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異世界料理道  作者: EDA
第十九章 太陽神の復活祭(上)
333/1706

ギャムレイの一座①~顔合わせ~

2016.5/30 更新分 1/1

・今回は11話分の更新となります。

 明けて、紫の月の17日。

 なんとか本日も膨大な量の下準備を済ませて森辺の集落を出立し、《キミュスの尻尾亭》まで屋台を借り受けに行くと、そこで待ちかまえていたのはテリア=マスであった。


「おはようございます。こちらが本日分の料理と、それに3日分の生鮮肉になります」


「お疲れさまです。あとは屋台の貸し出しですね?」


 アイ=ファやルド=ルウの同行に怯えるでもなく、テリア=マスは穏やかな笑顔で俺たちを出迎えてくれた。

 が、料理と肉を厨に運び込んだのち、連れ立って宿屋の外に一歩足を踏み出すと、そこでぎくりと立ちすくんでしまう。

 宿の外には荷車とともに、このたび初めて護衛役として宿場町に同行したジィ=マァムが立ちはだかっていたのである。


「も、申し訳ありません。ちょっといきなりでびっくりしてしまいました」


 いくぶん顔色を失いながら、それでもテリア=マスは健気に微笑んでくれた。

 何を謝罪されているのかもわからないジィ=マァムは、けげんそうに太い首を傾げている。

 彼はダルム=ルウと同じ19歳の若さであったのだが、何せ背丈は2メートル近くもあり、森辺の民としても規格外の巨漢なのである。見た目の魁偉さはドンダ=ルウにだって負けていないだろう。


 ともあれ、それ以上の騒ぎには発展しなかったので、みんなでぞろぞろと宿の裏手に向かう。

 胸もとをおさえて呼吸を整えつつ、テリア=マスは俺へと語りかけてきた。


「アスタ、屋台の商売はとても順調なようですね? あれほど大きく店を広げたというのに、まるで問題はないようだったと父が述べていました」


「はい。復活祭が本格的に始まるまでは、少しもてあますことになるんじゃないかという不安もあったんですが、今のところは好調です」


「『暁の日』までは、あと5日ですか。今でも多少は人が増えてきているようですが、その日を境にお客は倍ほども増えるはずですよ」


 太陽神の復活祭が正式に始まるのは紫の月の22日、その日が最初の祝日である『暁の日』と定められているのだ。

 その4日後、紫の月の26日が『中天の日』、大晦日の31日が『滅落の日』、明けて銀の月の1日が『再来の日』――その4回の祝日こそが、復活祭のピークであるらしい。


 その4回の祝日には、ジェノス城から大量のキミュスと果実酒がふるまわれる。

 で、日中の間はなるべく労働を取りやめて、肉と酒を食らいながら、太陽神の復活を寿ぐのだそうだ。


 森辺の民は、それに合わせて『ギバの丸焼き』をお披露目する予定でいる。日中の商売が禁じられているのなら、なお都合がいい。その前日はドーラの親父さんの家に宿泊させていただき、朝一番からいつものスペースで丸焼きの処置に取りかかる所存である。


 もちろん、ヤンからポルアース、ポルアースからジェノス侯、という連絡網を駆使して、ジェノス城からの許諾も得ている。べつだんキミュスの肉でなくとも太陽神を冒涜することにはならないし、祭の場でならギバ肉を無料でふるまうことも悪くはないだろう、という言葉をいただくことができていた。


