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異世界料理道  作者: EDA
第十九章 太陽神の復活祭(上)
343/1675

暁の日⑤~炎のギャムレイ~

2016.6/9 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 雑木林の道を進むと、また革張りの幕に行く手をさえぎられた。

 直径20メートルていどの丸い空間であるはずだが、もうずいぶんと歩かされた心地がする。暗がりの道を進むというのは、やはり時間や距離の感覚を狂わされるものであるらしい。


 案内人はいなかったので垂れ幕を引き開けると、案に相違して、そこにもまた雑木林が延々と広がっていた。

 ただし、左右には内幕が張られている。たっぷりと5メートルぐらいの幅を持った、雑木林の道だ。

 どの幕にも窓はなく、やはり間遠に吊るされたカンテラの光で道はぼんやり照らされている。


「……どこかに何者かが潜んでいるようだな」


 と、アイ=ファが低い声でつぶやいた。

 あちこちに木が立っているため、死角は多い。今度は誰がどのような芸を見せてくれるのだろう。


 すると頭上から、グルルルル……という獣のうなり声が聞こえてきた。

 黒猿と銀獅子と豹の他に、まだ獣の準備があったのだろうか。

 いやしかし、獣使いのシャントゥはさきほどの場所で黒猿の面倒を見ているはずである。それでも一時は天幕を離れて屋台のほうに来ていたから、あの老人がいなくとも獣たちは芸をすることができるのだろうか。


 そんなことを考えていると、ダルム=ルウが「ぬう」と緊迫した声をあげた。

 頭上の梢に、ぎらりと金色の眼光が瞬いたのだ。

 それは、黒猿や銀獅子に劣らぬ恐ろしげな眼光であった。

 闇と同じ色の毛皮を有しているのか、その姿はまだ見て取ることができない。


「……何だよ、ありゃ?」とルド=ルウも気の張った声をあげる。

 見ると、アイ=ファもこれまでで一番厳しい眼差しをしていた。

 これは、黒猿よりも危険な猛獣であるのだろうか。


 そして――驚くべきことが起きた。

 グルグルと咽喉を鳴らしていたその獣が、いきなり人間の言葉で俺たちに語りかけてきたのだ。


「ヨウコソ……ぎゃむれいノイチザニ……」


 擦過音まじりの、濁った声音であった。

 だけどそれは、まぎれもなく人間の言葉であった。


「ワタシハ、ぜったデス……ザチョウぎゃむれいノモトニ、アナタガタヲゴアンナイイタシマス……」


 ゼッタというのは、ピノからも聞いていた名だ。

 座長ギャムレイとともに、日中は寝て過ごしているという人物のはずである。


 しかしその鬼火のように瞬く瞳からは、人間らしい知性などまったく感じられなかった。

 そうであるにも拘わらず、彼は人間の言葉を発している。


(これはもしかしたら、オウムみたいに人間の言葉を覚えることができる獣なんじゃないか?)


