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異世界料理道  作者: EDA
第十九章 太陽神の復活祭(上)
329/1675

ルウ家の収穫祭、再び④~時は巡りて~

2016.5/13 更新分 1/1

 ルウ家の料理は、どれもこれも素晴らしい出来栄えであった。

 それに加えて、品数もかなりのものである。

 森辺の民がこよなく愛する『ギバ・カツ』を筆頭に、『ミャームー焼き』や肉団子、甘辛いタレをまぶしたスペアリブ、バラ肉とナナールのソテー、どっさりと野菜を使った肉野菜炒め、マッシュチャッチ、干しキキとシィマのサラダなどなど、実にさまざまなメニューが取りそろえられていたのだ。


 その中で、俺が興味をひかれた料理がふた品ほどあった。

 そのひとつは、ギバのロースの香味焼きである。

 俺が『ギバ・カレー』で使用している7種の香草の内、特に辛みと香りの中心を担っている3種の香草をまぶして焼いた料理だ。

 かなりカレーに近い風味で、それがギバ肉の強い脂をいい感じに中和している。これもまた、レイナ=ルウたちのオリジナル料理なのだった。


 もうひと品のオリジナル料理は、バナーム産の白い果実酒を使用した煮込み料理だ。

 調味料にはタウ油や砂糖を使っており、隠し味ていどに白ママリアの酢も使っているらしい。どちらかといえば甘みを強調した料理で、シンプルながらも果実酒の香りが芳しい。「まだまだ研鑽が必要です」とレイナ=ルウは述べていたが、俺は十分に美味しくいただくことができた。


『照り焼き肉のシチュー』は再現の難しい料理であるが、これらの料理は他の女衆でもすぐに体得することができるだろう。

 何よりも、レイナ=ルウとシーラ=ルウがそうしてじょじょに独自性を打ち出してきたことが、俺にはとても嬉しかった。


 さらに特筆するべきは、リミ=ルウの手によるデザートまでもが広場の片隅に準備されたことであろう。

 カロン乳を使ったチャッチ餅と蒸しプリン、そしてトゥール=ディンから触発されたのであろう甘いポイタンの焼き菓子、という3種のメニューである。

 他の料理に比べればささやかな分量であったが、女衆や子供たちは大喜びでそちらの一画にも群がっていた。


「ああ、アスタにアイ=ファ、ようやく会えたな」


 と、それらの料理に舌鼓を打っていた俺たちのもとに、男女の人影が寄ってくる。

 それは、ラウ=レイとヤミル=レイであった。


「いったいどこに隠れていたのだ? 俺はずっとお前たちを捜していたのだぞ?」


「あ、そうなのかい? いったい何のご用事なのかな?」


「用事がなければ友と会うこともできないのか? ずいぶん水臭いことを言うではないか!」


 と、ラウ=レイが俺にヘッドロックを仕掛けてくる。


「あいたたた! 痛いよ、ラウ=レイ! ……もしかしたら、酔っているのかな?」


「今日は宴だぞ! 酔っていて悪いことがあるか!」


 それは正論なのかもしれないが、俺としては大事な頚骨を守らねばならなかった。ラウ=レイが力加減を忘れたら、俺の首など一瞬でへし折られてしまうことであろう。


「おい、いくら酔ってもかまわぬが、私の家人に手を出すな」


 アイ=ファが低い声で言い、ラウ=レイの手首をつかみ取る。

 俺を解放したラウ=レイは、猟犬のような目でアイ=ファを見据えた。


「……何だか前の収穫祭でもこのようにたしなめられた覚えがあるな。お前はいささかアスタに甘すぎる気がするぞ、アイ=ファ」


「家人を守るのは家長のつとめだ。お前こそ、狩人ならぬアスタを乱暴に扱いすぎであろう」


 アイ=ファはアイ=ファで山猫のような目つきになってしまい、何やら剣呑な雰囲気である。

 リミ=ルウはちょっと心配そうな表情になり、ヤミル=レイは憮然と肩をすくめている。


「……いまだ狩人としての仕事も果たせぬ身でありながら、ずいぶんな迫力だな、アイ=ファよ」


「手傷を負った身でも、酔漢を叩きのめすことぐらいは容易いぞ、ラウ=レイよ」


「そうか、お前はルド=ルウにも劣らぬ狩人の目を持っているのだったな、アイ=ファ」


 ずいっとラウ=レイが進み出て、アイ=ファのほうに顔を寄せる。


「ならば、教えてくれ。俺はそんなに力が足りていないのか?」


「なに?」


「前回の力比べでは、お前に敗れることになった。今回の力比べでは、シン=ルウとミダに敗れることになった。自分より小さな相手にも大きな相手にも勝てないのだったら、俺はいったいどうしたらいいのだ?」


