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異世界料理道  作者: EDA
第二十章 太陽神の復活祭(下)
353/1675

復活祭の城下町①~再会~

2016.7/18 更新分 1/1

・今回は8回分の更新となります。

『中天の日』から2日後の、紫の月の28日。

 その日、俺たちはジェノス侯爵マルスタインの要望に従って、城下町へと出向くことになった。


 10日間も続く復活祭の7日目のことで、いよいよこの一大イベントも終盤戦に差しかかろうとしている。そんな中でこのような仕事まで果たすのはなかなかの負担であったが、そこは屈強なる森辺の民である。かまど番にも護衛役にも、このお役目そのものに不満の声をあげる者は皆無であった。


 商売のほうは、順調すぎるぐらい順調だ。昨日も今日も準備した料理はすべて売り切ることができていたし、初日の夜に《ギャムレイの一座》の天幕で野盗に襲われて以降は、目立った騒ぎも起きていない。町の人々は心から祭を楽しんでおり、その楽しさはしっかりと森辺の民にも伝播されているように思える。間にはジバ婆さんが宿場町やダレイムを訪れることにもなったし、これは森辺とジェノスの交流という意味においても大きな意味を持つ時期であっただろう。


 だから、この城下町への遠征も、森辺とジェノスの関係性を改善する一助になればいい、と俺は考えている。

 そんな俺と思いを同じくしてくれているのかどうなのか、その日に同行するメンバーは直前になって2名が追加されていた。

 すなわち、スフィラ=ザザとダリ=サウティである。

 それぞれ族長筋に属するその両名が、かまど番や護衛役とは別枠の監査役として同行することになったのだ。


「ようやくサウティの集落も落ち着きを取り戻すことができたからな。遅まきながら、ファやルウの行いを見届けさせていただきたい」


 ひさびさに再会したダリ=サウティはそのように述べていた。

 まだ骨折した左腕を吊っている痛々しい姿であるが、それ以外の負傷はあらかた癒えた様子であるし、表情にもかつての力強さと大らかさが復活している。


「あなたがたが城下町で貴族たちとどのように縁を紡いでいるのか、それはザザの家も正確に把握しておく必要があるでしょう。わたしが族長グラフの目となって、しっかり見届けさせていただきます」


 いっぽうのスフィラ=ザザは相変わらず堅苦しい面持ちであったが、それも強い使命感ゆえなのだろう。

 ともあれ、俺たちとしては双手をあげて歓迎したい心境であるし、ジェノス城からも快く了承を得ることができた。ダリ=サウティなどは、また森辺の族長として貴賓の席についてほしいと願われたぐらいである。


 ちなみに貴族側の参加者は、以前の歓迎会の主要メンバーに茶会のメンバーをつけ加えたような顔ぶれで、総勢は15名に達していた。「ごく内々の会である」という言葉をあらかじめ賜っていたが、まあ城下町ではこれぐらいの人数でも小規模ということになるのだろう。


 それに立ち向かう森辺の民は、かまど番が6名、監査役が2名、護衛役が8名で、合計16名と相成った。


 かまど番は、俺、レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、ララ=ルウ、トゥール=ディン、ユン=スドラ。

 監査役は、ダリ=サウティ、スフィラ=ザザ。

 護衛役は、アイ=ファ、ジザ=ルウ、ダルム=ルウ、ルド=ルウ、ガズラン=ルティム、ダン=ルティム、ギラン=リリン、サウティの男衆。


 さらにそれとは別枠で、シン=ルウも同行している。

 リーハイムの提案を受けて、剣術の試し合いを果たすためである。


 こんな余興に駆り出されてしまったシン=ルウは、それでもいつも通り泰然自若としたたたずまいであった。ララ=ルウも面と向かっては何も言っていないのか、貴族の姫君からのご指名であると聞かされても、まったく気にかけている様子はない。俺がこっそり心情を問うたときも、「森辺の狩人として恥ずかしくない力を見せるのみだ」と静かに述べるばかりであった。


