城下町の勉強会②~新たなる食材~
2016.8/9 更新分 1/1 ・2017.8/21 誤字を修正
それからおよそ90分ていどが経過したのち、『黒フワノのつけそば』は無事に完成した。
ひかえめながら、各種の天ぷらも同時に作りあげている。それらを口にした人々は、非常な熱意をもって感想を述べ合っていた。
「これは奇妙な料理ですな」
「フワノにこのような食べ方があるとは考えが及びませんでした。いささかならず食べにくい料理ではあるようですが」
「しかし、美味です。こちらの揚げ料理とも非常に相性はよいように感じられます」
これが2度目の試食となるヤンたちなどは、その様子を静かに見守っている。その中で、シリィ=ロウがヴァルカスを呼ぶために退席していた。この次は、新たに届けられた食材の吟味が開始されるのである。
そうしてヴァルカスの登場を待つ間も、料理人たちはひたすらディスカッションを繰り広げている。
「やはり、他の食材とともに煮込むのではなく、別々に熱を入れることによって、この食感が生み出されているのでしょうかな」
「食感に関しては、やはりこの細長い形からもたらされるものが大きいでしょう。ですが、短い時間で熱を通すからこそ、という面も無視はできませんし……ううむ、色々と試してみないことには何とも言えませんな」
「そもそもこれはバナームのフワノなのです。あげくにポイタンなどという馴染みのない食材まで使われているのですから、その時点でこれまでの知識は半分がた役に立たないのかもしれません」
トゥール=ディンのこしらえた試食品を彼らと同じようにたいらげたポルアースはその様子をしばらく満足そうに眺めていたが、やがて手を打ち鳴らしながら「さて!」と大きな声を張り上げた。
「アスタ殿の本日の指南はここまでとなるけれども、いかがなものかな? 僕は料理についてなど門外漢なので、技術の習得というものにどれほどの時間がかかるのかも見当がつかないのだよ」
ポルアースの言葉に、料理人を代表してヤンが進み出る。
「作り方そのものに難しいところがあるわけではありませんので、これ以上アスタ殿のお手をわずらわせる必要はないと思われます。あとは各自が研鑽して、美味なる料理に仕上げられるように励むばかりでありましょう」
「それならよかった。アスタ殿を何度も城下町に呼びつけるのは申し訳ないからね。他のみんなにも異存はないかな?」
異存は、ないようであった。
なんとなく、誰もが試食をする前よりも目に強い光が宿っているように感じられる。早く自分の厨に戻ってあれこれ試したい、とでも願っているかのようだ。
それをなだめるように、ポルアースが朗らかな笑みをふりまく。
「では、次の仕事は食材の吟味だね。これもまた、黒フワノの料理に劣らず大事な仕事だ。……先の復活祭の折には、また多くの商団がこのジェノスを訪れることになった。それで、ここしばらくは食料庫に不足していたさまざまな食材がどっさりと届けられることになったんだ。本当にトゥラン伯爵家の前当主というのは、あちこちに商売の手をのばしていたようだねえ」
料理人たちは、真面目くさった様子でその言葉を聞いている。次男坊とはいえ、ポルアースはダレイム伯爵家の本筋の血筋であるのだ。本来であれば、みずから厨に出向いてくるような立場ではないのだろう。
「トゥラン伯爵家と縁のなかった料理人には、それらの食材をどのように扱うかもわからないはずだ。それをこの場で、ヴァルカス殿やティマロ殿に説明していただこうという試みなのだよ。なかなか扱いの難しい食材も多いようだが、その目新しさはきっと城下町の民にも喜ばれると思う。希少な食材を腐らせることなく、前当主の悪念を民の喜びに変じてほしいというのが、ジェノス侯爵マルスタインからのお言葉だ」
料理人たちは、やはり無言で礼をしている。
ポルアースは普段通りの立ち居振る舞いであるのに、周りがへりくだることによって、貴族らしさが増しているように感じられてしまう。それも不思議な作用であった。
と、俺がそんな埓もない想念にふけっているところで、厨の扉が外側から開けられた。シリィ=ロウがヴァルカスを連れて戻ってきたのだ。
「……どうもお待たせいたしました」
