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異世界料理道  作者: EDA
第十九章 太陽神の復活祭(上)
337/1675

祭の前夜①~下準備~

2016.6/3 更新分 1/1

 太陽神の復活祭の幕開けとなる『暁の日』――その前日の、紫の月の21日も、変わらぬ慌ただしさで過ぎ去っていった。


 ただ異なるのは、翌日は朝から『ギバの丸焼き』をふるまい、屋台の商売は夜から執り行われる、ということだ。

 ならば屋台の下準備も当日の昼下がりに持ち越せるので、少しは楽ができるのではないか――などという甘い考えは通用しなかった。その分、普段は朝方に仕上げている宿屋の料理も昼下がりから夕刻までの間に仕上げなければならないため、それに向けた段取りを入念に整えておかなければならなかったのである。


 まあ単純に考えて、『ギバの丸焼き』をふるまうという仕事が追加されただけで作業量は減らないのだから、楽になる道理がない。

 それでも、銅貨で雇われたかまど番たちはもちろん、ルウ家の人々までもが自主的に協力を申し出てくれたのは、涙が出るほどありがたかった。


 むろん、仕事が楽になるからありがたい、というだけの話ではない。

『ギバの丸焼き』を無償でふるまうことや、夜間に屋台の商売をすることが、ジェノスの人々との縁を深める一助になるはずだ、という俺の言葉がドンダ=ルウを始めとする人々に受け入れられたことが、嬉しかったのである。


 これまでの森辺の民は、いらぬ騒動を避けるため、復活祭の期間中は宿場町に近づかないように心がけていた。

 森辺の民にとっての神は森のみであるのだから、太陽神の祝祭などどうでもいい。なおかつ、森辺の民はジェノスの民に忌避されているのだから、いっそう町の祭などに近づく理由がない。それがこれまでの、森辺の民のスタンスなのだった。


 俺がアイ=ファに拾われてから、そろそろ7ヶ月が経過しようとしている。

 その間に、森辺の民――少なくとも、ルウ家に連なる人々の意識は、着実に変わりつつある。


 この復活祭をきっかけに、またジェノスの民との関係性が少しでもいい方向に変わっていくといい。

 そのように考えれば、どれほどの忙しさにも文句をつける気持ちにはなれなかった。


                 ◇


「それじゃあ、五の刻になったらまた来るので、どうぞよろしくね」


 宿場町での商売を終えた後、俺はルウの集落でレイナ=ルウたちといったん行動を別にした。

 これは今日に限ったことではない。復活祭の期間中は普段の勉強会を取りやめて、ひたすら商売の下準備にいそしんでいたのである。


 5名のかまど番とアイ=ファを乗せた2台の荷車で、ファの家を目指す。

 ファファのほうの手綱を握っているのは、ガズの女衆だ。この期間中の臨時要員たるガズ、ラッツ、ダゴラの女衆たちも、この時間帯の下準備を手伝ってくれる重要なメンバーであった。

 ちなみに、ダゴラからの報告を受けたベイムも協力を約束してくれていたが、女手が減る前にピコの葉や薪の備蓄にゆとりをもたせておきたいとのことで、『暁の日』の翌日から参加する手はずになっていた。


「アスタたちは、今日の夜からダレイムにおもむくのですよね?」


 と、荷台に収まっていたユン=スドラが呼びかけてくる。


「かなうことなら、わたしも同行したかったです。次の機会までには、なんとか家長を説得してみせますので」


「うん、家の負担にならないようだったら、よろしくね」


 明日の朝一番から作業に参加するメンバーは、今宵からドーラ家に宿泊させていただく手はずになっているのである。

 森辺の集落よりも、ダレイムのほうが宿場町に近い。なおかつ、俺もリミ=ルウも親父さんやターラたちともっと親睦を深めたかった。そのふたつの理由から成る計画であった。


 が、あまり大人数で押しかけては迷惑になってしまうし、小さな氏族の人々には家の仕事がある。ダレイムに泊まり込むかまど番は俺とリミ=ルウとララ=ルウとトゥール=ディンの4名、護衛役の狩人はアイ=ファとルド=ルウとシン=ルウとダン=ルティムの4名であった。

 これでも十分に大人数であるが、親父さんは快く了承してくれた。こういう繁忙期には大勢の人間を臨時で雇うので、寝具にもゆとりがあるのだそうだ。


 で、明日の朝一番はこの4名で作業に取り組み、その後もレイナ=ルウたちが助力に来てくれる予定になっている。これは、復活祭とルウ家の休息の期間が重なっていた恩恵である。


