ルウ家のお泊り会④~晩餐~
2016.8/16 更新分 1/1
・今回の更新はここまでとなります。更新再開まで少々お待ちください。
・また、当作の掲載二周年を祝して、キャラクターの人気投票を開催させていただきたく思います。番外編の主役を決めるアンケートも同時に集計しますので、ご興味のある方は活動報告をご参照くださいませ。
日没の、下りの六の刻。
俺たちは、ルウの本家で料理の山を囲んでいた。
《ギャムレイの一座》の面々は、もちろん日が暮れる前に帰宅している。レム=ドムも、ガタガタの身体を引きずって自分のねぐらに戻ったようだ。それでも6名の客人に俺やアイ=ファたちまで加わっているので、さしもの本家の広間も完全に人間で埋まってしまっていた。
「このルウの家の晩餐に町の人間を招くというのは、初めてのことだろう。かつては不幸な行き違いでおたがいに忌避しあっていた町の民らとこうして新たな縁を紡げたことを、森と西の神に感謝したく思う」
重々しい声音で、ドンダ=ルウがそのように口火を切った。
「ダレイムの野菜売りドーラ、その娘ターラ、宿場町の民テリア=マス、同じくユーミ、トゥランの民ミケル、その娘マイム。……それがこの夜、ルウの家に招いた客人らの名だ」
半円を描く形に座った親父さんたちが、それぞれ恐縮したように頭を下げる。
「こちらの名はおおかた伝わっているのだろうが、いちおう全員の名を改めて告げさせてもらう。俺はルウ本家の家長ドンダ=ルウ、隣は最長老のジバ=ルウ、右手に座すは、長兄ジザ=ルウ、次兄ダルム=ルウ、末弟ルド=ルウ、長姉ヴィナ=ルウ、次姉レイナ=ルウ、左手に座すは、家長の嫁ミーア・レイ=ルウ、家長の母ティト・ミン=ルウ、長兄の嫁サティ・レイ=ルウ、その子コタ=ルウ、三姉ララ=ルウ、末妹リミ=ルウ――そして客人、ファの家のアイ=ファとアスタ、ザザ家のスフィラ=ザザ、ディン家のトゥール=ディン、スドラ家のユン=スドラだ」
幼児のコタ=ルウも含めれば、総勢24名という大人数である。
しかも、しばらく顔をあわせない内に、コタ=ルウは激烈なる成長を遂げていた。あの草籠の中で眠らされていたコタ=ルウも、いまではよちよちと可愛らしく歩くことが可能なり、かなり小さめであったその身体もひとまわりぐらいは大きくなっていたのである。
何でも、茶の月にはコタ=ルウも2歳を迎えるのだそうだ。性別不明であったその小さな顔もすっかり男の子っぽくなり、黒褐色の髪もふさふさになっている。ひょっとしたら、もうアイム=フォウより大きいぐらいかもしれない。いくぶん黒みの強い瞳をきらきらとあどけなく輝かせながら、コタ=ルウはサティ・レイ=ルウの膝に座らされていた。
「それでは、晩餐を開始する。……森の恵みに感謝して、火の番をつとめたティト・ミン、ヴィナ、レイナ、リミに礼をほどこし、今宵の生命を得る……」
森辺の民はドンダ=ルウの言葉を復唱し、客人たちもそれぞれの習わしに従って食前の礼をした。
今日の料理は、ルウ家のかまど番が作りあげたものである。勉強会の成果が後からつけ加えられたのみで、俺はいっさい手を出していない。
献立は、ケルの根を使用した『ミャームー焼き』、タラパのソースを使ったロースおよびアリアとティノとチャンのソテー、アリアとネェノンを加えたチャッチのサラダ、そして香草をふんだんに使った肉団子とタウ豆のスープであった。
主菜は何か別の焼き肉料理を予定していたそうであるが、ケルの根を加えた『ミャームー焼き』の味わいにレイナ=ルウがひどく感銘を受け、急遽取り入れたものだ。タウ豆は、すでに完成していたスープに後から加えられたものである。