「ああ、ヴァルカス殿。それじゃあ、この後はおまかせするよ。ひと通りの説明は済ませておいたからね」
「……はい」
ヴァルカスは、あんまり覇気のない感じで俺たちの前に立った。
ティマロがいくぶん胸をそらしながら、そのかたわらへと歩を進める。
「ようやくご登場ですか。わたしなどと同列に扱われて、ヴァルカス殿もさぞかし不本意なことでしょうな」
「……いえ」
「しかし、ヴァルカス殿のみでは役目を果たせぬと判断されてしまったのでしょう。何せあなたは、この食料庫に運び込まれる食材を誰にも横取りされたくない、などと考えておられるのですからな。不遜な物言いになってしまうやもしれませんが、そうして希少な食材を独占したいと願う気持ちは、伯爵家の前当主とさして変わらぬ心情なのではないでしょうか?」
「……かつての主人がどのような心情でいたのかは知りませんが、わたしはただ希少な食材を無駄に使われることが不本意なだけです」
そのように言って、ヴァルカスは小さく息をついた。
その年齢不詳の白い面に感情らしい感情は浮かんでいないが、どことなくしょんぼりしているように見えてしまう。
ティマロは「ふふん」と鼻を鳴らしながら、横合いに控えていたシリィ=ロウらに顎をしゃくった。
「では、お弟子らには食材を運んできていただきましょう。時間には限りがあるのですからな」
もちろんシリィ=ロウは刺すような目つきでティマロの姿をにらみ返していたが、他の3名はお行儀よく一礼してきびすを返した。
きちんと確認したことはないが、きっと彼らはヴァルカスがこの屋敷で働いていた頃からの弟子なのだろう。ロイもまた立場は異なるがこの屋敷に勤めていた身であるので、誰もがティマロとは旧知の間柄であるわけだ。
ともあれ、そんな彼らの手によってさまざまな食材が運ばれてきた。
ずっと静かにしていた森辺のかまど番たちも、期待の表情でそれを見守っている。
「まずはジャガルの食材からですな。こちらはホボイの実とタウの実、こちらはケルの根、それにシィマとマ・プラとマ・ギーゴに、あとはニャッタの発泡酒と蒸留酒です」
3種の野菜と発泡酒はすでにお馴染みの食材であったが、それ以外は俺にとっても未見の品である。
いったいどのような食材なのかと目を凝らしてみると、ホボイの実にタウの実というのはまだ袋の中なのでその姿はうかがえず、ケルの根というのは高麗人参のような形状をした白い根菜であった。2種の酒類は、どちらも土瓶に封じられている。
「シィマとマ・プラとマ・ギーゴに関しては、これまでも食料庫に残っておりましたが、あまり城下町でも出回っていない食材であったようなので、いちおう準備させていただきました。ご説明は、不要でありましょうかな?」
この問いかけに、半数ぐらいの料理人が「不要にあらず」という言葉を返した。この食料庫に届けられる食材が市場に解禁されて、すでに4ヶ月ぐらいが経過しているが、彼らの店では取り扱う機会がなかったらしい。
「マ・プラとマ・ギーゴというのは、その名が示す通り、プラとギーゴの亜種であります。これはジャガルのみならず、セルヴァの西部からも届けられる食材です。マ・プラにはプラのような苦みがなく、マ・ギーゴにはギーゴのような粘り気がない。そういった考えで扱えば、これまでの料理に応用することも難しくはないでしょう」
「では、シィマというのは? すいぶん奇妙な形をした野菜のようですが」
「シィマはジャガルでのみ採れる野菜です。生で食することもできますが、タウ油などで煮込むのが主流でありますな」
ダイコンに似たシィマであるが、表皮はヘチマにそっくりであるのだ。
だけどこのへんの講釈は、俺もすでにミケルから聞き及んでいた。
「これらの野菜は以前から城下町でも多少は出回っておりました。が、大きな商団はすべてトゥラン伯爵家とのみ通じ合っていたので、ごく限られた店でしか扱うことはかなわなかったようです。……しかし、これらの食材は前回の会合でもお披露目されているはずですな、ヴァルカス殿?」
「…………」