「ああ、みんな集まっているようですね」


 ファの家が見えてくると、そこに集まった女衆たちの姿もうかがえた。

 フォウとランとリッドから集まってくれた、6名ばかりのかまど番たちだ。


「お待たせしました。そちらの準備はいかがですか?」


「ええ。ポイタンは全部焼きあがったし、香草もすべて挽いておきました」


 代表格の、フォウの長兄の嫁たる女衆がそのように答えてくれた。

 この復活祭で際立って作業量が増したのは、カレーの素の作製であった。

 これまでは宿屋に卸す100人前ていどで済んでいたのが、ここ数日でいきなり急増してしまったのである。膨大な量の香草を挽く作業は、こうして屋台の商売に参加しない人々に一任していたのだった。


 いざ調理という面では、やはり俺自身が監督しないとなかなか作業は進められない。

 が、香草を挽く作業や焼きポイタンを仕上げる作業などは、一度習得してしまえば誰にでも任せることができる。フォウやランやリッドなどの協力なくして、これほど商売の手を広げることはできなかっただろう。


 ところで、サイクレウスは特にシムの香草を重宝していたので、ちょっと尋常でない量がトゥラン伯爵家の食料庫に保管されていたのだが、このペースではそう遠くない日に在庫が尽きてしまいそうである、というポルアースの報告をヤン経由で聞いていた。


「すでにシムの商人には、これまで以上の量を仕入れるように話を通しているそうです。タウ油と砂糖に関しても、同様の処置が取られているようですな」


 ヤンは、そのように言っていた。

 食材を独占し、自分のためだけに浪費していたサイクレウスが失脚したため、城下町には使いきれないほどの食材があふれかえることになった。それらを無駄にしないために、宿場町でも馴染みのない食材の味を知らしめてほしい、と俺たちは要請されていたのだ。


 まず、シムの香草とジャガルの調味料に関しては、その難題をクリアーできたようである。

 というか、きっとシムの香草に関しては、俺がひとりで大部分を消費し尽くしてしまったのだろう。ポルアースの呆れながら楽しそうに笑う姿が目に浮かぶようだった。


「あと、さきほどミームの家からこちらの肉が届きました」


「あ、子供のギバですね? いやあ、助かります!」


 ランの女衆が指し示したのは、宿場町で購入しておいた木箱であった。『ギバの丸焼き』に使えそうなサイズの子ギバが収穫できたら譲っていただきたいと、前々から各氏族に告知しておいたのである。

 これはさっそく毛皮の毛を焼いて、あらためてピコの葉に漬けなおさなくてはならない。


 これで、30キロ級の子ギバが3体そろった。

 当日までに数がそろわなかったら成獣のギバの枝肉で代用しようと考えていたが、これでひと安心だ。


「えーと、ミームというのはどちらの氏族でしたっけ?」


「ミームは、スンの集落とリッドの集落の真ん中ぐらいにある家です。ラッツやアウロの眷族ですね」


 森辺には、族長筋に血の縁を持たない小さな氏族が17ほど存在する。その中で、11もの氏族がファの家の商売に賛同し、今ではその過半数が具体的に協力してくれているのだ。


 ディンとリッドはザザの眷族であるから除外して、フォウ、ラン、スドラ、ガズ、ラッツ、ミーム、アウロ――あとはたしか、ガズの眷族でマトゥアというのがいたはずだから、8つもの氏族が力を貸してくれていることになる。ライエルファム=スドラやバードゥ=フォウたちが、休息の期間に血抜きと解体の手順を彼らに伝授してくれたので、それだけの氏族から肉を買うことが可能になったのだ。

 家が遠いために前回は見送られた残り3つの氏族に関しても、次の休息の期間には足を運ぶつもりだとライエルファム=スドラは述べていた。


 ちなみに、宿場町の商売に反対している小さな氏族は、わずか5氏族しか存在しない。17から11を引いて、さらにそこから当のファの家も除外するからだ。

 その内の、ベイムとダゴラはすでに血抜きと解体および美味なる料理の作り方を学び始めている。


 で、族長筋と眷族たちがすでにその作法を学んでいることを合わせて考えると、もはや森辺において以前の通りの食生活に身を置いているのは、賛成派と反対派の氏族がそれぞれ3つずつ、合計で6氏族しか存在しない、ということになる。


