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異世界料理道  作者: EDA
第二十章 太陽神の復活祭(下)
352/1675

中天の日④~白き賢人の歌~

2016.7/4 更新分 1/1

・今回の更新はここまでとなります。更新再開まで少々お待ちください。

《ギャムレイの一座》の天幕は、本当に賑わっていた。

 天幕の外にまで20名ぐらいの行列ができてしまっているし、入口脇の占い小屋にも10名ぐらいの人々が立ち並んでいる。


 客層はやはり若者が主であるようだが、家族連れやご老人が皆無なわけでもない。ただし、占い小屋のほうは若い娘さんが過半数で、そこにぽつぽつと商人風の男性がまじっている感じであった。


「ヒューイに会うの、楽しみだなー。また明るい内にも見に来たいなー」


 ターラと手をつないだリミ=ルウが、にこにこと笑いながらそのように言っている。ざっと見る限り、この余興にもっとも心を弾ませているのはその年少組2名と、ダン=ルティムおよびギラン=リリンであるように感じられた。

 ただし、お行儀よくふるまっているアマ・ミン=ルティムやユン=スドラも、再度の来訪を望んだぐらいなのだから内心では楽しみにしているのだろう。


 などと俺が考えている間にも、ぞくぞくと行列は長くなっていく。気づけば、俺たちの背後には早くも15名ばかりの人々が押しかけてしまっていた。

 これじゃあずいぶん帰りが遅くなってしまうのではないだろうか、と俺が心配になったところで、いきなり前方に並んでいた10名ばかりの人々がぞろぞろと天幕の中に消えていく。


「ああ、ひょっとしたら入る人数を制限しているのかな」


 俺がつぶやくと、アイ=ファが「うむ?」と振り返ってきた。


「いや、芸をしているところに次から次へとお客さんが詰めかけたら、ちょっと興ざめになる部分もあるじゃないか。だから、10名ぐらいを通したら少し時間を取って、それからまた新しい10名を、という風に時間を区切って入場させているのかなと思ったんだ」


「……よくわからんが、思ったよりは待たされずに済みそうだな」


 アイ=ファの言葉通り、それから2分と経たずして、俺たちは暗い天幕の中に足を踏み入れることができた。

 天幕内の通路も、20名ぐらいは並べる長さがある。それからまたほどなくして前方の10名が垂れ幕の向こうに姿を消すと、ついに俺たちの順番であった。


「ああ、今宵もいらしてくださったんですねェ。歓迎いたしますよォ、森辺の皆サンがた」


 本日受付に立っていたのは、曲芸師のピノである。


「パプルアの花をお持ちですねェ? それじゃあお代は不要ですよォ」


「ありがとうございます。……あの、今日はおひとりなんですね?」


「ええ、ぼんくら吟遊詩人がどっかに雲隠れしちまってねェ。アタシがさんざんいたぶってやったから、どこぞでべそでもかいてるんでしょうよォ

。おかげでアタシは休むひまもなく立ちんぼでさァ」


 俺から受け取った赤い花の塊を草籠に投げ入れつつ、しばし雑談で時間調整をしてから、ピノが垂れ幕をまくりあげる。


「それではどうぞごゆっくりィ。ひとときの夢をお楽しみくださいませェ」


 勝手知ったる天幕である。ジザ=ルウとレイナ=ルウを除けば夜に来訪するのも2度目となるので、俺たちは迷いなく足を進めることができた。

 とはいえ、夜の雑木林が封じ込められた奇怪な空間である。狩人ならぬ身では足もともおぼつかないし、何かしらの感覚は狂わされてしまう。まさしく、半覚醒で夢の中をさまよっているような心地だ。


 まずは最初の道の突き当たりで、銀獅子とガージェの豹の姿を満喫する。

 リミ=ルウとターラは大喜びで、初参戦のレイナ=ルウも「まあ」と驚きの声をあげていた。


「……これで本当に危険はないのか?」


 ジザ=ルウの問いかけに「はい」と応じたのはガズラン=ルティムであった。


「あの獣たちの瞳をご覧ください。警戒はしていますが、害意はまったく感じられぬでしょう? ……それでいて、主人の命があれば野盗を傷つけずに捕らえることも可能なようです」