「アスタ殿やヤン殿の尽力によって、宿場町ではもうこれらの野菜も多く出回っているようです。それなのに、城下町の料理人にはまだこの扱い方を知らされていない人間が存在するというのは奇異なるものです。このていどの説明をするのに大した手間などかかることはなかったでしょうになあ?」
どうやらヴァルカスを責めるためなら、俺を持ち上げることさえ厭わないようだ。なかなか確執の深そうな両者である。
それにしても、「前回の会合」というのは俺の知らない話であった。ひょっとしたら、以前にもこのような集まりが城下町においては開催されていたのだろうか。
で、その講師役を担ったヴァルカスが、食材を独占したいがためにロクな説明をしなかった、と考えれば、ティマロの発言も納得することができる。
(本当に業の深い人間なんだなあ、ヴァルカスは)
もしかしたら、俺やヤンが宿場町での普及活動に失敗していたら、これらの食材も食料庫で腐り果てる結果になっていたのかもしれない。やたらと俺たちに感謝しているトルストの言動も、そう考えればそんなに大げさではなかったということだ。
「では、いよいよホボイの実とタウの実、それにケルの根に取りかかりましょう。これらは掛け値なしに、トゥラン伯爵家にしか届けられていなかった食材です。かつてこの屋敷に雇われていた方々以外は、全員が初のお目見えとなりましょう」
いっぽうティマロは、これまでで一番いきいきしているように見えた。性格的に、こういう役目があっているのだろう。やっぱり適材適所というのは大事なのだ。
「ホボイの実は、いささか扱いが難しいやもしれません。料理の味を壊す恐れが少ない反面、効果的に使うのが難しい食材であるのです」
ティマロの手によって、片方の袋の中身が木皿にぶちまけられた。
若干当惑したようなざわめきが人々の間からたちのぼる。
それは一粒が2ミリていどの大きさしかない、とても小さな種子のような食材であったのだ。
「これは――シムから持ち込まれる香りづけの種子のようなものなのでしょうか?」
「そうですな。すり潰して使えば、甘い香りを放ちます。わたしなどは、カロンの乳や乳脂を使った汁物料理でこのホボイの実を使うことが多いですな」
ティマロはうなずき、一番近くにいた料理人に木皿を手渡した。
「これはすでに熱を通してありますので、味や香りをお確かめください。一見ちっぽけな食材に見えてしまいますが、このホボイの実というのはとても滋養が豊かなのです。ジャガルでも、誰もが喜んで口にする食材なのですよ」
そうして料理人たちは小さな種子を嗅いだりかじったりしていたが、その面はいずれも曇ったままであった。こんなものを使ってどんな料理を作ればいいのか、といわんばかりの表情である。
で、最後に俺たちのもとへも回ってきたので、同じように味と香りを確かめさせていただいたのだが――俺はひとり、喜びの声をあげることになった。
「ああ、これはいいですね。そんなに値の張らない食材なのでしたら、俺も買わせていただきたいです」
ティマロは「ほほう」と俺を振り返ってきた。
「重さで換算すれば、値はチットの実と同じていどでありますよ。しかし、これを料理に活かす自信がおありなのでしょうかな?」
「はい。俺の故郷にも、これとよく似た食材はありましたので」
そのホボイの実から感じられるのは、ゴマとよく似た味と風味であった。
白ゴマか、あるいは金ゴマに近い、甘くてふわりとした風味である。ぷちりと簡単に噛み潰せる食感もなかなか心地好い。
「確かにシムの香草のようにはっきりとした味や香りをつけることは難しいのでしょうが、色々な料理に使えるような気がします。……あと、この実から油を絞ることはできないのでしょうか?」
「油? 何故、そのような?」
「俺の故郷では、そういう使われ方も主流であったのです。まあ、味が似ているだけで油分が少ないなら、そういう使い方はできないのでしょうが」
「いえ、ジャガルの南部ではレテンと同じぐらいホボイの油が使われておりますよ。作り方も、レテンとそれほどの差はないはずです」
そのように発言したのは、南の民たるボズルであった。
「わたしはジャガルでも北部の生まれですので、あまり口にしたこともありませんが、しかし、きわめて風味の強い油であったように思います」
「そうですか。ホボイの油がジェノスでも使えるようになったら、俺はとても嬉しいですね」
