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異世界料理道  作者: EDA
第二十章 太陽神の復活祭(下)
356/1675

復活祭の城下町④~御前試合~

2016.7/21 更新分 1/1

「両者はともに、刃を落とした刀を携えており、御前試合のための甲冑を纏っている。決して生命を落とすようなことにはならないので、心配なきよう」


 マルスタインが、そのように述べていた。

 確かに両者は、全身にくまなく白銀の甲冑を纏っている。メルフリードなどが職務中に纏っている近衛兵団の甲冑よりもどっしりしていて、なおかつおびただしいほどの装飾がほどこされた、立派な代物だ。マンガや何かで洋館などに飾られているような、ああいう類いである。


 あれでぎっちりと中身にまで金属が詰まっていたらまともに動くこともかなわないだろうから、きっと革の上に薄くのばした銅板か鉄板でも貼られているのだろう。本当に、手の先から足の先まで全身が白銀にきらめく勇壮なる姿であった。


 兜のほうも実に見事な造りをしており、頭のてっぺんには大きな赤い房飾りが垂れている。仰々しい面甲は額のほうに上げられていたので、この距離でも何とかシン=ルウが切れ長の瞳を猛々しく燃やしているのが見て取れた。


 さらに両者は、コンパクトな盾を左腕に掲げており、腰には長剣を下げていた。

 盾は、手に持っているのではなく篭手に装着されているらしい。手の甲から肘までを覆う格好で、形は楕円形、横幅の直径は20センチぐらいもありそうだ。


「ふむ。ゲイマロス殿の名はバナームにまで届いている。たしかジェノスでも3本の指に入る剣士であるという評判ではなかったかな」


 呑気たらしくそのように述べているのは、どうやらふとっちょの使節団員であるようだった。

 それに「その通りです」と応じているのは、リーハイムだ。


「同時にまた、ゲイマロスはわたしの叔父上でもあるのですよ。サトゥラス伯爵家の当主の実弟であり、サトゥラス騎士団の団長であるのです」


 そのゲイマロスは、筋骨隆々たる大男であった。

 身長は、180センチを軽く超えているだろう。シン=ルウよりも頭半分ぐらいは大きい。ちょうどジザ=ルウやガズラン=ルティムに匹敵するぐらいの体格だ。

 横幅などは、むしろジザ=ルウたちを上回るぐらいであろうか。ごつい甲冑などを纏っているものだから、余計に大きく見えてしまう。


 兜の陰から覗くその顔は、ぎょろりと目が大きくて、鼻の下に立派な髭をたくわえている。年齢は40に届かないぐらいだろう。剣士としては決して若くないように思えるが、森辺でだってもっと年配のドンダ=ルウやダン=ルティムが最強の名を欲しいままにしている。少なくとも、ジェノスで有数の剣士であるという評判にそぐわぬたたずまいではなかった。


「森辺の狩人というのは比類なき力を有しているそうですからな。あのような若衆でも、きっと驚くべき力を見せてくれることでしょう。我が叔父ゲイマロスにどこまで食い下がれるものか、非常に楽しみです」


 客人を相手にしているためか、言葉づかいだけは丁寧にしていたが、リーハイムの声にははっきりと嘲りの響きがまじっていた。そこに若き貴婦人がたの嬌声までかぶさってくるものだから、ララ=ルウなどは人知れず瞳を燃やしながら唇を噛むことになった。