それに、果実酒をたしなまない人間の手もとには、のきなみゾゾ茶が並べられている。飲料用のカップというものが存在しないので、器は木皿だ。今後、ルウ家でも茶を飲む習わしが根付くようであれば、専用の器が取りそろえられることになるのだろう。
「いやあ、どの料理も美味いなあ。やっぱりルウ家ってのは森辺の中でもとりわけ腕のいいかまど番がそろっているのかな?」
ロースのソテーを頬張りながらドーラの親父さんが発言すると、レイナ=ルウがひかえめに微笑を返した。
「わたしたちは一番古くからファの家とつきあいがあり、そしてアスタにも一番長き時間をかけて手ほどきをしてもらえているのですから、そうありたいと願っています」
「いやあ、本当に見事なものだよ。これだけ美味い料理に仕立ててもらえて、野菜売りの冥利につきるってもんだ」
「ほんとだよねー。アスタたちは宿屋にも料理を卸してるけど、あんまりそっちで手を広げられるとあたしらも太刀打ちできなくなっちゃうよ」
「そんなことはないだろう。《西風亭》のギバ料理だって好評じゃないか?」
俺が言うと、ユーミは「いやいやー」と白い歯を見せた。
「ま、うちではあんまり立派な食材は使えないけど、たまーに《キミュスの尻尾亭》なんかに乗り込んでみると、こいつは勝てないやーって思い知らされちゃうんだよね。……で、あれってアスタとレイナ=ルウたちが交代で作ってるんでしょ?」
「うん、そうだよ」
「それがあたしには全然区別がつかないんだよね! レイナ=ルウは大したもんだよー」
レイナ=ルウは、くすぐったそうに微笑んでいる。そういえば、四姉妹の中ではレイナ=ルウが一番ユーミと交流が薄いのかもしれなかった。
そうしてユーミは、反対の側に視線を差し向ける。
「ところで、そっちのその子もよく食べてるね! えーと、コタ=ルウだったっけ?」
「ええ。わたしとジザの子です」
笑顔でうなずくサティ・レイ=ルウの足もとで、コタ=ルウはずるずるとスープをすすっていた。そちらで使われているのは肉団子であるし、他のギバ肉に関しても小さく切り分けてあげれば難なく口にできる様子である。
「可愛いなあ! 目もとなんて、お母さんにそっくり! あとでもう一回抱かせてね?」
「はい、喜んで」
たしかこの両名は初対面であっただろうか。しかしサティ・レイ=ルウも礼儀正しさと物怖じしない気性をあわせもつ女性であるので、客人たちに対してもまったく臆するところはないようだった。
「今日は本当にありがとうねえ……婆はずっとこの日を楽しみにしていたんだよ……?」
と、ミーア・レイ母さんの手を借りて食事を進めていたジバ婆さんが、上座からそのように述べてきた。
そちらに向き直ったドーラの親父さんが朗らかに笑う。
「楽しみにしていたのはこっちのほうさ。本当は、他の家族も連れてきたかったんだけどね。あんまり大人数で押しかけても申し訳ないから、あいつらは3日後まで我慢してもらうことにしたんだ」
「またそちらの家にもお邪魔したいところだねえ……あんたがたの迷惑にならなければだけどさ……」
「迷惑なことなんてひとつもないさ! 馬鹿騒ぎできるのは年に一回だけだけど、いつでも遠慮なく遊びに来ておくれよ」
俺はこっそり家長や跡取り息子の様子をうかがってみたが、どちらも別の意味で容易く感情を覗かせるタイプではないので、詮無きことであった。
「あたしもこの日を楽しみにしていたよ。宿場町の仕事なんて、なかなかあたしみたいな老いぼれにはつとまらないから、あんたがたと縁を結ぶ機会もなかったしねえ」
ティト・ミン婆さんも、ふくよかなお顔に楽しそうな笑みを浮かべている。こうして見ると、本家の女衆は気さくで大らかな人物が多い。特に年配の女衆は、若い娘たちほど町の人々と接点がなかったので、ずいぶん興味をひかれている様子である。
