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異世界料理道  作者: EDA
第二十一章 銀の月
364/1705

城下町の勉強会③~それぞれのギバ料理~

2016.8/10 更新分 1/1

 その後も、セルヴァの別の町から届けられたという食材がお披露目されたが、それほど目新しいものはなかった。

 すでにお馴染みのチャンやロヒョイや、それに緑色をしたタラパ、やたらとサイズの大きなチャッチ、色が白くて甘みの強いネェノンなどである。王都アルグラッドぐらい遠い土地であれば物珍しい食材もそろっているのだろうが、このたびはもっと近在の町からしか商団はやってきていなかったのだ。この場に集められた料理人たちもチャンやロヒョイの存在は見知っていたので、特に説明を賜る必要もなく、それらを買いつけることを約束していた。


 そうしてティマロたちは食材を抱えて厨を出ていき、残されたのは森辺のかまど番とヴァルカス御一行、それにポルアースのみである。

 この時点で、時刻は下りの四の刻の半。三の刻に召集された族長たちも、そろそろ帰路についている頃合いかもしれない。が、俺たちにとってはここからが大事な後半戦であった。


「ご挨拶が遅れました。あなたがあのミケル殿のご息女なのですね」


 ヴァルカスが、作業台をはさんでマイムに一礼する。


「わたしは《銀星堂》のヴァルカスと申します。ミケル殿とは面識がないのですが、《白き衣の乙女亭》では何度となく料理を味わわせていただきました。わたしとはずいぶん作法が異なるようですが、ミケル殿はジェノスでも屈指の料理人とお見受けしておりました」


「ありがとうございます。父が聞いたら、とても喜ぶと思います」


 頬を火照らせながら、マイムもぺこりと頭を下げた。


「わたしも父からあなたの評判は聞いていました。今日はあなたの料理も食べさせていただけるのですよね?」


「はい。そちらにばかりお手数をかけさせるのは申し訳なかったので」


「とても嬉しいし、とても光栄です。わたしなどの料理ではとてもご満足はいただけないと思いますが、今の自分にできる最善のものを仕上げてきましたので、どうかご感想をお願いいたします」


 俺たちは、各人がそれぞれの料理をすでに保温の状態にまで仕上げていた。俺とヴァルカスとマイムとレイナ=ルウたち、いったいどの料理から手をつけたものであろう。


「……この中ではわたしたちが一番未熟でありましょうから、まずはこちらの料理から味見をしていただけますか?」


 そのように述べたのはレイナ=ルウであった。

 ヴァルカスは「はい」と無表情にうなずく。

 リミ=ルウやユン=スドラたちが配膳を手伝って、ヴァルカスたちの前に皿を並べた。品目は『照り焼き肉のシチュー』である。ポルアースはとてもうきうきとした様子で手先を揉んでいた。


「いやあ、こいつは美味しそうだ。『黒フワノのつけそば』の試食をしたら、むやみに胃袋が騒いでしまってね。こんな中途半端な刻限なのに、さっきからずっと空腹でたまらなかったんだよ」


「……お口にあえば幸いです」と応じながら、レイナ=ルウたちはヴァルカスの姿しか見つめていなかった。

 ヴァルカスは、気負うことなく金属製の匙を取る。


「では、味を確かめさせていただきます」


 ポルアースやヴァルカスの弟子たちもそれにならった。

 しばらくは静かにシチューをすする音だけが響き、俺は自分の料理が食べられるときよりも緊張してしまう。前回の煮込み料理とは異なり、これはレイナ=ルウとシーラ=ルウにとって一、二を争うぐらい完成度の高いオリジナル料理であるのだ。これで駄目を出されてしまったら、さすがのレイナ=ルウたちもへこたれてしまうかもしれない。