 そして今回の試食会においては、城下町の料理人たるヴァルカス、ティマロ、ヤンの3名も参加する。

 バナームからもたらされた黒フワノ粉、白ママリア酢、白ママリア酒の有効的な使用方法をおのおのが考案し、それをお披露目するのだ。

 森辺のかまど番の過半数は、特にヴァルカスがどのような料理を考案したのかと、期待に胸をふくらませることになった。


「わたしなどは、城下町に出向けるというだけで胸がいっぱいになってしまっています」


 城門で乗り換えた箱型のトトス車の窓からその城下町の町並みを覗いていたユン=スドラが、熱っぽい声でそのように言っていた。


「本当に、道ばかりでなく建物までもが石造りなのですね。何だか信じ難いような光景です」


「そうだろうね。何べん来ても、なかなか慣れるものではないと思うよ」


 明日のための下ごしらえを終えて、下りの四の刻には森辺の集落を出立した。夕暮れ時と呼ぶにはまだ早い、実に中途半端な刻限であるが、やはり城下町の人々も大いに復活祭を楽しんでいる様子であった。

 もともと人通りの多い石の街路に、さらに人が増えている。歌っている者や踊っている者、笛や太鼓を持ち出している者、昼間から果実酒を掲げている者――少なくとも、そういった賑わいに宿場町と差異はないようだ。


「それでもやはり、無法者と呼ばれるような人間は見当たらないようだな」


 同じくこれが初の城下町となるジザ=ルウは、そのように述べていた。

 城下町に足を踏み入れるには通行証というものが必要になるので、無頼漢や無法者といったものどもの姿が見えないのは道理であろう。城壁で覆われていないダバッグでさえジェノスの宿場町に比べれば格段に治安はよさそうであったのだから、城下町ともなればなおさらだ。


 しかしまた、それ以外の部分では宿場町とそこまでかけ離れているわけでもない。俺が知るだけでも、《守護人》のカミュア=ヨシュやザッシュマ、商人のシュミラルやディアル、そして吟遊詩人のニーヤなどは城下町への行き来を許されているのだ。特に城門から最初の広場に至るまでの道のりでは、そういった旅装束の者たちや荷車を引くトトスの姿などが多く見受けられた。


 そうしてトトス車に揺られること、数十分。

 俺たちが案内されたのは、毎度お馴染みトゥラン伯爵邸――ただし現在では貴賓館として使われることになった、元・トゥラン伯爵邸であった。


「お待ちしておりました、森辺の皆様がた。こちらにどうぞ」


 衛兵に守られた建物の扉をくぐると、黄色いお仕着せの小姓たちが俺たちを出迎えてくれた。

 ここがトゥラン伯爵邸でなくなってしまったため、シフォン=チェルも案内役ではなくなってしまったのだ。彼女は主人のリフレイアやトルストとともに、ジェノス城の近くの公邸に移り住んだはずであった。

 彼女の兄たるエレオ=チェルに関しては、ヤンからポルアースを通じて伝言を頼んでいたが、それが正確に伝わったのかどうか、現在の俺には知るすべもない。


「まずは浴堂にご案内いたします」


 小姓たちの先導で、絨毯敷きの回廊を進む。

 大勢の狩人を前にしても動揺を表にあらわさない、若いがよく訓練された小姓たちである。持参してきた荷物は下働きの従者に託し、俺たちはおよそ50日ぶりに煉瓦造りの浴堂へと誘われた。


「厨番の方々と、シン=ルウ様、それに厨および貴賓の席へと足を踏み入れる方々は、こちらで身をお清めください」


 小姓の説明に「ふむ」と声をあげたのはジザ=ルウであった。


「かまどの間のみならず、会食の場に出向く人間も身を清めよ、ということか?」


「はい、侯爵様からそのように申しつけられております」


「ふーん。前はそんなこと言われなかったのにな。どっかの貴族が文句でもつけたのかな」


 ルド=ルウのつぶやきに、小姓は深々と頭を垂れる。


「こちらは先日から貴賓の館として取り扱われることになったので、いくばくかは習わしも改められてございます。何卒ご理解いただけるようお願いいたします」


「そちらの習わしに背くつもりはない。しかし、会食の場には何人の護衛役が同行することが許されるのか、まだ聞かされていないのでな。ここは後で面倒なことにならぬよう、全員が身を清めておくべきか」


