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異世界料理道  作者: EDA
第二十章 太陽神の復活祭(下)
345/1675

紫の月の二十三日①~二つの依頼~

2016.6/27 更新分 1/1

・今回は8話分の更新となります。

 紫の月の23日。

 前日に《ギャムレイの一座》の天幕で思わぬ奇禍に見舞われた俺たちは、めげずにその日も商売に取り組んでいた。


 いよいよ太陽神の復活祭が本格的にスタートしたのである。

 その日は復活祭が始まってから初めて迎える、日中の営業日でもあった。


 通りには人があふれている。

 やはり、昨日から今日にかけて、格段に人が増えた様子である。

 祭になれば倍ほども客足がのびる、とは何度となく聞かされていたことであるが、確かに普段から騒がしい宿場町が倍ほども騒がしくなっている印象であった。


 町のあちこちには太陽神の赤い旗が飾られている。

 本日到着したらしいトトスや荷車が、ひっきりなしに街道を行き交っている。

 マントのフードですっぽりと顔を隠した東の旅人たち。丈の短いマントを羽織って平たい帽子をかぶった南の旅人たち。そして、黒い髪や黒に近い褐色の髪で象牙色の肌をした、ジェノス生まれでない西の旅人たち。祭を楽しみつつ、自分たちもひと稼ぎさせていただこうとジェノスに集まった大勢の人々が、石の街道を練り歩いているのだ。


 青空食堂を開店したことによって、すでに倍近い売り上げを叩き出していた俺たちの屋台も、そうしていっそうの賑わいを見せることになった。


「おはようございます。今日もすごい人出ですね!」


「やあ、マイム、お疲れさま」


 本日も俺たちより4、50分遅れで登場したマイムは、期待に瞳を輝かせながら俺の手もとを覗き込んできた。


「素敵な香りですね。今日はどのような料理を売っているのですか?」


「今日はね、キミュスの卵を使った料理だよ。名前をつけるなら、『ギバ肉の卵とじ』かな」


 大鍋では、タウ油と砂糖と果実酒をベースにした甘辛い煮汁で、バラ肉とアリアとネェノンと、それにペペの葉とブナシメジモドキがくつくつと煮込まれている。その表面に溶いた卵をさあっとかぶせて、半熟に固まった分から具材ごと皿に移して、お客さんに提供するのだ。


 卵は1人前につき1個の目安で、いっぺんに仕上げられるのは7人前ていどである。屋台の前にはちょっとした行列ができてしまっているが、これはお客の回転が速すぎると客席のキャパオーバーや食器不足を招きかねないという昨晩の反省を踏まえた上での献立であった。


 一昨日の日中に比べて、客足はやはりそこそこ以上にのびている。客席のほうは昨晩、新たに屋台8つ分ものスペースを借り受けたので、まだまだゆとりはあるものの、食器のほうは油断をするとすぐに尽きてしまいそうだ。


(今日は食器と、それに新しい屋根だけは注文していかないとな)


 さすがに新たな椅子と卓まで購入してしまっては、復活祭の後で置き場に困ってしまうだろう。なので、新たに借り受けたスペースには座席を設置せず、ただ急な雨に備えて屋根だけは用意することに決めていた。

 つまり、本日のところは屋根も座席もないただの空き地であるのだが、お客さんたちは何を気にする風でもなく、持参した敷物の上で食事をとっている。雨が降ったら後方の雑木林にでも逃げ込めばいい、ぐらいの気持ちでいるのだろう。


 ちなみに本日は、朝からささやかながらに引越し作業をすることになった。

 南の区域に新たな屋台が増えたので、そのぶん俺たちの屋台は北側にずれこむことになったのだ。

 宿屋に近くて人の多い南側の区域は、場所代も割増しになるのである。最低限の場所代しか支払っていない俺たちは、南側で屋台が増えるほど、どんどん北側に追いやられてしまうのである。


