滅落と再生①~ささやかなる椿事~
2016.7/22 更新分 1/1
・カクヨムにて新作を公開いたしました。ご興味のある方は活動報告をご覧ください。
そうして日々は、粛々と過ぎ去っていった。
祭の期間は10日ばかりであったとしても、青空食堂をオープンしてからはもうひと月以上が経過している。その間にお客の数は倍増し、俺たちはさまざまな変転に見舞われることになった。
8名であったかまど番は15名に増員され、400食分ていどであった料理は1000食分以上に増やされた。祝日には朝から宿場町を訪れてギバの丸焼きをふるまい、夜間の営業にも取り組むことになった。《ギャムレイの一座》を筆頭に、初めてギバ料理を口にするたくさんの人々をお客として迎え、さらには森辺の最長老ジバ婆さんが宿場町とダレイムを訪れることにもなった。
また、青空食堂をオープンしたことにより、お客との距離感にも変化が生じている。半透明のヴェールとショールを纏った森辺の女衆が使用済みの食器を回収するために座席の間をすいすいとすり抜けていけば、陽気に声をかけてくるお客も多い。それに、護衛役の狩人がダン=ルティムやギラン=リリンやルド=ルウなどであった場合は、そちらでも町の人々との活発な交流が生まれている。
そもそも青空食堂というのはレイナ=ルウらが「お客の喜ぶ姿をもっと間近に感じたい」という思いをかなえるために実施したことであるので、そういう意味では正しい成果をあげることがかなったと言えるだろう。
さらに、宿場町での商売には懐疑的であった面々も、この時期に初めて行動をともにすることになった。
ジザ=ルウやスフィラ=ザザやフェイ=ベイムというのが、その顔ぶれだ。
特にジザ=ルウなどは、ダレイムでの宿泊や城下町への遠征にも参加している。町の人々や貴族の人々が現在の森辺の民に対してどのような思いを抱き、どのような目を向けてきているのか、次期族長たるジザ=ルウはその身をもって体感することになったわけである。
中にはまだ、ドーラの親父さんの母君や叔父君のように心を閉ざしている者も少なくはない。特にダレイムや宿場町では、まだまだそういった人々が多く潜んでいるだろう。屋台を訪れる人間の多くは余所の土地からの旅人であったので、それを思えば生粋のジェノスの民であるお客などというのは、ほんのひと握りの数でしかないのだ。
だけどそれでも、屋台を訪れる人々は何のわだかまりもなく、とても幸せそうな面持ちでギバの料理を食べてくれている。
森辺の民というのは道理のわからない蛮族で、ギバの肉などというのは臭くて固くて食べられたものではない、と信じて疑わなかった人々が、無邪気に笑い、果実酒に酔いしれながら、これほど幸福そうな様子を見せてくれているのだ。
初めて宿場町でギバ料理を売りに出してから、およそ半年――わずか半年でここまでの変転を迎えることができたのだから、何の不満の持ちようもない。森辺の民は、黒き森からモルガの山麓に移り住んでから80年目にして、大きな転機を迎えることになったのだ、と言い切ることができるだろう。
どのように考えても、その変革に俺という存在が不可欠であったことに疑いはない。ここまで商売の道筋が定まってしまえば、もはや俺の存在がなくとも支障はないだろうが、そもそも俺が森辺の集落を訪れていなければ変革自体が為されていなかったのだ。俺のような異端者を受け入れてくれたアイ=ファやガズラン=ルティムやルウ家の人々があってこその変革だとしても、やっぱり俺が火種であったという事実は動かしようがなかった。
もちろんそれで、今さら怯懦の気持ちにとらわれたりはしない。森辺の民は美味なる食事の楽しさを知るべきであり、もっと豊かな生活を手に入れるべきであり、外界の人々とも正しい縁を紡いでいくべきある――そのように信じて、俺はここまでやってきた。こんな自分でも毒ではなく薬になれるのだと信じ、また、同じようにそれを信じてくれたアイ=ファたちのために、俺は迷わず懸命に生きていこうと誓ったのである。
白き賢人ミーシャは、乱世の時代にシムに現れて、人々に平和と秩序をもたらしたのだという。
ひょっとしたら、ミーシャの存在なくして現在のシムはなかったのかもしれない。泥から煉瓦を作る技術も持たないまま、山や草原をトトスで駆け抜け、7つの部族が覇権を争う。そんな荒ぶる蛮族のまま、セルヴァやジャガルやマヒュドラを脅かしていたのかもしれない。
俺にはミーシャほど大それたことを為すことはできないだろう。
ミーシャの正体が何であれ、俺は一介の見習い料理人に過ぎなかったのだ。あまり食文化の進んでいないこの地ではそれでもさんざんもてはやされることになったが、王国の平定だなどという大それたことが料理人に為し得るはずもない。また、そのように大それたことが為したいと思っているわけでもない。俺は俺の手の届く範囲で、ひとりでも多くの人に喜びや幸せな気持ちを届けたいと、そのように願っているばかりであった。
俺を家人と認めてくれたアイ=ファのために、そのアイ=ファが属する森辺の民のために、その森辺の民が属する辺境都市ジェノスの人々のために――あとはそのジェノスを訪れるシムやジャガルの旅人たちのために。と、むしろここまで手をのばせたことのほうが驚きであろう。
もっと大雑把に言うならば、俺はこの地でアイ=ファというかけがえのない存在に出会い、そして、アイ=ファが属するこの世界で正しい存在として生きていきたいと願うばかりであったのだ。
もしかしたらミーシャだって、最初はそれぐらいの気持ちだったのではないだろうか?
