ギャムレイの一座②~軽業師と怪力男~
2016.5/31 更新分 1/1
ピノの言う客寄せの芸とやらが始まったのは、中天を少し過ぎたぐらいの頃合いであった。
「さあさ、今日からジェノスでお世話になる《ギャムレイの一座》だよォ。御用とお急ぎでない方は、ごゆるりとお楽しみあれェ」
ピノの声に、賑やかな笛と太鼓の音が重なる。
恐竜の屍骸みたいな巨大な天幕の前に、複数名の芸人たちが立ち並んでいた。
そのど真ん中に陣取っているのは、ピノと大男だ。
他の者たちは天幕に背中をつける格好で、お囃子を鳴らしている。
やはり日本の祭囃子とは風情の異なる、どちらかというインドやアラビアなどを思わせるエキゾチックな旋律である。
長い褐色の髪をくるくると頭に巻きつけた妖艶なる女性が、横笛を吹いている。
仮面の小男ザンは、大きなコンガのような太鼓を叩いている。
アルンとアミンの双子が振っているのは、こまかい金属の板が何枚もくくりつけられた木の棒だ。あんまり俺には聞き覚えのない、きらびやかな音色がしゃりしゃりと響いている。
わずか4名の演奏であったが、実に賑やかで、なおかつどこか物悲しくもあるような音色であった。
吟遊詩人ニーヤの姿はどこにも見られない。さきほどの言葉が妄言でないならば、城下町に出向いているのだろうか。
ともあれ、道をゆく人々は興味深げな様子で足を止めていた。
そうでなくとも、俺たちの店の真ん前である。10メートルほどの幅を持つ石の街道をはさんで、屋台や青空食堂からでも彼らの様子は十分に見て取ることができる。食堂に腰を落ち着けていた80名からのお客さんがたも、大喜びで喝采をあげていた。
その歓声を満身にあびながら、ピノと大男はさらに一歩進み出る。
大男は、その腕に何本もの棒を抱えていた。
グリギのように真っ直ぐで、橙色をした棒である。それぞれ長さは1・5メートルぐらい、太さは7、8センチほど、そんなものを6本ばかりも抱えている。
大男が、その1本をピノに投げ渡した。
ピノはその棒を肩にかつぎ、背後からの演奏に合わせてくるくると躍り始める。
三つ編みにした長い髪と振袖のような装束がひらひらと軌跡を描き、観客たちにいっそうの歓声をあげさせた。
何とも華やかな童女である。
一挙手一投足に目をひかれてしまう。屋台に並んでいたお客さんたちも、しばし視線を釘付けにされてしまっていた。
その間に、大男がのそりと動く。
その手に抱えていた棒の1本を、かつっと街道に打ちつけたのだ。
棒を垂直に立てて、それを片手で支えている格好である。
すると、にわかにピノがそちらを振り返った。
振り返りながら、肩にかついでいた棒を、両手で頭上に高く掲げる。
その体勢で何歩か引き下がり、やがてピノはとんっと地面を蹴った。
小さな身体が、ふわりと宙に舞う。
そうしてピノはその手の棒を地面に振り下ろし、まるで棒高跳びの選手みたいに、さらなる高みへと跳躍した。
おおっと歓声のあがる中、ピノは空中でもう一度棒を振り上げる。
ピノの持つ棒の下側と、大男の支える棒の上側が、がつっと音をたてて衝突した。
すると、いったいどういう仕組みになっているのか、棒と棒は1本にくっついてしまい、それをつかんでいたピノは3メートルの高みからだらんと垂れ下がる格好になった。
人々は、感心したように手を打ち鳴らす。
棒には何かジョイントできる仕組みがあったのだろうが、そうそう真似のできるような芸当ではない。俺の隣の屋台では、トゥール=ディンが「うわあ」と感嘆の声をあげていた。
が、彼らの芸はそれからが本番であった。
高みに浮いたピノのもとに、大男が新たな棒を放り投げたのだ。
片腕1本で自分の身体を支えたピノが、それを楽々とつかみ取る。
そうしてピノは、反動をつけてその棒を振り上げると、そいつをさらに上側にジョイントさせてしまった。
で、子猿のようにするすると、そのてっぺんにまで登り始めたのである。