 ということで、男衆もがのきなみ身を清めることになってしまった。

 当然のことながら、俺を除く8名は全員が狩人だ。これは昔日、水場でジザ=ルウやダルム=ルウと出くわしてしまったとき以来の、ものすごい図であった。


「おお、これは面妖だ! まるで火で炙られるギバ肉のような心地だな!」


 もわもわと蒸気のわきたった浴堂にて、裸身のダン=ルティムが笑い声をあげている。どちらを見回しても目に映るのは褐色の筋肉であり、俺としてはどのような感想を持つべきかも判然としなかった。


 ちなみに、これが初の城下町となるのは、ジザ=ルウとギラン=リリンの2名のみである。むろんどちらもこれしきのことで不安や動揺をあらわにするタイプではなく、ギラン=リリンなどは最初の最初からずっと楽しそうな面持ちであった。


 その後は女衆も身を清め、そしてここで何名かは別行動を取ることになった。

 御前試合に招かれているシン=ルウと、貴賓席に招かれているダリ=サウティおよびそれを護衛する男衆だ。

 ずっと感情をおさえていたララ=ルウが、初めてそこで声をあげた。


「シン=ルウ! あの……頑張ってね?」


「ああ」とうなずき、その切れ長の目でじっとララ=ルウの顔を見つめ返してから、シン=ルウは案内役の小姓とともに立ち去っていった。

 貴族との力比べなどシン=ルウが勝つに決まっているのだからどうでもいい、と言い切っていたララ=ルウも、いざその刻限が迫ってくると不安感をかきたてられてしまうのだろう。シン=ルウのしなやかな後ろ姿を見守るその瞳は、いつになく心細げな光を浮かべていた。


 そうしてダリ=サウティらにも別れを告げて、残されたメンバーは14名。こちらは粛々と厨を目指す。

 案内されたのは、巨大な食料庫に隣接した大きいほうの厨であった。

 扉を開けると、とたんにさまざまな芳香が漂ってくる。城下町の料理人たちは、すでに全員が下準備を開始しているようだった。


 初めてこの場に訪れたララ=ルウ、ユン=スドラ、スフィラ=ザザの3名は、呆れたり感心したりしながら視線をさまわよせている。ざっと目算しただけでも15メートル四方、学校の教室ふたつぶんか、あるいは体育館の半分ぐらいもありそうな敷地面積であるのだから、まあ当然の反応だ。


 ずらりと並んだ作業台の数は2ケタにも及び、現在はそこで3組のグループが調理に取り組んでいる。天井は高く、あちこちに明り取りや換気のための窓が空けられていたが、それでもなかなかの熱気であった。


「ふむ、ずいぶん広いのだな。では、扉の外の警護はダルムとギラン=リリンに任せよう」


 ジザ=ルウの指示でその2名が外に居残り、他のメンバーはぞろぞろと足を踏み込む。

 すると、一番手前の作業台で仕事に励んでいたヤンが真っ先に挨拶をしてくれた。


「アスタ殿に森辺の皆様がた、ひさかたぶりですな。……ああ、トゥール=ディン殿も」


「あ、え、はい」


 いきなり名指しにされて、トゥール=ディンはどぎまぎと頭を下げる。

 彼女は前回の茶会でもっとも優れた菓子を作ったと評価されることになったのだ。ヤンの中では、その名が深く刻みつけられることになったのだろう。


「本日はご足労様でありました。試食の時間を心待ちにしております。……試食の段取りについては、すでに聞き及んでおりますかな?」


「はい、今日は貴賓の皆さんと同じ場で試食をさせていただけるそうですね」


「はい。それで料理人同士が意見を交わし、バナームからもたらされた食材に関してよりよい使い道を模索してもらいたい、とのことでありました」


 そのように言いながら、ヤンはまたトゥール=ディンのほうに目を向ける。


「とはいえ、わたしは甘い菓子しか準備することができませんでした。本日、トゥール=ディン殿は菓子をお作りになられるのでしょうか?」


「い、いえ、わたしはアスタの手伝いをするだけで……そ、その、黒いフワノというものを扱う時間もありませんでしたし……」


「それは残念ですな。トゥール=ディン殿であれば黒フワノでどのような菓子を作りあげることができるのかと、わたしはずっとそのようなことを考えながら今回の仕事に取り組んでおりました」


