復活祭の前準備③~何かが町にやってきた~
2016.5/16 更新分 1/1 2016.6/7 誤字を修正
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その後も、至極順調に商売は進んでいった。
中天が過ぎるとまた客足はのびていき、倍の大きさになった青空食堂も常に満員の状態である。なおかつ、護衛役の手をわずらわせるような事態にも陥らず、ただ慌ただしく時間が過ぎていく。
ルウ家と合わせて5種類の料理も、それほどひどい偏りを見せることなく、順調に売れていた。
やはり汁物料理はサイドメニューとしての人気を博し、店を訪れた半数以上が買い求めている印象である。300食分も準備したことは、後悔せずに済むようだ。
『ギバのステーキ』も、問題なく売れている。作り置きを準備できないのがネックであるが、ここまでしっかりとした肉料理を屋台で食べられるというのがお客さんの琴線に触れたらしい。ジャガルの民でも風味を嫌がる人は少なく、屋台の前には常に行列ができることになった。
そして、『ギバ・カレー』である。
こちらは大いに東の民のお客さんをひきつけることができた。
なおかつ、どの料理よりも強烈な香りを漂わせているゆえに、注目度はナンバーワンである。味見を所望するお客さんも断トツで多かったようだ。
また、すでに宿屋で売られている商品でもあるので、リピーターとして購入してくれるお客さんも少なくはないようだった。
「どうせだったら、こいつを腹いっぱい食いたいなあ。ポイタンをもっと売ってくれよ」という要望があったほどである。
焼きポイタンの量を増やすべきか、それで他の料理の売り上げが落ちてしまわないか、こいつはちょっと要検討である。
そしてジャガルのお客さんには、これがシム料理ではなく俺の料理――大陸の外から森辺の集落に移り住んだ、天下の変人アスタの故郷の料理である、という啓蒙活動を繰り広げることになった。
販売初日の本日は、7割が東、2割が西、1割が南、というぐらいの比率であったが、こうした草の根活動で『ギバ・カレー』を普及させることができれば幸いである。
それに、東の民があまりにも目立ってしまっているが、『ギバ・カレー』は小盛で200食分も準備しているので、この比率のまま完売できれば、20名ていどのジャガル人が購入してくれるという計算になる。初日としては、まずまずの成果なのではないだろうか。
そんな中、中天を30分ほど過ぎたあたりで、マイムの屋台は店じまいをすることになった。
まあ、30食分しか準備していなかったので、それも当然だ。むしろ、よくもそこまで持ったものである。
「きっと、ギバ料理というだけで目をひくことができたのでしょうね。これもアスタたちのおかげです」
「そんなことないよ。これでマイムの料理の美味しさも評判になって、明日からは今日以上にお客さんが詰めかけるんじゃないのかな」
「そうだとしたら、とても嬉しいです」
ともあれ、料理を完売できたことに、マイムはほっとしている様子であった。
開店当時の俺のように、1食も売れなかったら大赤字だ! という不安感を抱いていたのだろう。俺もマイムも自分で身銭を切って商売を始めたわけではないので、そのあたりのプレッシャーはなかなかのものなのだ。
「明日からは、10食増やして40食分の料理を準備したいと思います」
「いや、明日は俺もルウ家の人たちも銅貨を払って購入したいからさ。それとは別に、10人前ぐらい準備してくれないかな?」
「ええ? そんなに買っていただけるのですか?」
「うん。マイムの料理を食べることは勉強にも刺激にもなるからね」
「ありがとうございます。それでは、50食分を準備したいと思います」
そのように言い残して、マイムはトゥランの家に帰っていった。
それを送り届けたのち、バルシャは眷族のための買い出しを済ませて、護衛のメンバーと合流した。3台の荷車で17名の人間はけっこう窮屈になってしまうので、行きも帰りも相乗りをお願いしているのだ。
そうして、じょじょに終業の時間は近づいていく。
最初に商品を売り切ったのは、なんと『ギバ・カレー』であった。
やはり東の民に圧倒的な人気を誇ったのと、後は味見をせがむお客が多かったためだろう。試食のためにかなり多めに準備してきたはずであるのに、200食分のうち3食分ほど売り上げが不足し、同じ数の焼きポイタンが余ってしまっていた。
