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異世界料理道  作者: EDA
第二十章 太陽神の復活祭(下)
346/1682

紫の月の二十三日②~願い~

2016.6/28 更新分 1/1

「シン=ルウが城下町で、貴族と力比べ……? それはまた、ララが聞いたら眉を吊り上げそうな話ねぇ……」


 営業終了後、そのように声をあげたのはヴィナ=ルウであった。


「あー、しかもシン=ルウを城下町に呼びだしたいって言いだしたのは貴族の娘っ子って話なんだからな。ララのやつ、髪の毛とおんなじぐらい顔を真っ赤にしそうだぜ」


 そんな風に応じるルド=ルウのほうは、べつだん深刻さもない顔つきだ。


「そういえば、城下町で兵士か何かの格好をさせられたシン=ルウはすっげーサマになってたってリミが騒いでたんだよな。俺なんかちっとも想像つかねーんだけど、そんな貴族の娘っ子らがのぼせあがるぐらい、シン=ルウは格好よかったのか?」


 これは隣の屋台を片付けていたトゥール=ディンに向けられた言葉である。

 トゥール=ディンは「あ、え」と口ごもってから、やがてこくりと小さくうなずく。


「シン=ルウもアイ=ファも、何だか森辺の民とは思えないような姿になっていました。あまり褒め言葉にはならないかもしれませんが、それこそ貴族と見まごうような姿であったかもしれません」


「ふーん。ま、レイナ姉のときみたいに面倒なことにならないよう祈るしかねーよな。どうせそいつらは貴族の身分を捨てて森辺に婿入りや嫁入りをする覚悟なんてねーんだろうしさ」


「…………」


「ま、世の中には身分どころか自分の神を捨ててまで婿入りを願うような人間もいるんだけどな。あんな酔狂な人間はそうそういねーってこった」


「言うと思ったわぁ……ルドは、いちいちうるさいのよぉ……」


 気の毒なヴィナ=ルウは色っぽく頬を染め、その弟は「にっひっひ」と笑う。


「それじゃあ、早々に撤退しましょう。今日は色々とやることもあるので」


 俺の号令のもと、一同は賑やかな街道へと足を踏み出した。

 4台の荷車に5台の屋台、6頭のトトスに28名の人間という大所帯である。荷を引く仕事のない女衆は荷台に引きこもっているものの、森辺の民がこれだけの人数で練り歩けば、注目の度合いは半端ではない。


 まだ営業中であるユーミに別れを告げ、たいそうな賑わいを見せている《ギャムレイの一座》の天幕の前を通りすぎ、俺たちはひたすら南へと足を向けた。

 屋台を宿屋に返す組、明日のための野菜を購入する組、大量の銅貨を両替屋に持ち込む組、食器や屋根を注文しに行く組――さらに今日は、他の屋台に試食に行く組があった。《南の大樹亭》のナウディスが昨晩から軽食の屋台を出し始めたので、俺とレイナ=ルウとトゥール=ディンの3名はそれを味見させていただく計画を立てていたのだ。


「それじゃあ、各自の仕事が済んだら《キミュスの尻尾亭》で合流ということで」


「うん、気をつけてねぇ……」


 俺たち3名にアイ=ファとルド=ルウとラウ=レイが同行して、まずは最初に離脱する。ナウディスの屋台は、露店区域でもかなり南寄りの位置にあった。


「ああ、これは確かにたいそうな賑わいですね」


 レイナ=ルウの言う通り、そこには10名近いお客が列をなしていた。すでに下りの二の刻を回っているので昼食のピークは過ぎているはずであるが、まだまだお客の引く気配はない。

