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異世界料理道  作者: EDA
第十九章 太陽神の復活祭(上)
344/1675

~箸休め~ 森辺の身だしなみ

2016.6/22 更新分 1/1

・書籍版7巻発売を記念して、番外編のSSを公開いたします。

・本編は来週から更新再開する予定です。

 とある日の早朝。

 水場で洗った鉄鍋や食器を抱えてファの家に戻る道行きで、アイ=ファが「おい」と声をかけてきた。


「アスタよ、また少し髪がのびてきたのではないか?」


「あー、確かにちょっと後ろ髪が鬱陶しくなってきたかも」


「では、水浴びに出向く前に、始末しておくか」


「うん、よろしくお願いするよ」


 俺の散髪は、いつもアイ=ファが受け持ってくれていたのである。

 そんなわけで、ファの家に到着した俺たちは、鉄鍋や食器を片付けたのちに、しかるべき準備を進めることにした。


 アイ=ファに必要なのは小刀、俺に必要なのは大きな一枚布だ。

 家を出て、一枚布をぐるぐると身体に巻きつけて、俺は地面の上にぺたりと座り込む。首から上だけが露出した、出来損ないのてるてる坊主みたいな有り様である。

 アイ=ファは小刀を革鞘から引き抜きつつ、そんな俺の背後に立ちはだかった。


「では、始めるぞ」


「うん、よろしく」


 俺の後ろ髪がやわらかい手つきですくい取られ、しゃっ、しゃっ、という小気味よい音色と感触がほのかに伝わってくる。


 髪先を束でつかみ、その表面を削いでいくような格好で毛量を薄くしていく、というのがアイ=ファ流の散髪の作法であった。俺の昔の知り合いでも、カミソリひとつで前髪を整えるやつがいたが、実に器用なものだと思う。俺なんかが同じやり方で人の頭を預かったら、きっととんでもなく前衛的なヘアースタイルに仕上がってしまうことだろう。


「いつも悪いな。えり足だけは長くなりすぎると落ち着かなくってさ」


「別にかまわん」


「だいたいひと月にいっぺんぐらいはお願いしちゃってるのかな? なんか、ギバ肉を食べるようになってから髪ののびる速度が速くなったような気がするんだよな」


「別にかまわんと言っている。お前に髪に触れるのは、好ましいことだ」


 誤解されないように注釈しておくと、どうやらアイ=ファの親父さんも俺と同じく黒髪であったそうなのだ。ゆえに、アイ=ファは俺の髪に触れることを好んでおり、いつもこうして自分から散髪の仕事を申し出てくれているのだった。


 猫っ毛でくせっ毛である俺の頭はわりあいに理容師泣かせであるはずなのだが、アイ=ファはいつも過不足なくこの難儀な頭を綺麗に仕上げてくれている。しかも毎回ほどほどの長さを残してくれるので、周囲の人たちに散髪したということをまったく気づかせない自然さであるのだ。

 自分の姿など水浴びのときの川面ぐらいでしか確認できないが、たぶん初めてこの森辺にやってきた時分から現在に至るまで、俺は変わらぬヘアースタイルを維持できているのだろうなと思う。


「いっそのこと、ジザ=ルウやガズラン=ルティムぐらいさっぱりした頭にしちまえば、アイ=ファに今ほど面倒をかけずに済むかもな。あるいは、ラウ=レイやダルム=ルウみたいに縛れるぐらい長くのびるのを待ってみるとか」


「……お前はそれを望んでいるのか?」


「いや、別にそういうわけじゃないけど」


 アイ=ファは作業の手を止めて、真横から俺の顔を覗き込んできた。

 吐息がかかるほどの至近距離から、切なげに細められた青い目が俺を見つめてくる。


「お前がそれを望むのならば是非もないが……お前の髪の面倒を見る機会が減ってしまうのは、私にとって決して喜ばしいことではない、ということだけは伝えておく」


「……それじゃあ今後ともよろしくお願いいたします」


「うむ」と満足そうに言い、アイ=ファは作業を再開させた。

 後ろ髪は完了したらしく、今度は側頭部だ。毛先やアイ=ファの指が耳に触れ、少しだけこそばゆい。


「あー、何だか平和だな」


「うむ」


「こんなにぼけっとしていられる時間は、最近では貴重だしな。ぼけっとしてるのは俺だけなんだろうけど」


「かまわんと言っているであろう。私にとっても、これは幸福なひとときだ」


 今度はアイ=ファが正面に回り込んできた。

 俺の前髪をそっとすくいあげ、そこに小刀の刃を走らせる。


「母メイを失った13の年から、私はこうして父ギルの髪を整えていた。わずか2年の時間であったが、私には大事な思い出だ」


「うん」


「そして、こうして自分がまた家人の髪を整えることになろうなどとは、アスタと出会うまでは考えられもしなかったことだ。私はそれを、とても嬉しく思っている」


 言いながら、アイ=ファは優しげに口もとをほころばせる。

 早朝の清涼なる日差しの下で、その笑顔はたとえようもなく綺麗で魅力的に感じられた。


「よし、こんなものだろう。あとは水浴びで洗い流すがいい」


 最後に、とびでた前髪の毛先をぷつんと断ち切ってから、アイ=ファは身を起こした。

 俺も立ち上がり、まずは一枚布の髪を払い落としてから、頭をわしゃわしゃとかき回す。黄色い地面に切り落とされた黒髪が撒き散らされ、ささやかなる幾何学模様を描いていた。