「わ、わたしも本日は、あなたの菓子を食べられることをとても楽しみにしていました」


 お顔を真っ赤に染めながら、トゥール=ディンがそのように応じる。

 ヤンは肉の薄い面にはにかむような微笑をたたえた。


「光栄です。試食の場では、忌憚なきご意見をお願いいたします」


「は、はい!」


 そこに、新たな人影がやってくる。

 年の頃は四十過ぎ、つるりとした血色のいい顔で、痩せているのにお腹だけがぽこんとせり出た白装束の料理人――実に4ヶ月ぶりの再会となる、《セルヴァの矛槍亭》のティマロである。


「これはこれは、ご無沙汰ぶりでありますな、アスタ殿。お元気そうで何よりであります」


「ああ、ティマロ、本当におひさしぶりです。そちらもお元気でしたか?」


「ええ、もちろん」と、ティマロはやわらかい笑みをたたえる。

 表面上は、温和な紳士なのである。最後に見たときはマルスタインにやりこめられて屈辱に身を震わせていたものであるが、そんな面影はどこにも残っていない。


「本日は、お手柔らかに願いますぞ。……それにしても、そちらはずいぶんな大人数なのですな」


「はい。何だかんだでけっきょく品数が多くなってしまったもので。これから大急ぎで調理に取りかかりたいと思います」


「ほう? ちなみに何品ほどお出しする予定なのでしょう?」


「え? そうですね……大雑把に分けると、6種類ていどになりましょうか」


「6種類! それはずいぶんな数ですな!」


 大仰に手を広げて、ティマロが驚きのポーズを作る。

 確かにずいぶんな品数かもしれないが、メインはあくまで俺の準備した『つけそば』とルウ家の準備した『ギバ肉の白ママリア酒煮込み』だ。あとは、白ママリア酢を使ったマヨネーズやドレッシングをお披露目するために、サラダやら何やらも準備するつもりでいるので、それを含めての6種類なのである。


「このわたしでさえ3種の料理しか準備することはできなかったというのに、これは驚きでありますな」


「ええ、でも、大事なのは品数でなく料理の質でありましょうからね」


「ごもっともです。……ジェノスで屈指の料理人と称されるヴァルカス殿などは、何とひと品しか準備していないという話でありましたしな」


 そのように言いながら、ティマロはいくぶん粘っこさを増した視線を後方に差し向ける。

 部屋の奥では、頭からすっぽりと白いマスクをかぶった4名の料理人たちがとても忙しそうに立ち働いていた。ヴァルカスとその3名の弟子たちであろう。


「……アスタ殿は、あのヴァルカス殿とも同じ日に厨を預かったそうで」


「ああ、はい。バナームの使節団をお迎えした歓迎の晩餐会ですね」


「その日に列席された方々の半数近くは、アスタ殿の料理に星をつけたそうですな。……いやはや、それを耳にした際はわたしも悔しさのあまり歯噛みしたものです」


「いえ、あれは別に味比べの勝負をしたわけでもありませんし……」


「ヴァルカス殿は、確かにこのジェノスでも屈指の料理人です。わたしほどその事実を思い知らされている人間は他にいないでしょう」


 俺の言葉をさえぎって、ティマロはそのように言いつのった。


「本日もおそらく、ヴァルカス殿はその名声に恥じない料理を準備しているはずです。いやはや、こちらも腕が鳴りますな」


 かつてのトゥラン伯爵家において、ヴァルカスは料理長を、ティマロは副料理長をそれぞれ勤めあげていたのである。ティマロは俺や森辺の民に対して悪い感情などを抱いているのではないかと少し心配もしていたのだが、それ以上に彼はヴァルカスの存在を意識している様子であった。


「わたしとて、《セルヴァの矛槍亭》の厨を預かる身です。ヴァルカス殿の開いた《銀星堂》もたいそうな評判を呼んでいるそうですが、ここで遅れを取るわけにはいきません。……それでは、仕事が残っているので失礼いたします」


「あ、はい」


 言いたいことだけ言いつくすと、ティマロは作業場に戻っていった。

 その後ろ姿を眺めながら「アスタ」と呼びかけてきたのはレイナ=ルウであった。


「あの者は相変わらずの気性であるようですが、でも、白い布で口もとを隠してはおりませんでしたね」


「白い布?」


 少し考えて、思い出した。初めてティマロと顔をあわせたとき、彼は白い布で鼻や口もとを覆っており、それは下賤の人間と同じ空気を吸いたくはないという意志表示なのだ、とロイに教えられたのである。