 その最後尾に俺たちが陣取ると、前に並んでいた南の民がいぶかしげに振り返ってきた。


「何だ、わざわざ銅貨を出して、他の店のギバ料理を食べようってのか?」


 俺たちの素性を知った上での発言なのだろう。俺は「はい」と愛想よく微笑んでみせる。


「こちらのご主人とは懇意にさせていただいているので、どのような料理を売りに出されているのか、とても興味を引かれてしまったのです」


「ああ、ここの主人の腕は確かだな。俺も迷ったけど、今日はこっちの料理を買うことに決めたんだ」


 そのように言って、その人物はにっと笑った。


「明日はお前さんたちの屋台に行くからな。まさかとは思うけど、祭の間は休まないでくれよ?」


「ええ、もちろんです」


 どうやら見知っているどころか常連様であったらしい。ジャガルやシムの民は似通った風貌をしている人間が多いので、なかなか見分けることが難しいのだ。


 そうしていくばくもなく俺たちの順番が回ってくると、ナウディスが「いらっしゃいませ」と笑顔で出迎えてくれた。


「ああ、アスタにレイナ=ルウ、ご足労さまでありますな」


《南の大樹亭》においては、店主みずからが軽食の屋台を出しているのである。

 今日のナウディスは頭に灰色の布を巻いており、ゆたかな褐色の髪が後ろからぼわんと広がっている。ちょっとユーモラスで微笑をさそわれる姿だ。


「昨晩はあんな騒ぎだったので立ち寄ることができませんでしたからね。とても楽しみにして来ました」


「はいはい、難儀でありましたな。どちらも自慢の料理ですので、ご満足いただけたら幸いであります」


 ナウディスは、ひとつの屋台で2種類の料理を売っていた。我が店のパスタと同じように、屋台に2台の火鉢を仕込んでいたのだ。


 聞くまでもなく、その片方はカレーであった。

 これはもう、並んでいる間から香りで察することができた。

 もう片方は、タウ油をふんだんに使った煮付けのようだ。

 丸くて薄い焼きポイタンの生地がどっさりと準備されているので、それに具材を包む形で売りに出しているのだろう。


「お代はどちらも赤銅貨1枚と割り銭が1枚でありますぞ。おいくつをご所望でありますかな?」


「それじゃあ、ふたつずつお願いします」


 かまど番は3名であったが、こんな中途半端な時間なのだから半個分ずつで十分だろう。余った分は、俺たちよりも食欲が旺盛な狩人たちに献上すればいい。

 などと考えていたら、ルド=ルウが「あ、俺たちもひとつずつ頼むよ」と言い出した。


「え? ルド=ルウたちも食べるのかい?」


「ああ。そいつはギバ肉の料理なんだろ? 町の人間が作るギバの料理ってのも面白いじゃん」


 そういえば、ルド=ルウは護衛の仕事中にマイムやユーミの料理も食べていた。

 森辺の男衆が銅貨を出してまで町の人間の料理を食べるというのは、そうそうないことだ。これも歓迎すべき心境の変化であろう。


「では、それぞれ3つずつですな。お代の準備をお願いいたします」


 言いながら、ナウディスはてきぱきと料理をこしらえていく。ルド=ルウらの銅貨はレイナ=ルウが支払い、俺たちは商品を受け取った。


 どちらの料理も汁気が多かったので、ナウディスはそれを饅頭の形で仕上げてくれた。この宿場町では、わりとポピュラーな軽食の形式だ。

 俺たちは次のお客に場所を譲りつつ、屋台の横でそれを半分に分け、おのおの口に運んでみた。


 煮付けのほうは、やはりタウ油がベースである。

 それに砂糖と、シナモンっぽい香草もほんの少しだけ使っているのかもしれない。タウ油の使い方を十分にわきまえているナウディスの、素朴ながらも優しい味わいだ。

 具材は、粗めに刻んだギバのモモ肉と、アリアにティノにネェノンというシンプルな組み合わせである。


 そして、カレー饅頭のほうは、また少し俺の知らない進化を遂げていた。

 具材に、ダイコンのごときシィマ、サトイモのごときマ・ギーゴ、ズッキーニのごときチャン、それにシイタケモドキにブナシメジモドキというジャガル産の食材ばかりがふんだんに使われていたのである。