 そのようにしか思えないほど、その眼光は野獣めいていた。

 そして――至極唐突に、異変が訪れた。

 アイ=ファがいきなり俺の頭をわしづかみにして、地面に押し倒してきたのである。


 それと同時に、夜闇に白刃が閃いた。

 アイ=ファが腰の小刀を抜き、それを一閃させたのだ。


「きゃあっ!」とユン=スドラが悲鳴をあげて、俺の隣にうずくまってきた。

 見上げると、左を向いたアイ=ファと背中合わせになる格好で、ギラン=リリンも小刀を抜いている。


「アスタ、決して頭をあげるなよ。曲者だ」


「く、曲者?」


 アイ=ファの目が、青い炎と化していた。

 ひさかたぶりに見せる、狩人の眼光である。


 そして俺は、手もとに転がっている奇妙な物体に、ようやく気づくことができた。

 それは真ん中のあたりでぽっきり折られた、矢の先端部であった。


「幕の上から矢を射かけられたか。ずいぶんたいそうな数がこちらに近づいてきているようだな」


 不敵な笑いを含んだダン=ルティムの声が響く。

 俺の位置からではよく見えないが、みんなそれぞれペアとなった女衆を守っているのだろう。


 俺は慌てて視線を上側に向けてみたが、やっぱりどのような異変を見て取ることもできなかった。

 2メートルばかりの高さを持つ内幕の上は、完全なる暗闇に閉ざされてしまっている。


「いかん。この場所は危険だ」


 と、アイ=ファが俺の腕をつかんでくる。


「頭は上げぬまま、進め。賊どもは後方からも近づいてきている」


 言葉を返す余地もない。他のみんながどのように動いているのかも把握できぬまま、俺はアイ=ファやユン=スドラとともに闇の中を駆けた。

 そうして数メートルも進まぬ内、今度は右側に腕を引かれる。

 ばりばりという不穏な音色とともに左側の内幕が引き裂かれて、そこから黒い影が飛び出してきた。


 アイ=ファは無言で小刀をふるう。

 ガキンッと硬質の音色が響き、そこに「ぬおっ!」という男の声が重なった。

 横合いからふるわれた斬撃を、アイ=ファが弾き返したのだ。

 アイ=ファは小刀で相手は巨大な蛮刀であったにも拘わらず、後方にのけぞったのは男のほうだった。


 アイ=ファはそのまま後ずさり、手近な木の幹にぴたりと背をつける。

 アイ=ファに腕を引かれていた俺も、同様だ。


 黒い影は、5つばかりもあるようだった。

 カンテラの火は遠く、どのような姿をしているのかまではわからない。


「アスタ」とアイ=ファがいきなり俺の身体を抱え込んできた。

 右手で小刀をかまえたまま、左手一本で俺を抱きすくめてきたのだ。


「ア、アイ=ファ、いったいどう――」


 俺の声が、ひゅんっと小刀を振り払う音にさえぎられる。

 かさっと足もとの茂みが小さく鳴った。

 また矢を撃たれて、アイ=ファがそれを斬り払ってみせたのだ。


「私から離れるな。今の私では、この間合いが精一杯だ」


 アイ=ファはまだ負傷中の身なのである。

 アイ=ファの体温を全身に感じながら、俺はパニック状態になりかけてしまっていた。


「くたばりやがれ!」


 濁った声をあげながら、男のひとりがまた刀で斬りかかってくる。

 が、アイ=ファが応じるより早く、横合いからふるわれた刀がその斬撃を弾き返した。

 それと同時に、凶賊の影がふわりと浮きあがり、宙に弧を描いてから地面に叩きつけられる。

 凶賊はうめき声をあげ、それを撃退した人物が俺たちの前に立ちはだかった。


「これはいったいどういう了見なのでしょうな。わたしどもには、刀を向けられる覚えもないのですが」


 それは、ギラン=リリンの穏やかな声であった。

 内幕を破って出現した残りの男たちは、それぞれの得物を掲げて、じわじわと距離を詰めてくる。

 そこにまた、新たな敵影も近づいてきた。

 俺たちが通ってきた垂れ幕を乱暴に引き開けて、3名ばかりの男たちが踏み込んできたのだ。


「ちッ、ここにもいやがらねえ! おい、あのくそったれはどこに行きやがった!?」


 そちらの男たちは、全員が松明を掲げていた。

 それでようやく、俺もそいつらの姿をはっきり視認することができた。


 粗末な布の服に、革の胸あてや篭手だけをつけた、西の民の無法者たちである。

 人数は、最初のが5名、新たに現れたのが3名。全員が、刀か弓を携えている。


「……貴様たちは、何者だ?」


 と、俺たちが進もうとしていた方向から、ダルム=ルウの声があがった。 そちらに目を向けて、俺は安堵する。森辺の同胞たちは、俺たちと遠からぬ位置にたたずみ、狩人の眼光を闇に燃やしていた。

