暁の日③~宿場町の夜~
2016.6/7 更新分 1/1
俺たちが宿場町を目指したのは、下りの四の刻半であった。
一刻がおよそ70分ていどである、と考えると俺などは混乱しがちなのだが、あえて言い換えるならば、午後の5時15分あたりのことだ。
ちなみに日没は下りの六の刻、およそ午後の7時である。
あまり帰りが遅くなってしまっても何なので、五の刻には営業を開始して、七の刻には店じまいをしたい、という目論見であった。
そうなると、営業時間はわずか140分ていどとなり、日中の商売より1時間ばかりも短い計算になってしまうが、それでも商品を余らせることにはならないのではないだろうか、と俺は考えていた。
理由は簡単、このジェノスにおいて晩餐というのは日中の軽食の1・5倍の量を求められるためである。
ならば、普段はふた皿で満足するお客さんたちも3皿ずつを所望するようになり、1・5倍のスピードで商品が売り切れるのではないか、という算段だ。
もちろんこの夜にどれだけのお客さんが来てくれるかは未知数であったから、いざというときにはもう1時間ぐらいは延長する覚悟を固めている。就寝の早い森辺の民でもそれぐらいなら睡眠不足になることはないだろう、という打ち合わせを経ての計画であった。
で、何とかかんとか下準備を終えて、予定通りの刻限に宿場町へと到着したわけであるが、町は日中と変わらぬ賑わいを見せていた。
この時刻に宿場町へ下りたのは初めてのことなので、普段と比較してどれぐらいの賑わいであるのかはわからない。
だけどとにかく、宿場町は賑わっていた。
宿屋の前に出されていた椅子や卓は片付けられて、ふるまいの肉や果実酒もとっくに尽きた頃合いであろうに、人々は浮きたった様子で街道を行き交っている。この夜を目指してジェノスに到着した人も多いのか、普段よりも荷車やマント姿の旅人が多いようにも感じられた。
ともあれ、商売の準備である。
いつも通り、屋台を借り受ける班と宿屋に料理を届ける班に分かれて、それぞれの道を取る。護衛役の狩人たちも、それに合わせて人数を散らした。
ちなみにかまど番の人数はこれまで通り14名であったが、勝手のわからない夜間の営業ということで、護衛役は13名に増員されていた。
それに視察役のスフィラ=ザザが加わるので、総員は28名。4台の荷車に6名ずつ、さらにミム・チャーとレイ家のトトスに2名ずつを乗せての、過去最大の人数と相成った。
護衛役で、俺と馴染みが深いのは、アイ=ファ、バルシャ、ルド=ルウ、シン=ルウ、ラウ=レイ、ダン=ルティム――それにジザ=ルウとガズラン=ルティム、さらにはダルム=ルウ、ジィ=マァム、ギラン=リリンという顔ぶれまでもが出そろうことになった。名前のわからない残り2名はムファとミンの男衆であるという話であったから、ルウの7つの眷族がくまなく網羅されていることになる。
それにしても驚くべきは、ルウ本家の兄弟3名が勢ぞろいしていることであろう。いまだ右手の傷が治らないダルム=ルウであるが、左肩は完治したので護衛の役には問題なし、という話になったものらしい。
ちなみにルウ家のかまど番は、もともとの当番であったシーラ=ルウとリミ=ルウに加えて、ララ=ルウの姿もあった。
これは仕事後の《ギャムレイの一座》の見物に参加したいため、レイ家の女衆と当番を代わってもらったのだそうだ。
とにかくそんな顔ぶれで、俺たちは商売の準備に取りかかることになった。
開放したままであった青空食堂も、果実酒や肉汁が卓にこぼされてしまっていたものの、椅子が盗まれることもなく無事に俺たちを待ってくれていた。
担当の人間は料理や鉄板を温め、手の空いた人間は食堂の清掃に取りかかる。