「味見のための木匙を洗うのは、なかなかの手間でしたね。それに、時間を置いて何回も味見をするお客が何人かいたように思います」
担当者のトゥール=ディンからは、そのような報告が為されることになった。
馴染みのないカレーの味を普及するのに試食の制度は不可欠と思えるが、これより店が賑わうようならやっぱり手間がかかりすぎるし、それに、祭の場ではマナーを失したお客さんが増えないとも限らない。祭の本番の22日には、いったん試食を切り上げたほうが無難かもしれなかった。
そして、その次に完売したのは、ありがたいことに『ギバのステーキ』であった。
作製に手間がかかる分、お客さんのはけは悪いが、新メニューであるにも拘わらず分量を絞っていたので、この結果となったのだろう。
それでも100食分が売れたのだから、十分な成果だ。
復活祭が終了するまで、もう何回かはこのメニューを再販しようと思う。
その後はアイ=ファも屋台から解放され、俺は食堂のほうを手伝うことにした。
拡張された食堂は大賑わいであるが、新人を含めて5人体制を敷いていたので、とりたてて問題はなかったらしい。ただ、初めて商売に参加したレイとラッツの女衆らは、この賑わいっぷりと、それにジェノスの民らの友好的な態度にひどく驚嘆させられたようだった。
むろん、ジェノスの全住人が、森辺の民に対する恐怖心や不審感から解放されたわけではない。
が、屋台に集まるのは、そういったものから解放された人々がほとんどだ。
刀を下げた狩人らがうろちょろしていても、大きく心を揺らす者はいない。昼下がりにユーミが訪れたときなどは、ルド=ルウを交えて客席で談笑していたそうである。
「アスタ、ひとつ思ったのですが」
と、屋台で『ギバのモツ鍋』を売っていたアマ・ミン=ルティムが、俺に呼びかけてくる。
「北の一族やベイムの家など、宿場町での商売に反対していた氏族こそ、この光景を目にするべきなのではないでしょうか。この場に椅子や卓を置くようになってから、わたしはなおさらそれを強く思うようになりました」
「そうですね。ベイムには手伝いをお願いしようかと思っていました。スフィラ=ザザたちは、北の集落に戻ってしまったのでしたっけ?」
「いえ、もうしばらくは残るようです。戻るときは、レム=ドムも行動をともにするようですね」
では、手伝いでなく視察でもいいから、スフィラ=ザザたちを招く甲斐はあるかもしれない。
この青空食堂は、森辺の民とジェノスの民の絆を結びなおすための大いなる助けになっている気がしてならなかった。
そうして、終業時間まであとわずか、というところで『ギバのモツ鍋』も完売することになった。
残るは『ギバまん』と『ミャームー焼き』だ。
やはり新商品のほうが、売れ行きはまさっているらしい。
とはいえ、『ギバまん』も『ミャームー焼き』も、けっこうな数を準備してきている。特に『ギバまん』は『ギバのステーキ』と同じ価格であると考えれば、その目新しさにも負けずに奮闘している、と評せるだろう。
そうして訪れた、下りの二の刻である。
『ギバまん』は3食分、『ミャームー焼き』は8食分だけが売れ残ることになった。
これでは、《キミュスの尻尾亭》に転売するにも至らない。『ギバまん』は狩人たちの胃袋に収まり、焼いてない分の『ミャームー焼き』は集落に持ち帰られることになった。
トータルの売り上げは、『ギバのモツ鍋』が300食分、『ギバ・カレー』が197食分、『ミャームー焼き』が132食分、『ギバまん』が117食分、『ギバのステーキ』が100食分――ファの家が赤銅貨729・5枚、ルウの家が赤銅貨648枚で、赤銅貨1377・5枚である。
小分けにしなければ持ち上げることすら難しい銅貨の山に、やはり初参戦の女衆らは目を丸くしてしまっていた。
「これでは護衛が必要なのも道理だな! 森辺の民を恐れぬ余所者ならば、よからぬことを考えてもおかしくない富だ」
もふもふと『ギバまん』を頬張りながら、ダン=ルティムはそのように述べた。
「今さらこのようなことを問うても意味はないのだろうが、これはギバ何頭分の銅貨になるのだ?」
「えーとですね、牙や角だけではなく毛皮もあわせて考えると――ギバ57頭分になりますね」