ニーヤの歌からそこまで詳細を知ることはできなかったが、ひょっとしてミーシャがこの地で初めて顔をあわせたのは、ラオの一族の族長の娘であったのかもしれない。その娘の窮地を救うために、ミーシャは己の力を振り絞り、シムに平和をもたらして、そしてその果てに去ることになったのではないか――俺はそのように夢想するようになってしまっていた。
だけどそんなのは、根拠のない夢想である。俺はむやみに自分とミーシャの存在を重ねてしまっているだけなのかもしれない。
数百年も昔の、しかも吟遊詩人が伝える歌の登場人物に何を夢想したところで詮無きことであろう。だからこんなのは、夢想というか妄想であり、そして感傷だ。
何にせよ、俺は自分の信ずるままに生きていこうと決めていた。
自分の気持ちとアイ=ファの信頼だけは裏切らないように――俺みたいにちっぽけな人間でも、それぐらいは守ることができる。また、それすらも守れないようならば、この世界に存在する意義もない。俺はそのように考えていた。
俺はアイ=ファを大事に思い、アイ=ファの属するこの世界をも大事にする。
太陽神の復活祭という一大イベントを迎えて、その渦中に白き賢人ミーシャの歌を聞き、俺はそのような思いを新たにすることになったのだ。だから、ニーヤがどのような気持ちであったとしても、俺は彼の歌を聞いたことさえ、かけがえのない自分の糧だと思っていた。
そうしてそんな思いを自分の一番奥深い場所に抱え込みながら、俺はついにその日を――紫の月の最終日たる『滅落の日』を目前に迎えることになったのだった。
◇
まず語られるべきは、『滅落の日』の前日たる紫の月の30日である。
2日前に城下町での仕事を果たした俺たちは、その日も無事に宿場町での商売を終えることができた。
料理もすべて定刻で売り切ることがかない、おかしな騒ぎに見舞われることもなかった。この復活祭の時期から商売を手伝うことになった7名の女衆らもすっかり手馴れたもので、てきぱきと後片付けに取り組んでくれている。
「この仕事も、明日でひとまず終わりになってしまうのですね。そのように考えたら、少し物寂しく思えてしまいます」
そのように述べていたのは、アマ・ミン=ルティムとともに『ギバのモツ鍋』の屋台を預かっていたミンの女衆であった。
火傷をしないように気をつけながら熱い鉄板を荷車に移動させつつ、俺はそちらに笑いかけてみせる。
「でも、月が変わっても店を閉めるわけではないですからね。最初の1日だけはお休みをいただいて、銀の月の2日からは様子を見つつ営業を続けていくんです。それでいきなり元の人数に戻してしまうのはおっかないので、何人かは引き続きお手伝いを頼むつもりでいるのですよ」
「あ、そうなのですか? でしたら、ぜひわたしは手伝わさせていただきたいです!」
「あ、それならわたしたちも――」
ガズやラッツの女衆が声をあげると、俺のかたわらにいたフェイ=ベイムがむっつりと言った。
「ならば誰にも公平に機会を与えるべきでしょう。ベイムやダゴラとて、この行いの行く末を見届けねばならないのですから」
「そうですね。初日なんかは今日までと同じ顔ぶれで取り組み、あとは公平に順番が回ってくるように段取りを整えましょう。……ルウの眷族のみなさんは、レイナ=ルウたちに相談してみてください」
「はい」と彼女らは笑顔でうなずいてくれる。
屈強なる森辺の女衆に、体力面での不安はないようだ。さらに精神面でも疲弊がないのなら、これほど心強い話はなかった。
「それでは、森辺に帰りましょう。役割分担はいつも通りでお願いします」
狩人たちに守られながら、賑やかな街路に足を踏み出す。
が、何歩も行かぬ内にアイ=ファが「待て」と声をあげてきた。
「ルド=ルウ、あれを見るがいい」
「んー? ああ、何だかちょいと様子がおかしいな。念のために、確認しておくか」