「……ギバをこのように手懐けることができるとはとうてい思えんな」


 リミ=ルウたちが満足するまでヒューイとサラの美しくも雄々しい姿を満喫し、俺たちは道を折り返した。

 今度は壺男ディロの間である。

「わ」と声をあげたのは、ルド=ルウらとともに先頭で足を踏み入れたリミ=ルウであった。


 本日も、部屋の中心に壺が置かれていた。

 が、その脇にもっと奇妙なものも置かれていた。

 壺と同じぐらいの大きさをした、黒くて丸いぼろきれのような物体である。


 12名の全員が部屋の中に収まると、たちまちその黒い物体が踊るように動き始めた。

 ぴょんぴょんと壺の回りを飛びはねたかと思うと、ごろごろ転がって部屋の中を行き来する。手も足もない黒い塊がわずかに表面を蠢動させながら、これでもかとばかりに大暴れしているのである。その正体を予想するのは容易かったが、奇怪なことに変わりはなかった。


 そうして30秒ばかりも大暴れしたのち、いきなり黒い塊がにゅうっと縦方向にのびあがる。

 側面からは2本の腕がしゅるしゅると生えのびて、最後にぬるんと顔が飛び出す。瞬く間に、黒いボールは長衣を纏った長身痩躯の人間へと変じてしまった。


「……《ギャムレイの一座》にようこそおいでくださいました……わたしは夜の案内人、ディロと申します……」


「やっぱりお前さんだったか! 本当にお前さんは奇っ怪な真似ができるのだな!」


「……ここから道はふたつに分かれております……右の扉は騎士の間、左の扉は双子の間……お客人は、どちらの運命をお選びになりましょう……?」


 ダン=ルティムの声など聞こえておらぬかのように、壺男ディロは陰気な声でそのように囁いた。


「前回は騎士とやらの愉快な芸を見せてもらったな! それでは今日はもうひとつの芸を拝見したいが、どうであろう?」


 誰にも異論はなかったので、俺たちは左の垂れ幕をくぐることになった。

 前回はもっと太くて開けた道であったが、今回は内幕にはさまれた細い道だ。その向こうから、騎士王ロロの奇怪な雄叫びが聞こえてくる。


 突き当たりには、また同じような垂れ幕があった。

 それをダン=ルティムが引き開けると同時に、妙なる音色が薄闇に響きわたる。


 待ち受けていたのは、笛吹きのナチャラであった。

 少し浅黒い肌をした、妖艶なる美女である。

 褐色の髪を高々と結いあげて、こまかい紋様の刺繍された長衣を纏ったそのナチャラが、部屋の奥で横座りになり、横笛を吹いている。


 何か、脳の奥にまで忍び込んでくるような――ピノの不思議な声音を彷彿とさせる、あやしげな音色であった。

 その音色に呼ばれるようにして、左右の垂れ幕からそれぞれ双子たちが進み出てくる。


 アルンとアミンは、玉虫色に輝く美しい薄物を羽織っていた。

 森辺の女衆が宴で身につけるものと同一の素材だろう。袖が太くて、裾は足もとまでふわりと広がっている。それがカンテラの光を受けて、幻想的なきらめきを闇に散らしていた。


