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異世界料理道  作者: EDA
第二十章 太陽神の復活祭(下)
355/1675

復活祭の城下町③~城下町の料理人~

2016.7/20 更新分 1/1

「こちらがわたしの用意した3種の料理となります」


 意気揚々と声をあげたのはティマロであった。

 卓の空いたスペースに、新たな皿が次々と運び込まれてくる。


「こちらは黒フワノの汁物料理、こちらは黒フワノの団子料理、こちらは白ママリア酢を使った野菜の酢漬け料理です」


「ほう、これはまた興味深い」


 バナームの人々が、嬉しそうに声をあげている。

 ヴァルカスからもたらされた微妙な空気も、ロイのおかげでその頃にはすっかり払拭されていた。レイナ=ルウもシーラ=ルウも、静かな面持ちでティマロの料理を見つめている。


 で、そのティマロの料理である。

 汁物料理というのは、どうやら黒フワノ粉がそのままぶちこまれているらしく、暗灰色のどろりとしたシチューのような仕上がりになっていた。ちょっと泥水のように見えてしまうのが難点であるが、幸いなことに香りは素晴らしい。辛そうなシムの香草や、それに何らかの魚介類が使われているようだ。


 団子料理というのは、黒フワノの団子が肉や野菜と盛られている煮付け料理である。団子の大きさはピンポン球ぐらいで、色はやっぱり暗灰色。肉はカロンの薄切りで、野菜はとりあえずパプリカのごときマ・プラとサトイモのごときマ・ギーゴが確認できた。それらの具材が、とろみのある乳白色の煮汁にまぶされている。


 そして酢漬け料理というのは、さまざまな野菜がねっとりとした半透明の液体にまみれていた。こちらはズッキーニのごときチャン、ニンジンのごときネェノン、キャベツのごときティノ、ダイコンのごときシィマの姿がうかがえる。


「ふむ。これはフワノの粉がそのまま投じられているのですな」


 ふとっちょの使節団員が、小姓に取り分けられた汁物料理を物珍しげに見やっている。今にも鼻を寄せて香りを嗅ぎ始めそうな様子である。


「フワノを焼いたり茹でたりするのでなく、そのまま使うとは目新しい。まったく味の想像がつきませんな」


「それでは、いただいてみましょう」


 ウェルハイドの声とともに、バナームの3名が同じ料理を口に運んだ。

 反応はさまざまである。

 ウェルハイドは軽く眉をひそめ、初老の人物は目を見開き、ふとっちょさんは満面に笑みをたたえた。


「何というか……これは説明のし難い味ですね」


「ええ、とても驚かされました」


「しかし、なかなか美味ではないですか」


 彼らはきっと、ジェノスの貴族たちほど複雑な味付けに慣れていないのだろう。その驚きを共感すべく、俺も汁物料理から口をつけることにした。


 まず感じられたのは、ぴりっとした辛みだ。チットの実と、それにもう2種ぐらいは香草を使っているに違いない。若干の酸味も感じられる。

 香りで感じた魚介の風味は、どうやらマロールと呼ばれる甘エビに似た甲殻類のものであったようだ。出汁として使われたのか、それともすり身にされているのか、肉の食感は感じられないがかなり強く香りが出ている。


 さらに、砂糖やタウ油も使われているのだろう。甘みも塩気もそれなりに強い。タイ料理を思わせる辛さと酸味に、和風の甘みが加えられたような、やっぱり複雑な味わいである。


 で、小麦粉や蕎麦粉にも似た黒フワノ粉がどっさり投入されているため、汁はかなり粉っぽくて、その複雑な味や風味がのろのろとした動きで口の中を通り過ぎていく。悪く言えばしつこいし、よく言えば後をひく味わい、といった感じだ。


 それで具材は、カロン肉のたぶんロースと、あとはマ・プラにティノのしんなりとした食感が印象に残った。それ以外にもチャンやロヒョイやマ・ギーゴあたりが使われているようであったが、それらはぐずぐずに溶け崩れており、いい出汁にはなっているのであろうが、食感の面ではスープと一体化してしまっている。