 こちらの2組を除いた全員で輪を作り、女衆たちを囲んでいるのだろう。前面に見えるのは、ダルム=ルウとダン=ルティムであった。


 凶賊どもは、俺たちとダルム=ルウたちの姿を見比べてから、「ハッ!」と咽喉を鳴らす。


「聞いてるのはこっちなんだよ! 手前らも芸人どもの仲間か?」


「何だろうが、かまわねえ。居合わせたやつは皆殺しにしちまえ!」


 おぞましい喜悦にひび割れた声で言い、男のひとりが松明を雑木林の真ん中に放り捨てた。

 下生えの草がぶすぶすとくすぶって、危険な臭いと煙をあげ始める。


「あくまで俺たちに刀を向けるつもりか? そうだとすれば、掟に従って右腕をいただくことになるぞ」


 ダルム=ルウの声は、気迫に満ちみちていた。

 アイ=ファはようやく俺を解放し、木の幹に押しつけてから、ギラン=リリンとともに凶賊と相対する。


 すると、ギラン=リリンの背後で小さくなっていたユン=スドラが、震える指先で俺に取りすがってきた。

 俺は「大丈夫だよ」と囁いてみせる。


「同じていどの人数だったら、森辺の狩人が遅れを取ることはないはずだ。俺たちは、みんなの邪魔にならないように気をつければいい」


「は、はい……」


 そのとき、獣の咆哮が頭上から爆発した。

 あの、金色の目を持つ謎の存在が、木の上から凶賊どもに躍りかかったのだ。


 男たちは、その存在に気づいてもいなかったのだろう。「うわあ!」と惑乱した声をあげ、何名かはぶざまに倒れふすことになった。


 そして俺は、愕然と立ちすくんでしまう。

 そうして姿をあらわにしても、俺はその存在の正体を把握することができなかったのだ。


 それは全身が漆黒の毛に覆われており、そういう意味では黒猿に似ていた。

 しかし黒猿よりは遥かに小さく、せいぜいルド=ルウぐらいの大きさしかないようだった。


 黒猿よりも長い毛並みをしていたので、どのような体格をしているのかは判然としない。

 そんなに図太いわけではないし、そんなに細っこいわけでもない。普通の体格をした、普通の人間ぐらいに見えてしまう。


 そうであるにも拘わらず、その者はぎらぎらと金色に目を燃やし、大きく開いた口から牙を覗かせ、雷鳴のような咆哮を轟かせていた。


 最初の一撃で男のひとりを吹き飛ばした後は、地面に着地し、次の獲物に跳びかかる。その俊敏さも、獣そのものだ。

 鋭い爪に顔面をえぐられて、2人目の男が地に沈む。

 3人目の男は、恐怖の形相で蛮刀を振り下ろした。

 その斬撃をかいくぐり、人獣は右足を旋回させる。

 男は足もとをなぎ払われて倒れ込み、その隙に人獣は男たちの刀の届かない場所にまで素早く跳びすさった。


「ば、化け物め!」


 男のひとりが、至近距離から矢を放った。

 人獣は無造作に右腕を振り払う。

 それで軌道をそらされた矢は、樹木の幹にぐさりと突き刺さった。


「オキャクジンハ、オニゲクダサイ……フラチモノメラハ、コノぜったガセイバイイタシマス……」


 人獣ゼッタが、地鳴りのような声でつぶやいた。

 それで男たちは、いっそうの恐慌にとらわれる。


「ふむ! 実に驚くべき姿だな! 噂に伝え聞くモルガの野人でも、もう少しは人間がましい姿をしていよう!」


 笑いを含んだ声で、ダン=ルティムがそのように応じる。


「まあそれはともかくとして、どうやらこの行く先でも何やら騒ぎが巻き起こっているようなのだ。この場に留まるべきか、あくまで道を進むべきか、俺たちはどうするべきであろうかな?」


