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異世界料理道  作者: EDA
第十九章 太陽神の復活祭(上)
338/1706

祭の前夜②~ダレイムの夜~

2016.6/4 更新分 1/1

 数刻の後、すべての仕事を終えた俺たちはルウ家の人々と合流し、ダレイムを目指していた。

 レム=ドムには働いてくれた分の銅貨を渡したので、それで余所の氏族から晩餐を買う、とのことであった。


 アイ=ファはずっと物思わしげな表情をしていたが、リミ=ルウやララ=ルウなどはとてもはしゃいでしまっている。どちらもドーラ家でのお泊り会が楽しみでならないのだろう。俺だって、それは同様だ。


 レム=ドムの行く末を背負わされてしまったアイ=ファの心情を思うとやるかたないが、きっとアイ=ファも彼らの覚悟を同じ質量の覚悟で受け止める気持ちになったのだろう。ならば俺も、ファの家人として全力で家長を支える心づもりであった。


 そんな思いもよそに、荷車は夕闇の中をひたすら駆けていく。

 もう半刻もすれば、完全に日が落ちるのだ。

 赤紫色に染まったダレイムの畑は、たとえようもなく牧歌的であり、そして美しかった。


「なるほどなー。確かにこいつは、森辺じゃ見られない風景だ」


 これが初めての来訪となるルド=ルウはそのように述べていた。

 シン=ルウはダン=ルティムとともにミム・チャーの背に乗っていたが、きっと同じ心境だろう。彼らとララ=ルウはダバッグへの旅にも同行していなかったから、ここまで広々と切り開かれた大地を目にすることも初めてのはずだった。


 そんなルウ家の人々に囲まれつつ、トゥール=ディンもその瞳に黄昏時の情景を映し、とても感慨深そうにしている。

 ルウ家は休息の期間にあるのだから、誰でも気軽に参加できる状態にある。そんな中で、あえてトゥール=ディンを選出したのは、俺の個人的な思い入れゆえであった。


 とてもおこがましく聞こえるかもしれないが、俺はトゥール=ディンのことを内弟子のような存在であると感じてしまっていたのだ。

 レイナ=ルウとシーラ=ルウは俺の手を半分離れて、独自の道を進みつつある。それに、毎日ルウの集落でともに生活し、おたがいに研鑽し合うことができている。

 そんな彼女たちと同じぐらい強い意欲を持ち、そしてまだ10歳の幼さであるトゥール=ディンに、俺は最善の環境と成長の機会を与えてあげたいな、と常々思っていたのだった。


「俺自身が半人前なんだから、とてもそんな偉そうなことは言えないんだけどね。ましてや甘い菓子に関しては、トゥール=ディンに上をいかれちゃってるわけだし」


 今回の同行をお願いする際、俺はそのような言葉で自分の心情を伝えてみせたのだが、トゥール=ディンには泣かれることになってしまった。


「アスタにそこまで目をかけていただくことができて……わたしはどのようにその恩義を返したらいいのでしょう……」


「何も返す必要はないさ! 美味しい料理を作れるように、これからも一緒に頑張っていこう」


 それでもトゥール=ディンは、5分ばかりもぐしぐしと泣いていた。

「いったい何をやっているのだ、お前は!」とアイ=ファに叱られたのも、今となってはいい思い出である。


 そんな想念に身をゆだねている間に、目的の地が見えてきた。


「やあ、お待ちしていたよ、森辺のみなさんがた」


 2度目の来訪となる、ダレイムのドーラ家である。

 今日は畑を素通りして真っ直ぐ家に向かうと、親父さんは満面の笑みで俺たちを出迎えてくれた。


「こっちも仕事がたてこんでたからさ。こんな遅くの招待で申し訳なかったね」


「めっそうもないです。こんな忙しい時期に押しかけてしまって、こちらこそ申し訳ありません」


 宿場町の宿屋などとはいささか様式の異なる、木造りの家である。

 屋根は藁葺きで、板よりも丸太を多く使ったログハウスのような様相であるが、それでも立派な2階建てだ。その隣に建っている平屋の大きな建物が、野菜の貯蔵庫兼、臨時雇用人の宿泊施設であるらしい。