新人のかまど番たちもだいぶん仕事や場の雰囲気になれてきたようで、とりたてて問題は見られない。
「何だ、今日は夜も屋台を開いてくれるのか?」
と、目ざといジャガルの一団がわらわらと寄ってきてくれた。
「はい。祝日だけは、夜も営業をしようかと。昼間は商いを禁じられてしまいますしね」
「そいつはありがたい! どうせ宿屋の食堂は満杯だろうし、どこで飯を食うか悩んでいたんだよ!」
彼らは本当に嬉しそうな顔をしてくれていた。
「夜に店を出すのは初めてなのですが、料理屋以外の屋台もけっこう出ているのですね。これもやっぱり祝日ならではなのでしょうか?」
「ああ、普段はわざわざ夜に鍋や壺を買う人間なんていないからな。それでも祝日なら気も大きくなる人間が多いから、商人たちも昼間に稼げなかった分を取り戻そうとしてるんだろう」
露店区域も、日中の8割ていどの割合で店が出されていたのだ。
だけどやっぱり、生活用品よりは飾り物や綺麗な織物の店が主であるように見受けられる。それに、中には商売そっちのけで酒を酌み交わしている人々もいるようだった。
「お、そろそろ五の刻か」
と、後ろのほうにいたお客さんがぽつりとつぶやいた。
見ると、屋根なしの大きな荷車をトトスに引かせた衛兵たちが、南の方角からやってきたところであった。
通りにあふれた人々を追いちらし、街道の真ん中に何か大きな荷を置いては、こちらに粛々と進軍してくる。そして、その荷の置かれた場所には2名ずつの兵士が居残って、長柄の木槍を掲げていた。
「あれは何をされているのですか?」
「うん? ああ、あれは火の準備だよ。ジェノスならではの習わしだな」
そんな話をしている間に、衛兵たちは俺たちの店の前にもやってきて、街道の上に積荷を下ろした。
それはひとかかえもある大きな鉢であり、木の骨組みで1・5メートルぐらいの高さに革の屋根が張られているようだった。
暗くなったら、鉢の中の燃料に火を灯すのだろう。革の屋根は、急の雨に備えたものであるに違いない。
そんな火鉢が、7、8メートル置きに転々と置かれている。置かれている場所は、10メートルもの道幅を持つ街道のど真ん中だ。これならまあ、荷車が通行する邪魔にもならないし、屋台や家に延焼する危険もないだろう。
しかしこの石の主街道は、宿場町の区域だけでも数百メートルものびている。この間隔で南の端まで衛兵が2名ずつ配置されているとなると、それだけでものすごい人員が必要となるはずであった。
「祝日だからな、普段以上の人手を割いてるんだろう。そもそも普段は夜に屋台を出す人間も少ないから、みんな南側に集められて、火の準備もそのあたりにまでしかされていないよ」
「なるほど。で、みんなが寝静まった頃に撤収するわけですか?」
「そうだろうね。俺だってその頃は寝具の中だから見たことはないが、火鉢を片付けた後は松明を持った衛兵がぞろぞろ巡回してるって話だよ」
城下町の外は襲撃者を避ける石塀もないので、そうして人海戦術で町は守られているのだ。宿場町のみならず、トゥランやダレイムだって同じように守られているのだろう。護民兵団というものには少なからず苦い記憶を持つ俺でも、彼らの働きには頭が下がる思いであった。
と、そんなことを考えていたところで、北の端からトトス連れで戻ってきた衛兵が俺の屋台に近づいてきた。
「おい、お前たちも夜に店を開くのか?」
サトゥラス区域警護部隊、五番隊第二小隊長のマルスである。
俺は笑顔で「はい。そちらもご苦労さまです」と返事をしてみせた。
「本当にご苦労だ。頼むから、俺の仕事を増やしてくれるなよ?」
むっつりとした顔で言ってから、マルスはちょっと切なげに屋台の鉄鍋を覗き込んできた。
