ルウ家の収穫祭、再び③~宴の始まり~
2016.5/12 更新分 1/1 2016.9/13 誤字を修正
明々と燃える儀式の火の前に、ミーア・レイ母さんとヴィナ=ルウに付き添われたジバ婆さんが立っていた。
その枯れ枝のような指先には、香草の煙で清められた祝福の草冠が掲げられている。
百余名の眷族が見守る中、ジバ婆さんの前で頭を垂れているのは、ジザ=ルウであった。
ジザ=ルウはミダに勝利し、ガズラン=ルティムはルド=ルウに勝利し――そうして、おたがいの父親が参加できなかった力比べの決勝戦はその息子たちによって執り行われ、それにジザ=ルウが勝利したのである。
「……あまたある狩人を退けて、森にその強き魂を示したルウの家の長兄ジザ=ルウに、祝福を捧ぐ……」
ジバ婆さんの手から祝福の草冠がジザ=ルウに捧げられると、百余名の同胞たちは天地を揺るがすような歓声をあげた。
ジザ=ルウは立ち上がり、普段通りの柔和な表情でその祝福に応える。
そうしてジザ=ルウは背後に築かれたやぐらの上にのぼっていき、ジバ婆さんはゆっくりと退いていった。
その両名に代わって、右腕を吊ったドンダ=ルウが儀式の火の前に立つ。
「それでは、収穫の宴を開始する! ルウの眷族よ、森に感謝の念を捧げ、その恵みを己の血肉にするがいい!」
再びの大歓声。
いくつものかがり火に照らされた広場の中に、とてつもない熱気と生命力が渦を巻いている。
人々は、果実酒の土瓶を振り上げながら、感謝の言葉を森へと捧げた。
宴の始まりである。
「よし、それじゃあどんどん肉を切り分けていきますね」
ついさきほどまで火にかけられていた『ギバの丸焼き』は、ゴヌモキの葉を敷きつめられた板の上に移動させられていた。
卓はないので、大きな布の敷かれた地べたである。そこに膝をついた俺は、湯気をたてている肉塊を前に、鉄串と肉切り刀を取り上げた。
広場では、あちこち同じように料理が準備され、そして、それとは別に人々が腰を落ち着けることができるように布が敷かれていた。料理のそばには山のように木皿が積まれており、おのおのがお好みの料理を取り分けられるようになっている。
幸いなことに、宴が始まると同時に、俺のもとにも大勢の人々が殺到してくれた。
やはり『ギバの丸焼き』というやつは、視覚的にものすごいインパクトであろう。濃い褐色に焼きあがり、一回りも縮んだギバが、ででんと板の上に載せられているのである。特に幼い子供たちなどは、好奇心に瞳を輝かせながらたくさんの数が集まっていた。
きちんと火が通っているかを確かめるため、ギバの背中にはすでに何筋かの切れ目が入れられている。今度はそれと垂直になるように刀を入れて、俺はまず背中のロースを切り分けていった。
完全に水分を失った表面の皮は、さくりさくりと軽い音色とともに切れていく。
皮と肉の間にある分厚い脂肪も水気と脂気が抜けて、ゼラチンのごとき質感になっている。
その下に眠る肉も、しっとりとやわらかい。
普通に焼いた肉よりも、格段にやわらかい質感である。
森辺の狩人は肉にやわらかさなどは求めていないが、それでも炙り焼きならではの美味しさというものを伝えることはできるだろう。
四角く大きく切り分けたその肉を、俺はバルシャの差し出した木皿の上へと移し替えた。
「では、こちらは族長のドンダ=ルウに、こちらは力比べで優勝をしたジザ=ルウにお願いします」
「はいよ」と気安くうなずいて、バルシャはやぐらのほうに歩いていく。
それを横目に、俺は子供たちへと笑いかけた。
「お待たせしたね。それじゃあ今度はみんなの分を切り分けるよ」
「わーい!」と子供たちがはしゃいだ声をあげる。
あとはもう、ひたすら肉の切り分けであった。
背中ばかりでなく、足や尻からも肉を切っていく。内臓を抜いただけの肉塊であるが、固い筋もやわらかくなって、骨からもするりと肉が外れてくれるので、思いのほか手こずることもない。ひっきりなしに人はやってくるので、30キロ見当の肉も見る見る内に減じていってしまう。