ゴマそのものよりもゴマ油のほうが、俺としては格段に献立の幅を広げられるのである。というか、今でも中華風の料理を何点か作製しているが、ゴマ油が存在しないためにひと味足りていない献立が多数存在するのだ。
「……まあ、ジャガルでもそのような使われ方をしているならば、試してみるのも一興やもしれませんな」
なんとなく言葉を濁しつつ、ティマロは「さて!」と気を取りなおした様子で大きな声をあげた。
「お次はタウの実ですな。これは名前からも察せられる通り、タウ油の原材料として使われている食材です。これも味が弱いゆえに、使いどころに迷う食材であります」
新たな木皿に新たな食材がぶちまけられる。
そちらは親指の爪ぐらいの大きさをした、まん丸の種子であった。色は象牙色でつやつやしており、そのまま大豆に見えなくもない。
「この種子からタウ油が作られるのですか。色合いはまったく異なっていますし、さして香りも感じられませんな」
「タウ油というのは、ジェノスではあまり馴染みのない『発酵』という技術が使われていますからな。シムやジャガルにはジェノスよりも気温の高い土地が多々存在するようなので、食材を保存する、という点において独自の技術を身につけるに至ったのでしょう。……ああ、こちらは熱を通していないので食することはできませぬよ。言ってみれば、これはフワノのようなものなのです」
「フワノ? それでは粉にしてから練り上げるのでしょうか?」
「いえ、このまま煮込めばやわらかくなりますので、それで食することはかないます。形を残すか潰して使うかはそれぞれの好みでありましょうな。ジャガルやシムの一部では、そうしてこれをフワノの代わりとして食しているのです」
ティマロの視線を受けて、今度はタートゥマイが進み出る。
「シムではフワノやシャスカが主食として食べられていますが、それらの育ちにくい南西部の地域などでタウの実は食べられているようです。ジャガルでも、そこに近い地域で同じように食べられているのでしょう」
「ああ、ジャガルでいえば北東部ですな。つまり、シムとの戦が繰り広げられている地域でよく食べられている、ということです」
ボズルの発言に俺は一瞬ドキリとしてしまったが、タートゥマイはシムの血を引いているだけで、所属としては西の民なのである。長身痩躯で、色は浅黒く、しわ深い面はいつも無表情なので、うっかりすると東の民のように思えてしまうのだ。
「こちらも強い味を持つ食材ではないので、フワノを扱うような気持ちで扱えば、手立ては見つけやすいと思われます。……それでは最後に、ケルの根ですな」
うねうねと奇怪な形状をした根菜である。ティマロは作業台の菜切り刀で、それを手早くみじん切りにした。
「こちらは、きわめて強い味と香りを有しております。気持ちとしては、シムの香草を扱うつもりで臨むべきでありましょう」
その言葉を受けて、人々はわずかな量をつまみ、味や香りを確かめた。
同じように、小さな指先でケルのみじん切りを口に放り入れたリミ=ルウが、「わゃー」という判別の難しい悲鳴をあげる。
「からーい! 何だか、生のミャームーみたい!」
「確かに、風味はずいぶんと異なるようですが、この辛みはミャームーに通ずるものがあるようですな」
と、遠くのほうからヤンが相槌を打ってくれる。
確かめてみると、みんなの言う通り強烈な味と香りであった。
みじん切りで、ほんの少量しか口に入れていないのに、ぴりりとした辛さが舌を刺してくる。確かにこれはミャームーや香草と同じように、調味料として扱うべき食材であるようだった。
(だけどけっこう後味はすっきりしてるな。どことなく、ショウガに似ているような感じがしなくもないし)
ならば、ギバ肉との相性も期待できそうだ。
そのように考えていたら、「いかがですかな、アスタ殿?」とティマロに名指しで問われてしまった。
「アスタ殿はヴァルカス殿に驚嘆されるぐらい香草の使い方にも長けていると聞き及んでいます。そんなアスタ殿であれば、このように強い味を持つケルの根も正しく扱うことができるのでしょうかな」