 なおかつ、祝日の夜は文字通りお祭騒ぎで、街道には普段以上の明かりが灯され、宿場町の露店区域もたいそう賑わうのだという。

 なので、屋台の商売はそちらで参戦させていただくことになった。


 森辺の民が、夜の宿場町で商売をするのだ。

 何とも胸の躍る話ではないか。

 町の宴に、森辺の民が参加する。これこそ俺が待ち望んでいた、町の人々との交流の場であった。


「そういえば、《キミュスの尻尾亭》はやっぱり屋台を出さないのですか?」


 俺が尋ねると、テリア=マスは物置から屋台を引っ張り出しながら、「はい」とうなずいてきた。


「こちらの食堂でもようやくギバの料理が定着してきたところですし、いっぺんにあれこれ手を出してもよい結果にはならないだろう、という話に落ち着きました」


 そう、《キミュスの尻尾亭》も『ギバ・カレー』をきっかけにして、ついにギバの生鮮肉を購入し、手製のギバ料理を売りに出すようになったところなのである。

 献立は、俺がレシピを伝授した『ギバ・カレー』、それに『ギバの肉団子』と『肉ペペ炒め』だ。

 幸いなことに、それらの料理も俺やルウ家が卸している『酢ギバ』や『ロール・ティノ』に負けない売り上げであるらしい。


「そういえば、次回からはギバ肉の仕入れを増やしたいと父が言っていたのですが、いかがでしょう?」


「もちろん、大丈夫です。どれほどの量が必要か決まったらお知らせください」


 屋台の料理の下準備がとてつもないことになってしまったため、宿屋に卸す料理はこれ以上増やせない状態になっている。ゆえに、《玄翁亭》でも《南の大樹亭》でも、卸す料理の数はそのままで、生鮮肉の量だけが大幅に増加されることになったのである。


 そちらの2店に関しては、もう自分たちの料理だけで十分なのではないのかなと思いつつ、「森辺の民アスタの料理が売りに出されている」というのが非常な宣伝効果を生んでいるのだ、という面はゆいお言葉をいただいたため、今後も引き続き料理を卸す予定になっている。


 また、祭の期間中は消費されるギバ肉の量も飛躍的に増大してしまうが、あちこちの氏族に協力を願って、何とか事なきを得ている。ルウ家などは休息の期間に入り、日持ちのしない臓物は早々にストックが尽きてしまうため、もう今日ぐらいから買いつける予定でいる、とのことであった。


 そうしてルウ家も、これまでは縁のなかった小さな氏族と少しずつ交流を重ねていくことになるのだ。

 それもまた、宿場町での商売がもたらす交流の輪であった。


「はい、屋台はこれですべてですね。今日も商売を頑張ってください」


「ありがとうございます」とレイナ=ルウも微笑みを返す。

 知り合った当初はぎこちなさをぬぐえなかった両名も、今ではすっかり気心の知れた様子である。


「あ、それと、父から伝言なのですが、余所者と揉め事を起こさないように気をつけてほしい、とのことです」


「はあ、余所者ですか?」


「はい。きっとあの旅芸人たちのことを言っているのでしょう。どうやらあの者たちは、アスタたちの店の前に小屋を開いたようですから」


 昨日すれ違った《ギャムレイの一座》とかいうやつか。

 確かにあれは、胡散臭いなどという通り一辺倒の言葉では済まなそうな、実に不可思議な一団であった。


「旅芸人という方々には初めてお目にかかるのですけれども、やっぱりそれ相応の用心が必要なのでしょうか?」


「どうでしょう? わたしなどは、あの見てくれだけで少し怖くなってしまうので、ほとんど近づいたこともありませんが……騒ぎを起こせばジェノスへの出入りを禁じられるのですから、そうそう乱暴な真似はしないように思います」