 入ってすぐの広間には、親父さんのご家族が6名ほど待ちかまえていた。

 ふたりの息子さんに、ターラ。親父さんの母上に、亡くなられた父上の弟であるという御仁、それに上の息子さんの子供であるという幼子だ。親父さんと息子さんの奥方は、ともに晩餐の調理中であるという。


「わーい! リミ=ルウ、いらっしゃい!」


 木の椅子を蹴って、ターラがリミ=ルウに飛びついた。

 リミ=ルウも嬉しそうに微笑みながら、ターラの身体をぎゅうっと抱きすくめる。


「アスタたちも、ちょっとした料理を作ってくれるんだろう? みんな腹ぺこだから、よろしく頼むよ」


「はい、それではまたのちほど」


 かまどの間は、前回の来訪時にも使わせていただいている。さまざまな表情を浮かべているドーラ家のご家族に頭を下げつつ、俺たちはかまどの間へと向かわせていただいた。


「おや、いらっしゃい。遠いところをようこそねえ、森辺のみなさんがた」


 年配でやや痩せ型の女性が、穏やかに笑いながら俺たちを振り返る。

 前回もお姿だけは見かけたことのある、親父さんの奥方だ。

 その隣の、俺より少し上ぐらいの年齢をした女性が、息子さんの奥方であろう。


「こっちの準備は終わったんで、どうぞお好きに使ってくださいな。いま鍋をどかしちまいますからねえ」


 俺たちと交流を結び始めた当時、親父さんはご家族にも色々と厳しいことを言われていたらしい。悪名高い森辺の民と、どうしてそこまで親しくしなければならないのか、ダレイムに住む人々にはまったく理解することができなかったのだろう。


 だけど、そんな話が信じられないぐらい、彼女たちの笑顔には屈託がなかった。

 これも、親父さんとターラが長きの時間をかけてご家族を説得してくれたおかげ――そして、スン家とトゥラン伯爵家の悪行を暴くことができたおかげだ。

 自然に俺は、温かい気持ちを得ることができた。


「それでは、かまどをお借りしますね」


 せめてもの心尽くしとして、俺たちもふた品ほど料理をお出しする手はずになっていた。

 俺からはナポリタン風のパスタ、ルウ家からはギバ肉の香味焼きである。


 アリアとプラと腸詰肉を切り、家で作っておいたケチャップ風のタラパソースとともに熱を通す。あとは茹でたパスタと混ぜ合わせて、あらかたの水分が飛ぶぐらい炒めればもう完成だ。

 こまかく挽いたギャマの乾酪は、各自の皿に取り分けた後にふりかけていただくことにする。


 香味焼きのほうは、やはりルウ家で下準備してきたものをリミ=ルウたちが焼きあげるだけである。3種の香草に漬けられたカレー風味の香味焼きで、添え物の野菜はアリアとナナールであった。


「出来上がったかい? それじゃあ運んじまおう」


 奥方の作った料理ともども、みんなの待つ広間へと木皿を運んでいく。

 どの料理も大皿に盛りつけられており、それを各自が小皿に取り分ける作法になっていた。


「さすがにここまで大勢のお客を招くのは始めてだったからさ。足りない椅子や卓なんかは、弟の家のを借りてきたり、物置きに放り込んでおいたのを引っ張り出したりしたんだ。ちょいとばっかり傾いてるのは勘弁しておくれよ」


 親父さんは、普段以上の明るい笑顔でそのように言ってくれた。

 他の人々も、おおむね好意的である。表情が固いように思えるのは、やはり年齢のいっているおふた方であった。


 ふたつの大きな卓が広間の真ん中に並べて置かれている。ご家族がその2面を占めていたので、俺たちは対角の2面にそれぞれ腰を落ち着けることになった。

 リミ=ルウとターラはもちろん角の席で隣り合わせになり、俺の左右にはアイ=ファとトゥール=ディンが並ぶ。


 狩人たちは毛皮のマントを壁に掛けさせていただき、大刀もその下にたてかけた。小刀だけは手放せぬことをドーラ家の人々にわびて、ダン=ルティムたちもそれぞれの席につく。椅子に座ることに慣れていないシン=ルウはいくぶん居心地が悪そうであったが、もちろん口に出しては何も言わなかった。