「そうですね。とりあえず、タウ油や砂糖や果実酒などとの相性を確かめてみたいと思います。それに、さきほどみなさんに食べていただいた『黒フワノのつけそば』の薬味にも適しているかもしれません」
ティマロは、ぎょっとしたように目を剥いた。
「……ずいぶん具体的なのですな。これもアスタ殿の故郷に似たような食材が存在した、ということなのでしょうか」
「え? ああ、はい。わりあい似ているかもしれません。それに、ミャームーとの相性も気になるところですね」
うまくいけば、生姜焼きの応用であみだしたミャームー焼きを、より理想に近い味に仕立てられるかもしれない。ならば、ホボイやタウよりもいっそう俺にはありがたい存在になりうるだろう。
「……あとはニャッタの発泡酒と蒸留酒ですな。ジェノスではママリア酒が好まれているため、いまひとつ売れ行きは芳しくないようですが、ジャガルではこれらの酒で肉を煮込むという作法が存在しますので、料理に取り入れるのもひとつの手段やもしれません」
発泡酒は、俺もすでに知っていた。が、ママリアの果実酒よりも値は張るし、あんまり風味の強い酒でもなかったので、けっきょく使用には至っていない。ナウディスなどはこの発泡酒に漬けると肉がやわらかくなる、と言ってそれを実践していたが、それでもやっぱり値段の高さがネックになってしまうのだ。
しかし、同じ原材料でありながら、ニャッタの蒸留酒というのはかなり風味が豊かであるようだった。
俺は酒などたしなまないが、清酒のように甘くてまろやかな香りがする。これを主体にしなくても、『ギバの角煮』や『ギバ・チャッチ』などで風味づけとして使えば料理の味を高めることはかなうかもしれない。
「ジャガルの食材は以上となります。あとは各自で持ち帰っていただき、実際に使ってもらうべきでありましょう。……ヴァルカス殿、何か他につけ加えるべきことがあればどうぞ」
「……いえ、べつだん」
「食材を無駄に使われたくないというお気持ちならば、むしろ率先して助言するべきではないでしょうかな?」
「……わたしと同じ使い方をしても同じ味になるわけではありませんし、食材の使い道というのは料理人それぞれで異なってくるのが当然と思っています。食材の説明や来歴についてはティマロ殿が十分に説明してくださったので、わたしからは特につけ加えるべき言葉もありません」
ヴァルカスはぼんやりとした口調で応じ、ティマロは「そうですか」と肩をすくめた。
「ですがこの後には、シムの食材が控えております。香草などについてはヴァルカス殿が誰よりも多くの知識を蓄えておられるのですから、そうして黙りこくっているわけにもいかなくなるでしょうな」
「…………」
「では、シムの食材をよろしくお願いいたします」
ヴァルカスの弟子たちが、再び食料庫に消えていく。
そうして次に彼らが戻ってきたとき、その手には色とりどりの香草が掲げられていた。
さまざまな香りがごっちゃになって嗅覚を刺激してくる。これはなかなかの破壊力だ。
「……右から順に、イラ、シシ、ナフア、ユラルです。そちらの肉はギャマの燻製肉、壺に入っているのはギャマの角と、ラムリアの黒焼きですね」
「ラムリア? それは香草でなく獣の名であるのでしょうか?」
「はい。シムの草原に住む赤い蛇だそうです」
蛇、の一言で料理人たちの顔色が変わった。中には後ずさっている者までいる。
「シムでは蛇を食するのですか? それはまた……ずいぶんおぞましい習わしですな」
「シムでも食材としてはそれほど好まれていないようです。しかし、ラムリアの黒焼きには強い滋養があるのです。……食料庫にも、ラムリアを漬けた酒がまだ残っていたはずですね」
そのように言ってから、ヴァルカスはポルアースのほうを振り返った。
「ポルアース殿、ギャマの角やラムリアの黒焼きというのは、シムでも薬として扱われているものどもです。これを料理に使うには、それこそ数年の修練が必要となりましょう。量を間違えれば毒にもなりかねませんし、これを無理に町で売ろうとするのは控えるべきだと思えるのですが……」
「なるほど。そういうことなら、そのふた品は差し控えておこうか。どのみち、ありあまるほどの量は届いていないようであったしね」
