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異世界料理道  作者: EDA
第二十章 太陽神の復活祭(下)
360/1675

滅落と再生④~再生の朝~

2016.7/25 更新分 1/1 ・2018.1/28 誤字を修正

・今回の更新はここまでとなります。更新再開まで少々お待ちください。

 それからおよそ3時間後に、俺たちの仕事は完了した。

 時間的には、ほとんど『中天の日』と変わらない。料理の数は300食分近く増やしたにも拘わらず、この結果だ。それはやっぱりお客の数そのものが増えたことと、こちらの手際がよくなってきたことが相乗効果となったのだろう。


 それに、『中天の日』において、俺は『ギバの揚げ焼き』を売りに出していた。それを『ギバ・カレー』に切り替えたことが、いっそう回転率の向上に繋がったに違いない。


 おかげで客席は常に満員状態で、街路にまでお客があふれだすこともしょっちゅうであったが、見回りの衛兵たちにもそこまで叱責されずには済んだ。街路に座り込むのは御法度であったが、立ち食いをする分にはジェノスの法にも触れないのだ。客席が空くのを待ちきれなかったお客は料理をひと品ずつ購入し、それを立ち食いでかき込んでから次の料理を購入する、というやり口で衛兵たちの叱責からまぬがれていたのだった。


 最初に売り切れたのは分量の少ない『ギバまん』と『ポイタン巻き』であったので、その後はヤミル=レイたちに『ギバ・カレー』の販売を託し、俺は手間のかかる『カルボナーラ』の販売に切り替えた。そうして後半は2台の屋台の4人がかりで取り組んだため、『カルボナーラ』もそれほど他の屋台に遅れることなく売り切ることができた。


 また、それよりも早く料理を売り切ったマイムは、そのままお客として訪れたミケルとともに居残っている。明日はミケルも炭焼きの仕事が休業であるために、ともにダレイムまでおもむくことになったのだ。

 俺たちの仕事が終わるのを待つ間、マイムたちは護衛役のバルシャとともに《ギャムレイの一座》の天幕に出向いたりして、宿場町の祭をも満喫していた。ユーミと異なり、マイムとミケルはきっちり家族と祝日を過ごしていることになる。ミケルは始終仏頂面であったが、それはどこからどう見ても幸福そうな父娘の交流であった。


 また、屋台の料理を3分の2ほど売り切ったあたりで、ルウ家では別働隊が動くことになった。

 ルウの集落に、ジバ婆さんたちを迎えに行くためである。

 ギルルおよびジドゥラが引く2台の荷車と、ミム・チャーおよびレイ家のトトスを引き連れて、4名の別働隊が街路に去っていく。そのメンバーは、ジザ=ルウ、ダルム=ルウ、ヴィナ=ルウ、ララ=ルウという本家の人間だけで構成されていた。ジザ=ルウたちは、そのままジバ婆さんの護衛に回るのだ。


 そんなわけで、営業終了後に《キミュスの尻尾亭》に舞い戻ると、そこには異なる4名が俺たちを待ち受けていた。

 ジバ婆さんらをダレイムまで届けたのち、ジザ=ルウたちから送迎役を引き継いだ、新たなる4名のメンバーだ。その中には、ひさびさにジーダの姿もあった。


「やあ、ジーダが護衛役に駆り出されるのはひさびさだね」


「……バルシャがそちらに駆り出されているのだから、しかたないだろう」


 最初は意味がわからなかったが、それもやっぱり「年越しは家族と過ごすべき」という習わしに則っての行いであったらしい。すっかりルウ家の一員として馴染んでいるジーダたちであるが、彼らは元来、まぎれもなくセルヴァの民なのである。


「バルシャたちはもうダレイムに向かってるんだけど、途中ですれ違ったかな?」


「ああ。暗がりの中をてくてく歩いていた。こんな日には野盗どもも悪行を忘れて酒をくらっているだろうから心配はないだろう」


 荷車に乗りきれないメンバーは、食堂のお客がひけるのを待たず、徒歩でダレイムに向かっているのだ。さらにジバ婆さんたち十数名がすでにダレイムにおもむいていることを考えれば、明日の朝はずいぶんな数が徒歩で帰る計算になるはずであった。


