復活祭の前準備①~新メニュー~
2016.5/14 更新分 1/1 ・2018.4/29 一部表記を修正
ルウ家の収穫祭から休業日をはさんで、紫の月の16日。
ついにファの家においても青空食堂がオープンされる運びと相成った。
ルウの家から遅れること、およそ20日。復活祭の影響で客足が増加するという、その日取りに合わせた開店である。
太陽神の復活祭が正式に始まるのは、紫の月の22日からであるという。
だからこれは、その前にきちんと態勢を整えておこうという、いわばプレオープンのようなものであった。
料理はかなり多めに準備してきているが、余ってしまったら《キミュスの尻尾亭》で格安で引き取ってもらえるよう、契約を結んでいる。
祭の本番では客足も倍増するものだと聞いていたが、この段階ではどれぐらいのお客さんが見込めるのか、こればかりは実際にその日を迎えないと誰にも確たることは言えないのだった。
「よし、あとは料理が温まるのを待つばかりだね」
昨日の内に設置しておいた卓や椅子の清掃作業を終えた俺は、屋台のほうに戻りながら、トゥール=ディンへとそのように呼びかけた。
客席は、ルウ家と同じく屋台4つ分のスペースを使い、7つの卓と42の椅子だ。屋台の裏の空いているスペースまで使って、できるだけ窮屈にならないよう席を配置している。
ただし、料理を売る屋台は3つに増やしていた。
これまで販売していた『ギバまん』と『ポイタン巻き』は数日置きに販売するとして、それとは別に食堂用の屋台を2つ出すことに決定したのである。
何故かというと、それは最初に食堂用にと考案したメニューが、いささか特殊なものになってしまったためであった。
まず俺が考案したのは、カレーとパスタである。
カレーは《南の大樹亭》のナウディスからの意見を取り入れたため、パスタは物珍しさで人目をひくためであった。
が、カレーもパスタも自慢の料理ではあるものの、「肉料理」とは言い難いメニューである。
端的に言って、キミュスやカロンの肉でも美味なるカレーやパスタをこしらえることは可能なのだ。ということは、「ギバ肉の美味しさを知らしめる」という一番重要な事項がおろそかになってしまいかねない。
ということで、カレーとパスタは同じ屋台で数日置きに販売するとして、それとは別に肉主体の日替わりメニューを販売することに決めたのだった。
記念すべきオープン日の本日は、『ギバ・カレー』と『ギバまん』と、そして日替わりメニューたる『ギバ・ステーキ』を販売することになる。
宿場町で商売を始めて、まもなく半年。俺はついに、肉の味を一番ダイレクトに楽しむことのできるステーキを売りに出す決断を下したのだ。
キミュスやカロンに比べるとややクセの強いギバ肉のステーキがどこまで受け入れられるかは謎である。が、日替わりメニューのひとつとしてならば、それを試験的に確認することができる。そして、これがあるていどの支持を得られるようであれば、俺はいずれ『ギバの丸焼き』をも宿場町でふるまう算段でいた。
そして、ここまで商売を広げてしまうと『ギバ・カツサンド』のくじ引きも難しくなってしまうため、この期間は休止とさせていただき、その代わりに日替わりメニューでいつか『ギバ・カツ』をお披露目する予定でいた。
「いやあ、何だか祭らしくなってきたなあ? どんなものを食べさせてくれるのか、俺は楽しみだよ」
と、屋台に並んだジャガルのお客さんはそのように言ってくれていた。
「新しい料理は味見もできますので、ぜひ試してみてください。あちらの『ギバ・カレー』というのはシムの香草をたっぷり使っていますが、俺の故郷の料理ですので」
「ふうん? シムは好かんが、味見ができるなら試してみるかな」
俺としては、一番気を使っているのはこのジャガルの人々なのである。