 ならば、おたがいに手を取り合って、復活祭を盛り上げる一助になりたいものである。


「それでは失礼します。ミラノ=マスにもよろしくお伝えください」


 そうして俺たちは、本日も露店区域に繰り出すことになった。

 心なし、通行人と衛兵の数は増えてきているように感じられる。それに加えて、どこか浮きたったような雰囲気であるのは、やはり復活祭が目前に迫っているためなのだろうか。


 いつも通りにドーラの親父さんの店で必要な野菜を補充して、俺たちの確保しているスペースに向かう。

 本日も、数十名に及ぶお客さんたちが待ってくれているようだ。


 が、それよりも何よりも、俺たちは見慣れた風景に忽然と出現した異形の存在に目を見張ることになった。


「うわ、何だありゃ?」


 そのように声をあげたのは、ルド=ルウだ。

 青空食堂の準備が保持された、俺たちのスペース。その差し向かいに、驚愕すべき代物が設えられていたのである。


 これが、旅芸人の見世物小屋というやつなのだろうか。

 そこにはツギハギだらけの天幕が張られて、屋台10個分ぐらいのスペースがまるまる覆われてしまっていた。


 屋根は平たい円錐状になっており、一番高いとんがった部分の高さは5メートルにも及ぶだろう。

 幕の素材は、革なのだろうか。ツギハギの場所によっては色が異なっており、ずいぶん古びてしまっている。

 俺の知るテントと同じように、丈夫そうな紐で地面に固定されているようだが、もともとの形が不均衡なのだろう。ところどころがひしゃげており、何ともいびつな形状である。

 その恐竜の屍骸みたいに巨大で見窄らしいさまは、俺にスン家の祭祀堂を思い起こさせた。


「これって、昨日のあいつらの仕業なのか? たった一晩で、どうやってこんな馬鹿でけーものをおっ立てたんだよ?」


「いや、まあ、柱を立てて幕や屋根を張るぐらいなら、そう難しい作業ではないかもしれないけど……何にせよ、これは驚きだね」


 何せ屋台10個分である。俺たちの屋台と食堂を合わせたぐらいのスペースが、その見世物小屋に占領されてしまっているのだ。

 しかもその位置は、街道をはさんで俺たちの真ん前である。これではミラノ=マスが憂慮するのも当然のことであった。


 俺たちの到着を待ち受けていたお客さんたちも、その大半が好奇心に満ちみちた眼差しを後方に向けている。

 そんな人々の惑乱した心情も知らぬげに、その巨大なる見世物小屋はしんと静まりかえっていた。


「何だか薄気味が悪いわねぇ……リミはあんなものを楽しみにしてたっていうのぉ……?」


「うーん、ターラなんかはすごく嬉しそうにしてましたからね。ああいう不気味さも、人の関心をひきつけるための演出みたいなものなのかもしれません」


 俺にはあんまり馴染みがないが、日本における見世物小屋というやつだって、それはもうおどろおどろしい雰囲気であったはずだ。

 しかし、ターラがあれほど無邪気に喜んでいたのだから、残酷であったり猟奇的であったりするような見世物ではない、と信じたい。


「まあ、あちらはまだ営業を始めていない様子ですし、気にせず準備を始めましょう。まずは食堂の清掃からですね」


 気を取り直して、屋台を所定のスペースに設置する。

 ほどなくして他の宿屋に料理を届けていた荷車のメンバーも到着したので、とどこおりなく準備を進めることができた。


 ファの家の日替わりメニューは、ちょっとひさびさの『ロースト・ギバ』である。

 使用する肉はやはりロースで、これを1センチぐらいの厚みで切り分け、特製のソースで煮込んだ温野菜とともに供する。


 特製のソースは、アリアのみじん切りをベースにした、比較的さっぱり仕立てのものだ。

 それでもタウ油と砂糖と赤ママリア酢を配合し、ローストされたギバ肉の味を最大限引き出せるように、研究を重ねたものである。


 温野菜は、ティノとロヒョイとチャンだ。

 これをソースと一緒に現地で温めなおし、その上に、家でローストしておいた肉を切って載せていく。


 分量は、昨日と同じく100食分である。

 肉の量は120グラム、値段は赤銅貨2枚。添え物の焼きポイタンは半個分。日替わりメニューはこのボリュームで統一しようかと考えている。

 ステーキほどのインパクトはないかもしれないが、お味のほうは自信をもっておすすめできるひと品だ。


 あとは、ルウ家の『照り焼き肉のシチュー』が初のお披露目となる日取りでもあった。

 それ以外のメニューは昨日と同一で、分量もまた然りである。