「それじゃあ屋台を返してくるので、ちょっと待っててね」


 俺はアイ=ファやレイナ=ルウらとともに《キミュスの尻尾亭》の扉を開いた。

 こちらもこちらで、復活祭の期間中は戦場である。食堂には大勢のお客が詰めかけて、テリア=マスやその他の従業員が忙しそうに立ち働いている。受付台は無人であったので、その裏にある厨の中を覗いてみると、ミラノ=マスはひとりでぐったりと椅子に腰かけていた。


「どうも、お疲れさまです、ミラノ=マス」


「うん、ああ、お前さんたちか。さすがに今日も早くはなかったな」


「はい。それでも無事に料理を売り切ることはできました。ミラノ=マスも、小休止ですか?」


「ああ、あとは連中も果実酒をかっくらうばかりだろう。ギバの肉もとっくに尽きてしまったしな」


 人々が楽しんでいるときにこそ、裏ではこのように頑張っている人間がいる。などと、自分のことは棚に上げて感心してしまいたくなる。それぐらいミラノ=マスはくたびれ果ててしまっていた。


「お前さんたちは、今からダレイムか? まったく元気なことだな」


「ええ、仕事がなければミラノ=マスたちもお誘いしたかったです」


「祝日にそんなひまなどあるものか。……だけど銀の月に入ったら、またダレイムの連中が森辺の集落におもむくのだろう?」


 帽子を外して額の汗をぬぐいつつ、ミラノ=マスはぶっきらぼうに言った。


「そのときに、またテリアのやつを連れていってくれればそれで十分だ。日取りが決まったら、早めに教えてくれ」


「了解いたしました。……あの、ミラノ=マス、本年は大変お世話になりました」


 俺がそのように頭を下げてみせると、ミラノ=マスはいぶかしそうに眉をひそめる。


「何だ、今さら何をあらたまっているんだ?」


「俺の故郷では、年の終わりにはこういう挨拶をしていたんです。ジェノスではそういう習わしはあまりないみたいですね」


「ああ、どいつもこいつも馬鹿騒ぎをして挨拶どころではないからな。……まあ、今年はお前さんたちのおかげで、とてつもない一年だったよ」


 そのように言いながら、ミラノ=マスも頭を下げてくる。


「どちらかといえば、世話になったのは俺たちのほうだろう。お前さんたちには、まあ、感謝をしているよ」


「こちらこそ、ミラノ=マスには足を向けて寝られません。来年もどうぞよろしくお願いいたします」


 そうして俺たちは屋台を宿屋の裏手まで運び込み、ようやくダレイムに向かう段となった。

 サウティの分も含めて5台の荷車と、それに2頭のトトスで運べる人員、合計で34名である。

 これだけでも大した人数であるが、マイムたちと先行している森辺の民はバルシャを含めて4名おり、さらにジバ婆さんのもとにも2ケタの数が控えているはずだ。それまで合計したら、ダレイムにおもむく森辺の民は50名にも及ぶ。


 その中で、小さき氏族の人員は7名、サウティは2名、ザザは眷族のトゥール=ディンをふくめ2名、客分のバルシャとジーダで2名――残りの40名近くは、ルウにつらなる人間ということになる。

 その内の半数は護衛役としての男衆であり、10名ていどが宿場町の商売に参加したかまど番であるとして、残りのメンバーはジバ婆さんを筆頭に、ダレイムでの宴に参加したいと願い出た女衆なのだった。


 そういった女衆が存在しなければ、ジバ婆さんの送迎など荷車1台で事足りた。が、そういう希望者が多数名乗りをあげたので、それに付き添う男衆も増員しなければならなかったため、2台の荷車と2頭のトトスを総動員させなくてはならなくなってしまったのだ。


(ルウの眷族百余名の内、40名近くがダレイムに出向くんだもんな。本当にこいつはものすごい話だ)


 ギルルの荷台で揺られながら、俺はそのように考えていた。

 夜間の移動では、アイ=ファが手綱を握る取り決めになっていたのである。たとえ松明を設置したとしても、俺にはこの暗がりで荷車をフルスピードで走らせるスキルはない。


 そんな俺のかたわらでは、トゥール=ディンやユン=スドラがとろとろと微睡んでいた。

 日没から2、3時間が経過しているので、普段であればちょうど就寝の頃合いであるのだ。俺の故郷に照らし合わせれば午後の9時前後であったとしても、森辺の民にとっての深夜であることに変わりはないし、もう7ヶ月以上も同じ暮らしに身を置いている俺にもそれは同様であった。