 なおかつカレーのルーも、以前に食したときよりも格段に甘みが増している。俺の故郷ではお子様用に分類されるぐらいの甘さだ。

 砂糖や蜜を入れたぐらいでは、ここまで甘くすることはできないはずだ。そもそもスパイシーな風味自体がずいぶんマイルドに仕立てられているし、普通のカレーにはない旨みやコクが感じられる気がした。


「ナウディス、このカレーはいったいどのようにして作られているのですか?」


「はいはい。それはかれーの素を3分の2ぐらいしか使っておらず、そのぶん乳脂で炒めたアリアとフワノをぞんぶんに増やしているのです。それに、水と同量のカロンの乳も加え、砂糖とラマムの実のすりおろしもたっぷり加えておりますな」


「なるほど。このコクはカロンの乳のものなのでしょうかね。それに、俺がカレーには使わないような野菜から、とても素晴らしい旨みが生まれているような気がします」


「アスタや《キミュスの尻尾亭》のご主人がこしらえるかれーも非常に美味でありますからな。わたしもそれに負けないぐらい美味で、なおかつジャガルのお客様に喜んでいただけるような料理を作りあげたかったのです」


 新たなお客さんにそのカレー饅頭を受け渡しつつ、ナウディスはにっこりと微笑んだ。


「今のところ、屋台でも食堂でもかれーは好評です。それに、少しずつですがジャガルのお客様が買ってくださる割合も増えてきたように感じられます。アスタも屋台でかれーを取り扱ってくれておりますし、この調子ならば復活祭が終わる頃にはかれーがシム料理でないということを広く知らしめることができるのではないでしょうかな」


「そうですね。それに、カレーなんていう奇抜な料理がジェノスで受け入れてもらえればとても嬉しいです」


 ものすごく正直に言ってしまうと、ダイコンのごときシィマやサトイモのごときマ・ギーゴは、俺だったら絶対カレーに入れないと思う。が、べつだんそこまで調和を乱しているわけではないし、カレーの原型を知らない人々ならば、違和感なく受け入れることができるのかもしれない。それならば、これは俺の故郷の料理とこの世界の料理が合わさって生まれた、新しい味わいと受け止めるべきだと思われた。


「森辺の民にはかれーの辛さを嫌がる人間もそれほど多くはないので、あまり気にしていませんでしたが、アリアやフワノを増やすことで、このように辛さを抑えることができるのですね」


 半分に割ったそれぞれの料理を完食したレイナ=ルウが、笑顔でナウディスに呼びかける。


「その発想は、わたしにはありませんでした。とても感服いたします」


「それは恐縮であります」とナウディスは温かく微笑む。


 その次に感想を聞かれたトゥール=ディンも、「美味だと思います」とはにかんでいた。


「特にこのタウ油を使った料理のほうは、砂糖と少しの香草しか使われていないようなのに、とても深みがあるように感じられました」


「ああ、そちらにはごく少量ですがジャガルの発泡酒を使っておりますな。値が張るのでたくさんは使えませんが、やはりジャガルの酒はタウ油に合うのです」


 それは俺も気づかなかった。とりたてて風味が増したりはしていないようだが、見えざる功労者としてこの料理の質を高めていたらしい。


「うーん。レイの女衆でもここまで美味い料理を作れるやつは、そんなにいないだろうな。何だかちょっと悔しく思えてしまうぞ」


「あー、だけどかれーだったらアスタやレイナ姉の作るやつのほうが美味いみたいだな」


 ラウ=レイとルド=ルウはナウディスに聞こえないよう、ぼしょぼしょと言葉を交わしている。

 余りの半切れを食したアイ=ファは、すました面持ちでノーコメントだ。


「そういえば、アスタたちのほうも、今日は料理を売り切ることがかなったのでしょうかな?」


「はい。定刻でちょうどすべて売り切ることができました」


「参考までに、それはどれほどの数であったのでしょう? わたしのほうは、ふたつの料理を70食ずつ準備しているのですが」


「えーとですね、俺の店は『ポイタン巻き』が160食、『カルボナーラ』が200食、日替わり献立の『ギバ肉の卵とじ』が150食ですね。ルウ家のほうは『照り焼き肉のシチュー』が350食、『ミャームー焼き』が160食です」