「身体の大きさなど、強さのひとつの要因に過ぎない。お前とて、ルウでは指折りの狩人であろう」


「しかし俺は、ドンダ=ルウにもダン=ルティムにも勝てたことはない。ジザ=ルウやガズラン=ルティムも、そちらに近い力を身につけてしまったようだ。それでシン=ルウやミダにも勝てなかったら、ルド=ルウにもダルム=ルウにもかなわないということになってしまう。それではあまりに、情けなさすぎるではないか!」


 ラウ=レイは駄々っ子のように言い、さらにアイ=ファへとにじり寄る。

 が、アイ=ファはじょじょに平静さを取り戻しつつ、そんなラウ=レイから同じ距離だけ身を引いた。


「お前がいま名前をあげたのは、それこそルウの一族でも卓越した力を持つ狩人ばかりだ。少なくとも、ミダやシン=ルウと比べてそこまで見劣りするわけではないのだから、何も恥じる必要はあるまい」


「だけど、ジーダだってルド=ルウに近い力を持つようだったし、ギラン=リリンなどはガズラン=ルティムと互角の勝負をしていた! ……そして俺は、森の主を討伐する際にも、確たる手柄をあげることはできなかった!」


「だからそれは――」


「森の主にとどめを刺したのはお前だったな、アイ=ファよ。そしてお前は、ダン=ルティムとも互角の勝負をすることができた。お前はどうしてそこまでの力を身につけることができたのだ? 俺は――俺は、もっともっと強くなりたいのだ!」


 ラウ=レイはもはや、アイ=ファにつかみかかりそうな勢いであった。

 だけどアイ=ファは、ますます穏やかな眼差しになっていく。


「それは以前にも答えたはずだ。私やルド=ルウは強き父を持つことで、おのれの弱さを口惜しく思うことになった。その口惜しさが、私たちに力を与えたのだ。……そしてこのたびは、シン=ルウやガズラン=ルティム、それにきっとジザ=ルウなども同じような思いを胸に、力比べに挑んだのだろうと思う。だからこそ、あのようにこれまで以上の力を発揮することがかなったのであろう」


「それじゃあ、俺は――!」


「お前は、いま同じ思いを抱くことになった。お前は、これから強くなるのだ」


「……そうなのかなあ……」


 と、ラウ=レイはがっくり肩を落とす。

 ラウ=レイがこんなに力ない姿をさらすのは、きっと初めてのことであっただろう。


「元気だしなよー。ラウ=レイだって、2回連続で勇者になったんだよ? きっと今日もたくさん嫁入りの申し出があるんじゃないかなー?」


 ようやく険悪な空気が去ったことを嬉しく思っている様子で、リミ=ルウが明るい声をあげる。

 しかしラウ=レイの顔はいっこうに晴れない。


「嫁入りか……今はそんな気持ちにもなれないな。どうせアイ=ファやヤミル=レイほど美しい女衆など、そうそういないのだろうし」


 たちまちアイ=ファは眉を吊り上げ、ヤミル=レイはそっぽを向く。


「俺はふてぶてしい女衆が性に合うのかな。やたらとこいつらが美しく思えてしまうのだ」


「あ、あのねえ、ラウ=レイ――」


「しかしアイ=ファは狩人なのだから嫁に取ることもできん。いっそヤミル=レイを嫁に取るべきなのだろうか」


「いっそ扱いで嫁にされるほうはたまったものではないわ。だいたい、レイ家の他の人間がそのようなことを許すはずもないし」


「そんなことはないぞ。少しばかり年をくっているからといって、そのようなことを気に病む必要はない。俺とだって、せいぜい4つぐらいしか離れていないのだろう?」


「誰も年のことなどを気にしているのではないわ」


 ヤミル=レイは冷たく言い捨て、優雅な仕草で俺たちに背を向けた。


「これ以上この場に留まったら、またファの家との縁がこじれてしまいそうね。アスタたちはまだロクに料理も食べていないのでしょう? こんな酔っ払いは捨て置いて、空腹を満たすべきだと思うわ」


