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異世界料理道  作者: EDA
第十九章 太陽神の復活祭(上)
339/1675

暁の日①~宿場町の朝~

2016.6/5 更新分 1/1 ・6/7 一部内容に誤りがあったので文章を修正しました。

2017.6/15 一部文章を修正。・2017.6/21 文章を修正

 ダレイムの朝は、森辺と同じぐらい早かった。

 空が白み始めた頃にはもう起き出して、最初の陽光が窓から差し込む頃には元気に動き始めている。ダレイムの人々は、森辺の民に負けないぐらい勤勉な生活に身を置いているのだった。


「それじゃあ俺たちは畑に出るからさ。アスタも仕事を頑張っておくれよ」


 水瓶の水を拝借して顔を洗っていると、ドーラの親父さんがそのように呼びかけてきた。


「いくら祝日だからって、町の連中みたいに遊んでばかりはいられないからね。五の刻ぐらいまではみっちり働いて、それからみんなで屋台のほうを覗かせてもらうよ」


「はい、お待ちしています」


 もちろん俺たちも遊んではいられない。身支度を整えたら、ご家族のみなさんにも丁重に別れの言葉を伝えて、早々にダレイムを出発することにした。


 街道に出てしまえば、フルスピードでトトスを走らせることができる。ダン=ルティムとリミ=ルウはミム・チャーにまたがり、それ以外の人間はギルルの荷車で、それぞれ石の街道を駆け、10分後にはもう宿場町に到着することができていた。


 到着したら、まずは屋台の借り受けだ。

 まだ日の出から30分とは経っていないのに、ミラノ=マスも普段通りの様子で俺たちを出迎えてくれた。


「たとえ祝日でも、宿に客がいる限りはそうそう寝てもおられん。遊んでいられるのは物売りの商売人ぐらいだろう」


 それでもやっぱり、早朝の宿場町は祝日らしく、しんと静まりかえっていた。

 街道には、数えるぐらいの人影しかない。宿場町の雑然とした様相しか知らない俺たちには、たいそう新鮮な光景だ。


 そうして3台の屋台とともに街道を進んでいくと、いっそう目新しい光景を目にすることができた。

 屋台の存在しない露店区域の、がらんとした光景である。

 ダバッグに向かう際もけっこうな朝方にこの街道を通ることになったが、あの際にだっていくつかは屋台が出ており、そこそこの人通りがあった。しかし今は完全な無人だ。


 屋台を置くために伐採された土の地面が、実に広々と広がっている。

 なおかつ、屋台も家も宿屋もないのだから、通りかかる人間も存在しない。普段であれば早朝から旅立つ人間も少なくないのだろうが、この復活祭の期間はジェノスを出ていこうとする旅人も少ないのだろう。実に茫漠とした情景である。


「ねー、これじゃあギバを焼いたって、誰にも気づかれないんじゃない?」


 屋台を押しながらララ=ルウが問うてきたので、俺は「いや」と首を振ってみせた。


「五の刻ぐらいにジェノス城からキミュスの肉や果実酒なんかがふるまわれるから、それを焼く役割の人たちが屋台を出すらしいんだよ。その人たちへの賃金もふくめて、ジェノス領主からのふるまいなんだってさ」


「ふーん、ずいぶん気前がいいんだね。そんなのがあと3回も残ってるんでしょ?」


「そうだね。やっぱり年に一度のお祭だから、領主としてはジェノスの力と豊かさを領民や旅人たちに示したいんじゃないのかな。それでより多くの人たちがジェノスに集まるようになれば、結果的に町そのものがまた豊かになるんだろうし」