『ギバ・カレー』に添える焼きポイタンも、今のところは汁物料理や日替わりメニューと同じく半個分にしておくことにした。


 人員は、ファもルウも1名ずつを増やしている。

 こちらはダゴラの女衆、ルウ家のほうはムファの女衆だ。

 これで、日替わりメニューを担当する俺以外の屋台はすべてふたりずつの配置となる。


 また、祭の期間はローテーションをしないことに取り決められていた。

 ただでさえ忙しいのだから、むやみに配置を動かすべきではない、という判断だ。

 これからは、銀の月の3日まで、各人が自分の受け持った場所を守ることになる。


『ギバ・カレー』および『パスタ』は、トゥール=ディンとガズの女衆。

『ギバまん』および『ポイタン巻き』は、ヤミル=レイとダゴラの女衆。

『ミャームー焼き』および『ギバ・バーガー』は、ツヴァイとムファの女衆。

『照り焼き肉のシチュー』および『ギバのモツ鍋』は、アマ・ミン=ルティムとミンの女衆。

 青空食堂は、ルウ家の2名とレイの女衆、およびユン=スドラとラッツの女衆。


 以上の配置である。

 俺の屋台も人員を補強するべくベイムの家長と交渉中であるが、それは眷族であるダゴラの女衆から本日の行状を聞き届けたのち決定する、と言い渡されていた。

 もしもベイムが手を引く場合はダゴラの女衆も仕事を取りやめることになるので、また別の氏族から2名をスカウトすることになる。


 何にせよ、本日はステーキほど手間のかからない『ロースト・ギバ』であるので、問題はない。本日はルウの眷族だけで5名もの護衛役が下りてきていたので、アイ=ファは最初から屋台の手伝いをしてくれる手はずになっていた。


 なおかつ本日は、視察という名目でザザ家の2名も同行していた。

 そこにレム=ドムが加わっていたのは、おそらくスフィラ=ザザの要望であろう。興味の薄い宿場町に引っ張り出されて、レム=ドムはさっきからぶすっとした顔をしている。


 ということで、かまど番は14名、護衛役はアイ=ファとバルシャを含めて7名、視察役が3名で、24名の大所帯である。

 持ち込む料理の量も尋常ではなかったので、4台の荷車ではこれがぎりぎりの定員であった。


「それでは、販売を開始いたします」


 すべての屋台から準備OKの合図を受け取り、俺はそのように宣言してみせた。

 集まっていたお客さんたちは、まず日替わりメニューと『照り焼き肉のシチュー』の屋台に殺到する。やはり、新しいメニューの味見をせずにはいられないのだろう。


 俺は試食用の肉を切り分けて、特製ソースをまぶしたのちに、それをお客さんに供してみせた。

 昨日と同じ勢いで、我先にと手がのばされてくる。


「うん、こいつは昨日の肉にも負けない美味さだな!」


「そうか? 俺は焼きたての肉のほうが美味いような気がするが……」


「もちろんあれも美味かったが、何ていうか、こっちのほうがいっそうしっかりとした肉の味じゃないか?」


 西や南のお客さんたちが、思い思いに感想を述べている。

 それをすりぬけるようにして、東のお客さんが銅貨を差し出してきてくれた。


「おい、割り込むなよ!」


「あなたたち、買うですか? 失礼しました。買うならば、どうぞ」


「買うに決まってるだろ! おい、こっちにひと皿ずつだ!」


「はい、ありがとうございます」


 銅貨の受け取りはアイ=ファに一任し、俺はすみやかに『ロースト・ギバ』を切り分けていった。

 平たい木皿に煮込まれた野菜をレードルで1杯注ぎ、その上に肉を重ねていく。そうして次々に料理を仕上げても、なかなか屋台の前から人がいなくなることはなかった。


 そうして、20分ぐらいが経過した頃であろうか。

 聞き覚えのある、透き通った少女の声が響きわたった。


「へえ、こいつがギバの肉なんだねェ。なかなか美味そうな色合いじゃないかァ?」


 俺は思わず作業の手を止めて、そちらに視線を向けることになった。

 長い黒髪に白い肌、大きな黒瞳に赤い唇――昨日の帰り道、荷車の屋根から俺に赤い花を投げつけてきた、あの少女である。

 何とはなしに息を呑んでから、俺は「いらっしゃいませ」と呼びかけてみせた。


「あなたは旅芸人の御方ですね? よかったらこちらの皿からお味見をどうぞ」


「あらァ、嬉しい。アタシなんかのことを見覚えてくれたんだねェ」


 何だかその幼さにはそぐわない喋り方をする少女であった。

 いや――見た目は幼いが、いったい何歳なのだろう。身長はツヴァイと同じぐらい、せいぜい130センチていどしかなさそうなのに、口調ばかりか雰囲気までもが妙に大人めいていた。