「うむ。味は申し分ない。しかし、いささか咽喉にひっかかるような食べ心地ではあるな」


 マルスタインがそのように評すると、ティマロは「はい」と頭を垂れた。


「それが通常の白いフワノとの違いになります。白いフワノであればもう少し咽喉ごしはなめらかになりますが、そのぶん味や風味もすぐに抜けていってしまうことでしょう」


「なるほどな。まあ、茶や酒があれば何も不都合はなかろう」


 小姓が音もなく忍び寄り、侯爵の空になったグラスに白ママリア酒を注ぐ。


「こちらの団子料理というのは歯ざわりが素晴らしい。やはりこれも黒いフワノゆえなのかな?」


 と、ポルアースが笑顔で発言する。


「はい。黒いフワノと白いフワノを分けるのは、その食感と若干の風味です。風味は香草などで容易く打ち消されてしまいますので、やはり食感の違いを楽しんでいただくのが最善であるとわたしは考えた次第です」


「うん、確かにこれは白フワノでは生み出し難い味なのだろうね。僕はとても好みだよ」


 それでは、と俺も同じ料理を口にすることにした。

 フワノの団子も煮込まれているので、銀のフォークで刺してみても、手ごたえはやわらかい。乳白色の煮汁にまぶされたそいつを丸々口の中に放りこんでみると、まずはカロン乳とパナムの蜜の甘さが口の中に広がった。


 カロン乳は煮汁で使われ、パナムの蜜はフワノの生地に練り込まれているのだろう。あとはやっぱりタウ油の塩気と、それにパクチーのような風味も感じられる。煮汁はしっかりと団子の中にまでしみわたっていたので、それらが蜜の甘さと混じり合い、また豊かで複雑な味を俺の口に広げてくれた。


 で、ポルアースが賞賛する通り、これだけ煮汁を吸っているのに、フワノの生地はじゃくじゃくと簡単に潰れて咽喉を通っていった。白フワノやポイタンであったら、もっとべったりとした食感で、しつこく口の中に残っていたに違いない。


 さきほどの汁物では、黒フワノ粉の粒子の粗さが摩擦となり、こちらの団子料理では、逆に軽やかな食感を生みだしている。粉のまま使うか団子として仕上げるかで、まったく真逆の効果をひねり出したのだ。その発想は、俺にはなかなかユニークに感じられた。


「森辺の族長ダリ=サウティは如何であろうかな? ジェノスの料理があまり森辺の民の口に合わないことは承知しているが、その上で率直な意見をうかがいたいものだ」


 マルスタインに呼びかけられて、ずっと静かにしていたダリ=サウティが面を上げた。


「こちらの汁物は、いささか苦手だな。こちらの団子というやつは、まあ無理なく口にすることはできるが……それでもやっぱり、美味いか不味いかと判別することは難しい。まず俺たちはギバの肉がないだけで物足りなく感じるように身体ができあがってしまっているからな」


「ふむ。しかし貴方は、アスタの作ったリリオネの揚げ料理を食しているとき、ずいぶん満足そうな表情をしているように感じられたが」


 リリオネの揚げ料理というのは、タルタルソースのために作製した川魚のフライのことだ。ダリ=サウティは虚をつかれた様子で目をぱちくりとさせた。


「俺はそのように満足げな顔をしてしまっていたのかな。……だけど確かに、あれはギバでなく魚の肉だったが、とても美味に感じられた」


「うむ。確かにあの揚げ料理も絶品であったからね。……しかし、ジェノスの民にとっては其方の料理も絶品だよ、ティマロ」


「過分なお言葉をいただき光栄にございます」と、ティマロはうやうやしく頭を下げる。


「この酢漬けの野菜というのも不思議な味わいですな。どこにも肉は見当たらないのに、肉の風味を強く感じます」


 トルストの言葉には「はい」と笑顔で応じる。今日のティマロは自信に満ちみちていた。


「そちらは白いママリア酢ばかりでなく、カロンの脂も一緒に溶かし込んでいるのです。赤いママリアの酢漬けとはまた異なる味を引き出せたものと自負しております」


 どれどれ、と俺も最後の料理に手をのばす。

 が、こればかりはちょっと俺の口には合わなかった。


 半透明のとろりとした液体は、まさしく白ママリア酢とカロン脂の融合体であったのである。ビネガーと牛脂の混合物と表現すれば、より明確にイメージできるだろうか。他にも香草を使っているようなのだが、酢と脂の存在感が強烈すぎて、まともに判別することもできなかった。