「そのままの味が堪能できたら、こっちの調味料も使ってみてください」
言いながら、俺は切り分けた肉にその調味料をかけてみせた。
片方は、タウ油と砂糖と果実酒をベースにした甘辛いタレで、もう片方は、シールの実とママリア酢とタウ油をベースにしたポン酢もどきである。
モモとバラにそれらの調味料をかけた皿を、またバルシャに託す。ジザ=ルウはしばらくやぐらから動けぬ身であるし、ドンダ=ルウも自分の席から動く様子はなかったので、こうして配膳する必要があったのだ。
「ああ、どれこもこれも美味しいねえ。どうして普通に焼いた肉よりも美味しいんだろう?」
顔は知っているが名前を知らないルウの分家の女衆が、そんな風に笑いかけてきた。
アイ=ファの差し出す木皿に次々と肉を載せつつ、「確かに不思議な話ですよね」と俺も笑顔を返してみせた。
「違うのはただ一点、熱を通す時間の長さだけです。じっくり炙り焼きにすることで、このやわらかさと味わいが生まれるのですよ」
水気と脂気がほどよく抜けたことによって、ただ焼きあげるのとは異なる食感が生まれている。それに、旨みもぞんぶんに凝縮されているだろう。なおかつ、全身の部位を一度にあますことなく味わいつくすことができる。これこそ丸焼きの醍醐味であった。
タレやポン酢を準備したものの、それが不要なぐらいに美味であろう。そして、このダイナミックな外観は宴にこそ相応しい。ギバの力を我が身に取り入れる、という考えを持つ森辺の民の気風にも沿っているはずだ。そういった精神的な作用も、味を高める効果につながっているに違いない。
そうして十数分ばかりが経過すると、ようやく人影もまばらになってきた。
みんな、少なくとも一口ずつは行き渡っただろうか。ギバはすでに半分がた骨になっている。
「アイ=ファもこいつのつまみ食いだけじゃあ物足りないだろう? こっちは俺ひとりで大丈夫だから、他の料理も食べてきたらどうだ?」
「お前は、まだ動けぬのか?」
「うん。これを自分たちで切り分けるのは難しいだろうから、全部を片付けちゃってから他の料理を楽しませていただこうかと」
「だったら、私もそれからでよい」
胸部を包帯で固定されているアイ=ファは姿勢を崩せないため、布の上でぴしりと背筋をのばしていた。そろえた両膝に手を載せた、実に凛々しきお姿である。
「別に気を使わなくていいんだぞ? せっかくジバ婆さんも出てきてるんだしさ」
「ジバ婆とは、日中にも言葉を交わすことはできた。……それに今はギバ狩りの仕事を果たしていないため、それほど空腹になることもないのだ」
「え、そうなのか? ファの家ではもりもりたくさん食べているじゃないか」
「傷を癒すために、食事は必要だからな。しかし、さすがに半月も家に閉じこもっていると、これほどの食事は不要なのではないかと思えてきてしまう」
それはかまど番たる身としては大いに悲しき発言であったが、アイ=ファの気持ちもわからなくはない。左腕を負傷したときはそれ以外の部位がなまらないように修練を積んでいたアイ=ファであるが、肋骨を折ってしまった現在は、その修練さえもがかなり制限されてしまうのである。それまでの運動量を思えば、食が細くなってしまうのも致し方のないことであった。
「同じ調子で食べ続けていては、余分な肉がついてしまう。見よ、それは今の時点でも明らかであろう?」
「ええ? そうかなあ?」
そんな気配はまったく感じていなかったので、俺はまじまじとアイ=ファの姿を見つめてしまった。
やっぱりどこをどう見ても、以前の通りのしなやかな肢体だ。すらりとしていて、腰がくびれていて、無駄な肉などどこにも見当たらない。優美にして力強い、アイ=ファだけが有する女狩人としての完成された肉体である。
などと考えていたら、いきなり顔面を手の平で叩かれた。