 なおかつ、そんな俺たちの右手側、つまりはこれまで無人であった北側のスペースにも、ついに本日から3つの屋台が増えることになった。

 俺たちと同様に、最低限の場所代しか払わなかった人々の屋台だ。業種は、ジャガルの鉄具屋と、セルヴァの布屋、それにシムの雑貨屋であった。


「こんな北端でも、あんたがたのおかげでずいぶん賑わっているからな。だったらわざわざ割高の場所代を支払う必要もないだろう」


 鉄具屋の親父さんは、愛想よく笑いながらそのように言っていた。この方は、どうやら《南の大樹亭》を定宿にして、ちょくちょくジェノスを訪れてきているらしい。

 というわけで、真正面に建っていた《ギャムレイの一座》の天幕も、今ではやや左手側にのぞむ格好になった。あちらは天幕を移動させるのもひと苦労なので、なおさら南側に屋台が増える際は、俺たちの側がずれていくしかないのだろう。


 その《ギャムレイの一座》の天幕は、中天を迎えて営業を開始すると同時に、やはり一昨日以上のお客を集めているようだった。

 昨晩の騒ぎで客足が落ちてしまったら気の毒だな、と考えていたのだが、どうやら杞憂であったらしい。野盗に襲撃されるなどという悪評も、一種あやしげな雰囲気を売り物にしている見世物小屋にとっては宣伝効果になりうるものなのだろうか。


 ともあれ、商売は順調であった。

 日中から果実酒を召される方々もうんと増えた様子であるが、今のところ食堂でも通りでも治安は保たれている様子である。通りのほうでは巡回の衛兵たちがますます人員を強化していたし、俺たちのほうでは本日も12名もの狩人たちがしっかりと目を光らせてくれていた。


 昨日の騒ぎで、やはりこの期間中は普段以上に用心するべきである、という結論に至ったのだ。これからは毎日、現行のトトスと荷車で運べる限りの護衛役が同行することに定められていた。かまど番と護衛役と、それに監査役のスフィラ=ザザで合計28名の大所帯だ。


 そんな中、本日からはかまど番も1名増員されている。

 俺と一緒に日替わりメニューを担当する、ベイムの女衆である。


 名前は、フェイ=ベイム。ベイムの家長の長姉であるそうだ。

 身長はやや低めであるが、父親似のずんぐりとした体形で、いつも不機嫌そうに小さな目を光らせており、大きな口もへの字がデフォルトになっている。年齢は19歳で俺より年長であったが、未婚の女衆である。


 このフェイ=ベイムが、勤務初日にささやかな騒ぎを起こすことになってしまった。

 酔っ払った西のお客さんに愛想がないと突っかかられて、お前なんぞに愛想をふりまく筋合いはないと言い返してしまったのである。


 何とかその場は収まったが、これは看過できぬ出来事であった。

 森辺の女衆は、もともと無頼漢にからまれることが多かったので、客あしらいに長けている人間が多かった。また、この数ヵ月で森辺の民に対する差別感情もだいぶん薄らいできていたので、おかしな騒ぎに発展することも皆無であった。そんな中で起きた、この騒ぎであったのだ。


「フェイ=ベイム、別に愛想をふりまく必要はないけれど、お客さんには失礼な口をきかないように気をつけていただけますか?」


 新たな卵を鍋に落として、それが煮えるのを待つ間、俺はこっそり忠言することにした。

 フェイ=ベイムは、うるさそうに俺の顔をにらみ返してくる。


「先に礼を失したのは向こうのほうです。どうしてわたしが責められねばならないのですか?」


「責めているわけじゃありません。でも、客商売をするには自分の気持ちを抑えることも必要なんです」


「誇りを打ち捨て、銅貨のために媚びへつらえということですか」


「いや、媚びへつらうとかそういう話じゃなくって――」


 こういうタイプを相手にするのはあまり例のないことであったので、俺もちょっと閉口してしまう。

 すると、隣の屋台からヤミル=レイが声を投げつけてきた。


「フェイ=ベイム、あなたはファとルウが宿場町でどのような仕事を果たし、森辺に何をもたらそうとしているか、それを確かめるためにこのような場所まで出向いてきたのでしょう? そんなあなたが商売の邪魔をしていたら、正しい結果を得ることもできなくなってしまうのじゃないかしら?」


 フェイ=ベイムは、いっそう険しい目つきでそちらを振り返った。


「さらに言うなら、宿場町の商売に反対しているベイムの家のあなたがそのような真似をしたら、それはファの家の仕事をわざと妨害していると思われかねないでしょう。あらぬ疑いをかけられたくなかったら、もう少し身をつつしむことね」