 昨日と同じく、艶やかな黒髪は何本もの三つ編みにして、膝の近くにまで垂らしている。

 前髪だけは目の上でぷつりと切りそろえており、何だか日本人形みたいだ。


 鮮やかな朱色をした前合わせの羽織ものも、袖が太くてひらひらとしており、どことなく和服めいて見えなくもない。ただし、その丈はももの真ん中ぐらいまでしかなく、ぞっとするほど白い足が惜しげもなく人目にさらされてしまっていた。


 その奇妙な装束はきらきらと光る飾り紐で留められており、腰にはいくつもの小さな袋を下げている。その袋も、ただの布ではなく上等な織物であるように見えた。


 瞳は大きく、鼻は小さく、唇は血のように赤い。

 顔立ちは、驚くほどに整っている。

 だけどやっぱり、生命を吹きこまれた人形のような雰囲気であり、俺を落ち着かない気持ちにさせる。


 こんなに小さくて、ものすごくほっそりしているのに、存在感が尋常でないのだ。

 ただ奇抜な格好をしているというだけでなく、妖怪じみた雰囲気を感じてしまう。

 俺の隣では、アイ=ファも探るように鋭く目を細めていた。


「アタシたちは、世界中の珍しい獣を扱ってるんだよォ。だから、モルガの森のギバってのも、いっぺんとっ捕まえてみたいもんだねェと話していたんだけどさァ、まさかその前にその肉を喰らうことになるとは思ってもみなかったよォ」


 歌うような、奇妙な節回しの言葉である。

 とても心地よく、耳の奥までするすると忍び込んでくるかのような声だ。

 その心地よさが、やっぱり落ち着かない。

 そうしてその少女は、昨日と同じように、にいっと唇を吊り上げて微笑した。


「味見をしてもかまわないんだねェ? それじゃあ遠慮なく、いただくよォ」


 屋台の周囲に集まっていたお客さんたちも、いくぶん毒気を抜かれた様子でこの少女を見守っている。

 そんな視線などおかまいなしに、少女はゆったりとした動作で木皿の上の木串をつかみ、その先に刺さった肉片を赤い唇へと誘った。


「あらァ、美味しい……こいつは精がつきそうだねェ」


「あ、ありがとうございます」


「こいつはみんなにも教えてやらなくっちゃ……ところで兄サン、ひとつお願いがあるんだけどさァ……」


 と、背伸びをして俺のほうに顔を近づけてくる。


「アタシらみたいなもんがあちらの席に出張ったら、おかしな騒ぎになっちまうかもしれないだろォ? だから、こっちで準備した皿の上に料理を載せてほしいんだけど……それでもかまわないかい?」


「ええ、もちろんかまいませんよ」


「そいつはありがとねェ。それじゃあ、皿と盆を持って出直してくるよォ」


 最後に艶っぽい流し目で俺を一瞥してから、その謎めいた少女――いや、童女と呼びたくなるような風体をしたその娘は、ひらひらと羽織をなびかせながら立ち去っていった。


「……何だかおかしな娘だったなあ。夜に出くわしたら魔物と見間違いそうだ」


「あの目を見たかい? まるでシムの呪われた宝石みたいに真っ黒だったぜ」


「うー、背筋が寒くなってきた。景気づけに果実酒でも買ってくるかな」


 どうやらその場に居合わせたお客さんたちも、俺と同様の心境であるらしかった。

 アイ=ファは鋭く目を細めたまま、去りゆく少女の後ろ姿を見つめている。


「まあいいや。おい、そいつをひとつくれよ。赤銅貨2枚だったよな?」


「あ、はい、ありがとうございます」


 気を取りなおして、俺は営業を再開することにした。

 童女が再び現れたのは、そうして目前のお客さんたちがいったん引けた後のことであった。


「お待たせしたねェ。このぼんくらが、ちいとも言うことをきかなくってさァ」


 童女は、4名の仲間を引き連れていた。

 が、幸いなことに、比較的奇抜でない風体をした人々である。

 だけどやっぱり、そんなにありきたりな見てくれでもない。


 ひとりは、鳥打帽のようなものをかぶった、なかなか見目のよい青年であった。

 布の胴衣に瀟洒な柄のあるベストみたいなものを重ね着しており、背にはギターみたいな弦楽器を担いでいる。身長は俺より少し高いぐらいで、ずいぶんスリムな体形をしており、いかにも優男といった風体だ。