「案ずるな。シン=ルウであれば、町の人間に遅れを取ったりはしない」


 と、ジザ=ルウが背後から小声でララ=ルウに呼びかける。

 屋外の舞台に視線を固定したまま、ララ=ルウは「うん」とうなずいた。

 そのかたわらで、シン=ルウの姉たるシーラ=ルウも一心に弟の姿を見つめている。


「それではこれより、剣術の試し合いを執り行います!」


 両名を舞台まで案内してきた小姓のひとりが、若々しい声を響かせた。


「どちらかが剣を取り落とすか、降参の声をあげるか、背中を地面につけるかで、勝敗は決されます! 西方神セルヴァの御名において、公正なる勝負を!」


 ゲイマロスが重々しくうなずき、腰から長剣を抜き放った。

 刀身が80センチはあろうかという、鋼の直刀だ。いかに刃を落とされているとはいえ、甲冑を纏っていなかったらただでは済まない鈍器であろう。


 ゲイマロスが腕をのばしてそれを前方に突きつけると、シン=ルウも同じように刀を抜いて、その切っ先を軽く合わせた。

 事前に取り決められていた挨拶なのであろうが、実に堂々たるたたずまいである。その貴公子さながらのふるまいに、貴婦人がたはまた黄色い声をあげている。


 だけど俺は、何だか妙な感じがしてしまった。

 シン=ルウの動きが、少しぎこちないように思えてしまったのだ。

 そういえばシン=ルウは、舞台に上がってくるときも、いささか窮屈そうに歩いていた。ひょっとしたら、着なれぬ甲冑のために動きを制限されてしまっているのではないだろうか。


(狩人の体力だったら革の鎧の重さぐらいはどうってことないだろうけど、動きにくいってのはかなりのハンデになっちまうんじゃないか?)


 ましてやシン=ルウは、その素早さを一番の強みにしている。いまやジィ=マァムでさえ倒すことのできるシン=ルウであるのだから、本領を発揮できればこのていどの体格差はどうということもないはずなのだが――俺は嫌な予感がしてたまらなかった。


(リーハイムやマルスタインの思惑なんて知ったこっちゃない。負けてもいいから、とにかく怪我だけは――)


 俺がそのように念じたとき、小姓たちが音もなく引き下がった。

 その代わりに進み出てきたのは、白い長マントを纏った老人だ。

 なかなかの老齢であるようだが、矍鑠としており背筋ものびている。まるでルウ家の収穫祭での力比べを取りしきるラー=ルティムのようなたたずまいだ。


「セルヴァの御名のもとに――始め!」


 ゲイマロスは面甲を下ろしつつ、後方に引き下がった。

 いっぽうのシン=ルウは、棒立ちだ。剣を握った右腕も下ろしてしまい、その切っ先ががしゃんと石の舞台にぶつかる。


 ゲイマロスは腰を落として、じりじりとシン=ルウの右手側に回り込み始めた。

 盾ではなく剣を持った右手側から突きかかる算段であるらしい。

 しかしシン=ルウは動かない。

 木偶人形のように棒立ちで、ゲイマロスのほうに向き直るそぶりさえ見せなかった。


 ララ=ルウが、胸の前で指先を組み合わせる。

 貴族たちも、息を詰めて舞台の様子をうかがっているようだった。


 そんな中、ついにゲイマロスは完全にシン=ルウの真横にまで到達していた。

 それなのに、やっぱりシン=ルウは動かない。顔すら正面を向いたままで、それでゲイマロスの動きに対応できるのか、俺ですら叫びだしたいような不安を覚えることになってしまった。


 ゲイマロスも不審に思ったのか、左腕で胸もとを守り、右腕で長剣をかまえたまま、しばしその場で動きを止める。


 それから、背筋のむずがゆくなるような沈黙が流れ――

 ふいにゲイマロスが足を踏み込んだ。

 踏み込みながら、フェンシングのように長剣を繰り出す。

 最短距離で、シン=ルウの無防備な脇腹を狙う格好だ。


 俺は悲鳴をあげそうになった。

 ゲイマロスの刀がシン=ルウの脇腹をえぐる姿を幻視してしまったのだ。

 それぐらい、逃れようのない一撃に見えた。

 貴婦人がたなどは、はっきり悲鳴をあげてしまっていた。


 しかし、次の瞬間に俺の幻視は打ち砕かれた。

 野獣のような敏捷さで、シン=ルウが右腕を跳ね上げたのだ。


 シン=ルウの刀がゲイマロスの刀を弾き返し、その勢いのまま盾を叩き、さらには顔面までをも襲った。

 硬質の音色がたて続けに響きわたり、ゲイマロスの巨体が吹っ飛んだ。

 刀は真ん中からぽっきりとへし折られ、ひしゃげた面甲が宙に舞い、ゲイマロスの身体が宙に浮く。そうしてゲイマロスは2メートルほども宙を飛んでから石の床に落ち、がしゃがしゃと派手な音をたてながら転がったのち、やがて動かなくなった。