「うぐわ」とのけぞってから視線を戻すと、なぜかアイ=ファは顔を赤くして山猫の目つきになっている。
「……人の姿を、無遠慮に見るな」
「理不尽だなあ。見ろと言われたから見ただけなのに」
「やかましい」と、アイ=ファはそっぽを向いてしまう。
俺もつられて脈拍が上がりそうだったので、中断していた作業を再開させることにした。
そこに、リミ=ルウが駆け寄ってくる。
「あれー? まだやってるの? こっちはみんな交代で食事を始めてるよー?」
「うん、こっちは俺自身が修練を積まなきゃいけない作業だからさ。他の人にはまかせられないんだ」
「そっかー。それじゃあリミにももう一口ちょうだい? さっきタリ=ルウが運んできてくれたけど、すっごく美味しかった!」
「それはよかった。それじゃあ今度は、なかなか食べる機会のない部位をあげよう」
言いながら、俺はギバの顔面を頭蓋骨から切り剥がしていった。
普段は毛皮を剥いでしまうので、顔には食せる部分もほとんど残らない。今だって、切り剥がすというよりは、ほとんど削り取っていくような感じだ。
ただ、カリッと焼けた皮の下には、脂肪分とも何ともつかない弾力にとんだ層が潜んでいる。
残念ながら耳はだいぶん焦げてしまっていたが、顔の皮というのもミミガーに近い質感であるように思えた。
リミ=ルウが持参した木皿に、その削り節のようになった顔の皮を積んでいく。
リミ=ルウは小首を傾げながらそれを口に運んだが、やがてその小さな面に嬉しげな表情をたちのぼらせた。
「ぱりぱりくにゅくにゅで美味しいね! ギバの皮、リミは大好き!」
「うん、ギバの皮は美味しいよね。普段はなかなか口にする機会もないし。……よし、ついでだから、今の内に頭もやっつけちゃうか」
頭を胴体から寸断して、剥がせる肉と皮を剥がしたのち、まずは下顎を取り外す。その中に隠されていた舌も、しっかり熱が通って白く焼きあがっていた。
ずっしりと食べがいのあるタンである。このボリューム感を損なわないていどの厚みに切り分けていき、誰でも手に取れるようゴヌモキの葉に並べていく。
お次は目玉をくりぬいて、頭蓋骨からは脳も摘出する。
お口に合うかは不明であるが、これらは希少な部位なので、数枚のタンとともにポン酢を添えてドンダ=ルウとジザ=ルウに献上させていただくことにした。
その間もちらほらと人はやってきていたので、あばらや足の骨からも肉を削ぎ落とし、肉という肉を提供していく。けっきょく30分も経たぬ内に、30キロサイズのギバは残らず骨がらと化すことになった。
「よし、今日のお仕事は完了だ!」
「あれ、その皿は? ドンダ父さんにだったら、リミが持っていってあげようか?」
「いや、これはレム=ドムの分なんだよ。ザザ家の人たちに見つからないよう、隠れているんだ。……アイ=ファ、こいつだけ先に届けてきたいんだけど、いいかな?」
「うむ」
そうして俺はアイ=ファとリミ=ルウの3名連れで、約束の場所に向かうことになった。
人々は、変わらぬ元気さで宴を楽しんでいる。それらの間をすりぬけて、俺たちはバルシャたちの暮らしている家の裏手に回り込んだ。
「あら、アイ=ファ、あなたも来てくれたのね」
と、暗がりの向こうから長身の人影が現れる。
「宴はずいぶん盛り上がっているようね。わたしはもうお腹と背中がくっついてしまいそうだわ」
「それは悪かったね。俺も仕事があったもので。……はい、とりあえずはこいつで飢えをしのいでくれ」
「あら、たったのこれっぽっち?」
「ルウ家の食事に関しては、ドンダ=ルウから条件を出されてしまったんだよ。たぶん大丈夫だとは思うけど、料理を運ぶ前に確認をしておこうと思って」
レム=ドムに木皿を受け渡しつつ、俺はドンダ=ルウからの言葉を復唱してみせた。
「この紫の月が終わる前に、ドムの家長と言葉を交わすべし。……この約定を守れるならば、好きに料理を食べていいそうだよ」
「ふうん。この月の間にディックと和解せよ、という意味ではないわよね?」