1・5メートルの棒が3本分で、4・5メートルだ。
すでに天幕の天井に届こうかという高さである。
大男はさらに棒を放り投げ、ピノはまた同じことを繰り返す。
高さは、およそ6メートル。
だんだん歓声も悲鳴まじりになってきた。
そして大男は最後の1本までもを宙に投じ、高さは7・5メートルにも達した。
2階建ての建物の屋根ぐらいにまで届く高さである。
棒がゆらゆらとしなり始めているのが、また恐ろしい。
この棒は、地面に固定されているわけではないのだ。大男が、片腕で支えているばかりなのである。
右腕を、ぎゅっとつかまれた。
見ると、持ち場から離れたトゥール=ディンが、青い顔で俺の腕を抱きすくめていた。
そうして驚くべきことには、クライマックスはこれからだったのである。
今度は明らかに、悲鳴があがった。
トゥール=ディンも、いっそう強い力で俺の腕を抱きすくめてきた。
高さ7・5メートルの細い棒の上に、ピノがひょっこりと立ち上がってみせたのだ。
さらにさらに、大男は両手で棒をつかみ取ると、それをそのまま地面から持ち上げてみせた。
「ほう」とアイ=ファさえもが感心したような声をあげる。
しかし、感心どころの話ではなかった。いったいどれほどのバランス感覚と怪力が合わさったらこんな芸当が可能になるのか、俺には想像すらつかなかった。
驚きの声や悲鳴をあげる人々の頭上に、軽妙なる音色が降ってくる。
半分忘れられていた楽団の演奏に合わせて、ピノも横笛を吹き始めたのだ。
その音色を聞きながら、大男は右腕を頭上にのばした。
棒の高い位置をつかみ取り、そのまま残った左腕で、一番下の棒をひっこぬく。
そうして大男が右腕を胸の高さにまで下ろすと、その分だけピノの姿も地上に近づいてきた。
さらに大男は同じ動作で、2本目の棒をひっこぬく。
3本目、4本目とだんだん棒が短くなっていく間、ピノはそのてっぺんに直立したまま、涼しい顔で横笛を吹いている。
そうして棒が最後の1本になると、ピノは笛を吹きながら、そこから跳躍した。
瘤のような筋肉の盛り上がった大男の右肩の上に、ピノの身体がふわりと降り立つ。
そこで、歓声が爆発した。
ピノは大男の肩に乗ったまま、妖艶な笑顔でそれに応える。
知らずうち、俺も拍手をしてしまっていた。
もっとも、右腕を固定された状態であったので、あまりしっかりと彼女たちを祝福することはできなかった。
「アスタ……もう終わりましたか?」
「うん。娘さんは無事に生還してきたよ」
トゥール=ディンは俺の右腕を抱きすくめたまま、ぎゅっとまぶたをつぶってしまっていたのだった。
そのまぶたをおそるおそる開けてピノの無事な姿を見届けたのち、トゥール=ディンはほーっと安堵の息をついた。
で、アイ=ファの視線に気づいて真っ赤になり、俺のそばから跳び離れる。
「も、申し訳ありません! あまりに恐ろしくなってしまったものですから……」
「そこまで慌てずともよい。……ただし、お前ももう幼子ではないのだから、むやみに家族ならぬ男衆に触れるべきではないだろうな」
いかに10歳から男女の別が分けられるとはいえ、容赦もへったくれもないアイ=ファの弁であった。
トゥール=ディンは真っ赤なお顔のまま、これ以上ないぐらい縮こまって自分の持ち場へと引っ込んでいってしまう。
その間も、ピノたちは喝采をあびていた。
なおかつ、可愛らしい双子たちが楽器を大きな草籠に持ち替えて、ちょこちょこと街道を行き来している。きっと見物料を集めているのだろう。
「あれが、曲芸というものか。あの者たちは、ああして芸をすることで銅貨を稼いでいるのだな」
「ああ、実にものすごい芸だったなあ」
「うむ。あれほどの体術を身につけるには相当の鍛錬が必要となるだろう。誇りがなくては、つとまらぬ仕事だ」
どうやらアイ=ファの中で旅芸人に対する評価が上昇した様子であった。
もちろん、俺も同感である。
「おう、お疲れさん。お前さんたちは大した芸人だな」