「そっかー」とララ=ルウは肩をすくめた。


「せっかくのギバ肉をただでふるまうなんてもったいなーとか思ってたけど、貴族たちがそういう考えなら、負けてらんないね」


「そうそう。ルウの集落に眷族を集めて祝宴を開くときは、ルウ家の銅貨で料理が準備されるだろう? それと同じようなものなんだと思うよ」


 そんな言葉を交わしている内に、所定のスペースへと到着した。

 露店区域の、北の端だ。

 当然その場所もがらんとしており、《ギャムレイの一座》の天幕も静まりかえっている。


「それじゃあ、準備を始めよう」


 まずはギバ肉の準備である。

 荷台から3つの木箱を下ろして、ピコの葉に漬けられていたギバの身体を引っ張りだす。

 毛皮の毛だけを焼かれた、子供のギバである。

 体長は4、50センチほど、重量は血と内臓を抜いた状態で30キロ前後。それが3体だ。


 腹の中にもぎっしりと詰め込まれていたピコの葉をかき出したのちは、狩人らの手を借りて、咽喉から尻までに鉄串を突き通す。

 そうしてまんべんなく塩をすりこんだら、本日は腹の中に野菜を詰め込む作法にもチャレンジすることにした。

 選ばれた野菜は、アリア、ネェノン、ティノ、チャッチ、そしてマ・プラとマ・ギーゴだ。


 野菜を詰めたらフィバッハの蔓草で腹をざっくりと縫い合わせ、いよいよ架台への設置である。

 地べたで火を焚くことは禁じられていたので、これは屋台を利用する。

 鍋を設置する天板を外して、その上にギバを掲げるのだ。


 ヤン経由で城下町から購入した灰色の煉瓦を火鉢の左右に積んでいき、その上に鉄串の両端を載せる。高さは、俺の胸ぐらいだ。

 あとはその鉄串がずれないよう、U字型の鉄杭を煉瓦に打ち込んで固定すれば、準備完了である。鉄串は回しやすいように片方の端が曲げられており、手でつかめるように分厚く布が巻かれている。


「よし。火の準備はどうかな?」


「うん、大丈夫だと思うけど」


 火鉢の中で、ミケルから購入した炭が赤く燃えていた。

 そいつを屋台の内側にセットしなおして、調理のスタートだ。


「これであとは、肉が焦げないように回していくんだよね?」


「うん、それと火の勢いが弱まらないように、炭の補充だね」


 リミ=ルウ、ララ=ルウ、トゥール=ディンの3名に1頭ずつのギバを任せて、俺は全体を監督する役を担うことにした。

 人気のない空き地でひたすらギバを丸焼きにする、傍目には相当にシュールな光景であろう。


「ふむ。実にのどかなものだな」


 と、ダン=ルティムが大あくびをする。


「しばらく誰もやってこないようなら、俺はもうひと眠りさせていただくか」


「どうぞどうぞ。昼まではゆっくりしていてください」


 それでも有事の際は誰よりも機敏に対応できる、ということはすでにダバッグへの旅路で証しだてられている。ダン=ルティムはミム・チャーのつながれている木にもたれかかってあぐらをかくと、数秒と待たずしてすぴすぴと寝息をたて始めた。