「うん。とにかく一回きちんと顔を合わせて、おたがいの心情を確認しあえってさ。ドンダ=ルウはドム家の内情に干渉するつもりはないらしいけど、やっぱり家族が離れて暮らしていることには賛成できないんじゃないかな」
血の縁を重んずる森辺の民ならば、それは当然のことと思える。
「わかったわ」とレム=ドムは肩をすくめる。
「わたしなんて、もうふた月近くもドムの家を離れているのだものね。その間にこれほどの力をつけることができたのだから、そろそろいい頃合いだわ」
「ディック=ドムは、レム=ドムの願いを聞き届けてくれるのかな」
「どうかしらね。まあ、無理ならいよいよドムの氏を捨てる他ないわ」
レム=ドムの言葉に、アイ=ファがぎゅっと眉をひそめた。
「レム=ドムよ、家族を捨てるというのならば、お前は何のために狩人となるのだ? 狩人は、まず何よりも家族のために自分の仕事を果たしているのだぞ?」
「あら、アイ=ファだってすべての家族を失った後も狩人としての仕事を果たしていたのでしょう? たとえ家族がいなくとも、狩人としての誇りを胸に生きていくことはできるはずだわ」
強い口調で言ってから、レム=ドムはふっと口もとをほころばせる。
「わたしだってディックのことは愛しているし、分家や眷族たちのことを大事に思っている。それでもわたしは、わたしの気持ちを殺さぬままに生きていきたいの。……それが許されないことなら、きっと森がわたしの魂を召すでしょう」
「そうか」とアイ=ファは首を振った。
「そこまでの覚悟が固まっているのならば、もはや止めはすまい。己の信ずるままに生きるがいい」
「うん、ありがとう。……初めてアイ=ファがわたしの気持ちを心から認めてくれたような気がするわね」
レム=ドムは、嬉しそうに微笑んだ。普段のシニカルで色っぽい笑い方ではなく、子供みたいに無邪気な笑顔だ。
が、その笑顔が途中で凍りついてしまう。
それを見て、アイ=ファはけげんそうに後方を振り返った。
「……こんなところに隠れていたのですね、レム=ドム」
家の陰から、女衆のほっそりとした姿が現れる。
長い髪をひとつの三つ編みにして右肩に垂らした、目つきの鋭い女衆――スフィラ=ザザである。
「あなたなら、きっと狩人の力比べを盗み見ているのだろうと思いました。……ようやく会えましたね、レム=ドム」
「ス、スフィラ=ザザ……」
上ずった声で言いながら、レム=ドムが後ずさる。
彼女がこれほどまでに我を失う姿を見るのは、これが初めてのことであった。
「まったく、あなたという人は……!」
と、スフィラ=ザザが弾丸のような勢いで駆け寄ってくる。
俺たち3名の前を素通りして、スフィラ=ザザはレム=ドムに躍りかかった。
「ドムの家をふた月も離れるなんて! どうしてあなたはそんな風に、他者の気持ちをかえりみずにいられるのですか!?」
「うわ、ちょっと……だ、黙って見てないで、誰か助けてよ!」
レム=ドムはそんな風にわめいたが、スフィラ=ザザのほうに悪意は感じられなかった。
いや、悪意どころか彼女はレム=ドムの胸に取りすがり、やがてしくしくと泣き始めてしまったのである。
「わたしたちが、どれほど心配したことか……女衆としての生を捨てて、狩人として生きたいだなんて……そんなの、わたしには絶対に耐えられない……」
「な、何であなたに泣かれなきゃならないのよ! 放してってば、スフィラ=ザザ!」
スフィラ=ザザはいやいやをするように首を振り、レム=ドムの身体を抱きすくめる。
レム=ドムであれば力ずくで逃げ出すことも容易であるはずであったが、彼女はそうする代わりに困惑の表情で天を仰ぎ、深々と溜息をついた。
しばしその光景を見つめてから、リミ=ルウがくいくいとアイ=ファの腰あてを引っ張る。
「ねー、リミ、またお腹が空いてきちゃったー」
「そうだな。我々は宴に戻るか」
「アイ=ファ! わたしを見捨てるつもり!?」