 そんな息詰まる静寂の果てに、ヴァルカスはぼそりと「美味です」とつぶやいた。


「タウ油や砂糖の配合が、きわめて理にかなっているようです。それにこの風味は――ジェノスのママリア酒を使用しているのでしょうか?」


「はい。砂糖よりも果実酒の甘みのほうがこの料理には大事である、とアスタからも意見をいただきましたので」


 レイナ=ルウが無言であったので、シーラ=ルウがそのように答えることになった。


「タラパを味の主体として、そこにタウ油や果実酒を加えているのですね。さらに砂糖と塩と、乾燥させたピコの葉と――パナムの蜜も使っているのでしょうか」


「ええ、ギバの肉を焼く際に少しだけ使っています」


「なるほど。ギバの肉というのは野生の獣ゆえか非常に力強く、かつ乱暴な味わいでありますが、これらの味付けがそれを正しい形に整えているのでしょう」


 ヴァルカスはうなずき、シーラ=ルウとレイナ=ルウの姿を静かに見比べた。


「失礼ですが、あなたがたは本当にあの試食会で同席した方々なのでしょうか?」


「はい? それはどういう――」


「申し訳ありません。わたしは人間の顔を覚えるのがとても不得手なのです。失礼ながら、あなたがたはみな同じような装束を身に纏っているので、なおさら見分けがつかなくなってしまいます」


 シーラ=ルウは、やや困惑気味に口もとをほころばせる。


「はい、わたしたちはまぎれもなく、あの際に同席させていただいた森辺のかまど番です。以前の試食の会では不出来な料理をお出ししてしまい申し訳ありませんでした」


「そうですか。同じ人間が作ったとは思えぬような仕上がりでありました。これならば、アスタ殿が作った料理と言われても信じてしまったかもしれません」


 そのように言いながら、ヴァルカスはロイのほうに視線を転じた。


「森辺の料理人を侮るべからずというのは正しい言葉でありましたね。ええと……」


「俺はロイですよ。そろそろ名前ぐらい覚えてはいただけませんかね」


 ロイは仏頂面で答え、ヴァルカスは「失礼しました」と頭を下げる。


「まさしくロイ殿の仰っていた通りです。アスタ殿の他にもこれだけのものを作れる料理人が存在するのかと、非常な驚きにとらわれました」


「ヴァルカス、下働きの人間に敬称は余計では?」


 と、シリィ=ロウがすかさず声をあげ、ヴァルカスの首を傾げさせる。


「ですが、わたしはロイ殿を雇っているわけでもありませんので、ぞんざいに扱うわけにもいかないでしょう。そのような相手を呼び捨てにする気持ちにはなれません」


「え? ロイはヴァルカスに弟子入りしたのではないのですか?」


 俺が思わず口をはさんでしまうと、ヴァルカスは「いいえ」と首を振った。


「わたしにはこの三人がいれば十分ですし、これ以上の弟子を増やすゆとりもありません。ですから、弟子入りに関してはお断りさせていただいたのです」


「それでも彼が引き下がらなかったので、ヴァルカスではなく我々の仕事を手伝ってもらっているのですよ。ヴァルカスの仕事を邪魔しない、という条件でね」


 豪放に笑いながら、ボズルがそのように補足した。


「賃金も発生していないので、正確には下働きとすら呼べません。彼は我々とともにあり、その仕事を手伝うことで、少しでもヴァルカスの技術を学ぼうとしているのです」


「なるほど、そうだったのですか」


 俺はロイに目を向けたが、ぷいっとそっぽを向かれてしまった。

 色々と伝えたい言葉はあったが、このような場では彼も気恥ずかしいだろう。ということで、彼の決意と覚悟は胸の中だけで賞賛させていただくことにした。


「しかし本当にこの料理は美味ですな。アスタ殿と同様に、肉の扱いが素晴らしく長けています。キミュスやカロンではなくギバだからこそ活きる味でしょう。ヴァルカスの言う正しさというのは、そういう意味なのです」


 そのように言ってから、ボズルはおどけた仕草で分厚い肩をすくめる。


「まあ、わたしはすでに宿場町でその腕前を知らされておりましたからな。それはヴァルカスにも伝えていたのに、ちっとも耳に入れようとはしないのです」


「耳には入れました。ただ、自分の舌で確かめるまでは何もわからないと答えたまでです」


 ヴァルカスのつかみどころのない眼差しが、ゆっくりと俺たちを見回してきた。


「だけどこれは、やっぱりアスタ殿と同じ作法で作られた料理のようですね。彼女たちは、アスタ殿のお弟子なのでしょうか?」


「弟子というわけではありませんが、色々と手ほどきはしています」


「そうですか。では、ボズルやシリィ=ロウらと同じような立場なのでしょうね。……わたしから技術を学んでいるボズルらがゆくゆくはどのような料理を作りあげるのか、わたしはとても楽しみにしています」