「おい! 家長が力を失っているのだから、それを支えるのは家人のつとめだろうが!」


 というわけで、レイ家の2名は仲良く言い争いながら人混みの向こうへと消えていったのだった。

 いくぶん毒気を抜かれた体で、俺はアイ=ファとリミ=ルウを振り返る。


「えーと……確かにまだまだ腹六分目だから、宴の料理を楽しませていただこうか」


「うん、食べよー食べよー!」


 それなりに時間は経過したが、まだまだ宴は終わる気配もない。酒気と熱気で頬を火照らせた人々の間をかきわけて、俺たちは広場を進軍した。


 敷物に腰を落ち着けている者もいれば、立ったまま肉をかじっている者もいる。果実酒の土瓶が酌み交わされ、どこかからは草笛の音色も響き、いよいよ宴もたけなわという様相である。


 もともと買い溜めていたものに加えて、屋台のための木皿まで総動員させているので、器にも不足はないようだ。水瓶の準備もしてあるので、足りなくなったら洗って再利用すればいい。好きな料理を思い思いに食べられるバイキング形式もだいぶん板についてきたようで、どこにも混乱は見られなかった。


(みんな、本当に楽しそうだな)


 とある敷物では、レイナ=ルウを中心にして大勢の女衆が輪を作っていた。

 料理に関して、あれこれ質問をぶつけられているのだろうか。その輪を遠巻きにして若い男衆らがたむろしているのは、ひょっとしたらレイナ=ルウが解放されるのを待ちわびているのかもしれない。


 また、その隣の敷物では、シン=ルウとララ=ルウがひっそりと身を寄せ合っている。

 が、そのふたりの前に膝を折り、何やらシン=ルウへと熱っぽく語りかけている若衆がおり、ララ=ルウはちょっと憮然としている様子であった。

 距離があるのではっきりとは見て取れないが、ずいぶん小柄な若衆である。直感的に、それはディム=ルティムなのではないかと俺には思えた。


(何かシン=ルウの闘いっぷりに感ずるところでもあったのかな。そういえば、ディム=ルティムも自分の未熟さを苦にしていたみたいだったし)


 しかしディム=ルティムは、まだ狩人になりたての13歳だ。

 いまひとつ想像し難いが、ドンダ=ルウやダン=ルティムにだって幼き時代はあったのだから、そうした先人たちの切り開いてきた道を、今後はシン=ルウやディム=ルティムたちが受け継いで、邁進していくのだろう。