「よかったらみんなも休んでなよ。今日は早起きで大変だっただろう?」


「んー? いったん起きちまったら眠くはならねーな。今は休息の期間で身体も疲れてないからよ」


 そういえば、ルド=ルウは男衆の中では早起きのタイプなのだった。

 シン=ルウもべつだん眠そうな様子ではなく、ララ=ルウとおしゃべりをしている。


「昨日は楽しかったねー? 次にドーラの家に行くのは3日後だったっけ? またあたしが選ばれるといいんだけどなー」


「うむ。だけどなるべく違う人間が出向いてダレイムの人間と縁を結ぶべき、とアスタが話していなかったか?」


 シン=ルウに視線を向けられて、俺は「そうだね」と返してみせる。


「でもその反面、同じ顔ぶれのほうが親睦を深められる気もするし、難しいところだね」


「そーだよ! ターラと一番仲良くしてるのはあたしとリミなんだから、それは外さないほうがいいんじゃないかなー?」


 そんな風に言ってから、ララ=ルウは慌てた様子でトゥール=ディンのほうを振り返った。


「あ、別に、トゥール=ディンを外せばいいって言ってるわけじゃないからね? 勘違いしないでよ?」


「はい」とトゥール=ディンは穏やかに微笑む。

 さかのぼれば、家長会議から縁のある両名である。ひかえめながらも、トゥール=ディンがララ=ルウを慕っていることは俺にも感じ取れていた。


「レイナ=ルウやユン=スドラが望んでいるのなら、わたしは譲りたいと思います。この朝の仕事は、ドーラの家に泊まらずとも手伝うことができますし。……それでもあと3回の機会があるのなら、1回ぐらいはまた加わりたいですが……」