 そこでヴァルカスの視線がレイナ=ルウたちのもとで留まった。


「あなたがたも、いずれはアスタ殿とは異なる道を進み始めるのでしょう。そのときにどのような料理が生まれるのか、わたしはとても楽しみです」


「ありがとうございます。あなたの料理には強く心を揺さぶられましたので、そのように言っていただけるのはとても光栄です」


 シーラ=ルウは深々と頭を下げてから、笑顔でレイナ=ルウのほうを振り返った。

 それと同時にレイナ=ルウの身体がぐらりと力を失い、シーラ=ルウにもたれかかってしまう。


「ど、どうしたのですか、レイナ=ルウ? 具合でも悪いのですか?」


「ごめんなさい……何か急に力が抜けてしまって……」


 シーラ=ルウに支えられながら、レイナ=ルウもヴァルカスに礼をした。

 その青い瞳には、うっすら涙が浮かんでしまっている。


「ヴァルカス、ありがとうございます。本当に、心からあなたの言葉を嬉しく思っています」


「わたしの言葉などにそれほどの重みはありませんよ。あなたがたが重んじるべきは、アスタ殿の言葉のみです」


 ヴァルカスは素っ気なかったが、そんなことはどうでもいいのだろう。寄り添い合ったレイナ=ルウとシーラ=ルウは、この上なく幸福そうな表情をしていた。

 彼女たちにとっても、ヴァルカスの存在は特別なのだ。そんな彼女たちがヴァルカスに認めてもらえたことが、俺には我がことのように嬉しく思えてしまった。


「それでは次は、わたしの料理をお願いいたします」


 マイムの言葉とともに、新たな皿が並べられていく。カロン乳をベースにした煮汁で煮込まれ、焼いたポイタンではさみ込まれた、ギバ肉と野菜の料理である。


「ふむ、これは宿場町で売られていた料理と同じものですな?」


 ボズルの問いに、マイムは「はい!」と元気にうなずく。


「復活祭を迎えてからは商売が忙しくて、他の勉強を進めることもできなかったので、今のわたしにとってこれを超える料理はありません。とても粗末な料理ですが、ご容赦お願いします」


「ほうほう。これもまた美味しそうな匂いじゃないか」


 そんな風に言いながら率先してマイムの料理を取りあげたポルアースは「うん、美味い!」と瞳を輝かせた。


「これは美味だね! 粗末だなんて、とんでもないよ。……ああそうか、ヤンも君のことはさんざんほめちぎっていたんだ。忙しさにかまけて、宿場町を訪れた際にはそんなことも頭から飛んでしまっていた。いやあ、これもまたアスタ殿に劣らぬお手並みだなあ」


「ありがとうございます」と、マイムはほっとしたように息をついた。やっぱり彼女にとっては貴族たるポルアースの機嫌を損ねることが一番心配だったのだろう。


 いっぽう、ヴァルカスたちはというと――シリィ=ロウ以外は、レイナ=ルウたちの料理を食したときと同じような反応であった。すなわち、ヴァルカスとタートゥマイは無表情で、ボズルは笑顔、ロイは仏頂面である。


 シリィ=ロウは、ものすごく真剣な面持ちになってしまっていた。およそ三口ていどで食べることのできるマイムの料理を、一口ずつ丹念に噛んでいる。なんというか、鬼気迫るという言葉がぴったりの物凄い気迫であった。


「これは、ミケル殿の料理です」


 やがてヴァルカスが、感情の読めない声で言った。


「いえ、かつてミケル殿が同じ料理を作っていたという意味ではありません。それでもこれは、ミケル殿の作法で作られた料理です」


「はい。わたしの師は父ですので。……もちろん、最近ではアスタの影響も受けてしまっているとは思いますが」


「アスタ殿は、もともとミケル殿に通じる作法を備えていますからね。だけどあなたは、やっぱりミケル殿のお子なのです」


 ヴァルカスは、真正面からマイムの顔を見据えた。


「マイム殿と仰られましたか。あなたはいったいおいくつなのでしょう?」


「わたしはこの年で11歳になりました」


「11歳……アスタ殿やシリィ=ロウより7歳も若いのですね」


 そういえば、シリィ=ロウは俺と同い年であった気がする。そんな彼女も、新年の訪れとともに18歳となったわけだ。

 それはともかく、ヴァルカスは不動のまま静かに昂揚しているようであった。


「あなたはすでに、自分の求める味をつかんでおられるように感じられます。このひと品だけの完成度でいえば、失礼ながらアスタ殿の力量をも超えていると言えるかもしれません」