 しん――と恐ろしい静寂が落ちる。

 うつぶせに倒れたゲイマロスの顔のあたりから、赤い血だまりが広がりつつあった。

 盾を装着していた左腕が、おかしな方向にねじ曲がっている。骨が折れたか、あるいは関節が外れてしまったのだろう。肩も肘も、ありえない方向に曲がってしまっている。


 そんな中、がしゃんと重い音色が響いた。

 シン=ルウが刀を取り落とし、その場に片膝をついたのだ。


「シン=ルウ!」と、ララ=ルウが窓を乗り越える。

 数瞬迷ってから、俺もララ=ルウの後を追った。アイ=ファが止めずに追ってきたのは、やはり何らかの異変を察したためなのだろう。何かが、微妙におかしかったのだ。


「シン=ルウ、大丈夫!? いったいどうしたの!?」


 呆然と立ちつくす審判役のご老人には目もくれず、ララ=ルウはシン=ルウに取りすがった。

 シン=ルウはがっくりとうつむいたまま、目だけでララ=ルウを見つめ返す。


「別にどうもしていない。ただ、この鎧というやつが重いだけだ」


「鎧が重い!? それだけなの!? だってシン=ルウ、普通じゃないよ!?」


「このようなものを着ていては普通ではいられない。おかげでまったく手加減もできなかった。……相手は大丈夫か?」


「相手のことなんてどうでもいいよ!」


 無慈悲に言いきってから、ララ=ルウはシン=ルウの身体を抱きすくめた。

 その背後に、ぬうっと大きな人影が立ちはだかる。

 いつのまにやら追従してきていた、ジザ=ルウだ。


「シン=ルウ、その頭のものを外させてもらうぞ」


 普段通りの声音で言いながら、ジザ=ルウがシン=ルウの咽喉もとに手をのばした。

 革の留め具を器用に外し、白銀の兜をゆっくり持ち上げる。

 兜はジザ=ルウの手に移り、ララ=ルウはシン=ルウの頬に頬ずりをした。


「ふむ。確かにずいぶんと重いものだ」


 しばらくためつすがめつしてから、ジザ=ルウは足もとに落ちていたゲイマロスの面甲を拾いあげた。

 やはり金属が貼られているのは表面だけであったらしく、ほとんど真っ二つに断ち割られてしまっている。が、剣や盾を弾くのと同一のアクションで繰り出された斬撃であったことを思えば、やはり並々ならぬ膂力であるといえよう。


 その間に、ようやくゲイマロスのもとにも大勢の人々が走り寄っていた。貴族たちではない、小姓や白い長衣を着た男たちなどだ。


「ララ、もういいだろう。シン=ルウ、立つことはできるか?」


「ええ」とシン=ルウはのろのろと身を起こす。

 最前までよりなおぎこちない、ロボットのような動き方であった。《ギャムレイの一座》の騎士王ロロのことをついつい思い出してしまう。


「……なるほど。そういうことか」


 アイ=ファのつぶやきに、ジザ=ルウが「うむ」とうなずく。

 そしてジザ=ルウは、やおら建物のほうを振り返った。


「ジェノス侯爵マルスタインにお尋ねしたい! 両者はまったく異なる鎧を纏っているようだが、これには如何なる理由が存在するのだろうか?」


「異なる鎧とは、どういう意味であろうかな」


 窓に浮かんだ人影のひとつが、穏やかな声で応じてくる。


「ゲイマロスなる者が纏っていたのは革の上に鉄を貼りつけたものであり、シン=ルウが纏っているのはその内までもが鉄でできた鎧であるようだ。これではまともに動くこともかなわぬため、シン=ルウは最初のひと太刀にすべての力を込めたのだろうと思われる」