「そちらのあんたは、ミケルと言いなさったか。ずいぶん難しげな顔をしているけど、何か用事が足りていなかったら遠慮なく言っておくれね?」
そのように呼びかけられて、ミケルはむっつりとした面を上げる。
「俺は生来このような人間なので、気にかけてもらう必要はない。……それに、俺はただ料理の出来栄えに感心させられていただけだ」
「本当に美味ですね! このケルの根というのはとてもこの料理にあっていると思います!」
と、隣の娘が元気に相槌を打つ。
「森辺のみなさんはアスタと出会うまで美味しい料理というものに関心がなかったというお話でしたが、たった1年足らずでこんなに美味しい料理が作れるなんて、本当にすごいと思います。少なくとも、トゥランや宿場町でこんなに美味しい料理を食べられる場所なんて、そうそうないはずです」
「ほんとだよねー。数ヵ月前まで鍋にゾゾの実をぶちこんでたなんて信じられないよー」
強面の男衆がそろっているルウ家の食卓においても、ユーミやマイムはまったく怯む様子はなかった。テリア=マスも口数は少ないが、穏やかに微笑みつつ食事を進めている。
そしてリミ=ルウとターラに至っては、やっぱり隣の席を確保して、さっきからずっと楽しげな声をあげていた。ただ年齢が近いというだけで、なかなかここまでは仲良くなれないだろう。まわりの会話に参加していなくとも、この場の空気をなごやかにしている一因は明らかに彼女たちの笑い声にあるはずだった。
「そういえばさ、昼間にククルエルって東の民が屋台に来てたぜ?」
と、やや唐突にルド=ルウがそのように発言した。
客人たちはきょとんとして、男衆の間には緊張が走る。
「眠くなる前に報告しておくよ。俺の見た感じでは、けっこう信用してもよさそうな東の民だったな」
「……そんな大事な話を、どうして今まで黙っていたのだ?」
ジザ=ルウが静かに問い、ルド=ルウは「しかたねーじゃん」と肩をすくめる。
「俺は集落に戻ってからずっと旅芸人の連中を見張ってたし、ジザ兄たちがギバ狩りから帰ってきたときも、連中が町に戻るのを見届けてたからよ。今まで話す時間がなかったんだよ」
「その妙ちくりんな名前をしたやつは誰なんだい? 俺なんかが聞いてもよければだけど」
親父さんが尋ねると、ジザ=ルウは無言で父親に目を向けた。
ドンダ=ルウもまた無言で香り高いスープをすすり、ルド=ルウは「いいんじゃね?」とチャッチサラダをついばむ。
「むしろドーラなんかには意見を聞いたほうがいいんじゃねーのかな。貴族たちが何と言おうとも、実際に畑を耕してるのはドーラたちなんだからさ」
「おいおい、何だか穏やかじゃないね」
親父さんが不安げな声をあげ、それでドンダ=ルウは心を定めたようだった。
父親にうながされ、ルド=ルウがククルエルからもたらされた話をみんなに説明する。シムへの行路を確保するために、モルガの森に道を切り開こうという計画が練られている、という例の話だ。
「はあ、そいつはまた突拍子もない話だね! しかも北の民にそんな仕事を任せようだなんて、よくもまあそんな話を思いつくもんだ」
感心したような呆れたような声で言ってから、親父さんは「うーん」と手を組んだ。
「でもまあ、どうなんだろうね? 確かにこの数ヵ月は、ギバに畑を荒らされることもなく、無事にやっているよ。森を切り開いてギバの食い扶持が減っちまったら、またその平穏が破られちまうもんなのかね?」
「そいつは実際に木を切り倒すまではわかんねーなー。ま、貴族の連中はダレイムの側にも塀をおったてるつもりだとか言ってたけどよ」