「うーん、やっぱりうなじがすっきりするな! ありがとう、アイ=ファ」


「……何だ、その頭は」とアイ=ファはまた微笑を浮かべ、俺の頭に手をのばしてきた。きっとあちこち跳ねあがってしまったのであろう俺の髪を、そうして優しく撫でつけてくれる。


「こういうときは、何だかアイ=ファもお母さんみたいだな」


「私とて、いちおうは女衆であるからな」


「それじゃあ水浴びと薪拾いに出発しようか」


「待て。私も少し髪を整えておきたい」


 そう言い放つや、アイ=ファは綺麗にまとめていた髪をさらりとほどいた。

 金褐色の長い髪が、きらきらと朝日を反射させる。


「たまには手を入れねば、結いあげるとき指にひっかかって不快だからな」


 そのように述べて、アイ=ファは毛先に刀を入れ始めた。

 しかし、この見事な髪でも枝毛などが生じたりするのだろうか。シャンプーも何も使っていないのに、うっとりするぐらいの美しい髪である。


「ふむ。私のほうこそ、髪などは短く切りそろえるべきなのかもしれんな」


「えっ!」


「10歳を越えた女衆は伴侶を迎えるまで髪をのばし続ける習わしだが、私は狩人なのだから伴侶を迎えることもない。このまま何年もその習わしを守っていたら、いずれは結いあげることさえ難しい長さになってしまうだろう」


「…………」


「アマ・ミン=ルティムのように短くしてしまえば、何の手間もかからなくなる。ならば、いっそのこと――」


「えええええ。髪を切っちゃうの? それはやめようよぅ」


「……何だその薄気味悪い喋り方は。まるでリミ=ルウのようではないか」


「それじゃあまるでリミ=ルウも薄気味悪いみたいじゃないか」


「リミ=ルウは愛くるしいが、大の男衆が幼子のような口をきいたら薄気味悪いのが当然であろう」


 横目で冷ややかににらみつけられつつ、俺は負けじとアイ=ファに詰め寄る。


「つい動揺して薄気味悪くなってしまったことは謝罪しよう。でも、アイ=ファが髪を切るのは反対だ」


「何故だ? 狩人が髪などをのばしても邪魔にしかならん」


「え……だけど、そんなに綺麗な髪なんだから、もったいないじゃないか?」


 アイ=ファは、きょとんと目を丸くする。


「私は、狩人だ。髪などが綺麗でも何の得にもなりはしない」


「損得の問題じゃないだろう。とにかく、習わしを破ってまで髪を短くしてしまうのは反対だ!」


「……まったくおかしなやつだな、お前は」


 アイ=ファは小刀を革鞘に収め、俺のほうに顔を寄せてくる。


「しかしまあ……お前がジザ=ルウのような頭をするのは似合わなそうだからな。そういう意味で、私に短い髪が似合わないということなら、理解できなくもない」


「いや、アイ=ファだったらどんな髪形でも似合いそうだけどな。でも、やっぱり切ってしまうのはもったいないよ」


 アイ=ファの髪は、ほどくと腰に届きそうなぐらい長い。今はその長い金褐色の髪がしなやかな肩や胸もとに流れ落ち、まるで玉虫色のヴェールをかぶっているような格好になっている。

 なかなか明るい日の下では見ることのない姿だ。

 きりりと髪を結いあげたアイ=ファも、こうして自然に髪を垂らしたアイ=ファも、俺はどちらも愛おしくてたまらなかったのだった。


「……要するに……」と、アイ=ファが再び俺の頭に手をのばしてきた。

 温かい指先が、慈しむように俺の髪を撫でさする。


「私がお前の髪を好ましく思っているように、お前も私の髪を好ましく思っている、ということか、アスタよ」


「ああ、それが一番近いかもしれない」


「だったら最初からそのように言え。お前がそのように思っているのなら、私とてむやみにその気持ちを踏みにじったりはしない」


 と、アイ=ファの指先がいきなり狩人としての力を発揮して、俺の頭をわしづかみにしてきた。

 そのままあらがうすべもなく、俺の頭は30センチばかりも下げられてしまう。


「だからお前も、決してこの髪をぞんざいに扱うのではないぞ?」


 そうしてアイ=ファは俺の頭を両手でかき抱き、愛おしくてたまらぬように頬ずりをしてきた。

「わかりました!」と叫んでも、アイ=ファの腕は俺を離さない。アイ=ファがいったんこのモードに突入してしまうと、30秒ばかりは拘束され続けることになるのだ。アイ=ファの体温や甘い香りやあちらこちらの感触に蹂躙され、俺のほうはもうわやくちゃである。


 斯様にして、藍の月の11日におたがいの心情を打ち明けあい、うかつに触れ合うような真似ができなくなってしまうまで、ファの家では月に1度の頻度でこのようなスキンシップが敢行されるのが定例と化しつつあったのだった。

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