「それにしても、胃袋にこたえる香りだな。タラパの煮込み料理か」
「はい。食事がこれからでしたら、おひとついかがです?」
「馬鹿を抜かすな。仕事の最中に買い食いなどできるか。詰め所では、きちんと当番の者が食事をこしらえてくれているのだ」
そんな風に言いながら、マルスは未練たらしく鉄鍋の中身を見つめていた。
汁物ではなく煮付けであるが、タラパのソースがこぽこぽと小気味のいい音をたてて、実に蠱惑的な香りをたちのぼらせている。
「……それではな。特にこの店はあのような連中の差し向かいにあるのだから、くれぐれも騒動には気をつけろ」
そうしてマルスは毅然と背筋をのばして立ち去っていった。
あのような、とは、もちろん《ギャムレイの一座》のことであろう。茜色に染まりつつある空の下、巨大な天幕は静まりかえっている。どうやらまだ本日の営業は始まっていないらしい。
「なあ、俺たちも腹が減ってきちまったよ。まだ準備はできないのか?」
ジャガルのお客さんにせっつかれて、俺は左右の屋台を見回してみた。
ルウ家の意見をまとめたアマ・ミン=ルティムが笑顔で手を振り、トゥール=ディンとヤミル=レイもうなずき返してくる。
「はい、それでは販売を開始いたします」
普段のように、何十名もの人々が待ち受けていたわけではない。が、こんな北の端でも人通りは多かったので、すぐにいつもと変わらぬ勢いでお客さんたちが押し寄せてきた。
それに、ここまで屋台を引いてきたのだから、道行く人々にも本日の営業は伝わっていただろう。南の側からもどんどん人々はやってきて、気づけばいつも以上の賑わいになってしまっていた。
本日からは、混雑を予想して試食も取りやめている。俺は準備された木皿に次々と『タラパの煮付け』をよそうことになった。
銅貨を受け取るのは、今日が最後の参加となるアイ=ファだ。どれだけお客に押しよせられても、アイ=ファは凛然と仕事をこなし、手ぬかりなく売り子の役目を果たしてくれた。
で――営業開始10分ほどで、ララ=ルウが俺のもとに飛んでくることになった。
「アスタ! 席が全然足りないよ! だからみんな、あっちの空き地に敷物を広げ始めちゃってるの。これって、掟破りなんだよね?」
「え? うーん、そうだねえ。俺たちの準備した木皿で食べている以上、俺たちの責任かな」
「だったら、宿屋で場所代を払ってくるよ! シーラ=ルウがそうするべきだって言ってるんだけど、アスタもそれでいい?」
「うん。その銅貨はファとルウで半分ずつ払おう」
「わかった! シン=ルウ、一緒に来て!」
そうしてララ=ルウは人混みの向こうへと消え去っていった。
出だしから、いきなりのアクシデントである。
合計で屋台8つ分のスペース、84席でもまったく足りなかったらしい。
(こいつはまいったな。初日の勢いをなめてたかもしれない)
『暁の日』からは客入りが倍増する、とは聞いていたが、青空食堂を開店する前と昨日までの間で、すでに客足は倍近くのびていたのだ。さらにそこから飛躍的に客足がのびるなどとは、俺たちも予想できていなかった。
もちろんこれは祭の初日の祝日ゆえの勢いなのかもしれないが、何にせよジェノスの法を破ってしまわないように対処しなくてはならない。場所代は10日ごとの貸し出ししか認められていなかったので、日中の営業ではスペースを余らせてしまうことになるとしても、正規の手続きを踏んで場所を借り受ける他なかった。
(木皿の数は足りるのかな。それだって、客席の数に合わせて準備をしたんだから、ゆとりをもって買いそろえた分もすぐに尽きてしまうかもしれないぞ)