 そのままふたりは、左右対称の動きで踊り続ける。

 まるで鏡合わせのように正確な動きである。その幼くも端整な面はどちらも無表情で、まるで人形が魂を授かったかのような姿だ。


 何と幽玄な舞であろうか。

 不思議な横笛の旋律と相まって、俺はいっそうの非現実感にとらわれることになった。


 それからどれほどの時間が経ったのか、横笛の音色がいくぶん潜められていくと、双子たちは部屋の中央でぴったりと身を寄せ合った。

 その片方が懐から黒い布を引っ張り出し、それをもう片方の目もとに巻いていく。

 目隠しをされたほうはそのまま俺たちに背を向けて地面にうずくまり、もう片方だけが音もなく近づいてくる。


「《ギャムレイの一座》にようこそおいでくださいました……どうぞわたしの身にお触れください……」


「うむ? 身に触れよとはどういう意味だ?」


「……それがわたしどもの芸となります……」


 これはたぶん、俺が男の子と踏んでいるアルンのほうだ。

 アルンは表情の欠落した面のまま俺たちの前に立ち、玉虫色の光に包まれた腕を左右にのばしていた。


 一番近くにいたダン=ルティムが首を傾げながら、少年の小さな頭にぽんと手を置く。

 その瞬間、地面にうずくまったアミンのほうが「頭でございます……」とつぶやいた。


 ダン=ルティムは眉をひそめ、今度はアルンの右手の先をつつく。


「右手でございます……」


「何と! これはいかなる術なのだ!?」


 もちろん答えられる者はいなかった。

 期待に瞳を輝かせながら、リミ=ルウがアルンの足もとの裾をつまむ。

 が、アミンは無言である。


「申し訳ありません……肌に触れねば、感ずることはできないのです……」


 アルンの言葉に、今度は左足をちょんとつついた。

 たちまち、「左足です……」の声が響く。


「ふむ。これはまた不思議な芸だな」


 相方のユン=スドラとともにギラン=リリンが進み出て、アルンの右耳をきゅっとつまむ。


「右耳でございます……」


 さらにターラが左手に触れ、ルド=ルウが下顎をつまんでも、アミンが答えを外すことはなかった。

 やはりみんなもアルンを男子とみなしているのだろうか。男衆と幼子以外は、アルンの身に触れようとはしない。


「わたしとアミンは、もとはひとりの人間でありました……それゆえに、離れていてもおたがいの肉体を我が身と同じように感ずることができるのです……」


「それは面妖な話を聞くものだ」


 と、ジザ=ルウがレイナ=ルウをともなって進み出た。

 その逞しい指先が、いきなりアルンの左肩をわしづかみにする。

 とたんにアミンは「痛ッ」と叫び――それから、「左肩でございます……」とつぶやいた。


「……なるほど、面妖だ」


 アルンは深々とお辞儀をすると、こちらを向いたままアミンのもとへと後ずさっていった。

 その白い指先に目隠しを外されて、アミンもこちらに向きなおる。

 そうして双子がまた同時に頭を垂れると、静かに空気を震わせていた笛の音がフェードアウトしていった。


「これにて双子の芸は終わりと相成ります。お気に召しませばご慈愛を賜りたく思います」


 ナチャラが優美な声でそのように述べてから、ひょるりともう一度笛を鳴らす。

 すると、それに応じて今度は灰色の幼獣がちょこちょこと垂れ幕の向こうから姿を現した。


「わー、ドルイだあ! こんなところにいたんだね!」


 ターラとリミ=ルウが率先して、ドルイのくわえた草籠に割り銭を放り込む。

 女衆らはドルイを抱かせてはくれないかとナチャラに懇願したが、妖艶なる美女は耳もとに手をやってから申し訳なさそうに微笑んだ。


「あいすみません。次のお客人が近づいてきているようです。このまま奥の間へとお進みくださいませ……」


 よほど聴覚が優れているのか、それとも小男のザンあたりが何か合図でも送ったのか、とにかく俺たちは早々にその場を立ち去ることになった。

 垂れ幕の向こう側は、また内幕にはさまれた通路だ。

 しかし今度は真っ直ぐでなく、うねうねと曲がりながら張り巡らされている。


「よし、お次はいよいよあの片腕の男だな! あやつはどのような芸を見せてくれるのであろう!」


 年少組およびルド=ルウと先頭を歩くダン=ルティムが、また陽気な声をあげている。

 その後を追従していると、後方から「まあ!」という女衆の非難がましい声が聞こえてきた。


「どうしたんですか? アマ・ミン=ルティムがそのような声をあげるのは珍しいですね」


「ああ、申し訳ありません、アスタ……でも、ガズランがひどいんです」


 と、アマ・ミン=ルティムはきろりと伴侶の顔をにらみつけてから、俺のほうに顔を寄せてくる。ますます彼女らしからぬ挙動である。


「さきほどの芸は、何か合図が決まっていて、それを後ろの女衆が笛の音で伝えていたのではないかと……ガズランは、そのように述べているのです」


 俺にだけ聞こえるように潜められた声で、アマ・ミン=ルティムがそのように囁きかけてくる。


「ああ、それはありうるかもしれませんね。……でも、いったい何がひどいのですか?」


「だって、そのようなことを聞かされたら、せっかくの驚きが失われてしまうではないですか? せめて気づくのなら、自分の力で気づきたかったです」


 憤懣やるかたないといった口調と表情である。

 たぶん冷静さを失って、自分がガズラン=ルティムと同じ仕打ちを俺にしていることにも気づいていないのだろう。そのかたわらにあるガズラン=ルティムの姿を仰ぎ見ると、彼は困り果てた顔で笑っていた。


「不調法で申し訳なかった。そんなに怒らないでくれよ、アマ・ミン」


「知りません」と、アマ・ミン=ルティムはショートヘアを揺らしてそっぽを向いてしまう。

 が、おしどり夫婦の彼らであるので、そんな姿も微笑ましかった。


(それに、本当のところはわからないよな。ジザ=ルウが肩をつかんだ瞬間にアミンは痛そうな声をあげていたし……ナチャラとアミンの両方が森辺の狩人なみの反射神経でも持っていないと、そんなトリックは通用しなそうだ)