「それじゃあ、いただこう! ……と、森辺には食前の挨拶ってやつがあったんだよな。俺たちにはかまわず、そいつを済ましちまってくれ」


 本日は「ドーラ家のかまど番」という言葉で感謝の文言を捧げさせていただくことになった。

 ドーラ一家のほうは自分たちの家であるためか、特に「賜ります」という言葉もなく、一瞬だけ黙祷してから、木皿を取る。


「こいつはかれーと同じ匂いがするね。実に美味そうだ」


 ドーラ家の人々の大半は、2度目ということもあって恐れげもなくギバ料理を取り分けてくれていた。

 いっぽう俺は、初めて目にするダレイムの晩餐に興味津々である。


 祝日の前夜ということもあり、本日は普段以上に豪勢な料理を準備してくれたらしい。

 汁物料理、煮込み料理、キミュスの焼き肉、ティノの塩漬け、焼きポイタン――ざっと見回しただけでもそれだけの料理が準備されている。


 俺はまず、汁物料理から口をつけさせていただくことにした。

 スープの色は褐色で、香りはミャームーのそれである。

 それに、この色合いからしてタウ油も使われているのだろう。だいぶん懐の温かくなってきたドーラ家でも、タウ油と砂糖を買いつけることになったのだという話は、以前から聞いていた。


 具材は、アリアとネェノンとキミュスの肉、それに正体不明の青菜である。

 どこかで見たことがあるようなないような、とにかく親父さんの店では扱っていない青菜だ。まずそいつから口にしてみると、ほのかに苦味のある青菜らしい素直な味が広がった。


「ああ、そいつはネェノンの葉だよ。そいつは茎からもぐと半日でしなびちまうから売り物にはならないんだけど、俺たちにとっては大事な食料なのさ」


「なるほど。それは役得ですね」


 細く裂かれたキミュスの肉やアリアなどと一緒に口にすると、その食感と若干の苦味はなかなか素敵なアクセントになっていた。

 スープの味付けは塩とタウ油のみであるが、ほっとするような素朴な味わいだ。


 そして、ネェノンである。

 何の気もなしにそいつをかじった俺は、予想外の食感と味わいに驚かされることになった。

 ネェノンというのは、ニンジンによく似た食材だ。

 が、これは俺の知るネェノンよりもしっかりとした噛み応えがあり、そして甘みが凝縮されていた。


 食感としては、シナチクに近いかもしれない。

 それを噛みしめると、ネェノンらしからぬ甘みが口の中に広がるのだ。

 普段は名脇役として他の食材を引きたててくれるネェノンが、この汁物の中では一番確かな存在感を放っているようだった。


「あの、これは何か特別なネェノンを使っているのですか?」


 俺が思わず問いかけると、奥方が「いいえぇ」とはにかむように微笑んだ。


「そいつはね、傷がついて売り物にできなくなったネェノンなんですよぉ。そういうネェノンは他の野菜よりも腐るのが早いから、天日で干して保存するようにしているのさぁ」


「へえ、ネェノンは干すとこのように変化するのですか」


 これは新たな発見であった。

 水に戻してこの食感ならば、よほど入念に干し固めたのだろう。これは汁物だけではなく炒め物でも色々と新しい道が開けるのではないかと俺には思われた。


(さすがは野菜売りの家だなあ。こいつはますます楽しみになってきたぞ)


 お次は、煮込み料理である。

 これには申し訳ていどにカロンの足肉が使われており、野菜のほうはチャッチとプラであった。


 ただし、煮汁は濃い赤紫色であり、ベリー系の甘酸っぱい香りが漂ってきている。

 これは、潰したアロウの実で煮込まれていたのだ。


 アロウというのは、イチゴとブルーベリーの中間みたいな果実である。

 ただし糖度が低いため、菓子などで使用する際は砂糖や蜜を添加しなくてはならない。


 この料理にはそのどちらも使われていなかったので、ただひたすらに酸味がきいていた。

 とはいえ、それほど安価な食材でもないので、色合いの割には大した量も使われていないのだろう。塩漬け肉の塩分と相まって、なかなかユニークな味わいである。


 ダレイムでは、少し前まで塩の他に調味料というものが使われていなかったのだ。そんなダレイムの人々にとっては、香りや味の強いミャームーやアロウやタラパなどが、料理の大事な彩りであったのだろうなと推測される。