俺自身の仕事は、煮付けを皿に盛るだけなので、昨日までに比べると格段に楽である。が、そのすみやかさこそが客席の不足に拍車をかけているのかもしれない。『ギバのステーキ』や『ギバ・カツ』などは手間がかかるぶんお客の回転が悪くなり、きっとそれゆえに客席にもゆとりが生まれていたのだ。
「……どうしたのだ、アスタ?」
「いや、自分の迂闊さを反省してるだけだよ」
「そうか。何が迂闊であったのかはわからぬが、自分でそう思うのならば大いに反省するがいい」
「うん」
とりあえず、食器だけは明日にでも追加で注文せねばなるまい。
祝日はあと3回も控えているのだから、決して無駄な投資にはならないだろう。
「ただいま! ファの家の分はとりあえず立て替えておいたからね!」
屋台に戻ってきたララ=ルウがそれだけを言い置いて、食堂のほうに駆けていく。
こちらもちょうど木皿が尽きてしまったところであったので、並んでいるお客さんたちには丁寧におわびの言葉を入れ、アイ=ファに留守番を託し、俺もそちらのほうに足を向けてみた。
「うわ、こいつはえらいことだ」
食堂が満員であるのは言わずもがな、その向こう側の空き地も、食堂と同じぐらいのスペースが地べたに座り込んだ人々によって埋めつくされてしまっていた。
もちろん、地べたに座って料理を広げているのだから、食堂ほど効率よくスペースが使われているわけではない。食堂の84席に対して、そちらにあぶれているのは目算で50名ほどであるようだった。
「ほら! そっちのあんたはもっと詰めて! こっから先はあたしたちの借りた場所じゃないから、はみだすと衛兵にしょっぴかれることになるよ!」
ララ=ルウがそのようにわめきながら、シン=ルウに手を借りて縄を張っている。やはり食堂と同じ面積、屋台8台分のスペースを新たに借りつけたらしい。土の地面に鉄鍋を運ぶためのグリギの棒を打ち込んで、そこにてきぱきと縄を張っていた。
「今日はララ=ルウがいて助かりました。わたしや他の女衆だけでは、あそこまですみやかに動けなかったことでしょう」
と、空の木皿を抱えたシーラ=ルウが背後から呼びかけてきた。
「でも、ララ=ルウに指示を出したのはシーラ=ルウなのですよね? 素晴らしい判断だったと思います」
「いえ、これで1日に赤銅貨8枚も余計に使ってしまうのですから、本当に正しい判断であったのか、アスタに確認してほしかったのです」
「完全に正しかったと思いますよ。俺の見込みが甘かったばっかりに、申し訳ありません」
「そのような顔はなさらないでください。これはファとルウが手を取り合って為している仕事ではないですか。責任もその栄誉も、わたしはともに分かち合いたいと思います」
そう言って、シーラ=ルウは樽の水で食器を洗い始めた。
これがなくては俺も仕事を再開できないので、当然のこと、手伝わせていただく。
リミ=ルウやユン=スドラやラッツの女衆たちは、倍のスペースとなった食堂をちょこちょこと歩き回り、空になった皿を回収している。そこにアマ・ミン=ルティムが加わっているのは、やはり俺と同じように木皿を使い果たしてしまったため、留守をミンの女衆に任せて手伝いに駆けつけたのだろう。
「日没の後も一刻か二刻は居残る予定であったのですよね? しかしこれならば、もっと早くに仕事を終えることになるのではないでしょうか?」
と、手を動かしながらシーラ=ルウが問うてくる。
「今は五の刻の半ぐらいですよね。ええ、下手をしたら日没の六の刻から一刻足らずで売りきってしまうかもしれません」
「それは、素晴らしいことだと思います。次の祝日には、もっとたくさんの料理を売ることもできる、ということなのですから」
そう言って、シーラ=ルウは洗った木皿と木匙を俺に手渡してきた。