「そうだよね! それに、これが最後の機会ってわけでもないんだしさ。祭とか関係なく、休息の期間だったら、いつでも遊びに行ってもかまわないよねー」


「ええ? それはあの……ドーラたちの気持ち次第ではないでしょうか……?」


「ドーラたちも喜んでくれてたじゃん! こっちがお邪魔するばっかりで悪いってんなら、またターラたちを森辺に招けばいいんだよ」


「うん! 今度はターラをルウの家に泊めてあげたいなあ」


 リミ=ルウも加わって、いっそう賑やかになってきた。

 これから数時間にも及ぶ単調な作業も、これなら楽しく乗り切れそうだ。

 各自の火の加減を確かめつつ、俺がそのようなことを考えていると、アイ=ファに「アスタ」と呼びかけられた。


 アイ=ファは街道のほうに目を向けている。

 同じ方向に目をやると、白々とした朝日の中を、黒と朱色の小さな姿が近づいてくるところであった。


「おやまァ、今日はずいぶん早いお越しだねェ、森辺のみなサンがた」


 軽業師の童女、ピコである。

 朱色の羽織をひらひらとなびかせつつ、童女は俺たちの前に立った。


「しかもそいつは、ギバをまるごと焼いているのかい? なんとも豪気な話じゃないかァ」


「ええ。祝日にはキミュスの丸焼きがふるまわれると聞いていたので、俺たちはこいつをふるまうことにしたんです」


「そいつは重畳。ぜひアタシたちにも御裾分けしていただきたいもんだねェ」


 言いながら、ピノは「あふう」とあくびを噛み殺す。

 あどけなさと色っぽさの混在する、相変わらずの不思議な童女である。


 これが初の対面となるシン=ルウは、ちょっときょとんとした顔でピノの姿を見つめていた。

 そんなシン=ルウを横目でにらんでから、ララ=ルウはピノに向きなおる。


「ね、そっちもずいぶん早いんだね。今日は昼の商売を禁じられてるんでしょ?」


「そういえば、そんな習わしもありましたねェ。ま、銅貨を稼ぐのが御法度っていうんなら、笛や太鼓で賑やかしてやりましょォ」


 そうしてピノは、真っ黒の瞳で俺を見つめてきた。


「ところで、今日は予定通り、夜の芸を見にきてくださるのかねェ?」


「そうですね。夜に屋台を開くのは初めてのことなので、まだあまりしっかりと予定を組むことはできないのですが、たぶん大丈夫だと思います」


「そいつはありがとサン。アタシらも、仕事の合間をぬって料理を買わせていただくからねェ。じゃ、そいつが焼きあがる頃にまたお邪魔させていただくよォ」


 そんな言葉を残して、童女はひらひらと立ち去っていった。


「うーん、別に悪い人間じゃないんだろうけどさ。胡散臭いことに変わりはないよね」


 直截的な感想を述べつつ、ララ=ルウはまたシン=ルウをにらみつける。


「で? シン=ルウはいつまでぽけっとしてんの? まさか、あんな女衆が好みだとでも言うつもり?」


「別にぽけっとはしていない。ずいぶん奇妙な娘だと驚かされただけだ。……それに、町の人間によからぬ思いを抱いたりもしない」


「ふん、どーだか!」とララ=ルウはむくれてしまった。

 外見的には大差のない世代に見えるララ=ルウにとっては、あのような童女も見過ごせぬ存在になってしまうのだろうか。


 ともあれ、『ギバの丸焼き』のほうは順調に焼きあがっていった。

 表皮はじょじょに色づいていき、火鉢にしたたった脂がじゅっと音をたてている。香ばしい匂いをあげ始めるのも、もう目前だ。


 しかし、しばらくは通りかかる人間のひとりもいない。

 無人の町のような静けさだ。


 その静けさが破られたのは、それからおよそ3時間後――持参した日時計が五の刻に差しかかろうかという頃合いであった。

 南の方角から、がらごろと屋台を押す人々が近づいてきたのだ。

 そのうちのひとりは、《西風亭》のユーミであった。


「うわー、すごいすごい! ほんとにギバを丸焼きにしてるんだね!」


 朝の挨拶もそこそこに、ユーミが賑やかに声をあげる。


「だけど、ずいぶんちっちゃいね? これは子供のギバなの?」


「うん。あんまり大きいと焼きあがりに時間がかかってしまうからね」


 他の人々も、空いたスペースに等間隔で屋台を設置してから、おっかなびっくりの様子でこちらに近づいてきた。キミュスを丸焼きにする仕事を請け負った宿屋やら何やらの人々なのだろう。当然ながら、全員が西の民だ。


「うーん、いい匂いだね! 3頭ぽっちじゃ、きっとすぐになくなっちまうよ?」


「余ったりしたら物悲しいから、そのほうが嬉しいね。あまりにも人がいないから、ちょっと心配になってきたところだったんだよ」


「そんな心配はいらないよー。キミュスが焼きあがる中天には、腹を空かした連中がうようよわいてくるんだから!」


 陽気に笑うユーミの腕を、後ろからくいくいと引っ張る者がいた。

 普段から《西風亭》の屋台を手伝っている、ユーミのご友人だ。ユーミと同じ年頃の娘さんで、名前はたしかルイアであったと記憶している。


「うん? どうしたの?」


 ユーミよりは内気であるらしいその娘さんは、俺たちのほうに視線を固定しつつ、ぼしょぼしょと小声で何かを囁いた。

 ユーミは「あー、なるほどねー」と、いっそう楽しげに笑う。


「ユーミ、どうかしたのかい?」


「いや、別にー。ちょっとあっちの人らにも挨拶させていただくね」


 そんな風に言いながら、ユーミはララ=ルウの屋台に近づいていった。


「や、ララ=ルウ。今日は朝からご苦労さん」


「……うん」


 ララ=ルウもユーミとはほどほどに親交を結んでいるはずであったが、まださきほどの余韻を引きずっているのか、いささか不機嫌そうだ。

 そんなララ=ルウからは早々に視線を外し、ユーミはシン=ルウに向きなおる。


「ね、あんたも昔からよく宿場町に下りてたよね? あたしはユーミっていうんだけど、あんたはなんて名前なの?」


「……俺は、シン=ルウだが」


「あ、やっぱりルウ家の人なんだ? ルド=ルウたちの兄さんか何か?」


「ルド=ルウは、俺の父の兄の子だ」


「そっかそっか」と笑いながら、ユーミは親指で自分の背後を指し示した。


「こっちのこのコはルイアっていうんだ。よかったら、あたしともどもよろしくね」


「うむ?」と小首を傾げつつ、シン=ルウは切れ長の目でユーミのご友人を見つめた。

 ユーミの背中に半分隠れた格好で、ルイアは頬を赤らめている。


 シン=ルウはまったく事態を把握していない様子であったが、その隣ではララ=ルウが赤い髪の毛を逆立てていた。その目がめらめらと燃えているように見えるのは、火鉢の炭火を反射させているためであろうか。