 しかもこいつはじっくりと漬け込んで醗酵させているらしく、野菜自体も強い酸味を帯びている。それで肉の風味というか、ひたすら脂っぽいこってりとした風味まで重なってくるのだから、咽喉を通りにくいことこの上なかった。


 ふっとかたわらを見下ろしてみると、同じものを口にしたらしいトゥール=ディンが涙目でうつむいてしまっている。俺が慌ててお茶のグラスを差し出すと、トゥール=ディンはそいつで口の中身を無理やり呑みくだしてから、「あうう」と彼女らしからぬ声をもらした。


「大丈夫? もう無理して口にすることはないからね?」


 俺がこっそり囁きかけると、トゥール=ディンは涙目のまま「ありがとうございます……」とつぶやいた。


「レイナ=ルウたちはどうだったかな? ティマロの料理を口にするのはずいぶんひさびさのことだけど」


「そうですね……やはり手放しで美味とは思えませんが、あの頃とは少し異なる印象を受けています」


 レイナ=ルウが、小声で応じてくる。


「何というか、あのティマロという料理人がどのような味を目指しているのか、それは理解できるように思えるのです。それはきっと、わたしがヴァルカスの料理の味を知ったためなのでしょうね」


「うん、俺も似たような心境かな。ティマロの目指す先にはヴァルカスがいるように感じられるよね」


 すると、エウリフィアに「どうしたのかしら?」と呼びかけられてしまった。


「何か思うところがあったのなら、それはわたしたちにも聞かせてほしいものね。そのために、アスタたちもこの場で料理の味を確かめているのでしょう?」


「あ、いえ……そうですね、やはり黒フワノというのは食感が独特ですので、それを最大限に活用したティマロの料理は素晴らしいと思います」


「ふうん? それではヴァルカスは如何かしら?」


 ヴァルカスは、汁物の注がれた皿をかちゃりと卓に置く。


「わたしは特に、思うところもございません」


「あら、ティマロの料理に不満なの?」


「不満か満足かと問われれば、もちろん不満です。そして、このような形で希少な食材を使われることは、とても不本意です」


 ティマロの笑顔が、ぴくりと引きつった。


「ヴァルカス殿は以前から、一度としてわたしの料理をお認めにはなられませんからな。よほど作法や好みが異なるのでしょう」


「どのような作法であれ、美味な料理は美味です。そしてあなたの料理は決してわたしの作法から遠からぬものだと思っています。……それゆえに、不出来な部分も際立って目についてしまうのでしょう」


「わたしの料理が、そこまで不出来であると?」


「不出来です。わたしであれば、この汁物料理に砂糖は使いません。甘さを欲するなら、ミンミかラマムの実を使ったでしょう。それに、マロールだけでは風味が足りないので、海草や魚の燻製も一緒に使ったと思います」


 またぼんやりとした口調でヴァルカスは辛辣な言葉を述べ始める。


「団子料理に関しては、メッドの香草が不要です。パナムの蜜の甘さとぶつかりあい、とても不快でした。それで煮汁には、砂糖や乳脂を使うべきでしたね」


「そ、それではただ甘いだけの料理になってしまうではないですか?」


「あの料理ならば、甘さと塩気ぐらいが相応です。無駄に味を加えても、調和を乱すばかりでしょう」


 ティマロはいっそういきりたち、ヴァルカスはそれに反比例してどんどん冷めていく。


「野菜の酢漬けなどは、論ずるまでもありません。あの料理にカロンの脂を使うことにどのような意味があるというのでしょう。ただ物珍しいというだけで、ひたすら味を悪くしているばかりです。あれならば、ただ白ママリア酢に野菜を漬けたほうが、よほど美味に仕上げられます」