 なので俺は、べつだん興をそがれることもなかった。

 ギャムレイの炎術と同じように、トリックだとしても驚嘆に値する芸であろう。


 そうしてうねうねと続く道を踏破して次なる垂れ幕を引き開けると、数日前と同じように頭上から不気味な声音が降ってきた。


「ヨウコソ……ぎゃむれいノイチザニ……ワタシハぜったデス……」


 聞き取りづらい、くぐもった声。

 人獣ゼッタの声である。


「ザチョウぎゃむれいノモトニ、アナタガタヲゴアンナイイタシマス……ドウゾコチラニ……」


 がさがさと茂みが鳴り、黒い影が頭上の梢を移動する。

 時折きらりと瞬くのは、獣じみた黄金色の眼光だ。


「なるほど。確かに獣のごとき姿と気配だ。モルガの野人とて、もういくばくかは人間がましい姿をしていることだろう」


 誰にともなく、ジザ=ルウがそのようにつぶやいている。

 ともあれ、今宵は無法者に襲撃されることなく、俺たちは道を進むことができた。

 5、6メートルも歩かされたところで、再びゼッタの声が降ってくる。


「ソコニヒミツノイリグチガゴザイマス……アシモトニオキヲツケクダサイ……」


 道はまだ中ほどだ。が、よく見ると左手の方向に垂れ幕らしき切れ目がうかがえる。

 きっと前回は、逆側の入口からこの道を辿っていたのだろう。俺たちが野盗に襲われたとき、ギャムレイが現れたのがこの垂れ幕であったのだ。


 ダン=ルティムが恐れげもなくその垂れ幕を引き開けると、そこは天然の広間であった。

 あの、甲冑人間ロロや怪力男ドガが取っ組み合っていた場所と似たような造りで、正面の他には天幕の布地も見えず、左右の空間は闇に溶けている。ここはこれまで通ってきた道や部屋よりもカンテラの数が少なく、いっそう闇が濃密であった。

 その正面の垂れ幕から、ぬうっと赤い人影が出現する。


「ようこそ、《ギャムレイの一座》に! ここが今宵の最後の幕となります!」


 俺たちの姿を見分けたのかそうでないのか、ギャムレイは飄然と広間の中央に進み出てきた。

 これで3度目の邂逅だ。赤い布を頭に巻きつけ、赤い長衣を颯爽となびかせた、海賊のごとき姿である。隻眼に隻腕という特徴も、ちょっと海賊めいて見えてしまう。


「まったく危険はございませんので、ごゆるりとお楽しみください。……まずは宙に火の花を咲かせましょう」


 そうして披露されたギャムレイの炎術は、実に見事の一言に尽きた。

 闇の中に、赤や青や緑の花が咲く。炎が地面を走り抜け、行き着いた先でポンと鮮やかな火花を撒き散らす。あの、野盗どもを蹂躙した炎術が、今宵はれっきとした火の芸として俺たちの前に明かされたのである。


 ギャムレイが右腕を頭上に差しのべると、そこから生まれでた三色の炎が蝶の形となって天井近くまで羽ばたいていく。

 ギャムレイが虚空に指先を走らせると、そこに炎の残像が残り、奇怪な図形や文字らしきものを浮かばせては消える。


 本当にこれは、火薬や油を使ったトリックなのだろうか。

 そもそも俺は、この世界で火薬というものにお目にかかったことがない。仮に火薬が存在するのだとしても、それほど世間には流通していないはずだ。そんなものを見世物にするために調合し、これほど巧みに使いこなすまで修練を積む、などというのは、何だかひどく現実離れしていることのように思えてならなかった。


(だからこその、芸なのかな)


 双子たちの芸だって、壺男ディロの芸だって、然るべきトリックで何とかなりそうな気配を漂わせつつ、実際のところはどうなのかわからない。本当に、アルンとアミンは魔法で分裂させられた子供たちなのかもしれない。ディロも関節を外しているのではなく、魔法で身体を縮めているのかもしれない。ゼッタはこの世ならぬ人獣であり、ピノは年を取らない不老不死の存在であり――と、そういう夢とうつつの狭間に、彼らは生きているのではないだろうか。


 さっきのガズラン=ルティムはちょっと気の毒であったが、その内情を暴いてしまうのは、やっぱり野暮なことなのだ。

 不思議なことは不思議なこととして楽しめばいい。俺の故郷ではもう科学文明や物理法則といったものどもが蔓延しすぎて、そのような夢や不思議を楽しむ余地もほとんどなくなってしまっていたが、それではやっぱり味気ないではないか。


