辛酸をなめることになる、というわけか」
「そうそう。で、ミラノ=マスやユーミの感じからして、サトゥラス伯爵家ってのはそれほど領民に敬愛されている様子ではないけれど、でも、具体的に悪い噂を聞いたわけでもないし。とにかくジェノスの貴族ってのは城下町に閉じこもりがちだから、領民には実態がわからないんだろう」
それはサトゥラス伯爵家に限った話ではない。俺たちは、いまだにダレイム伯爵家の当主の名前だって知らないのだ。ポルアースみたいにひょいひょい姿を現すほうが、ジェノスの貴族としては規格外、ということなのだろう。
「リーハイムの父親であるサトゥラス伯爵家の当主ってのはどういう御仁なんだろうな。あまり偏屈な人物でないことを祈るばかりだよ」
俺がそのように告げたところで、ルウの集落が見えてきた。
どうせすぐに出発するので、荷車は集落の入口で止め、俺は御者台から地面に降りる。すると、アイ=ファから「待て」と呼び止められた。
「ひとりで行動するな。トゥール=ディンよ、お前も我らとともに来い」
「はい」とトゥール=ディンもアイ=ファに続いて降りてくる。
アイ=ファはきっと、《ギャムレイの一座》を警戒しているのだろう。昨日から、彼らはルウの集落に逗留しているのである。
ルウ家の狩人やピノたちは、まだ森に入っている頃合いだ。集落の前の道には巨大な箱型の車がずらりと駐められており、そして、広場に足を踏み入れる前から美しい笛の音が聞こえてきていた。
浅黒い肌をして、シム風の刺繍が入った長衣を纏った妖艶なる美女、ナチャラである。
広場に入ってすぐのところで、積んだ木材に腰をかけた彼女が横笛を吹いており、そのかたわらでは大男のドガと小男のザンがひたすら薪を割っていた。
会釈をすると、ドガのほうだけが目礼を返してくる。ジィ=マァムをも上回る巨漢で、頭はつるつるに剃りあげており、モアイ像のように厳つい風貌をしているが、彼はきわめて温和な気性をしており、言葉づかいも物腰もとても礼儀正しいのだった。
彼らの周囲では、仕事のない幼子たちや手の空いた女衆などが、少し遠巻きにして彼らの様子をうかがっている。逗留2日目では、まだまだ彼らの姿に見慣れることもできないに違いない。それにつけ加えて、郷愁感あふれるナチャラの笛の音は、何を置いても聴く価値のあるものであったのだった。
「これから城下町か。ご苦労だな、アイ=ファにアスタよ」
と、右足をひきずりながらひょこひょこと近づいてきたのは、シン=ルウ家の先代家長リャダ=ルウであった。
「どうもです、リャダ=ルウ。彼らは薪割りの仕事を手伝っているのですね」
「うむ。荷車で寝ているばかりでは身体がなまるし、どうせならば我らの仕事の一助になりたい、と申し述べてきてな。族長ドンダ=ルウがその言葉を受け入れた」
そしてリャダ=ルウは、そんな彼らの監視役を申しつけられたらしい。狩人らが森に出ている時間、集落に居残る男衆はごく限られているのである。
「これでようやく2日目ですよね。彼らはギバを生け捕りにすることができるのでしょうか」
「どうであろうな。昨日も何頭かのギバが罠にかかっていたようだが、あやつらの要望にはそぐわなかったようだ。……あやつらは、ごく幼いギバを求めているようなのでな」
「ああ、育ちきったギバに芸を教えこむなんてのは、さすがに不可能なのでしょうね。でも、幼いギバというのは母親に守られているため、なかなか捕らえる機会もないのですよね?」
「うむ。早々にあきらめたほうがおたがいのためであるように思えるのだがな」
そのような会話を繰り広げている間に、本家のほうからルウルウに引かれた荷車が近づいてきた。手綱を持っているのは、レイナ=ルウだ。
「アスタ、お待たせいたしました。こちらも準備ができましたので、出発いたしましょう」