「ヴァルカス、もうそのぐらいでいいのじゃないかしら」


 と、再びリフレイアが掣肘の声をあげた。


「あなたたちのそういうやりとりも、わたしはすっかり聞き飽きているぐらいだけれど、他の皆様はきっと面食らってしまっているでしょう」


 ヴァルカスは、何の感慨もなさそうに一礼した。

 まだ声をあげようとするティマロを視線で抑え込んでから、リフレイアは貴賓の人々をぐるりと見回す。


「ヴァルカスとティマロは、両名ともにトゥラン伯爵家に仕える料理人であったのです。その頃から、二人はこのようにいがみあっていたのですよ。すでに主人でなくなったわたしが釈明する筋合いはないのですが、そういった因縁が存在することはどうぞお含みおきください」


 その幼さに似合わぬ毅然とした物言いに、バナームの人々などは「ははあ……」と感心したような声をあげていた。

 傍若無人なリフレイアも、公の場ではこうして自分を取りつくろうことが可能なのである。そして、彼女がこのように自分から率先して発言するのは、本人にとってよい変化なのだろうなと思えてならなかった。


「腕のよい料理人というのは、いずれも自負の気持ちが強いものであるからな。そうでなかったら、わたしも城の料理長を連れてきていたところなのだが、やはりそれは思い留まって正解であったようだ」


 悠揚せまらずに、マルスタインもそのような言葉を述べた。


「では、いよいよヴァルカスの料理を堪能させていただこうか。それほどの口をきくのだから、きっとわたしたちを大いに楽しませてくれる料理を準備しているに違いない」


 小姓たちが新たな盆を運び入れてくる。そこに載せられているのは、保温のための釣鐘型の蓋がかぶせられた大皿であった。

 その蓋の下から現れたのは、香ばしく焼きあげられたキミュスの丸焼きである。


 だが、普通の丸焼きではない。そのキミュスは、すみからすみまで完全に漆黒の色合いをしていた。

 俺たちは厨でその異様な姿をすでに目にしていたが、初のお目見えとなる貴族たちは、そのほとんどが驚きの声をあげていた。


「何なのだ、その料理は? 火にかけ過ぎて、焦げてしまっている……というわけではないのだろうな」


「こちらは黒いフワノとギギの香草を使った料理となります。……シリィ=ロウ」


「はい」とうなずき、シリィ=ロウがその皿に近づいていく。どうやらその肉を切り分けるのは彼女の仕事であるようだ。

 小姓の準備した肉切り刀と鉄串を使って、シリィ=ロウはよどみなくキミュスの肉を切り分けていく。真っ黒の表皮の下から現れたのは、艶やかに輝く薄桃色の肉だ。


 シリィ=ロウは、すべての肉に黒い皮が行き渡るよう丁寧に切り分けた。

 そして、小姓が新たに運んできた小さな壺からまだ熱そうな煮汁をすくいあげ、それを切り分けた肉に掛けていく。


「お待たせいたしました。どうぞお召しあがりください」


 シリィ=ロウはすみやかに身を引き、小姓が料理を小皿に取り分けていく。そのキミュスはかなり大ぶりであったが、30人がかりではごく少量しか行き渡らない。


 香りからして、素晴らしい料理である。

 タウ油の甘辛そうな香りと、焼けた肉の香ばしい匂い、それに複数の香草のスパイシーな香りが複雑にからみあっている。それなりに満たされてきた胃袋をさらに活性化させてくれるような、そんな魅惑的な芳香であった。


 その料理を口にすると、「うむ、これは――」と言ったきり、マルスタインでさえ言葉が続かなかった。

 他の貴族や貴婦人たちも、のきなみ感嘆の声をあげている。表面上だけでも平静を保っているのは、メルフリードとアリシュナぐらいのものであった。


 それらの声を聞きながら、俺もその皿に手をのばす。

 ふた切ればかりも載せられていた内の片方を、思い切って口の中に放り入れた。


 表面は、カリカリに焼けている。

 それに前回の魚料理と同じように、炙り焼きにしながら何重にも薄い衣を塗っているのだろう。肉のやわらかさと表皮の香ばしさが絶妙であった。

 キミュスというのは、どこもかしこもササミのように淡白な味わいだ。そのシンプルな肉の味わいを、黒い衣が複雑に彩っている。


 一番強く感じられるのは、甘さと辛さであった。

 だけどどちらも、何に由来する味なのかはなかなか判別がつかない。パナムの蜜の風味は感じられたが、そこに果実のまろやかな甘さも加えられている。甘さひとつでも、そこまで味が深いのだ。