「それでは、最後の芸となります」


 ギャムレイが眼帯をむしり取った。

 その左の眼窩に埋め込まれた真紅の石が、炎そのもののようにぎらりと輝く。


「火神ヴァイラスよ、汝の忠実なる子にひとしずくの祝福を!」


 野盗どもを殲滅したときと同じ文言を唱え、ギャムレイは赤い長衣をひるがえした。

 その動きにともなって、赤と青と緑の炎が、すさまじい勢いで虚空に渦を巻く。

 まるで三色の竜がもつれあうように、炎は宙を走り抜け、大気を焦がし、世界を鮮やかに彩った。

 最後に、パアンッと激烈な爆音を弾かせて、炎の竜は弾け散る。


 火の粉が雪のように地面に落ち、その最後の一粒が消え去ったところで、俺たちは手を打ち鳴らしていた。

 ジザ=ルウやアイ=ファなどは口もとに手をやったり眉をひそめたりして不動であるが、それ以外は狩人たちも拍手をし、ダン=ルティムやギラン=リリンなどは喝采まであげていた。それに値するほどの、ギャムレイの芸であった。


「今宵は斯様な場所までお越しいただき恐悦至極。うつつへと戻る道はあちらになります」


 ギャムレイは膝を折り、気取った仕草で右側の闇を指し示した。これだけの芸を見せて、彼は銅貨を徴収しないらしい。俺たちは目の奥に炎の残像を残しつつ、いっそう暗く感じられる雑木林の道へと踏み入った。


 道はやはり荒縄でルートを作られており、一回直角に曲がると、行く手に革の幕が見えてきた。それは内幕ではなく、外界への出入口であった。


 足を一歩踏み出すなり、往来の熱気とざわめきが五体に襲いかかってくる。

 革の幕を一枚隔てたこちらとあちらで、やはり世界は別物のように感じられてしまった。


「いやあ、興味深い見世物であった! もっと銅貨を支払うべきなのではないかと思わされるほどであったな!」


 ダン=ルティムがガハハと笑い声を響かせる。

 その横で首をひねっているのは、ジザ=ルウだ。


「しかしけっきょく、黒猿という獣は最後まで姿を現さなかったな。俺は最長老ジバからその姿を見ておくようにと言われていたのだが……」


「おお、そうだったのか!? それは済まぬことをした! かの黒猿めは、俺たちの選ばなかった道のほうで芸をしているのだ!」


 ダン=ルティムの声を受けて、リミ=ルウがジザ=ルウの手をくいくい引っ張る。


「それじゃあ今度は昼にも見に来ようよ! 黒猿もいるし、ヒューイやサラの芸も見られるから!」


 ジザ=ルウは小さく息をつきつつ、リミ=ルウの小さな頭にぽんと手を載せる。これだけ長いつきあいでありながら、俺はジザ=ルウとリミ=ルウの交流というものを数えるぐらいしか見たことがなかったのだが、それは年齢の離れた妹を慈しんでいることが十分に感じられる仕草であった。


「それでは森辺に帰るとするか! いや、実に愉快な夜だった!」


 陽気な声をあげるダン=ルティムを先頭に、俺たちは同胞の待つ青空食堂のほうに足を向けた。

 俺はまだ現実世界への揺り戻しで頭がクラクラしていたが、帰って休まねば身がもたない。この放埒なる感覚に身をゆだねて酒のひとつでもあおってみたら、さぞかし楽しい気分なのだろうなと、そんな感慨を抱かされることになった。