「……誰か、ジザ=ルウの言葉を確認せよ」


 マルスタインの声に応じて、白マントの老人がひょこひょこ近づいてくる。さきほどまでの威厳などは残らず霧散してしまった様子だ。

 そのご老人がシン=ルウの着た甲冑に指を這わせ、手の甲でこつこつと叩いたりしてから、青ざめた顔を建物のほうに向ける。


「これは……トトスの騎士が纏う板金の鎧のようです。いったいどうして剣術の試し合いでこのようなものが……」


「相分かった。ジザ=ルウよ、シン=ルウとともにこちらまで戻ってはもらえぬかな」


 ジザ=ルウはその手の兜をアイ=ファに託すと、シン=ルウに肩を貸して、半ば持ち上げるような格好でその言葉に従った。鼻をすすっているララ=ルウとともに、俺もその後を追いかける。


 マルスタインは、さきほどの俺たちのように窓の棧に手をかけて立ちはだかっていた。

 アイ=ファの差し出した兜と面甲を受け取って、マルスタインは「うむ」と厳粛な面持ちでうなずく。


「これは確かに騎士の兜だ。……トトスの騎士というのはね、地面を歩く必要がないために、全身に鉄の甲冑を纏ったりもするのだよ。平和なジェノスではほとんど必要のない装備だが、婚儀の式典などでは持ち出すこともあるのでいくらかは準備されてあるのだ」


「では、剣術の試し合いで使うべきものではない、と?」


「無論だ。こちらのゲイマロスが纏っていたのが試合用の甲冑であろう。板金の鎧などを纏っていれば、歩くだけで力を使い果たしてしまうからな」


 マルスタインは、ゆっくりと室内を振り返った。


「本日の試し合いに関しては、すべてをサトゥラス伯爵家に一任していた。装備の準備もそちらに任せていたはずであるが、これはいったいどういうことなのだろうかな?」


 すべての視線が、リーハイムに集中した。

 リーハイムは、部屋の真ん中で慌ただしく視線をさまよわせている。


「さ、さて……そのようなものは小姓や従者たちの仕事なのですから、自分などに問われましても……」


「では、貴殿には預かり知らぬことである、と」


「も、もちろんです!」


「それは由々しき事態であるな」


 マルスタインはうっすらと笑いながら、かたわらに立っていたメルフリードの長身を振り仰いだ。


「ならばこれは如何なる者の企みであったのか、徹底的に追及せねばなるまい。メルフリードよ、近衛兵団の威信にかけて、その痴れ者めを捜し出すのだ」


「了承いたしました」


 リーハイムは、脂汗を浮かべながら、親指の爪を噛んでいた。

 この状況で、彼が無関係ということがありうるだろうか? 森辺の狩人に御前試合を申しつけたのも、その対戦相手に自分の叔父を選んだのも、すべてこのリーハイムの所業であるのだ。ジザ=ルウなどは糸のように細い目をさらに細めてリーハイムの青ざめた顔を注視していた。


「何にせよ、これはセルヴァの御心を踏みにじるような行為に他ならない。ジェノス侯爵家の名にかけて、この罪と恥はすすがせていただこう。……この言葉を信じていただくことはかなうかな、ジザ=ルウよ?」