 年齢は20を少し越えたぐらいだろうか。長めにのばした髪は褐色で、瞳は明るく輝く茶色、肌は象牙色と黄褐色の中間ぐらい。西の民であることに疑いはない。

 ぼんくらと称されたのはこの若者なのだろう。苦笑を浮かべながら肩をすくめている。


 そのかたわらに立っているのは、双子と思しき可愛らしい姉妹であった。

 いや、片方は男の子なのだろうか? こんなに似ているならば一卵性であるように思えるが、そういえば俺はこの地で双子というものを見たことがないので、あまり確かなことは言えない。


 何にせよ、とても繊細で端整な顔立ちをした子供たちであった。

 童女よりも小さくて、年齢も明らかに下回っている。せいぜい10歳ぐらいだろう。どちらも綺麗な栗色の髪をしており、瞳は色の淡い鳶色、肌は白めの象牙色だ。


 その2名はこまかい刺繍のほどこされた貫頭衣みたいなものを纏っており、どちらも短めに髪を切りそろえていたので、よけいに性別がわかりにくかった。栗色の髪はくるくるの巻き毛で、何だか双子の天使みたいだ。


 が、その表情はどこかおどおどとしており、小さな手に盆と木皿を掲げながら、ぴったりと身を寄せ合っている。俺を見つめ返すその眼差しも、何がなし不安げで落ち着きがなかった。


 最後の1名は、際立って奇妙である。

 身長が150センチぐらいしかない、仮面をかぶった小男だ。

 この人物だけは、昨日トトスを引いていた姿をはっきり覚えている。


 スドラの家長なみに小柄であるが、布の胴衣からのびた両腕だけはむやみに長くて、ごつごつと筋肉が盛り上がっている。いくぶん前かがみの体勢で、胴体は長く、足は短い。見るからに荒事に強そうな、町の人間らしからぬ迫力があった。


 仮面は革製で、首から上をすっぽりと覆い隠している。眉のあたりにひさしがついているために、どんな目つきをしているのかもわからない。口もとには西洋の兜みたいに幾つもの細長い通気孔が空けられていたが、その向こう側も闇に閉ざされていた。


「まったくさ、どうして俺が使い走りなんてしなくちゃならないんだよ? 時間を無駄にしたら、それだけ稼ぎが減っちまうんだぜ?」


 と、鳥打帽の若者が皮肉っぽい口調でそのように述べたてた。


「俺の歌は1曲で何十枚という銅貨を稼ぐことができるんだ。これで損した分はお前さんが立て替えてくれるっていうのかよ、ええ、ピノよ?」


「うるさいねェ。こんな日が高くなるまでぐうすか眠っていたぼんくらにくれてやる銅貨なんて持ち合わせてないよ、ニーヤ」


 どうやら童女の名はピノで、この若者はニーヤであるらしい。

 ピノは妖艶に笑いながら、横目でニーヤの細面をねめつけた。


「用事が済んだら好きなだけその甘ったるい声を張り上げればいいさ。座長に丸焼きにされたくなかったら、つべこべ言わずに働きなァ」


「へん――」と何かを言いかけたニーヤの目が、そこで驚嘆に見開かれた。

 その視線の先にあるのは――アイ=ファだ。


「へえ、これは美しい! こんな薄汚い宿場町には不似合いなぐらいの別嬪じゃないか! 美しき人よ、君の名前は?」


 たちまちアイ=ファはまぶたを半分だけおろし、青い瞳に冷淡きわまりない光をたたえた。


「ああ、俺は吟遊詩人のニーヤだよ。今は旅芸人などに身をやつしているが、王都に戻れば宮廷楽士として迎えられる手はずになっている。よかったら、俺と一緒に王都への道を辿らないか?」


 無言のアイ=ファに代わり、ピノが口もとをねじ曲げつつ発言する。


「言っておくけど、このぼんくらは口先ひとつで世の中を渡り歩こうっていう不届きものだからねェ。こんなぼんくらの言葉を信じたら、なんもかんもを失って路頭に迷うことになるよォ?」


