④かまどと収穫
2014.10/17 誤字修正
それからの数日間は、打倒ドンダ=ルウに向けてひたすらギバ肉を研究する日々だった――なんて言ってしまうと、まるで不眠不休で肉ばかり焼いていたように聞こえてしまうかもしれないが、もちろんそんなことはない。
そこはそれ、働かざるもの食うべからずの森辺であるからして、毎日の仕事はきちんとこなし、なおかつ研究のための資材確保を果たすために、これまで以上の肉体労働を余儀なくされる一面もあったのだった。
有り体に言えば、まず薪の確保である。
薪がなければ、肉は焼けない。
それに俺は、これを機にかまどの温度調節を極めんという熱意にも燃えていた。かまどだけに。
まあ、本当の意味で極めるには数年から数十年単位の歳月が必要になってしまうだろうが。アイ=ファの家にはかまどがひとつしかなかったため、俺はこれまで非常にゆったりした火力調節しか扱うことができていなかったのだ。
『ギバ・スープ』を強火で煮立てたら、後半は弱火でじっくり煮立てる。せいぜいそれぐらいの調節しか試みることはできなかった。
しかし、ルウの家にはいくつものかまどがある。これなら調理中に鉄鍋を移動させることにより、強火と弱火を使いわけることができる。これによって、ミニバーグではなくしっかりとした通常サイズのハンバーグを焼きあげることが可能になったのだが――この「弱火の維持」というのが、なかなかに困難だったのである。
ガスコンロでフライパンを扱うのとは、わけが違う。
何せ薪はみんな形状が不揃いであるのだから、最終的には目分量にならざるを得ない。
そして森辺で使われている鉄鍋はフライパンよりうんと分厚いので、熱の伝導率が遅い代わりに、ひとたび温まったらその火力が強い。そのへんの感覚の違いも、なかなかに厄介だった。
昨日はとにかく焦がしてしまわないことを眼目に置いたので、大失敗こそまぬがれはしたものの、火が弱すぎて肉汁を逃がしてしまったのでは?という不安はぬぐえない。そんな不安を抱えこんだまま、ドンダ=ルウと再びあいまみえるわけにはいかないだろう。
そんなわけで、まずは「弱火の調節」こそが、俺にとっては第一の関門であったのだ。
どのていど薪を積んだらどのていどの火が燃えるのか、どのていどの火が燃えたらどのていどの温度に達するのか。薪の量を調節し、火の大きさを見て、煙の具合を確認し、焼いた肉の状態を把握する。それは根気との勝負であり、また、終わりなき旅路の始まりでもあった。
とにかくひたすら薪を燃やして、肉を焼く。
家の中などは、もういがらっぽくなってしまって大変だ。
こんなとき、野外にかまどをかまえており、しかも複数かまどを有しているルウ家の環境が羨ましくなってしまうが、富めるものを羨んだところで何も始まらない――とか、俺は石川啄木ばりにじっと手を見るばかりであったが、それではおさまらない者がいた。
もちろん、唯一の同居人にして女主人たるアイ=ファである。
研究初日、つまりはルウ家から帰還を果たしたその日の昼下がりからもう全力全開で俺は研究に取りくんでいたのだが、夕刻に森から帰ってきたアイ=ファは、脂と薪の煙にいぶされた屋内の惨状を目にするなり、「何をしているのだお前は!」と激怒した。
だってあのギバ親父を打倒するためには必須の研究なんですものごにょごにょとか持ち前の愛くるしさで女主人を懐柔しようとした俺であるが「馬鹿かお前は」と一蹴されてしまった。
そして言ったのである。
「それなら家の外にかまどを作ればいいだろうが」と。
まったくもって、目から鱗である。
森辺には、大工も建築家もインテリアデザイナーも存在しない。
この家は、調度は、すべてそこに住まう民たちの手作りなのだった。
「かまどがなければ飢えて死ぬしかない。その作り方ぐらい、私だってわきまえているわ」
しかし、アイ=ファの父親が亡くなったのは2年前であり、その頃のアイ=ファはまだ15歳である。
そしてそれ以降、アイ=ファは森辺の住人たちと交流を絶ってしまい、自分の才覚だけで生き抜いてきた。
そんな境遇のアイ=ファがかまどの作り方までわきまえているなんて、異世界出身たる俺に想像できようか?