「……ありがとうございます」と述べるヴァルカスは、やはり無表情であったが、ずいぶんほっとしているように見受けられた。
ちなみにギャマの角もラムリアの黒焼きも粉末状にされていたので、もとの形を知ることはできなかった。
となると、残るは4種の香草にギャマの燻製肉である。
燻製肉は、ビーフジャーキーのように平たい形状で仕上げられていた。黒みがかった赤褐色で、けっこう脂肪の白い筋も見えている。
「……ジェノスでは新鮮なキミュスやカロンの肉を食することがかなうのですから、あえて燻製の肉を食したいと望む人間も少ないのではないでしょうか? 値段も、カロンの倍ほどもしてしまいますし……」
「うん、だけどまあ、君以外にもその食材を上手く使いこなせる料理人がいるかもしれないじゃないか? 使う使わないは各自の判断に任せるとして、とりあえずひと切れずつは持ち帰ってもらうべきじゃないのかな」
「……そうですか……」
「そういえば、裏の飼育小屋には生きたギャマまで届けられていたね。あれには驚かされてしまったよ」
ヴァルカスは切なげに目を細めながら、ポルアースのほうに一歩だけ詰め寄った。
「あれはわたしの要望で特別に届けてもらうことがかなったギャマたちなのです。生きたギャマを運べる商団など、シムでも彼らの他にはなかなか存在しないことでしょう。彼らは年に2度ほどしかジェノスを訪れることはなく、そして、10頭以上のギャマを運ぶのは難しいと仰っておりました。あれらはわたしひとりでも十分に使いこなすことができますので、他の方々の手をわずらわせる必要は――」
「だけど、生かしている間の餌代はトゥラン伯爵家が負担しているのだよね?」
「それぐらいならばわたしが支払います。必要であれば、わたしの家にギャマの小屋も作らせましょう」
たぶんヴァルカスは、俺と出会って以来では最上級に慌てふためいていた。表情はぼんやりとしたままであるが、わずかに早口になっているようなので、この予想はおそらく間違っていないと思う。
そんなヴァルカスを前にして、さしものポルアースも呆れたように笑い声をあげた。
「わかったよ。それじゃあ餌代と、ギャマの面倒を見る従者の手当ぐらいは君に負担してもらうことにしようか。……同じだけの負担を負ってまでギャマの肉を扱ってみたいという人はいるかな?」
反応する料理人はいなかった。
そんな中で、俺はひかえめに「あの」と手をあげてみせる。
「俺もギバ肉が専門なのでギャマ肉は不要ですが、あとで生きたギャマというのを見物させていただけますか? ギャマは頭の剥製ぐらいしか見たことがないので、一度その姿を見てみたかったのです」
「ああ、もちろんかまわないよ。……かまわないよね、ヴァルカス殿?」
「ええ、見るだけならば」
ヴァルカスはひと仕事を終えたかのように深々と息をつく。
それを横目に、ポルアースは丸っこい頬を撫でていた。
「それにしても、10頭ものギャマを運べる商団か。ヴァルカス殿、それはひょっとして《黒の風切り羽》という商団のことなのかな?」
「はい。トゥランの前当主とは7年来のつきあいがあるそうです」
「なるほどね」と言い置いて、ポルアースはちらりと俺たちのほうに視線を飛ばしてきた。
が、それ以上は言葉を重ねようとはせず、またヴァルカスのほうに向きなおる。
「それではギャマの燻製肉は各自に持ち帰っていただくとして、香草の説明をお願いしようか」
「はい。……イラには心臓の働きを助ける効能があります。シシは胃と腸、ナフアは咽喉の痛み、ユラルには悪い毒を解きほぐす効能があるとされていますね」
それきりヴァルカスが口をつぐんでしまったので、ティマロが「あのですな」と声をあげる。
「それは薬としての効能でありましょう。我々が知りたいのは、それを如何にして料理に使うか、ということなのです」
「……イラは直接火にかけるとすぐに砕けてしまうので、香味焼きには適しません。ユラルは熱を加えると、香気がすぐにとんでしまいます」
「…………」
「…………」
「ですから、ヴァルカス殿――」
「それ以上、どういう説明が必要なのでしょうか? わたしは複数の香草をあわせて使うのを常としていますが、その組み合わせや量を定めるのは、それぞれの料理人の手腕でありましょう?」