 辛いのは、香草の効果だろう。とげとげしい辛さではなく、じんわりと舌を刺激する味わいであった。


 そして、後から掛けられた煮汁は白ママリア酢がベースであるに違いない。その独特の風味と酸味が、黒い衣の甘みと辛みと相まって、素晴らしい相乗効果を生み出しているのである。


 さらに集中して味を確かめると、その裏側に奇妙な味があった。

 意識しないと見過ごしてしまいそうな、それは独特の苦みであった。

 最初は焼かれた衣や皮の香ばしい風味かとも思ったが、どうやらそうではないらしい。何かカカオの類いを思わせる不思議な苦みがこの料理の中核を担っていたのだった。


 これも何かの香草なのだろうか。俺には覚えのない味だ。

 お焦げの香ばしさと見誤ってしまいそうなささやかなる風味であるのに、いったん意識するとこの苦みが味を引き締めているのがわかる。甘さと辛さと酸味と塩気が、この苦みによってひとつにまとめあげられているような、そんな感覚にすらとらわれてしまった。


「……キミュスの皮が黒いのは、黒フワノ粉とギギの香草を纏わせているためです」


 ヴァルカスの声が、静かに響く。


「ギギの香草は扱いが難しいのですが、上手く黒フワノや白ママリアの酢と調和させることがかないました。黒フワノとギギの衣にはラマムのすりおろしやレテンの油、タウ油、カロンの乳、それにサルファルなどの香草もあわせており、煮汁のほうでは白ママリアの酢と酒、パナムの蜜、ラマンパの実などを使っています」


 その言葉を聞きながら、俺は透明の煮汁だけをそっとなめてみた。

 確かに言われた通りの食材の味を感じる。果実酒は隠し味ていどにしか使われていないのだろう。白ママリア酢をベースにした、酸味と甘みの強調された味わいである。


 で、その煮汁にひたされていない部分から黒い衣だけをひとかけら剥がして味わってみると、今度ははっきり苦みが感じられた。

 きっとこれが、ギギという香草の苦みなのだ。

 そもそも黒フワノというのは灰褐色をしているので、この黒い色合いもギギの香草からもたらされたものなのだろうと思う。


 他にはかろうじてタウ油の風味と塩気が感じられるが、ラマムやカロン乳などはよくわからない。ただ、なめらかな甘みが苦みの向こうにはっきりと感じられる。それに、煮汁がないとけっこうぴりぴりとした辛さが舌を刺してくる。この料理は、煮汁と衣の味が融合することで、初めて完成されるのだ。


「……あんなに味気ないキミュスの肉ですら、ヴァルカスにかかればここまでの味に仕上げられてしまうのですね」


 レイナ=ルウが、俺にだけ聞こえるような小声でそのように囁いていた。


「何だかまた自分との差を思い知らされてしまいました。あのように不出来な料理を出してしまったことを恥ずかしく思います」


「いや、あの料理はレイナ=ルウたちにとってもまだ未完成なんだろう? それをお披露目するように提案したのは俺なんだから――」


「それでも、わたしが未熟であることに変わりはありません」


 心配になって俺はレイナ=ルウの横顔を覗き込んだが、彼女は落ち込んでいるのではなく、闘志に燃えていた。

 そして、反対の側からシーラ=ルウも顔を寄せてくる。


「きっとギバやカロンの肉ではこの味付けも合わないのでしょうね。これはキミュスの肉だからこそ成しうる味なのだと思います。……わたしたちもひとつずつ味を重ねていって、ギバ肉でこのように美味なる料理を作ることができたら、きっとまたとない喜びを得ることができるでしょう」