 気づけば、森辺ではそれだけの変革が為されていたのだ。

 俺としては、大いなる喜びを噛みしめるとともに、いっそう身の引き締まる思いであった。


「よし、それじゃあ作業を開始しましょう。それぞれの班に分かれてください」


 カレーの素の作製といっても、もちろん翌日で使う分を前日に仕上げているわけではない。現在は5日先に使う分までは確保しており、それぐらいの在庫を常にキープできるよう毎日作業を進めている、という状態だ。


 かまど番は2つの班に分かれて、それぞれの作業に取り組むことになる。

 挽いた香草を定められた分量で混ぜ合わせて、それを炒める班。昨日までに炒めておいた香草を、さらに加工してカレーの素に仕上げる班だ。


 すでにランとリッドには1名ずつ、炒めるまでは任せられる人材が育っている。その2名が指導役となって、ガズやラッツなどの女衆たちの育成にあたっていた。


 いっぽう俺は、カレーの素を仕上げる作業の手ほどきをしている。現在のところ、免許皆伝となったのはトゥール=ディンのみであり、まもなく習得に至りそうなのはユン=スドラとフォウの女衆だった。


 これらの作業には、もちろん賃金が発生する。最低賃金は時給赤銅貨2枚であり、最高峰に達したトゥール=ディンは赤銅貨5枚である。

 定期販売の目処が立っている『ギバ・カレー』の下準備は、これから先も人手が必要になる。それを見越しての育成計画であった。

 カレーの素の作製を完全に任せられるようになれば、彼女たちには賃金として富が分配され、俺は別の料理の開発に時間を割けるようになる。燻製肉の作製と同様に、俺はそういう分業のシステムを確立させているさなかなのだった。


「これが済んだら、次はぱすたの作製ですよね? 他にやるべき仕事は何が残っているのでしょうか?」


 アリアを刻みながらトゥール=ディンが問うてきたので、「そうだなあ」と俺は思案した。


「とにかく明日の昼下がりからが戦場だから、すみやかに作業を開始できるように段取りを整えておくことだね。具体的には、食材の仕分けと肉の切り分けかな。あと、『ポイタン巻き』で使うタウ油の汁なんかは今日の内に仕上げておかないとね」


 宿屋に卸す料理と屋台の料理の下準備を同時に完了させなければならないのだから、何より重要なのは作業手順の構築となるだろう。

 こればかりは、俺が頭を悩ませる他なかった。

 ルウ家でも、レイナ=ルウとシーラ=ルウが同じように頭を悩ませているはずだ。


 そこでアイ=ファが「む」とおかしな声をあげた。

 北のほうから、荷車の駆ける音色が近づいてきたのだ。


 何気なく目をやった俺は、思わず息を呑んでしまう。

 屋根なしの荷車を引いた、少し羽の色が黒みがかっているトトス。その手綱を握っていたのは、ギバの頭骨をかぶった魁偉なる男衆であったのである。


「ドムの家長か。ひさしいな」


 ドンダ=ルウを超える巨体を持つディック=ドムは、無言のまま御者台から降り立った。

 その背後の荷台に乗っていたのは、レム=ドムとスフィラ=ザザだ。


「……ファの家長よ、森の主との闘いにより、深い手傷を負ったそうだな。その後の具合はどうだ?」


「うむ。普通に動く分には、もはや何の痛みもない。もう10日ほども経てば、なまりきった身体を鍛えなおす修練を始めることがかなうであろう」


「それは何よりだ。お前のように優れた狩人が完全に力を失うようなことにならず、俺は喜ばしく思っている」


 頭骨の陰で黒い瞳を燃やしながら、ディック=ドムはそのように述べた。

 やはり俺やアイ=ファと同い年とは思えぬ迫力と貫禄である。


「先日までは、俺の愚かなる家人が大きな迷惑をかけてしまったな。……そして今日は、さらなる申し出を述べなくてはならないことを心苦しく思う」


「ドムの家長が、私に何を申し出ようというのだ?」


 悠揚せまらず、アイ=ファは問うた。

 ディック=ドムは、しばし口をつぐんでから、答える。


「俺の愚かなる妹は、どうしても狩人として生きたいという思いを捨てることができぬらしい。だから俺は、ひとつの条件を出すことにしたのだ」


「……ふむ?」とアイ=ファは目を細める。

 ディック=ドムは、その姿を真っ直ぐ見返しつつ、言った。


「手傷の治ったのちのファの家長と力比べをして、それに勝つこと。……それが俺の出した条件だ」


 俺は思わずアリアを地面に落としてしまいそうになった。

 アイ=ファは、無言である。


「お前は女衆でありながら、比類なき力を持つ狩人だ。お前のような女衆であれば、狩人として生きていく資格はある、と俺は考える。……逆に言えば、お前ほどの狩人でなければ、女衆としての仕事を捨て去ることなど許されないと思う、ということだ」