いったい何を発見したのか、ルド=ルウはダルム=ルウに何事かを囁きかけてから、人混みの向こうに消えていった。
それを追おうとしたアイ=ファが、眉をひそめて俺を振り返る。ルド=ルウを追いたいが俺のそばを離れたくはない、といった風情である。
「どうしたんだ? 何なら俺もご一緒するけど」
「うむ……危険はないと思うが……よし、ともに来い」
俺は屋台の運搬をフェイ=ベイムに託し、アイ=ファとともにその場を離れた。
ルド=ルウが向かったのは、《ギャムレイの一座》の天幕の方角なのである。俺にしてもアイ=ファにしても、彼らにまつわる話であるならば他人まかせにはしておけない心情なのだった。
が、そうしてアイ=ファが向かったのは天幕の入口ではなく、雑木林に半ば隠されたその横合いの空間であった。ルド=ルウはすでに雑木林へと足を踏み入れており、その向こうにはまた別の人影も見える。アイ=ファたちの不審感をかきたてたのは、どうやらその人影の存在であったらしい。
「よく人混みの隙間からあんなのを発見できたな。さすがは狩人の眼力だ」
俺はそのように述べてみせたが、アイ=ファは無言で雑木林を突き進む。木漏れ日の差し込む雑木林の中でもぞもぞとやっていたのは見覚えのない人物であり、そしてそのかたわらには小ぶりの荷車の影があった。
「おい、あんたは何をやってるんだ?」
真っ先に到着したルド=ルウがそのように呼びかけると、その人物は愕然とした様子で振り返った。
その人物は、天幕の切れ目を結んでいる革紐をほどこうとしている最中であったのだ。これは確かに不審な行動である。
「え? ボ、ボクのことですか? ボクはただ、この天幕に入ろうとしているだけですけれど……」
やっぱり見覚えのない人物であった。身長は俺やアイ=ファと同じぐらいで、ひょろひょろに痩せている。中途半端な長さの褐色の髪を後ろで束ねており、肌の色は象牙色。瞳の色は淡い茶色。年の頃は二十になるならずで、面長の顔にはロイみたいにそばかすが浮かんでおり、身に纏っているのは粗末な布の服だ。
目玉ばかりがきょろりと大きく、なかなか愛嬌のある顔立ちをしている。あとはやたらと痩せ細っているぐらいで、特徴らしい特徴はない。
が、その声を聞くことによって、俺は最大の特徴を知ることになった。
その人物は、女性であったのだ。
「ボ、ボクは別にあやしい者ではありません。この旅芸人の一座の、その、下働きの人間なんです。嘘だと思うなら、中の人間に聞いてみてください」
その女性は、おどおどとした口調でそのように言いつのった。
着ているものは男性用の装束で、胸もとなんかはぺったんこである。肩幅はせまく、撫で肩で、ついでに猫背で姿勢が悪い。妙齢の女性とは思い難い風体であるが、だけどやっぱりその声は女性のものであったし、線のやわらかいその面立ちも、そうと意識してみれば女性のものでしかありえなかった。
「旅芸人は全部で13人って聞いてたけどな。それ以外にも仲間がいたのか。……でもな、そうだとしてもその荷物が見逃せねーんだよ」
と、ルド=ルウは普段通りの軽妙な口調で言いながら、奥に置かれている荷車のほうを指し示した。
屋根のない、粗末で小さな荷車だ。四角い荷台には大きな車輪がふたつついているばかりで、前側に1頭のトトスが繋がれている。
その荷車に積まれているのは巨大な布の包みであり、そして、何やらその表面が蠢動していた。
布に包まれた巨大な何かが、その中でもぞもぞと蠢いているのだ。
大きさ的には、ちょうど人間が入れるぐらいのサイズであっただろう。口が蔓草で縛られているために、中身をうかがうことはできない。
「こ、この荷物ですか? これがいったい何だというんです?」
「その中身、まさか人間ではないんだろ? で、そいつの正体がギバだとしたら、俺たちは見過ごすことができねーんだよ」