 さらにその向こう側には、肉をかじりながら闊歩しているレム=ドムの姿が見えた。

 とても不機嫌そうな表情で、逆側の腕にはスフィラ=ザザをぶら下げている。儀式の火のほうに向かっている様子なので、ドンダ=ルウに挨拶に行く途上であるのかもしれない。


「あ、ヴィナ姉だ! こんなところで、何やってんの?」


 と、リミ=ルウがてけてけと駆けていく。

 ヴィナ=ルウは少し人の輪から外れた薄暗がりで、ひとりぽつねんと立ちつくしていたのだった。


「ああ、リミ……それに、アスタとアイ=ファも……ううん、何をしているってわけでもないんだけどねぇ……」


 そんな風に言いながら、ヴィナ=ルウはあらぬ方向に視線を向ける。

 さらに薄暗い広場の端っこで、何やらふたつの人影が言い争っているような様子であった。

 ラウ=レイたちではない。もっと身長差のある男女の影だ。


「ん? あれってダルム=ルウとシーラ=ルウですか?」


「そう……何だか人目を集めてしまいそうだったから、わたしがあそこまで引っ張り出したのよぉ……」


「いったいどうしたんです? 何やら不穏な雰囲気のようですが」


「うん、不穏よねぇ……わたしとダルムが果実酒を楽しんでいたら、シーラ=ルウが飛んできて……傷を負った身ならばお酒はひかえるべきだって話になっちゃったのよぉ……」


 ダルム=ルウは、右手の平の皮がべろりと剥けてしまったのである。

 いったいどれほど盛大に剥けてしまったのか、けっきょくギバ狩りの仕事を再開させることもできないまま収穫祭を迎え、力比べさえも辞退することになってしまったのだ。


「ダルムはもう半月も果実酒を我慢してたから、ちょっとぐらいならいいかなあと思って、わたしがすすめちゃったのよねぇ……わたしはどうしたらいいのかしらぁ……?」


「うーん、別にいいんじゃない? 飲むって決めたのはダルム兄なんだから、ヴィナ姉が気にすることないよー」


 そんな風に言ってから、リミ=ルウはにっこりと微笑んだ。


「それに、シーラ=ルウだってダルム兄を心配してるだけなんだし! 言いたいことをきちんと言えるのは、きっといいことなんじゃないかなー」


「そうかしらぁ……」とヴィナ=ルウは額にしなやかな指先を当てる。

 すると、賑やかな広場の中央から、また大小の人影が近づいてきた。が、こちらは女性のほうが大柄のコンビだ。


「こんな隅っこで何をしてるんだい? よかったらあたしたちもまぜておくれよ」


 バルシャとジーダの親子である。

 ふたりとも木皿を携えており、ジーダは歩きながらロースの香味焼きをかじっていた。


「やあ、ジーダ。今日は大変な1日だったね」


 あまり男女のデリケートな話を広めてしまうのも何かと思い、俺はそのように挨拶をしてみせた。

 黙々と肉をかじりつつ、ジーダはこくりとうなずいてくる。


 ジーダも狩人の衣を外していたため、ふだんよりいっそう小さく見えてしまう。きっとヴィナ=ルウより小柄なぐらいであろう。目算で身長は160センチていど、体形も至極ほっそりとした少年なのである。


 ぼさぼさの蓬髪は火のように赤く、黄色く光る瞳はいささか獣めいている。が、本日は仏頂面の度合いがやや穏やかで、14歳という年齢相応に見えた。


「お前も今日は見事に力を示すことができたな。ルド=ルウはなかなか腕を上げたようだが、それとも遜色はないように見えた」


 アイ=ファが言うと、口の中身を呑みくだしてから、ジーダはけげんそうに小首を傾げる。


「狩人の力比べというのは、森に力を示す神聖な行為であるそうだな。しかし、刀も弓も使わずに、どうやって狩人としての力を示しているのか、そんなこともわからぬまま、俺はあのような場に引っ張り出されてしまったのだ」


「ふむ。狩人の力比べというのは、おのれの身に備わった力を惜しみなく振り絞りつつ、相手を傷つけぬよう心を律するべきものだ。お前はしっかりとその力を示すことができたと思うぞ、ジーダよ」


「……やっぱり、よくわからん」と、ジーダはまた肉にかじりつく。


「ジーダには、弓の遠当てのほうが楽しいんだろうね。ルド=ルウにはそっちで挑まれたほうが嬉しいんだろう?」


 バルシャは愉快そうに言い、ジーダはうるさそうにそちらを振り返る。


「あれだって、ルド=ルウがしつこく挑んでくるから相手をしているだけだ。あいつはどうして俺にばかり、ああしてうるさくつきまとってくるのだろう」


「それはきっと、ジーダがルド=ルウより年下のせいじゃないかな。なかなかその若さでルド=ルウに匹敵するような狩人はいないんだろうし」


 と、俺が口をはさんでみせる。


「そういえば、ルド=ルウはもうすぐ16歳になるらしいけど、ジーダの誕生日はいつなのかな?」


「……俺は森辺の民ではないのだから、そのようなものは持っていない」


「うん? どういうこと?」


「ああ、森辺の民には生誕の日ってやつが存在するらしいね。でも、西の王国には自分の生まれた日を祝う習わしはないんだよ」


 そのように答えたのは、バルシャであった。


「もうすぐ1年が終わるだろう? そうしたら、みんないっせいに年を取るのさ。そうしたら、ジーダは15歳で、あたしは35歳だね」


「あ、そうだったんですか。それは知りませんでした」


 ならば、リミ=ルウと同い年のターラも、ひと足早く9歳になるわけだ。


「ちょっと前にはサティ・レイ=ルウがお祝いをしていたもんね。この収穫祭ってのもそうだけど、厳しい掟ばかりじゃなく、なかなか楽しい習わしもあるんだなって、あたしも感心させられたよ」