「…………」


「だから、このレムにお前を打ち負かすほどの力があると証しだてられれば、俺は自分の気持ちを曲げて、狩人になることを認めようと思う」


「……何よりも大事な家族の命運を、私などに託そうというのか?」


 アイ=ファはひどく静かな声で言った。


「私はそれなりに長きの時をレム=ドムと過ごした。もしかしたらその間に情が移って、レム=ドムの思いをかなえさせてやりたいと思うように至っているかもしれん。……そのときは、私があえてレム=ドムに勝利を譲り、力の足りないまま狩人になることを許し、あえなく森に朽ちる運命を授けてしまうかもしれぬのだぞ?」


「お前はそのように浅はかな真似をする人間ではないと、俺は信じた。それでレムの運命がねじ曲がるなら、それは俺の罪だ」


 黒い火のように双眸を燃やしながら、ディック=ドムもまた静かな声で答える。


「その場合も、お前に不当な恨みをぶつけることはしないと、ここに誓おう。俺はこの生命が尽きるまで、自分の間抜けさを呪いながら狩人の仕事を果たしていく」


「お前からそこまでの信頼を得られるような機会が、これまでにあっただろうか?」


「それを決めるのはお前でなく俺だ、ファの家長よ」


 それきりディック=ドムは口をつぐんでしまった。

 そのかたわらに、レム=ドムが音もなく進み出る。


「わたしからもお願いするわ、アイ=ファ。どうやらわたしがドムの人間のまま狩人として生きるには、それしか道がないようなのよ」


 レム=ドムの表情もまた、常になく静かなものであった。

 その口もとには、何か達観したような微笑が浮かんでいる。


「わたしはやっぱり、ディックとともに生きていきたい。ドムの人間として、レム=ドムとして、狩人になりたいの。これであなたに敗れるようなら、もうドムの氏を捨ててまで狩人になりたい、とも言わないことをここに誓うわ」


 それがこの数日間で得られた、レム=ドムとディック=ドムの結論であったのだ。

 アイ=ファはいったんまぶたを閉ざしてから、普段の口調に戻って言った。


「私が神聖なる狩人の力比べを汚すようなことはありえない。それがわかっているのなら、お前たちの願いを聞き入れよう」


「ありがとう、アイ=ファ」とレム=ドムは嬉しそうに目を細める。

「ファの家長の温情に感謝する」とディック=ドムはその頭を垂れた。


「それではレムはこれまで通り、ファの家の近くに住まわせることにする。本人が、それを望んでいるのでな。……ファの家のアスタよ、迷惑でなければ、またこいつに仕事を与えてやってほしい」


「はい、わかりました」


 そのように答えつつ、俺はスフィラ=ザザが涙のにじんだ目でアイ=ファをにらみつけていることに気づいた。

 きっと彼女は、このような条件なしにディック=ドムがレム=ドムの願いを退けてくれることを祈っていたのだろう。

 なおかつ、アイ=ファが彼らの願いを退けてくれることも期待していたに違いない。


 その気持ちはわからないでもないが、決断するのは当人たちだ。

 覚悟に満ちた両名を前に、俺は口をさしはさむ気持ちにはなれなかった。


「では、どうかこの愚かなる妹をお願いする。俺はスフィラ=ザザをルウの集落に送らねばならないので、これで失礼する」


「スフィラ=ザザは、またルウの集落に留まるのですか?」


「ああ。もうしばしルウとファの宿場町での行状を見守るよう、グラフ=ザザに申しつけられたらしい」


 そうしてディック=ドムはスフィラ=ザザとともに姿を消し、そこにはレム=ドムだけが残された。


「それじゃあ、またよろしくね。さっそく今晩の糧を得るために、仕事を手伝わせていただこうかしら?」


 普段のしたたかさを回復させ、レム=ドムはにっと白い歯を見せた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] もはや森辺において以前の通りの食生活に身を置いているのは、賛成派と反対派の氏族がそれぞれ3つずつ、合計で6氏族しか存在しない、ということになる。 反対派氏族3つはわかるけど、賛成派で…
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