腰に吊るした鉈の柄を指先でとんとんと叩きながら、ルド=ルウはそのように言葉を重ねた。
「旅芸人の連中はギバを捕まえたいとか話してたけど、まだ領主からの許しは出てねーはずだ。それなのに、俺たちの目を盗んでモルガの森に足を踏み入れたんだとしたら、こいつは放っておけねーだろ?」
「ち、違います違います! これはギバじゃあありませんよ! とんでもない誤解です!」
「それじゃあ、何なんだ? これであのディロとかいうやつが詰まってたら、俺も笑っちまうけどな」
「ディ、ディロでもありません。これは、ムントです」
「ムント?」と俺はルド=ルウと唱和してしまった。
アイ=ファは油断なく、その娘さんの不安そうな顔を見つめ続けている。
「はい、腐肉喰らいのムントです。この一座でガージェの豹やアルグラの銀獅子が働かされていることはご存じですか? 毎日毎日キミュスやカロンの肉を与えていたら、銅貨がいくらあっても足りませんし、かといって、彼らを天幕の外に出すことは町の法で禁じられてしまっていますし……それに彼らは、新鮮な臓物も与えてやらないと身体が弱ってしまうのですよ。だからこうやって、時々は近在の獣を捕まえて生き餌にする必要があるのです」
「ふーん、ムントねえ……」
「だ、だけどもちろん、モルガの森には一歩たりとも足を踏み入れてはいません! これは雑木林の奥に罠を仕掛けて、夜の間に捕まえておいたムントなのです! ニーヤがジェノスの貴族様に約束を取り付けるまでは、決してモルガの森に足を踏み入れるべからずと、ボクたちも団長からきつく言い渡されているんですよう」
「わかったわかった。でも悪いけど、いちおう中身を確認させてもらえるか? あいにくあのギャムレイって座長は森辺の族長にそこまで信用されてねーんだよ」
ルド=ルウの言葉に、その娘さんは「はあ……」と頼りなげに眉尻を下げる。
が、それ以上は逆らおうとせず、彼女は荷車のほうに手をのばした。細長い器用そうな指先がくるくると蔓草をほどいていき――そして、その途中でいきなり凶悪な獣が鼻面を突き出してきた。
ピットブルテリアのように、いくぶん潰れ気味の鼻面である。顔は四角く、三角の耳が生えており、小さな目は怒りに燃えている。きわめて短めの体毛は淡い褐色で、首は短く逞しい。その潰れた鼻面には蔓草が巻きつけられて、声を発することもできないまま、その凶暴そうな獣は懸命に短い首を振りたてていた。
俺が目にするのは初めてだ。が、これは確かにアイ=ファから伝え聞いていた通りのムントの姿であった。
さらにもう1頭の同じ姿をしたムントが、先を争うように首を突き出してくる。どちらも体長は1メートルほどで、奇妙に丸っこい体型をしているのに、四肢だけがアンバランスに細っこい。豚の胴体に鹿の足をひっつけたような、俺にはまったく見慣れない姿であった。
「ああ、こいつは確かにムントだな。疑って悪かったよ。森辺の民、ルウ家の末弟ルド=ルウは、あんたに自分の非礼を詫びさせてもらう」
あんまり悪びれた様子もなく、ルド=ルウはぺこりと頭を下げた。
娘さんはようやく安堵できた様子で、にへらっと笑う。
「いえいえ、誤解が解けたのなら何よりです。ボクの人生もここまでかと冷や汗をかいちゃいましたよう」
「そいつはちょいと大げさだろ。あんただったら、俺やアイ=ファから逃げることぐらいは簡単にできるんじゃねーのか? 女のくせに、すっげー強そうじゃん」
「とんでもないですう。ボクなんて、取り柄なしの無駄飯喰らいなんですからあ」
にへらにへらと笑いながら、その娘さんは無造作な手つきでムントたちの頭を包みの中に押し戻し、再び口を結び始めた。
そのゆるみきった横顔を見つめていたアイ=ファが、ふいに「ああ」とつぶやきをもらす。