(それに、城下町の外では甘い菓子を食べる習慣もなかったんだから、アロウやシールみたいな果実もこうやって普通に料理に使われていたんだろうな)


 そんなことを考えていると、ララ=ルウがいきなり「あーっ!」と大きな声をあげた。


「なんでこんなでっかいプラを入れるんだよ、ちびリミ! あたしがプラを苦手なのは知ってるでしょー!?」


「えー? ミーア・レイ母さんがどんな野菜でも選り好みしちゃダメだって言ってたじゃん。ルドも食べてるんだからララも食べなよー」


「食べるけど、こんな大きいのを入れなくてもいいだろって言ってんの!」


「だって、それよりちっちゃなプラが見当たらなかったんだもん」


 プラというのは、肉厚なイチョウのような形をした、ピーマンのような味の野菜である。確かにこのアロウの煮込み料理では、そのプラが半分に断ち割られただけの豪快なサイズで供されていたのだ。

 あまりに遠慮のない仲良し姉妹のやりとりに俺はどぎまぎしてしまったが、親父さんの奥方は「あらあら」と笑っていた。


「あんたはプラが苦手なのかい? ターラと一緒だねえ」


 しかしターラは、ちょうどその大きなプラを頬張っていたところであった。


「母さんの作る料理のプラはあんまり苦くないよ? ララ=ルウも食べてみなよー」


 ララ=ルウはちょっとしょげた顔になり、隣のシン=ルウをちらりと見やってから、覚悟を固めたように肉厚のプラにかじりついた。


「……あれ? あんまり苦くない……」


「そうだろう? プラってのは、こまかく切れば切るほど苦味が増すんだよ。あたしは嫌いじゃないけれど、小さな子供は苦い野菜を嫌うからねえ」


 確かにピーマンも、縦に切るか横に切るかでけっこう苦味の度合いが変わる。繊維の流れに逆らって切ると、苦味や風味が強まってしまうのだ。


「ララ=ルウはプラが苦手だったのか。小さな子供でもないのに、不思議だな」


 そのように発言したシン=ルウがほんの少しだけ眉をひそめたのは、卓の下で足でも蹴られたのかもしれなかった。


「……怒ったのか? 別にララ=ルウを怒らせるつもりではなかったのだが」


「うるさいな! 黙って料理を食べてなよ!」


 息子さんや奥方たちが、おかしそうにくすくすと笑っていた。

 ララ=ルウの素直さが反感を招いてしまわなかったことに胸を撫でおろしつつ、俺は次なる料理と向き合う。


 最後の大物、キミュスの肉料理である。

 それなりの厚みで切られたキミュスの胸肉が、大皿にででんと積まれている。肉そのものには何の細工もなく、これを野菜のディップとともに、湯通しされたティノの葉でくるんで食べるのがダレイム流の作法であるようだった。


 ディップといっても、クリームなどは使われていない。こまかく刻んだ野菜をタウ油と砂糖とシールの果汁で練りあげた、赤と緑のとろりとしたソースである。

 野菜は、タラパとアリアとネェノンあたりだろう。どれも火は通されていなかったので、タラパの酸味とアリアの辛みがなかなかに刺激的であった。


 タウ油や砂糖を購入していなかった時代は、シールの果汁のみで練りあわせていたのだろうか。

 それだとさすがに味が足りなそうであるが、いま口にしているこの料理は、素朴ながらも十分に美味であった。

 キミュスの肉は主張が弱いので、野菜の旨みがかなりの比重を占めているようだ。


 なお、ティノの塩漬けというやつも、なかなかに味わい深かった。

 使われているのは固い芯の部分であるが、それが少しだけしんなりとして、中心にほどよい歯ごたえが残っている。

 けっこう酸味も強いので、発酵するぐらいの期間を漬け込んでいるのだろう。箸休めにはぴったりの副菜だ。


 あと、焼きポイタンには茹でたアリアが練り込まれていた。

 みじん切りではなく細切りで、いささか主張の強すぎる感は否めないが、練り込む前に熱が通されているために、辛みは完全に消えている。ドーラ家の人々にならって、汁物や煮込みの汁につけて食せば、その存在感もプラスに感じられた。