屋台に並んでいたジャガルのお客さんが、陽気な声でそのように言った。
双子の片割れが、こちらのほうにまで近づいてきていたのだ。
お客さんの何人かは、気前よくその草籠に銅貨を放り入れていた。
そちらに頭を下げてから、少女とも少年ともつかない幼子が俺のほうにおずおずと目を向けてくる。
「あの……あちらの客席にもお邪魔してよろしいでしょうか?」
鈴を転がすような、可憐な声であった。
しかし直感的に、これは男の子であるような気がした。節穴認定されている俺が言っても説得力は皆無であろうが、どうもこの双子たちは男女の兄妹であるような気がしてならないのだ。
「うん、もちろんかまわないよ。……あ、ちょっと待って」
俺は身を乗り出して、草籠の中身を覗き込んだ。
なかなかの収穫であるようだが、やっぱりそのほとんどは赤銅貨を半分に割った割り銭だ。中には、俺が使用したことのない4分の1サイズの割り銭まで混ざっている。
敬意を評して、俺は割られていない赤銅貨を1枚、その中に投じてみせた。
少年は、恐縮しきった様子で頭を下げる。
「あちらでは果実酒を召されているお客さんもいるから、気をつけてね。……ねえ、君はアルンなのかな? アミンなのかな?」
「……僕は、アルンです」
かぼそい声で言い捨てて、少年アルンは逃げるように立ち去っていった。
だけどまあ、シャイな子供も可愛いものである。トゥール=ディンのことだって、もちろん俺は大好きだ。
「いやあ、すごかったですね! あんなにすごい芸は初めて見ました!」
と、屋台をひとつはさんだ向こう側から、マイムがそのように呼びかけてきた。
今日も彼女は、俺たちより4、50分ほど遅めに営業を開始していたのである。
「あの一団は去年の復活祭にも来てたらしいけど、マイムは見たことがなかったのかな?」
「はい! 去年は宿場町に足をのばす機会もあまりありませんでしたので」
きらきらと楽しそうに瞳を輝かせながら、マイムはそう言った。
「あの天幕ではどのような芸を見せているのでしょうね? わたしも何だかすごく興味がわいてきてしまいました!」
「よかったら、マイムも一緒に行くかい? 俺たちはターラと一緒に明後日に行く予定なんだ」
「えー、うーん、それはもちろん行きたいですけど……でも、勝手に銅貨を使うわけにもいきませんし……」
「ミケルだったら快く許してくれるんじゃないかな? もしも許してもらえなかったら、俺がもらった無料の権利をマイムに譲ってあげるよ」
「ありがとうございます!」とマイムは満面に笑みを浮かべた。
元気いっぱいで屈託のない女の子は、シャイな女の子と同じぐらい魅力的なものである。
そうしてしばらくすると、旅芸人の一団は鳴り物を鳴らしながら、ぞろぞろと南側に移動し始めた。
今度はもっと賑やかな区域で客引きをするのだろう。
天幕のほうも、客引きのパフォーマンスと同時に営業を開始したらしい。朝方は閉ざされていた入口の幕が大きく開かれて、ちらほらとだがお客を招き入れていた。
昼には獣使いの芸がお披露目されているという話であったが、いったいどのような芸なのだろう。
ピノたちと出会った朝方以上に、俺の中の期待感もすっかりふくれあがってしまっていた。
◇
その後はとりたてて目立った変事もなく、俺たちは仕事を終えることになった。
料理の売れ行きも上々だ。本日売れ残ったのは、『ギバまん』が2食分と『ミャームー焼き』が5食分のみであった。
「このままでいくと、やがて料理は足りなくなってしまいそうですね。その場合は、以前にお話しした通りのやり方でかまわないのでしょうか?」
屋台を片付けながら、レイナ=ルウがそのように問うてくる。
「うん。『ギバまん』や『ギバ・バーガー』なんかは無理をしないで、準備のしやすい料理だけを増やしていく方針でいいんじゃないのかな。料理の下準備も、かなりいっぱいいっぱいだからねえ」
「それならば、助かります」