「うん。ギギっていうのはどの香草のことなんだろうね。ギバ肉に使ったらどんな味になるのか試してみたいよ」


 シーラ=ルウと喋るときは、レイナ=ルウは家族に対するような言葉づかいになる。そうすると、レイナ=ルウはなおさらひたむきに見えて、俺はいっそう安心することができた。


「いや、これは素晴らしい料理であった。……しかし、このように手の込んだ料理をヴァルカス以外の人間が作りあげることは可能なのであろうかな?」


 やがてマルスタインがそのように発言すると、ヴァルカスはけげんそうに首を傾げた。


「はい。わたしの弟子たちであれば、これに近い味を組み立てることは可能だと思われますが」


「ならば、やはり其方の店でしかこのような料理は作れぬということではないか? それではバナームのフワノやママリアの味を広く知らしめるという目的にはあまり沿わないことになろう」


「……ですがこれは、バナームのフワノとママリアなくして作りあげることはかなわぬ料理です。そうであるならば、わたしの店を訪れる客人たちにそれらの食材の素晴らしさを伝えることはかないましょう」


「それでいったいどれだけの人間が、バナームのフワノやママリアを自分でも買ってみようと思えるのであろうかな。……いや、いい。このようなことを取り沙汰しても詮無きことだ。其方には其方のやり方で美味なる料理を作り続けてもらいたい」


「はい」とヴァルカスは頭を垂れた。

 その向こう側で、ティマロは静かにまぶたを閉ざしている。いくぶん顔色はすぐれぬようだが、取り乱している様子はない。


(よく考えたら、ティマロは何年もヴァルカスのそばで料理の腕前を比較され続けてきたんだな。それで心を折らずにいられるのは、ひょっとしたらものすごい根性なんじゃないだろうか)


 そんなことを考えていると、エウリフィアが「さあ」とはしゃいだ声をあげた。


「それではいよいよヤンの出番ね? わたしたちは、あなたの作る甘い菓子を一番の楽しみにしていたのよ?」


 わたしたちというのは、きっと貴婦人がたのことなのだろう。姉妹のようによく似たベスタ姫とセランジュ姫は、次期侯爵夫人のかたわらで期待に瞳を輝かせている。


 そうして運び込まれてきたのは、黒フワノの焼き菓子であった。

 しかもこれは、乳脂で揚げ焼きにされているらしい。薄くのばした黒フワノの生地が春巻きのような形で巻かれており、バターにも似た乳脂の香りを濃厚に漂わせていた。


「あら、焼くのではなく揚げているのかしら?」


「はい。以前の茶会でアスタ殿の準備した菓子があまりに素晴らしかったので、わたしも触発されてしまったのです」


 ヤンはそのように述べていたが、あのときに俺が準備したのはドーナツだ。香ばしく揚げ焼きにされたその菓子は、ドーナツよりもパイに近いように感じられた。

 灰褐色の春巻きみたいなその菓子に、とろりとした薄紅色のソースが掛けられている。ところどころに散っているのは、桃に似たミンミの果肉であるようだった。


「うわ、美味しいです!」


 と、大きな声をあげてしまってから、ユン=スドラが真っ赤になって縮こまった。その微笑ましい姿に、エウリフィアが「いいのよ」と笑いかける。


「ここでは素直に意見を述べ合うべきという話であったでしょう? わたしもとても美味だと思うわ」


「おそれいります」とヤンはうやうやしく頭を下げる。


 俺も食させていただいたが、それは茶会で出された菓子に劣らぬ美味しさであった。

 生地にはカロン乳やキミュスの卵も使われているらしく、風味も豊かで、かつパリパリとした食感が好ましい。そしてその内に隠されていたのは、アロウやシールの果肉をベースにしたジャムであった。


 パナムの蜜とミンミの実で作られたソースがぞんぶんに甘いので、そちらのジャムは甘さも控えめだ。ベリー系のアロウと柑橘系のシールの酸味が素晴らしく調和しており、そこに自然な甘みが加えられている。