「その栄誉も、ファとルウが分かち合うべきものです。ジザ=ルウやスフィラ=ザザも、きっとわたしたち以上に驚かされていることでしょう」
俺はシーラ=ルウの力強い笑顔を見つめ返し、それから屋台に舞い戻った。
屋台には、すでに10名以上のお客さんが並んでしまっている。そちらに「お待たせいたしました!」と呼びかけてから、俺はレードルを取り上げた。
世界はすでに、夕闇に包まれている。
日差しは弱々しく、空も茜色から紫色に変じていた。
それからさらに15分ていどが経過した頃合いであろうか。街道に立ち並んだ衛兵たちが、ついにラナの葉で火鉢に明かりを灯し始めた。
ポッ、ポッ、ポッ、と北から順に温かいオレンジ色の火が宿っていく。
それを待ち受けていたかのように、客席や通りの人々が「太陽神に!」という声を唱和させた。
見れば、北西の方向にも火が灯っていた。
城下町の城壁に、見張りのかがり火が焚かれたのだ。
前にそれを目にしたのは、ダバッグからの帰り道――一番最初に目にしたのは、トゥラン伯爵邸から解放された夜だ。
電気の通っていない町に灯された、不夜城の明かりである。
それがなければ、空には俺の知らない星座の形を確認することもできるだろう。
何だか俺は、心臓をわしづかみにされるような感覚にとらわれてしまっていた。
人々の笑顔や歓声、祭の熱気が、さらにその感覚を際立たせていく。
こんな感覚には、覚えがあった。
あれは中学2年の、12月のことだ。
俺は猟友会のファームキャンプに参加して、生まれて初めてイノシシをさばくことになった。
それは3日間の泊まり込みで、初日の夜は初対面の人たちばかりと過ごすことになった。
そうして、自分にあてがわれた寝室で、何となく眠り難い気持ちになり、白い息を吐きながら、窓から冬の星空を見て、俺はこんな感覚にとらわれたのである。
見知らぬ異国にひとりぼっちでいるような――それでいて、妙なすがすがしさをも内包した、それは郷愁感と解放感が複雑にもつれあった感覚であった。
(……親父や玲奈は、今ごろどんな気持ちで毎日を過ごしているんだろう)
急に足もとがぐにゃりと歪んだ気がした。
その瞬間、「おい」と肩を小突かれた。
「何を仕事中に自失しているのだ? 鍋は常にかき回すべしと言っていたのはお前であろうが?」
アイ=ファの青い瞳が、俺を見つめていた。
俺は慌ててレードルを取り直し、鍋を攪拌する。
目前にはシムのお客さんが立っていたが、また木皿が尽きてしまっていたので料理をお出しすることはかなわなかった。
「ごめん、もう一回食堂のほうに行ってくるよ。鍋の攪拌をよろしくな」
「待て」とアイ=ファが俺の腕をつかんできた。
小突くぐらいならまだしも、最近のアイ=ファがここまでしっかりと俺の身に触れるのは珍しい。
アイ=ファは俺の身体を引き寄せて、近い距離から瞳を覗き込んできた。
「アスタ、大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫だよ」
「……本当に大丈夫なのか?」
「うん、本当に大丈夫だ」
「……そうか」とアイ=ファは俺の腕を離した。
「ならばよい。己の仕事を果たすがいい」
「了解だ。それじゃあ鍋の攪拌をよろしく」
俺は、本当に大丈夫だ。アイ=ファがそばにいてくれる限り。
そのように思いながら、俺は足を踏み出した。
足もとは暗かったが、そこには奈落の穴など空いておらず、しっかりとした土の地面の感触だけが伝わってきた。
(楽しい祭のさなかに感傷にとらわれるってのは、よくあることさ)
アイ=ファにつかまれた左の二の腕には、まだその体温が残されているような気がした。
その温もりが、俺に何よりの力を与えてくれるようだった。
◇