そんな風に答えるレイナ=ルウは、いくぶん浮かない顔をしているように感じられた。
「どうかしたのかい? 何か他に心配事でも?」
「いえ……ただ、あまりにマイムの料理が見事であったものですから……自分の用意した料理が、あまりに拙いのではないかと思えてきてしまったのです」
「ええ? そんなことはまったくないよ。初お披露目の『照り焼き肉のシチュー』だって、『ギバのモツ鍋』より早く売り切れたぐらいなんだろう? 味見に来てくれたヤンだって、レイナ=ルウの腕前には驚いていたじゃないか?」
「だけど、それならばアスタはわたしたちのしちゅーとマイムのカロン乳を使った料理と、どちらが美味であると思いますか?」
レイナ=ルウの表情は、真剣そのものであった。
これは心して答えねばならない。
「うーん……現時点での完成度でいえば、確かにマイムのほうが上かもしれない。でもそれは、レイナ=ルウたちにまだまだのびしろが残ってるっていうことだと思うんだよね。あの『照り焼き肉のシチュー』にしてみても、作りなれていく過程でもっと美味しくなっていくんじゃないのかな」
「それはまだ味付けや熱の入れ方に至らない部分がある、ということでしょうか?」
「簡単に言うと、そういうことなのかもしれない。でも、現時点でもあれは十分に美味しい料理だよ?」
俺は片付けの手を止めて、レイナ=ルウの顔を正面から見つめ返した。
「それじゃあ逆に聞くけれど、俺の『ロースト・ギバ』とマイムの料理は、どちらが美味だと思えるかな?」
「それは……」とレイナ=ルウは言いよどんだ。
「もちろんアスタのろーすとぎばはとても美味だと思いますが……マイムの料理のほうが、より驚きをもたらされたと思います」
「そうだろうね。でも、商品という意味で、俺は『ロースト・ギバ』がマイムの料理に負けているとは思っていない。いかにも肉料理らしい『ロースト・ギバ』や『ギバのステーキ』は、とてもお客さんたちに喜んでもらえたからね。……俺はね、自分に必要な勉強を重ねながら、マイムに負けない料理人になれるように頑張っていこうと考えているよ。目先のことで一喜一憂したって、あんまり身になるとは思えないからさ」
レイナ=ルウはしばらく押し黙ってから、「はい」とうなずいた。
「申し訳ありません。ことあるごとに、このような弱みをさらしてしまって……わたしはきっと、シーラ=ルウよりも意気地のない人間なんです」
「そんなことないってば。俺だって根っこは負けず嫌いだから、レイナ=ルウの気持ちもちゃんと理解できていると思うよ?」
レイナ=ルウは、はにかむように微笑んだ。
レイナ=ルウらしい、とても魅力的な笑い方だった。
そこに、「アスタ」と呼びかけられる。
振り返ると、ザザ家の2名とレム=ドムが立っていた。声をかけてきたのは、メイ・ジーン=ザザだ。
「ファとルウの家の行状を、この目でしかと見届けさせていただきました。わたしたちは本日北の集落に戻り、自分が見て感じたことを正しく家長に伝えたいと思います」
「そうですか。どうぞよろしくお願いいたします」
メイ・ジーンザザもスフィラ=ザザも、とても強い目で俺とレイナ=ルウを見つめていた。
そんな彼女たちのかたわらで、レム=ドムは肩をすくめている。
「わたしもドンダ=ルウとの約定通り、ディックと話をつけてくるわ。縁があったらまた会いましょう、アイ=ファ、アスタ」
「うん。どういう結果であれ、ふたりが理解し合えるように祈っているよ」
アイ=ファも、無言でうなずいていた。
これが長きの別れとなるのか、あるいはドムの家を飛び出した彼女とまた明日にでも再会することになるのか、結果は神のみぞ知るである。
「あらァ、今日の仕事はもうおしまいなのかい?」
と、さらに新たな声に呼びかけられる。
振り返るまでもない。それはピノの声であった。
「ああ、どうも。さきほどの芸は素晴らしかったですよ。明後日がますます楽しみになりました」