「…………」
「それを明かせというお話なのでしたらやぶさかではありませんが、しかし、どのような料理を作るかで組み合わせや量は異なってきます。それらのすべてをお伝えするには、まずわたしの扱っている20種あまりの香草のすべてを知っていただくところから始めなければなりませんが――」
「もうけっこうです。味や香りを確かめさせていただきますよ」
舌打ちをこらえているような顔で言い捨てて、ティマロが手ずから香草を取り分け始めた。
イラは赤いモミジのような葉、シシは黄色いモンキーバナナのような果実、ナフアは細長い笹のような葉、ユラルは黄緑がかった長ネギのような茎である。
ユラル以外は、からからに干されている。4ついっぺんに手渡されたので、この段階ではどれがどのような香りを発しているのかも判然としなかった。
「あ、リミ=ルウは無理して口に入れなくてもいいからね?」
俺がこっそり呼びかけると、早くも眉尻を下げていたリミ=ルウが「そうなの?」と反問してきた。
「でも、かまど番としてついてきたのに、リミだけ仕事をしなくていいのかなあ?」
「この吟味の仕事については、無理をすることないよ。それに、小さな子供っていうのは舌が敏感にできているんだ。リミ=ルウは、他のみんなより苦さや辛さを強く感じてしまうんだよ」
「そうなんだ? でも、苦いのはララのほうが苦手なのにね」
「うん、ララ=ルウは舌だけまだ子供なのかもね」
リミ=ルウは楽しそうに微笑み、香りだけを確かめることに決めたようだった。
「あ、トゥール=ディンも無理しなくていいからね? リミ=ルウとは2歳しか離れていないんだし」
「いえ、わたしは自分のために仕事を果たしたいと思います」
そう言ってトゥール=ディンは赤いイラの葉をひとかけらだけ口に運んだが、とたんに涙目になってしまった。
匂いはあんまり強くもないが、噛んでみると、激烈に辛い。チットの実をさらに強烈にしたかのような、トウガラシ系の辛さである。
(これが心臓の働きを助けるって本当なのかな。むしろ血圧が上がりそうだけど)
続いて干したモンキーバナナのごときシシは、これまた刺激的であった。香りは清涼だが、すうっと鼻に抜けていく辛さで、量を間違えたら涙がこぼれそうだ。
ナフアというのはこんなに乾燥しているのに妙に青臭い香りであり、噛んでみると、とてつもない苦さが口に広がった。これ単体では使い物にならなそうな苦さだ。
で、長ネギのごときユラルは、触ってみるとみっしり中が詰まっていた。茎根ではなく、枝と称してもいい硬さかもしれない。で、香りはほんのりと甘い感じで、お味のほうはミント系である。これまた料理で使うには難しい味わいだ。
「……どうにも扱いの難しい香草ばかりであるようですな。このユラルというのは、熱を入れると香気が失せてしまうというお話でありましたか?」
仏頂面をしたティマロの呼びかけに、「はい」とヴァルカスは小さくうなずく。
「若干の甘みは残りますが、風味などは消えてしまいますね。砂糖や蜜や果実の甘みに色を足す感覚か、あるいは生のまま後で加えるのが正しい使い方だと思われます。シムでは子供が菓子の代わりに生でかじっているという話でありましたが」
「ふむ、菓子で使うというのはひとつの手かもしれませんな」
ここに来て、初めてティマロがヴァルカスに同意を示した。
確かにミント系の香草であるならば、菓子でのほうが使い道はあるかもしれない。
「しかしそれ以外の香草については……ううむ……こちらのイラの葉などはチットの実とあまり変わりのないものであるようなのに、値段はずいぶん異なるはずでしたな?」
「ええ、その1枚でチットの実の50粒に値するのではないでしょうか。……チットの実と変わりがないと感じられたのなら、チットの実を使えばよろしいと思われます」
ティマロはぶすっとした顔で小皿を台に戻した。
「ヴァルカス殿の仰る通り、これらの香草は他の香草と組み合わせる他ないでしょう。すべてを持ち帰り、自分の厨で試させていただきます」
「そうですか」とヴァルカスは応じた。
やっぱりその面には何の感情も浮かんでいなかったが、俺にはとても残念そうにしているように見えてしまった。