シムの人々は臭みの強い山育ちのギャマとやらのおかげで肉のクセを気にしない傾向にあるし、それに、ジャガルの食材が使われていてもおかまいなしの人が多い。
いっぽう、ジャガルの人々は豪放な気性の人が多いせいか、シムに対しての反感が強いし、また、西の民よりもやや肉の風味を気にする傾向にある。
そこのあたりも考慮に入れて、『ギバ・ステーキ』にはタウ油とミャームーをベースにした香り高いソースをかけることにしていた。
つけあわせは、アリアとネェノンとブナシメジモドキのソテー。肉の量はひかえめの120グラムていどで、お代は赤銅貨2枚だ。屋台の料理は色々な組み合わせで楽しんでいただきたいため、量も値段もそれを前提に設定していた。
もうひとつの食堂用の料理である『ギバ・カレー』は、ルウ家の汁物料理に合わせて、分量を選べるシステムになっている。お玉で1杯なら赤銅貨1・5枚、2杯なら赤銅貨3枚だ。
ただしその呼称に関しては、ルウ家の汁物料理もともに「半人前」のほうを「1人前」と呼ぶことになった。スモールサイズを購入するお客さんのほうが圧倒的に多いなら、それを基準にするべきだろうとツヴァイが言いたてたためだ。
よって、お玉で1杯が1人前、赤銅貨1・5枚。足りなければ2人前をご注文くださいませ、というスタイルである。
なおかつ、汁物料理とカレー、および日替わりの一品料理に関しては、半個分の焼きポイタンを添えることにした。
ポイタン半個分というのはかなりささやかな量であるので、他の料理も一緒にお買い上げくださることを期待している。
その焼きポイタンの形状は、ポイタン4個を使って丸く焼きあげたものを、ピザのように8等分にしたものである。
そして、ルウ家の屋台においても、ひとつ変更点があった。
日替わりで提供している『ギバ・バーガー』と『ミャームー焼き』のサイズと値段を変更することにしたのだ。
それらの料理は、肉をたっぷり180グラムばかりも使っている代わりに、赤銅貨3枚に値段を定められていた。この比率はジェノス城からの要請なので、動かすことはできない。
しかしこれだと他の料理と一緒に楽しむことが難しいので、ボリュームと値段を引き下げることにしたのだ。
『ギバ・バーガー』は『ギバまん』とそろえて、120グラムの赤銅貨2枚、『ミャームー焼き』は『ポイタン巻き』とそろえて、90グラムの赤銅貨1・5枚である。
『ギバ・バーガー』はパテを小さくしてしまうと食べごたえが変わってしまう、という懸念があったが、このサイズならば支障はないだろう、という判断であった。
というか、そもそも180グラムの肉を使ったパテというのが、ハンバーガーとしてはわりあいに規格外だったのである。
かなり遠い記憶になってしまうが、俺の故郷で有名であったハンバーガーショップのパテの重量は、わずか30~40グラムであった。のちに、四分の一ポンドの肉を使ったボリューミーなハンバーガーというものが売りに出されたが、興味を持って計算したところ、それは113グラムに相当する目方であった。
つまりはサイズ縮小を余儀なくされた『ギバ・バーガー』も、いまだに四分の一ポンドを超えるボリューミーなハンバーガーである、ということだ。
さらに重要なポイントとして、俺たちはメニューの切り替え日をそれぞれずらすことに決めていた。
すべてのメニューを1日置きにしてしまうと、ご注文の組み合わせに幅をもたせられないためである。
ファの家の日替わりランチと、ルウの家の汁物料理が、それぞれ1日置き。
ファの家の『ギバ・カレー』と『パスタ』が2日置き。
ルウの家の『ギバ・バーガー』と『ミャームー焼き』が3日置き。
ファの家の『ギバまん』と『ポイタン巻き』が4日置き、というローテーションだ。
今日から復活祭の終了する銀の月の3日まで、たっぷり半月以上はある。長逗留のお客さんであれば、その期間にさまざまな組み合わせをお楽しみいただける、という計画である。