「い、いえ、決してそんなことは――」


「しかし、ひと品の料理しか作れぬ料理人を一人前と評することはかないません。まだそのようにお若いあなたが、今後はどのような料理を作りあげていくのか……想像しただけで、胸が打ち震えます」


 そうしてヴァルカスは小さく頭を振って息をついた。


「ただ、ひとつだけ懸念があります。アスタ殿の仰る通り、幼子というのはとても鋭敏な味覚を有しているのですよ」


「え?」と俺は思わず声をあげてしまう。

 それはもしかして、食材の吟味の際にリミ=ルウやトゥール=ディンに告げた言葉のことなのだろうか。あのときは、他の人々に聞こえぬよう声をひそめていたはずなのだが。


「あなたの舌がその鋭敏さをどこまで保つことができるのか、それによってあなたの道は定まるでしょう。もしもあなたがその卓越した味覚を備えたまま年を重ねることができたなら――間違いなく、わたしやミケル殿を超える料理人になれるはずです」


「父を超えることなんて、わたしには到底できそうにありません」


 そのように応じるマイムは、まったく普段と異なる様子もなく無邪気に微笑んでいた。


「でも、あなたにそのように言っていただけるのはとても光栄です、ヴァルカス。これからも父の教えに従って、ひとつずつ前に進んでいきたいと思います」


「はい。あなたがどのような料理人に育つのか、それを見届けるまでわたしも生きながらえたいものです」


 そう言って、ヴァルカスはちらりとシリィ=ロウのほうを見た。


「シリィ=ロウ、今度はあなたより若い料理人がこのように素晴らしい腕前を見せてくれました。あなたも励みにしてください」


「……はい」とシリィ=ロウは低い声音で応じる。

 俺が賞賛されたときのように取り乱したりはしていない。が、その瞳はあのとき以上に爛々と燃えさかっているように感じられてしまった。


「それでは次は、俺の料理をお出ししますね。トゥール=ディン、手伝ってもらえるかな?」


「はい」


 俺の料理には仕上げが残っていたのだ。それを手早く片付けてから、俺はユン=スドラたちに器を運んでもらった。


「ああ、この料理を心待ちにしていました」


 そのように言いながら、ヴァルカスはけげんそうに小首を傾げた。


「しかし、いささか香りが異なるようですね。海草や魚の燻製まで使っておられるのですか?」


「香りでそれがわかってしまうのですね。さすがはヴァルカスです」


 俺がこの場で準備したのは、カレーそばであった。

 ヴァルカスは『ギバ・カレー』を大いに気に入ってくれたとのことであったし、本日は『黒フワノのつけそば』を作る仕事があった。ならば、このメニューが一番相応しいし負担も少ないのではないかと思えたのだ。


 商売用のと一緒にこしらえたカレーを持参して、それをこの場でこしらえためんつゆで割っている。あとから加えたのは、とろみをキープするためのチャッチ粉のみである。

 個人的にはカレーうどんのほうが好みであるのだが、そばでも悪いことはないだろう。唯一の休業日であった銀の月の1日の晩餐で、めんつゆの比率や麺のゆで加減はじっくり研究させていただいた。出来栄えは、それなりのものだろうと思っている。


「ヴァルカスはこの食料庫にある最高の食材でカレーを作ってほしいと仰っていましたが、宿場町でも新鮮な食材を手に入れることはできるので、それほど仕上がりに差はないと思うのですよね。だけど、以前に食べていただいのと同じものをお出しするのでは面白みに欠けたので、黒フワノのそばと合わせたこの料理を召し上がってもらおうと考えました」


「この中には、あの細く切った黒フワノが沈められているのですか」


「はい。少々食べにくいかもしれませんが、ヴァルカスは温かいそばにも興味を示されていたようなので、ちょうどいいかと思いまして」


「ありがとうございます。何やら口にする前から胸が高鳴ってきてしまいました」


 そのように述べながらも、ヴァルカスはやっぱり無表情だ。

 なお、この料理はマイムや森辺のかまど番たちにとっても初のお披露目であったので、全員分を用意させていただいた。


 箸の扱いを練習中のレイナ=ルウ、シーラ=ルウ、トゥール=ディンの3名以外は、フォーク状の食器を手に取っている。さらに、麺を食べなれているタートゥマイ以外は、それでパスタのように麺を巻き取って、匙でこぼれないよう支えながら口に運んでもらうしかなかった。