 人獣ゼッタは困惑したように押し黙った。

 すると、別なる声がダン=ルティムの問いに答えた。


「ならば、その場に留まっていただこう! せっかくここまで足を運んでくださったのだから、俺の芸を見てからお帰りいただきたい!」


 俺も無法者たちも、いっせいにその方向を振り返ることになった。

 俺やアイ=ファの背中側にあった幕がぱくりと口を開け、そこから新たな人物が登場してきたのである。


「まったく、無粋な連中だ! 銅貨も払わずにこのギャムレイの天幕に足を踏み込むなど、どこの貴族にも許されぬ所業だぞ?」


 そのように言いながら、男は実によどみのない足取りでこちらに近づいてきた。

 俺たちとダルム=ルウたちの間を通りすぎる格好で、凶賊どもと向かい合う。


 それは、奇っ怪な男であった。

 背の高い、壮年の男である。

 黒褐色の巻き毛を長くのばし、頭には赤く染めたターバンのようなものを巻いている。異様なぐらいの鷲鼻で、目は落ちくぼみ、頬の肉はそげ、とがった下顎にはヤギのような長い髭をたくわえている。瞳の色は普通に茶色だが、その左側は眼帯で隠されていた。


 その長身に纏っているのも、やはり真っ赤な前合わせの装束であり、その下には黒い胴衣とバルーンパンツのようなものを着込んでいる。長衣には金色の糸で複雑な刺繍がほどこされており、首や腕にはこれ見よがしに飾り物が下げられていた。


 そしてもうひとつ、特筆するべきことがある。

 その人物は、左腕を欠損していたのだ。


「手前……ギャムレイだな! 俺の顔を見忘れたとは言わせねえぞ!」


 男のひとりが、蛮刀を手に一歩進み出た。

 隻眼にして隻腕の男ギャムレイは、にやにやと笑いながらそちらを振り返る。


「あいにく、見忘れてしまったな。俺の片目は火神に捧げてしまったので、うつつのことは半分ていどしか見覚えることができないのだ」


「俺たちは手前らに積荷を奪われた《青髭党》だ! 党首の仇をここで討たせてもらうぞ!」


「覚えのない名前だねえ。野盗の名前などいちいち覚えていられるものか」


 ギャムレイは、小馬鹿にしきった様子で長い顎髭をしごく。

 その間に、俺たちはダルム=ルウらと合流させていただくことにした。


 アイ=ファを筆頭に、狩人たちは油断のない目つきでこのやりとりを見守っている。

 この行く手にも賊が待ち受けているならば、ひとまずはこの場の騒ぎがどのような形で収束するかを見届けるしかないだろう。


 ぱちぱちと炎をあげ始めた地面の松明の火をはさむ格好で、奇人ギャムレイと凶賊どもは向かい合っていた。


「それに、俺たちに積荷を奪われたということは、ろくでもない野盗に決まっている。心配せずとも、積荷はもとの持ち主に返してさしあげたよ。俺たちは、芸を売る以外で代価は得ないという誓いをたてているのだからね」


「手前……!」


「しかし、そんなろくでもない野盗どもがずいぶんごたいそうな名前を名乗っているものだ。《赤髭党》にちなんでいるならば、それ相応に誇り高くふるまってほしいものだよ」


 言いながら、ギャムレイは足もとで燃えている松明のほうを指し示した。


「それに、知っているかい? 町での火つけは人を殺めるより重い罪だ。この俺の城もジェノスの領土を借り受けて建てられているのだから、このような無法は衛兵たちも許すまいよ」