 だけど俺の頭は冴えわたっていたし、他のみんなも大半は元気いっぱいの様子であった。特に狩人たちなどは、ギバ狩りの仕事を休んでいるために気力も体力もありあまっているのだろう。夜を徹して語り合うことになった昔日の家長会議を思うに、必要とあらば彼らは眠らずに一夜を過ごすことも容易であるのだ。


 そんなことを考えている内に、荷車はダレイムに到着した。

 田畑は闇に沈んでいるが、その向こうにはちらほらとかがり火の明かりが見える。どの家でも、夜を徹して太陽神の復活を寿ぐかまえであるのだろう。同じように、ドーラ家の前でも明々と火が焚かれて、とてもたくさんの人たちが騒いでいる姿がうかがえた。


「おや、ようやくご到着かい。あたしらもついさっき到着したところだよ」


 一番手前のかがり火に陣取っていた大柄な人影が陽気に呼びかけてくる。革の胸あてや篭手をつけた狩人モードのバルシャである。その周囲には、マイムとミケルの姿もあった。


「アスタ、お疲れさまです! ユーミはまだ仕事ですか?」


「うん、料理を売り切ったらすぐに駆けつけるって言ってたよ」


 屋外では、マイムたちを含めて30名近い人々が陽気に騒いでいるようだった。

 その半数ぐらいは、見覚えのない顔だ。短期雇用の人々は宿場町に繰り出しているという話であったので、ともに畑の面倒を見ている親戚筋や、それに近在に住む人々などであるのだろう。視線を飛ばすと、畑の間のあぜ道をゆらゆらと移動している松明の火を確認することもできる。


「家の主人やジバ=ルウたちは、みんな家の中だよ」


 バルシャの言葉を受けて、俺たちもひとまずドーラの親父さんに挨拶をすることにした。

 とはいえ、家の中も満員に近いので、厳選したメンバーで扉をくぐる。家の中で騒いでいるのは、7割がたが森辺の同胞たちだった。


「やあ、アスタ、お疲れさん! けっこう早かったじゃないか?」


「ええ、何とか予定通りに片付けることができました」


 ご家族は、親父さんと叔父君、あとは3名の女性陣が顔をそろえていた。息子さんたちやターラの姿は見当たらない。


「ああ、他の連中は倉庫のほうに出向いてるんだよ。ダン=ルティムたちが野菜の山を見てみたいって言い出したものだからね」


 言われてみると、森辺の民でも見知った顔はあんまり多くなかった。ジバ婆さんとジザ=ルウ、ダルム=ルウ、あとは名も知れぬ男衆と女衆だ。

 そのジバ婆さんの付近には、親父さんの叔父君と母君が陣取っていた。

 何かまた言葉を交わしていたのだろうか。ジバ婆さんは、しわくちゃの顔で笑っている。


「ジバ=ルウもお疲れさまです。身体のお加減はいかがですか?」


「ああ、元気そのものさ……今日はいつも以上に、昼間にたっぷり眠らせていただいたからねぇ……」


 だいぶん歯が少なくなってきてしまっているために、ジバ婆さんの喋り方はいつも少したどたどしい。が、この薄暗がりでも肌の色艶はよいように思えたし、とにかくジバ婆さんは楽しげで幸福そうに見えた。

 そこで、俺たちの入ってきた扉が外からバタンと開かれる。


「おお、戻ってきておったのか、アスタよ! ……ジバ=ルウ、あれはちょっと見ものであったぞ! 何も危険なことはないから、その目で確かめてみるがいい!」


 野菜の倉庫に出向いていたというダン=ルティムである。ジバ婆さんは「そうかい……」とうなずきながら、曾孫たちのほうを見た。

 ジザ=ルウは小さく息をついてから立ち上がり、最長老の背や足もとに手をのばす。そうして椅子に掛けられていたギバの毛皮の敷物ごと、ジバ婆さんの小さな身体はジザ=ルウの逞しい腕に抱きかかえられることになった。