 そうして真っ先に声をあげてくれたのは、やはりポルアースであった。


「うん、これも美味だね! というか、さきほど料理人たちに教えた冷たい汁で食べる食べ方よりも、いっそう美味に感じられるじゃないか!」


「そうですか。ありがとうございます。……まあ、カレーを仕上げるのはさきほどの汁を作るのよりもずいぶん手間や費用がかかりますからね」


「城下町であれば、費用については問題ないだろう。確かにこちらのほうがいっそう食べにくいようにも思えるけれど、やっぱり温かい料理のほうがジェノスの民には喜ばれるのではないかなあ」


 ならばいっそのこと、つけそばではなくかけそばにするべきであっただろうか。

 しかし、とろみのないつゆではカレーそばよりいっそう食べにくいし、あまり食べるのに手こずると麺がのびてしまう恐れもある。いちおうそこまで考えて、俺は温かいかけそばではなく冷たいつけそばをチョイスしたのだった。


「それにそもそもこのかれーという料理が絶品だからね! シム料理を食べなれていない宿場町の民にすら受け入れられているのなら、城下町ではそれより多くの人気を集めることもできるだろう。いっそのこと、かれーという料理の作り方も城下町の料理人たちに伝授してもらえれば、いっそうたくさんのシムの香草を買いつけることも――」


「いけません」とヴァルカスが静かに口をはさんだ。

 ちょっと目を離した隙に、お茶碗サイズの試食品を綺麗にたいらげてしまったようである。器には汁も残っていない。


「以前の試食の会でも取り沙汰されましたが、美味なる料理の作り方というのは料理人にとっての財産なのです。それを迂闊に余人に広めることはつつしむべきだと思われます」


「いや、だけど、黒フワノの料理についてはああして広めてしまったし、君だってさっきその気があるなら香草の使い方を教えようと言っていたじゃないか?」


「香草の扱い方と完成された料理の作り方というのは、まったく異なる話です。そして、黒フワノの料理に関しては――『フワノを細く切る』という料理が世に出された時点で、多かれ少なかれ余人に模倣されるでしょう。アスタ殿はそこにかかる時間と手間をはぶいただけなのだと、わたしはそのように理解しています」


 無表情のまま、またヴァルカスが少し早口になっていた。


「ですが、この料理を模倣することが誰にできましょう。これは、アスタ殿の功績です。この作り方を知るのは、アスタ殿の認めた人間のみであるべきです。わたしとて、弟子ならぬ人間に自分の料理の作り方を教えようとは思いません。料理人とは、そうあるべきなのです」


「ふうん、そういうものなのかなあ。……アスタ殿は、どのように思うのかな?」


「そうですね。これもまた自分の故郷では珍しくもなかった料理ですので、そういう意味では人に隠すようなものではない、とも思えますが――」


 だけど俺は、そこでよく考えてみることにした。

 ヴァルカスとは少し異なる観点から、俺も何かが心にひっかかっていたのである。


「――だけど、この料理をこの地で再現するのには、大変な手間と時間がかかりました。それを手伝ってくれたのは、もちろん彼女たちを始めとする森辺の女衆です。たくさんの香草をみんなで挽いて、味を確かめて、色んな組み合わせを試してみて、それでようやくこの味を再現することができたんです。もしも俺がひとりでその作業に取り組んでいたら、この料理はまだ完成していなかったかもしれません」


 ルウの集落やファの家で、とてもたくさんの女衆が俺の仕事を手伝ってくれた。最近ではどの料理を開発するのにも同じような協力を得られていたが、やっぱり一番苦労が多かったのはこのカレーであったのだ。


「そんな苦労をして作りあげたカレーという料理の作り方をうかうかと広めてしまうのは、みんなに対して申し訳ないように思えてしまいます。もちろん、カレーの素を使って独自の料理を作っていただくのは大歓迎ですし、実際に宿場町ではそういう扱いにしていますが、みんなで苦労をして完成させた香草の配合については、もうちょっと慎重に考えたく思います」


「なるほど。アスタ殿がそういう気持ちでいるのなら、もちろん無理強いはしないよ。現時点でもかれーに使う香草は少し足りないぐらいの状態であるのだからね」


 黄色く染まった口もとを丁寧にぬぐいつつ、ポルアースはにっこりと微笑んだ。


「そして、そのように正直な心情を述べてくれるのも、とてもありがたく思っているよ。これからも、森辺の民とは手を取り合っていきたいからね。また僕が知らず内に無茶な申し出をしてしまったときは、遠慮なく言葉を返してほしい」