「ユーミ、ちょっといいかな?」


 即座にこの危機的な状況を見てとった俺は、慌ててユーミを招き寄せることになった。

 そのかたわらの娘さんの耳をはばかりつつ、ララ=ルウとシン=ルウのデリケートな関係性を可能な限り正確に説明してみせる。


「うーん? 別にルイアも森辺の民とどうこうなろうなんて考えてないと思うよ? ただ、あのシン=ルウって男衆が男前だからお近づきになりたいと思っただけでしょ」


「そうだとしても、ほら、森辺の民ってのはなかなか潔癖な一面もあるから、おかしな騒ぎの火種になりかねないんだよね」


「そっかー。それじゃあまあ、それとなくあきらめるように後で説明しておくよ」


 そんな言葉を囁きあっている間も、ルイアという娘さんはそこそこ熱っぽい眼差しでシン=ルウを見つめていた。

 ジェノスの民が森辺の民に懸想するなんて、それは数ヵ月前までは考えられなかった事態であり、双方の関係性がよりよい方向に傾いている証であったのかもしれないが――サトゥラス伯爵家のリーハイムを袖にしたレイナ=ルウの例を見るに、やっぱり不和の原因にもなりかねない。ましてやシン=ルウにはララ=ルウがいるのだから、誰にとっても歓迎しかねる事態であろう。


(確かにシン=ルウはルド=ルウやラウ=レイよりも穏やかな雰囲気だから、町の人たちにとってもとっつきやすいのかな)


 そういえば、アイ=ファもつい先日にとぼけた吟遊詩人からアプローチされまくったばかりであった。

 俺としては、ララ=ルウの心中を思いやらざるを得ない。


 そうこうしている内に、街道にはぽつぽつと人が増え始めている。

 他の屋台は空なので、それらの人々はみんな俺たちの屋台の前に引き寄せられていた。


「ほう、これがギバなのか。思ったよりも、小さいのだな」


「いや、こいつは子供のギバだろう。そうでなくては、西の民がそこまで恐れるものか」


 そのように声をあげているのは、ジャガルの人々であった。

 しかし、西の民であっても、実際にギバの姿を見たことのある人間はまれであるはずだ。ギバは人間の気配を嫌うので、夜間に畑を襲うぐらいでしか、人里には下りてこないものなのである。


 そんなわけで、その場に居合わせた人々は、みんな好奇心の塊になっていた。

 中には少数だが、怖気をふるって逃げていく西の民もいる。

 牙と角を抜かれた子供のギバでも、恐ろしいものは恐ろしいのだろう。


 そういった恐怖の念が少しでも薄まればいい、という考えも、俺の頭にはなくもなかった。

 ギバというのは、人間にとって危険な害獣だ。しかし、決して怪物の類いではない。その肉は美味であるし、食べても角が生えてきたり、肌が黒くなったりもしない。森辺の民が道理のわからぬ蛮族ではない、というのと同じように、ギバも災厄の化身などではなく、ただの獣に過ぎないのだということを、俺はジェノスの人々にいっそう強く伝えたかったのだった。


 そうして、ついに日時計が五の刻を回ったとき、人々の間から歓声があがった。

 北の方角から、何台もの荷車が接近してきたのだ。


 それを率いているのは、白い甲冑に身を包んだ近衛兵団の兵士であった。

 メルフリードではない。兜の房飾りももう少しひかえめな、中隊長だか小隊長だかの武官であった。


「宿場町の民、およびジェノスを訪れた客人たちよ、ついに太陽神の滅落と再生が10日の後に迫ってきた!」


 その武官が朗々たる声をあげ、人々にいっそうの歓声をあげさせる。


「本日はその『暁の日』を祝して、ジェノス侯爵マルスタインから糧と酒が授けられる! キミュスの肉とママリアの酒を太陽神に捧げ、その復活の儀を大いに寿いでもらいたい!」