「たった1日で、57頭分か! まったく大したものではないか!」
「そうですね。……でも、今となってはギバの肉だって立派な商品です。少なく見積もっても、ギバ1頭で赤銅貨200枚ぐらいの稼ぎにはなるのですから、そう考えたら、今日の売り上げもギバ6、7頭分ぐらいの価値、ということになりますね」
「ギバの肉は、そんな値段で売れているのか。それは莫大な富になるはずだ」
と、ラウ=レイも呆れた様子で口をはさんでくる。
「うん、だけど、ギバを料理ではなく肉として買ってくれているのは、今のところ懇意にしている宿屋とマイムだけだ。復活祭の間はまた買う量を増やしていただけるらしいけど、普段だったらギバ3頭分ぐらいでまかなえる量しか売ることはできていないんだよね」
「だからこそ、もっとたくさんの肉を売れるようになれば、森辺の民のすべてが豊かなを暮らしを得られるということか」
納得したようにラウ=レイはうなずいた。
「ようやく俺にもファの家のやりたいことが理解できてきた。お前たちは本当にとてつもないことを考えだしたのだな」
「い、今ごろ理解できたのかい? 家長会議ではそれが一番の議題だったじゃないか」
とはいえ、あの頃はまだ肉の価格も定まっていなかった。
なおかつ現在も、卸し値に関しては検討の最中である。ジェノス城としては、最終的にカロンの胴体の肉と同額にするのが相応なのではないか、と考えているのだった。
カロンの胴体の肉は、業者価格でも1キロで赤銅貨7枚以上もする。
ギバの肉は部位によって売り値を変えているが、平均すれば赤銅貨5枚ていどだ。
貴族の買い占めを防ぐには、いずれギバ肉もカロン肉と同額に改正しなくてはならない。そんな高額になってしまったら、宿場町で肉を売ることも難しくなってしまうのではないか――という不安をはらみつつも、価格が上がればそれだけ大きな富を得ることもできるようになる。
そして、ポルアースとしては「それぐらいの値段でも買い手がつくぐらい、宿場町やダレイムやトゥランが豊かになればいい」という遠大なる構想を練っているのである。
「なるほどなー。俺もギバ肉がそれだけの稼ぎになってるなんて知らなかったよ。ジェノス城から払われてる褒賞金なんてやつより、よっぽどすげーじゃん」
と、ジーダやバルシャと語らっていたルド=ルウも、興味深そうに加わってくる。
「褒賞金ってのは、赤銅貨1500枚とかだったっけ? 最初はすげーとか思ったけど、払われるのは3ヶ月にいっぺんなんだもんな。たった1日で同じぐらい稼いでるアスタたちのほうが、よっぽどすげーや」
「うん、だけど、こっちは材料費とかもかかってるからね。純利益は1000枚もいかないと思うよ?」
「それでも十分にすげーだろ。ま、褒賞金なんてどうでもいいけどよ」
「……そういえば、前回の褒賞金はサウティ家に与えられたんだって?」
スン家が失脚して以降、褒賞金は黒の月に一度支給されている。それは生活に困窮している氏族に与えられることに決定されたのだが、誰も名乗りをあげなかったため、手付かずで保管されていたのである。
それがこのたび、森の主のために大きな被害を被ったサウティ家が配分を要求することになった。
「族長筋たるサウティ家が率先して褒賞金に手をつければ、小さな氏族たちも少しは恥や遠慮を捨てて名乗りをあげることができるようになるだろう」
ダリ=サウティは、そのように言っていたらしい。
そうしてドンダ=ルウとグラフ=ザザの協議により、褒賞金から赤銅貨500枚がサウティ家に支給されることになったのだ。
これで高額な薬や滋養のある食材を買い求め、サウティ家が力を取り戻すことになれば幸いだ。
「それでも銅貨が余るようだったら、いっそのこと他の連中も荷車やトトスを買えばいいんだよな。そうしたら、みんな買い出しが楽になるじゃん」
ルド=ルウの何気ない一言に、屋台の片付け中であった俺は鉄板を落としてしまいそうになった。
「そ、それは素晴らしい考えだね! ぜひルド=ルウからドンダ=ルウに進言してみるといいよ!」
「んー? 思いつきで言っただけだよ。この荷車ってのは、むちゃくちゃ高いんだろ?」
「幌つきのこいつは赤銅貨1200枚もするけどね。ザザやサウティの使ってる屋根なしの荷車はもっと安いはずだよ。雨対策で革の掛け物だけ準備しておけば、買い出しには十分だろうし」