そうして六の刻に至り、太陽神がその姿を隠してしまうと、通りにはいっそうの活気が満ちることになった。
中には夜通しで騒ぐ人たちもいるのだろう。ユーミなどは、日が沈んでからようやく屋台の商売を始めたぐらいであった。
「南のほうでは、ついに《南の大樹亭》が屋台を出してたよ。向こうは他にギバ料理の屋台もないから、すっごく賑わってるみたい」
「そっか。ユーミもそっちに店を出したほうが得策だったんじゃないのかな?」
「だって、南に行けば行くほど余計に場所代を取られるんだよ? ここでだって十分な稼ぎになるんだから、それならアスタたちの人気にあやかれたほうが助かるぐらいさ」
《西風亭》のお好み焼きも、実に順調な売れ行きであった。
今日は盛大に、100人前を準備してきたらしい。焼いても焼いてもおっつかず、友人のルイアとともに嬉しい悲鳴をあげている。
いっぽう、マイムはミケルをともなって、お客さんとして登場した。
しかも、お客であるに拘わらず、バルシャを護衛役として雇い、荷車で送迎されての登場である。
夜の宿場町は危険に過ぎる。たとえ護衛つきでも商売を敢行するべきかどうか、それを見極めるための、父親同伴の来店であった。
「ね? そばにはこうやってアスタたちがいてくれるんだから、何の心配もいらないよ。行きや帰りは、バルシャがぴったり付き添ってくれるんだし」
マイムはすがるような目でミケルを見ていた。
ちょっとひさびさの来店となったミケルは、立ち食いで『タラパの煮付け』を食しながら、これ以上ないぐらい難しい顔をしている。
「しかしな、夜には野盗の類いも出る。宿場町からトゥランまでの道行きで襲われないとは限るまい」
「だから、そのための護衛役でしょ!?」
「では、その護衛役が引き上げた後はどうなんだ? 帰り道を尾けられて、家の中に踏み込まれたら、銅貨どころか生命さえも危うくなってしまう」
マイムは眉尻を下げ、便秘の子犬みたいなお顔になってしまった。
そのおさげにした褐色の頭を、バルシャが笑いながらぽんぽんと叩く。
「それなら、後を尾けられなきゃ心配はないよねえ? あたしはこれでもマサラの狩人だ。トトスや荷車に乗って追いかけてくる人間なんかがいたら、絶対に見逃したりはしないよ?」
「しかしだな……」
「ミケル、あんたは城下町の生まれなんだってね。だから心配になっちまうんだろうけど、荒くれ者の多い宿場町でも、うまく立ち回れば何の危険もないんだよ。そら、そっちの娘さんなんかは、女手だけで商売をしているそうじゃないか? まさか、あたしがあの娘さんより頼りないとまでは言わないだろう?」
下手な男性よりもごつくて雄々しいその面に、バルシャは明るく力強い笑みをたたえた。
「だいたい、あたしは昼間だって野盗なんかに尾け回されないよう、十分に気を張って仕事を果たしていたんだ。何せあれだけの銅貨を稼いでるんだから、それぐらいの注意をするのは当然だろう? 誓って、おかしな連中をトゥランに招き寄せたりはしないから、あたしの腕を信用してほしいもんだね」
それでようやくミケルも折れて、次の祝日からはマイムの屋台も参戦することが決定された。
本日は一刻限りの契約であったので、料理を食したのちは、とんぼ帰りでトゥランに帰っていく。
その後にやってきたのは、《ギャムレイの一座》のメンバーであった。
これは日中と同じように、自分たちで器を準備して、天幕に持ち帰る格好である。が、姿を現したのは軽業師ピノと獣使いのシャントゥ、それに吟遊詩人のニーヤのみであった。
「夜の見世物が始まっちまったんでねェ。アタシらぐらいしか手が空いてないのさァ。せわしなくて悪いけど、行ったり来たりさせていただくよォ」
その言葉通り、3名は屋台と天幕を何度となく往復することになった。