 そう、藍の月にはサティ・レイ=ルウの生誕の日があったそうなのだ。

 ララ=ルウやティト・ミン婆さんのお祝いには呼ばれた俺たちも、その日に呼ばれることはなかった。独自で美味なる料理を作れるようになったためなのか、あるいは伴侶たるジザ=ルウがそれを望まなかったためなのか――真相は不明である。


「だけどまあ何にせよ、あたしらはマサラでもまともな人間づきあいはしてこなかったからさ。ルド=ルウみたいに立派な狩人が目をかけてくれるのはありがたいことだよ。集落に居座ることを許してくれたドンダ=ルウには感謝するばかりさね」


 バルシャが発言するたびに、ジーダはぶすっとした顔になってしまう。

 しかしそれも、人前で肉親となれあう姿を見せたくはない、というぐらいの気持ちなのだろう。この親子の辿ってきた複雑な人生を思えば、強いわだかまりもなく、きちんとした関係性を修復できているように見える。


 そんなことを考えていると、薄暗がりのほうからシーラ=ルウとダルム=ルウが帰還してきた。

 片方は穏やかな表情をしており、片方は不機嫌そうな表情をしている。その対照的なたたずまいを見比べながら、「あらぁ……」とヴィナ=ルウが気まずそうな声をあげた。


「ようやく話がまとまったのぉ……? もう大丈夫なのかしらぁ……?」


「はい。ご心配をかけてしまって申し訳ありませんでした」


 シーラ=ルウは、深々と頭を垂れてくる。

 それから、ひかえめながらも力のある眼差しで、真正面からヴィナ=ルウを見据えた。


「ですがやっぱり、傷の痛む内は酒も毒になると思います。少なくとも、血が完全に止まるまでは、つつしむべきでしょう」


「ごめんなさぁい……もっと深い傷を負ってるっていうラウ=レイががぶがぶ飲んでいるみたいだったから、大丈夫かなって思っちゃったのよぉ……」


「裂けた傷口は半月もあればあるていどはふさがるのでしょうが、ダルム=ルウの場合は新しい皮が肉を覆うのを待たなければならないのですから、もっとたくさんの時間が必要なのだと思います」


「ううん……わたしの考えが足りていなかったわぁ……」


 ヴィナ=ルウは悄然とうなだれてしまい、ダルム=ルウはがりがりと頭をかきむしる。


「話は終わったのだから、もう蒸し返すな。俺が酒を遠ざければ、それで満足なのだろうが?」


「……宴で果実酒を口にできないのはおつらいことでしょうが、どうぞご自分の身を大切になさってください、ダルム=ルウ」


 シーラ=ルウは切なげにダルム=ルウを見つめ、「そうだよー」とリミ=ルウも相づちを打つ。


「そういえば、シーラ=ルウもさっき果実酒を断ってたもんね。あれって、ダルム兄のために我慢してたんでしょ? シーラ=ルウはそこまでしてくれてるんだから、ダルム兄だって我慢しないと!」