そして分量に関しては、どの料理に人気が集中するかも不明であったため、本日はざっくりと多めに準備をして、あとは売り上げ如何によって臨機応変に対応していくことにした。
今日のところは、『ギバのモツ鍋』が300食分、『ギバ・カレー』が200食分、『ミャームー焼き』が140食分、『ギバまん』が120食分、『ギバのステーキ』が100食分だ。
これらの料理をすべて売り切ることができれば、手に入る銅貨は赤銅貨1400枚だ。
先日までは赤銅貨1150枚の売り上げであったので、どこまで売り上げをのばすことができるか、まずは本日が試金石となるだろう。
そして人員に関しては、ユン=スドラとアマ・ミン=ルティムが朝一から参加している上に、ファとルウで2名ずつの新人さんまで取りそろえていた。
ファのほうは、女手にゆとりがあるというガズとラッツからひとりずつ、ルウのほうは、レイとミンからひとりずつ、という顔ぶれだ。
本格的に忙しくなる前に、研修を済ませてしまおうという算段である。
以上――これが、俺とルウ家の人々で考えに考えぬいた、復活祭に向けての対策であった。
「やあ、アスタ、ちょっとばっかり早く来すぎちまったかな?」
と、俺が屋台の鉄板を温めている間に、横合いからそんな声をかけられた。
ついさきほども顔をあわせたばかりの、ドーラの親父さんとターラである。
「あれ、ずいぶん早いお越しですね? もう間もなく料理は温まりますけれども」
しかし親父さんたちは、早くとも朝一番のラッシュがおさまった頃合いに姿を見せるのが通例であった。
「いや、店番を頼んだ鍋屋のせがれが、こんなに早くからやってきちまってさ。あいつらも、一刻も早くここに駆けつけたいんだろう」
「ああ、そうなのですか。何だか申し訳ありませんね。食堂形式にしてしまったために、余計なお手間を取らせることになっちゃって」
「何を言ってるんだい。それでいっそう美味いものが食べられるなら、余計でも手間でも何でもないさ」
そのように言ってから、親父さんはぐるりと辺りを見回した。
「それにしても、ものすごい有り様だなあ。まさかアスタたちの店がこんなに大きくなるなんて、ちょっと前までは想像もつかなかったよ」
ギバの料理を売る屋台が、合計で5つも並んでいる。そしてその向こう側には、ファとルウを合わせて屋台8つ分ものスペースが青空食堂としての体裁を整えられているのである。
また、そこで働く人間の数も、8名から12名に増えている。
ヴィナ=ルウとふたりきりで、たった10食分の『ギバ・バーガー』をたずさえて商売を始めたあの頃と比べたら、なんという発展具合だろう。
何がなし、俺も感慨深くなってしまう。
「それにユーミや、あのマイムっていう娘さんも近い内に屋台を開くんだろう? そうしたら、またいっそう賑やかになるな」
「あ、マイムは今日から開店するはずですよ。到着したら、こっちの空き地に店を出す予定です」
青空食堂の向こう側になってしまうと、何もやりとりができなくなってしまうため、俺たちは昨日の内に青空食堂を北側にずらし、2つ分のスペースを作っておいたのだった。
ここに収まるのはマイムと《西風亭》の屋台で、《南の大樹亭》はもっと南側の賑やかな区域に店を開くらしい。《キミュスの尻尾亭》は、今のところ静観のかまえだ。
「通りをはさんだ向かい側も、がっぽり空いていますけどね。あそこは何か大きな出し物が出るのだという話でした」
「ああ、去年の復活祭でも旅芸人の一座が馬鹿でかい見世物小屋を開いてたなあ。たいそう賑わってたみたいだから、また同じ連中がやってくるのかもしれない」
「えっ! またあの人たちがジェノスに来るの!? だったらターラも、リミ=ルウと見にいきたい!」