「御託はそこまでだ! ぶっ殺してやる!」


 男は大上段に刀を振り上げて、ギャムレイに襲いかかった。

 ギャムレイは、悠揚せまらずそちらに右の手の平を差し向ける。


 瞬間――俺の視界が、真紅に染まった。

 何が起きたのかわからない。

 ただ、俺の視覚が回復すると、さきほどの男が刀を取り落として、苦悶の絶叫をあげていた。


 その顔面が、炎に包まれている。

 髪の毛の燃える嫌な臭いが、ぷんと俺たちのもとにまで臭った。


「俺だって、芸を見せるのには細心の注意を払っているのだよ? 一歩間違えれば火つけの罪人として捕らわれてしまうのだからね」


 そんな風に言いながら、ギャムレイは俺たちのほうに気取った仕草で一礼してきた。


「それではお客人がた、《ギャムレイの一座》の座長たるギャムレイの芸を、とくとご覧あれ」


 ギャムレイの右腕が、再び虚空に振り払われる。

 それと同時に、信じ難いことが起きた。

 雑木林の真ん中で燃えていた松明から、蛇のように炎がのびて、しゅるしゅると男たちに襲いかかったのである。

 新たな絶叫が響きわたり、ふたりの男が炎の縛鎖にからめ取られる。


「こ、こいつも化け物だ!」


 男のひとりが、震える指先で弓を引き絞る。

 ギャムレイは、三たび腕を振り払った。

 空中に爆炎が生まれいで、放たれた矢はその勢いであらぬ方向に弾かれてしまう。


「そら、足もとがお留守だよ」


 ギャムレイは身を傾け、右手の指先で地面を掻くような仕草を見せた。

 すると炎が地面を走り、生あるもののように男たちの足もとを燃やす。


「お次は、宙に火の花を咲かせます」


 またギャムレイが腕を振り払う。

 ポンッ、ポンッ、と小気味のいい音をたてて、暴れ狂う男たちのもとで赤や青や緑の火花が弾け飛んだ。

 もはやその場は阿鼻叫喚、炎熱地獄のような有り様になってしまっている。


 これが魔法でないのなら、引火性の油や火薬を使った奇術なのだろう。

 だけど俺には、そのトリックを見破ることなど、とうていできそうになかった。


「それでは、最後の芸とまいりましょう」


 炎に炙られて陰影の濃くなったギャムレイの顔は、まるで魔神のように見えてしまった。

 その右手が、ぐいっと左目の眼帯を引き剥がす。

 そこに隠されていたのは、眼窩に埋め込まれた炎のように赤い宝石であった。


「火神ヴァイラスよ、汝の忠実なる子にひとしずくの祝福を!」


 ギャムレイは、その身に纏った真紅の長衣の裾をつかむや、それを羽ばたかせるようにして右腕を振り払った。


 さきほどの火花とは桁違いの勢いで三色の炎が渦を巻き、男たちを包み込み、絶叫をあげさせる。

 もの凄まじい炎の乱舞であった。

 ばちばちと音が鳴り、そのたびに何色もの火炎の花が咲いては消える。

 十分な距離を取っている俺たちのほうにまで、暴力的な熱気が襲いかかってきた。


 恐ろしくも、美しい光景である。

 が、このままでは男たちが焼け死んでしまう。

 俺がそのように考えたとき、視界がいきなり黒く染まった。


 すっかり存在を黙殺されていた人獣ゼッタがどこからか取り出した巨大な壺を抱え、その中身を男たちにあびせかけたのだ。

 それは青臭い樹液のような香りのする、湿った土だった。

 その土で覆われると、あれほど荒れ狂っていた炎が一瞬で消え去り、後にはうずくまってうめき声をあげる男たちの姿だけが残された。


「おやァ、そっちも片付いちまったのかい?」


 と、あらぬ方向からピノの声が聞こえてきた。

 俺やアイ=ファが陣取っているのとは逆方向、天幕の奥側だ。


「慌てて駆けつけてきたのに、無駄足になっちまったねェ。ま、誰にも怪我がなかったんなら、何よりだァ」


 俺たちのすぐ後ろにはダン=ルティムの巨体がそびえたっていたわけだが、その肩ごしにピノの姿を確認することができた。

 ピノは、ダン=ルティムよりも巨大な存在――ヴァムダの黒猿の肩に乗って登場してきたのである。

 森辺の狩人たちがそれぞれの女衆をかばいつつ道を開けると、黒猿のごつい腕にぐんにゃりと力を失った男の身体が左右にひとつずつ抱えられているのが見えた。