 たちまちシーラ=ルウは真っ赤になってしまい、ダルム=ルウは困惑の表情になる。


「どうしてそれが俺のためになるのだ? それはもちろん、酒くさい息を吐きながら賢しげなことを抜かすようでは、俺も聞く耳を持てなかったかもしれないが……」


「いいから、料理を楽しもうじゃないか! 酒なんか飲まなくったって、今日の料理はどれも絶品だよ?」


 そうしてバルシャに取りなされて、俺たちはぞろぞろと移動することになった。

 長い寄り道になってしまったが、俺やアイ=ファも新たな料理を獲得しに行く途上であったのである。


 とりあえず手近な鍋に寄っていくと、そこでは白ママリア酒の煮物が温められていた。

 どの料理でも文句はないので、俺たちは各自の木皿にそれをよそった。


「おや、貴方はファの家の女狩人かな?」


 と、そこにいた男衆のひとりが、にこやかに笑いかけてくる。

 バルシャと同年代ぐらいの、少し灰色がかった頭をした男衆だ。中肉中背で、目もとのしわが優しげな印象である。


「うむ。あなたはリリンの家長であったな」


「おお、俺などを見知ってくれたのか。それは光栄なことだ」


 それではこれが噂のギラン=リリンかと、俺も視線を向けなおす。

 そういえば、若白髪っぽいこの髪の色には見覚えがある。


「森の主を仕留めるために、そのような手傷を負ってしまったそうだな。貴方が今回も力比べに加わるようであれば、俺は真っ先に挑ませてもらおうと思っていたのだ」


「あなたは、素晴らしい狩人だ。ガズラン=ルティムとの手合わせは、実に見事なものであった」


 そのように答えながら、アイ=ファはじっと相手の顔を見つめ返す。


「それにあなたは、わずか4名しかいないリリンを滅ぼすことなく、氏を守ったそうだな。同じ家長として、私は感服させられた」


「なに、懸想した相手が、たまさかルウの眷族であったというだけの話だ」


 それでは、最初にレイ家の女衆を嫁として迎えたのは、この家長本人であったということか。

 滅びに瀕した氏族の人間がルウの眷族に嫁取りを願うというのは、なかなかの話である。


「感服すべきは、リリンの家を眷族として迎えてくれたドンダ=ルウの度量であろう。俺はただ、必死に願っただけに過ぎぬよ」


 そのように言ってから、ギラン=リリンは俺のほうにも笑顔を差し向けてきた。


「そして、貴方がファの家のアスタだな。これまでもたびたび遠目に姿は見ていたが、このようにやわらかい面立ちをした若衆だとは思っていなかった。婚儀の祝宴の際などは、スン家の男衆らを相手に一歩もひかぬ気迫であったしな」


「ああ、懐かしいですね。お恥ずかしい限りです」


「何も恥じることはない。誰よりも優れたかまど番である上に、狩人めいた胆力までも備えているならば、それは素晴らしいことではないか」


 と、目尻のしわをいっそう深めるギラン=リリンである。


「実際、アスタのもたらした美味なる料理によって、我々はこれほどの力と喜びを得ることができたのだ。遅まきながら、感謝の言葉を述べさせていただきたい。……今日の料理もそのほとんどは女衆らがこしらえたものであるそうだが、そもそもアスタの存在がなければこのような仕事を果たせるようにもなっていなかったのであろうからな」


 そのように言って、ギラン=リリンは白ママリア酒の煮汁をすすった。


「うむ、実に美味い! リリンの女衆らも、早くこれほどの力をつけてほしいものだ。そうしたら、俺はこれまで以上にギバを狩ってみせよう」


 それは何だか、知らず内にこちらも微笑を誘発されてしまうようなたたずまいであった。

 何か不思議な雰囲気を持った人物である。森辺において、これほどまでに穏やかで、優しげで、包み込むようなやわらかさを有する男衆を見るのは初めてかもしれない。あえて言うならば、一番近いのはサウティの長老たるモガ=サウティであっただろうか。まだまだ壮健なる現役の狩人でありながら、そういった老成した空気がその笑顔からはかもし出されているように感じられた。


(ガズラン=ルティムやダリ=サウティなんかは、穏やかで柔和だけど、すごく力強いもんな。それに比べると、何ていうか――さらさらと流れる小川みたいな雰囲気だ)


 俺はこんな短い時間で、すっかりこのギラン=リリンという人物に魅了されることになった。

 こんな人物が、いったいどうやってミダやジィ=マァムを打ち倒し、そしてガズラン=ルティムと互角に近い勝負をしたのか、もっとちゃんと見ておけばよかったなと思ったほどである。


 そういえば、この輪の中にはジィ=マァムの姿もあった。リリンはマァムからも婿を取っているそうなので、それなりのつきあいがあるのかもしれない。


「……俺もファの家長には挑みたかったので、とても残念に思っている」


 と、そのジィ=マァムが地鳴りのような声で発言する。

 こちらは2メートル近い巨躯を持つ、きわめて厳つい容貌の男衆だ。


「次の収穫祭にも、ファの人間が招かれることを願っている。それまでに、どうか傷を癒してもらいたい」


「このような傷はもう半月ていどで癒えるはずだが、収穫祭についてはどうであろうな。血の縁も持たない私たちがそうたびたび訪れるのは、習わしに背くことであると思えるが」


「禁忌に触れなければ、習わしなどに拘泥する必要はない。それを言ったら、町の人間を家人に迎えることのほうが、よっぽど習わしに背いているではないか」


 そのように言ったのは、ギラン=リリンであった。

 とても優しげな笑顔である。


「貴方がそんな習わしにとらわれなかったからこそ、俺たちはこれほどの喜びを得ることになったのだ。ルウの収穫祭に招かれることを苦痛と感じていないのなら、是非これからも姿を見せてもらいたい。俺たちはみな、ファの家との絆が深まることを嬉しく思っている」