「信じたい、とは思っている。我が父にしてルウの家長たるドンダ=ルウでも、そのように答えるだろう」


「では、後は我々がその信頼に応えるばかりだ。……誰か、シン=ルウに召し替えを!」


 ゲイマロスのもとに集っていた小姓のひとりが、駆け足でこちらに近づいてくる。それを見やってから、ジザ=ルウはもう一度マルスタインを見た。


「扉の外で待機している狩人のひとりを同行させたく思うが、許しをいただけるか?」


「無論」という返事であったので、部屋の外からギラン=リリンが招かれることになった。

 さらにララ=ルウも付き添いの許しを兄に乞い、3名の森辺の民が舞台の外へと歩み去っていく。それでようやく俺たちも部屋の中に戻ることになった。


「いやはや、すさまじい御前試合でありましたな! 何やら手違いも生じたようですが、それで余計に森辺の狩人の力量が明らかにされたではないですか」


 そのように声を張り上げたのは、ふとっちょの使節団員であった。

 銀の串で刺したカロン肉を掲げつつ、やはり呑気たらしく笑っている。


「噂に名高いゲイマロス殿を一撃のもとに退けるとは! しかも見れば、いまだに少年の面影を残した若衆であるようであったし、いや、おみそれいたしました」


「うむ。凡百の剣士ならば舞台にあがったところで力尽きていたことだろう。何せ騎士の甲冑などを纏ってしまっていたのだから」


 マルスタインもまた、穏やかな微笑で内心を隠してしまっている。

 しかしバナームの人々は、それほど事態を重くは見ていないようだ。その呑気さは、俺たちにとってもある種の救いであった。


 恐怖の悲鳴をあげていた貴婦人がたも今でははしゃいだ声をあげており、料理人たちは素知らぬ顔で食欲を満たしている。が、少なくともジェノスの貴族たち――特にポルアースやトルストなどは、緊迫しきった面持ちで何事かを囁き合っていた。


 いまだ犯人は特定できぬが、城下町の関係者が森辺の民を罠にはめようとしたのだ。トゥラン伯爵家の悪行が暴かれて、ようやく森辺の民との正常な関係性を取り戻しつつあるこの時期に、城下町の誰かが不埒な真似を働いた。これは決して看過できぬ出来事であるはずだった。


(リーハイムってのは、そこまでお粗末な頭をしてるのか? それとも――サトゥラス伯爵家の後継者である自分がこれぐらいのことで断罪されるはずはないとタカをくくっているのか?)


 あのダバッグの奸臣たち、商会長のディゴラや外務官のメイロスなども、実に浅はかな小悪党だった。もっと上手く立ち回れば罪が露見することもなかったのに、森辺の民やマルスタインを侮っていたために墓穴を掘ることになったのだ。


(マルスタインだって、ここで森辺の民の反感を買いたくはないはずだ。でも、これぐらいの悪ふざけでいったいどれほどの罰を与えられるのか……何か面倒なことにならないといいな)


 俺がそのような物思いに沈んでいると、ふいに横合いから「アスタ」と呼びかけられた。

 振り返ると、そこに立っていたのはアリシュナであった。


「ああ、どうしたんですか、アリシュナ?」


「はい。アスタ、挨拶したかったので、ジェノス侯、許しをいただきました」


 見れば貴族たちは、表面上の平穏を取り戻して歓談にふけっている様子であった。

 占星師という身分に相応しいきらびやかな長衣に身を包んだアリシュナは、とても優雅な仕草で一礼をする。


「今日の料理、素晴らしかったです。私、アスタの料理ばかり、食べてしまいました」


「あはは。それは恐縮です」


「最初の料理、特に美味でした。私、シャスカ、あまりわからないですが、そば、大好きです。……そば、かれーと一緒に食べる、変ですか?」


「あ、俺の故郷ではそういう食べ方もありましたよ。その場合は白いフワノを使ったうどんという料理のほうが合うかもしれませんが。……あと、カレーを出汁で割って汁物のように仕上げるべきでしょうかね」


「……夢のように、美味しそうです」


 完全無欠の無表情で、アリシュナは静かにつぶやいた。

 そこに「ちょっと!」と新たな人影も寄ってくる。


「ひとりで抜けがけしないでよねー! 僕だってアスタと喋りたかったんだから!」


 濃淡まだらのショートヘアに銀の飾り物をつけた、青いドレス姿のディアルである。ずっとかしこまった表情をしていたそのディアルが、アリシュナのことを横目でにらみつけてから、いつもの調子でにぱっと笑いかけてきた。