 森辺の民に対する見方が変わったのか、あるいはヴァルカスに気を取られてそれどころではないのか、どちらにせよ俺たちにとっては悪くない変化であった。


「……そういえば、今日はロイもティマロの手伝いには呼ばれなかったみたいだね」


 俺が言うと、レイナ=ルウは素知らぬ顔で「そうですね」と応じてきた。

 その表情からして、彼女もロイと出くわしてしまうのではないかと懸念を覚えていたのかもしれない。ロイがいないのは残念なような、ほっとしたような、俺としても複雑な心境だ。


「それでは俺たちも準備を始めようか。ヤン、またのちほど」


「はい、失礼いたします」


 甘い菓子だけを作製する予定であるヤンは、ニコラともうひとりの調理助手を連れていた。3種の料理を準備するらしいティマロは、3名の助手を連れている。それに対して、森辺のかまど番は6名。『ギバ肉の白ママリア酒煮込み』は温めなおすだけなので、あとは5種ほどの料理を全員がかりで作製する予定である。


 調理時間は、およそ1時間半。可能な限りの下準備はあらかじめ済ませてきたが、かなり時間はぎりぎりだ。入口で預けた荷物は隅の作業台にまとめられていたので、残りの必要な食材を確保するべく、俺たちは食料庫へと足を向けた。


 そうして歩を進めていくと、奥のほうの作業台で立ち働いていた白覆面のひとりが機械人形のようにこちらを振り返った。

 丸く空けられた穴の向こうに瞬くのは、緑色の双眸だ。すらりと背は高いが、ボズルほど大柄ではない。これはきっとヴァルカスであろう。


「ああ、アスタ殿、おひさしぶりです」


「おひさしぶりです、ヴァルカス。今日はよろしくお願いいたします」


「はい、よろしくお願いいたします。……少々お待ちください」


 そのように言ってから、ヴァルカスは水瓶の水で手を清め始めた。

 そうして白い布で執拗に手をぬぐってから、あらためて俺の前に立ち、ぎゅうっと両手の先をつかんでくる。


「アスタ殿、先日の料理には感服いたしました」


「あ、『ギバ・カレー』のことですね? はい、ヴァルカスに食べていただくことができて、俺も光栄です」


 ヴァルカスはいっそう俺の手を強くつかみながら、炯々と光る緑色の目を寄せてくる。


「わたしはまだまだあなたの力量を見誤っていたのかもしれません。あれほど香草を見事に使いこなす腕前を、まだこのようにお若いあなたが身につけていようなどとは……本日もあの素晴らしい料理を作っていただけるのでしょうか?」


「あ、いえ、あれにはバナームの食材も使っておりませんので――」


「それは残念です。……本当に残念です。この食料庫に準備されている最高の食材であの料理を味わってみたいと、わたしはずっと念じていたのです」


 いつも無感情でとらえどころのないヴァルカスであるが、ときたまこうして異様なまでの熱意をあらわにすることがある。が、白覆面を頭からかぶっていると、その異様さも倍増である。その熱意とお言葉は心からありがたく思いながら、俺は「あはは」と身を引くことになった。

 で、いつぞやと同じようにアイ=ファが「おい」と進み出てくる。


「以前にも述べたことだが、男同士であっても不必要に触れ合うのはあまり感心できる行いではない。気が済んだのなら、そろそろ私の家人から身を離していただこうか」


「……これは失礼いたしました」


 最後に名残惜しそうに力を込めてから、ヴァルカスは俺の指先を解放する。

 そして、その瞳がその場にいる全員を見回してきた。


「ところで、ボズルの話によると、ミケル殿のご息女というのがまた若さに似合わぬ調理の腕を備えているそうですね。今日は同行されていないのでしょうか?」


「はい、これは森辺の民が受け持った仕事ですので、彼女を同行させる理由もないかなと。……これがギバ料理のお披露目という話でしたら、俺も声をかけたいところであったのですが」


「そうですか。それは残念です。ミケル殿というのは本当に素晴らしい料理人であったので、わたしはそのご息女にも非常に興味を引かれます」


 そのように言いながら、ヴァルカスがまた詰め寄ってくる。


「しかしわたしもなかなか城下町の外に出向くことはかなわぬ身です。そこでご提案させていただきたいのですが――この復活祭が終わった折には、そのご息女をアスタ殿とともにお招きさせていただけませんでしょうか?」