「見捨てるもへったくれもない。それもまた、お前が思いのままに生きるための試練なのであろう、レム=ドムよ」
「薄情者!」とわめくレム=ドムとスフィラ=ザザをその場に残し、俺たちは広場に戻ることになった。
気の毒に思わないこともないが、余所の家の人間が口出しをできる話でもないのだろう。アイ=ファの言う通り、レム=ドムは家族や眷族を説得できない限り、自分の信ずる道を進むことはかなわないのである。
「あれだけ自分のことを思ってくれる眷族がいるのだ。幸せな話ではないか」
「そうだよねー。スフィラ=ザザって、すっごく情が深いと思うよ!」
というわけで、俺とアイ=ファはついにルウ家のご馳走を食することになった。
俺は何ひとつ手を出していない、ルウ家とその眷族だけでこしらえた心づくしの料理である。
一番手近な集まりに近づいていくと、急ごしらえのかまどで温められた鉄鍋を中心に、ルティム家の人々が談笑していた。
「おお、アスタとアイ=ファではないか! ひさしく姿を見ていなかったな! さっきの肉はまたとてつもなく美味かったぞ!」
ダン=ルティムには、あえて骨から外さなかったあばら肉がアマ・ミン=ルティムの手によって配膳されたはずだ。
その場には、ガズラン=ルティムやアマ・ミン=ルティムばかりでなく、ラー=ルティムやひさびさのモルン=ルティムまで、ルティム本家の人々が勢ぞろいしていた。
「おひさしぶりです、アスタ。こちらは汁物料理ですが、お召し上がりになりますか?」
「ありがとう、モルン=ルティム。是非いただくよ」
これはレイナ=ルウとシーラ=ルウが独自で開発した、とっておきのシチューであった。
ギバのロースをいったん照り焼きにしてから、タラパ主体のスープで煮込んでいる。そのスープも、かつて俺が作製したものを土台にしてはいるのだろうが、今ではまったく異なる味わいに仕上げられているのである。
使用食材は、タラパとアリアとミャームーと、それに砂糖や果実酒、ピコの葉やチットの実、さらには各種の香草まで使い、イタリアンとエスニックの中間みたいな味に仕上げられている。
酸味と甘みと辛みのバランスが絶妙で、そこにポイタンでとろみが加えられているのだ。それに、照り焼きだけではギバ肉の出汁を取れないため、こまかく刻んだ色んな部位のギバ肉が投じられてもいる。
そして肝心のギバの照り焼きは、タウ油とパナムの蜜を配合したタレで焼かれており、そこから溶けた味が、またこの料理に深みを与えているのだろう。一歩まちがえたら城下町の料理のように複雑な味わいになりそうなところを、ぎりぎりのラインで踏みとどまっている、という印象である。何にせよ、ヴァルカスとの出会いがレイナ=ルウたちに影響を与えたことは間違いないと思う。
具材のほうも、定番のアリアやティノやネェノンの他に、ルッコラのようなロヒョイ、パプリカのようなマ・プラ、ズッキーニのようなチャンが使われている。
レイナ=ルウたちは、これを明後日から『ギバのモツ鍋』とローテーションで売りに出す計画でいた。そのために、「城下町の食材を使ってその味を知らしめてほしい」というポルアースの要望にも応えているのだ。
これだけたくさんの食材を使っていながら、まったく味はぶつかっていない。たしかレイナ=ルウたちはマイムと出会った頃からこの料理の研鑽を始めていたはずなので、それを思えば2ヶ月がかりで味を追求していたことになるのだった。
そう、だからきっと、食材の味を活かしきる、というマイムとミケルの信条からも、強い影響を受けているはずだ。ヴァルカスから受けた衝撃とマイムから受けた衝撃が、そのままこの鍋の中でせめぎ合っているような、そんな印象さえ感じられた。
なまじ俺のように別の土台を持つ人間よりも、食文化の未発達であった森辺の女衆のほうが、スポンジのごとき吸収力を備えているものなのかもしれない。
まだまだ試行錯誤の段階とはいえ、そういった強い意欲とチャレンジ精神を感じさせる、これはレイナ=ルウたちの力作なのだった。