「……あなたなどにそのような差し出口をきかれる筋合いはありません」


「そんなことはないわ。これは森辺の行く末を左右する大きな仕事なのだから、誰だって自分の意見を述べる資格があるはずよ」


「…………」


「ファの家の行いを認められないというのも、ひとつの立派な意見だわ。でも、次の家長会議までは様子を見て正否を定めるとされているのだから、それに邪魔立てするのは掟を破るにも等しい行為でしょう。だから、あなたも身をつつしむべきと言っているのよ」


「…………」


「そんなにこの仕事が気に食わないのなら、あなたが無理に受け持つ必要はないじゃない。ベイムの他の女衆と交代してもらったら?」


 容赦もへったくれもない舌鋒である。

 城下町の貴族を相手にしたって一歩も引かないぐらい、果敢で頭の切れるヤミル=レイであるのだ。並の人間では、口論でかなうとも思えない。


 その結果として、フェイ=ベイムは黙り込むことになった。

 そして気づくと、その小さな目からはつうっと透明のしずくがこぼれ落ちてしまっていた。


「あ、あの、フェイ=ベイムはファの家から伝わった美味なる食事というものに強く心を動かされて、みずからこの役目を願い出たのです」


 と、ヤミル=レイとともに『ギバまん』の屋台を預かっていたダゴラの女衆が、慌てた様子で割り込んでくる。ダゴラは、ベイムの眷族なのだ。


「ただ、フェイ=ベイムは町の人間を苦手にしているので、ああいう際は少し心を乱してしまうのでしょう。決してファやルウの邪魔だてをするような気持ちは持っておりませんので、何とか長い目で見守ってはもらえませんか……?」


「いいのです。すべてはわたしが至らぬためなのでしょう」


 こぼれる涙をぬぐおうともしないまま、フェイ=ベイムは深々と頭を下げてきた。


「申し訳ありません。心を落ち着けたいので、少しだけ失礼します」


「あ、ああ、はい……」


 フェイ=ベイムは後ろの荷車のほうに駆けていき、ヤミル=レイは重く溜息をついた。


「……何も泣くことはないじゃない」


「すみません。俺がうまく指導しなければいけなかったのに、フェイ=ベイムの気性を見誤っていました」


「そんなの、わたしも同じことよ。余計な真似はするもんじゃないわね」


 そうして新たな『ギバ肉の卵とじ』が完成するころに、フェイ=ベイムはしっかりとした足取りで舞い戻ってきた。

 むすっとした顔で目を赤くしつつ、また俺に頭を下げてくる。


「本当に申し訳ありませんでした。自分の仕事をまっとうできるように力を絞りますので、どうぞこれからもよろしくお願いいたします」


「はい、こちらこそよろしくお願いします」


 そんな感じで、ささやかなる騒ぎは無事に収束することになった。

 思うに、俺はルウ家とその眷族たる女衆の頼もしさに慣れすぎてしまっていたのだろう。古くから豊かな生を営み、そしてスン家を打倒しようと心身を磨いていたルウ家の人々は、森辺の中でも際立って誇り高く、強い力を有しているのだ。一見は大人しそうなシーラ=ルウなどでも、きっと小さな氏族の女衆よりは気丈でしっかりしているのだろうと思う。


 フェイ=ベイムばかりでなく、ガズやラッツやダゴラの女衆たちも、ルウ家の人々のように宿場町の仕事に順応できているか、楽しくやりがいのある仕事だと思えているか、そういった精神面のケアにももう少し気を配るべきなのだなと、俺は反省することになった。


 その後はひたすら仕事に忙殺され、中天を過ぎるとユーミも姿を現した。

 昨日は遅くまで頑張っていただろうに、今日も元気いっぱいの様子である。


「今日も100人前を準備してきたからね! 全部売りさばいて、父さんをぎゃふんと言わせてやるんだー」


 いっぽうマイムも80人前の料理を準備してきており、それが彼女にとっての限界値であるらしい。が、客足は俺たちの屋台に勝っているぐらいで、今日も一番乗りで閉店してしまいそうな勢いだ。


 通りのほうではピノたちがまた客寄せの芸を始めて、道行く人々に喝采をあげさせている。中天を過ぎるといっそう人通りは多くなり、あちらこちらから「太陽神に!」という声が響きわたってきた。