と、ターラが瞳を輝かせながら、親父さんの腕を引っ張った。
「旅芸人なんて来るんだね。ターラは去年、そいつを見たのかな?」
「うん! ちょっと怖いけど、すっごく楽しいよ! 見たこともない動物も見れるし、ターラは大好き!」
見たこともない動物、か。
俺にとってはカロンもキミュスも初めて見る動物であったのだが、見世物になるのはもっと珍しい動物なのだろう。俺の故郷のサーカス団のように、ゾウやキリンやライオンなどに類する動物でも引き連れているのだろうか。
「ううん、俺はああいうのは苦手なんだよなあ。ま、色っぽい娘さんとかは大歓迎だけどね」
「あはは。なかなか楽しそうじゃないですか。俺も家長の許しがもらえたら、ターラたちと一緒に見物させていただきます」
「アスタたちが一緒なら安心だな。悪い連中ではないのかもしれないが、やっぱり旅芸人なんてのは胡散臭いやつが多いんだよ」
そのように述べてから、親父さんは「あれ?」と目を丸くした。
「何だ、あんたも来てたのか。ひさしぶりだね、えーと……」
「俺の名前はダン=ルティムだ! お前さんはダレイムの野菜売りだな? 息災そうで何よりだ!」
そう、本日から護衛役の狩人らも同行していたのである。
その後ろから顔を出したルド=ルウが、「よー」とターラに笑いかける。
「ちびっこターラと、ドーラじゃん。店が開く前から来ちまったのかよ」
「あ、ルド=ルウ! ルド=ルウたちも町に下りてたんだね!」
「ああ。ルウ家は昨日から休息の期間に入ったからな。これから毎日、順番で男衆が町に下りることになったんだ」
護衛役は、ランダムで5、6名が同伴することになっていた。本日同行してくれたのはこの2名と、アイ=ファ、ラウ=レイ、ルティム本家の次兄である。
なお、ダン=ルティムが参加していることからも察せられる通り、「見目のやわらかい若衆」という慣例は、このたびから撤廃されることになった。
理由はふたつ。かつて俺を捜索するために、魁偉なる男衆らが大挙してやってきたこともあるのだから、ジェノスの民も多少は免疫がついてきただろう、という判断が下されたのと、それに俺が「森辺の男衆らもみんな宿場町がどのような様相に変わりつつあるかを把握したほうがよいのではないか?」とドンダ=ルウに進言したためであった。
さらに言うならば、復活祭の期間は森辺の民を恐れない余所者も大勢やってくる。そういう人々には、むしろ強面の狩人が同伴したほうが抑止力になるのではないか、という意見もあった。
それでも本日は馴染みの深いメンバーばかりになってしまったが、これは好奇心ゆたかなるダン=ルティムやルド=ルウらが一番手を希望したためであり、今後はマァムやムファやリリンといった氏族の男衆らも下りてくる予定になっている。
「ねえねえ、ルド=ルウ、今日はリミ=ルウの当番だったっけ?」
「ああ。あいつはあっちの屋根の下でお客を待ちかまえてるぜ」
「やったー! リミ=ルウとルド=ルウにいっぺんに会えるなんて、嬉しいなあ」
無邪気に笑うターラに対して、ルド=ルウも白い歯を見せている。森辺に招待して以来、ふたりの絆もいっそう深まった様子だ。
「なあ、楽しそうにおしゃべりしてるところを悪いんだけどよ。いつになったら料理の準備はできるんだ?」
と、さきほども声をかけてくれたジャガルのお客さんが、だいぶん焦れてきた様子で口をはさんでくる。
俺が鉄板を温めるばかりで何の準備も進めようとしないので、それをいぶかしがっているのだろう。
「ああ、すみません。他の料理の準備が整うのを待っているんです。ここだけ先に始めてしまうと、みなさんがこちらに集まってしまいそうなので」
俺の担当は、『ギバのステーキ』なのである。
左右を確認してみると、『ギバまん』の屋台からはヤミル=レイが、『ギバ・カレー』の屋台からはトゥール=ディンが、それぞれうなずき返してきてくれた。