レイナ=ルウの肩ごしに、ルド=ルウが笑顔で手を振ってくる。護衛役として同伴するために、狩人の仕事を早めに切り上げてきたらしい。
今日はあくまで貴賓として招かれた立場であるため、ルウ家の人々も少数精鋭であった。負傷の身である族長の代行役としてジザ=ルウ、サトゥラス伯爵家と因縁を結んだ当事者のレイナ=ルウとシン=ルウ、そしてかまど番としての仕事を手伝うシーラ=ルウ、および唯一の護衛役であるルド=ルウである。
護衛役が少ないのには、わけがあった。このたびの晩餐会において、客人には帯刀が許されていたのだ。
そうなると、ジザ=ルウとシン=ルウも歴戦の狩人であるのだから、自らが女衆を守る役を果たすことがかなう。それでアイ=ファも同行するのならば、あとはルド=ルウひとりで問題はないだろう、というのがドンダ=ルウの判断であった。
なので、名目上は、アイ=ファもルド=ルウも客人の立場である。今日は全員が、サトゥラス伯爵家の準備した食卓を囲むことになるのだ。
なおかつ、俺たちの側もなるべく人数を絞るように、とドンダ=ルウに言われていたので、ただひとりトゥール=ディンのみを同行させていた。
そこには、ふたつの理由がある。
ひとつは、トゥール=ディンに城下町の料理を一回でも多く食べてほしかったため。もうひとつは、今回メルフリードが伴侶と息女を同伴させて参加する、と聞き及んだためである。
このたび俺たちは、親睦の意味を込めて、ふた品だけ料理を捧げる予定でいた。で、トゥール=ディンの来訪を強く願うオディフィアが参席するならば、ここで一回その気持ちを満足させておこう、と思い至ったのだった。
そのメンバーに見届け役のスフィラ=ザザを合わせて、総勢は9名である。
これでも内々の親睦会としては少し大人数になってしまったような気がするが、もちろんサトゥラス伯爵家の側がそれを渋ることはなかった。
「時間はちょうどいいぐらいかな。それではリャダ=ルウ、また明日に」
「うむ」
明日は明日で、いよいよ歓迎の宴なのである。つい10日ほど前にも『滅落の日』で宴を楽しんだばかりの俺たちであるが、こんな機会はそうそうないのだから、かまいはしないだろう。ユーミやテリア=マスたちはともかく、ドーラの親父さんなどはこの時期にしかなかなか羽目を外せないようなのだ。復活祭の時期はみんなあれだけ忙しく立ち働いていたのだから、これぐらいの楽しみは許容していただきたいところであった。
そんなことを考えながら集落を出て、荷車に乗り込もうとしたところで、道の南側から荷車の駆けてくる音色が聞こえてきた。
宿場町へと通ずる道から、箱型の巨大な荷車がのぼってきたのだ。車体の側面に真っ赤な塗料で炎が描かれた、あれは《ギャムレイの一座》の荷車であるはずだった。
彼らは7台もの荷車を有していたので、その内の1台が町に下りていたらしい。荷車を引いているのは南の砂漠の砂蜥蜴ではなく2頭のトトスで、手綱を握っているのは双子のアルンかアミンのどちらかであるようだった。
彼らの荷車は大きいので、集落の道ですれ違うのは難しい。ということで、俺たちは彼らが道の端に車を駐めるのを待たなくてはならなかった。
そうして停車した車の荷台からひらりと地面に降り立った人物の姿を見て、アイ=ファの目がすっと細まる。
それは、実にひさかたぶりに見る、吟遊詩人のニーヤであった。
「ああ、これはこれは! おひさしぶりだね、愛しき人」
鳥打帽のようなものをかぶり、背にはギターのような楽器を担いだニーヤが、いそいそとこちらに駆け寄ってくる。その屈託のない笑顔を見て、アイ=ファはますます険悪な感じに目を細めた。
「待て、それ以上近づくな。……そして私は、お前などと口をきくつもりはない」
「ええ? 会っていきなり、なんと冷たいお言葉を! いったい何をそのように怒っておられるのかな、愛しき人よ?」