「そいつはありがとうねェ。あんまり危ない真似をするなと、衛兵どもには説教をくらっちまったけどさァ」
そんな風に言いながら、ピノはぺろりと小さな舌を出した。
彼女にしては、稚気にあふれる仕草である。が、やっぱり子供扱いする気になれない。
「ま、アタシらはそんなお粗末な芸人じゃないやと突っぱねてやったけどねェ。……それよりも、さっきは立派な食事をありがとサン。あんまり美味いもんだから、最後には取り合いになっちまったよォ。明日からは、もう三人前ぐらい増やさないと、それこそ血を見る騒ぎになっちまいそうだねェ」
「あはは。それは恐縮です」
「まったく大した料理人さね。はるばるジェノスまで出向いてきた甲斐もあったってもんだよォ」
そのように言ってから、ピノは後片付けに励む俺たちの姿をぐるりと見回した。
「アンタたちは、もうお帰りかい? だったら、最後に遊んでいっちゃどうだろう? 今、あっちでドガが力比べをしてるんだよねェ」
「力比べ?」
そういえば、さきほどから天幕の前には人だかりができていたのだ。
その上から大男の首から上だけは見えているが、何をしているのかはさっぱりわからない。
「棒の引っ張り合いだよォ。ドガが2本の棒を持って、お客さんは好きな人数でそれを引っ張るのさァ。挑む人間は割り銭を払って、見事にドガを引っ張り倒すことができたら、全員に10倍返しっていうお遊びさねェ」
棒というのは、さっきの曲芸で使用した棒のことなのだろうか。
だとすれば、かなりの人数がいっぺんに参加することが可能である。
が、俺はあの大男が敗北する図を思い描くことができなかった。
「アンタたちは、力自慢の森辺の狩人なんだろォ? だったらひとりでもドガをひっくり返すことができるんじゃないのかねェ?」
ピノの目が、俺のかたわらにすうっと向けられる。
その視線の先にいたのは、アマ・ミン=ルティムと言葉を交わしていたルド=ルウであった。
「へーえ、あのでかぶつと力比べかよ。そいつは面白そうじゃねーか」
「ルド=ルウ」とアイ=ファが静かに声をあげる。
そちらを振り向き、ルド=ルウは陽気にウインクをした。
「それなら、うってつけの狩人がいるぜ? ……おーい、ジィ=マァムはどこに行ったぁ?」
「どうした。何か面倒事か?」
と、荷車の裏から巨大な人影が進み出てくる。
「なんかあっちで町の人間が力比べをしてるんだってよ。森辺の民なら勝てるんじゃねーかとか言われてんだけど、あんたが挑んでみたらどうだ?」
「ほう」と双眸を光らせながら、ジィ=マァムはピノの姿を見下ろした。
「お前はさきほど不思議な芸を見せていた娘だな。ということは、相手はあの俺よりも大きな男か」
「ああ、アンタも立派な身体をしてるねェ。それでもドガよりは小さいだろうけどさァ」
ピノは、にいっと微笑んだ。
ジィ=マァムは「よかろう」と重々しくうなずく。
「あの男がどれほどの力を持っているのかは、俺も気になる。よかったらマァム家の長兄ジィ=マァムが挑ませてもらおう」
「決まりだねェ。それじゃあ、こちらにずずいとどうぞォ」
何だかおかしな成り行きであった。
だけどまあ、驚くべきことに体格ではあちらのほうが優っているのだから、敗北しても森辺の民の恥にはならないだろう。俺はアイ=ファとルド=ルウ、それに興味を持ったらしいレム=ドムも引き連れて、冗談みたいに体格差のある男女の後ろを追いかけることにした。
「な、これなら文句はねーだろ?」
歩きながらルド=ルウがそう言うと、アイ=ファは「うむ」とうなずいた。
それ以降、ふたりは口を開こうとしないので、「いったい何の話だい?」と問うてみる。
「んー? 力自慢の人間だったら、俺みたいな小さな相手に負けるのは恥になっちまうだろ? だから、ジィ=マァムに出番を譲ったんだよ」
「ル、ルド=ルウはあの大男に勝てるっていうのかい?」