トゥール=ディンのかたわらにはガズの女衆もおり、ラッツの女衆はユン=スドラとともに青空食堂で待機している。食堂ではシーラ=ルウとリミ=ルウが彼女らに手ほどきをしてくれる予定だ。
さらに『ギバ・カレー』の屋台の向こうからは、『ギバのモツ鍋』を預かっているアマ・ミン=ルティムが手を振ってくれていた。
『ミャームー焼き』のツヴァイは無反応だが、他の料理が大丈夫なら彼女も大丈夫だろう。
「では、準備が整ったようですので、販売を始めます。こちらは初のお目見えとなる料理ですので、よかったらお味見をしてみてください」
言いながら、俺は革袋から試食用の肉を取り出してみせた。
保存用のピコの葉を取り除き、そいつを鉄板の上に投じる。
脂ののった、ロース肉である。
叩いて繊維を潰した上で、厚みはおよそ1・5センチだ。
流れ出た脂がじゅうじゅうと音をたて始める。あたりにはカレーの香りが強く漂っていたが、かぶりつきのお客さんたちには肉の焼ける芳しい香りをお届けできているだろう。
焼き色を確認したら、ひっくり返して、秘密兵器を取り上げる。
半円型の金属の蓋に取っ手のついた、いわゆるステーキカバーである。
鉄具屋のディアルから購入した、鍋の蓋の転用だ。
表面の焼けたロースに果実酒を降り注ぎ、ステーキカバーで封じ込める。
焼き時間を短縮するための蒸し焼きだ。
果実酒の甘い香りまでもが爆発し、カレーの香りとせめぎ合う。
1分ぐらいの見当でカバーを開け、真ん中から肉を寸断する。
問題なく、熱は通っていた。
さらにそいつを1センチ目安でこまかく切り分けてから、大きな木皿の上に移し、タウ油とミャームーのソースをさっとまぶしたのち、細工屋で購入した木の串を刺していく。
「どうぞ、こちらは無料です。お味見が済んだら、木串はこちらにお返しください」
とたんに、あちこちから何本もの腕がのびてくる。
さらなる試食分と、さっそくの注文が入ることも祈りつつ、俺は鉄板に数枚の肉を敷きつめていった。
「おお、こいつは美味いな!」
と、真っ先に声をあげてくれたのは、いくぶん柄の悪そうな西の民のお客さんであった。
「わかりきっていたことだが、キミュスやカロンの足肉とは比べ物にならねえや。おい、こいつはいくらなんだ?」
「こちらの大きさで野菜の添え物をつけて、赤銅貨2枚です。あと、1食につき半個分の焼きポイタンもおつけいたしますよ」
「うーん、この大きさで赤が2枚か……悪くはねえけど、もっと腹いっぱい食べたいところだなあ」
「お望みであれば、半分に切った肉もつけて、赤銅貨3枚にいたしましょうか? でも、あちらでは汁物などの色々な料理を売っていますので、そちらとご一緒にお召しあがるのもおすすめです」
「ああ、あの汁物は赤1枚と割り銭でそこそこ食えるんだよな。それなら赤3枚と割り銭1枚か……よし、そいつをいただこう!」
「ありがとうございます。少々お待ちくださいませ」
ひとりが購入の決断をしてくれると、あとは割合、なしくずし的にお客さんが殺到することになる。元来このジェノスでは試食の風習も浸透していないし、それに、早く胃袋を満たしたいという欲求が先に立ってしまうのだろう。これならば、しばらく試食品は必要ないかもしれなかった。
「アスタ、こっちにも一人前頼むよ。えーと、あと今日の新しい料理ってのは、そっちの辛そうなやつだけだよな?」
ドーラの親父さんに、「はい」と俺は笑顔を返してみせる。
「よし、あとは俺たちも汁物を1杯もらえばちょうどいいだろう。こいつは楽しみだ」
きっとカレーとステーキを1人前ずつ購入し、ターラと半分こにするのだろう。微笑ましい限りである。
俺は革袋から野菜のソテーも取り出して、鉄板の端に広げていった。こちらは家でいったん火を通しているので、温めなおせばオッケーだ。