「それじゃあ俺もご一緒しようかな。よかったら、アスタたちはここでくつろいでいてくれよ」


「あ、いえ、俺は今の内に料理の準備を済ませてしまおうかと」


「ええ? たったいま仕事を済ませてきたところなんだから、少しは休んだらいいじゃないか?」


「いや、どこで眠気に見舞われるかもわからないので、元気な内に片付けちゃいますよ」


 そうして親父さんやジザ=ルウたちは家の外に出ていき、俺たちは厨に向かうことにした。

 本日ご用意するのはただひと品、天ざるのみである。

 大晦日にあたるこの夜は、どうしてもこの料理をお届けしたいという欲求にあらがうことができなかったのだ。


「みんなは3日前に城下町で食べたばかりなのに、申し訳ないね」


 俺がそのように詫びてみせると、手伝いについてきてくれていたレイナ=ルウが「いいえ」と微笑み返してくれた。


「短い期間で同じ料理を作るのは修練になるのでありがたいぐらいです。屋台で出している料理などは、自分たちでも出来栄えがよくなっていることを感じられるぐらいですし」


「ああ、毎日3ケタの数を作っていたら、そりゃあ腕前も上がるよね」


 厨までついてきてくれたのは、レイナ=ルウにシーラ=ルウ、トゥール=ディンにユン=スドラの4名であった。全員城下町でも同じ料理を手伝ってもらった少数精鋭だ。


 寝かせておいた生地を細く切り分ける係と、天ぷらの野菜を切る係に分かれて、それぞれ調理刀を取り上げる。鎌型薄刃包丁を思わせるシム産の菜切り刀は、そばを切り分けるのにとても適していた。


「なんか、森辺の民とダレイムの人たちがごちゃまぜに入り乱れて、すごい有り様だね?」


「そうですね。ジザ兄なんかは、気が休まるひまがないかもしれません」


 レイナ=ルウが、くすくすと笑う。


「だけど、これこそがジバ婆の望んでいたダレイムの宴でしょう。本当は、ミーア・レイ母さんもすごく来たがっていたのです」


「ふーん? やっぱり女衆の束ね役として、家を空けられなかったのかな?」


「それもあるのでしょうが、ドンダ父さんの気持ちを慮ったのではないでしょうか。ジザ兄をよこす代わりに、ドンダ父さんは家から動けなくなってしまいますので」


 ルウの家に居残っているのは、ドンダ夫妻とティト・ミン婆さん、あとはサティ・レイ=ルウとコタ=ルウのみである。普段が賑やかなだけに、想像するとちょっと物寂しい感じがしてしまった。


「それじゃあさ、次の休息の期間には今回ダレイムに来られなかった人たちを優先すればいいんじゃないのかな。復活祭でも宴でもないけど、親睦を深める会として」


「そうですね。森辺の族長としてそれが必要と感じたなら、ドンダ父さんもそのように考えるかもしれません」


 レイナ=ルウがそのように答えたとき、窓の外から「もういいよ!」という大きな声が響きわたってきた。

 とても聞き覚えのある女の子の声である。俺はレイナ=ルウと顔を見合わせてから、急いで声のあがった方向の窓に駆け寄った。


 窓の外は、暗がりだ。そちらは家の裏手なので、かがり火も焚かれていない。そこに予想した少女の姿はなく、その代わりにシン=ルウがひとりでぽつねんと立ちつくしていた。


「シン=ルウ、どうしたの? 今のはララ=ルウの声だろう?」


「ああ、アスタにレイナ=ルウか。……いや、また俺がララ=ルウを怒らせてしまっただけだ」


「ララ=ルウを怒らせたって、どうして?」


「それはわからん。きっと俺が気のきかない男だからなのだろう」


 月明かりの下、シン=ルウは妙にしょんぼりしているように見えてしまった。3日前の勇壮なる姿からは想像もつかないような、何とも痛ましい姿である。


「俺はただ、また城下町に招かれたらどうするつもりなのだと問われたので、そのようなことは族長らの決めることだと答えただけなのだ。……何も間違った答えではないはずなのに、どうしてララ=ルウを怒らせてしまったのだろう」