「あったり前じゃん。棒の引っ張りっこだろ? そんなの森辺の狩人だったら、薪を使って餓鬼の頃からやってるぜ?」
ルド=ルウの言葉に、アイ=ファもうなずく。
「勝負を制するのは力のみではない。それがわかっていれば、誰でも町の人間に敗れたりはすまい」
「だけど、ジィ=マァムはどうだろうなー? それこそ力を使うことしか頭にねーから、町の人間ともいい勝負になっちまうんじゃねーの?」
何とも呆れた話であった。
かたわらでは、レム=ドムが好戦的な笑みをたたえている。
「それこそわたしが力試しで挑ませてもらいたいぐらいだったけどね。何だかアイ=ファに怒られそうだったから、やめておいたのよ?」
「当たり前だ。町の人間といらぬ悶着を起こすべきではない」
その声に、「うわあっ!」という男たちの悲鳴が重なった。
同時に、歓声が巻き起こる。
大男のドガが、6名ばかりの男たちをなぎ倒したのである。
やはり曲芸で使っていた、1・5メートルぐらいの棒だ。ドガはその棒を両手に1本ずつ握りしめたまま、群がるお客さんたちに頭を下げていた。
本当に、とほうもない大男である。
ジィ=マァムよりも頭半分は大きいから、2メートル10センチから20センチぐらいはありそうだ。
しかもその全身が岩のような筋肉に包まれており、横幅や厚みも尋常ではない。巨大な灰色熊が毛皮を脱ぎ捨てて立ちはだかっているかのような質量である。
頭はつるつるに剃りあげており、せり出た眉の下で青い瞳が鈍く光っている。巨大な鷲鼻と分厚い唇、ごつごつとした頬骨に四角い下顎などは、幼子だったら泣きだしそうなほど厳つくて、岩の巨人さながらであった。
ちなみに肌の色は赤銅色で、もとの色がわからないぐらい日に焼けてしまっている。
もしかして彼にはマヒュドラの血でも入っているのではないかと思い至ったが、もちろんそんな想念は胸の奥にしまっておくことにした。
「ドガ、こちらの立派な狩人サンが遊んでくださるそうだよォ? 一対一の勝負をご所望だってさァ」
大男ドガが、のろのろとジィ=マァムを振り返る。
感情のない、動物のような目つきであった。
森辺の狩人の登場に、お客さんたちはどよめきをあげる。
「……ルウの末弟よ、狩人の衣と刀を預けてもよいか?」
「ああ、頑張ってくれよ、ジィ=マァム」
ジィ=マァムはうなずき、ドガの前に立ちはだかった。
やはりドガのほうがひと回りも巨大である。
か弱き俺から見たら、大怪獣の一騎打ちだ。
「ああ、森辺の狩人サン、いちおう割り銭を払ってもらえるかねェ? アンタが買ったら、10倍でお返しするからさァ」
「銅貨の持ち合わせはない」とつぶやきながら、ジィ=マァムは狩人の首飾りを外し始めた。
そこから1本の牙を引き抜き、地面に置かれていた草籠の中に放り入れる。
「売れば、赤銅貨3枚にはなろう。それで文句はないか?」
「はいはァい。それじゃあアンタが負けちまったら、2枚の赤銅貨と割り銭をお返しするよォ」
いったいどのような結末を期待しているのか、ピノはとても愉快そうな面持ちであった。
「それじゃあ、そっちの輪の中に入ってもらえるかねェ? その輪の外に足を踏み出したり、すっ転ばされたりしたほうが負けだよォ?」
石の街道に、直径1メートルぐらいの赤い輪が描かれている。
よく見ると、それは染料か何かで色のつけられた荒縄であった。
大男ドガも、別の赤い輪の中に身を置いているのだ。
ジィ=マァムは、無言でその輪の中に足を進める。
ドガもまた無言で片方の棒を放り捨て、残った棒の先端をジィ=マァムに突きつける。
ジィ=マァムは、無造作にそれをわしづかみにした。
「それじゃあ、始めェ」
双子と女性と小男の楽団が、ちょっと勇壮なる演奏を奏で始める。
それと同時に、ふたりの巨人は木の棒を引っ張り合った。
すさまじい力の競り合いである。
両者の腕や肩に、小山のような筋肉が盛り上がっている。踏みしめた石敷きの地面が、圧力でひび割れてしまいそうだ。
そんな暴虐なる力にさらされて、棒は弱々しく軋み始めた。