「これは素晴らしい料理ですね。あまりわたしたちには馴染みのない食材をこれだけたくさん使っているのに、それらがとても強い力を与えてくれるように感じられます」
アマ・ミン=ルティムはそのように述べていた。
たとえヴァルカスの影響があろうと、レイナ=ルウたちも「同胞のために」という思いを一番に据えているのだろう。だからこそ、これほどさまざまな食材を使いながら、あまり突飛な味にはならず、どこか優しげで、それでいて力強い味わいに仕上がっているのだ。
これほど入念に計算しつくされた料理を、他の女衆が再現することは難しいかもしれない。そういう意味で、これは「森辺の料理」と呼んでいいのかはわからなかったが、しかし間違いなく「レイナ=ルウとシーラ=ルウの料理」であった。
「わたしが集落を離れている間に、レイナ=ルウたちはずいぶん腕を上げてしまったのですね。わたしは心底から驚かされてしまいました」
モルン=ルティムも楽しげに微笑んでいる。
ひと月ぶりに家族と再会できて、彼女はとても幸福そうに見えた。
ダン=ルティムなどは言うに及ばず、常に厳しい面差しをした長老のラー=ルティムも、ふだんよりはいくぶん穏やかな目つきをしているように感じられる。
「ガズラン=ルティムよ、私はあなたの成長に驚かされることになった」
と、しばらくルティム家の面々と談笑していると、やがて珍しくもアイ=ファがそのような声をあげた。
「わずか数ヵ月で、これほどの力をつけることもできるのだな。前回の収穫祭の折とは、まるで別人であるかのようだった」
「しかしそれでも、ジザ=ルウには届きませんでした」
ガズラン=ルティムは静かに微笑みながら、そのように答える。
「私もこれまでで一番の力を出せたと思うのですが、ジザ=ルウはさらなる高みに達していたのです。力比べで敗れてこれほど口惜しく思ったのは初めてかもしれません」
「それはしかたのないことだ! 今回ばかりは、ジザ=ルウも負けられない立場であったろうからな!」
と、果実酒の土瓶を片手に、ダン=ルティムが愉快げに言う。
「何せ今回は、ドンダ=ルウが力比べに参加できなかったのだ! そんな中で、次代の家長と定められているジザ=ルウは、眷族の誰にも負けたくない、という心情であったのだろう。ルウ家は親筋であり、しかも今では族長筋となってしまったのだから、なおさらにな!」
「では、ジザ=ルウも私と同じように、強き力を持つ父が不在であったために、これまで以上の力を出すことができたというわけですか」
「当然だ! そしてガズランにも相応の覚悟があったのであろうが、ジザ=ルウにはそれ以上の覚悟が課せられていた。親筋たるルウは子たるルティムに弱みを見せられないという、ほんのちょっぴりの覚悟の差が勝負をわけたのであろう!」
笑いながら、ダン=ルティムは愛息の背中をばんばんと叩いた。
「しかし、あれは血がわきたつような勝負であったぞ! 俺はお前さんのような息子をもてたことと、ルウ家のように強い親をもてたことを、同じぐらい誇らしく思う! なに、これからいくらでもジザ=ルウとは手合わせをできるのだから、いずれ口惜しさを晴らすことはできよう!」
いずれはドンダ=ルウもダン=ルティムも狩人の仕事から完全に身を引き、ジザ=ルウやガズラン=ルティムらが一族を導いていくことになるのだ。
たとえそれが5年後であっても10年後であっても、必ずその日がやってくる、ということに変わりはない。
俺にはまったく想像することさえ難しかったが、家長の座から退いたダン=ルティムとそれを受け継いだガズラン=ルティムには、より現実感をともなって、そのような未来が見えているのかもしれなかった。
ドンダ=ルウやジザ=ルウは、どのような思いでこの時間を過ごしているのだろう。
俺たちはルティム家の人々に挨拶を述べ、さらなる料理とさらなる人々との交流を求めて、その場を離れることにした。