 基本的には昨晩と同じ量で、日替わりメニューだけ30食分を増やした分量であった。

 昨晩よりは1時間以上もかかったものの、完売できたのでまずは満足である。ナウディスなどは、呆れたように目を丸くしてしまっていた。


「改めて聞くと、すさまじい売れ行きですな。普通の屋台ならば50食、祭の期間は倍の100食も売れれば満足すべきとされているのですぞ?」


「ええ。ですがナウディスも、ひとつの屋台で140食の料理をさばいているのでしょう? それならやっぱり、たいしたものではないですか」


「はいはい、このあたりにはギバの料理を売る屋台もありませんからな。アスタたちのそばに屋台を開くべきか最後まで迷ったのですが、おたがいに完売の見込みが立ったのならば、わたしの判断も間違ってはいなかったようです」


 そのように言いながら、ナウディスは街道のほうに視線を差し向けた。

 ギバ料理でなくとも、軽食の屋台はたくさん立ち並んでいる。ナウディスの店ほどではないものの、どこの屋台もそれなりのお客を集めることがかなっているようだ。


「このふた月ほどで、実にさまざまな食材が宿場町にあふれかえることになりましたからな。タウ油に砂糖、カロンの乳に乳脂、レテンの油、ママリアの酢、シムの香草、数々の野菜――なおかつ最近では、カロンの胴体の肉さえもが売りに出されております。ひさかたぶりにジェノスを訪れた人々は、さぞかし度肝を抜かれたことでしょう」


「ええ、きっとそうなのでしょうね」


「ですが、ギバ肉を扱う店は限られておりますし、また、さまざまな食材を正しい形で使えている店も、同じように限られていると思われます。しばらくは他の屋台に目移りするとしても、日が経つにつれ、我々はいっそう多くのお客様をお迎えすることになるのではないでしょうかな」


 とてもにこやかに笑いつつ、ナウディスは自信たっぷりの様子に見えた。

 きっと、自分以上にジャガルの食材を正しく扱える人間はそうそういない、という自負があるのだろう。実際、ネイルのシム料理と同じぐらい、ナウディスのジャガル料理は本格的な味わいなのだろうと思えてならなかった。


「そういうわけで、次回からはまたギバの足肉を20人前ほど追加していただきたいのですが、いかがでありましょうかな?」


「はい、大丈夫だと思います。集落に戻ったら確認しますね」


「はいはい、よろしくお願いいたします。……ああどうぞ、いらっしゃいませ」


 変わらず客足は途切れる様子もないので、俺たちは別れの挨拶を述べて退去することにした。


 マイムやユーミと同じかそれ以上に、ナウディスというのは心強い戦友であった。

 それにミラノ=マスやネイルも加わり、これだけの人々がギバ肉の美味しさを宿場町に知らしめてくれているのだ。この復活祭は、森辺の民にとって大きな転機となることだろう。

 そんな思いを胸に、俺は森辺の集落へと帰還することができた。


                ◇


 それから、半刻の後。

 無事にすべての仕事をつとめあげてルウの集落に帰りつくと、何故かしら広場の入口でリミ=ルウが待ち受けていた。


「レイナ姉、ヴィナ姉、おかえりー! アスタとアイ=ファもお疲れさま!」


「うん、お疲れさま。……リミ=ルウはこんなところで何をやってるのかな?」


「リミはアスタたちを待ってたんだよ! ドンダ父さんが、お話があるんだってー」


 ドンダ=ルウがわざわざ俺たちを呼びつけてくるとは珍しいことだ。

 とりあえず、ご指名があったのは俺とレイナ=ルウとルド=ルウのみであったので、それにアイ=ファを加えたメンバーでルウの本家に足を向ける。トゥール=ディンはファファの荷車で先に返し、ファの家での下ごしらえを先に進めておいてもらうことにした。