というか、異世界出身の俺ではあるが、15歳の段階でかまどの作り方までわきまえているのがスタンダードである、とはどうにも思えない。
アイ=ファの父親は、まるで自分の若き死を予見していたかのごとく、自分の持てるすべての知識を性急に娘へと伝授していたのではないか、とすら思えてくる。
しかし、そのようなことを追及するすべはないし、また追及する気もない。
俺はただひたすらに「すげえなあ、お前は」とアイ=ファをほめたたえ、その存在を祝福した。
◇
ということで、ルウの家から戻った翌日の午後には、アイ=ファと二人でかまど作りに励むことになった。
予想はしていたがこれがまたきわめつけの重労働で、とにかく岩場から引き板を使って手頃な岩を運搬し、ひたすら運搬し、家の裏にそれを積み上げていく。そのくり返しである。
場所は、家の真裏に設定した。
日も高いうちからガンガン薪をくべる姿など、表の通りからは見えないほうが都合はいいし、それより何より、急な大雨からかまどを守ってくれるような高さと豊かな茂みを持つ灌木が、家の裏ぐらいにしかなかったのだ。いずれはその灌木を土台にしてきちんとした屋根も作らねばなと思う。
何はともあれ、岩を運搬する。
そうしてそれを積み上げていく。
丸い小山のような円錐台で、上部と前部に穴があり、中身はすっぽり空洞である、という造りであるから、もちろんただ積み上げるだけでは形にならない。岩と岩とをつなぐのは、アイ=ファが森から持ち帰ってくれた「粘土」であった。
特別な岩場にしか存在しない灰色の岩塊を持ち帰り、それを砕いて、水に溶かす。手にべちゃべちゃとひっつくその粘性に苦労しつつ岩の間に練りこんでいき、あるていど形になったら、薪をくべてみる。
気密性が不十分であったり、焼いているうちに割れたり崩れたりしてしまった場所に、改めて粘土を練り込んでいく。
そんな作業を5回も6回もくり返して、さしあたって煙の漏れを防ぐことができるようになったら、粘土にこまかい砂を混ぜて少しゆるめに溶いてから、外側にも内側にもまんべんなく塗っていく。
それで全体を火で炙って、粘土を硬化させることができれば――完成だ。
「うひゃー! 汗だくだ! ……だけど、たった1日で作れるもんなんだな!」
しかし、すでに太陽は西の果てに半ば以上その姿を隠し、辺りではとっくに夕餉の白い煙がたちのぼり始めていた。
「……腹が減ったぞ、アスタ」と、地面に座りこんだアイ=ファも、さすがに疲労の色が隠せない。
「そうだな。せっかくだから、今日はこっちのかまどを使って料理してみるか。スープとハンバーグなら、どっちがいい?」「はんばーぐ」
おたがいに地面に座りこんだ体勢で、俺はアイ=ファを振り返った。
アイ=ファは「何だ?」と怖い顔をする。
「いや、すげー即答だなと思って。昨日もハンバーグだったからこれで4日連続になっちまうけど、それでいいのか?」
「………………………かまわん」
いや、そんな間を置かなくても。
まあ、作業の途中でぬけだしてポイタンだけは焼いておいたから、メインディッシュは何でもかまわない。肉を挽くのはちょいと手間だが、半日を潰してかまど作りに協力してくれたアイ=ファへの感謝の気持ちと思えば安いものだ。
そんなことを考えていたら、またアイ=ファが声をかけてきた。
「アスタ」
「何だい、アイ=ファ?」
「一昨日の、ルウの家で食べたはんばーぐは、大きかった」
「ああ。俺の世界では、あれぐらいが通常の大きさかな」
「……私の家で作るはんばーぐは、なぜ小さいのだ?」
「あれ? 言ってなかったっけ。あの大きさで作るには、強火と弱火を使いわけなきゃいけないんだよ。強火だけだと表面が焦げちまうし、弱火だけだとなかなか焼けなくて旨味が外に逃げちまう。だからああいう可愛らしい大きさに小分けして焼かなきゃいけなくなるわけだ」
「そうか」