「いやあ、どの料理も美味しいですね。とにかく野菜が新鮮なので、嬉しくなってしまいます」


「そんな気を使わなくていいよ。こっちだって、アスタたちをそこまで満足させられるとは思っていないさ」


「そんなことはありませんよ。自分では思いつけないような工夫が凝らされているので、とても勉強になります」


「ううん、だけどタウ油や砂糖ってのは、やっぱり扱いが難しくてねえ。下手に使うととんでもないことになっちまうから、毎日おそるおそる使ってるんですよお」


 と、奥方のほうも照れくさそうに微笑みながらそう仰っていた。

 それを受けて、ララ=ルウが「ふーん?」と小首を傾げる。


「だったら料理には混ぜないで、あとから掛けるようにしたらどうかな? あたしなんかも、昔は肉とタウ油を一緒に焼くとすぐに焦がしちゃってたから、しばらくはそうやって味をつけてたんだよねー」


「ああ、それはいいかもしれませんね。タウ油はそのままだと味が濃いので、水で薄めると後掛けでも使いやすくなります。それに、砂糖や刻んだミャームーなんかを混ぜ込むと、また違う美味しさを楽しむことができますし」


 俺がそのようにつけ加えると、「なるほどねえ」と親父さんが破顔した。


「アスタたちの言うことなら間違いないな! 俺たちの野菜でこんなに美味い料理を作れるんだからさ」


 どうやら親父さんは、ナポリタンのパスタがたいそうお気に召したご様子であった。

 その食べ方を教わった息子さんたちも、ぎこちない手つきでパスタを巻き取った三つ又の木匙を口に運びつつ、驚きに目を見張っている。


「これは、うちで買ったタラパを使ってるのかい? 何だか信じられないなあ」


「それは、タラパにアリアとミャームーと、それにチットの実というものも一緒に混ぜ合わせて煮込んだものなのですよね。調味料は、塩と砂糖とピコの葉と、それにママリアの酢というものも使っています」


「ああ、それだけ手間をかけているから、こんなに美味いのか。それじゃあさすがに真似できないな」


「いえ、ですが、分量さえ間違えなければ、誰でも作ることはできます。材料だって、砂糖よりも値の張るものは使っていませんし」


 そんな自分の言葉によって、俺はひとつの閃きを得た。


「よかったら、その分量と作る手順をお教えしましょうか? これは焼いた肉や野菜に掛けるだけでも美味しいですし、一緒に炒めればこういう味になります。あと、焼いた卵にも合うと思いますね」


「ええ? だけど、アスタにそんな手間をかけさせるのは悪いよ。宿屋の連中は、アスタに銅貨を払って料理を作ってもらっているんだろう?」


 ドーラの親父さんがそのように言ったが、俺は「いいえ」と首を振ってみせた。


「それは料理じゃなく、調味料の作り方なんですよ。俺も人様のご家庭に料理の指南をするような真似は厚かましいかなと思えてしまいますが、その調味料を使って美味しい料理を作ってもらえたら、とても嬉しく思います」


「うーん、でもなあ……」


「あと、ユーミが屋台でお好み焼きという料理を売っていますよね。あれで使われているソースやマヨネーズという調味料も、色々な料理に使えると思います。あれだって、作るのはそんなに難しくないですし、作った料理に後から掛けるだけでも美味しいから、とてもお手軽ですよ?」


 親父さんは眉尻を下げながら俺の顔を見返してきた。


「本当に、アスタの迷惑にはならないのかい?」


「もちろんです。いつも俺たちの店を優先して野菜を準備してくれているのですから、俺にも何か恩返しをさせてください」


 そんなわけで、4日後にまたこの家を訪れる際は、ケチャップとソースとマヨネーズの作り方を伝授することがここに約束された。

 このように歓待してくれた御礼としては、まだまだ足りていないぐらいだろう。


 ひとしきり感謝の言葉を述べてから、親父さんは隣の席を振り返った。


「で、お袋たちはいつになったらギバの肉に手を出すんだよ? いいかげんに覚悟を決めたんじゃないのか?」


「ふん。そんな覚悟を決めた覚えはないよ」


 と、静かに汁物をすすっていたターラの御祖母がとげのある声で親父さんに言い返す。


「森辺の罪人は全員とっ捕まったとしても、ギバが恐ろしい獣だってことに変わりはないだろ。どうしてそんなもんの肉をありがたがって食べなきゃならないのか、あたしにはわからないね」