「うむ? 何だ、お前さんは?」


 と、先頭を歩いていたダン=ルティムがまた声をあげる。

 それと同時に、俺のかたわらでアイ=ファが身じろぎをした。

 見ると、ひとりの若者が石の街道に片膝をつき、俺たちの行方をさえぎっていた。


「ちょいとお待ちを、森辺の皆様がた! ――この夜は、俺の歌でしめくくらせてはいただけませんか?」


 吟遊詩人のニーヤである。

 何か声をあげようとしたダン=ルティムのかたわらに、ジザ=ルウが進み出る。


「何のつもりかわからんが、俺たちは森辺に帰るところだ。邪魔だてはよしてもらおう」


「決して時間は取らせませぬ。昼間の無礼をどうぞすすがせてやってください」


 そのように述べて面を上げたニーヤは、いつになく切なげな表情をしていた。


「俺は座長の怒りに触れてしまいました。皆様からのお許しをいただけなければ、《ギャムレイの一座》を名乗ることも許されなくなりましょう。ですから、何卒――」


「許す許さぬという話ではない。そのように行く手をさえぎられることこそが一番の迷惑だ」


「いや、ですが――」


 あたりが、ざわつき始めていた。

 往来の真ん中で、町の人間が森辺の民に膝を折って許しを乞うているのである。事情を知らない人間が見たら、あらぬ疑いをかけられてしまいそうなシチュエーションであった。

 それを敏感に感じ取ったのか、ジザ=ルウはいくぶん口調を改める。


「……とにかく、そのように大仰な話ではないはずだ。自分で無礼と感じたならば、今後は身をつつしめばいい。それで俺たちの側に不服や不満はない」


「しかし自分は、かの愛しき人を怒らせてしまったのでしょう?」


 雨に打たれる子犬のような目つきで、ニーヤがアイ=ファへと視線を転じる。

 地獄のように不機嫌そうな表情で、アイ=ファはその姿をにらみ返した。


「私が許すと答えれば、お前はここから立ち去ってくれるのか?」


「その前に、自分の歌を皆様に捧げたく思います。自分はそれぐらいしか捧げるものも持ち合わせていないので……」


「とにかく、このような場所では町の民の邪魔となる。まずはあちらの同胞のもとに戻らせていただこう」


 ニーヤの言葉をさえぎって、ジザ=ルウは再び歩を進め始めた。

 俺たちもそれに追従し、ようやく立ち上がったニーヤもとぼとぼついてくる。


「お疲れさまでした、アスタ。……どうかされたのですか?」


「ああ、うん、まあちょっとね」


 留守番組のトゥール=ディンらは青空食堂のスペースに固まっていたので、まずはそちらと合流することになった。

 ツヴァイは卓に突っ伏してすぴすぴと寝息をたてており、ヴィナ=ルウもそのかたわらでまどろんでいた様子だ。ヤミル=レイにスフィラ=ザザ、フェイ=ベイムや他の女衆も、みんな変わりなく顔をそろえている。


 護衛役の狩人たちは、そんな彼女たちを間遠に取り囲むようにして立ち並んでいる。その中のダルム=ルウに小声で何かを伝えてから、ジザ=ルウはニーヤに向きなおった。


「それで、どうしたいというのであろうかな」


「一曲、歌をお聞きください。一曲で数十枚の銅貨を得られる俺の歌を森辺の民に捧げることで、ようやく俺の罪はすすぐことができるのです」


「……俺たちは、一刻も早く森辺に帰りたいのだがな。明日に持ち越してはどうだ?」


「それでは俺は、この夜に帰る場所を失ってしまいます……」


 言っては何だが、ニーヤの言動はあまりに芝居がかっていた。

 困っているのは本当で、歌を捧げねば天幕に戻れないというのも真実なのかもしれないが、たぶん心から森辺の民に詫びる気持ちなどはないのだろう。それが透けて見えるからこそ、ジザ=ルウもアイ=ファもこのようにそっけなくふるまっているのだろうと思う。


「面倒くせーなー。歌って気が済むなら歌わせときゃいいんじゃねーの?」


 ルド=ルウの言葉を受けて、ジザ=ルウも何かをあきらめたようにひとつうなずく。


「繰り返すが、俺たちはすぐにでも森辺に帰りたい。それをわきまえた上で、ふるまうがいい」


「ありがとうございます! 今すぐに!」


 ニーヤはいそいそと背に負っていた楽器を下ろした。

 7本の弦が張られた、ギターかマンドリンのような形状の楽器である。このジェノスでは、他に見かけたことのない楽器だ。

 それを何度か爪弾いて調弦をしてから、ニーヤは食堂の座席にそっと腰を下ろす。


「それではお聞きください。東の王国シムに繁栄をもたらした、白き賢人ミーシャの物語です」


 言うなり、アルペジオの旋律を夜の宿場町に響き渡らせる。

 やはりアコースティックギターのような音色であるが、何というか、俺の故郷とは異なる音楽理論に基づいた進行なのだろう。俺の浅薄な知識ではアラビア風としか形容のしようもないエスニックな旋律である。


 そうして、ニーヤの歌声がその旋律にやわらかくかぶさった。

 喋る声とはまったく異なる、のびやかで張りのある声音だ。それでいて、とても繊細かつ美麗な歌声でもあったので、どこか中性的にも聞こえてしまう。そんなに大きな声を張り上げているわけでもないのに、町のざわめきに邪魔されることなく、その声は夜の宿場町にゆるゆると広がっていった。

 道をゆく人たちも足を止めて、食堂の周りに集まってきてしまっている。

 それぐらいの、見事な歌いっぷりであった。


(さすがは歌で食べているだけはあるな。あの失礼な人間と同一人物とは思えないや)


 そういえば、この若者はなかなか端整な顔立ちをしてもいるのである。まぶたを閉ざして7本の弦を爪弾き、妙なる歌声を響かせるその姿は、まるで一幅の絵画のごとくサマになっている。これならば、城下町の貴婦人たちをうっとりさせることも可能なのかもしれない。