「え? お招きというと――」


「この復活祭を機に、また大勢の行商人がこのジェノスを訪れました。それで、ここしばらくは食料庫でも不足していた食材が大量に届いたのです。きっとアスタ殿は、またそれを吟味するお役目を賜ることでしょう。その日取りに合わせて、ご息女にもご同行を願えませんでしょうか?」


 それはまたとない申し出であった。

 思えば俺がヴァルカスと顔をあわせることになったのも、城下町の食材を吟味する際であったのだ。


「ええ、個人的には、とてもありがたい申し出です。彼女の父ミケルと、それにジェノス城の皆様がたがお許しになってくれるのなら、ぜひ実現させたいところですね」


「貴族の方々に文句はないでしょう。わたしもこの場に届けられる食材に関しては、確かな腕を持つ料理人にしか触れてはほしくないのです」


 やはりヴァルカスは、ひさかたぶりに会ってもヴァルカスのままであった。

 それが俺には、何だか嬉しく思えてしまう。


「それでは本人とミケルには、俺から話を通させていただきます。ポルアースやジェノス侯爵についてはヴァルカスにおまかせしてもよろしいですか?」


「もちろんです。本日中に伝えておきましょう」


 慇懃にうなずきつつ、ヴァルカスはやおら身をひるがえした。

 で、再び水瓶の水で手を清め、作業台と向かい合う。


「では、仕事が残っておりますので。試食の場を楽しみにしております」


 などと言いながら、その目はもう食材のほうに向いてしまっている。

 やっぱりこれぞヴァルカスだなあなどと思いながら、俺は「はい」とうなずいてみせた。


「あ、よければボズルにもご挨拶をさせていただきますね。ヴァルカスたちに料理を届けてくださった御礼も述べておきたいので」


「ボズルは、燻製室ですね」


 そっけなく言い捨てるヴァルカスの言葉に、今度は「え?」と首を傾げる。

 見回してみると、確かにそこにボズルの巨体は見当たらなかった。全員が白覆面で人相を隠してしまっているが、あの巨体を見誤ることはない。


 だが、そこにはヴァルカスを含めて4名の白覆面がたたずんでいたのだ。

 ヴァルカスよりも背が高く、そしてひょろりと痩せているのは、シムの血をひく老人タートゥマイであろう。

 で、レイナ=ルウぐらい小柄なのは、きっとシリィ=ロウだ。どちらも俺たちのほうには目もくれず、野菜を刻んだり鍋を煮立てたりしている。


 で、4番目の人物は――これといって特徴のない、中肉中背の男性であるようだった。彼はシリィ=ロウのかたわらに立ち、とても真剣な眼差しでぐらぐらと煮え立つ鉄鍋の中身を凝視している。


(ふーん。まだ他にも弟子がいたのか)


 ならば、ボズルへの挨拶は後回しにさせていただこう。

 そのように考えながら、俺が足を踏み出そうとすると、そのかたわらをすりぬけて、レイナ=ルウがその人物のもとへと歩み寄っていった。


「……あなたがどうしてこのような場でヴァルカスの仕事を手伝っているのですか?」


 レイナ=ルウが冷たい声で言い、俺は大いに驚かされてしまう。

 中肉中背の白覆面は、ちらりとだけレイナ=ルウのほうを見返したようだった。


「うるせえな。仕事の最中に話しかけるんじゃねえよ」


 その声で、俺は再び驚かされてしまう。

 それは誰あろう、ロイの声であったのだ。


「あなたはミケルの料理に感銘を受けたのでしょう? それなのに、どうしてミケルではなくヴァルカスに教えを乞うているのですか?」


「うるせえって言ってんだろ。そんなこと、お前に関係あるか」


 レイナ=ルウは、さらに何かを言いつのろうとした。

 が、音もなく忍び寄ったジザ=ルウが、そのほっそりとした肩を背後からつかむ。


「レイナ、何の話かはわからぬが、礼を失しているのはお前のようだ。お前はお前の仕事を果たせ」


 レイナ=ルウは唇を噛み、ロイの白覆面をじっとにらみつけてから、ようやくきびすを返した。


 そうしてさまざまな料理人たちの再会を果たしてから、ようやく俺たちはその夜の仕事に取りかかることになったのだった。

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