「どうしてって、そいつはギバの肉が美味いからに決まってるだろ? それ以上の理由なんて必要ないよ」


 親父さんは苦笑しつつ、むっつりと黙り込んでいるもうひと方のご老人にも目を向ける。


「叔父御なんかは、ギバに恨みつらみがあるんだろうけどさ。だったらその肉を食らって恨みを晴らせばいいじゃないか? 荒らされた野菜の分まで、ギバの肉を腹に収めてやれよ」


 そうしておふた方も渋々ながら木匙や木串に手をのばしたが、「つるつるすべって食べにくい」「辛くてとても食べられない」という不満の声しかいただくことはかなわなかった。


「しょうがねえな、もう……アスタ、悪いけど、次に来るときはこの老いぼれたちをぎゃふんと言わせられるような料理をお願いするよ」


「実の母親に向かって、なんて言い草だい」


 とても険悪なお顔つきである。

 だけど、森辺の民とギバの両方にひとかたならぬ忌避感を覚えていたダレイムのご老人たちも、こうして俺たちが食卓に同席することを許し、その料理をいちおうは口に運んでくれたのだ。

 さらなる相互理解のために、俺も力を尽くさせていただく所存であった。


「だったらこの次は、ギバのあばら肉を準備するといい! まさかそれで不興を買うことはあるまいよ!」


 と、至極唐突にダン=ルティムが笑い声を響かせた。

 老人がたは、胡散臭そうにそちらを仰ぎ見る。


「ギバはあれほどの力を持つ獣なのだ! その肉を食らえば、ギバにも負けない力を身につけることができる! お前さんたちも大いに力をつけて、これからも美味い野菜を作ってくれ! どんなにギバの肉が美味くとも、野菜がなくては健やかに生きることはかなわぬからな!」


「ああ。あんたたちが身体を張ってギバを狩ってくれているから、俺たちも安心して畑の面倒を見ることができるんだ。あんたたちに恥じることなく、俺たちも自分の仕事を果たしてみせるよ」


 そのように答えたのは親父さんでなく、上のほうの息子さんであった。

 それを皮切りに、息子さんの奥方がララ=ルウやトゥール=ディンに声をかけたり、下の息子さんがシン=ルウに声をかけたりして、食卓もじょじょになごやかな様相を呈し始めた。


 その後には俺たちが手土産として持参した果実酒の栓が抜かれて、いっそう賑やかになっていく。

 もとよりターラはリミ=ルウやルド=ルウと楽しげに談笑しており、このような場では寡黙になりがちなアイ=ファにも親父さんや奥方が話題を振ってくれたりもした。


 親父さんたちを森辺に招いたあの夜と同じように、そういった光景は何がなし俺の胸を詰まらせた。

 次の機会にはユン=スドラやレイナ=ルウ、それにユーミなんかも参加したいと言ってくれている。そうして交流の輪が広がり、そして深まっていけば、森辺とジェノスの間に横たわる根強い齟齬も少しずつ解消されていくだろう。

 楽しそうに食卓を囲んだみんなの姿を見回しながら、俺はそのように思うことができた。


                 ◇


 そうして晩餐が済んだ後は、俺たちに寝室があてがわれることになった。

 が、なかなかの大きさを持つドーラ家でも、そんなにたくさんの部屋が余っているわけはない。男女でひとつずつの寝室が準備され、女衆の部屋にはターラの寝具も持ち込まれることになった。


「それじゃーな、アイ=ファ。ダバッグのときみたいにおかしな騒ぎになることはねーだろうけど、リミたちを頼んだぞ?」


 そんなルド=ルウの言葉とともに、各人が部屋に消えていく。

 最後に残されたのは、申し合わせたように俺とアイ=ファであった。


 窓から差し込む月明かりの下、俺は木の壁にもたれかかる。

 アイ=ファも隣に陣取って、ふっと小さく息をついた。


「まったく慌ただしい一日であったな」


「うん。それで明日は、今日以上に慌ただしいんだろうな」


 明日は朝から『ギバの丸焼き』で、昼下がりからは屋台と宿屋の料理の準備、夜は屋台の営業、余力があったら《ギャムレイの一座》の天幕にもお邪魔する。祭の初日に相応しい慌ただしさである。