「うるさいよ、ピノ。このジェノスでだって、俺だけは城下町への通行証をいただいてるんだぜ?」


 そのように言いながら、ニーヤはにっこりと微笑んだ。

 これを魅力的と感ずる若い娘さんも少なくはないのかもしれないが、何せ相手はアイ=ファである。彼が言葉を重ねれば重ねるほど、アイ=ファの眼光は冷たく研ぎすまされていくばかりであった。


「ああもう、こんなぼんくらにはかまってらんないねェ。とっとと仕事を済ませちまおう」


 ピノはあっさりと見切りをつけて、その不可思議な黒い瞳でずらりと並んだ屋台を見回していく。


「ねえ、兄サン、ここに並んでるのは、ぜェんぶギバの料理なんだよねェ?」


「あ、はい、そうですよ。隣の饅頭以外は味見ができますので、よかったらどうぞ」


「いいよいいよ、ギバ肉の味はもう確かめられたんだから、何の文句もありゃしないさァ。……しかし、こんなにたくさんの品があると、目移りしちまうねェ。あたしらは全部で13人なんだけど、いったいどれぐらいの量を買っていけば満腹になれるんだろォ?」


「13名様ですか。そうですね……普通の男性でふた品、食の細い女性だったらひと品で、とりあえずはご満足いただけるかと」


 この5名の他に、まだ8名もの仲間がいるらしい。

 まあ、7台もの荷車を引いていたのだから、それぐらいが相応なのだろうか。


「ふうん。うちは女でも老いぼれでもよく食べるからねェ。全員ふた品ずつが必要になっちまうかなァ」


「え、だけど――」と、俺は思わず双子のほうに目を向けてしまった。

 幼き双子は、びくりと余計に縮こまってしまう。


「ああ、アルンとアミンはキミュスがついばむぐらいしかものを食べないけど、残った分を喜んでたいらげる大食らいもいるからさァ」


 そういえば、昨日の一団にはジィ=マァムをも上回る大男がいた。

 彼ならば、常人の倍ぐらいはたいらげてしまいそうだ。


「それじゃあ、全員がふた品ずつとして――」


「あ、おい、俺の分は勘定に入れないでくれよ? これから城下町に出向こうってのに、何が悲しくて宿場町の粗末な料理なんざを食わなくちゃならないんだよ?」


 気取った仕草で肩をすくめながら、ニーヤがそのように口をはさんできた。

 アイ=ファはますます凍てついた眼差しになり、ピノはいくぶん愉快げに口もとを吊り上げる。


「……だからアンタは、肝心なところで女を口説き損ねるんだよォ、ぼんくら吟遊詩人」


「ん、何か言ったかい、ピノ?」


「何でもないさァ。……ああ、考えるのが面倒くさくなってきちまったよォ。兄サン、12人の人間が楽しく食べられるような、ふた品ずつの組み合わせを、アンタが考えちゃくれないかねェ?」


「え? 俺がですか?」


 それは意外な申し出であったが、それほど難しい設問ではないので、了承することにした。


「それじゃあですね、もう少し大きい器を持ってきていただけませんか? 汁物をおひとり分ずつ運ぶのは大変でしょうし、大皿から取り分けてもらったほうが、みなさん好きな量を口にすることができますよ」


「ああ、そいつはもっともな話だねェ。ザン、悪いけど鍋をふたつばっかり持ってきてくれるかい?」


 仮面の小男がうっそりとうなずき、自分の持っていた盆と木皿を吟遊詩人の若者に押しつけてから、天幕のほうに引き返していった。


 これで全員の名前が判明したことになる。

 童女のピノ、吟遊詩人のニーヤ、仮面の小男ザン、そして双子のアルンとアミンだ。


「それで、お代はいくらになるのかねェ?」


「えーと、お代は……ちょうど赤銅貨40枚ですね」


『照り焼き肉のシチュー』と『ギバ・カレー』は、食べやすいシチューをやや多めにして7人前、カレーが5人前。『ロースト・ギバ』と『ギバまん』と『ミャームー焼き』は、均等に4人前ずつ。シチューとカレーをサイドメニューとみなして、これで12人前という計算であった。