「アスタ、ひさしぶりだねー? 城下町だとアスタに挨拶ひとつするのにいちいち許しをもらわなくっちゃいけないんだもん。まったく、いやんなっちゃうよ」


「ディアルも元気そうだね。俺たちの料理はどうだったかな?」


「すっごく美味しかったよ! 僕はあのギバ肉を炒めたママリア酢とかの料理が一番よかったかなー。……あ、あと、あんたたちの料理もそれに負けないぐらい美味しかったよ?」


 と、ディアルがぐりんとレイナ=ルウたちのほうに向き直った。


「あのヴァルカスとかいう料理人が何やかんや言ってたけど、なんにも気にすることないって! あんなの僕だったら、毎日でも食べたいぐらいさ。復活祭が終わったらまた宿場町にも遊びに行けると思うから、そのときはよろしくねー?」


「は、はい、どうも」


 レイナ=ルウとシーラ=ルウはいくぶん面食らった様子で頭を下げた。

 それを満足そうに見やってから、ディアルはまたアリシュナをにらみつける。


「そういえば、あんたは毎日アスタの料理を城下町に届けさせてるんだってね。それって、ずるくない?」


「毎日、違います。ぎばかれー、売るときだけです」


「それでもずるいよ! 僕だってアスタたちの料理を食べたいのにさー」


 ぷうっと頬をふくらませるディアルに、俺は思わず笑い声をあげてしまう。

 どんなに貴婦人のごとき格好をしていても、やっぱり俺が好きなのはこういう元気なディアルなのだった。


「何だかふたりはずいぶん仲がいいみたいだね。あのお茶会以来、友情が芽生えたのかな?」


「なんで僕がシム人なんかと友達にならなきゃいけないのさ! ……ただ、僕とこいつってジェノスの貴族にしてみると同じような立ち位置らしくってさ、なーんかこういう晩餐会でもときどき顔をあわせることになっちゃうんだよね」


「私、ジャガルの民、憎む気持ちありません。……騒がしい、苦手ですが」


「ふーん! 僕だってあんたみたいに人形みたいな顔したやつは嫌いだよー!」


 夜の湖みたいに静かなアリシュナの瞳と、生ある翡翠のごとくきらめくディアルの瞳が、正面から視線をぶつけあう。

 だけどまあ、不倶戴天の仇敵たるシムとジャガルの娘たちと思えば、いっそ微笑ましいぐらいの視殺戦であった。


「……それでお前たちは、いったい何をしに近づいてきたのだ?」


 と、今度はアイ=ファまで加わってきてしまった。

 振り返ったディアルは、「あー、あんたか」とまた破顔する。


「何をしにって、挨拶をしに来たんだよ。アスタと会うのもひさしぶりだったからさー」


「そうか。しかしお前たちは貴族に招かれた客人なのであろう? あまりこのような場でアスタと親しく口をきくのは相応しくないように思えるのだが」


「えー? だからこうやって席を外せる機会をうかがってたんじゃん! あんたまで固苦しいこと言わないでよー」


「……別にお前はどうでもかまわぬのだがな」


 と、アイ=ファの目がディアルからアリシュナへと転じられた。

 アリシュナは、無表情のまま小首を傾げる。


「あなた、私、憎いのですか?」


「……別に憎いとまでは言っておらん」


 アイ=ファはとても複雑そうな眼差しをしていた。

 それで俺は、アイ=ファの抱いている懸念を察することができた。


「アイ=ファ、アリシュナは大丈夫だよ。何も心配はいらないって」


 アイ=ファはきっと、先日のニーヤの一件を気にかけているのだ。

 占い小屋のライラノスという老人が、ひと目で俺のことを『星無き民』と看破して、それを伝え聞いたニーヤが『白き賢人ミーシャ』の歌を俺に聞かせることになった、あの一件である。