 この甘みは、きっと白ママリア酒であろう。果実と一緒に煮立てて酒精をとばしているのか、幼子でも美味しく食べられそうな優しい味わいだ。


 そして、ほどよく固い生地と、とろりとやわらかいジャムの他に、また異なる食感が2種ほど潜んでいた。

 片方は、前回と同じくキミュス肉の繊維であろう。糸のように細く裂かれたキミュスの胸肉が、きゅっきゅっと歯に心地好い噛み応えを与えてくれる。


 もう1種は、果物か野菜であるようだった。

 やはり細く裂かれており、味らしい味は感じられない。噛めば容易く潰れるが、わずかにぷりぷりとした弾力があって、それもまた楽しい食感を生み出してくれていた。


「……これは、マ・プラでありますね?」


 そのように発言したのはヴァルカスであった。

 ヤンは穏やかに「はい」とうなずく。


「マ・プラを白ママリア酒で煮込んだものです。噛み応えが足りないように感じられたのでそれを加えることにしました」


 マ・プラというのはプラの亜種で、パプリカに似た野菜である。プラのような苦みがないので、俺も彩りや食感のために加えることが多い野菜であった。


「素晴らしい発想です。シリィ=ロウに聞いていた通り、あなたの菓子を作る腕はジェノスでも屈指のものでしょう」


「ヴァルカス殿ほどの料理人にそこまでのお言葉をいただけるのは光栄の極みです」


 うなずきながら、ヴァルカスはティマロを振り返った。


「ティマロ殿も、菓子作りに関してはヤン殿に劣らぬ腕を持っていました。ひとつの味を極める技術には目を見張るものがあるのですから、通常の料理に関してもその技術を活かせば、きっと素晴らしい料理を作りあげることもかなうでしょう」


 難しい顔をしてヤンの菓子を口にしていたティマロは、いっそう難しげな顔になってヴァルカスをにらみつける。


「いや、これも素晴らしい味わいだった。バナームのフワノは甘い菓子にも向いているようだな」


 マルスタインの言葉に、ヤンが「はい」と慇懃に応じる。


「ただ普通に焼くのではむしろ白いフワノより味気ない仕上がりになってしまいがちですが、ほんの少しの工夫で美味なる菓子を作ることは可能になります。城下町では甘い菓子を軽食とする人間も少なくはないので、そちらに取り組む意義は大いにありましょう」


「それではティマロには、そちらの面でも腕をふるってもらいたいものだな。其方の腕前は貴婦人の間でも名高いと聞き及んでいるぞ?」


「は……」とティマロは複雑そうな面持ちで一礼する。

 肝心の料理のほうをヴァルカスにこきおろされてしまったので、菓子の腕前をほめられても痛し痒しというところなのだろう。


「どう、オディフィア? あなたもこういう菓子は大好きでしょう?」


 と、エウリフィアが幼き我が子に呼びかけている声が聞こえてきた。

 フランス人形みたいに愛くるしい5歳のオディフィアは「すごくおいしい」とうなずいている。


「でも、おかしはこれだけしかないの?」


「あら、まだ食べ足りないのかしら? あちらの皿にはまだ少し残っているようよ」


「そうじゃなくて、オディフィアはあのむすめのおかしがたべたい」


 当然のこと、あの娘というのはトゥール=ディンのことであった。

 その会話が聞こえていた者たちはまたトゥール=ディンを見つめることになり、当人は俺の背中にはりついてしまう。


「本当にあなたはトゥール=ディンの菓子が気にいってしまったのね。それならば、オディフィア、きちんと名前を覚えるのが礼儀よ? あの小さな森辺の料理人は、トゥール=ディンというの」


「トゥール=ディン」と意外にしっかりとした発音でつぶやき、オディフィアはじいっとトゥール=ディンの姿を見つめた。


「森辺の族長ダリ=サウティ、お聞きの通り、わたしの娘オディフィアはすっかりトゥール=ディンの作る菓子に心を奪われてしまったようだわ。いずれまた彼女に城下町まで出向いていただくことは可能かしら?」