「ちょうどいいから、貴族からの話についても親父に伝えちまおうぜ。そのほうが手間もはぶけるだろ」


「うん、そうだね」


 ミーア・レイ母さんの案内で、ルウの本家に足を踏み入れる。

 そこにはドンダ=ルウばかりでなく、ジザ=ルウとダルム=ルウ、それにジバ婆さんまでもが顔をそろえていた。

 ミーア・レイ母さんはジバ婆さんの隣に膝を折り、リミ=ルウを含めた俺たち5名はドンダ=ルウらと向かい合う格好で腰を落ち着ける。


「ご苦労だったな、レイナ、ルド。……今日はおかしな騒ぎに巻き込まれなかっただろうな?」


「ああ。旅芸人の連中も普通に仕事をしてるみたいだったぜ」


「そうか」と言ったきり、ドンダ=ルウは口をつぐんでしまう。

 ドンダ=ルウは、まだ右肩を包帯で巻かれており、腕を吊った状態である。森の主との死闘でもっとも重い手傷を負ったドンダ=ルウは、完治するまであとひと月はかかるという見込みであるはずだった。


「ファの家のアスタ、レイナ、ルド。貴様たちに、確認させてもらいたいことがある」


「どうしたんだよ? そんな風にあらたまってさ」


「黙って聞け。……最長老ジバが、突拍子もないことを言い出しやがったんだ」


 俺は驚いて、そのジバ婆さんのほうを振り返った。

 ミーア・レイ母さんに付き添われたジバ婆さんは、しわくちゃの顔で穏やかに微笑んでいる。


「実はね……婆は、ジェノスの宿場町に下りてみたいと、家長ドンダにお願いしたんだよ……」


「えっ! ジバ=ルウが宿場町に、ですか?」


「ああ、そうさ……町の様子はずいぶん変わってきたんだろう……? アスタやレイナたちが仕事を果たすことによって、どれほど町の様子が移り変わったのか……それをあたしもこの目で確かめたくなっちまったのさ……」


 俺は思わず言葉を失い、左右のみんなの表情をうかがってしまった。

 リミ=ルウとルド=ルウはきょとんとしており、レイナ=ルウは真剣な表情、アイ=ファは静かな面持ちでジバ婆さんの言葉を聞いている。


「あたしが最後に町へと下りたのは、もう20年や30年も前のことになるのかねえ……買い出しの仕事がつとまらないようじゃあ、町に下りる理由もないからさ……あの頃は、町中の人間が森辺の民を恐れていた……ちょうどその頃、森辺の民に無法を働いた町の人間が、狩人の手によって殺められるなんていうことがあったから、なおさらにね……」


「ああ、罪人は衛兵に捕らえられたのに、家人を傷つけられた氏族の家長が復讐しに出向いちまったんだっけ。ま、気持ちはわからないでもねーよな」


「そうだねえ……それでいっそう森辺の民は、町の人間に恐れられることになっちまったんだけど……アスタたちのおかげで、ずいぶん町の人間たちも気持ちが変わってきたんだろう……?」


「それは屋台の商売だけが理由じゃなく、森辺のみんなが一丸となって悪逆な貴族とスン家を討ち倒したおかげですよ」


「うん、そうだったねえ……とにかく婆は、この魂が森に召される前に、ジェノスの町の変わりっぷりを見ておきたくなっちまったのさ……」


「ジバ婆は、まだまだ森に召されたりしないでしょ?」


 と、たちまちリミ=ルウが瞳に涙を浮かべてしまう。

 そちらを振り返り、ジバ婆さんはいっそう優しく微笑んだ。


「ああ、婆はとっても元気だよ……だから、元気な内に町へ下りたいと思ったのさ……これ以上老いぼれちまうと、そんな無茶もできなくなっちまうだろうからね……」


「……確かに、お身体にはそれなりの負担がかかるかもしれませんね」


 考えながら、俺は答えてみせる。


「森辺の集落から宿場町に向かう道は、けっこうな坂で道幅もせまいので、荷車もずいぶん揺れてしまうと思います。時間的には大したものではありませんが、それでもやっぱり相応の体力を削られることでしょう」