 で、このアリシュナも、同じように俺の正体を見抜いて、『星無き民の故郷はこの世界に存在しない』という言葉をうっかり漏らしてしまったことがあったのだった。

 だけどその後、アリシュナは自分の行為が軽率であったと俺たちに詫びてくれた。それはちょうどこの同じ建物でのことで、アイ=ファも同席していたのである。


「……私はそもそも星読みなどという行いを好まぬのだ」


 アイ=ファが低い声で言い捨てると、アリシュナは「そうですか」と小さくうなずいた。


「私、同じ気持ちです。私の祖父、星読みの力を持つゆえに、故郷、追われました。……だけど、私、生きていく、星読みの力、使うしかないのです」


「…………」


「ですが、私、星読みの力、商売です。アスタ、願わない限り、星を読むこと、ありません。……かつての失言、怒っているならば、何度でも謝ります」


 そう言ってアリシュナが頭を下げようとすると、アイ=ファは「よせ」と押し留めた。


「同じ過ちを何度も責めるつもりはない。ただ私はお前という人間をよく知らぬため、その言葉を頭から信じきることができないのだ」


「そーそー、シム人なんてなかなか信用できるもんじゃないよねー」


 と、何も事情を知らないディアルが朗らかに言った。


「それもみんな、そのお面みたいな無表情が悪いんだよ。他人とわかりあいたいんだったら、笑顔のひとつでも見せてみればー?」


「……感情、表に出す。恥ずかしいことです」


「ふーん。それじゃあ僕たちはみんな恥知らずってことか」


「シムの子でなければ、恥、なりません。……でも、信頼、得られるように努力します」


 そんな言葉を交わしている間に、小姓たちがまた新たな皿を運び入れてきた。

 いつの間にやら晩餐会も終わりに近づき、最後にまた甘い菓子が供され始めたのだ。


「うわ、あんたにかまってたらゆっくり話す時間がなくなっちゃったじゃん! ……あのね、アスタ、実は急いで伝えておきたいことがあったんだよ」


「え、何かな?」


「うん、さっきの御前試合のことなんだけどね。なんか、騎士の甲冑がどうとか言ってたじゃん? あれってたぶん、森辺の民にぶちのめされたあのゲイマロスって剣士のしわざだと思うんだよね」


 俺はアイ=ファとともに息を呑むことになった。


「ど、どうしてだい? 何か証のある話なのかな?」


「証って言われると困っちゃうけど。僕、あの甲冑が館に運び込まれるとき、ちょうど中庭をぷらぷらしてたんだよね。そうしたら、小姓だとか従者だとかがこそこそ話してるのが聞こえちゃってさ。この荷物は森辺の狩人がやってくるまで鍵つきの部屋に保管しておくのだ、ゲイマロス様の特命であるぞ、とか何とか」


 俺は思わずリーハイムの姿を捜してしまった。

 リーハイムは部屋の隅で、誰とも言葉を交わそうともしないまま、ぐびぐびと果実酒をあおっている。その姿は、なんとなく迷子の子供みたいに頼りなげに見えてしまった。

 ひょっとしたら彼は潔白で、ただ叔父の行く末を案じているだけなのだろうか? 彼が潔白であるならば、あとはゲイマロス本人ぐらいしか容疑者は存在しないのだ。


「ディアル、それってすっごく大事な話なんだけど……たとえば審問が行われるとして、しっかり証人になれるぐらいの確かな話なのかい?」


「えー、そんな大げさな話なの? ま、大丈夫だとは思うけどね。聞いてたのは僕だけじゃないし」


「あ、他にも誰か一緒にいたのかな?」


「うん、ラービスが一緒だったよ。あとはリフレイアと、お付きのシム人ね」


 それはシム人でなく、西と東の間に生まれたサンジュラであろう。

 驚く俺たちの前で、ディアルはにこにこと笑っている。


「リフレイアは、他の貴族と顔をあわせることはなかなか許されないんだけどさ、僕とかはただの商人だから、あのトルストってじーさまも許してくれるようになったんだー。だから一緒に中庭を散歩してたってわけ。……で、昼間に聞いたときは何をこそこそしてんだろーって不思議に思ってたんだけど、これでようやく納得がいったんだよ。だから、あのメルフリードとかいうおっかない貴族に伝える前に、いちおうアスタたちに伝えておこうと思ったのさ」