「うーん?」と俺が首を傾げていると、レイナ=ルウがくいくいとTシャツの袖を引っ張ってきた。


「アスタ、ララの姉であるわたしはこれ以上口をはさまないほうがいいような気がします。申し訳ないのですが、アスタにおまかせしてもよろしいですか?」


「うん、俺で力になれるかはわからないけどね」


 ということで、レイナ=ルウが調理に戻った代わりに、入口のあたりにたたずんでいたアイ=ファが近づいてきた。

 窓ごしに、俺はシン=ルウへと呼びかける。


「あのさ、シン=ルウは確かに森辺の民として正しい言葉を返したんだろうと思うんだけど、ララ=ルウが聞きたかったのはシン=ルウ自身の気持ちだったんじゃないのかな」


「俺自身の気持ち?」


「うん。城下町に出向くのは気が進まないけど、族長の命令とあらばしかたがない。森辺の民としては肯んずる他ないのだ、とかいう答え方だったら、ララ=ルウも怒らなかったかもしれないよ?」


「俺は別に、城下町に出向くことを疎んじてはいない。べつだん楽しいわけでもないが、狩人としての力を求められるのは誇らしいとさえ感じられる」


 その返答が、俺に多少のヒントを与えてくれた。


「だけどさ、今回に限っては、そこに貴婦人がたの思惑がからんでいたじゃないか? ララ=ルウは、そこのあたりを気にしているんじゃないのかな?」


「……どうしてララ=ルウがそのようなことを気にしなくてはならないのだ?」


 シン=ルウは、むしろ不思議そうに問うてくる。

 そういうことならば、俺もデリケートな部分に踏み込まざるを得なかった。


「そりゃあもちろん、余所の女性がシン=ルウに色目を使ったりしたら、ララ=ルウとしても心中穏やかじゃないだろう。と、俺には思えてしまうんだけど」


 とたんに、月明かりの下でもはっきりわかるぐらいシン=ルウの顔が赤らんだ。


「……しかし、貴族の女衆が何を思おうとも、嫁入りや婿取りの話にまではなるはずがない。それなら別に、こちらが心を乱す必要もないだろう」


 これでは過ぎし日にララ=ルウやアイ=ファと語り合ったときの再現になってしまう。

 が、逆に言えばそのときに得た着想がそのまま使えそうな流れであった。


「それじゃあ、シン=ルウが逆の立場だったらどうなのかな? 何の心配もなくララ=ルウを城下町に送ることができそうかい?」


「むろんだ。護衛役の狩人がいれば、貴族たちが何を考えようとも危険は及ばないだろうからな」


「うーん、そっか。でも、知らない誰かがララ=ルウにおかしな目を向けるだけで、嫌な気持ちになったりはしない?」


「しない」


 何とも男らしい返答であった。

 きっとシン=ルウは、俺よりも人間ができているのだろう。

 が、それゆえに、ララ=ルウの不安や怒りを察することができないのだ。


「それでもララ=ルウは、おそらくお前を貴族の娘たちの目にさらしたくはないのだ」


 と、俺が言葉を探している間に、アイ=ファがきっぱりとした口調で言った。


「お前はそのように思わずとも、ララ=ルウはそのように思っている。それをわきまえた上で、お前は言葉を返すべきなのではないだろうかな、シン=ルウよ」


「うむ……?」


「少なくとも、ララ=ルウはお前の言葉で心を乱すことになった。ララ=ルウと正しい縁を紡ぎたいならば、それを捨て置くことはできぬはずであろう」


 静かだが、有無を言わせぬ口調である。

 さらにアイ=ファは、シン=ルウの姿を真っ直ぐに見据えながら言った。


「お前が語るべき相手はアスタではなくララ=ルウだ。ララ=ルウが怒って立ち去ってしまったのに、お前がそこで立ちつくしていることが、私には何より間違っているように思える。ララ=ルウを怒らせた理由がわからぬならば、それがわかるまで本人と言葉を交わすべきではないのか?」