それで、屋台に到着するたびにニーヤはアイ=ファへと浮ついた言葉を投げかけていたのだが、もちろん鋼の精神力を有する我が家長は大事なお客に荒っぽい態度を見せることなく、かといって表面上の愛想をふりまくでもなく、徹頭徹尾で無表情の黙殺を決め込んでいた。
日没と同時に営業を開始した《ギャムレイの一座》のほうも、なかなか繁盛しているらしい。天幕の入口にも、その脇に建てられた占い小屋にも、常にちらほらと人影が吸い込まれていく姿を確認することができた。
「兄サンがたも、遊びに来れそうかねェ?」
「はい。思いのほか、早く仕事が片付きそうなので、問題なく出向けそうです」
日没の後は日時計も役に立たないが、その時点でもまだ六の刻の半にも達してはいなかっただろう。そうであるにも拘わらず、俺の目の前の鉄鍋は早くも空になりかけていたし、他の屋台も大小の差はあれゴールが見えかけている状態であるようだった。
客足はいくぶん落ち着いてきたものの、相変わらず木皿は不足気味であるし、食堂は臨時で拡張した分まで満席だ。
俺たちは、この夜のために食器を買い足していた。極端な話、84席のお客さん全員が食器を3組ずつ使っても対応できるよう、合計で252組もの食器を準備していたのである。
が、ピーク時にはその食器すべてが出払うことになり、客席もキャパオーバーを起こしてしまった。いや、キャパオーバーを起こしたゆえに食器も足りなくなってしまった、というべきか。
平均で130名ものお客さんが客席に常駐してしまっているのだから、それも当然だ。『ミャームー焼き』と『ポイタン巻き』の分は木皿が不要であるのだから、130名の全員に3組ずつの食器が求められることはなかったものの、それでも現状では対応できなかった。感覚的に、あと3、40組ほどの準備があれば、食器の都合でお客さんを待たせずに済むように思われた。
(まったくとんでもない来客数だな。次回からは、頑張ってカレーやパスタも増やしてみるか)
この日に備えて、汁物は50食分、パスタを除く3点はひかえめに20食分ずつを増やしていたのだが、それでも2時間足らずで売り尽くしてしまいそうな勢いである。
『ギバのモツ鍋』は350食分、『タラパの煮付け』は120食分、『ミャームー焼き』と『ポイタン巻き』は160食分、『ギバとナナールのカルボナーラ』が200食分、しめて990食分だ。
ひとり3皿と考えれば来客数は330名で、数字上は日中よりも少ない計算になってしまうが、それは料理が早々に尽きてしまうためだ。最短で140分、最長で210分の営業を予定していたのに、2時間足らずで売り切れを起こしてしまうなどというのはさすがに予想の外であった。
(あくまで夜のメインは宿屋のほうなんだから、日中以上の勢いでお客さんが押し寄せるとは思わなかった。明日はまたルウ家のみんなと作戦会議だな)
そんなことを考えている間に、『タラパの煮付け』は完売してしまった。
調理に手間がかかる分、トゥール=ディンのパスタの屋台にはまだお客さんが並んでしまっている。が、そちらも残りは20食分ていどであるようだ。
そうして次には『ギバのモツ鍋』が売り切れ、『ポイタン巻き』と『ミャームー焼き』も少し遅れて同時に売り切れ、最後にパスタが売り切れて、無事に完売の運びとなった。
体感として、日没から1時間は経っていないと思う。だからやっぱり、2時間足らずだ。
俺たちは、ちょっぴりだけ呆然としつつ、顔を見合わせることになった。
「……次の祝日にはどれだけ料理が増やせるか、レイナ=ルウとも相談しなくてはなりませんね?」
汚れた木皿を洗いながら、シーラ=ルウは誇らしやかに微笑みながらそのように述べていた。