 そして、その歌の内容もまた幻想的で美しかった。

 白き賢人ミーシャという、東の王国シムに未曾有の繁栄をもたらした人物の物語である。


 シムには、7つの部族が存在する。舞台となっているのは、ラオという部族の版図であった。

 数百年の昔、ラオの一族は滅亡に瀕していた。シムの中でも気性の荒い山の民と海の民から同時に戦を仕掛けられ、肥沃な草原地帯から追放されてしまったものらしい。


 泥の沼と痩せた土地しか存在しない辺境の区域に追いやられたラオの一族は、このまま滅ぶか他の部族の軍門に下るかの選択を迫られた。そんな絶望的な状況の中で、白き賢人ミーシャという魔法使いがラオの長の前に現れ、その窮地を救い、ついにはシムの全土を平定させるに至ったという、そういう英雄譚であるようだった。


 シムの民でありながら白い肌と金色の髪を持つミーシャというその魔法使いは、数々の魔法でラオの一族を助けていった。泥から固い煉瓦を造り出し、それで石の壁や城を築き、敵の進軍を食い止めてみせた。また、石材と木材で強力な武器をあみだし、それで敵軍を討ち倒していった。そうして百日に及ぶ戦の果てに、恒久的なる平和と絶大なる繁栄をもたらしたのだそうだ。


 のちにラオの一族は、シムの全土をも支配せしめた。7つに分かれて相争っていたシムの国がひとつにまとめあげられて、ラオの長は国王としての座を得るまでに至ったのである。


 ラオの長、あらためシムの王は、ミーシャに宰相としての地位を与えた。

 ミーシャはいっそうの力をふるい、王都にさらなる繁栄をもたらした。

 その栄光に亀裂が生じたのは、ミーシャが王の娘と恋に落ちてしまったためであった。


 王も素性の知れない魔法使いに大事な娘を与えることだけは是としなかった。ふたりの恋は父親に引き裂かれ、やがてミーシャはシムを追放されることになった。

 それでもミーシャはシムの人々を恨もうとはせず、どこへともなく消えていった。嘆き悲しんだ娘は尼僧となって石の塔に引きこもり、王は己の不明を恥じた。しかしミーシャが帰ってくることはなく、娘は一生を彼の建てた塔の中で過ごすことになった。


 それで物語は終わりであった。


 魔法で恵みがもたらされる部分は明るく陽気に、侵略者を撃退するくだりでは勇ましく、王の娘とのくだりでは甘くロマンチックに、別れの場面では悲しく美しく――と、物語にそって歌や演奏は色彩を変え、5分以上もある長い曲であったにも拘わらず、まったく聴衆を飽きさせることもなかった。ニーヤの口が閉ざされて、そのなめらかな指先が最後の一音を奏でると、往来に集まった人々の間からは惜しみない拍手と喝采が届けられることになった。


「いや、実に見事な歌だった!」


「もう一曲お願いするよ、兄さん!」


 男たちはそのような声をあげ、娘たちの中にはそっと目もとをぬぐっている者もいる。音楽などというものにはまったく造詣のない俺ですら、ニーヤが素晴らしい歌い手であるということを疑う気持ちにはなれなかった。


「……白き賢人ミーシャの物語でありました。多少は皆様のお気持ちをお慰めすることはかなったでしょうか?」


 人々の喝采や、そちらから放り込まれる割り銭には目もくれず、ニーヤは俺たちに向かってそのように言い放った。

 歌っている本人もぞんぶんに没入していたのだろうか。少し瞳の焦点が合っておらず、表情も何やらぼやけてしまっている。


「ふむ。見事な歌いっぷりであったな。あの天幕のお仲間たちにも負けぬ芸であろう」


 口髭をひねりながら、ダン=ルティムがそのように申し述べる。


「しかし、ミーシャという魔法使いは男であったのだな。名前からして女衆と思っていたので、どうしてシムの姫などと恋に落ちたのか、最初は意味がわからなかったぞ」


「異国では、名前のつけ方も異なってくるのでしょう」


 うっすらと笑いながら、ニーヤはそのように囁いた。


「なおかつ、ミーシャというのは俗称であったようです。あまりに複雑で長い名前をしていたために、自ら俗称を名乗っていたのだと語り継がれています」


「ふむ? しかしシムの民ならば、誰でも長ったらしい名前をしているのではなかったか?」


 ダン=ルティムがヴィナ=ルウを振り返ったが、もちろんヴィナ=ルウはすねたような面持ちで答えようとはしなかった。

 そんなふたりを見比べながら、ニーヤはまだぼんやりと微笑んでいる。


「ミーシャというのは、シムの民ですらなかったのですよ。その姿からしてマヒュドラからの流れ者であったのではないかという伝承も残っておりますが、それも確かではありません」