「ああ、そうだ」
「アスタ」
「何だい、アイ=ファ?」
「……私の家には、これで二つのかまどが出来上がった」
「ああ。嬉しい限りだね。だけど家の中と外とじゃあ、鉄鍋の持ち運びが大変だな。1度の料理で使いわけるのは難しいかもしれない」
だけどそれじゃあ火力調節のスキルが向上したところで、調理でそれを実践することができないじゃないか。こいつは困ったぞ、とか思っていると――アイ=ファの瞳が、夕闇の中でランランと燃えていた。
かくして翌日には、野外に二つめのかまどが設置される段と相成ったのである。
ずるずるずる。
がろんごろん
ぺたぺた。
ぼーっ。
ぺたぺた。
ぼーっ。
完成だ。
双子の兄弟のように並んだかまどの前、俺は渾身の力でへたりこむ。
「うひゃー! 汗だくだ! 2日連続でかまど作成とか、しんどすぎる! もう腕がパンパンだよ! こんなんで料理なんて作れるかなあ」
地面にへたりこんだまま俺が泣き言を言うと、ものすごく複雑にゆらめいたアイ=ファの瞳がじいっと俺を見つめてきた。
「いや、作るよ? 作るってば。ばーんとでっかい『ギバ・バーグ』を作ってやる! ……だから、泣くなよ?」
「誰が泣くか!」
「それなら良かった。……それに、これでようやく明日っから本格的に焼き料理の研究もできるしな! 感謝してるぜ、アイ=ファ?」
「ふん」
「そう考えたら、明日からは対・ドンダ用の焼肉料理を試食してもらいたいわけだし。ハンバーグも今日でいったん食いおさめか」
「くいおさめ……」
「いや別に、食べたくなったらいつでも作ってやるから。……おい、泣くなよ?」
「誰が泣くか!」
「ふむ。お前って本当にハンバーグが好きなんだなあ? そんなに毎日ハンバーグばっかり食べてたら、ジザ=ルウの言い分じゃないけど、本当に噛む力が退化して……」
そこで、何かが引っかかった。
噛む力が、退化して……?
退化したら。
どうなる?
「そうか」と俺は眉間に手をあてて考えこんだ。
「そりゃまあ確かに……そうだよなあ……」
「どうした、アスタ?」と、アイ=ファが真剣な面持ちで顔を寄せてくる。
汗をかいた頬に金褐色の髪の先がちょっぴりへばりついていて、何だか――ちょっとだけ色っぽい。
「い、いや! 料理の方向性が再確認できただけだ。今度はしっかりと噛み応えがあってなおかつハンバーグと同じぐらい美味い料理を目指すから、楽しみにしててくれ」
ちょっとあちこちに思考の触手を伸ばしつつ、「そういえば」と俺はかねてからの疑念を口にすることにしてみた。
「なあ、アイ=ファ。けっきょく2日がかりでかまどを作ることになっちまって、俺のほうはまあ大助かりだけど、狩りのほうは大丈夫なのか? これでもう10日近くもギバを狩っていないんだろ?」
「大事ない。……ルウの家では、予想外の収穫があったからな」と、胸に下がった首飾りに指先をからめる。
アイ=ファも俺と同様に、8本の牙や角を得ているのである。
確かに、もともとギバ6、7頭分ぐらいはあった首飾りが、かなりボリュームを増している。
「8本の報酬を頂けたってことは、ギバ2頭分。つまりはアリアとポイタン20食分か。……たったの1回かまどをまかされただけで、破格の報酬だよな」
「正当な報酬だ。お前にとっては」
バチバチと燃えるかまどの炎を見つめながら、アイ=ファがつぶやく。
「それに、どれほど森を歩こうとも、狩れない時期は狩れないのだ。森は果てしなく広がっているが、私たちの踏み込める領域はごく限られている。その日の内に家まで帰りつける領域にまでしか、私たちは足を伸ばすことはできないのだからな」
「ふむ。それはもっともな話だな」
「しかし、そうして集落周辺のギバを狩りつくせば、そこにはギバの好物である果実や小さな動物たちが増え、森の奥地に潜んでいたギバたちが、それを求めて住処を移動させることになる。そうすれば、また狩り放題だ」