「ありがとう、ディアル。それは本当に、心からありがたい情報だよ」


 リーハイムが黒幕であった場合はまた貴族たちとややこしい揉め事にも発展しかねないが、ゲイマロス個人の悪巧みであったのなら、もう少しは穏便に収束させることもかなうだろう。あとはマルスタインらの采配に期待をかける他ない。


「それじゃあその話は改めてメルフリードに伝えてもらえるかな? 俺たちは族長筋の人たちに伝えておくから」


「うん、わかったー。……僕たち、アスタの役に立てたんだね」


 そう言って、ディアルは天使のように微笑んだ。


「こんなことぐらいで僕やリフレイアの罪は帳消しにならないだろうけど、少しでも森辺の民の役に立てたんなら嬉しいよ」


「え? ディアルはまだそんなことを気にしてたのかい?」


「あったりまえじゃん。アスタたちが気にしなさすぎなんだよ」


 そしてディアルは同じ微笑をたたえたまま、くるりと身をひるがえした。


「それじゃあまたね! 復活祭が終わったら、絶対宿場町に遊びに行くから!」


 それを見送ったアリシュナも、深々と頭を下げてくる。


「それでは、私、戻ります。……私もまた、自分の罪、いつの日か贖いたいと思います」


「いや、罪だなんて大げさですよ、アリシュナ」


「いいのです。私、アスタたち、正しい縁、結びたいのです」


 そうしてアリシュナもまた立ち去っていき、そこには森辺の民だけが残された。


「……よりにもよって、あの者たちが貴族の悪巧みを暴いてくれようとはな。これもアスタの紡いできた人の縁のおかげか」


「俺だけじゃなくって、森辺の民が紡いできた縁だろう? 特にリフレイアなんかはさ」


「しかし、あの娘ふたりはお前だけが縁を紡いだようなものではないか」


 ぷいっとそっぽを向いてから、アイ=ファは横目で俺をねめつけてくる。


「……森辺ではかまど番の仕事を果たしているのだから、女衆とばかり縁を紡ぐことになるのもわかる。しかしお前は町でも若い女人とばかり縁を繋いでいるように思えるな」


「そんなことはないだろう。宿屋のご主人はみんな男性だし、鍋屋や布屋や組立屋のご主人たちだって――おい、聞けってば!」


 アイ=ファはしなやかな足取りで、ジザ=ルウたちのほうに引っ込んでいってしまった。

 あまり事情のわかっていなそうなレイナ=ルウが「どうしたのですか?」と問うてくる。


「いや、何でもないよ。……今日は有意義な1日だったね?」


「はい。さまざまなことを思い知らされた1日でありました」


 ディアルたちが去っていったので、シーラ=ルウやトゥール=ディンらもこちらに近づいてくる。ユン=スドラはひとりにこにことしていたが、それ以外のかまど番はみんな真剣な面持ちであった。


「アスタ、町の祭が終わったら、またルウの集落で料理の手ほどきをしていただけるのでしょうか?」


「うん? ああ、もちろん。今の激務からは解放されるからね」


「ありがとうございます。……そして、新しい食材の吟味というものにも、わたしたちは同行させていただけるのでしょうか?」


「そりゃあそうさ。ヴァルカスの口ぶりだと、また何か試食させてもらえそうだったしね」


「ありがとうございます。……何もかもが至らなくて恥ずかしい限りですが、どうか今後ともによろしくお願いいたします」


 レイナ=ルウにならって、全員が俺に頭を下げてきた。

 なんて貪欲なんだろうと思いつつ、そういえば俺もアイ=ファに貪欲呼ばわりされたことがあったなあと思い出し、俺はついつい口もとをほころばせてしまう。


「こちらこそよろしくね。……でも、まだ復活祭が終わったわけじゃないからさ。まずは残りの3日間を無事に乗り越えよう」


「はい」という元気いっぱいの声が帰ってきた。

 そうしてさまざまな動乱に満ちた紫の月の28日は、ようやく終わりを遂げることになったのだった。

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