宿場町への買い出しというのは、どの氏族にとっても大きな手間であるはずだ。だからこそ、俺もディンやスドラのためにトトスと荷車を買い、その労力を軽減させることによって、燻製作りやさまざまな作業に手を貸してもらえるよう段取りを整えたのである。
手が空けば、小さな氏族でも料理や燻製作りに時間や労力を割くことができるようになる。「豊かな生活」とともに「美味なる食事」の重要性を説いている俺としては、それは十二分に意義のあることだと思えた。
「ま、アスタがそういうなら、親父には話しておくよ。小さな氏族の連中は意固地だから、なかなか褒賞金には手をつけようとしないだろうしなー」
「うん、ありがとう」
それで俺たちは、ようやく後片付けを完了させることができた。
青空食堂のスペースを縄で囲ったら、いざ凱旋だ。
屋台を返す組、食材を購入する組、銅貨を両替に行く組に分かれて、石の街道を闊歩する。
その中で、俺とトゥール=ディンとシーラ=ルウとリミ=ルウの4名は、アイ=ファとルド=ルウに付き添われて、ヤンの屋台に向かうことになった。《タントの恵み亭》も、本日から新しい料理を屋台で売りに出すことになっていたためだ。
「ああ、アスタ。わざわざ足をお運びいただき、恐縮です」
本日も慇懃なヤンが頭を垂れてくる。
その隣で手伝いをしていたのは、仏頂面のニコラだ。
「こちらもそろそろ店じまいをしようと思っていたところでした。間に合って何よりです」
「それは本当に何よりでした。新しい料理の売れ行きはいかがでしたか?」
「それなりに順調です」と、ヤンは穏やかに微笑む。
「だいぶん他の屋台でも目新しい食材を扱う店が増えてきたので、あまり注目を集めることはかないませんでしたが、初日としては上々ではないでしょうか」
確かに一時はカロン乳や乳脂の香りであふれかえっていた露店の区域に、今はさまざまな香りが漂っている。目立つのは、シムの香草の刺激的な香りと、あとはタウ油の芳しい香りだ。
ポルアースとサトゥラス伯爵家の共同作戦により、宿場町にもじわじわと新しい食材が普及されつつあるのである。
《タントの恵み亭》のように協力関係を結んだ店などは、目新しい食材の正しい使い方をレクチャーされている。それで差をつけられてはならじと、今ではさまざまな店が協力関係を望んできているらしい。
「このたびからは、ついにカロンの背中の肉を使うことになったのです。よかったら、そちらを味見していただけませんか?」
「ええ、是非」
ヤンはうなずき、ニコラに指示を送った。
ニコラは仏頂面のまま、鍋からすくった具材を丸いポイタンの生地に詰めていく。濃いオレンジ色をした煮汁で煮込まれた肉と野菜である。そうしててっぺんをきゅっと絞ると、かつて食した『キミュスの肉饅頭』とそっくりの料理ができあがった。
「この大きさで、赤銅貨2枚です。さすがに値が張るのでいささか売れ残ってしまいましたが、祭が始まって人間が増えれば売り切ることもかなうでしょう」
この大きさというのは、直径10センチていどのものであった。
ボリュームでいえば、我が店の『ポイタン巻き』と同じぐらいだ。こちらは赤銅貨1・5枚の価格であるが、カロンの胴体の肉は値が張るので割高にならざるを得ない。
ちなみに鉄鍋は金属の仕切りで2分割にされており、その片方はほとんど空になっている。きっとそちらは足肉を使った同じ料理で、安価であるため売り切ることができたのだろう。
それほど空腹ではなかったので、俺たちは2食分を購入し、それを4人で分けることにした。口をつける前に割ってしまえば、他の氏族でも分け合うことは可とされているのだ。
「では、いただきます」
具材の香りは、やや甘めである。煮汁のベースはすりつぶしたネェノンであるように思えたが、こまかく刻んだ肉や野菜がたっぷりと詰め込まれており、香草などの香りはしない。
ヤンの料理であまり痛い目を見た覚えはないので、俺たちは安心してその料理を口に運ぶことができた。
やっぱり甘めで、優しい味である。
タウ油と、砂糖も使っているのだろう。あえて言うなら、和風に近い味付けであった。
カロンは牛肉の味に近く、しかも背中の肉なので、とてもやわらかい。
野菜は、サトイモのようなマ・ギーゴと、ダイコンのようなシィマ、それにシイタケモドキも使っているようだった。