「なるほど。きちんとそういうサイクルができあがってるんだな」
しかし、俺という居候が増えた以上、アイ=ファの負担は倍にまで膨れあがってしまったわけだから。そんなに容易い話ではないのだろうとも思う。
ひとりの食い扶持なら10日に1頭、ふたり分なら5日に1頭が最低限のノルマなのである。どうかアイ=ファの蓄えが目減りする前に豊作の時期が訪れますように――と、俺は心の中で祈っていた。
するとアイ=ファは、その翌日に巨大な角と牙を持ち帰ってきた。
「お前が落ちたあの落とし穴にギバが掛かっていた」とのことだ。
そしてその翌日には、さらに大物の角と牙を持ち帰ってきた。
「今日のはでかかった。危うく刀をへし折られるところだった」
ギバとの闘いは、生命がけなのだ。
豊作がどうとか祈っていた自分を恥ずかしく思う。
そして、さらにその翌日には――なんと、50キロサイズのやや若いギバを、ひとりで担いで帰還してきたのである。
「言われた通りに、血を抜いてみた。血を流しながら長いこと動いていたから、たぶん上手くいっただろう」
屋外のかまどで薪を焚いていた俺のかたわらで、アイ=ファはほとんど崩れ落ちるようにして座り込んだ。
その身体は汗まみれ土まみれで。とても苦しそうにぜいぜいと荒い息をついている。
当たり前だ。ギバとしては小ぶりでも、50キロ級である。アイ=ファ自身の体重とそんなには変わらないはずの重量だ。
「だ、大丈夫かよ? お前、無茶しやがって――」
「大事ない。……水をよこせ」
俺は急いで家の中に戻り、柄杓で一杯の水を汲んできてやった。
それを受け取ろうとするアイ=ファの腕がふるふると震えているのに気づき、俺はそっとアイ=ファの口もとに柄杓を傾けてやる。
それを一息で飲み干すと、アイ=ファは、ふーっと大きく息をつき、そのままごろんと横たわってしまった。
形のいい胸が激しく上下して、俺はちょっと目のやり場に困る。
ので、アイ=ファの隣りに仲良く並んでいるギバのほうに目を移した。
頭と、咽喉のあたりを血で汚し、悲しそうに小さな目を閉ざした、ギバの死骸。
体長は小さいがそのぶん丸々と太っており、脂ものっていそうだ。
角が牙より大きいから、たぶんオスの若いギバだろう。
「……肉はまだ半分近くも残ってるんだぜ? そこまで無理をする必要なんてなかったのに」
俺が言うと、アイ=ファは大の字になったまま、不機嫌そうな目を向けてきた。
「何を言っている。あと5日もすれば、それらの肉も傷み始める頃合いだろう」
「ああ。だけどそれなら、森で血抜きをして足だけ持ち帰るとか――」
「ギバの胴体を捨てるのは惜しいと、普段からうるさく言っているのはお前のほうだろうが?」
目を閉じ、まだちょっと乱れがちな呼吸をしつつ、アイ=ファは不満そうに言った。
「どうして私に難癖をつけるのだ? 私の仕事は余計であったのか?」
「そんなわけないだろ! ……感謝してるよ。ありがとう、アイ=ファ」
アイ=ファは目を開け、ちらりと俺を見た。
「……感謝しているなら、行動であらわせ」
「え、ええ? それはどんな風にあらわせばよいのかな?」
アイ=ファはのろのろと身を起こし、ちょっと唇を尖らせながら、上目づかいに俺を見る。
「……今日は、はんばーぐが食べたい」
まだ焼き料理の試食を頼んでから2日しか経っていないのに、もう禁断症状が出てしまったのか。
しかし俺は、大きくうなずいてみせる。
「わかった! こいつをさばいたらすぐに取りかかるよ! 腹を減らして待っててくれ!」
アイ=ファはちょっとおかしな顔つきで首をうなずかせた。
それはまるで浮きあがってくる笑顔を必死に抑えこんでいるかのような、実に不自然な表情だった。
そんな顔を見せられたら、嫌でも気合いが入っちまうよなあと、俺は天に向かって大きく息をつく他なかった。