 と、義父や伴侶ではなくダリ=サウティへと、エウリフィアは視線と言葉を差し向ける。

 ダリ=サウティは純白のドレスを纏った高貴なる母娘の姿を見比べながら、やわらかく微笑した。


「森辺の仕事に差し支えのない範囲であれば、ディン家の家長にもそれを断る理由はないだろう。ただしディン家は族長筋ザザ家の眷族であるので、まずはそちらに話を通すべきであろうな」


「あら、たしかザザ家の御方もこの場にいらっしゃるのじゃなかったかしら?」


 その言葉に、護衛役の狩人たちとともに壁際まで下がっていたスフィラ=ザザが静かに進み出る。


「わたしはザザ家の家長グラフ=ザザの末妹、スフィラ=ザザと申します。……ファの家のアスタではなく、ディン家のトゥール=ディンにかまど番の仕事を申しつけたいと仰るのですか?」


「ええ、もちろんアスタもともに来ていただけるのならば、とても嬉しいのですけれど。トゥール=ディンとしても、そのほうが心強いのでしょうし」


「そうですか。……それでは家長グラフにもそのお言葉は伝えさせていただきます」


 無表情に応じながら、スフィラ=ザザもじいっとトゥール=ディンの後ろ姿を注視している。

 トゥール=ディンは俺の背中に取りすがったまま、もはや消え入りそうな風情であった。


 エウリフィアはとても満足げに微笑みながら、かたわらの伴侶を振り返る。

 いまだこの席で一言も発していないように感じられるメルフリードは灰色の瞳を冷たく光らせながら口を開きかけたが、足もとから娘にまで見つめられていることに気づくと、無言のまま小さく息をついた。


 そんな息子一家の様子を苦笑まじりの表情で眺めていたマルスタインが、気を取り直したように「さて」と声をあげる。


「それではこの後は、残っている料理とともに通常の晩餐も楽しんでいただこう。ヴァルカスの弟子たちが準備をしておいてくれたのでな」


 マルスタインの声に応じて、小姓たちがまたわらわらと新たな料理を運び入れてくる。タートゥマイやシリィ=ロウ、それにロイの3名は、ヴァルカスの調理を手伝うのではなく、それらの料理を作製していたのである。ぐつぐつと煮込まれたスープやカロンの肉料理、色とりどりの野菜料理などが空いた卓にずらりと並べられていく。


「……そして余興として、ここで森辺の狩人シン=ルウとサトゥラスの剣士ゲイマロスの御前試合を楽しんでいただきたい」


 小姓のひとりが、俺たちから見て右手側の壁に近づいていく。

 その小姓によって大きな垂れ幕が引かれると、その向こうの壁にはぽっかりと大きな窓が切り開かれていた。


 高さは1メートルていど、横幅は7、8メートルもあろうかという巨大な窓である。間に何本か補強用の柱が設置されているが、外の様子をうかがうのには何の不都合もない。そこから覗くのは、広々とした石造りの舞台であった。


 屋根と床は存在するが、そこはもう屋外だ。直径10メートルはありそうな石敷きの舞台で、それを取り囲む太い石柱によって屋根が支えられている。そして、その石柱に設置されたかがり火によって舞台が照らし出されているが、屋根の外には樹木の陰が黒くわだかまっていた。


 俺たちは、足速にそちらへと移動する。

 貴族たちは食事を楽しみながら閲覧する心づもりなのであろうが、こちらは食事どころではない。ララ=ルウなどは窓の棧に手をかけて、身を乗り出さんばかりの勢いであった。


 アイ=ファ、ジザ=ルウ、ガズラン=ルティムの3名も、無言のまま俺たちの背後に立ち並ぶ。それでもこの窓のサイズならば、マルスタインたちにも不都合はなかっただろう。また、貴族たちの不都合など慮ってはいられないぐらい、俺やララ=ルウなどはシン=ルウの身を案じていた。


(とにかく怪我だけはしないでくれよ、シン=ルウ。……ララ=ルウのために)


 そうしてかがり火の向こうから、小姓に誘われて2名の剣士が進み出てくる。

 どちらも白銀の甲冑を纏っていたが、その片方はまぎれもなく褐色の肌をした森辺の若き狩人、シン=ルウであった。

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