そうして木皿に焼きあがったステーキとソテーを載せ、焼きポイタンも添えながら次々と供していく。
調理にひと手間のかかるこちらの屋台では、『ギバまん』や『ギバ・カレー』よりも長い列ができてしまい、なかなかのてんてこ舞いだ。
すると、ダン=ルティムが背後からにゅうっと首をのばしてきた。
「アスタよ、俺もそろそろ腹が減ってきてしまったのだが、いつになったら食わせてくれるのだ?」
「ええ? あの、もちろん軽食はお出ししますけど、この行列がはけるまではお待ちいただけませんか?」
「なに? こんな美味そうな匂いを嗅がせておきながら、ひどい仕打ちだな!」
それでも30分とはかからずに一段落はするはずなので、それぐらいは我慢していただきたい。
(うーん、ルウ家より屋台がひとつ多い分、この人数でもちょっと厳しいな。新人のふたりが育てばまた違うだろうけど、これ以上混雑するようだと、まだ増員が必要かもしれないや)
ならばそれも、今の内に研修を進めておくべきだろう。
フォウとランは女手を出すのが厳しいようであるから、残る氏族はリッドあたりか――あるいは、ベイムやダゴラに提案するのもありかもしれない。
ディン家だって、宿場町の商売を疑問視するザザ家からの命があった上で、ファの家の実情を正しく知るために、こうして商売に参加してくれているのである。ならば、同じ立場のベイムやダゴラを巻き込むことも可能であるはずだった
「……アスタよ、ずいぶん忙しそうだな」
「わあ、びっくりした! 何だ、アイ=ファか」
「何だとは何だ。それが家人を労いにおもむいた家長への言葉か?」
アイ=ファはリミ=ルウに引っ張られて、青空食堂のほうにいたのだ。あちらも仕事が忙しくなってきて、解放されることになったのだろう。
「お前の屋台が一番手が足りていないようではないか。何故にガズやラッツの女衆を使わないのだ?」
「うん、このステーキは日替わりの献立だからさ。次にお披露目するのはいつになるかわからないし、それならカレーや食堂での仕事を覚えてもらったほうが、のちのちのためだろう?」
「ふむ。やみくもに我が身を犠牲にしているわけではなく、しっかりと考えた上での配置ということか」
言いながら、アイ=ファはおもむろに毛皮のマントを脱ぎ始めた。
胸の下に包帯を巻いた姿が、あらわになる。
「ならば、私が手を貸してやろう」
「ええ? アイ=ファが屋台を手伝ってくれるっていうのか?」
「うむ。ルウの狩人が4人もいるのだから、護衛の手は足りていよう。今日はそれほど町の様子にも変わりはないようだしな」
それは、驚きの発言であった。
だが、正直に言って、今は山猫の手でも借りたい状況になりつつある。
「それじゃあ、お客さんから銅貨を受け取ってもらえるかなあ? それだけでも、ずいぶん助かるよ」
「うむ」とアイ=ファは狩人の衣を荷台に片付けてから、あらためて俺の隣に立った。
たびたび屋台の近くに立つことはあったが、アイ=ファが仕事を手伝ってくれる日が来ようなどとは、俺は想像だにしていなかった。
「お代は赤銅貨2枚だ。受け取った銅貨はこの袋に入れてくれ。めったにいないけど、白銅貨で払うお客さんがいたら、お釣りの赤銅貨を8枚な」
「うむ」
今は肉を焼いている最中であるので、アイ=ファはやることもなく直立している。
腰の刀はお客さんから見えにくい位置であるし、ちょっとばかり眼光が鋭いのと研ぎすまされた気配を漂わせていることが気にならなければ、立派な看板娘であろう。
(まさか、アイ=ファと一緒に商売をする日が来るなんてな)
俺はじんわりとした幸福感を胸に抱きつつ、仕事に従事することになった。
復活祭の予兆なのか、新メニューが関心をひきつけたのか、あるいは昨日が休業日であった影響か、お客さんは普段以上の勢いで俺たちの屋台に集まってくれていた。