「はい、ありがとうございます」


「それにしても、ヴァルカス殿の入れ込みようもなかなかのものだね。『黒フワノのつけそば』は試食すらしようとしなかったのに、こちらの料理に対しては目の色が変わってしまっているじゃないか?」


「この料理は特別なのです。これほど巧みにシムの香草を扱える料理人は、城下町にもなかなかいないでしょう。しかもアスタ殿は今日、その料理に海草や魚の燻製までをも使用して、さらなる広がりを見せてくださいました」


 深い緑色をしたヴァルカスの目が、ゆっくりと俺のほうに差し向けられる。


「この料理は完成されています。唯一、野菜の選別にはまだ考慮の余地があるようにも思えますが……」


「ああ、これは宿場町で売りに出している商品ですので、材料費を抑えているのですよね。自分の家で作るときは、別の野菜やキノコを使ったりもしています」


「ですから、わたしはそういう十全な形でこの料理を味わってみたかったのです」


 ヴァルカスの秀麗な眉が、ほんの少しだけ角度を下げる。


「それは申し訳ありませんでした。でも、他の献立に関しても同じことが言えますが、料理に唯一絶対の形というものは存在しないように思うのですよね」


「……それはどういう意味でしょう?」


「ええ、この料理で言うならば、使う肉だってギバにこだわる必要はないのだと思います。キミュスやカロンでだって同じぐらい美味しく仕上げることができますし、使う野菜も個人の好みで変わってくるでしょう。宿場町の宿屋のご主人たちも好きな野菜を使っていますし、人によってはそちらのほうが美味である、と感じると思います」


 それでもまだ真意が伝わっていないようなので、俺はさらに言葉を重ねることにした。


「俺の故郷では、カレー専門店というものがあって、それで色々なカレーを楽しむことができたんです。たとえば揚げた肉を添えてみたり、焼いた卵を載せてみたり、ふんだんに野菜やキノコを使ってみたり――あとは辛さの度合いも調節できましたし、どういう出汁を使うかを選べる店などもあったようですね」


「使う出汁まで変えてしまったら、それはもう異なる料理になってしまうのではないですか?」


「いえ、それでもこの料理は香草の味と香りが強烈なので、やっぱり『カレー』という枠の中に収められるのだと思います。で、どんなカレーを望むかは人それぞれですので、唯一絶対の答えなどはない、と俺には思えてしまうのですよね」


 ヴァルカスはしばらく沈思してから「なるほど」とつぶやいた。


「あなたはやっぱり特別な料理人です、アスタ殿。渡来の民なのですからそれが当然なのでしょうが、わたしはその意味をようやく理解することができました」


「はあ。それはどういうことでしょう?」


「マイム殿やそちらの森辺の方々も、決してアスタ殿に劣る腕ではないように思うのです。このかれーという料理はわたしの中で特別なものですが、それ以外の料理と比べるなら、彼女たちの腕前はアスタ殿に匹敵しています。だけど、それでも、やっぱりあなたは特別な存在なのです。異国で生きてきたあなたの考え方、あなたの作法というものが、あまりに特別に過ぎるのです。だからわたしは、アスタ殿の存在に執着してしまうのでしょう」


 そう言って、ヴァルカスはそっとまぶたを閉ざした。


「あなたの作法を真似ることはできません。でも、わたしはあなたの料理を欲し、あなたを知りたいと願ってしまうのです。どんな料理人にも、このような思いを抱くことはありませんでした。あなたはわたしにとって特別な存在なのです、アスタ殿」


「……ありがとうございます」と、俺は頭を下げてみせた。

 しかし、昂揚しているヴァルカスと異なり、俺は若干の物寂しさを感じてしまってもいた。


 俺が特別なのは、俺の努力の結果ではない。俺はただ、何かの見えざる手によって、ここまで運ばれてきただけの身であるのだ。この世界で俺は特別な存在なのかもしれなかったが、そんなことを誇る気持ちにはなれなかった。


(でも、そんな俺だからこそ、森辺のみんなのお役に立てているんだよな)


 そして、ヴァルカスのような料理人ともこうしてただならぬ縁を結ぶことができたのだ。変にいじけたりはせず、その結果は素直に喜ばせていただこう、と俺は心の中で決断することにした。


 そうして本日の締めくくりとして、俺たちはいよいよヴァルカスの料理を試食することになったのだった。

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