「こっちも全員、片付いたよォ。天幕の外にも見張り役がいたみたいだけど、そっちはシャントゥ爺が何とかしてくれたみたいだねェ」


「そうか。まったく野暮な賊どもだ」


 そのように言い捨ててから、ギャムレイはまた気取った仕草で俺たちに一礼してきた。


「それでは、以上でギャムレイの芸は終了となります。今宵は斯様な場にお越しいただき、まことにありがとうございました」


 そうしてゆっくり面を上げると、左目に赤い宝石を光らせながら、ギャムレイはにっと微笑んでいた。


                  ◇


 それから、しばらくののち。

 当然のこと、天幕には凄まじい人だかりができてしまっていた。


 20名近い野盗どもが荒縄で捕縛され、衛兵たちに引き立てられていったのである。

 天幕の内部にいた座員と客たちは事情を聴取されることになり、道行く人々はそれを見物する格好であった。


 ダン=ルティムが言っていた通り、野盗どもは何組かに分かれて、別の場所からも襲撃を企てていた。が、それらは座員や獣たちによって取り押さえられ、驚くべきことに、客のほうでは一切被害が出なかったらしい。


 主に活躍することになったのは大男ドガと甲冑男ロロ、それに黒猿とヒューイとサラであったらしく、彼らがどれほど果敢であったかを、その場に居合わせたお客たちは熱っぽく語っており、見物人たちを大いに楽しませたようだった。


「まったく、初日からこの騒ぎでは先が思いやられるな」


 俺たちの事情聴取を割り振られた衛兵のマルスは、げんなりした様子でそのようにぼやいていた。


「《青髭党》というのは、どこかであの芸人どもと悪縁を結んで以来、仲間を増やしながらその後を追っていたものらしい。わざわざ『暁の日』を復讐の日取りに選んだのは、しょうもない悪名を世間に轟かせんと目論んだためなのであろうな。まったく、忌々しいやつらだ」


「本当に大変な騒ぎでしたね。……あの、《ギャムレイの一座》は明日からも商売を続けることが許されるのでしょうか?」


「あいつらに非はないからな。それどころか、ジェノスの民と町を守り、手配中であった盗賊団を残らず引っ捕まえることになったのだから、追い出されるどころか褒賞金を与えられるぐらいだろう」


 それが不本意でたまらないように、マルスは深々と息をつく。


「……それにしても、そんな騒乱の場に、よりにもよってお前たちが居合わせるとはな」


「お、俺たちは純然たる被害者でありますよ?」


「そんなことはわかっている。が、こんな凶運に見舞われないよう、今後も身をつつしんでおくことだ」


 俺たちはこれで解放されるが、きっとマルスたちにはさまざまな残務処理が待ち受けているのだろう。祭のさなかに、気の毒なことである。


「それでは、森辺に帰るがいい。野盗どもの言い分によっては、また話を聞かせてもらうからな」


「はい。それでは失礼します」


 そうして天幕を離れようとすると、他の衛兵と話をしていたピノがちょこちょこと駆けてきた。


「ちょいとお待ちを、兄サンがた! ……ゼッタに聞いたけど、アンタがたは自分の刀で身を守ることになっちまったんだってねェ」


 ピノはいつになくかしこまった様子で、深々と頭を下げてきた。


「そんなお手をわずらわせることになっちまったのは、アタシらの不手際さ。本当に、どなたも手傷を負っていないのかい?」


「はい。ご覧の通り、全員無傷です」


「まったく申し訳なかったよォ。お客サンにもしものことがあったら、アタシたちものうのうと商売を続けられなかったさァ」


 そのように言いながらピノはぐるりと視線を回し、それをダルム=ルウのもとでぴたりと固定させた。


「見たところ、アンタがこの一団の長であられるみたいだねェ。座長はまだ衛兵にとっつかまってるんで、アタシが代わりに詫びさせていただくよォ」


「……お前たちは、あの野盗どもから積荷を奪い返し、それを持ち主に返したのだという話だったな。ならば、誰に恥じることもないだろう。俺たちに刀を向けた野盗どもは全員捕らえられたのだから、何も詫びられる筋合いはない」