「……そうだな。それはその通りだ」


 シン=ルウはうなずき、きびすを返した。


「仕事の邪魔をして悪かった。俺はララ=ルウを捜してくる」


「うん、頑張ってね、シン=ルウ」


 シン=ルウは、狩人の衣をなびかせて闇の向こうへと走り去っていった。

 俺は、アイ=ファを振り返る。


「お見事だったよ。俺は時間を無駄にしただけだったな」


「そうでもあるまい。ただ、森辺の男衆はお前と同じようには物を考えない、というだけのことだ」


 アイ=ファはひとつ肩をすくめると、また入口のほうに戻っていった。

 俺は作業台のほうに戻り、そこで仕事に励んでいたシーラ=ルウに微笑みかけられる。


「お手数をかけさせてしまい申し訳ありません、アスタ。……でも、シンとララ=ルウなら、きっと大丈夫です」


「ええ、あれだけおたがいのことを大事に思っているんですからね。俺も根っこのところでは、そんなに心配していません」


 その後は、ひたすら作業に没頭した。

 これは仕事というよりも、自分たちが宴を楽しむための共同作業である。お客に料理を売るのと、ともに美味しい食事をするのとでは、おのずと意識も変わってくる。荷車では眠そうにしていたトゥール=ディンとユン=スドラも、非常な熱意を胸に抱きつつ、とても楽しそうに野菜を切り分けてくれていた。


 生地と野菜を切り終えたら、それぞれかまどで仕上げに取りかかる。みんなのスキルアップのために俺は監督役に回り、麺を茹でるのと天ぷらを揚げるのとで2名ずつローテーションで受け持ってもらった。


 完成した料理は大皿に積み上げて、仕上がったものから広間へと運んでいく。森辺の民だけで50名ぐらいも出向いてきているので、100人前は準備する心づもりであるのだ。ご近所さんがどれほど詰めかけてきても、それだけあれば全員の口に届けることができるだろう。足りなかったら、後はもう奥方たちの準備した料理のみで勘弁していただく他ない。


 そうして汗だくになりながら料理を仕上げていき、最後の30人前をみんなで運んでいくと、広間ではもう宴もたけなわという様相になっていた。

 屋外には持ち出しにくい料理であるので、みんなが順番に広間へと入ってきて、ひとしきり食べて飲んで騒いだら総入れ替え、という形に落ち着いたらしい。俺たちが戻ったときには、ちょうど年少組のリミ=ルウやターラやルド=ルウ、それにマイムやミケルといったメンバーが料理に手をつけたところであった。


「これはすごく美味しいですね! やっぱり揚げ物という料理ではまだまだアスタにかないそうもありません!」


 マイムも元気いっぱいの様子である。

 人混みが苦手であるらしいミケルは普段以上の仏頂面であったが、しかし、そんなミケルが宴の場に加わっているのがとても得難いことに感じられる。


 それにしても、本当に無秩序な有り様である。

 ダレイムの住人でも森辺の民でも見知らぬ顔が多数まじっているため、余計にそのように思えてしまうのだろうか。ダン=ルティムやドーラの親父さんが誰と親しげに喋っていても、もはやそれは日常の風景にすら見えてしまう昨今であるが、俺もよく知らない森辺の民とダレイムの民が、ちょっぴり牽制し合いながらも言葉を交わしつつ、同じ料理を食べ、酒盃を交わしている。その無秩序さが、俺にはとても心地好かった。


「さあ、それじゃあ俺たちもいただこうか」


 ともに働いていたレイナ=ルウたちと、それを見守ってくれていたアイ=ファたちとで、できたてのそばをすすり込む。今はどれぐらいの刻限なのか、そんなことももう確かめるすべはない。あとは空が白むまで、ひたすら宴を楽しむばかりであった。


 そんな中、ようやくユーミとルイアが5名ばかりの友人を引き連れてドーラ家にやってきた。

 2名が男性で、3名が女性だ。名前は知らないが、誰もが俺には見知った顔である。男性陣はユーミが初めて俺の屋台を訪れたとき一緒にいたメンバーであり、女性陣は、その次にユーミが連れてきたメンバーであるはずだった。


「やあ、ぎりぎりだったね。俺たちが作った料理はこれが最後だよ」


「わー、危なかった! あんたたちがモタモタしてたせいで食いっぱぐれるところだったじゃん!」


「うっせえなあ」とぼやいてから、若者のひとりが「よ」と俺に手を上げてきた。

 初対面の際にはさんざんイチャモンをつけられた相手であるが、そんなエピソードも今は昔だ。そうしてイチャモンをつけているさなか、突如として出現したミダに脅かされていた人物───などと説明しても、理解できるのは一緒に居合わせたヴィナ=ルウぐらいであろう。