その棒がへし折れることこそが、唯一の正しい道であるように思えてならなかった。
腰を落とし、両腕で棒をひっつかんだまま、両者は動かない。
完全に力が拮抗しているのだ。
こんな大男にも負けないジィ=マァムも、森辺の狩人に負けないドガも、どちらも怪物だとしか思えなかった。
そうして息の詰まるような数十秒間が過ぎ、いきなり結末は訪れた。
じゃりっと地面を踏み鳴らしたジィ=マァムが、地割れのような咆哮とともに、一気に棒を引き寄せたのだ。
ドガはぐらりとバランスを崩し、地響きをたてながら石の街道に倒れふすことになった。
おおっ、と人々が歓声をあげる。
「勝負ありィ! ……アミン、赤銅貨5枚をお客人に差し上げなァ」
おそらく女の子と思しき双子の片割れが、鳴り物の棒を鳴らしながら草籠のほうに手をのばし、ギバの牙と5枚の赤銅貨を、とてもおずおずとした仕草でジィ=マァムのほうに差し出した。
「馬ァ鹿、その牙は割り銭の代わりだろう? そいつを差し引いて、赤銅貨4枚と割り銭をお渡しするんだよォ」
「あ、も、申し訳ありません……」
アミンは慌てて赤銅貨の1枚を割り銭に交換した。
ジィ=マァムは額の汗をぬぐいながらそれを受け取り、それからドガのほうに視線を差し向ける。
「町の人間でこれほどの力を持つ者を見たのは初めてだ。よほどの鍛錬を積んだのであろうな」
「……わたくしも、一対一の勝負で土をつけられたのは数年ぶりのことでございます」
ジィ=マァムにも負けない野太い声でありながら、ドガは意外なほど丁寧な言葉づかいであった。
動物のように感情の読めなかった瞳には、ジィ=マァムを賞賛するような光が浮かんでいる。
その両名を取り囲む見物人たちは、まだ歓声をあげていた。
「さすがは森辺の狩人だなあ。たったひとりであの大男をすっ転ばすなんて大したもんだ」
「よし、俺たちも挑ませてもらおうぜ」
そうして新たな挑戦者たちが寄ってくるのを機に、俺たちは身を引くことにした。
すると、ピノがまたちょこちょこと駆け寄ってくる。
「ありがとうねェ、兄サンがた。たまには負けてやらないと挑んでくる人間がいなくなっちまうんだけど、ドガのやつはわざと負けるような器用さを持ち合わせてないから、助かったよォ」
小声でそのように言ってから、また唇を吊り上げる。
「だけどほんとに森辺の狩人ってのは大したもんだねェ。惚れ惚れするような腕っ節だったよォ? こいつも毎日ギバを喰らってる恩恵なのかねェ?」
「娘、お前は余所の地から来た人間であるにも拘わらず、ずいぶん森辺の民に関心を持っているようだな」
アイ=ファが静かに問い質すと、「そりゃあもちろん」とピノは艶然たる視線を差し向けた。
「これまでは森の奥に引っ込んでたアンタがたが、ギバの料理を売りに出したり、悪い貴族をとっちめたり、大いにジェノスを賑わせてるって評判だったからさァ。いったいどれほどのものなのかと、アタシも顔をあわせるのを楽しみにしてたんだよォ」
「ふむ。ジェノスの外でもそのような話が行き渡っているということか」
「ああ、特にアタシらは古い知り合いからこまかい話まで聞くことができたからねェ」
「古い知り合い?」
アイ=ファはいぶかしげに眉をひそめ、ピノはいっそう楽しそうに目を細める。
「《守護人》の、カミュア=ヨシュってお人だよォ。黒の月の終わりあたりに、ひなびた宿場町でばったり出くわしてさァ。そのときに、アンタがたの評判を念入りに聞くことができたってわけさァ」
そんな名前をこんなタイミングで聞くことになろうとは、きっと誰ひとり予期していなかっただろう。
そんな俺たちの様子を見回して、咽喉の奥で笑い声をたててから、ピノはふわりと身をひるがえした。
「アタシらは、祭が終わるまでこのジェノスに居座らせていただくからねェ。明日からも、どうぞよろしくやっておくんなさいよォ、森辺のみなサンがた。……それじゃあ、ご機嫌よォ」