「そいつもまたずいぶんな大ごとのはずなんだよね。何せダレイムは広いからさ。人手も材料もたいそうな量になるはずだし……あ、もしかしたら、森辺で切り倒した木を使って塀を立てるつもりなのかな?」
「それもまだわかんねーや。そもそも俺たちだって、まだ完全にその話を了承したわけじゃねーからさ」
「そうか」と親父さんはターバンのような布の巻かれた頭をぽんぽんと叩く。
「まあ、俺たちには貴族の決めたことに口出しする力なんてないからな。……ちなみにこの話はダレイムの領主らも了承済みなのかねえ?」
「おそらく、話が通っていないことはないと思います。反対なのか賛成なのかまではわかりませんが」
あの城下町での勉強会において、《黒の風切り羽》の名が出た際、ポルアースはちょっと奇妙な目つきで俺たちのほうを見ていた。まさしくあの頃に、族長たちはメルフリードと会談をしていたはずなのである。
「それじゃあ俺は、自分の土地の主人を信じることにするよ。領主そのものじゃなく、第二子息とやらのほうをね。あの御方だったら、俺たち領民や森辺の民の都合ってやつをそれなりに重んじてくれるはずだろうさ」
「うーん、あたしは森を切り開くって話そのものより、北の民を森に入れるって話のほうが心配かなー。よく知らないけど、あいつらは西の民をしこたま恨んでるんでしょ?」
ユーミが言うと、ルド=ルウが「ふーん?」と首を傾げた。
「よく知らないのに心配なのか? 城下町にマヒュドラの女ってのがいたけど、ユーミに負けないぐらい色っぽかったぜ?」
「色っぽさは関係ないでしょ! でも、そっか。トゥランだけじゃなく城下町でもマヒュドラの奴隷ってのは働かされてるんだね」
「いや、ジェノスで北の民を使役しているのはトゥランの前当主だけだったみたいだよ。その女性もトゥラン伯爵の屋敷で働かされていたんだ」
どうやらこの場にはマヒュドラの民について正しく知る人間はいなかったらしく、それ以降は話が続かなかった。
そこで、大人たちの深刻ぶった話など耳に入れている様子もなかったターラがふいに声をあげる。
「だったら、カミュアのおじちゃんがいればよかったのにね。カミュアのおじちゃんは、もともと北の民だったんでしょ?」
虚をつかれた様子で「確かに」と応じたのは、なんとジザ=ルウであった。
「この行いが正しいのかどうか、一番的確に判断ができるのはあの男かもしれない。そして、あの男であれば、それを直接ジェノスの領主に伝えることもできたのだろう」
「うん、そうだよねー。……あ、ごめんなさい! そうですよね?」
「……別に幼子がそのように言葉を選ぶ必要はない」
ジザ=ルウは静かに答え、少し離れた場所でその伴侶がくすくすと笑い声をあげた。
「しかし、貴様はマヒュドラの男衆とも言葉を交わしたことがあったはずだな、ファの家のアスタ」
と、ドンダ=ルウに呼びかけられて、俺は「はい」とうなずいてみせる。
「そのルド=ルウが言っていた女性の兄にあたる人物ですね。名はエレオ=チェルで、妹がどのような様子で過ごしているかを伝えたら、感謝の言葉を述べてくれました」
「……奴隷の身でありながらそのようにふるまえるのは、強い信義の心を持つ人間だけだろう」
ドンダ=ルウは、底ごもる声でそのように言った。
「むしろ、人間を道具のように使うジェノスの貴族こそに罪があるのではないかと思えてならんが……しかしマヒュドラにおいては、西の民が奴隷として扱われているという話だったな」
「ええ、カミュアがそのように言っていましたね」
スン家にさらわれた町の娘などは、そうしてどういうルートでか、マヒュドラに売られていったのだろう、という話であったのだ。