 アイ=ファは無言のまま、目礼を返した。

 余人にはわかりにくいかもしれないが、アイ=ファにしては十分に敬意の込められた仕草であった。


「さて、それでは次なる料理をいただきに行こうか。ぎばかつとやらはまだ残っているのかな」


 数名の同胞を引き連れて、ギラン=リリンは立ち去っていく。

 後には、妙になごやかな空気だけが残された。


「リリンの家長って、ずいぶんとぼけた男衆だったのねぇ……名うての狩人と聞いていたから、もっと荒っぽい人間なのかと思っていたわぁ……」


「リミは前から知ってたよ! ドンダ父さんやダン=ルティムとも仲良しだからねー」


 そうして俺たちも、早々に次の料理へと向かうことにした。

 またリリン家の人々と鉢合わせしても何なので、逆の方向へと足を向ける。

 歩きながら、俺はかがり火に照らされるアイ=ファの横顔を見つめた。


「ギラン=リリンって、面白い人だったな。俺はああいう人、かなり好きだよ」


「そうか。私もギラン=リリンは尊敬に値する人間だと思う」


 真正面を向いたまま、アイ=ファは静かにそう言った。


「滅びかけていた氏を守るというのは、生半可なことではない。それは私の父にすらかなわぬことであったし――そして、私にもかなわぬことだ」


「それはまあ、家人の数だけじゃなく、家族構成にもかかってくることだしな。それに加えて俺たちは、ちょっとその、特別な立場に身を置いてしまっているし」


 他のみんなに聞かれぬよう、俺は小声で応じてみせる。


「だけどきっと、ファの名前は森辺でも語り継がれていくと思うよ。この前なんかは、森の主の討伐であれほどの結果を残せたわけだしさ。ダリ=サウティだって、あの話は子や孫にまで語り継いでいくつもりだって言ってたじゃないか」


「それを言ったら、お前などは森辺にこれほどの喜びと変化をもたらしているな」


「うん。それが悪名となってしまわないように、これからも俺は頑張るよ。大事なファの家の名を汚さないようにさ」


 アイ=ファはいくぶんいぶかしげに俺を振り返ってきた。


「何か妙だな。私は別に、気を落としているわけではないぞ? 私が狩人として生きることは、すなわちファの氏を絶えさせることである、などというのは、何年も前からわかりきっていたことなのだからな」


「そっか。それならいいんだけどさ。俺も前回のことがあったから、ちょっと気を回しすぎたかもしれない」


「前回のこと?」と不審げに言ってから、「ああ」とアイ=ファは肩をすくめる。


「前回の収穫祭で、お前がむやみに悲しげな様子を見せて、私を不安な気持ちにさせたことか」


「ああ、そうだよ。別にそこまで説明してくれなくてもいいけど」


「お前が私の心情もかえりみず、ひとりで勝手に思い悩んで、私を悲しみの淵に突き落としたことか」


「だから、そうだってば! あのときは悪かったって謝っただろう?」


「ふん」と鼻を鳴らしながら、アイ=ファの目は笑っている。


「自分で蒸し返しておいて、わめきたてるな。そういうところが、お前は未熟なのだ」


「ちぇっ」と子供みたいに応じてしまいながら、アイ=ファの穏やかな様子に俺は安堵することができた。


 あの頃と今を比べて、事態が好転したかはわからない。だけど俺たちは胸中の心情をさらけ出しあって、今もともに生きている。それで悲しみや絶望ではなく喜びと幸福を分かち合うことができているのだから、道を踏み外してはいないはずだ。


(そういえば、俺がそんな風に思い悩むことになったのも、ダルム=ルウとのやりとりがきっかけだったんだよな)


 そのダルム=ルウは、とても不機嫌そうな顔をしながらも、シーラ=ルウと並んで俺たちのかたわらを歩いている。

 この数ヵ月で、俺たちはさまざまな変化を迎え入れたのだ。

 これからも、それが悪い変化にならないよう、懸命に生きていくしかないのだろう。


 何にせよ、今回は絶対に楽しい気持ちで収穫祭を終えてやるぞ、という俺の中のひそかな目標は、無事に達成できそうであった。

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