 街道を埋めた荷車の扉が引き開けられ、そこから大量の木箱と樽が下ろされた。

 果実酒の樽は居並んだ人々に、キミュスの肉が詰まった木箱は屋台の人々へと受け渡される。果実酒を目当てに集まった人々は、おのおの酒盃を準備しているようだった。


「太陽神に!」の声が唱和され、次々と酒盃が酌み交わされる。

 それを尻目に、ジェノス城からの一団は粛々と南に進み始めた。

 宿屋の区域にも、肉と酒がふるまわれるのだろう。町中の人々が口にするキミュスの肉を屋台だけで焼くのは困難なので、仕事を引き受けた宿屋の厨でも同じようにキミュスが焼かれるのだ。


「ふむ。昼から果実酒とはけっこうな話だな」


 と、この騒ぎで目を覚ましたらしいダン=ルティムが、ひょこひょこと屋台のほうに戻ってきた。


「よかったら、ダン=ルティムもいただいてきたらいかがですか? それで護衛の仕事がおろそかになることはないでしょう?」


 それも家長会議やダバッグへの旅で立証されていることである。


「むろん、果実酒を口にしたところで何の不都合もありはしないが、しかし、銅貨も払わずにほどこしを受けるというのは、いささか気が進まん」


「そうでしょうか? こちらだって無料でギバの肉をふるまうのですから、おたがいさまだと思いますが」


 俺の言葉に、ダン=ルティムは「そうか」と瞳を輝かせた。


「言われてみれば、その通りだな! ギバを3頭もふるまうのだから、どれだけ果実酒をいただいても罪にはなるまい!」


 そうしてダン=ルティムは俺の差し出した木皿をひっつかむと、喜々として街道に飛び出していった。

 森辺の集落だって、形式上はジェノスの領土なのだ。その領主からふるまわれる果実酒ならば森辺の民が口にしたって問題はないし、俺としても、そんな垣根をとっぱらってくれるダン=ルティムのような存在はたいそう得難いものに思えた。


 ダン=ルティムの突撃に最初はぎょっとしていた人々も、やがて笑顔で果実酒を受け渡してくれる。とりわけ南の民などは、ダン=ルティムの巨体を恐れる風でもなく、腕をのばして酒盃を打ち鳴らしていた。


「ごめん、ちょっと席を外すね」


 そんな街道の様子を見届けてから、俺は少し離れた場所で作業に取りかかっているユーミの屋台へと足を向けた。

 当然のごとく追従してきたアイ=ファとともに、そちらの様子を覗き見る。


「あれ、どうしたの、アスタ?」


「いや、キミュスの丸焼きってのがどんなものなのか、ちょっと興味があったからさ」


 キミュスもこちらのギバと同じように、鉄串に刺されて焼かれていた。

 しかしこちらは、せいぜいウサギかニワトリぐらいの大きさである。ユーミの屋台では、豪快に3羽ものキミュスが炙り焼きにされていた。


 頭を落とされて、羽毛をむしられた丸裸のキミュスだ。

 頭がなければ丸焼きの定義から外れてしまう気もするが、キミュスの頭の羽は高値で取り引きされているという話であったので、そこまではふるまわれなかったのだろう。その代わりに、それらのキミュスは皮が剥がされずに残されていた。


「なるほど。皮つきのキミュスってのはご馳走だね」


「でしょー? あたしらみたいな貧乏人には、こういうときぐらいしか皮つきの肉を食べる機会もないからねー!」


 キミュスの皮は、カロンと同じように革製品の材料にされてしまうのだ。

 で、このキミュスというやつは全身がくまなくササミのように淡白な味わいなので、皮がないと脂気も少なく、実に味気ない。皮つきの丸焼きなら、立派にご馳走の名に値するだろう。


 ちなみに宿場町では炭を使う人間も少ないので、屋台からはもうもうと煙がたってしまっている。炙り焼きというよりは、もはや燻製にしているかのような様相だ。そこに清涼なる香りが混ざっているのは、どうやらリーロか何かの香草も一緒に焚かれているためであるようだった。