「でも、町にいる間は俺たちがいるんだから、何も危険なことはないぜ。……親父はそういうことが聞きたかったんだろ?」


「ああ、そうだ。ここ最近の宿場町について一番事情をわきまえているのは貴様たちだからな。そんな真似をして最長老に危険は及ばないか、率直に述べてもらおう」


 ドンダ=ルウの眼差しは真剣そのものであった。

 ルド=ルウは、不敵な表情で肩をすくめている。


「昨日の夜ぐらい念入りに腕の立つ狩人を護衛に選べば、何も心配はいらねーだろ。賑やかな場所を進むときは、荷台で小さくなってりゃいいんだからよ」


「それでも今の宿場町には余所者や無法者が大勢ひそんでいる。昨晩もそういう輩に襲われたことを忘れたわけではあるまい」


 そのように述べたのは、ジザ=ルウである。

「へん」とルド=ルウは鼻を鳴らした。


「だから、そういう連中に襲われても、俺たちは傷ひとつ負わなかったじゃん? 昼間だったら、なおさら安心だろ」


「しかし、万が一にも最長老の身に何かあれば、我々は――数十年前のかの家長と同じように、刀を取るしかなくなってしまうのだぞ?」


 ジザ=ルウの大きな身体が、ふいに不可視の圧力を発散し始めた。

 いくぶんのけぞりかけたルド=ルウが、ぐっとこらえて、それに立ち向かう。


「その万が一が起きないように、俺らが力を尽くせばいいんだろ? ……ていうか、ジバ婆がいようといまいと、俺たちのやることに変わりはねーよ。どんなとんでもないことが起きたって同胞に傷ひとつ負わせないように、俺は護衛の仕事に励んでるつもりだぜ?」


 俺と出会った当時は子供のように気圧されていたルド=ルウが、全身全霊でジザ=ルウの圧力に耐えていた。

 そこで、レイナ=ルウが声をあげる。


「わたしは、ジバ婆の望みをかなえてあげたいと思います。町の人間たちがどのような目で森辺の民を見て、どのような様子でギバの料理を食べているか、それを知ることは、とても大事なことだと思えるので」


「うん! そうしたらジバ婆も、きっと町を好きになれるよ!」


 涙をふきながら、笑顔でリミ=ルウも発言する。


「ふうん……リミは町が好きなのかい……?」


「大好きだよ! 宿場町ではターラに出会えたし! ドーラもユーミもマイムもミケルも、それにテリア=マスだって、みーんないい人ばっかりだしね!」


「そうかい……」とジバ婆さんは目を伏せる。


「森辺の民が、町の人間を大好きだなんて……そんなのは、少し前までは考えられなかったことだろう……? だからあたしも、どうしてリミがそんな風に思えるようになったのか、そいつをこの目で確かめたくなっちまったんだよ……」


「いいんじゃねーの? 最長老だったら、何でも知っておくべきだろ」


「わたしもそう思います。寝具をたくさん重ねれば、揺れる道だってそれほど苦痛ではないはずです」


 ルド=ルウとレイナ=ルウの言葉を受けて、ドンダ=ルウは俺のほうに鋭い眼光を差し向けてきた。

 俺は腹を据えて、大きくうなずいてみせる。


「護衛に関しては、ルド=ルウ以上に確かなことは言えませんが、俺もジバ=ルウに今の状況を正しく知ってもらうのは、とても大事なことだと思います。……いや、大事というか、誰よりも古くから森辺の民として生きてきたジバ=ルウに、今の状況を知ってもらうことができたら、とても嬉しく思います」


「……そうか」とドンダ=ルウが巨体をゆする。


「ならば、最長老の望みをかなえよう。護衛の狩人は、俺が選ばせてもらう。……ジザ」


「はい」


「お前は集落に残り、家を守れ」


 そう言って、ドンダ=ルウはにやりと野獣のように笑った。


「明日は、俺が同行させてもらう」

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