「ベイムの女衆は、明後日からであったか」


「うん」


「では、私が屋台を手伝うのも明日限りだな」


 アイ=ファはとても静かな面持ちをしていた。

 たぶん俺も、同じような表情であったろうと思う。


「アイ=ファと一緒に屋台の仕事をするのは、とても楽しかったよ」


「うむ」


「この先も休息の期間中か何かに、修練のさまたげにならない範囲でまた手伝ってもらえたら、俺は嬉しいな」


「……そうだな」とアイ=ファは口もとをほころばせる。


「修練に丸一日を費やすことはないのだから、多少は手伝うこともできよう。……私も存外に、楽しくないことはなかった」


「そっか。そいつは何よりだ」


「うむ。……まあ、かたわらにお前が立っているのだから、そのように思えるのが当然なのであろうがな」


 アイ=ファの表情は、とても優しげだ。

 今でもやっぱり、修練がままならないために余分な肉がついた、などとは思えない俺であったが、それでも少し、どことなく――アイ=ファは以前より、普通の女の子めいて見えるような気がした。


 もとより女性としても十分以上に魅力的なアイ=ファであったが、狩人としての張り詰めた生活から遠ざかり、筋力的な鍛錬も禁じられてしまうと、ホルモンのバランスか何かでそのような変化が生じてしまうものなのだろうか。


(それじゃあ、もしかして……アイ=ファが完全に狩人としての仕事を取りやめたら、ヴィナ=ルウなみのフェロモンがあふれかえったりしてしまうのかな)


 だけど、そんなアイ=ファは想像することさえ難しかった。

 それに、どのような状態でもアイ=ファはアイ=ファであるし、俺が魅了されたのは、狩人としての卓越した力を持つ、凛然としたアイ=ファであった。


 山猫のように目を燃やして困難に立ち向かうアイ=ファも、こうして優しげに微笑むアイ=ファも、俺にとってはどちらも愛おしい。

 そんな思いをこめながら、俺はアイ=ファの瞳を見つめ返した。


「……怪我を治すのにあと10日ほど、狩人としての力を完全に取り戻すのには、そこからさらに半月ほどもかかろう。レム=ドムの相手をするのは、その後になるな」


 アイ=ファは静かな口調のまま、そのように続けた。


「言うまでもないが、私はこの身の力をすべて振り絞り、レム=ドムに相対しようと考えている」


「うん。もちろんそれはそうするしかないんだろうな」


「うむ。……しかし、それでレム=ドムが狩人として生きる道を閉ざされたとしても、森辺の女衆として生きていくだけのことだ。それはべつだん……不幸な話でもあるまい」


 アイ=ファはその口もとにやわらかい微笑をたたえたまま、少しだけ切なそうに眉をひそめた。


「私は狩人として生きていくことができて、心から幸福だと思っている。しかし……女衆として正しく生きることだって、きっと同じぐらい幸福なことなのだろうと思う」


「うん」


「そのように思うことができるようになったのは、お前と出会うことができたからだ」


 そう言って、アイ=ファは壁から背を離した。


「どのように転んでも、レム=ドムは幸福な生を生きることができる。だから私は、心置きなくあの粗忽者を地面に這いつくばらせてやろう」


「今日はそんな荒っぽい言葉が似合わないな、アイ=ファ」


 アイ=ファはけげんそうに小首を傾げてから、きびすを返した。


「では、休むとしよう。お前もしっかりと疲れを癒しておくのだぞ、アスタ」


「うん、おやすみ、アイ=ファ」


 そうしてその慌ただしい一日は、最後だけ静かに、ひそやかに終わりを迎えることになった。

 明日はついに、太陽神の復活祭の幕開けだ。

 俺は最後にもう一度だけアイ=ファと視線を交わしてから、ルド=ルウたちの待つ寝室の扉を引き開けた。

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