「これは美味しいし、それに食べやすいですね。ジャガルのお客さんに喜ばれそうです」
「はい。今回はジャガル料理を作るつもりで仕上げてみたのです」
宿場町においては複雑な味付けにするべきではない、というマイムやレイナ=ルウの意見を取り入れた結果なのだろうか。
ヤンは、とても穏やかに微笑んでいた。
「調味料も食材も、そのほとんどがジャガルから取り寄せられたものです。これに西や東の食材をいかに組み合わせるか、というところで頭を悩ませるのが料理人としての本分なのでしょうが、今はひとつずつ積み上げていきたいと思います」
「ええ、これは宿場町で売るのに相応しい料理だと思います」
それに、こうしたシンプルな料理のほうが、ヤンは本領を発揮できるように思えた。
貴婦人の茶会でも証明された通り、ヤンは繊細に味を組み立てる確かな技量を有しているのである。以前ならばこの料理にもシナモンっぽい香草を使いそうなところであったが、それを選択しなかったことに、俺はある種の決意めいたものを感じ取ることになった。
もっと複雑な味付けにしたほうが、城下町では喜ばれるに違いない。だけどこれは宿場町の民に向けた料理なのだと、ヤンも考えを改めたのだろう。
「明日は、わたしがアスタ殿らの店におうかがいいたします。……そういえば、ミケル殿の娘御の料理はいかがでしたか?」
「はい。以前にも増して素晴らしい出来栄えでした。これで彼女が100食や200食も準備してきたら、こちらの売り上げにも影響が出てきてしまうでしょうね」
「そうですか。とても楽しみです」
やわらかくも、力強い笑みであった。
ヤンならば、きっとマイムの料理に大きな衝撃を受け、そしてまた静かに奮起させられることだろう。
そういえば、ロイはどこで何をやっているのかな――と、そんな思いが俺の脳裏をよぎっていった。
「それでは、また明日に。今日はありがとうございました」
そうして俺たちは、街道へと引き返した。
歩きながら、俺は女衆らに問うてみる。
「みんな、ヤンの料理はどうだったのかな?」
「はい。これまでの中では一番美味であるように思えました。アスタの言っていた通り、とても自然に食べられましたし」
「そうですね。ただやっぱり、ギバの肉を使っている分、ナウディスという者の作る料理のほうが、わたしたちの好みには合うように思います」
トゥール=ディンとシーラ=ルウは、そんな感じであった。
そのかたわらで、リミ=ルウはちょっと難しげな顔をしている。
「あの城下町で食べたお菓子は、すっごく美味しかったのになー。あの人だったら、もっと美味しい料理を作れるんじゃない?」
「うーん、城下町と宿場町では求められる味が変わってくるからね。城下町の民のためだけに料理を作ってきたヤンは、色々苦労させられているんだよ。それでも菓子作りは一番得意だっていう話だったから、城下町風の料理が口に合わない俺たちでも美味しくいただくことができたんじゃないかな」
たぶんミケルやヴァルカスという料理人は、そういった各人の好みを帳消しにしてしまえるぐらいの力量を持っている、ということなのだ。
それでもヤンだって、こと菓子作りに関してはその両名に見劣りしないぐらいの腕を持っているのではないのかな、と俺は考えていた。
「まあ俺たちは、人の心配より自分たちの心配をしないとね。今日から下ごしらえの仕事も大忙しになるんだから、明日に向けて頑張ろう」
そんな無難な言葉でしめくくり、俺たちは集合場所である《キミュスの尻尾亭》を目指した。
が、数歩も行かぬ内に「待て」とアイ=ファに呼び止められる。
「何か不穏な気配が近づいてくる。道の端に寄れ」
「え? いったいどうしたんだよ?」
それはまるで、カミュア=ヨシュらにザッツ=スンが捕らえられたときのような反応であったので、俺は大いに困惑させられてしまった。
しかしアイ=ファの察知能力に疑いをかけることはできなかったので、素直に身を引くしかない。
「んー? 何だありゃ? 別に荒事ではないみたいだけど、ずいぶん賑やかだな」
リミ=ルウたちを背後にかばったルド=ルウも、いぶかしげに声をあげている。
その賑やかさが俺にも伝わってきたのは、それから20秒ぐらいが経過してからのことだった。
道をゆく人々も、いくぶんきょとんとした感じで足を止めている。