 そこに新たなどよめきがあがったのは、下りの一の刻に差しかかったあたりであった。

 北側から、1台の箱型のトトス車が近づいてきたのである。

 トトスも荷車も頻繁に行き交っているが、その車体には伯爵家の紋章が掲げられており、別のトトスを引いた武官たちに守られている。

 実にひさかたぶりの、ポルアースの登場であった。


「やあやあ、ご無沙汰ぶりだねえ、アスタ殿。元気そうで何よりだ」


 ころころと丸っこい体格をしたポルアースが車の中から姿を現すと、いっそうのどよめきが街道に広がった。

 最近ジェノスを訪れた人々は、貴族が俺たちの店にやってくる姿を初めて目の当たりにすることになったのだろう。俺もポルアースと顔をあわせるのは、およそひと月ぶりであるはずだった。


「そちらもお元気そうで何よりです。この前お会いしたのは、たしかこの食堂を開いた時分でしたよね」


「ああ、あれはまだ藍の月であったはずだねえ。こちらもアスタ殿に負けず、目の回るような忙しさであったのだよ」


 しかしその福々しい顔には相変わらず明るい笑みがひろがっており、心身ともにとても健やかな様子であった。


「先日の茶会では世話になったね。エウリフィア殿がこうと決めたら、ジェノス侯にも手綱を取ることは難しくなってしまうのだよ。いや本当に、こちらの無理な申し出を聞き入れてくれて、僕もジェノス侯もとても感謝しているよ?」


 言いながら、ポルアースは鉄鍋を覗き込んでくる。

 卵が煮えるのを待っていたジャガルのお客さんはしかめ面で身を引きつつ、それでも順番は譲るまいとその場に踏み留まっていた。


「ううん、今日の料理も非常に食欲をそそられるねえ。聞くところによると、アリシュナ殿は自前の食器で料理を持ち帰らせているそうじゃないか? 僕も同じように器を準備したら、どの料理でも持ち帰らせてもらえるのかな?」


「はい、もちろんです」


「それじゃあ、あとで使者をよこすよ! いやあ、楽しみだ!」


 そのように言ってから、ポルアースは何やら神妙な面持ちで声をひそめてきた。


「ところでアスタ殿、ちょっと内密の話があるのだけれど、少しばかり時間をいただけるかな?」


「え、今ですか? 自分は商売が終わるまで屋台を離れられないのですが……」


「そんなに時間は取らせないよ。それに、ルウ家の方々にも了承をもらいたい話なんだ」


 ポルアースがじきじきにおもむいてきたということは、前回のお茶会よりもなお込み入った話なのだろうか。

 それでも屋台を離れることはできなかったので、現在作製中の料理を仕上げて、新たな卵を鍋に投じたのち、屋台の裏で話をうかがうことにさせていただいた。


 ポルアースは2名の武官とともにこちらに回り込んできて、俺は食堂のほうに陣取っていたルド=ルウを呼びつける。

 ジザ=ルウやダルム=ルウは昨晩の凶事をドンダ=ルウにじっくり伝えねばならないということで、本日は護衛役の任を差し控えていたのだ。


「こんな忙しい復活祭のさなかに申し訳ないのだけれど、また城下町でその腕をふるっていただきたいのだよ、アスタ殿」


「はあ……」


 やっぱりそんなような内容であった。

 俺としては復活祭に集中したいのだが、これはどうしたものだろう。


「でも、それほどひどく時間を取らせるようなことにはならないはずだ。ほら、ウェルハイド殿からの申し出で、バナームのフワノやママリア酢を使った美味なる料理の考案というものを頼まれていただろう? そろそろそれをお披露目していただく時期ではないか、という話になってしまったのさ」


「ああ……確かにまあ、お頼みされてからもうひと月以上が経ってしまっておりますね。でも、どうしてそれをわざわざ復活祭の期間中に?」


「復活祭だからこそ、かねえ。こちらもいいかげん使節団を歓待する種が尽きてきてしまったから、アスタ殿のお力を拝借したいのだよ」


 ジェノス侯爵というのは、森辺の民にとっての君主筋である。だから、頭ごなしに命令をされてもなかなかこちらが断るのは難しいところであるのだが、それをこのようにへりくだって申し出てくれているのが、侯爵やポルアースの誠意なのだろう。