「どこか覚えのある気配だと思ったら、お前はあの奇妙な甲冑を着た人間――騎士王ロロと呼ばれていた者か」
その言葉に、俺は仰天することになった。
が、それ以上に仰天していたのは、その娘さんのほうであった。
ふにゃふにゃとした笑みをその細長い顔にへばりつかせたまま、いくぶん血の気を失いつつ、アイ=ファのほうをゆっくりと振り返る。
「な、な、何を仰っているのですかねえ? ボ、ボクは下働きの人間で……」
「何もごまかす必要はあるまい。お前の芸は、見事なものであった」
すると娘さんは「ひゃあ!」と叫ぶや、そばかすだらけの顔を真っ赤にして頭を抱え込んでしまった。
「やめてくださいやめてください! あ、あなたがたはボクの芸を見ていたのですか!? どうしてそんなひどい辱めを……!」
「辱めも何も、あれがお前の仕事なのだろうが?」
小首を傾げつつアイ=ファが追撃すると、娘さん――甲冑を纏っていない騎士王のロロは、身も世もなくその場にくずおれてしまった。
「ボ、ボクがどうして顔を隠していると思っているのですか!? ああ恥ずかしい恥ずかしい! どうせボクはあんな滑稽な芸をするしかない能なしですよ! それが腹立たしいならどうぞ石でもぶつけてやってください!」
「だから、見事な芸であったと言っているではないか。何なのだ、お前は?」
「やっぱりこいつらはおかしな連中ばっかりなんだなー」
ルド=ルウも呆れた様子で目を丸くしている。
「ま、あんたらがきっちり約束を守ろうとしているのはわかったよ。仕事の邪魔をして悪かったな。あの豹だの獅子だのに飯を食わせてやってくれ」
それでもロロが身を起こそうとしないので、俺たちは大人しく引き上げることにした。
街道では、仕事を割り振られなかったメンバーが2台の荷車とともに俺たちを待ち受けている。それと合流し、ダルム=ルウに報告を果たしてから、俺たちは改めて街道を歩き始めた。
「まさかあの女性がロロだとは思わなかったなあ。ドガとか黒猿に蹴飛ばされたり投げ飛ばされたり、そうとう過酷な芸であるように思えたけど」
「うむ。あれは相当な手練だな。下手をしたら、今のシン=ルウと互角にやり合えるぐらいの力量かもしれん」
「ええ? あんな細っこい女性がか? 今のシン=ルウって、メルフリードと大差のない実力なんだろう? そうすると、ちょっと前のジザ=ルウと同じていどの実力ってことになっちゃうけど……」
「しかとはわからん。が、それぐらいの力量はあるように思えてしまう。まったく、得体の知れない連中だな」
言いながら、アイ=ファはそっと胸もとに手を押し当てる。
そこにはまだ念のために固定用の帯が巻かれていたが、いよいよアイ=ファの負傷も完治の日が近づいていたのだった。
「私も早くこの身を鍛えなおしたいものだ。……レム=ドムの行く末にも決着をつけてやらねばならないしな」
「ああ、そうだったな」
どことはなしに女性らしさを増してきているアイ=ファであるが、また狩人としての修練を再開させたら、以前の鋭さが戻ってくるのだろう。そこまではっきりとした差異が感じられるわけでもないのだが、それでもやっぱり今のアイ=ファは立ち居振る舞いがやわらかく、ともすれば普通の女衆のように見えてしまう瞬間もなくはないのだった。
「……何をじろじろと見ているのだ?」
「いや、俺はどっちのアイ=ファも好きだよ」
言ってから、俺は驚愕に打ちのめされた。
「あっ! 内心のつぶやきを口にしてしまった!」
アイ=ファはさきほどのロロに劣らず顔を真っ赤にして、俺の後頭部をひっぱたいてきた。
周りの人々はたいそう驚いた様子であったので、きっと俺の言葉もアイ=ファ以外の耳には届かなかったのだろう。それはムチウチになりかねないほどの痛撃ではあったが、満天下で恥をさらさずに済んだのは俺にとってもアイ=ファにとっても幸いなことであった。