 ちなみにもう片方は、その騒ぎの後、ミダがいかに宿場町で無法な真似を働いていたかを俺に教えてくれた人物であった。


 そんな彼らとともに年越しそばを堪能した後は、みんなで連れ立って家の外に出る。

 あちこちに焚かれたかがり火を囲んで、そちらでも人々は楽しげに騒いでいた。


 ジバ婆さんは地面に敷物を敷き、そこでくつろいでいる。寄り添っているのはヴィナ=ルウで、ジザ=ルウとダルム=ルウもすぐそばに控えている。

 楽器などが持ち出される様子はなかったが、手拍子で歌を歌い、そしてくるくると踊っている娘さんたちの姿は見受けられた。しばらくすると奥方たちの仕上げたキミュス肉と野菜の汁物料理が屋外にまで届けられ、人々はいっそうの歓声をほとばしらせる。この夜ばかりは、人々の胃袋も底なしであるようだった。


 やがて時が進むにつれ、森辺の女衆までもが舞を見せ始める。

 どうやら若い娘の舞は求婚の意味合いが強いのでこのような場には相応しくない、と固辞していたようであったのだが、「この地にそういう習わしがないっていうんなら、こっちもそのつもりで舞ってみせればいいんじゃないかねえ……」というジバ婆さんの言葉で、女衆も腰を上げたらしい。


 それでもやっぱり森辺の集落で見る情熱的な舞とは異なり、女衆らはとても優雅に踊っていた。ひょっとしたら、ダレイムの娘さんたちの踊りを見よう見まねでなぞっているのだろうか。そうだとしたら、なかなかのアドリブ能力である。半透明のヴェールやショールをたなびかせつつ、かがり火の周囲でゆらゆらと踊るその姿は、たとえようもなく幻想的で美しかった。


 そんな女衆らの舞を堪能してから、アイ=ファとふたりで少し輪から外れてみると、家の横手で休息を取っている人々と出くわすことになった。

 ヤミル=レイとラウ=レイ、そしてツヴァイである。ヤミル=レイ以外の2名は敷物の上で身体をのばしてそれぞれ寝息をたてていた。


「ああ、ヤミル=レイは踊らなかったんですね」


 そのように声をかけると、きろりとにらまれた。


「わたしは舞が苦手なのよ。そもそも身体を動かすことが人よりも不得手なのだからね」


「それでも眠らずに頑張っているじゃないですか。そちらのおふたりはぐっすりのようですけれど」


「ふん。ツヴァイはともかく、こっちの家長は護衛役という自覚があるのかしら。がぶがぶと果実酒を飲んでいたかと思ったら、これだもの」


 だけど、かつての家族と現在の家族にはさまれたヤミル=レイは、どんなに仏頂面でもとても幸福そうに見えた。


「できればミダも呼んであげたかったですね。料理の準備は少しだけ大変になっちゃいますけど」


「……ミダはスン家の中でもとりわけ目立つ姿をしていたから、なかなかそうもいかないのでしょう。ドンダ=ルウも、ミダを町に下ろすのはまだ早いと言っていたそうよ」


 ミダは何度か、宿場町で気に食わない屋台を破壊してしまっている。そんなミダが気兼ねなく町に下りられるようになれば、それはまたひとつジェノスとの溝が埋まった、という指標になるのかもしれない。


「まあ、ジィ=マァムでさえああして受け入れられているのだから、外見だけで怯えられることはそうそうなくなるかもしれないわね」


 そのジィ=マァムは、ダン=ルティムらと酒盃を交わしている。20名以上も出向いてきている男衆の内の、半数ぐらいは果実酒をたしなんでいる様子であった。


「何だかとてつもない光景ね。……これでもう森辺の民は、完全にザッツ=スンの呪いから解き放たれたのじゃないかしら」


 低い声で、ヤミル=レイがそのようにつぶやいた。


「ザザやベイムのように、ジェノスの人間を信用しきれていない森辺の民はまだ少なくないんでしょう。でも、怒りや憎しみの感情を抱いている人間は、もうひとりもいないように感じられるわ」