しかし、これ以上食卓の空気を重くはしたくなかったので、この場での発言は差しひかえさせてもらうことにした。
「俺たち森辺の民は、森の外のことになど注意を払ってこなかった。そんな俺たちが、奴隷というものについてとやかく言うことはできん。それも踏まえて、ジェノスの貴族たちと言葉を重ねて、正しい道を探す他ないだろう」
ドンダ=ルウも同じことを思ったのだろうか。その語調には、これ以上の問答は不要、とばかりの力強さが込められていた。
それで俺たちも会話の内容をもっと世間的なものに引き戻し、大事な客人たちとの交流に時間をついやすことにした。
族長筋の本家ということでいくぶん硬くなっていたユン=スドラなども、時間が経つ内に持ち前の明朗さを発揮して、客人やルウ家の人々に声をかけ始める。また、町の人々は森辺の習わしについてよく聞きたがっていたので、会話が途切れるいとまもなく、食事を楽しく進めることができた。
料理の話になればミケルにも水が向けられ、宿場町の様子についてはテリア=マスに意見が求められる。森辺の側ではミーア・レイ母さんやティト・ミン婆さんが、客人の側ではユーミやドーラの親父さんがうまく話を繋げてくれて、そういう寡黙な人々からも言葉を引き出してくれた。それを少しでも迷惑そうにしているのは、唯一ダルム=ルウぐらいのものであった。
「あんた、ずいぶん無口なんだね。こんなに美味しい料理を食べながら、ずーっとしかめっ面のままだし」
ユーミなどはそのように発言して、ダルム=ルウの眉をこれ以上ないぐらいひそめさせたものである。
「すっごく男前なのに、もったいないなあ。それでにっこり笑ってくれたら、年頃の娘はみんなのぼせあがっちまうだろうにさ」
「……そのようなことが、貴様などに関係あるか」
「関係はないけどさー。ルド=ルウとかララ=ルウとかも心配してたよ? もうすぐ20なのに、いつになったら兄貴は嫁を取るんだろうって」
「貴様たちは、町の人間に何を話しているのだ!」
右頬の傷を真っ赤に染めてダルム=ルウが怒鳴りつけると、ドンダ=ルウが「やかましいぞ」とそれを制した。
「晩餐の最中にでかい声をあげるんじゃねえ。……だいたい、ルドやララのほうが正しいだろうが? 貴様はいつになったら嫁を取るつもりなんだ?」
ダルム=ルウには気の毒であったが、そんなやりとりも彩りのひとつであった。
そうして料理は順調に減っていき、あらかたの皿が空になったところで、リミ=ルウが決然と立ち上がった。
「それじゃあそろそろお菓子を出すね! ターラ、手伝ってくれる?」
「うん!」
玄関口のそばに保管されていた、鍋のように巨大な木の器が、ふたりの幼き少女たちの手によって広間の中央へと運び込まれる。その間に、レイナ=ルウは保温用の小さなかまどから、ゾゾ茶のおかわりを配っていた。
「今日は新しいチャッチ餅だよ! 美味しくできたから、みんな食べてね!」
新たな木皿によそわれたチャッチ餅が、手から手へと受け渡されていく。
そのチャッチ餅は、うっすらココアのような色を帯びており、そして、淡い褐色のソースがかけられていた。
なんとリミ=ルウは大胆にも、ギギの葉にホボイの実という2種類の食材をいきなり取り入れてみせたのである。
ふるふるとした半透明のチャッチ餅にはギギの葉とカロン乳と砂糖が練り込まれており、褐色のソースはカラメル状にした砂糖にすり潰したホボイの実を添加したものであった。
カカオのような風味を持つギギの葉と、ゴマのような風味を持つホボイの実の合わせ技である。なかなか大胆な試みであったが、リミ=ルウもまたお菓子作りに関してはトゥール=ディンに次ぐセンスを有していたので、仕上がりは上々であった。