「本当かい? これからも気兼ねなくアタシたちの小屋に遊びに来てくれるのかねェ?」


「……それを決めるのは俺ではなく、俺の父や兄となるな」


「それじゃあ、その御方たちにも詫びさせていただけるかい?」


 ダルム=ルウは無言で顎をしゃくり、止められた足を進め始めた。

 その先に待つのは、ジザ=ルウたちである。彼らには、衛兵たちの目をすりぬけたルド=ルウによって、すでにさきほどの顛末が語られているはずだった。


(ピノとジザ=ルウが言葉を交わすのか。何だか、ものすごい対面の図だなあ)


 そんなことを考えながら、俺はかたわらのアイ=ファを振り返った。

 歩きながら、アイ=ファはギラン=リリンに頭を下げている。


「さきほどは助力していただき、本当に感謝している。あなたの助力がなかったら、私ももう少し危うい目に合っていたやもしれん」


「そんなことはないだろう。最初の矢だって、わたしよりも早く貴方が打ち払っていたではないか? その身体でそれだけの働きをこなすことができるのだから、貴方は本当に大した狩人だ」


 普段と変わらぬにこやかさで、ギラン=リリンはそのように答えた。


「それよりも、胸の帯がずれてしまったのだろう? 一刻も早く、女衆に直してもらうといい。あのトトスの荷車の中ならば人目を避けることもできるはずだ」


「うむ」とアイ=ファは目を伏せて、ギラン=リリンはダルム=ルウのほうに寄っていった。


「アイ=ファ、胸の帯がずれたのか? ひょっとしたら、折れた肋骨が――」


「どうということはない。あのまま動いていればまた痛めていたかもしれんが、それをギラン=リリンに救われたのだ」


 と、伏せていた目を上げて、キッとにらみつけてくる。


「決して手傷は重くなっていない。だから明日も、私がともに町に下りるぞ?」


「痛めていないならいいんだよ。そんな先回りすることないじゃないか」


 俺は思わず苦笑してしまい、アイ=ファは唇をとがらせた。


「それにしても、大変な騒ぎだったな。まだ目の奥がチカチカしている気がするよ」


「うむ。あの獣のごとき者といい、炎を操る男といい、私たちには理解し難いものばかりだ。……あれらが敵でなかったことを、森に感謝するべきであろうな」


 俺もまったくの同感である。

 だけどあれほどの騒ぎでさえも、まるで祭の一部分であったかのように、通りには変わらぬ熱気と賑やかさが満ちみちていた。


 思わぬ奇禍に見舞われた森辺の面々も、今では平然と歩を進めている。唯一泣きべそをかいていたターラも、リミ=ルウがなだめる内に笑顔を取り戻すことができていた。


 これならば、明日からも問題なく仕事を続けることができるだろう。

 太陽神の復活祭は、本日ようやく始まったばかりなのだ。

 これしきのアクシデントで、くじけてしまうわけにはいかなかった。


「……この宴が終わるのに、まだ10日以上も残されているのか」


 歩きながら、アイ=ファがぽつりとつぶやいた。

 いつのまにやらとがっていた唇もひっこめて、俺と同じように通りを見回していた様子だ。


「うん。色々と大変だろうと思うけど、よろしく頼むよ」


「そのようなことは言われるまでもない。それに――」


 と、アイ=ファは光の足りていない暗がりの中で、いくぶん子供めいた笑みをたたえる。


「町の宴というのも、なかなか楽しいものではないか。野盗どものふるまいはともかくとして、な」


「うん」と俺も笑顔でうなずき返し、相当にご立腹であろうジザ=ルウのもとに足を向けることにした。


 そうして太陽神の復活祭は、初日からたいそうな騒ぎに見舞われつつも、いよいよ本格的に幕が切って落とされたのだった。

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