南の方角から、鳴り物入りで進軍してくる一団があったのだ。
「わあ」とか「きゃあ」とかいう驚きの声も伝わってくる。
それほど深刻な叫びではなかったが、しかし驚きに値する一団ではあるようだ。
俺はアイ=ファの肩ごしに街道を見つめながら、その一団がこちらに到達するのを待ち受けて――そしてやっぱり、「うわあ」と声をあげることになった。
何台もの荷車を引き連れた、大きな一団だ。
鳴り物入りというのは比喩ではなく、実際に笛を吹き、太鼓を叩き、それに弦楽器と思しきものをかき鳴らしながら、ゆっくりと街道を行進している。
まず驚かされたのは、その先頭の荷車であった。
俺たちが使用しているものよりふた回りも大きいその幌型の荷車は、トトスならぬ異形の動物に引かれていたのである。
それは、ワニのように巨大な爬虫類であった。
いや、大きさはワニ並でも形状はトカゲに近いので、まるで恐竜のごとき様相だ。
体長は、長い尻尾を含めて3メートルは下らないだろう。
砂色をした鱗にびっしりと全身を覆われており、4本の足でのたのたと街道を歩いている。
その顔などは馬ぐらいのサイズがあり、口もとと首に手綱をかけられている。
トカゲそっくりのユーモラスな顔つきであるが、これだけ大きいとそれだけで恐怖心をかきたてられてしまう。コモドオオトカゲをさらに肉厚にしたような、それはトカゲの大親分であったのだ。
そんな巨大トカゲが、トトスさながらに2頭がかりで荷台を引いている。
その手綱を握っているのは、真っ白の頭をした小柄な老人であった。
宿場町においては荷車を走らせることが禁じられているため、その人物も手綱を握って街道を歩いている。黒と灰色がまだらになったボロキレのような長衣を纏った、枯れ枝のような老人だ。
「すげーな、ありゃ。マダラマの蛇に足を生やしたみてーだ」
ルド=ルウは、興味津々の様子でそのようにつぶやいた。
幸いなことに、巨大トカゲを使っているのは先頭の荷車のみであった。
残りの荷車は6台で、それらはみんな2頭ずつのトトスに引かれている。
ただ、それらの手綱を握っているのは、みな奇妙な風体をした人間ばかりであった。
途方もない大男がいる。
仮面で顔を隠した小男がいる。
奇怪な紋様の薄物を羽織った、妖艶なる美女がいる。
古びた甲冑を全身に纏って、ロボットのようにギクシャクと歩いている者がいる。
それらの面妖なる人々が、笛を吹き、太鼓を叩きながら、ジェノスの宿場町をのろのろと進軍していくのである。
まるで白昼夢のような光景であった。
「さあさあ、ギャムレイの一座だよォ! ジェノスの皆様は元気にお過ごしだったかなァ?」
と、笛や太鼓にも負けない勢いで、高い位置から少女の透き通った声が響きわたった。
真ん中あたりに陣取った、一番大きな箱型の荷車。その屋根にちょこんと座った小さな女の子が、血のように赤い花をあちこちに撒き散らしながら、そのように述べたてていたのである。
「今年もお世話になるからねェ! みんなで楽しく太陽神の復活を祝おうじゃないかァ!」
その少女もまた、たいそう奇抜な風体をしていた。
座っているのでわかりにくいが、ずいぶん小さな女の子である。きっとツヴァイぐらいの背丈しかないだろう。その小さな身体に鮮やかな朱色の羽織みたいな衣服を纏い、歌うような節回しで口上を述べている。
髪が、ものすごく長いようだった。
ぬばたまのごとき黒髪で、それをいくつもの三つ編みにして、羽織と一緒になびかせている。肌は白く、唇は赤く、この距離からでも大きな黒い瞳をしているのがわかる。
ちょうど真横を通りすぎるとき、その目がふっと俺のほうを見るのがわかった。
赤い唇が、にいっと半月形に吊り上がる。
そしてその指先が、ふわりと赤い花を投じた。
何の重さも持たないその花が、驚くべき正確さで俺の頭上に落ちてくる。
それが俺の髪に触れる寸前、アイ=ファの指先が素早くそいつをつかみ取った。
「……どうやら毒花ではないようだな」
低くつぶやき、俺にその花を手渡してくる。
何重にも花弁の重なった、真紅の紫陽花のような花であった。
少女は片目をつぶってから正面に向きなおり、俺たちの横を通りすぎていく。
それが、太陽神の復活祭を彩るためにジェノスを訪れた《ギャムレイの一座》との奇異なる対面の瞬間であったのだった。