ソースのほうが十分に甘いので、餅本体の甘さはひかえめだ。ギギと乳の風味が豊かで、咽喉ごしも心地好い。ココア風味のわらび餅に、ゴマの香りがする甘い餡をかけたような仕上がりである。これは確かに、ゾゾ茶との相乗効果が期待できそうな味わいであった。
「ああ、こいつは美味しいねえ……」
ジバ婆さんも、顔をくしゃくしゃにして笑っている。
ひょっとして、リミ=ルウが菓子の中でも特にチャッチ餅に力を入れるのは、歯の弱いジバ婆さんを慮ってのことなのだろうか。
ともあれ、ジバ婆さんでなくとも、この味に文句をつける人間などいようはずもなかった。
「本当に美味ですね。食べ終えてしまうのが惜しいぐらいです」
思わず、といった口調でしみじみとつぶやいたスフィラ=ザザは慌てた様子で面を引きしめたが、目ざといリミ=ルウがそれを見逃すことはなかった。
「ありがとー! スフィラ=ザザはいっつも美味しそうにお菓子を食べてくれるから嬉しいなあ」
スフィラ=ザザは頬を赤くしたまま、答えない。
また、いまだに果実酒の解禁されていないルウ家の家長と次兄も、料理を食べるのと同じ勢いでチャッチ餅を食べていた。
「ああ、こいつは美味しいなあ。あんまり屋台の料理には向いてなさそうとか言っちゃったけど、こんなに美味しいと考えさせられちゃうよ」
ユーミやテリア=マスたちも、笑顔でチャッチ餅を食べている。本番でのお披露目を楽しむために、彼女たちは試食を控えていたのだ。
「いいなあ。わたしも作ってみたいなあ。……でも、菓子に手をつけるのは早いかなあ?」
マイムがこっそり尋ねると、そのぶっきらぼうなる父親はじろりとそちらをにらみ返した。
「肉や野菜や調味料の扱いと同時に菓子の作り方まで身につけられると思うなら、好きに試してみるがいい。俺の知ったことではない」
「もー! 駄目なら駄目って言えばいいじゃん! そんな意地悪な言い方しなくっても伝わるんだからさ!」
そんな父娘のやりとりを堪能しつつ、俺はふっとかたわらのアイ=ファのほうを見てみた。
アイ=ファは変わらず静かな面持ちでチャッチ餅を口に運んでいる。
「なあ、どの料理も文句なく美味かったな?」
「うむ」
「3日後の宴が楽しみだよ。完全な客人扱いってのも悪くないもんだ」
「しかし、その前日にはまた城下町に出向かなくてはならんのだ。そちらも楽しいだの何だのと言っていられればよいのだがな」
そういえば、2日後にはサトゥラス伯爵家との和解の会食が執り行われるのだった。俺たちは名指しで招かれたわけではなかったが、宿場町の領主たるサトゥラス伯爵家とよりよい縁を結ぶために、参席を表明しているのである。
「まあ、ジェノス侯爵家が取りしきってくれるなら、そこまで心配する必要はないんじゃないのかな。どんな料理を食べさせられるのかは想像もつかないけど」
たしかヴァルカスは、別の貴族からの依頼があったので、その日の厨は任されていないはずなのである。サトゥラス伯爵家お抱えの料理長が厨を預かるのかどうか、目下思案中という話であった。
「たとえそれがヴァルカスであったとしても、私たちがこれほど幸福な気持ちを得られることはあるまい。森辺の集落で、同胞の料理を口にする。これ以上の幸福が城下町に転がっているとは思えんからな」
「うん、それは俺も同感だよ」
それぐらい、この日の会食は楽しく、心が満たされた。
俺たちは、いずれ貴族たちともここまで幸福な心地を共有することができるのか。そんなことはわからなかったが、今この瞬間がとてつもなく楽しくて幸福であるという事実だけは、動かしようがなかったのであった。