 それにたぶん、エウリフィアが俺を城下町に呼びつけることをたしなめていたぐらいなのだから、ジェノス侯だって何か事情がなければこのようなことは言い出すまい。察するところ、負い目のあるバナーム使節団の誰かにせっつかれて、やむなく森辺の民に要請を入れることになった、という図式なのではないだろうか。


 なおかつ、バナームの人々に負い目があるのは、こちらも同様だ。10年前の使節団を襲って交易を断絶せしめたのは、他ならぬスン家の凶賊たちであったのである。

 木べらで卵の煮え加減を確認しながら、俺は「うーん」と頭を悩ませる。


「まあ……祝日の前日や当日でなく、なおかつ夕刻から夜にかけてでしたら……何とかこちらも商売の手を休めず城下町におもむくこともできるかもしれませんが……」


「日取りはそちらにまかせるよ。こちらも祝日には盛大な宴を控えているので、それを外してもらえたほうがありがたい」


「それでは、紫の月の28日か29日あたりでしょうかね」


 俺はそのように答えたが、きっと逡巡の気持ちが顔に出てしまっていたのだろう。ポルアースは眉尻を下げながら笑っている。


「茶会の仕事から半月ていどしか経っていないのに、本当に心苦しく思っているよ。でも、同じように仕事を受け持った他の料理人たちはすっかり準備が整ってしまっているので、僕としてもアスタ殿には同じ場所でその腕前を披露していただきたいのだよね」


「他の料理人ですか。……ひょっとしたら、その中にはヴァルカスも含まれているのですか?」


「うん。ヴァルカス殿とティマロ殿、それにヤンを含めた3名だね」


 それは実に錚々たる顔ぶれであった。

 そういえば、ボズルもあれ以降は姿を見せていないので、俺はまだヴァルカスが『ギバ・カレー』にどのような感想を抱いたのかも聞けていない状態であった。

 俺はしばし悩んでから、「わかりました」と応じてみせる。


「毎度のことながら、俺の一存では決められないことですので、家長や族長とも話し合って、前向きに検討させていただこうかと思います」


 その家長アイ=ファはもちろん最初から俺のかたわらに控えてくれている。

 ルド=ルウは、頭の後ろで手を組んで、呑気たらしく笑っていた。


「料理や商売のことに関してなら、親父たちも口出しはしてこねーだろ。それにしても、アスタは大変だなー。……で? 俺はそいつを親父に伝えりゃいいのかな?」


「いや、ルウ家にはまた別の話があるのだよ。実はその日取りに合わせて、武芸の余興を執り行いたいのだよね」


「武芸? 俺たちに力比べでもさせようってのかい?」


「うん、まさしく力比べだね。より正確に言うなら、剣術の試し合いだ」


 いくぶん真面目くさった顔になりながら、ポルアースはそのように述べた。


「もちろん、刃を落とした試合用の刀を使うし、革の甲冑も纏うので生命を落とす心配はない。その試し合いに、シン=ルウという森辺の狩人に参加してもらいたいのだよ」


「シン=ルウ? どうしてシン=ルウなんだ?」


「そのシン=ルウという人物は、先日の茶会で城下町におもむいていたのだろう? それに参席した貴婦人がたからの、たっての要望でね。タルフォーン子爵家のベスタ姫とマーデル子爵家のセランジュ姫という貴婦人がたなのだけれど、アスタ殿なら覚えているかな?」


「ええ、まあいちおうは」


 名前などは失念していたが、顔見知りの面々とエウリフィアの幼き娘を除けば、貴婦人は2名しか残らない。あの無邪気そうにはしゃいでいた姉妹のような娘さんたちだろう。


「そのタルフォーン子爵家のほうは、サトゥラス伯爵家に連なる家でね。ベスタ姫らがシン=ルウという人物をまた城下町にお招きしたいと話していたら、それを聞きつけたリーハイム殿が、それならば武芸の余興で呼びつければいいと申し出てしまったのだよ」