「ええ。この場にいるのは森辺の民の一割ていどの数に過ぎませんが、同胞のすべてがそうであることを俺は願っています」


 ダン=ルティムたちとは別の輪で、ドーラの親父さんとダリ=サウティが何やら語らっている。スフィラ=ザザとフェイ=ベイムは、アマ・ミン=ルティムらとともにあるようだ。

 リミ=ルウとターラは他の幼子たちと楽しそうに過ごしており、トゥール=ディンはレイナ=ルウとともに、ダレイムの女性たちと言葉を交わしていた。


「む」と声がしたので振り返ると、アイ=ファが遠くのほうを透かし見ていた。

 一番端のほうにあるかがり火のそばで、若い男女が肩を寄せ合っている。

 あれは、シン=ルウとララ=ルウである。

 この距離では、とても表情まではうかがえない。が、不安感をかきたてられるような雰囲気ではなかった。


 その後も、色々な人たちと語り合った。

 寝床に不自由はないと親父さんは豪語していたが、そちらに引っ込む人間などはほとんどいなかったようだ。睡魔に負けてしまった者は、適当に家に放り込まれたり、あるいはその場で叩き起こされたりで、誰もが限界まで宴を楽しもうとしていた。俺も途中で一回うとうととしてしまったが、その後は元気にふるまうことができた。


 そうして時間は着々と過ぎていき、やがて星空が青灰色に変じていくと、寝床に引っ込んだ数少ない人々も再び屋外へと引っ張り出されることになった。

 俺とアイ=ファはジバ婆さんを迎えに行き、体調に無理がないことを入念に確認してから、外に出る。


 かがり火は消されて、人々は東の方角に視線を飛ばしていた。

 暗緑色の色彩に覆われた、モルガの山の方角である。

 やがてその山麓の稜線が白くふちどられていき、再生を果たした太陽神がその偉大なる姿を現し始める。


 その光が、ついに大地まで届いたとき、ダレイムの人々はいっせいに歓呼の声をあげた。

 森辺の民は、静かにたたずんでいる。ダレイムの人々の喜びをさまたげぬように――そして、少しでもその喜びを理解できるように、俺たちはひたすら太陽神の輝ける姿を見つめ続けた。


 朝の早い森辺の女衆は、毎日こういった夜明けの光景を目にしている。

 だけどそれは、ダレイムの人々も同じことだ。それでもこれは神聖なる一瞬であり、特別な時間なのだった。


 これでターラは9歳に、ジーダは15歳に、バルシャは35歳になる。

 古き一年が終わりを告げ、今日から新しい一年を迎えるのだ。

 睡眠不足でいくぶん熱っぽい頭を抱えながら、俺も厳粛な心地を得ることができた。


 俺にとっては、7ヶ月しか存在しない一年であった。

 新たな年は、どんな一年になるだろう。

 どこかでふいに断ち切られてしまうかもしれない、などという不穏な思いは胸の奥底にしまいこんで、懸命に生きていきたいと思う。

 アイ=ファの存在をすぐかたわらに感じながら、俺は強くそう思った。


「……85年も生きてきて、こんなに特別な年はそうそうなかったと思うよ……」


 と、アイ=ファの向こう側でリミ=ルウやジザ=ルウたちとたたずんでいたジバ婆さんが、そのようにつぶやいていた。


「婆ほど長々と生きていなくったって、きっと森辺の民のほとんどにとっては特別な一年だっただろうけどねえ……」


「そうですね。でも、今年はそれよりも特別な一年になるかもしれません」


 じわじわとその姿をあらわにしていく太陽神の姿を見つめながら、俺はそのように応じてみせた。


「どうか俺たちのやることを見届けてください、ジバ=ルウ。今年も来年も、その次の年も」


「ああ、見届けてやりたいねえ……そんな風に思えることが、あたしには嬉しくてたまらないよ……」


 俺も嬉しくてたまらなかった。

 今年も来年もその次の年も、たゆまず頑張っていきたい。そのように思えるほど幸福な生を生きているのだ、と実感することができたので。


 そうして太陽神の再生は果たされて、俺たちの新しい一年が始まった。

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