「ひとり頭、赤銅貨3枚ってところかい。それで満腹になれるなら安いもんだねェ」


 言いながら、ピノは腰の小さな袋からじゃらじゃらと銅貨を出してきた。

 鈍い銀色に輝く白銅貨が4枚、俺のほうに差し出されてくる。

 その見慣れない形状に、俺は「あれ?」と首を傾げてみせた。


「すみません、このような形の銅貨を見るのは初めてなのですが……」


「ああ、こいつはシムの銅貨だった。両替屋で交換するのを忘れてたよォ」


 俺の知る銅貨は細長い板状であったのだが、それは500円玉ぐらいの大きさをした丸い銅貨であったのだ。

 そこに刻印された紋章は、ジェノスで見かける象形文字のようなものよりも、いっそううねうねとうねっており奇々怪々であった。


「悪かったねェ。ほら、こっちが西の銅貨だよォ」


「ありがとうございます。……あの、あなたがたは東の王国でも商売をされているのですか?」


「もちろんさァ。マヒュドラ以外でアタシたちの踏んでない地面なんて、そうそうないだろうねェ」


 文字通り、旅から旅への生活に身を置いている人々なのだろう。

 この世界において、長きの旅というのは生命がけだ。だからこんなに幼い娘でも、これほど大人びた雰囲気を持つに至ったのだろうか。

 そんなことを思いながら、俺は童女から銅貨を受け取った。


「ありがとうございます。それじゃあまずは汁物以外の料理をお受け取りください」


 俺は必要な量の料理をピノたちに受け渡すよう、各屋台に指示を飛ばした。

 それからアイ=ファに、ルウ家の売り上げとなる赤銅貨16枚と割り銭1枚をツヴァイに渡すようお願いする。


 まずは双子の差し出す盆の上に、『ギバまん』と『ミャームー焼き』が載せられていった。

 その光景を眺めながら、ピノは「どいつも美味そうだねェ」とご満悦の面持ちである。


(やっぱり町の人たちとは雰囲気が違うけど、なかなか気のよさそうなところもあるじゃないか)


 少なくとも、ピノの言動におかしなところは見られなかったし、ニーヤの軽薄さもまあご愛嬌だ。仮面の小男だけは不気味な雰囲気であったが、アイ=ファがそれほど警戒している様子もないので、まあ危険なことはないのだろう。アイ=ファは最初の最初から、ピノにばかり意識を向けているように感じられた。


「ねえ、兄サン、アンタはアタシのあげたパプルアの花をもう捨てちまったかい?」


「はい? それは昨日のあの赤い花のことですか? いえ、綺麗な花だったので、家に飾らせていただきましたけれども」


「そうかい。あの花はアタシらからの心づくしでねェ。あいつを持ってきてくれれば、1回だけは銅貨なしでアタシらの小屋にお招きできるんだよォ?」


「あ、そうだったんですか。それはありがとうございます」


 いわゆる、サービスチケットということか。

 なかなか小憎いサービスである。


「実は、町の友人があなたがたの来訪をとても楽しみにしていたので、一緒に出向く予定だったんです。えーと、たぶん明後日にはおうかがいできるかと」


 明後日がまたリミ=ルウの当番であったので、その日にターラと一緒に出撃しよう、という約束をしていたのだ。

 俺の言葉に、ピノはにんまりと微笑した。


「そいつは嬉しいねェ。来てくれるのは、昼なのかい? 夜なのかい?」


「その日は、昼の予定です。夜は出し物が変わるので、友人もぜひ見に行きたいと言っていましたね」


「ああ、昼には獣使いの芸ぐらいしかやってないからねェ。もちろんそっちも自慢の芸だけど、やっぱり本番は夜からさァ」


 くっくっと、ピノは咽喉を鳴らして笑う。

 本当に、この娘さんは何歳なのだろう。


「それで、今日の中天からはアタシらも客寄せの芸をするからさァ。ちょいとばっかり騒がしくなるけど、おたがいの商いのためにも勘弁しておくれよォ?」


「はい。こちらこそよろしくお願いします」


 俺がそのように答えたとき、鉄鍋を抱えた小男ザンがひたひたと舞い戻ってきた。

 その間もニーヤはしつこく意中の相手に語りかけており、アイ=ファは鉄の無表情でそれを黙殺しぬいている。


 ともあれ、俺たちと《ギャムレイの一座》との縁は、こうして着々と紡がれていくことになったのだった。

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