「何を怒っているか、だと……? お前は自分が何をしたのかも覚えておらぬのか?」
「はて? 家人に無礼を働いた段については、心よりのお詫びを申しあげたはずだけれども」
と、ニーヤがきょとんとしているので、俺も少なからず驚かされてしまった。
俺たちは『中天の日』以降、初めてニーヤとまともに顔をあわせたのである。あの夜に、ニーヤは白き賢人ミーシャの歌を歌い、虚ろな顔で笑っていた。あの夜の彼は、トランス状態にでも入っているかのように、まったく異なる様子を見せていたものであるが――今日の彼は、以前の通りに浮ついた顔で笑っていた。
「ピノがうるさいのでなかなかご挨拶もできなかったけど、ま、俺のほうも忙しかったのでね。今も城下町で貴婦人らに甘いひとときをお届けしてきたところなのだよ」
「そのような話はどうでもよい。お前は――」
と、アイ=ファが足を踏み出しそうになったので、俺は慌ててそれを押しとどめる。
「やめておこう、アイ=ファ。ひょっとしたら、彼には本当に悪気なんてなかったのかもしれない」
俺がそのように耳打ちすると、アイ=ファは目を細めたまま至近距離でにらみ返してきた。こんな眼光を差し向けられて平静でいられるニーヤというのは、やはりなかなかの神経である。
「ちょっと上手く説明できないんだけどな。このニーヤっていうのは、たぶん……俺たちとは違う目線で生きているんだよ」
「意味がわからん。私はこれほど癇に障る人間とまみえたのは初めてかもしれん」
「うん、だからアイ=ファは、あんまり関わらないほうがいい。俺以上に、アイ=ファやジザ=ルウはこのニーヤと相性が悪いんだよ」
口では上手く説明できないが、俺にはそうとしか思えなかった。きっとこのニーヤというのは、町の人々や貴族たちともまったく異なる感性で生きているのである。
芸術家肌というか何というか、俗世のしがらみを屁とも思っておらず、それを顧みない。タイプとしてはギャムレイもその部類であろうが、それでもあの御仁はまだ自分の物言いが余人にどのような作用をもたらすかを自覚していたように思える。そういう自覚が、このニーヤには完全に欠落しているように思えてならないのだった。
それでいて、ニーヤはあれほどまでに優れた歌い手であった。
そんな彼は、俺にとって「社会性は欠落しているが天才的なミュージシャン」というイメージにぴったり合致してしまったのである。
この想像が的外れでなかったのなら、質実にして剛健たる森辺の狩人とは目眩がするぐらい噛み合わせが悪いように思えるのだ。
(言ってみれば、ヴァルカスだってそういうタイプだもんな)
だからアイ=ファは、ヴァルカスのことも苦手にしているように思えた。ヴァルカスとニーヤの違いは、俺という人間に対してどういう思いを抱いているか、というところにあるのだろう。ヴァルカスは俺に対して善意やら執着心やらを抱いているが、このニーヤはそうではない。どちらかというと、アイ=ファと懇意にしている俺の存在を疎ましく思っている。そんなニーヤとアイ=ファが交流を重ねても、俺には不幸な未来しか思い描くことがかなわないのだった。
「俺たちもこれから城下町に向かうのですよ。申し訳ありませんが、これで失礼させてもらいますね」
俺がそのように述べてみせると、ニーヤは何か言いかけてから口をつぐみ、気取った仕草で肩をすくめた。そういうところも、彼はギャムレイによく似ている。
「それではまた、愛しき人よ。ジェノスを離れる前に、せめて一曲はあなたに歌を捧げさせていただきたいね」
「そのような申し出は、断固として断る」
重たい斬撃のような声音で答え、アイ=ファは荷台に乗り込んだ。
「ちぇっ」と舌を鳴らすニーヤを尻目に、俺たちはようやく城下町へと出立することがかなったのだった。