 ニーヤの色の淡い瞳が、あやしげな光をたたえて俺を見る。


「……また別の伝承では、ミーシャは『星無き民』であったと伝えられています」


 その言葉は、ねっとりとした重みをともなって俺の心にからみついてきた。


「真の名は、ミヒャエル=ヴォルコンスキー……四大王国において、そのように奇怪な名を持つ人間は他に存在しません。彼は四大神の子ならぬ、遠き異郷より訪れた人間であったのでしょう」


「…………」


「あなたも『星無き民』であるそうですね、ファの家のアスタ。占い小屋のライ爺からそのように聞きました。……目の光を持たない代わりに他者の星が見えてしまうライ爺には、どうしてもあなたがその場に存在するのだということを感じ取れなかったそうです」


 アイ=ファが俺を押しのけるようにして、ニーヤの前に立った。

 ニーヤはまだ虚ろな顔で笑っている。


「あなたの大事な家人のために、この歌を選んだのです、愛しき人……これで俺の罪を許していただけますか?」


「消え失せろ」としかアイ=ファは言わなかった。

 ニーヤはくすくすと笑いながら一礼し、楽器を右肩にひっかけた。

 地面に落ちていた割り銭を拾い集めていた小さな女の子がそれを差し出すと、「ありがとう」と言ってまた微笑む。


「それでは失礼いたします。……俺の歌をご所望でしたら、天幕の前にどうぞ。眠る前に、もう一曲ぐらいは太陽神に俺の歌を捧げましょう」


 そうしてニーヤは大勢の人々を引き連れて姿を消し、後にはいくぶん重苦しい静寂だけが残された。

 そんな中、アイ=ファがぐいっと俺のほうに顔を近づけてくる。


「アスタ……」


「大丈夫だよ。心配するなって」


 俺はうなずき、笑顔を作ってみせた。


「ちょっと……いや、かなり驚かされたけど、そんな何百年も昔の人物のことで心を揺らしたってしかたないしな。そのミーシャってのが本当に『星無き民』だったのかもわからないし……そもそも俺たちには『星無き民』が何なのかってことも理解できていないんだから」


 アイ=ファは無言でいっそう詰め寄ってくる。

 俺の瞳を覗き込み、その発言が虚勢でないかを確かめようとしているのだろう。


「……別に何がどうでもかまわないじゃないか? 森辺の民は俺を追放したりはしないだろう?」


「当たり前だ」とアイ=ファは怒った声で言い、俺の胸を小突いてきた。

 それからふっと息をつき、俺から身を離す。


「私はもとより、どうとも思っていない。お前が心を乱されていなければ、それでいいのだ」


「乱されてないとは言わないけれど、今はそれどころじゃないからな。さっさと帰って明日に備えなきゃなあというのが、一番の本心だよ」


 森辺において、虚言は罪だ。だから俺は、至極正直に自分の心情を述べてみせた。

 静かに俺たちのやりとりを見守っていたジザ=ルウが「よし」と声をあげる。


「話は終わったな? それでは森辺に引き返す。集落に戻るまで、決して気を抜くのではないぞ」


 ダン=ルティムらが「おう!」と応じ、女衆らは荷車や屋台のほうに足を向ける。

 俺もそれにならいながら、もう一度アイ=ファに笑いかけた。

 アイ=ファは唇をとがらせて、もう一度俺の胸を小突いてきた。


 これぐらいのことで、心を乱してはいられない。俺たちは、まだ大事な仕事の途中であるのだ。

 白き賢人ミーシャとやらがシムに繁栄をもたらしたというのなら、俺は森辺の民に繁栄をもたらしたい。俺がさきほどの歌から学んだのは、せいぜいそれぐらいのことであった。


 歩きながら頭上を見上げると、そこには満天に星がきらめいている。

 たとえそこに俺の運命が記されていないとしても、俺は今こうして大事な仲間たちとともに大地を踏みしめているのだ。


 俺は俺の生を生きるしかない。

 二度目の生がこれほどまでに幸福であることを、俺は深く感謝している。それだけは、誰に恥じることもない心の奥底からの真情であった。


 そうして『中天の日』はようやく終わりを告げ、太陽神の復活祭もついに折り返し地点へと到達したのだった。

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― 新着の感想 ―
ロシア人じゃねえかw
[一言] なんとも気色悪い男が出てきましたね、と こんなのに付け入られる隙を、猫様は持たないでしょうけれども
[気になる点] 自分の身の上自体が不思議の塊であると言うことを、アスタはもう少し認識すべきと思いました(笑)。
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