 リーハイムというのは、当初ギバの料理に強い関心を持っていてくれたのに、レイナ=ルウと何やかんやあって、態度を硬化させてしまった御仁である。

 その前から、ギバ肉を城下町で買い占める算段を立てていた様子もあったそうだし、現状では貴族の中で一番の要注意人物であるかもしれない。


「何となく、この申し出を突っぱねるとまたリーハイム殿が面倒なことを言い出しそうだと見て取って、ジェノス侯は申し出を呑む気持ちになったらしい。リーハイム殿はサトゥラス伯爵家の第一子息であらせられるから、こちらにとっても森辺の民にとってもあまりないがしろにはできない存在なのだよね」


「はい、それはわかります」


 サトゥラス伯爵家というのは、この宿場町を治める家なのである。宿場町での商売を重んじている俺たちにとっては、もともと注意を払わねばならない存在であったはずだ。


「そのリーハイム殿の叔父上が、ジェノスにおいては名うての剣士でね。僕が記憶している限り、メルフリード殿の他にその人物を打ち負かした剣士は存在しない。その人物とシン=ルウという人物で、剣術の試し合いをしていただきたい、という話なのだよ」


「ふーん? 何がどうでもかまわないけどよ。シン=ルウがその貴族を打ち負かしちまったら、余計に話がこじれるんじゃねーの?」


「いや、まがりなりにも剣士の試し合いで、遺恨が残るようなことはないよ。むしろジェノス侯は、森辺の狩人が勝利を収めることを望んでいるのじゃないのかな。……これは個人的な興味で聞くのだけれど、やっぱり森辺の狩人が敗北することはありえないのかな?」


「そんなのは、どういう取り決めの試し合いなのかに寄るけどさ。その貴族があのメルフリードとかいう貴族と同格の腕前だとしたら、さすがにシン=ルウでもかなわないかもしれねーし」


 メルフリードはジザ=ルウなみの力を持つように思える、とアイ=ファはかつてそのように語っていた。また実際、彼はテイ=スンを一刀のもとに斬り伏せているのだ。


(でもルド=ルウは、シン=ルウがメルフリードにかなわない「かも」っていう評価なのか。もしかしたら、この短期間でそれだけルウ家の狩人の力が底上げされてるっていうことなのかな)


 ジザ=ルウは、先の力比べでシン=ルウに勝利し、ルド=ルウを打ち負かしたガズラン=ルティムにも勝利している。そんなジザ=ルウとメルフリードが今でも互角の実力であったら、シン=ルウに勝ち目はないはずであろう。そもそもシン=ルウはルド=ルウにも勝利したことはないのだから、なおさらだ。


 だが、この短期間でシン=ルウがメルフリードに近い実力を身につけたということなら、ルド=ルウやジザ=ルウやガズラン=ルティムはさらにその上を行っている、ということになる。

 メルフリードに恨みがあるわけではないが、森辺の民の一員として、それは喜ばしいことであるように思えてならなかった。


「うーん、どうだろうね。何せメルフリード殿は剣士として頭ひとつ飛び抜けているから、さすがにリーハイム殿の叔父上も同格とまでは言えないかもしれない」


「ふーん。だったら、シン=ルウが負けることはないだろうなー。どんな七面倒くさい取り決めがあったとしても、刀を使った勝負ならそうそう遅れは取らないだろうよ」


「そうか。それは心強いね」


 と、ポルアースは破顔する。


「リーハイム殿もね、別に根っから悪辣な人物ではないのだよ。なおかつ、それほど強靭な人物でもないから、森辺の狩人の力を思い知ったら、こんな悪戯心も今後は起こせなくなると思う。そうしてリーハイム殿が怯んだところで、ジェノス侯は森辺の民にちょっかいを出さないよう強くたしなめる心づもりなんじゃないのかな」


「何だかややこしいんだな。ま、勝負を挑まれてんなら、親父もそれを断ったりはしねーと思うよ」


「それならばこちらも助かるよ。では、これはジェノス侯爵マルスタインからの正式な申し出として、森辺の族長ドンダ=ルウ殿にお伝え願えるかな?」


「了承したよ。何なら、俺がその貴族の相手をしてやりたかったぐらいだぜ」


 ルド=ルウのふてぶてしい微笑とともに、ポルアースとのひさびさの会見は終了した。

 こうして俺たちは、『中天の日』と『滅落の日』の合間を縫って、ジェノスの城下町にまで出向くことを余儀なくされたのだった。

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