「中天には焼きあがるからね! ギバのほうも間に合いそう?」


「うん、たぶん。大幅に遅れることはないと思うよ」


「楽しみだなー! あたしたちにも一口ぐらいは食べさせてよ?」


 そんな会話を交わしていると、南の方角から荷車が近づいてきた。

 さきほどの一団が戻ってきたのかと思ったが、それは箱型ではなく幌型の、ルウルウが引くルウ家の荷車であった。


「遅くなって申し訳ありません。ようやく家の仕事を片付けることができました」


 我が屋台の援軍である。

 メンバーは、レイナ=ルウとシーラ=ルウ、それに視察役たるスフィラ=ザザの3名だ。

 が、それに同伴していた狩人たちの姿に、俺は驚かされることになった。

 ラウ=レイのみは見慣れた姿であったが、さらにジザ=ルウとガズラン=ルティムまでもが顔をそろえていたのである。


「ジ、ジザ=ルウがこんな場に姿を現すのは初めてのことですね?」


「ああ。家長ドンダの命で、宿場町の様子を見に来たのだ」


 感情の読めない柔和な面持ちで、ジザ=ルウは静かにそう言った。


「今日の夜にも、同行する手はずになっている。リミやララたちに変わりはないだろうな?」


「ええ、もちろんです」


 非常に驚かされてしまったが、これは喜ぶべきことなのだろう。

 さっそくユーミにも紹介しなくては――と俺が視線を巡らせると、彼女は笑顔でガズラン=ルティムと挨拶を交わしていた。


「ひさしぶりだね、ガズラン=ルティム! 元気にやってた?」


「はい。あなたもお元気そうで何よりです、ユーミ」


 俺は、思わずぽかんとしてしまった。


「あ、あの、おふたりは知り合いだったのですか?」


 ガズラン=ルティムが何か答えようとしたが、ユーミのほうがいち早く「そうだよー」と答えてくれた。


「アスタが貴族の娘っ子にさらわれたとき、森辺の民がみんなして宿場町におりてきたでしょ? あのとき、知り合ったの!」


「はい。ユーミは宿場町の裏側の区域を案内してくれました」


 俺にとってごく近しいこのふたりがすでに顔見知りであったというのは、実に驚くべきことだった。

 しかもふたりして、ひさびさの再会をとても喜んでいるように見受けられる。


「そっちのあんたは初顔さんだね。見るからに立派そうなお人だなあ」


 と、ユーミがジザ=ルウのほうに目を向ける。

 俺は慌てて、自分の役割を果たすことにした。


「ユーミ、こちらはルウ本家の長兄、ジザ=ルウだよ。ジザ=ルウ、こちらは以前にルウの集落にもお邪魔した、《西風亭》という宿屋のユーミです」


 ジザ=ルウは無言でユーミにうなずきかける。

 その糸のように細い目で見つめられながら、ユーミはにっと白い歯を見せた。


「ルウ本家ってことは、リミ=ルウやルド=ルウたちの兄さんなんだね。ほんとに似てない兄弟だなあ」


 否定とも肯定ともつかぬ様子でもう一度うなずいてから、ジザ=ルウは眷族を引き連れて兄弟の待つ屋台のほうへと足を進めていった。

 それを見送りつつ、ユーミはふーっと息をつく。


「なんか、にこにこしてるのにすごい迫力だね。ま、あの親父さんだったらああいう息子が相応しいのかもしれないけどさ」


 そんな風にのたまうユーミのふてぶてしさは、俺にとって心強かった。

 ルド=ルウやガズラン=ルティムのように社交的な男衆ばかりでなく、ジザ=ルウやダルム=ルウ、そしてグラフ=ザザやディック=ドムのような狩人たちが受け入れられてこそ、初めてジェノスとの溝は埋まったと言い切れると思うのだ。


 そんなことを考えながら、俺もアイ=ファとともに自分の持ち場に戻ることにした。

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